引用
「(ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong、황석영(W.ハングル表記)、1943年1月4日 - )は、韓国の小説家。本名は黄壽暎(황수영、ファン・スヨン)。
いわゆる「ハングル世代」(W。注)に属する作家の一人であり、21世紀に入ってからは欧米でも高い評価を受け著作の翻訳が進んでいる。2019年現在、世界28か国で87作品が翻訳されており、ノーベル文学賞候補として有力視される韓国作家の一人である。」
W。日本のノーベル賞受賞作家とは作家姿勢、作風がまるっきり違う。
小説家であると同時に公人。公人として民主化闘争に関わる、という姿勢。
作風は基本的に内面描写を抑制したハードボイルドスタイル。真骨頂は内面と行動を巧みに刷り込んだ映像的な光景描写。
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(1960年四月革命
~ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong17歳ソウル京福高校2年生、ともにデモ参加した友人警察警備の銃弾で射殺(全国で200名以上の死亡者)。
日本でいえば1960年安保世代。
親米反日の李承晩大統領、ハワイに逃亡。
翌年、朴軍事クーデターにより「維新」(開発)独裁長期政権、始まる。
ファンソギョンは60年代(1966年、23歳徴兵海兵隊員として3年間ベトナム従軍)、
70年代、80年代(80年光州民主化抗争、活動拠点を光州に移していたが偶々ソウルにいたため逮捕を逃れチュジェ島に潜伏)一貫して作家活動を続けながら民主化闘争に関わってきた。
>1990年ピヨンヤンで開かれた「第1回汎民族大会」に参加。47歳。
>1993年欧米で国内の民主化闘争支援したが帰国。50歳。国家保安法違反により懲役7年の実刑判決⇒1998年3月まで服役。
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W注①
W。日本では漢字と平仮名と片仮名、+縦書き、横書き+和訳困難用語
~~思考脳がIT時代に即応しない~~
韓国ではハングル、
中国では漢字(W簡略化された漢字を使用。)
日本語(カタカナ+当用漢字+ひらがな)
中国語(簡略漢字)
W。なお、何気なく目にしている日本文字表記法には縦書き、と横書きの混在があり上記のカタカナ、ひらがな、漢字の混在、さらにはIT文化の混入によって英語の日本語訳に適当なものがないのでそのまま、英語表現を使っている場合も含めて以上4つの文字表現が日本人の頭の中にある。
「言葉や文字は、コミュニケーションの手段であると同時に、民族のアイデンティティーのよりどころ」とすれば、日本人のコミュ事情とアイデンティティーはどうなっているのか?日本人同士、当たり前のことが世界的に見て希少事情。戦後の現代化の渦中で文化の整理整頓は放棄され全部個別に修正し縦割りで取り込んでいる。その個別縦割りを頭の中でつなぎ合わせるときに、不具合は出てこないのか?
その方面の専門家の研究はないのか?
縦書き・横書きが混在する国は日本だけですか?新聞・週刊誌にも混在してい... - Yahoo!知恵袋
引用
「「言葉や文字は、コミュニケーションの手段であると同時に、民族のアイデンティティーのよりどころ
~~朝鮮半島国有の文字「ハングル」朝鮮王朝第4代王・世宗(セジョン)大王(1397-1450)。~~
という役目も果たします。かつて漢字を使いながら、いまではほぼ完全にハングルにシフトした韓国も、そうした言葉の二つの側面を投影する歴史をたどってきました」
では、かつて用いていた漢字をやめ、ハングルにシフトした韓国の人たちは、漢字をどう見ているのか?
「韓国では朴正熙政権下の1970年代初め、『ハングル専用』と呼ばれる動きが一気に進み、公文書や教科書は、漢字ではなくハングルで全面的に表記されるようになりました。その背景には、日本による植民地支配時代に、朝鮮語の使用禁止や創氏改名が行われた記憶も密接に関係しています。植民地時代を契機に、ハングルには、民族の誇りを象徴するという意味がさらに強まりました。70年代にハングル専用の動きが強まったのは、50~60年代は朝鮮戦争、軍事独裁政権の発足と政治的混乱が続き、70年代になってようやく自国の言語政策に注力する余裕ができたからだと思います」
――その流れは変わらず、現在に至っているのですか?
「そうですね。いまの韓国社会で、漢字を見ることはほとんどありません。新聞もほぼ全面的にハングルです。漢字が読めない若者もどんどん増えています。
>かつて小・中学校では必修科目として漢字の授業があり、私もそうして漢字を勉強した世代です。
@それも今や、選択科目のような扱いで、『漢字は勉強したい人がすればよい』といった具合です。この流れは、元には戻らないでしょうね。ただ、国民が使う文字はハングルだけでよいのか、漢字も併用すべきかを巡っては、70年代から現在に至るまで、なお論争があります」
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ハングルの仕組み
ハングル、一見何かの暗号のようですが、誰にでも読み書きできる。
ハングルは10の母音と19の子音、11の複合母音の組み合わせだけで構成される表音文字。仕組みさえ理解すれば、暗号が解読される。
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韓国、PCローマ字入力よりハングル入力が主流
「なぜハングルのタイピングはローマ字式よりも、ハングル式の方がおすすめかといいますと、そちらの方が圧倒的に便利だからです!
