反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第一回、幕末甲州天保一揆への道。ー公的正当性と民衆の正当性ー

                本論の目的
   佐々木潤之助著「江戸時代論」に沿って、幕末の村方町方の階層分解を基盤として戦われた暴力一揆、を
江戸時代論の真ん中に位置づける。
 幕藩鎖国体制は、日本人を政治的経済的思想的に閉じ込めた長期停滞社会だったと総括。
 
 日本が鎖国しなければならない経済的必然性はなかった(佐々木潤之助)←同意する。
 
 仮にそのことによって、西洋政治論を学んだ福沢諭吉が国体を守る本願を西洋流に日本の政権を守ることの一点に集中したところで、政権を外国勢に奪われても、日本民族は地の利を生かして日本解放戦線で戦って勝利を収めていただろうと確信する。
 その戦いは東アジアの戦いと連動した先進的な(W?コレばかりは根拠がない願望。最も歴史のIFに願望を上乗せしているがイメージ世界は自由である)戦いになっていただろう。
長期の歴史スパンの観点からして、この方が日本にも東アジア諸国にもよかった。
 
 明治維新を主導した輩は、藩政改革でのし上がった下級のものであっても、所詮、私的主従関係を精神的に根幹とする田舎軍人だった。
 
 だから、列強に最初は攘夷で強烈に楯突いたが(薩英戦争、下関戦争)個別に簡単に一掃され、一転して攘夷思想を放棄して、急進的な西洋化路線を歩めた。封建主従関係観のなせる割り切り方である。
本質的な思想的に裏打つに乏しい形式的支配関係であったからこそ、簡単に割り切れ貫徹力がないのだ。
 
 コレは福沢的に伝統を守るために、古いものを捨てるなどという、目先の対応論では清算できない日本思想の浅はかさを物語っている。尊王思想との安易な結合である。
 
 西洋に無反省に取り付いただけだから、江戸時代の長期に渡って形成されてきた封建武士の精神主義が西洋化にも拘らず、中心部に残存する。
だから、西洋思想、封建思想、古代君主制。これら全部が国家思想として混在し、統一され昇華されることはなかった。
したがって、国際緩急が大きく変わって、元々バラバラに並存していたものの中から、機械的に西洋思想が取り除かれた。
 このような習性は直らない。
小林秀雄の戦争体験は、「日本人の敗戦体験は平家物語方丈記を超えることはできない」そうである。
kim hang「帝国の閾(しきい)」、から丸山真男の言葉から当該箇所引用。
小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしば述べている。
~少なくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の<継起>のパターンに関する限り彼の命題はある核心を突いている。新たなもの、本来意思知的なものまでが過去との十全な対決ナシに次々と接収されるから、新たなものの勝利は驚くほど早い。
過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍に押しやられ、あるいは下に沈降して意識から消え忘却されるので、
それは説きあって突如として思い出として噴出することになる」
 
 その場合、幕藩体制の箔をつけるために古代君主制の残存を血統混成させたり、その基盤として録を与えることの対価に皇室儀式の継続を強制して皇族の権威を維持した成果が攘夷思想と結合した。
グローバル資本制進展と世界住民の基本矛盾は格差拡大、貧困蓄積であり、この状況で戦う政治思想的拠点の確立をめざす。
 
 最終的には佐々木潤之助の村方、町方の訳のわからない抽象的な階層分解論を確認し、次の段階として甲州天保一揆の実態をリアルに検証に突入していくが、そこに至るまで、大きく遠回りの地どり捜査をしていく。
 
 甲州天保一揆は幕末一揆の二つの闘争形態(暴力的百姓一揆と暴動的住民決起)がみられる、おそらく、唯一の大規模一揆、騒動とみた。検証する題材としてこれ以上のものは無い。
 
 こうしたした角度で問題意識を整理して検証しているのは須田努系の人たちだけだろう。
ただ、掘り下げは、途中ストップ。それ以上の踏みは、学校の講壇では無理。闘争論ではなくシステム論で誤魔化している。
 
 修羅場は今後厳然として常態化し拡張する。
それは個別事案でバラバラにするべきではなく、普遍化する必要がある。
そのためには、個別案件である一揆論、検証作業としての天保一揆の部分だけを取り上げるだけでは片手落ち。
 
>近江甲賀一揆は組織性大衆性のあるハイレベルな住民大衆行動。
主導層、決起数万大衆には政治意識を蓄積できた背景があった。
そういう意味では、幕末一揆の頂点に位置し、現代的価値も見出せるが、歴史的評価は定着しているのでひとまず回避する。
 
 甲賀一揆の地平から、以下のような評価も出てくるのは当たり前だと想う。
 
  「専制国家史論」足立。の最後の締めくくり。
「しかし、歴史を遡るなら、百姓一揆はムラの一般的構成員においても、その付託を担う指導者においても、遥かに責任ある個人と組織に支えられていたのではないか。
 専制に依存した近代化の背伸びが、組織と個人を無責任にしたのではないか。
団bン体制と先生特有の結合が、日本ファシズムの基礎だった。」
 
