マスク 菊池寛
W。「反俗日記」記事を再掲載する(2021年、ワクチンを約1か月間をおいて2回接種~。
2022年初春ワクチン3回目接種(6波)
⇒2022年夏、4回目ワクチン接種(7波)
WHOがオミクロン新系統の監視強化…南アなどで確認、「BA・2」の感染力上回る : 読売新聞オンライン
注目部分引用
「BA・4は3月30日までに南アフリカや英国などで計52例見つかった。BA・5も3月25日までに南アで27例が確認された。日本国内では見つかっていない。
「西浦博・京都大教授(理論疫学)らは、国内の第6波で主流だったBA・1に比べ、BA・4の感染力は1・49倍、BA・5は1・4倍と推定し、1・21倍のBA・2を上回るとした。西浦教授は「日本に入れば置き換わりが進むだろう」と指摘する。」⇒W,なぜBA4オミクロン株(英国で検出。感染力やや強い)ではなくてBA5oミクロン株が大流行したのは不思議。
「南アでは入院者数や死者数は急増しておらず、病原性は不明。」
「「新系統が持つ変異は、ワクチンや薬の有効性を下げる恐れがある」
@4回目に接種したワクチンは<デルタ株スパイク>を対象に開発されたメッセンジャーRNAワクチンであり、上記の系統図を参照するとデルタ株とオミクロン株は枝分かれし別系統のスパイク形態を持っているのでワクチン効果は薄れる。
上記のような系統図は事前に知っていて接種を躊躇していたが、感染の可能性のある作業を継続しなければならない事情があって、接種に踏み切った。
オミクロン株のスパイクに対応したmRNAワクチンでなければ、ウィルスを大量被ばくしたときにスルーして気道に付着し侵入する。
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リバタリアン的放置主義に漂着した新型コロナ、パンデミック対策。
コロナ感染「全数把握」見直し、各自治体の判断で…重症リスク患者らに限定も
W。新型コロナウィルスの変異も抗体に対抗する進化ではなく、<コピーミス>で偶々、現状のオミクロンBA5に至っている。
引用
「現代の生物学における進化論は、チャールズ・ダーウィンの主著『種の起源』から始まりました。その基本的な考えに、ダーウィンの時代にはなかった遺伝子に関する知見を加えた現代の進化論のことを「ネオ・ダーウィニズム」といいます。」
しかしこれは間違い。
「「キリンの首は、高所の葉を食べるために進化して長くなった」というのは間違い」
「ダーウィン以前にもさまざまな進化論が唱えられていましたが、それは根本的なところでダーウィンの考え方とは違いました。それは、生物の進化に「目的」があると考えるか、進化は単なる「結果」にすぎないと考えるかという点です。ダーウィンの進化論は、後者でした。つまりそれ以前は、進化には目的があると考えるのが主流だったのです。」
「その説にしたがえば、たとえばキリンの首が長くなったのは、「祖先が高いところにある葉を食べるために首を伸ばしたから」ということになるでしょう。」
「でも、そうやって進化を起こすには、親の獲得形質が子に遺伝しなければなりません。」
生物の進化には、目的も方向性もない
「ダーウィンは生物の進化に「目的」はなく、それは偶然の「結果」にすぎないと考えました。たまたま突然変異によって親と違う形質の子が生まれ、その個体が淘汰されずに生き残ることによって、進化が起こると考えたのです。
現在では、その突然変異が遺伝子のミスコピーによって起こることがわかっています。「ミス」ですから、そこに目的などありません。いつ起こるかわからない偶然によって、親とは少し違う形質の子が生まれるのです。親の形質は周囲の環境にうまく適応している(だからこそ親は子孫を残すまで生き残れた)のですから、突然変異を起こして親と違う形質を持った子は、当然ながら生き残りにくいでしょう。」
W。RNAウィルス遺伝子の本質的な非定在性=変異性の常態化と毒性の微妙なバランスがコレだけパンデミックを引き起こしている。
デルタ株がオミクロン株にトコロテン式に変異するのであれば、対応するワクチンも生成し易い。コピーミスによって枝分かれが活発だからワクチン開発はモグラたたき状態になる。
