反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本とはまるで違った韓国船の船名表記に韓(ハン)流文化の確立を発見する。日本の現状の巨万の大衆行動は時期遅れになるのか?急進民主主義が足りない。

 
 岸壁のすぐ前の海に小船が一艘待機していた。何処から見ても遊覧船にしか見えない小船は何度か見かけたことがある。やがて、遠く離れた港の入口から、白い船橋(ブリッジ)のひときわ目立つ黒い貨物船が姿を現し、目を凝らして背景の景色と重ね合わせなければ、分からないほど、そろそろと進んできた。船倉に貨物を一杯、呑み込んでいるのか船体は海に深く沈んでいた。
貨物船の入港を横目に、階段を上り下りしながら、どんな船名なのだろうか、いつも入港してくる韓国船なのだろうかと、目を凝らした。今まで一度も見かけない船名だった。

韓国船の船首と船尾の船名表記の仕方は日本とまるっきり違う。だからいつも気になる。
 
この機会に調べてみた。ここまで考えていなかったが、ウィトゲンシュタイン流にいえば、対象の材料そのもの中に、真実と限界が潜んでいるとは思っていた。材料としての「尖閣」という材料そのもの中に限界が潜んでいる。
その限界を知ることが何よりも大切だ。
 
例えば、こんな船名     WOO YOUNG FRIEND←英語表記
その下にハングル表記。  우    영    프렌드 ←ハングル表記
                  ウ    ヨン    レンドゥ←韓国語発音 
漢字読みにすると、多分   祐    榮(漢字表記)レンド(英語)丸             
 (日本語的には)

*6-4.子音編 [2] http://hangeuls.com/hangeul/hangeul642.htm引用。
「次にhttp://hangeuls.com/hangeul/hangeul/b.gif,http://hangeuls.com/hangeul/hangeul/p.gif→H(ハ行)を見てみましょう。http://hangeuls.com/hangeul/hangeul/h.gif→H(ハ行)ではなく、なぜこのような音の対応になっているのでしょうか。これは、日本語・韓国語共に「F」の音が存在しないからなのですが中国語から考えると分かりやすくなります。(W。中国語には子音発音があると云うこと。英語のFriend はのFは子音。日本語読みのフレンドでも韓国語読みの プレンドゥでもない。
韓国語では"France"を「プランス(http://hangeuls.com/hangeul/hangeul/peu.gifhttp://hangeuls.com/hangeul/hangeul/rang.gifhttp://hangeuls.com/hangeul/hangeul/seu.gif)」"friend"を「プレンドゥ(http://hangeuls.com/hangeul/hangeul/peu.gifhttp://hangeuls.com/hangeul/hangeul/ren.gifhttp://hangeuls.com/hangeul/hangeul/deu.gif)」と発音します。余談ですが、このような韓国独特の外来語の発音は"Konglish"と呼ばれているそうです。そして、日本語では"France"は「フランス」、"friend"は「フレンド」であるように、「F」の音はハ行になっていますよね。この現象は、漢字の場合にも当てはまります。中国語で「F」であった音が、韓国では「P」(あるいは「B」)に変わり、日本では「H」に変わったのです。具体的に例を出すと、「飛」という漢字は中国語で「Fei」ですが、韓国語では「http://hangeuls.com/hangeul/hangeul/bi.gif」日本語では「ひ」です。
なぜ?という疑問を解決するにはやはり中国語から考える必要があるんですねぇ…。え?いっそのこともう韓国語やめて中国語の勉強しますか?いや、せっかくここまで来たんですからもう少し韓国語のことを知りましょうよ。

「韓国語において英語の「F」はそのほとんどが
「P」と同じく「ㅍ」と発音されます。例えば
ファッション→fashion→패션(ペッション)←W。母音 和製英語はfashion発音(元はフランス語)にある程度忠実
フレンド→friend→프렌드(プレンドゥ) ←W。子音 韓国語プレンドゥはFをP。ただ、フレンドのフも母音発音
フランス→France→프랑스(プランス) ←W。子音
ファミリー→family→패밀리(ペミルリ) ←W。母音 ペミルリ発音は中学生の英語スペル勉強のようだ。
このように「ぱ行」になります。
W。上記を見ると、日本語のカタカナ和製英語による英語受容の方がハングル発音英語受容よりも原語を忠実に表現している、と解る。ここから先のことを考えだすと、歴史や言語の問題になって、記事が前に進まないのでやめておく。

