W.下の長ったらしいタイトル記事に載せた能登半島地震の絵図がやっと理解できた。⇒W。難しすぎて一知半解だった。その後、記事を重ねるごとに解りかけてきた。
スケールの大きなことは自分も含めて想像力が及ばない。学習が必要だ。
常識、情動の範囲を大きく超えているところに科学は成立している。
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タイトルを論点ごとに分解する。
地底の東京ドーム23杯分の流体は岩盤の隙間に流体が入り、浮力や圧力が高まって岩を破壊することでゆっくりとした地殻変動を引き起こして断層がずれ、次々と地震を起こし、
2023年、6月27日~7月3日、週間ウィークリー地震ニュース。同年5月に能登半島地震
>研究グループは珠洲市地下に巨大流体あり、の情報発信。能登半島先端部の地殻は特異な動き。特異なケース。2024年1月1日にその結果能登半島大地震として判明。
W.なぜか南海トラフ系の巨大地震の周期は40年後発生確率90%とか、聞いたことがない数字を挙げてごまかしている。説明は上手くても流石、読売系日本テレビ。キチンと数字のトリックを使っている。どこから40年後という数字が出てきたのは聞いてみたい。南海トラフ系大地震発生周期は90年。長く見積もっても100年。
>歴史的文書や沿岸の隆起と沈下の周期(専門用語がある)で90年周期が出ている。
>加えて今回の記事で地下水が周期を確実にする役割を学んだ。1946年南海地震+90年⇒2035年+ー5年。⇒2030年~2040年に間に南海トラフに貯まった地殻のストレスは大解放される。
一人一人の自助で対処しましょう、国や地方自治体はオリンピックや万博の飽きもしない一点集中巨大開発、限界の地方公共事業に替わる宿泊観光、米国世界戦略の2軍の任務、台湾有事(中国分割)のためにある、ということ。日本支配層の国民統治支配と利権の立脚点はココにある。
W.読んでいて嗤えて来るほど戦中の精神主義振りはブラックユーモア。国民の抵抗はなかった(極一部を除いて)。ナチスに対し暗殺、海外亡命などで抵抗した人たちなどはいた。イタリアにパルチザンが生まれた。
嗤えるほどの支配層に従順だった日本人の本質が変わったとは思えない。長期経済停滞で新しい装いの支配追従、体制順応メンタリティーが社会の随所に台頭し大勢を占めるに至った。
若者の保守ぶりは凄いな。世界一じゃないかな。日本一番の世界に誇れる産業は従順な若者を育てる教育生産工場。
↓
「活断層が隣にあるということは、隣で火事が起こっているのと同じような危ない状態であることは間違いない」
↓
だったら付加体列島住民の地の底は火事だらけ。
↓
五輪だ!万博だ!と華美に走るのは地歴忘却本能の列島原住民の宿痾。
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資料1
迫る南海トラフ地震!「予知」のカギを握る「地盤と水」の意外な関係(中川 隆夫,ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社(3/7)
W.トラフに水が溜まっているから地震は周期的に発生する、という解釈!
延岡の海岸に残された“痕跡”
~~~そこにはたくさんの水があった~~~
地震が起こる地下8kmから10kmでは、200~250℃という非常に高い温度環境においてシリカケイ素= シリコン Siのこと、原子番号14の酸化物 SiO2=石英、水晶 が水に溶け込んでいる
***
つまり、石英脈の存在は、地震が起きた際に生じた亀裂に水が通ったことを示している。
そして、
大きな地震が起こる場所には、水がたくさんある
W。地球上の地震多発地帯はごく限られたエリアでしかない!地震多発地帯で古代文明は起こらなかった⇒メソポタミア文明(BC9000年小麦農耕~~後記事で取り上げるセルビア、レベンスキービール遺跡はドナウ川沿いの漁村<狩猟>~~BC5000年都市)・エジプト文明(定住農耕は紀元前5000年ごろ)・インダス文明(BC2500年頃から1500年頃まで都市文明)・ 黄河 文明( 紀元前5000~1500年頃まで長江 文明をふくめて中国文明)。
もっと遡ると地震多発地帯は現生人類の起源と発展の末端であった。絶えず揺れ動く大地は人類共通の普遍的価値観を生み出せる土壌ではなかった。
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らつかいせき、ラーチアいせき、
W。黄河上流。乾燥した高度地帯の丘陵に横穴を掘った今でも現存する住居スタイルの集住地が地震による黄河の氾濫W?事情不明!のために一瞬にして泥水の底に埋まった。発見は厚い堆積物のため2000年、と遅れた。「東洋のポンペイ」などと称されているが 紀元79年8月24日、とBC4000年では文明史的価値がまるっきり違う。また遺跡の規模はラーチアはあまりにも小さすぎる。災厄の原因も火山爆発火砕流と地震による洪水と違いすぎる。
、青銅器文明。
出土した麺 BC4000年 アワと雑穀混合の麺(W.乾麺にして保存食?だから遺物として残存)
回族は
中国最大のムスリム集団。言語・形質等は漢民族と同じ(イスラーム)を信仰。中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は約1000万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数。鄭和もムスリム。唐時代に中東より移住。