 
       「江戸時代論」佐々木潤之助。五、国家史としての江戸時代ー公儀の成立
「W。P332公儀の成立。
 兵農分離の過程として進行したわが国の封建的進化の過程は、支配における<私>性の限定の進行でもあった。W。210万の封建的主従←(<私>性関係)の巨大軍隊全土駐屯→私性主従関係に基づく暴力装置の人民支配の限界。
 さらに15C~16Cの民衆的変革意識が百姓王孫意識であったことにも根ざして指摘権力はさらにいっそう<公。性の獲得にかりたてられることになった。それは内在的な脆弱性の拡大に他ならなかった。
売反省の成立過程においても、本質的には封建的主従関係化私的な関係であり、煽れに基づく封建関係は私の儀であった。封建的集住関係の頂点に立つ将軍は私の儀に立つ私の権力の長であった。
その私権力的性格は、権力編成の次元のみでなく民衆支配においても同様であった。
封建的土地所有関係と共に、領主に対する領民たちの人格的な従属が支配の根幹となっていた。
W。中世ヨーロッパ封建領主と領民の関係を想起。→十字軍遠征、ペスト、都市経済発展税収増、内乱などを契機として絶対君主制に展開する。
 
<W。日本の場合>以下、公の語源説明=オオヤケ(大宅)~天皇制古代に飛んで、権力社会構造論の枠内の説明なく論旨アイマイ。省略。
 
>封建権力は、その権力を絶対化し、
(W。結局、中世ヨーロッパ封建制絶対君主制への展開の契機となった侵略との戦い(ポルトガル、スペインのイスラムとの戦い)、十字軍遠征、ペスト、都市国家経済発展、激烈な内乱といったリアルな歴史過程が、なかったから、
 日本の全土支配を達成した封建権力は、自ら絶対君主という政治的立場を獲得するしかない。
その場合、強固な私主従関係の限界性を、全土人民支配体制に飛躍させるためには、自らを諸侯の頂点に君臨する絶対君主に飛躍させなければならない。
その飛躍はヨーロッパ中世封建の絶対君主制への転換のような具体的契機が欠けているわけだから、単独ではむりであり、補助装置として、古代国家の君主の死せる権威で飾り立てるしかない。
 
 コレ事態、ローマ帝国に侵入して滅ぼしたゲルマン人の旧王ローマ皇帝利用や、ローマ教会の権威利用にもみられることであり、奇抜な日本的アイデアではない。
 
 中国史では古代国家の死せる権威は、北方遊牧民の影響と侵略、支配体制の転換点における徹底した人民蜂起による貴族層に対する大量殺戮、経済的存立基盤の徹底破壊など、実体の壊滅によって、抹消されている。
 
 儒教国家思想の易姓革命は王位転換原理である。
奈良朝末期の律令制導入の際には、儒教易姓革命万世一系の動物的血統論に読み替えて自らの支配の永続化に転化している。
未開の残る首長制に外来制度の律令制支配体制の目の荒いネットを被せた事情から、易姓革命思想を動物的血統永続支配体制と読み替えたのだろう。
もっとも国家支配の道具としての共同幻想イデオロギーの役割を意識できる文明水準でなかった。
 
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>その公性の獲得とは、そのまま封建国家の成立の問題であった。
封建権力は、その権力を絶対化し権力の維持と強化とを機構的に保障するために、その権力編成と支配機構を国家的支配体制に転化させた。
 
>その転換のためには、様々なな装置と操作が必要であったが、幕藩国家では伝統的権威との結合が(W.古代国家の伝統的権威<コレも律令制古代国家は未成立のまま荘園制と混在)は、東アジア東端、四方大海の天然の砦に囲まれた列島だから可能となった)<公>性の獲得のための主題になった。W。ここまで、キチンとした天皇制の相対化がないゆえの意味不明説明。
 
>そこで天皇・公家家のと将軍家との血縁的混成、法度や諸事件決済などによる役割規定と統制、領地付与と諸祭事の義務化(W。ナルホド。天皇家が主体的に永続的にゴソゴソ祭事をやってきたわけではなく、幕府の規定によるものだったのか)主従制への簡易性の取り込みなどが進められた。
 
 そのことによって、本来は私的権力であった将軍権力は<公>権力性を獲得し、前述のような性格の公儀となった。
(W。天皇制を相対化するためには中国、ヨーロッパの大陸の統治体制の歴史的変節と対比は絶対必要
日本史の枠内でやれば佐々木潤之助のようにオオヤケの語源説明から社会構造論や国家権力論抜きの天皇制を美化する解説になる。所詮、個別国家の枠内の歴史解説には大きな限界がある。)
 