 小舟の船首にスタンバイした作業員は接岸する大きな船の甲板から垂らされた太いもやい綱の先端を岸壁のもやい側に待機している人に引き渡す。タグボートのように接岸する大きな船の船体に、船首を押し当てて、岸壁側に誘導する類の作業は一切やらない。ただただ、甲板から垂らされたもやい綱の先端を岸壁側に引き渡すのみ。もやい船と云う。最後の下りを始めたころ、、船尾側のもやい綱を結んだロープを、オレンジ入りの繋ぎのユニフォーム姿の韓国船員がぐるぐる回して、岸壁に放り投げた。この場合、もやい船の役目はいらなかった。

>結論的にいえば、この船名表記の中に、朝鮮半島の近世近代の歴史(もちろん、中国、日本と深いかかわりがある)と、朝鮮戦争以降の韓国は米国文化浸透、受容と従来の韓国文化と融合させた、独特の韓(ハン)流文化が生み出されているのだ、と理解できる。もちろん、アジア金融危機によるIMF管理下の市場経済の徹底化と民主化闘争の成果(民主化とは民族、国民国家への住民の政治的結集過程でもある)韓国独自の韓(ハン)流文化の形成に最大限の役割を果たした。
日本の船名にWOO YOUNG FRIEND 祐    榮 FRIEND(英語)丸は成立しない。
 
パク、チョンヒ元大統領は学生民主人士を先頭とする民主化闘争に対して軍事クーデターで政権を握り、「維新」体制を掲げて開発独裁体制を敷いた。
元大統領は日本の陸軍士官学校(日本本土の学校ではなかったはず)の出身者にして、植民地解放後の動乱期には朝鮮労働党の韓国軍細胞の一翼を担って逮捕され転向した。
 
独裁体制をその内部から崩壊に導く、文字通りの引き金を引いたのは大韓民国中央情報部KCIA)部長・金載圭であった。(朴正煕暗殺事件 - Wikipedia)~W。カーター大統領時代~。

趙甲済「朴正煕、最後の一日~韓国の歴史を変えた銃声」草思社は自分の知っている限り、ドキュメンタリー本の東アジア最高傑作である。当時の韓国社会の生の現実と、事件関係者の当日の鼓動が期せずしてスリリングかつ一体的に描かれている。
幸か不幸か、戦後日本では、この種のリアルで奥深く迫力あるドキュメンタリー本は一切生み出されなかった。戦後発表された戦争文学とプロレタリア小説の一部にソレがある。

 政治思想は窮地にあるときに、研ぎ澄まされるものである
この問題は若いころ、「学」を確立する時間が死ぬほどある目の前にいる学者センセイではなく、どうしてマルクスなのかレーニンなのか、毛沢東なのか、考えたことがあった。
 
 立ち位置によって状況は見えたり見えなくなったりする。
そこから見えた景色を文字にすると、学者センセイなどはるかに及ばない、ところに到達する。
マルクスはともかく、レーニン毛沢東も「革命」を扇動しているだけの革命家ではなかった。大学者でもあった。しかし、不思議なことにその著書をひも解くと、彼ら自身が爪先立って人々を扇動しているわけではないのに、読む人に「こうしてはいられない、何とかしなくちゃ、」と云うパッションとミッションを掻き立てる。
この瞬間瞬間は、個的モチベーションと政治的共同性への願いが激しく融合するとき、だった

 また、小林秀雄が云うように、観察者にとって確かに、死せる歴史は「必然性」ということでよくみえる
知識あるほとんどの人は、戦前日本の政治軍事の誤りは簡単に指摘できるが、経済の誤りとなると、難しくなるのは確かだ。ここにも大きなヒントが隠されている。だから、「日記」は無知を承知で経済問題にこだわる。
高橋是清の経済政策が正しいとすれば戦前日本の政治軍事の誤りはどこまでわかっているのか怪しいものだ。こんなチグハグな考え方をする人は多いアベ等のこの類であり、同類のことをやっている
浜さんの指摘はそういう意味で、間違いではない。しかし、ソレがグローバリズムの時代に実行されている意味を分かりやすく説き明かしているとは云い難く、既存の平和主義アイテムで説明しているから、政治的危機感を醸成させる方向が見え隠れしているように思えてならない。
経済学者こそが、この日本の時代状況に反抗する戦いが、政治的に上滑りする方向を修正し、地に足のついた人々の実益になる方向を提示する役目があるのではないか。
アベ等は「富国強兵」もできない。「強兵富国もできない」。