唐の節度使の安禄山とその部下の史思明、およびその息子たちによって引き起こされた大規模な反乱。 安禄山・史思明両者の姓をとって、「安史の乱」
W。安史の乱の戦域は中国内陸北西部。乱鎮圧とその後はウィグル、チベット軍と唐軍の外交関係を緊密化させた。地政学的な関係は古代から今日まで続いている。さらに大陸正面の台湾島(面積九州、人口2800万九州の2倍~この当たりを踏まえて台湾の人々が独自にどういうリアリズムの自画像を獲得するのかが課題。台湾は表面を取り繕った米国製民主主義)を契機として中国分割の目論見もある。
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「821年、ウイグル・チベット・唐の間での三国会盟が締結された。一部の学者は当時の国税調査の記録などから、安史の乱の死者数が唐の人口の3分の2にあたる3600万人に上ると概算ヨハン・ノルベリは著書にて死者数は8世紀の世界人口の約5%を占める1300万人に及ぶと述べた.」
⇒W。朝廷を支える貴族層が一掃され中国専制国家体制が成立していった。
引用
「魏晋南北朝・隋唐は門閥貴族層を中心とする律令政治が行われていた。皇帝権は弱体で、簒奪が多かった。宋代になると貴族制が崩壊し、後世に「君主独裁」と呼ばれる体制が構築されることとなる。また、官僚は「士大夫」と呼ばれる知識人層が中心となり、新たな政治の担い手となった。」宋代に科挙に殿試が導入されると、官僚の出自は大きく変化し、旧来の貴族は一掃された。士大夫と呼ばれた知識人の実家は地主や富裕な家庭であり、儒学などの教養の専門家だった。」
******************************************************************************* 雨の日にタイヤがスリップしやすい理由
岩どうしの圧力だけではなく、水圧というまた別の現象による影響にも、地震を引き起こす可能性がある
ポイントは圧力
「パックがあれほど勢いよく滑るのは、台の下から空気を出して、パックを浮き上がらせているからです。強力な空気の圧力で浮き上がったパックは、台との摩擦によって減速することなく勢いよく滑る。パックが揺れる地盤、空気の圧力が水圧にあたる。
>ぴったりとくっついていた断層を引きはがすような力、すなわち水圧が大きな地震を引き起こす一因を担っている。
>水圧が高く、岩と岩のあいだが開くほどの水圧が効いていた──。その痕跡が、石英として残っているということが、今回の私たちの研究の要点です」
従来のモデルでは、水圧は地震発生後に、いったん大きく下がるだろうと考えられていたんです。エアホッケーの例でいえば、パックがいったん浮いて滑った後は、空気による圧力を失って、パックが台上にペタンと落ちるイメージです。
断層が動いた後も、水圧はある程度、残ったままになっているのではないか
「もし、地震の後の水の圧力の変化が大きくなるようなら、残った石英脈の幅が広かったり、長さのばらつきが大きくなっていたりするはずです。しかし、それがある程度の長さや幅に収まっていたり、方向がそろっていたりする。
****W。もう一度読み込んでみるとこの時点の反俗日記の以下の部分の解釈にはハッキリしない部分があった。
つまり、正しい解釈は
2023年5月の能登半島地震(震度6弱)と2024年1月1日の関連性において
半島地下、7km8kmのTドーム24杯分の流体(シリコンが溶けた高温流体~当然にも岩盤に対して滑りやすい、圧力もかける⇒スリップし易くなる)⇒流体の半島北部への移動検知⇒半島沖の眠っていた活断層刺激⇒一気の逆断層地震(漁港海底隆起は逆断層型地震の証拠)
間違った解釈
南海トラフの底に水が入って浮き上がった状態のまま、という仮定はこの説明から明らかになっているが、それは周期性(約100年であり200年という歴史記録はない)の短縮ではない、と反俗日記は漠然と指摘しているだけだった。
>その状態を厳密に言えば、
歴史文書や海岸露出岩の隆起沈下の周期で明らかになっている周期性をより堅実にする要因になるということ。
今まで接着面が浮き上がった状態だったので100年周期で南海トラフ地震は「確実に」発生してきたということだ。
@日本列島の周辺で南海トラフのような巨大地震を短い周期で発生させている地震の超巨大な巣はない。
@大正関東大震災は相模トラフを発生源とする地震であり、その前の同トラフ発生源の地震は元禄地震だった。周期性は約200年以上。
>首都直下型地震がよく言われているがコレは海溝型地震ではなく、阪神淡路大震災型の活断層のずれが引き起こす地震だが、
>東京を中心としてみた場合の関東平野の山系までの後背地が広大で平坦な形状は、巨大な直下型地震が発生する可能性が高いとは思えない。
@ 関東大震災は相模トラフ震源地の平野部の活断層連動型の地震。
阪神淡路大震災型の活断層大地震の記録はない。迎える大地震に対する切迫度において東京、関東地方と西日本太平洋側では違いが起こって当然である。
なのに大阪準キー局は~~。住民レベルからもカジノ万博と来るべき南海トラフ地震を関連付ける情報は少ない。
引用
「平安時代の878年と鎌倉時代の1293年に起きた地震は、関東大震災と同タイプの地震と考えられる。 有史以前も含め、この地震は200~400年間隔で起きてきたようだ」 産業技術総合研究所活断層・地震研究センター
>それと関東地方は軽震度地震が西日本に比べて多いことも活断層に貯まったストレスが軽度に度々解放されている証拠とみなすこともできる。
@東京キー局発の首都直下型地震の報道は非科学的な部分がある。
>この手の根拠の薄い報道を受けて「悪戯に不安を煽る」という発言が起こってくるのか?