>治療薬は風邪ウィルスの治療薬がなく、対症療法に過ぎない今までの状況を想えば、本質的にできないだろう。
@季節性流行のインフルエンザは治療薬のようなものがあるらしいが、新型コロナは無理だろう。
@新型コロナの1年を通した感染の波は、一見季節性があるように見受けられるがエアコン多様など都市型生活の感染環境の影響だと思う。
@オミクロン株GA5が弱毒化の傾向があっても、次の新型コロナRNAのコピーミスの継続が弱毒化とパンデミック波の鎮静化に繋がるという理論的保証がどこにあるのか。
@世界的なパンデミック対策のリバタリアン的変更によって新型コロナパンデミックは世界的な弱者抹殺の道具になってきている。為政者の責任放棄である。
資本制国民国家成立以降、
は実質的に破棄されてきた。
ウクライナロシア戦争を継続させること、グローバル資本制支配層の現在将来的権益を守るためには各国の足手まといの弱者はこの際、切り捨てなければならない、という支配層の獰猛な下心が表に浮上してきた。パンデミックによって国民消費が冷え込んでいるのに物価高が進行しているので、市場が投機的色彩を帯びてきた。物価高で富裕層が値上がり分を全部持っていき、労働層の貧困化が絶対的なレベルになっていく、なのにウクライナ、ロシア戦争は継続しなけらばならない。軍拡は進めなければならない。
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日本のコロナパンデミック現状分析。データに基づいた分析。
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W。参考資料
新型コロナの致死率は着実に低下W?している
致死率はいまだインフルエンザを上回り、変異株の発生などに引き続き注視が必要
効果的なサーベイランスなどのためには法制度やシステム整備が必要
① 感染症法の区分を二類から五類に変えるだけでは対応する医療機関は増加しない⇒W。大人なら解るレベル。
五類相当に変更すると行政が法的に要請できる範囲が限定され、今後、感染力が増大した場合などは対応が困難となる。このため、現状の二類相当での運用を続けるべきであると考える。
現時点でも一般の医療機関における診療は妨げられておらず、むしろ、一般の医療機関において新型コロナ患者を診療することで診療費(保険料)が加算されている状況にある。今まで新型コロナ対応ができていなかった医療機関は、何かの課題(人的リソース・スタッフ育成、設備、医薬品の不足等)があって対応できていなかったとすると、分類を五類相当にすることで対応医療機関が増えるわけでない。
⇒W。町のお医者さんでも見てもらえる。事情を知らないにもほどがある。診療できるところはすでにコロナ患者を診ている。自分に知っている限り発熱外来をやらない診療所、病院は内科ではない(耳鼻咽喉科眼科外科など)、病棟が施設化している延命療養特化病院(一応総合病院の体裁)などそれそれ事情がある。町に一杯診療所があるのは日本医療の特性。一か所に集中してこなかったのは、自民党長期政権のゆがみ。看護師の数はそれなりに対して、医者の数が少なすぎるから町の個人病院まで患者が寄り付き、経営が成り立つ。
多くの医療機関で対応できるようにするためには、類型を変えるのではなく感染症法の改変が必要である。
措置の緩和に伴い感染者や死亡者が一定数増えるのは自明であるが、それがどの程度まで許容されるかは、感染状況によっても大きく異なり、現時点では共通認識が得られていない。
W。「今まで新型コロナ対応ができていなかった医療機関は、何かの課題があって対応できていなかったとすると、分類を五類相当にすることで対応医療機関が増えるわけでない。」
上記に示したとおり、新型コロナ対策において執るべき措置は、感染状況や時間の経過とともに変化する。法的な位置づけを変更するのは、どの程度までの感染者・死亡者を許容することができるか、国民の共通認識を得られてからにするのが妥当ではないか。
W。反俗日記ではコロナパンデミックの当初にスウェーデンの施設入所老人殺しに等しい無防備コロナ対策を批判してきた。
