反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

連載第8回 ①「情勢論、現理論、存在論の接点」→山崎行太郎ブログと立場は一致。②付加体列島原住民の原点を探る~「家族国家私有財産の起源」と新戸籍制度。検討開始→古墳時代親族構造論と古代国家形成過程

    情勢の奥底に原理を見出す思考方法によれば、<W注>
 
① グローバル資本主義(全地球一体化市場)。
② 東アジア東端、付加体列島原住民のマツリゴト(特殊日本的事象)。
③ (①②に即応する世界的政治傾向)である保守と新自由主義大衆。

以上の①②③のカテゴリーに国内外のすべての政治経済事象は<集約された>。

<W注>
 
W。「情勢の奥底に原理を見出す思考方法」と敢えて表現したのは、原理論ー段階論ー現状分析の三段階を意識的に区別する思考方法を採用しているからで、この思考方法は世界に例のない大きな到達点であると確信するが、山崎行太郎ブログが「情勢論、原理論、存在論接点」としているように、
この思考方法の欠陥は接点を最後まで曖昧にしたままに終わったことである
 
 山崎は段階論を採用しないで(コレは基本的に帝国主義論になり、Wが再三指摘している20世紀の二つの世界戦争と戦後世界体制という特殊時代状況を指すので、「冷戦」体制崩壊完全に通用しなくなている。山崎が段階論を外した理由であり、Wと同じ判断である。
 ただし、レーニン帝国主義論における世界状況の起動力を確定し世界を丸ごと認識するフォーカスは間違っていない。
今、この視点から世界を表現するキーワードは、<全球一体化市場状況>である。
 
>その上で山崎の本文は情勢論、原理論、存在論の接点】の段階論の替わりに存在論の接点】とした理由を割り易く解説している。
>本文を読んでみると、最終局面を意識する反俗日記の今回の連載の意図と完全に一致しているのでびっくりした。
山崎の指摘する接点とは文中最後の青色強調点である
 
今回の連載の課題はコレだ。長くなるが引用する。
 
「情勢論に飽き足らない一部の学者たちは、古典や文献に固執し、学問的思考を展開する。これが、私の言う原理論である。「政治学者」や「哲学者」「思想家」と称する人たちが繰り広げる高尚そうな議論は、この種の原理論ということが出来る。プラトンソクラテスからホッブスやルソー、あるいはヘーゲルマルクスを頻繁に引用し、言及して、「高みの見物」を決め込んでいる知識人や文化人の議論が、この種の原理論である。」
    ↑
W。現実はもっと手が込んでいて、古典や文献のコピーは巧妙。
ソレを基に大衆受けする応用技術を持っている者がマスコミ伝道ベルトに乗る。
池上彰~著書「マルクス資本論を読む」~の解釈力は学者としてもレベルは高いとみた。
民主主義の若者向け解説書の導入部分は完全な国家権力ー政権ー民衆の関係を、国家の本質(独裁)を明らかにした上~レーニン「国家と革命」~欧米統治形態の仕分けしてイギリス型では暴力革命は必要ない~を踏まえている~での欧米的民主制度の機能的解説~などはその典型)。
 今の日本の文系学者の世界では他の学者の思考を採用する場合、きめ細かく明示する流儀になっているようで本文中に繁雑に書き込んでいる。例えば本文の中に(2006、学者名)。外国ではコレはやらないのでは?このような方法が慣習化すると、学問の世界が閉鎖的になり小理屈の積み重ねになる。
 
******
山崎
「普通はここで終わるところだが、私は、ここで満足しない。 原理論は、「知識」の極限を極めているかもしれないが、まだ「知識」や「雑学」の領域に属している。
 
私は、その向こうに、思想や学問にとって、もっとも重要な世界があると考える。
それが「存在論」の領域である。情勢論でも原理論でもない、存在論
存在論を内在化していない思想家や学者、文化人に、私は、本質的な関心はない
存在論とはその人の思想ではなく、その人の生き方にかかわる問題である。その思想のために、生きたり死んだり出来るかという問題である。
「思想」」と「生き方」とは関係ないという人もいる。
私が「存在論」というのは、思想なり理論なりが、その人の「生き死にの問題」に直結しているかどうかという問題である。
  ↑
W。結局、「思想」」と「生き方」とは関係ない」<済ますことのできるヒトとできないヒトがいる>と云うことに尽きる。思想への<個人の渇望>の問題である。
また、世の中は複雑で、<思想と生き方を直結でき環境のヒトとできない立場の人>もいる。
 