なので、韓国の人もハングルでのタイピングを行うことが多いのだと思います。
日本語ではキーボードは「あいうえお」の日本語式よりローマ字方式の方が主流ですからちょっと不思議かもしれませんね。
しかし日本語は平仮名だけでも54文字と数自体も多いので場所を覚えるのも大変ですし、ローマ字方式の方が効率がいいかもしれません(Wはあいうえお入力で数十年前初期PCを覚えた(ワープロ後期の時代、ウィンドウズ、ソフト発売直前)。練習デスクを1週間もやれば普通覚える。いったん覚えると一文字で打てるから便利。今はローマ字入力。練習しないで使っているので画面を見ながら打てなくて入力しながら考えることがワンテンポ、遅れる、誤字脱字の修正も手間をかかる、文章表現にも怪しいところが垣間見えるが、時々面倒なのでそのままにしておく。ローマ字変換、カタカナ、ひらがな、漢字をPC操作中にやるのはPCを打ちながら考えることの妨げになっている。昔、PC入力の作家の文章は筆記文章(原稿用紙)と読む人が読めば、すぐわかる、といわれていた。~村上春樹さんの小説などは典型的なPC打ち込み文章ちがうかな。もっとも外国作品の読みすぎもある。
Wの場合は高校3年の夏に日本の綺麗な文章を打ち止めにして、翻訳の政治経済文書の読むことに特化することを決めた。特にマルクス関連の翻訳文章の影響からか日本語がめちゃめちゃになった。その一方で概念用語の一つ一つを忠実に訳した難解な日本文の方がトータルの文意はよくわかるから不思議だ。しかし、授業で英文で書かれた同じものを読めば実に簡潔、適切な表現なのはびっくりした。
日本はいまだにどこかグローバリズムに根本的なところで不適応なところがある。
ハンコ文化をようやく役所が改めだした。現行の戸籍制度も本当に必要なのかどうか?統一教会の父母血統論(教会批判の権威、北海道大学教授の血統を父母に遡るのはその方が金を巻き上げる係属が多くなるからなどというのは日本の戸籍制度に基づくいい加減すぎる解説。)がすんなり通るのも戸籍、家の法制度が未だに利用されていることとどこかつながりがある。
朝鮮半島.しかし今はスルーされているはず。戸籍制度は改革されている、と反俗日記で取り上げた。日本の戸籍制度は今も利用されている(役所、戸籍課)。
沖縄にもある。
多岐にわたる日本語表現方法も情報交換やアイデンティティティーの在り方に奥底で影響を与えている。一言で言えば、余計なことに気を使いすぎて、それができる人とできない人で差異がつけられている。そういう手間はもっと大事な方に回した方が良い。
アベ国葬賛成の急先鋒の関西芸人が天皇家の「大喪の礼」を無知で「たいものれい」~~読み方として間違いではない。皇室慣用語を知らなかっただけの話。本人の自覚の問題。周りも教えてあげるべきだ。その時、の反応でその人が解る。~~とTVで言ったと馬鹿にする動画があったが、自分に言わせると、面倒、複雑な表現方法があるから、そんなどうでもいいようなことを知っていることでの差別化が生まれる。
シンプル化すれば裸と裸の人間同士の交流に近づく。意匠を一杯身にまとうとむき出しの人間性が隠される。生き抜く哲学とは意匠を身に着けることではない。
回りくどくぼかしてやっていてもあるころから態度が急変、無節操に功利的に立ち回るから厄介だ。
Wは見守り介護の人のグループホーム入所4か月にして危ない状態なのを知らされて、どうすることもできず切ない思いをしたが、突如、「人間は一人で死んでいくものだ」、というシンプルなフレーズが沸き上がってきて、「そうだあの人もオレも一人で死んでいくんだ」「じたばたするな」、という諦観と覚悟のようなものが蘇り、幾分か救われた思いがしている。日本人の属性に引きずられると個性がぼやけてきて勇気が湧いてこない。)がハングルは基礎となる文字は少ないですしハングル方式の方が便利です。
またハングルはローマ字表記の場合タイプする回数が、ハングル方式よりも多くなってしまいます。スピード重視の観点から言ってもハングル式の方がおすすめです!
最終的には好みの問題となりますが、あまりネイティブの人でもメジャーでない方法よりもこれから始めるのであればスタンダードな方法をおすすめしたいと思います。」
ファンソギョンの自伝は人間がむき出しになっている。バイタリティーがある。
自伝引用
「長姉はこうもいった。「母さんは結局、自分で自分の首を絞めたってことね。
やがて大人になりもの夏季という職業が賎業だと自嘲したこともあるが、いまではせんぎょうというよりもむしろ天職と考えるようになった。
それでも小説家は「学識者」ではなく、もともと市場の物売りのような市井の「商売人」であるべきだとの思いは変わりはない」