この対策は当地の福祉国家の維持のため裏側(命の選別~一定年齢以上の高齢者は手術は後回し、若い移民優先、コネ効かず。その結果死亡する人もいる)であり、その意味で健康な時に高福祉(教育費、医療費無料)を受けてきた国民とのある程度の合意はできていたとみた。そもそも上記の施設入所老人は普通入所後、2年ぐらいで死亡する。在宅介護制度が充実しているということだ。施設入所で長生きするよりも在宅で長寿する方が総福祉費用も安上がりで済む。
日本のコロナ対策転換は、煎じ詰めると<自分だけ、今だけ、カネだけ>の風潮を国家主義イデオロギーの枠にまとめ上げていく、というこれからの日本の空気感を加速させる大きなステップになる。<国家主義イデオロギーと自分だけ今だけカネだけの風潮は表裏一体のかんけいにある>。
そういう閉塞的な社会に創造的なエネルギーが湧いてくるはずがない。
COCOAはスマートフォンのBluetooth機能を利用して、陽性であることを登録した人とのスマホ同士が1メートル以内に15分以上近接した場合、「陽性者との接触の可能性」があるとの連絡が来る、というシステムである。⇒W。見守り介護のために安上がりなので使ってみたがブルーツゥースはほどんど機能しない。常時起動させている人が圧倒的に少ない。
WEB情報をもとにした感染対策をするためには、個人情報の集中管理が肝。中国のコロナ対策は日常生活での活用の延長線上で実行している。
W。新型コロナパンデミックへの世界的政策変更に対するマフフェストとも読み込める。最後の下りは菊池寛の一ひねりも二ひねりもした人間観が出ている。
1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)
見かけ丈だけは肥つて居るので、他人からは非常に頑健に思はれながら、その癖内臓と云ふ内臓が人並以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知つて居た。
一寸した坂を上つても、息切れがした。階段を上つても息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されも、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなどもあつた。
肺の方も余り強くはなかつた。深呼吸をする積つもりで、息を吸ひかけても、ある程度迄吸ふと、直ぐ胸苦しくなつて来て、それ以上は何うしても吸へなかつた。
心臓と肺とが弱い上に、去年あたりから胃腸を害してしまつた。内臓では、強いものは一つもなかつたその癖身体丈だけは、肥つて居る。素人眼にはいつも頑健さうに見える。自分では内臓の弱いことを、万々承知して居ても、他人から、「丈夫さうだ〱。」と云はれると、さう云はれることから、一種ごまかしの自信を持つてしまふ。器量の悪い女でも、周囲の者から何か云はれると自分でも「満更ではないのか。」と思ひ出すやうに。本当には弱いのであるが「丈夫さうに見える。」と云ふ事から来る、間違つた健康上の自信でもあつた時の方がまだ頼もしかつた。
が、去年の暮、胃腸をヒドク壊して、医師に見て貰つたとき、その医者から、可なり烈しい幻滅を与へられてしまつた。
医者は、自分の脈を触つて居たが、「オヤ脈がありませんね。こんな筈はないんだが。」と、首を傾けながら、何かを聞き入るやうにした。医者が、さう云ふのも無理はなかつた。自分の脈は、何時からと云ふことなしに、微弱になつてしまつて居た。自分
でぢつと長い間抑へて居ても、あるかなきかの如く、ほのかに感ずるのに過ぎなかつた。
医者は、自分の手を抑へたまゝ一分間もぢつと黙つて居た後、「あゝ、ある事はありますがね。珍らしく弱いですね。
今まで、心臓に就て、医者に何か云はれたことはありませんか。」と、一寸真面目な表情をした。
「ありません。尤も、二三年来医者に診て貰つたこともありませんが。」と、自分は答へた。
医者は、黙つて聴診器を、胸部に当てがつた。丁度其処に隠されて居る自分の生命の秘密を、嗅ぎ出されるかのやうに思はれて気持が悪かつた。
医者は、幾度も〱聴診器を当て直した。そして、心臓の周囲を、外から余すところないやうに、探つて居た。
「動悸が高ぶつた時にでも見なければ、充分なことは分りませんが、何うも心臓の弁の併合が不完全なやうです。」