東アジア東端付加体列島原住民である日本人はなかなか自分の中の神(全世界)作ることができない絶対神不在、地政学的環境ゆえに西洋哲学的思考ルートはたどれない~から天にいても大自然にいても良い

 
次に東アジア東端付加体列島のマツリゴトを源流に遡って確認する必要もあるが、上記の論文は連載開始当初に指摘したように、日本の書かれた歴史(支配層のモノ~文献学)や掘り出した歴史遺物(コレも主として支配層のモノ~考古学~)に雑多な文化人類学を混ぜこみ、エンゲルス家族私有財産国家起源 - Wikipediaや「反デューリング論」のコンセプトを学者的に改ざん下敷きに、
>結局は日本の聖家族ー天皇制や支配層の連綿たる歴史を間接的に肯定するモノであるが、このような参考文献しかネット上に出ていないから再構成して参考資料にしたい。
 
まず、家族私有財産国家起源 - Wikipediaの解説を読むと、この論文のコンセプトがいかに出たらめでるか解る。
引用
今日の一夫一婦制の起源を明らかにする部分、(2)階級社会における一夫一婦制の批判、(3)では、どうやったら婦人は解放されるかという社会主義社会での家族と結婚という3つの部分が書かれている。」
エンゲルスはここで「乱婚(無規律性交)→血族婚→プナルア婚~~W。引用 「自己の配偶者がそのキョウダイと性関係を持つことを容認する家族形態」→集団婚→対偶婚~~W。引用 「女性が財産の所有主体でありえたこと(女性が財産を所有することが普通だった) 女性が男性の所有物では無かったこと排他的同棲(他の人と性交しちゃだめ。夫婦は一緒に住むの!)という「契約」制度を持たなかったこと」(W。注 ①)という発展図式を考え、私有財産制度の成立とともに、母権制氏族社会が転覆され、「女性の世界史的敗北」(エンゲルス)がおきたとした。私有財産は家父長制から一夫一婦制へ移行し、それらは姦通と娼婦制度によって補完されるとした。そして社会主義=財産の主要部分である生産手段の私的所有の廃止によって、財産の相続を目的にした一夫一婦制の基礎は消滅すると主張した。
 
第2章家族四、一夫一婦婚家族において、エンゲルスは、「ナポレオン法典第312条(der Code Napoleon Art. 312)」に言及している。
ナポレオン法典は日本の旧民法の土台となった民法典で、第312条は「婚姻中に受胎された子の父は──夫である」としており、ここから民法第772条が規定する「嫡出の推定」すなわち「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」が由来している。」W。注②
 
伊勢物語 - Wikipedia平安初期、大和物語 - Wikipedia平安中期の男女関係家。W。家制度→家系と家父長制(私有財産制)の成立は平安後期以降~~
 
W。注② 参考j資料
「戸籍とは、その人の氏名、生年月日の他に、出生、死亡、婚姻、離婚、養子縁組等、身分関係を登録し、それを証明するものですが、このような制度は日本以外の諸外国にもあるのでしょうか?
結論からいうと、戸籍制度の整っている国は、日本の他には台湾程度で、その他の国には戸籍制度がなく、むしろ、日本、台湾が稀な国であり、世界のほとんどは、戸籍制度をもっていません。
ちなみに、韓国にもかつて戸籍制度がありましたが、西暦2008年1月1日付けで廃止されました。
これらの国で身分関係をあきらかにする証明書としては、出生証明書、婚姻証明書、死亡証明書程度しか存在せず、公的な証明書による相続関係の証明は困難を極めます。
日本に比べて諸外国では被相続人自身による遺言が当たり前のようにされています。
その要因の一つに、諸外国において戸籍制度がなく、相続人が亡くなった被相続人の身分関係を証明することが、大変だということが挙げられると思います。」
 
