反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

菊池寛 短編小説「マスク」4313文字、引用~スペイン風邪が日本に上陸したころ(1920年パンデミック最終便)を題材にした小説。

       マスク   菊池寛

見かけ丈だけは肥つて居るので、他人からは非常に頑健に思はれながら、その癖内臓と云ふ内臓が人並以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知つて居た。
一寸した坂を上つても、息切れがした。階段を上つても息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されも、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなどもあつた。
肺の方も余り強くはなかつた。深呼吸をする積つもりで、息を吸ひかけても、ある程度迄吸ふと、直ぐ胸苦しくなつて来て、それ以上は何うしても吸へなかつた。
心臓と肺とが弱い上に、去年あたりから胃腸を害してしまつた。内臓では、強いものは一つもなかつたその癖身体丈だけは、肥つて居る。素人眼にはいつも頑健さうに見える。自分では内臓の弱いことを、万々承知して居ても、他人から、「丈夫さうだ〱。」と云はれると、さう云はれることから、一種ごまかしの自信を持つてしまふ。器量の悪い女でも、周囲の者から何か云はれると自分でも「満更ではないのか。」と思ひ出すやうに。本当には弱いのであるが「丈夫さうに見える。」と云ふ事から来る、間違つた健康上の自信でもあつた時の方がまだ頼もしかつた。
が、去年の暮、胃腸をヒドク壊して、医師に見て貰つたとき、その医者から、可なり烈しい幻滅を与へられてしまつた。
医者は、自分の脈を触つて居たが、「オヤ脈がありませんね。こんな筈はないんだが。」と、首を傾けながら、何かを聞き入るやうにした。医者が、さう云ふのも無理はなかつた。自分の脈は、何時からと云ふことなしに、微弱になつてしまつて居た。自分
でぢつと長い間抑へて居ても、あるかなきかの如く、ほのかに感ずるのに過ぎなかつた。
医者は、自分の手を抑へたまゝ一分間もぢつと黙つて居た後、「あゝ、ある事はありますがね。珍らしく弱いですね。
今まで、心臓に就て、医者に何か云はれたことはありませんか。」と、一寸真面目な表情をした。
「ありません。尤も、二三年来医者に診て貰つたこともありませんが。」と、自分は答へた。
医者は、黙つて聴診器を、胸部に当てがつた。丁度其処に隠されて居る自分の生命の秘密を、嗅ぎ出されるかのやうに思はれて気持が悪かつた。
医者は、幾度も〱聴診器を当て直した。そして、心臓の周囲を、外から余すところないやうに、探つて居た。
「動悸が高ぶつた時にでも見なければ、充分なことは分りませんが、何うも心臓の弁の併合が不完全なやうです。」
「それは病気ですか。」と、自分は訊いて見た。
「病気です。つまり心臓が欠けて居るのですから、もう継ぎ足すことも何うすることも出来ません。第一手術の出来ない所ですからね。」「命に拘はるでせうか。」自分は、オヅ〱訊いて見た

いや、さうして生きて居られるのですから、大事にさへ使へば、大丈夫です。それに、心臓が少し右の方へ大きくなつて居るやうです。あまり肥るといけませんよ。脂肪心になると、ころりと衝心しょうしんしてしまひますよ。」医者の云ふことは、一つとしてよいことはなかつた。
心臓の弱いことは兼て、覚悟はして居たけれども、これほど弱いとまでは思はなかった。
「用心しなければいけませんよ。火事の時なんか、馳け出したりなんかするといけません。此間も、元町に火事があつた時、水道橋で衝心を起して死んだ男がありましたよ。呼びに来たから、行つて診察しましたがね。非常に心臓が弱い癖に、家から十町ばかりも馳け続けたらしいのですよ。貴君なんかも、用心をしないと、何時コロリと行くかも知れませんよ。第一喧嘩なんかをして興奮しては駄目ですよ。熱病も禁物ですね。チフスや流行性感冒に罹つて、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりつこはありませんね。」
此医者は、少しも気安めやごまかしを云はない医者だつた。が、嘘でもいゝから、もつと気安めが云つて、欲しかつた。これほど、自分の心臓の危険が、露骨にべられると、自分は一種味気ない気持がした。
「何か予防法とか養生法とかはありませんかね。」と、自分が最後の逃げ路を求めると、「ありません。たゞ、脂肪類を喰はないことですね。肉類や脂つこい魚などは、なるべく避けるのですね。淡白な野菜を喰ふのですね。」
自分は「オヤ〱。」と思つた。喰ふことが、第一の楽しみと云つてもよい自分には、かうした養生法は、致命的なものだつた。かうした診察を受けて以来、生命の安全が刻々に脅かされて居るやうな気がした。