「それは病気ですか。」と、自分は訊いて見た。
「病気です。つまり心臓が欠けて居るのですから、もう継ぎ足すことも何うすることも出来ません。第一手術の出来ない所ですからね。」「命に拘はるでせうか。」自分は、オヅ〱訊いて見た
いや、さうして生きて居られるのですから、大事にさへ使へば、大丈夫です。それに、心臓が少し右の方へ大きくなつて居るやうです。あまり肥るといけませんよ。脂肪心になると、ころりと衝心しょうしんしてしまひますよ。」医者の云ふことは、一つとしてよいことはなかつた。
心臓の弱いことは兼て、覚悟はして居たけれども、これほど弱いとまでは思はなかった。
「用心しなければいけませんよ。火事の時なんか、馳け出したりなんかするといけません。此間も、元町に火事があつた時、水道橋で衝心を起して死んだ男がありましたよ。呼びに来たから、行つて診察しましたがね。非常に心臓が弱い癖に、家から十町ばかりも馳け続けたらしいのですよ。貴君なんかも、用心をしないと、何時コロリと行くかも知れませんよ。第一喧嘩なんかをして興奮しては駄目ですよ。熱病も禁物ですね。チフスや流行性感冒に罹つて、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりつこはありませんね。」
此医者は、少しも気安めやごまかしを云はない医者だつた。が、嘘でもいゝから、もつと気安めが云つて、欲しかつた。これほど、自分の心臓の危険が、露骨にべられると、自分は一種味気ない気持がした。
「何か予防法とか養生法とかはありませんかね。」と、自分が最後の逃げ路を求めると、「ありません。たゞ、脂肪類を喰はないことですね。肉類や脂つこい魚などは、なるべく避けるのですね。淡白な野菜を喰ふのですね。」
自分は「オヤ〱。」と思つた。喰ふことが、第一の楽しみと云つてもよい自分には、かうした養生法は、致命的なものだつた。かうした診察を受けて以来、生命の安全が刻々に脅かされて居るやうな気がした。
殊に、丁度その頃から、流行性感冒が、猛烈な勢で流行はやりかけて来た。医者の言葉に従へば、自分が流行性感冒に罹ることは、即ち死を意味して居た。その上、その頃新聞に頻々と載せられた感冒に就ての、医者の話の中などにも、心臓の強弱が、勝負の別れ目と云つたやうな、意味のことが、幾度も繰り返へされて居た。
自分は感冒に対して、脅え切つてしまつたと云つてもよかつた。自分は出来る丈だけ予防したいと思つた。最善の努力を払つて、罹らないやうに、しようと思つた。
他人から、臆病と嗤はれやうが、罹つて死んでは堪らないと思つた。
自分は、極力外出しないやうにした。妻も女中も、成るべく外出させないやうにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱うがひをした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。
そして、出る時と帰つた時に、叮嚀に含漱をした。
それで、自分は万全を期した。が、来客のあるのは、仕方がなかつた。風邪がやつと癒つたばかりで、まだ咳をして居る人の、訪問を受けたときなどは、自分の心持が暗くつた。自分と話して居た友人が、話して居る間に、段々熱が高くなつたので、送り帰すと、その後から四十度の熱になつたと云ふ報知を受けたときには、二三日は気味が悪かつた。
毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依つて、自分は一喜一憂した。日毎に増して行つて、三千三百三十七人まで行くと、それを最高の記録として、僅かばかりではあつたが、段々減少し始めたときには、自分はホツとした。
が、自重した。二月一杯は殆んど、外出しなかつた。友人はもとより、妻までが、自分の臆病を笑つた。自分も少し神経衰弱の恐病症ヒポコンデリアに罹つて居ると思つた。が、感冒に対する自分の恐怖は、何うにもまぎらすことの出来ない実感だつた。
三月に、は入いつてから、寒さが一日々々と、引いて行くに従つて、感冒の脅威も段々衰へて行つた。もうマスクを掛けて居る人は殆どなかつた。
が、自分はまだマスクを除のけなかつた。