 
離婚時に妻が妻単体の戸籍を選択したとします。
この場合、子どもの戸籍は筆頭者が夫である戸籍に残ります。ということは、子どもの氏は夫と同じということです。監護権も含めた親権を離婚届において妻が持つとした場合、離婚して旧姓に戻った妻と妻が引き取った子供の氏は異なることとなります。
離婚した妻の氏と引き取った子どもの氏を同じにするのなら家庭裁判所子の氏の変更許可申請を行います。同じ氏を名乗るなら同じ戸籍に存在する必要があるので、ここで初めて子の戸籍を離婚後に出来た妻単独の戸籍へ移すこととなります
よく相談を受けるのですが、子どもの戸籍が離婚した夫の戸籍にあろうが、離婚した妻の戸籍にあろうが、親権や監護権の決定とはなんの関係もありません。戸籍とは、日本人の所在を管理する制度であり、親権は制限行為能力者である未成年者を守る制度であり、全く別の目的を持つ制度だからです(戸籍には親権者が記載されますが、それは親権者が戸籍記載事項であるだけの話です)。離婚して旧姓に戻った妻が、元夫の戸籍にある子どもの親権者になることに全く問題はありません(この場合、妻と子供の氏は異なることとなりますが)。
親権者は子ども(未成年者)の財産管理と、子ども(未成年者)の身上監護をする権利を有します。
財産管理は子ども名義の財産を子どもにかわって管理することです。
身上監護とは、子どもの身の回りの世話やしつけをすることです。」
 
W。現在の戸籍制度は戦前支配層による家制度~家父長制(私有財産制)の<家、家族ユニット>身分による日本国民への管理統治制度を戦後民法に継承し個人の自律を阻む
>家制度の大きな器がグローバル資本主義によってズタズタにされても、戸籍制度がある限り、家制度の残滓は継承され、ソレを法的外皮とする核家族ユニットの外面は保たれ、支配層レベルではむしろ意匠替えして強化されさえする。
という事は意匠替えした家の慣習は下に伝播される。
 
W。戸籍制度と民主制度にはハッキリとした矛盾があるから、こんな面倒な手続きが必要となり、明らかに夫婦の女の立場は保護されておらず、原籍復帰、子供の氏の変更申請など法的判断に迷うはず。
他方、男は離婚しても失うものは物的方面に限られ、ソレも上層はともかくも下層では不履行の現実がある。家父長制の残滓はココでは悲惨な形をとって濃厚である。この状態が労働力市場に移行すれば、子供を抱えた低賃金労働力商品が層として生まれる。
1980年代90年代のグローバル資本主義の荒波に覆われ、OECD諸国の家族形態がフレキシブルに対応した時代に、付加体列島原住民家族は少子高齢化により核家族ユニット状態を維持して耐え忍んだが、その背後には新戸籍制度などの半民主主義的民法の強制力が効いていた。
 
上野千鶴子の「家父長制と資本制」の家父長制の問題点の析出が不鮮明なのは、こうしたリアルな視野がかけているからだ。民法は諸個人の在り方の肝心なところ~究極は権利とカネ~に統治強制力を持つ。

 メモに貼り付けた本文の引用 
日本から世界をみるよりも世界から日本をみた方が解り易いので本文を並び変える。
W。エンゲルス「反デューリング論」より著者のまとめ
 
 (iii)国家形成の主要3形態 アテナイ ローマ、ドイツ(W。ゲルマン人のことである)
『起源』では「氏族制度の廃嘘のうえに国家がおこってくる三つの主要形態」としてアテナイ・ローマ・ドイツ人の場合があげられている
 
×W。氏族制社会の破壊の上に古代国家が成立するアテナイ特別(純粋)な例。
アテナイがもっとも純粋で、氏族社会そのものの内部で発展する階級対立から国家が発生する。
×W。このケースもアテナイほどでないが特異な例。
ローマでは、征服した地域に住み古いローマ氏族の外部にいる無権利・有義務の多数の平民(プレブス)と、古いローマ市民(ポプルス)との闘争により、氏族制度が破砕されることにより<新しい国家制度が>設けられる。
●W。このケースが世界的傾向
ドイツ人の場合、広大な外部領域を征服したため、被支配者を氏族制度によっては支配できず、 「氏族制度の諸機関は、国家機関に転化せざるをえなかった」。
W。絶対少数支配者である自己の制度は圧倒的多数の被支配者側に強制できないから、自らの権力機構をそのまま支配の道具化するショートカットしなければならなかった。
W。モンゴル帝国イスラム支配などは形を変えたその典型。
新大陸発見のヨーロッパ人の場合は、宗教に依拠した原住民殲滅、一掃という事で残虐性増す。
引用
「ローマ人とドイツ人の場合が、征服により氏族外部の人間を多数社会の中に抱え込んだことが国家形成の契機となっており、アテナイの場合と異なるように見える。
この部分を根拠に征服国家論が成立。
    ↑
W。日本列島古代社会構造は、一見最後のケースだが、征服国家的側面に乏しく、上層階層の疑似血統的氏族連結(東アジア東端付加体列島のマツリゴトの原点!~古代中国ではこのような殷周的傾向は内乱的に破壊された。)が広域支配のカギを握っていたので、上記のいずれにも当てはまらないから、そのフォーカスだけで議論すると弩壺にはまり、細かい分析をしているうちに何が何だか分からない様になり、全体のコンセプトを見渡すと、日本の家制度家系、家族、特に聖家族天皇、貴族制の間接的肯定に落着する。