しかし、当時、間違っていると、体系的に指摘した人がどれくらい日本に存在していただろうか?
結局、共産主義者社会主義者だけじゃなかったか?
宮本(中条)百合子の「刻々」を何度も取り上げるのはそういう意味だ。
その中で突然始まるアジテーションは、ほぼ当時の時代状況への正確な把握を開陳している。もちろん小説は発禁処分である。

>しかし、歴史は単線的に進まない。
当時の中条百合子アジテーションの時代掌握をそのまま引きうつしたような時代認識でいると、結果的にとんでもない損失を人々は被る。
日本の反政府運動は日本支配層の動向を過大(過剰)評価することで成り立っているところがある。
正確に把握する必要がある。金子勝の良いところは、この点がキチンとしているが、出口がない。力強い対抗要因が必要なのだ、現実政治には。ソレは今目の前にあるものの中から生まれる。

東アジアの中国朝鮮半島は昔の日本の都合が押し通せた時代と雲泥の違いである。米国も登り竜の米国ではない。ヨーロッパにはEUが存在する。
時代認識の間違っている反政府派の政治活動は紆余曲折する。
自民党時代から~今日までの小沢一郎の政治軌跡を忠実にたどると、そのことがはっきりとわかる。
時代認識と政治理念は正当なのだが、権力側の対抗を受けて、政治活動がままならなくなったのではなく、時代認識と理念が、元々、権力側と同質であったがために、リアル政治に置いて、出たり入ったり、集めたり解散させたりの右往左往の政治軌跡になった。
民主党に居場所がなくなれば、鳩山由紀夫の様に本人だけの身の振り方を考えれば、良いだけだった。
当時もそう思ったし今もそう思う。
 
 それで今は現状の政治力にふさわしく、オリーブの木W?などと云う。
分解したイタリア共産党の組織基盤とネットワークの土台のあるイタリアと、特定の政治基盤の乏しい政治「空気」依存型政党の人士の寄せ集めの日本では状況はまるっきり違う。マスコミの吹かせる「空気」はもう当てにできない。
数合わせの政治からいまだに目が覚めていない。そんなことを提言するよりも自らは表に出ることを慎むことの方がよっぽど人々の政治のためになる。政界引退でよい。
あのような政治体質は先進国の一定の成熟した政治意識では受け入れられない。
ましてや民衆運動は小沢一郎的であってはならないし、それではまともなものは成立しない。それこそ、橋下等のファシズム運動に収斂しかねない。物差しや計りのような政治基準がはっきりしなければ、ぶれる。日本で安易に流通しているような民主主義観は物差しにも、はかりにもなり切れない。
 
>多様化している人々の要求を政治経済に渡ってトータルした基本的な形にまとめ上げ、その基本要求にこたえていくのが政治の大道である。民主党マニフェストは、批判的に参考にすべきであるが、何処に焦点を当て、政治変革の推進翼としていくのかと云う中心軸がなかった。政治をショーウィンドーの商品のごとくみなせる立場の人たちに媚を売ることはない。
 

国会内野党最大の組織力日本共産党系は同調しない。
先の東京都知事選挙の政治陣形の配置は、この日本の時代状況に対する政治スタンスの基本形だと考えていたし、今でもその考えは修正できない。
ワンイシュー陣形、ましてや反ファシズム統一戦線的な陣形構想は、日本内外の時代状況の現状と推移を読み切っていない浅はかな想い、である。
想定するような戦争はいつまでたっても起こらない。ファシズムも必要でなかった、としたら、それらの陣形は、人々の実生活に何の役に立つのだろうか。
細川~小泉タッグが意外と支持票を得られなかったのは、その主張が人々の実生活から遊離して、政治的に上滑りしていたからだ。
 これからの先行きに漠然とした不安感だけでなく、具体的な問題にぶち当たっている人々に、政治危機感を煽り、まとめていこうとしても大きな限界がある