>将軍・幕府がこのような公儀を確定したのは、家康治世の晩年、二代将軍秀忠の時代であったとされる。
>民衆支配においては、公儀ー百姓体制が確定した。
>それは封建支配体制と矛盾するものであった。(W。確かに原理的には絶対君主に自己展開し公儀ー小公儀として全土封建人民支配を確立しなければならず、その際、古代君主の死せる権威で飾り立てることも日本では、可能だった。)
 
 
 
          市場関係と私
「私から公へ連続的転化は、封建的主従関係の公的関係への連動的転化であったが、この市場における私的関係は、公的関係には連動的に転化しない。
封建国家はこのような指摘関係を異質のものとして、その国家支配の中に組み込んでいる。
 商業利潤や金融利潤は市場経済の基本的な利得であり木曽であるが、それは、明らかに封建的主従関係とは異なった正当性にたつものである。
幕藩国家は鎖国性によって、その異なった正当性を持つ私的関係である市場関係を、オオヤケのもとして編成していた。
 しかしその市場関係の担い手が、封建的関係である限りは、その編成は破綻しなかった。
その講師の野関係が破綻し始めるのは、私的関係の新たな展開に結果にほかならなかった。
それは封建的清算を乗り越えた新たな生産、すなわち近代化の基礎としての商品生産と商品経済の八手に他ならなかった。」
 
         
          民衆的正当性
荻生徂徠の思想を挙げて。
「公的正当性に押さえつけられてきた商業=市場の論理としての私的正当性の復権。あるいは、公的正当性の指摘正当性に対する優位性の否定であり、公的正当性の絶対性に対する愚念の提起でもあった。
この公的正当性の絶対優位に対する疑念は、ひとり荻生徂徠やそのほかの思想家・学者に留まらず広く民衆の間にも広まっていた」
 
「田沼時代は賄賂が横行していた。~にも拘らず、特に田沼次代に置いてそれらの不正が問題になったのは問題にする側に変化があったからである。
つまり民衆の間に、民衆的正当性とでも云うべき正当性観念を形成し、そのことによって正当性を客観化し、その絶対優位性を崩し始めたのであった。
その民衆的正当性の基礎になったのは、売買の道理に基づく新たな展開の基点を獲得した指摘正当性であった。
そして、コレまでの公的正当性において正当なこととされていたことでも、民衆的正当性において不正不当とされる事態が広まっていった。
 
 W。江戸時代の公儀に対する民衆的正当性による不正不当、判断の次元から、現在の日本民主政はどの程度進歩したのだろうか?
1億円ゴッチャンですの細川肥後藩殿様候補は隠居場から突如出現して、市場原理主義アジテーター小泉と一緒になって反原発で世の中が変わるような政治幻想を振りまいている。
 
 皇族家系も単に歴史観察対象としているものにとって、殿様家系を特別視する根拠がまるっきり理解できない。
皇族ーその他大勢にしか映らない。単体、細川がどんなヒトかだけしか感心がない。
出馬記者会見を視聴した限りでは、都知事選に今頃立候補するような方だとはとても思えなかった。
アレでは執務に支障をきたす。今、象徴都知事を選ぶ機会なのだろうか?
客観的票読みという前提作業も必要でムード的期待感だけで、非民主的排除の論理が横行しているようでは、他方に反発が生じるのは当たり前。
確かに殿様支配から、まだ200年もたっていないのだが。
 
 
               二つの正当性
1 8C半ば行こう、幕末維新期に至る時期は、国家的な類は公的正当性と民衆的正当性との二元的正当性の時代であった。
この二元的正当性とは、この二つの正当性が対等に並列的に存在していたということではない。
>公的正当性は、民衆的正当性を肯定し承認するわけではないが、次のように認識していた。
 
1)その民衆的正当性は、公的正当性の基礎である、兵農分離性を母体として成立している。
 
2)民衆的正当性は、公的正当性と異質なものであるものの、その異質性を公的正当性の論理によって克服することはできない。
3)民衆正当観念が、民衆の間に定着しつつあり、様々な運動の論理になったいることは否定しがたい。
4)したがって、その民衆的正当性への配慮ナシには、国家的営みをすることができない問い状況が展開している。
 
        コレに対する民衆的正当性は以下のようなもの
1)民衆は、諸雲集だけの世界として民衆世界の一員であり、その民衆世界は独自の正当性と論理を持っている
2)民衆的正当性は、公的国家的正当性を前提として、その当否を問題にすることなく、
領主や国家などは民衆世界に介入鑑賞してはならない。
 
3民衆は、民衆である限り民衆世界の構成員であり、民衆世界の共同行動行事への不参加は、制裁されなければなら無い。
4)民衆世界は、その正当性を侵したものに対する自力救済、制裁の措置を行う。
 
5)民衆は小生産者を主体としており、小生産者を聞きに陥れるような行為は、特に不当なものとして排除制裁されねばならない。
 
6)民衆は、その自力救済、制裁行為の根拠として、宗教的権威を想像していく。
 
       
           百姓一揆と変革  
> 続く