    D国家の前段階の社会と過渡期の扱い W。以下は支配層の歴史であり、日本人民トータルの生活実態とは異なっている。高群説は興味深い。この関係を壊したのは秦の始皇帝専制国家体制であった。
  (il)首長制(W。酋長制)
いずれも対等平等な同盟ではなく、部族間にヒエラルキーがあって専制国家の母体たりえる支配秩序が考えられている点でほぼ意見が一致している。

 擬制的同族関係の締結による支配・従属>
W。付加体列島原住民の酋長たちのマツリごとの広域連結
~W。紀元前、古代中国周の本家と擬制的同族関係にある諸国の王家との関係に似ている。
文献史学界では、国家形成期における集団や階層間の支配・被支配関係の成立を擬制的同族関係の結成・締結として語るのが盛んである
義江明子氏は、
>日本の古代社会では、ウヂの組織によって血縁関係として表現されるのは、首長層相互の政治的支配従属関係のみであって、
*共同体成員の首長への人格的従属に基づく支配隷属関係は直接には血縁原理によらないので、
>日本古代の共同体とウヂの関係を把握するには、共同体成員と首長との関係と、首長層相互の関係とを概念的に明確に区別する必要があると指摘する
 
  ↑↑首長(W。酋長と読めば解り易い!)制時代の氏族の在り方。証拠なしで不明。
 
B型首長制の形成原理は、実体的なものを含み擬制的なものばかりではないが、
  擬制的同族関係の締結の重要性>が増していることは否定できまい
    ↓
>W。重要→実は、日本を含めた東アジアにおける前国家段階の社会それ自体とそこにおける国家生成が有した特性に基づくのであって、
(W。かなり違うと想う。
ヨーロッパ大陸と比べて、東アジア擬制的同族関係締結時代~列島は700年800年遅れている~だけを切り取ってみると、そういう事になるが、
>列島は春秋戦国時代の様な大内乱の契機が乏しく、東アジア東端付加体列島のマツリごとの広域連鎖の主導性が大きかった。天皇制の全土の族長代表的要素内部的源流である対東アジア関係を契機として族長代表的要素が定着ココにも東アジア東端付加体列島のマツリごとの外部的源流をみる!) その内外の源流は近代現代、今も続いてきた(東アジアに危機的情勢を設定して、保守~新自由主義大衆は天皇制に親和的である)


>W。重要→支配階層の政治的結集、政治的職掌分掌体勢の形成のために採られた方法の合理的理解のためである。 
近藤義郎氏は、
弥生時代の氏族的結合はもとより、部族的結合の主軸をも血縁的擬制的同族関係とする。
さらに古墳時代初期におけるその枠を超えた大和と各地との政治的関係の形成前方後円墳の成立)を、すべて擬制的同族関係の締結と見る(近藤1983)。
近年では弥生後期~庄内二期の大型墳丘墓(四隅突出型墳丘墓・方形台状墓など)や特種器台特種壷などの分布圏形成の背後にある現象をこの概念を用いて説明する論者が増えている。
W。イロイロ云うが酋長時代のマツリごとによる支配層の広域連結。と総括できる。
W。超重要   
しかし、擬制的同族関係の締結が主戦略>
となったとみなせるのは、<支配者層における父系出自観念の形成(W。支配層における父系出自の共同国家幻想の形成!>と<首長位の継承の安定化>(田中、1995)を背景として、複数有力集団が父系原理を基本に結集してウヂを結成し、
さらに統治機構の形成に向けて支配層相互の政治的関係が整理されていく中ででしかない
W。上記のようなドラステック性のないまま、原住民支配層のマツリゴトの広域連鎖で閉塞共同政治幻想空間を作り出し、人民への統治を貫徹させる、ソレに人民?が「呼応」するところ(万葉集の防人の世界)に東アジア東端蓋体列島原住民性の原理をみる!
もっとも人民の反乱は実際にあったわけだが、漢成立の出発点となった秦帝国への防人の反乱とは次元が違った。
 
かなり先走って論文を辿ったが、その方が全体構造が見えて解り易い。
以下次回に続く。