昔はそれで通用した面があるが、今やどうしたことか、人々のパッションに届かなくなった
急進民主主義がジャコバン主義に至ったのは、政治の普遍的パターンであり、昔も今も、大衆的政治行動の普遍的な推進力であり続ける。
金子勝のように「暴力的衝突を繰り返してきた日本学生運動の影響」を若者の政治離れの一因に挙げるのは、上記の普遍性を踏まえず、現実の世界の民衆の戦いの推進力を無視する権力サイドのイデオロギーの垂れ流しである。
 
 しかし、日本におけるその最大の矛盾は、権力監視の下でのジャコバン主義であったことだ。
進民主主義がジャコバン主義に至るのは、政治の普遍的パターンなのだから、ジャコバン主義のパッションで行動し続けた人たちの問題ではなく、ジャコバン主義を操作した政治指導者たちの問題に尽きる
ジャコバン主義への道を一貫して回避する、大衆行動は各々の国の政治状況に応じた既存の議会代表制に収斂する。
先進国の議会制度の支配ヒエラルキーの制度化の現状から、急進民主主義の戦いは、正当な民主主義回復闘争そのものになっている。日本に置いて民主主義は急速に枯渇しているのは、民主主義を回復させる急進民主主義闘争が足りないからだ。
 
 ここまで書いてきたことを踏まえて、現状に照らし合わせて、具体的に考えてみる。
その1。
2011年3,11原発事故から1年もたって、10万人を東京に集めても大衆の運動の立場からみると、大きなタイムラグが生じている。大事が起こったら、最初に街頭に打って出るのが、大衆の戦いの原点である。
その2。
安保法制12本一括衆議院強行採決で終わって、参議院での審議から、議会レベルでいえば、先が見えている段階の東京大結集。どうして今のなのといぶかしがるのが、素直な政治感性である。
 
 このように同じようなタイムラグが生じているのを見ると、邪推しないではおられない。
大衆のエネルギーの爆発をわざと回避しているようにしか思えない。
その政治手法をもう少し推理すると、国会審議を神聖化して、それに邪魔立てするような大衆の政治的エネルギーの発揮を一貫して抑え込んでいる。
このような政治手法は大昔、どこかで遭遇した事がある。
大集会を開いて万余の大衆を集めても街頭デモを拒絶した。完全に治安的観点に立ったものであった。
 
 
 その3。
その他の事例は省略する。
 
>どういうことなのか?
反政府の政党は本物の大衆運動と議会政党活動の二つの領域のことを同時に推し進めなけらばならない宿命にある。この宿命に立ち向かっていない。支配層の統治機構政治スケジュールをそっくりそのままにして、利用するなどと云うのは虫が良すぎる。
あの民主党政権交代でさえ、ココに置いて大きな壁にぶつかったのではなかったか!
 
>ということで、そのような政党活動は、忠実な組織人は養っても、政治意欲と戦闘力のある人士を魅了し難い構造がある。
世の中を多数派にとって都合のいいように変える力は、大衆の中にある。
もっと具体的に野党議席数と大衆運動の関係から説明すれば、よくわかるのだが割愛する。
啓蒙政治活動の同心円的拡張の先に世の中が変わるわけではない。

各種、各段階の共同体がグローバリズムの荒波にもまれて再編されたり、空中分解し浮遊していく現状に対する最大限の解答は、政治的共同体ネットワークを実在させていく道しかない。金子勝の云う手作り共同性の創出や政策的共同性の埋め込み、の核となるのは、政治的共同体ネットワークである。コレが日本の反政府政治状況のありのままの姿である。
 
 もっとそれをあからさまに表したのが、加藤紘一「テロルの真犯人」の地上10メートルに漂う自由電子化した人々は悪性ナショナリズムが煽ったら、たちどころに一塊りになって危険な方向の暴走する、という現状への危機感であるが、そういう自由電子化した人々を共同体につなぎとめるために、学校区の住民の共同性の再建など一瞥した後、中東の厳しい環境から生まれた一神教に、神社を中心とした素朴な「共同体」を対置しているが、識者でもある加藤は、
氏神などの地元の神々が明治政府の廃仏毀釈廃仏毀釈 - Wikipediaのどさくさに紛れて、天皇氏神に強制的に配合された歴史を知らないはずがない。
よって、地元現場のリアルな歴史は、現状の日本の神社秩序が、地元に根付いたの神々の天皇国家主義への収斂であった、と物語っている。
詳しいことは知らないが、今の地元の神社の神々への祈念行事は天皇系に修正されているはずである。単なる神々の統廃合ではない。神社が人々の「祭りごと」の中心にあった過去は明治政権の国家権力形成過程によって、削除されたのである。
加藤紘一の最後に指摘した共同体の再建は、自民党憲法改正草案の云うところの「天皇を戴く~云々」の世界は不可避になる。彼の論理はこの改正草案の文言に真っ向から反対できないはずである。
 