 殊に、丁度その頃から、流行性感冒が、猛烈な勢で流行はやりかけて来た医者の言葉に従へば、自分が流行性感冒に罹ることは、即ち死を意味して居た。その上、その頃新聞に頻々と載せられた感冒に就ての、医者の話の中などにも、心臓の強弱が、勝負の別れ目と云つたやうな、意味のことが、幾度も繰り返へされて居た。
自分は感冒に対して、脅え切つてしまつたと云つてもよかつた。自分は出来る丈だけ予防したいと思つた。最善の努力を払つて、罹らないやうに、しようと思つた。
他人から、臆病と嗤はれやうが、罹つて死んでは堪らないと思つた。
自分は、極力外出しないやうにした。妻も女中も、成るべく外出させないやうにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱うがひをした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。
そして、出る時と帰つた時に、叮嚀に含漱をした
それで、自分は万全を期した。が、来客のあるのは、仕方がなかつた。風邪がやつと癒つたばかりで、まだ咳をして居る人の、訪問を受けたときなどは、自分の心持が暗くつた。自分と話して居た友人が、話して居る間に、段々熱が高くなつたので、送り帰すと、の後から四十度の熱になつたと云ふ報知を受けたときには、二三日は気味が悪かつた。
毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依つて、自分は一喜一憂した。日毎に増して行つて、三千三百三十七人まで行くと、それを最高の記録として、僅かばかりではあつたが、段々減少し始めたときには、自分はホツとした

が、自重した。二月一杯は殆んど、外出しなかつた。友人はもとより、妻までが、自分の臆病を笑つた。自分も少し神経衰弱の恐病症ヒポコンデリアに罹つて居ると思つた。が、感冒に対する自分の恐怖は、何うにもまぎらすことの出来ない実感だつた。

 三月に、は入いつてから、寒さが一日々々と、引いて行くに従つて、感冒の脅威も段々衰へて行つたもうマスクを掛けて居る人は殆どなかつた。

が、自分はまだマスクを除のけなかつた
病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云ふことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云ふ方が、文明人としての勇気だよ誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思ふよ。」自分は、こんなことを云つて友達に弁解した。又心の中でも、幾分かはさう信じて居た。
 三月の終頃まで、自分はマスクを捨てなかつた。

もう、流行性感は、都会の地を離れて、山間僻地へ行つたと云ふやうな記事が、時々新聞に出た。

が、自分はまだマスクを捨てなかつた

もう殆ど誰も付けて居る人はなかつた。

が、偶に停留場で待ち合はして居る乗客の中に、一人位黒い布片ぬのきれで、鼻口を掩うて居る人を見出した。自分は、非常に頼もしい気がしたある種の同志であり、知己であるやうな気がした。自分はさう云ふ人を見付け出すごとに、自分一人マスクを付けて居ると云ふ、一種のてれくさゝから救はれた。自分が、真の意味の衛生家であり、生命を極度に愛惜する点に於て一個の文明人であると云つたやうな、誇をさへ感じた。
四月となり、五月となつた。

遉さすがの自分も、もうマスクを付けなかつた。

 ところが、四月から五月に移る頃であつた。また、流行性感冒が、ぶり返したと云ふ記事が二三の新聞に現はれた。

自分は、イヤになつた。四月も五月もになつて、まだ充分に感冒の脅威から、脱け切れないと云ふことが、堪らなく不愉快だつた
が、遉さすがの自分も、もうマスクを付ける気はしなかつた。日中は、初夏の太陽が、一杯にポカ〱と照して居る。どんな口実があるにしろ、マスクを付けられる義理ではなかつた。新聞の記事が、心にかゝりながら、時候の力が、自分を勇気付けて呉れて居た。
 

 丁度五月の半であつた。

市俄古シカゴの野球団が来て、早稲田で仕合が、連日のやうに行はれた。帝大と仕合がある日だつた。自分も久し振りに、野球が見たい気になつた。学生時代には、好球家の一人であつた自分も、此一二年殆んど見て居なかつたのである

その日は快晴と云つてもよいほど、よく晴れて居た。青葉に掩はれて居る目白台の高台が、見る目に爽やかだつた。自分は、終点で電車を捨てると、裏道を運動場の方へ行つた。此の辺の地理は可なりよく判つて居た。

 自分が、丁度運動場の周囲の柵に沿うて、入場口の方へ急いで居たときだつた。ふと、自分を追ひ越した二十三四ばかりの青年があつた。自分は、ふとその男の横顔を見た。見るとその男は思ひがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのだつた。自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動ショックを受けずには居られなかつた。
それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた。その男が、何となく小憎らしかつた。その黒く突き出て居る黒いマスクから、いやな、、、妖怪的な醜くさをさへ感じた。此の男が、不快だつた第一の原因は、こんなよい天気の日に、此の男に依つて、感冒の脅威を想起させられた事に違ちがひなかつた。それと同時に、自分が、マスクを付けて居るときは、偶にマスクを付けて居る人に、逢ふことが嬉しかつたのに、自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見えると云ふ自己本位的な心持も交じつて居た

が、さうした心持よりも、更にこんなことを感じた。自分がある男を不快に思つたのは、強者に対する弱者の反感ではなかつたかあんなに、マスクを付けるこに、熱心だつた自分迄が、時候の手前、それを付けることが、何うにも気恥しくなつて居る時に、勇敢に俄然とマスクを付けて、数千の人々の集まつて居る所へ、押し出して行く態度は、可なり徹底した強者の態度ではあるまいか兎に角自分が世間や時候の手前、やり兼ねて居ることを、此の青年は勇敢にやつて居るのだと思つた。此の男を不快に感じたのは、此の男のさうした勇気に、圧迫された心持ではないかと自分は思つた。
             