「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云ふことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云ふ方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思ふよ。」自分は、こんなことを云つて友達に弁解した。又心の中でも、幾分かはさう信じて居た。
三月の終頃まで、自分はマスクを捨てなかつた。
もう、流行性感は、都会の地を離れて、山間僻地へ行つたと云ふやうな記事が、時々新聞に出た。
が、自分はまだマスクを捨てなかつた。
もう殆ど誰も付けて居る人はなかつた。
が、偶に停留場で待ち合はして居る乗客の中に、一人位黒い布片ぬのきれで、鼻口を掩うて居る人を見出した。自分は、非常に頼もしい気がした。ある種の同志であり、知己であるやうな気がした。自分はさう云ふ人を見付け出すごとに、自分一人マスクを付けて居ると云ふ、一種のてれくさゝから救はれた。自分が、真の意味の衛生家であり、生命を極度に愛惜する点に於て一個の文明人であると云つたやうな、誇をさへ感じた。
四月となり、五月となつた。
遉さすがの自分も、もうマスクを付けなかつた。
ところが、四月から五月に移る頃であつた。また、流行性感冒が、ぶり返したと云ふ記事が二三の新聞に現はれた。
自分は、イヤになつた。四月も五月もになつて、まだ充分に感冒の脅威から、脱け切れないと云ふことが、堪らなく不愉快だつた。
が、遉さすがの自分も、もうマスクを付ける気はしなかつた。日中は、初夏の太陽が、一杯にポカ〱と照して居る。どんな口実があるにしろ、マスクを付けられる義理ではなかつた。新聞の記事が、心にかゝりながら、時候の力が、自分を勇気付けて呉れて居た。
丁度五月の半であつた。
市俄古シカゴの野球団が来て、早稲田で仕合が、連日のやうに行はれた。帝大と仕合がある日だつた。自分も久し振りに、野球が見たい気になつた。学生時代には、好球家の一人であつた自分も、此一二年殆んど見て居なかつたのである
その日は快晴と云つてもよいほど、よく晴れて居た。青葉に掩はれて居る目白台の高台が、見る目に爽やかだつた。自分は、終点で電車を捨てると、裏道を運動場の方へ行つた。此の辺の地理は可なりよく判つて居た。
自分が、丁度運動場の周囲の柵に沿うて、入場口の方へ急いで居たときだつた。ふと、自分を追ひ越した二十三四ばかりの青年があつた。自分は、ふとその男の横顔を見た。見るとその男は思ひがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのだつた。自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動ショックを受けずには居られなかつた。
それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた。その男が、何となく小憎らしかつた。その黒く突き出て居る黒いマスクから、いやな、、、妖怪的な醜くさをさへ感じた。此の男が、不快だつた第一の原因は、こんなよい天気の日に、此の男に依つて、感冒の脅威を想起させられた事に違ちがひなかつた。それと同時に、自分が、マスクを付けて居るときは、偶にマスクを付けて居る人に、逢ふことが嬉しかつたのに、自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見えると云ふ自己本位的な心持も交じつて居た。
が、さうした心持よりも、更にこんなことを感じた。自分がある男を不快に思つたのは、強者に対する弱者の反感ではなかつたか。あんなに、マスクを付けるこに、熱心だつた自分迄が、時候の手前、それを付けることが、何うにも気恥しくなつて居る時に、勇敢に俄然とマスクを付けて、数千の人々の集まつて居る所へ、押し出して行く態度は、可なり徹底した強者の態度ではあるまいか。兎に角自分が世間や時候の手前、やり兼ねて居ることを、此の青年は勇敢にやつて居るのだと思つた。此の男を不快に感じたのは、此の男のさうした勇気に、圧迫された心持ではないかと自分は思つた。