多様化している人々の要求を政治経済をトータルした基本的な形にまとめ上げ、それにこたえていくのが政治の大道である。
 
 数合わせの政治からいまだに目が覚めていない。そんなことを提言するよりも自らは表に出ることを慎むことの方がよっぽど人々の政治のためになる。政界引退でよい。
あのような政治体質は先進国の一定の成熟した政治意識では受け入れられない。
ましてや民衆運動は小沢一郎的であってはならないし、それではまともなものは成立しない。それこそ、橋下等のファシズム運動に収斂しかねない。

石橋湛山の「小国 日本」論なんて、良いことを云う、と感心していたら、19世紀末のイギリス大不況の時代から、20世紀初頭の帝国主義への展開の時代に国内の政策論争で、出てきた論理だと解った。(ホブソン「帝国主義」) 何のことはない、イギリスの又引きである。
 ところが、直近の状況への真の評価は意外に難しい。
だから、アベ等のような政策体系も有り余るほど知識があるはずの官僚と合作できる。
現在の積み重ねが将来の現状だ。
卑近にいえば、スポーツ新聞の競馬欄の馬柱を読めば、過去はわかる。
しかし、コレから始まるレースは過去の延長線上にはないが、積み重ねことは間違いないが、予想は外れる。
 
前回の記事を作成する前に、悩んでいたことは、金子勝著「市場」の否定形の事実が連綿と続く陰鬱さを、どうしたら転回できるかと云う問題だった。彼も『市場」の中で状況に密着する政治思想を問題にしているのだから、何処かにみんなを「解放」するところがなければならないが、結局は、上からの、あるいは一部の識者による政策的実行に徹底的に収斂するのであれば、人々は救われようがない。
ここを彼は実感し、表現できない。だから、読み終わって人々は暗澹とし、鬱陶しさばかりが募る。
 
同時に学生諸君の「運動」の主旨を初めてネットで読んでのメッセージだった。継続と云うことと、ムーブメントの中で自分が変わることだと考える。自分の考えをそのまま投げ出しても身も蓋もない。簡単に片付く。
 
とりとめのないことになってしまったが、本音を少し書いた。
 
日本の現状への道筋は、金子勝「市場」の陰鬱、連綿とした部分を読み下せばよく分かる。
この意味で非常に価値のある貴重で、真面目な文献である。
金子の「市場」は共同体、共同性=中間団体の一種としての日本企業の在り方、戦後日本資本主義企業の資本蓄積過程を読み解いているところが肝である。
この系譜はジャパン アズ ナンバー ワンの一時期の日本企業の特殊性の認識を引きずり、その延長線上にあるものである。
1999年時点のマネーカジノ資本主義の頂点を突き抜けた原理が不足している。第二次世界大戦後の米国移住後、の冷戦時代に産業革命以前まで遡った後ろ向きのカール、ポラニーの理不尽な経済思想を金子が取り上げたところ核心の問題がある。
 
 
 ステグリッツのポラニー論(「大転換序文」)は米国覇権の言い訳としての価値があるが、どのような意味を付与しようとも、ポラニーの二分法による(金子)、徹底した二元論(Wは資本主義は一元論を原理とすべしとの結論である。金子と違って日本の原則的経済闘争は大筋では間違っていなかった、と考える。現時点からの結果解釈であってはならない。繁栄をもたらした事物が反転する、コレが歴史である!)、戦いをやり過ぎたら、ファシズムやナチズムが発生すると云う、当時の世界金融資本の不均等発展による世界市場の再分割が世界戦争の主導因になったと云う現実を蔑にした、」言説を受け入れる、立場は相容れず、対立点は大きい。
 
その変遷の道筋を1999年時点で、ハッキリしているにもかかわらず、ほのめかすだけの認識にとどまってり、一切先に冒険できなかった、金子の経済思想の弱さがある。屈服論理である。