                     『菊池寛全集第二巻』高松市発行より

おうちでまなぶ菊池寛|高松市

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W。スぺイン風邪当時の貴重な記録フィルム(多分、NHKのドキュメントのアーカイブをアップしたものと思われる)がYou Tubeにアップされてたが、アップした本人がなぜか取り消したようで、削除されていた。

 基地の病棟でずらっとベッドを並べて患者が横たわっている映像が写しだされていた。最初の患者が発見されたのはカンサス州陸軍基地だったが、それ以降、米国内各基地の兵員や物資の相互移動で感染は広まった。それにもかかわらず米軍は欧州戦線に大量の兵士を派遣した。流行性の感冒とは解っていても、まさかパンデミックを引き起こすほどの感染力のあるウィルスとは察知できなかったのだろう。だから、米軍の欧州戦線への大量派兵が開始された時点でスペンイン風邪ウィルスも大量の宿主と共に欧州に伝播した。当然にも交戦状態のドイツ軍にも感染は拡大した(白兵戦、捕虜、死体、物品感染)。

 

@今回アップした菊池寛の「マスク」に描かれた感染状況を今の新型コロナ感染症事態にひきつけてみると、明らかにスペイン風邪よりも新型コロナの方が強毒で感染力が強い。

引用

毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依つて、自分は一喜一憂した。日毎に増して行つて、三千三百三十七人まで行くと、それを最高の記録として、僅かばかりではあつたが、段々減少し始めたときには、自分はホツとした。」

W。

新型コロナウイルス変異株「デルタ株」について【感染力・潜伏期間・ワクチンの効果】 | ひまわり医院(内科・皮膚科)7

 

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左は武漢発症ウィルスと思われる。英国型とインド型の感染力比は約1,7倍~2倍である。

 

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引用

CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の報告によると、従来の新型コロナの2倍以上の伝染性があることが確認されました。デルタ株を他の感染症と比較すると、季節性インフルエンザや一般的な「かぜ」よりも感染力は強く、空気感染する水痘と同等レベルの可能性があり、より一層の感染対策が必要といえるでしょう。」

   デルタ株の潜伏期間は?

デルタ株のウイルスが検出されるまでの期間が、従来の新型コロナウイルスと比較して約2日短くなる。

その背景として、従来のコロナウイルスよりも感染者の体内のウイルス量が1000倍以上多くなることが示されています。

別の査読前研究では(詳細はこちらウイルスを排出する期間も長くなる可能性も示唆されており、感染力の高さにつながるといえます。

   デルタ株は重症になりやすい?

アルファ型変異株と比較しても救急外来受診や入院のリスクが増す(14日以内の救急外来受診:1.45倍, 14日以内の入院2.26倍

     

   デルタ株に対するワクチンの効果は?

W.人口少なく(900万人)監視、管理国家であるイスラエルのデータの方が信憑性がある。もっともその国の環境にも左右されるだろう。入院、死亡予防という限定に注目すべきだ。ワクチンを打っても中等症になる例に単純に反応している人がいるが、入院、死亡予防と割り切って考えると納得できるところもある。ワクチンの副作用と発症、入院負担、他者への感染リスクを評価すると自ずと結論は出る。

ワクチン効果の持続期間の問題にも今後、注目すべきだ。基本的に6か月が目途になるようだ。また、免疫効果には個人差がある。ちなみに、副作用はワクチンの効果を高めるための混入されている添加物によるもので、副作用の激しさとワクチン効果は無関係、という専門記事があった。

          

   新型コロナの特徴(インフルとの比較)

新型コロナウイルス感染症 抗体検査キットについて解説【費用・検査時間・精度】 | ひまわり医院(内科・皮膚科)

引用

「一方、獲得免疫は、ウイルスの一部を取り込み記憶することで、同じウイルスにかかった場合より強く排除することができます。この識別するマーカーのことを「抗体」と呼びます。

抗体の種類はいろいろありますが、ウイルス感染症の場合、検査で用いられる抗体は主に「IgM(アイジーエム)と「IgG」(アイジージーです。」

新型コロナウイルス抗体検査では、新型コロナウイルスの抗体がどれくらいあるかを調べることで、IgM =現在の感染」「IgG = 過去にかかった感染」を調べることができます。」

 

 W.免疫機能。抗体検査抗原検査について

新型コロナウイルスの「抗体」と「抗原」の違いは?

よく「抗体」と「抗原」を間違えてしまう方がいます。

「抗体」はウイルスに対する「抵抗力」を表すのに対して、抗原は「ウイルスのタンパク質」そのものを指します。したがって

  • 抗体検査過去にコロナウイルスかかったことがあるかどうかを調べるIgMでは現在の感染を調べられるが、精度が低い)
  • 抗原検査現時点でコロナウイルスにかかっているかを調べるPCR検査よりも簡便だが、たんぱく質を調べるので少ない遺伝子量の時には陰性になる)