@ソレに対して「西日本大震災は必ず起こる、」という大学名誉教授の発言。
自分自身、その発言を知る直前に他人に南海トラフを震源地とする巨大地震は必ず起きる、と見ず知らずの人に断言していたのでびっくりした。
@その名誉教授は一歩踏み込んだ勇気ある発言をしている。
地震学者(地球環境学火山学)、普通、逃道を用意した発信をする。
先ほど引用した学者さん南海トラフは発生源の地震の周期を100年~200年としている。歴史文書、データから周期200年という数字は出てこないはずだ。
100年と200年では大いに違う。
1946年から200年あとなら21世紀が終わって22世紀になっている。
現時点から想像できる22世紀は地震がどうこうというよりも、世界がどうなっているのか今の状況から考えが及ばない、それくらいあらゆるものの時間経過が急スピードである。
産業革命以降の資本主義の時代はそれまでの歴史推移と別次元で考えた方が良い、と無機質なデータやグラフを物語っている。延長線上で考えてしまうのは<歴史の罠>である。
「悪戯に不安を煽る」などという見地も実に日本人らしい見地。
優先順位をキチンとつけ対策をうったうえで「いたずらに不安を煽る」とけん制するのは頷けるが、オリンピックや万博に走って「悪戯に不安を煽る」とは~~~。
日本の高度経済成長期に巨大地震などの災害はなかった。
近代化以前の地震災害記録(文書、文学)もその精神はあまり参考にはならない。
>しかし、鴨長明「方丈記」の災害の世界の記述が今もリアルに迫ってくるのはなぜか。
日本的イデオロギーは社会も自然の延長のような感覚でとらえる傾向がある。天変地異、激しく地政学的周囲に陸続きで攻めてくる敵がいなかった列島を取り巻く環境がそういう温和な社会観を育んできたが全球一体化するグローバル資本制の拡張性とソレに対する反撃の時代の趨勢に対処するためのは、またしても同調圧力を列島中充満させての一丸となって一つの狭い道を歩んでいくほかない。
「暗黒日記」を読んでいて意外だったのは、戦時中のマスコミ状況報道でも<事実>は全く大本営発表一色で塗りつぶされていたわけではないということだ。歪曲されていても大事な事実の報道はあった。したがってそれらを繋ぎ合わせて状況を察知することはできた。その一方で多くの人は事実の直視にかえて情動報道に心の救いを見出した。コレも窮地に陥った人間の集団心理である。共同で絶望することは人間本能としてあり得ない。何とか希望を見出そうとする。もう一つ、物資不足や物価高騰で人心が荒廃しコソ泥能な類が増える一方で精神主義が社会に横溢する。
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以下の解説で能登半島群発地震、特に2023年5月の大きな地震(この時点で珠洲市地下深くに巨大な流体の存在は検知されていた~電気の伝導率の違い~~半島北部への移動も解明されていた~~~)と2024年1月1日の半島北部の東京D24杯分の流体の役割が理論上は明らかになった~~半島沖の活断層を刺激~~この活断層が震源地となった。
──なんだか恐ろしい話ですね……。それはつまり、南海トラフ地震の周期が短くなるということですか?
「そうではありません。地震発生の周期は、古文書にも残っているように、100〜200年ごとに起こることに変わりないんです。
今回の研究からいえるのは、
>一般的に、大きな地震の後には(W.能登半島群発地震、2023年5月⇒2024年1月1日のケース、)滑った地中の水はパッと散ってしまって水圧が大きく下がると考えられていたのが、
>じつはそうではなかったということです。
先ほどのたとえでいえば、地震周期のあいだ、エアホッケーのパックはずっと浮いたままだった。つまり、ちょっと押してやるだけで、すぐにまた滑り出すことがわかったのです」(大坪さん)⇒W.能登半島の続発地震のケース。******南海トラフのケース(過去の記録)では南海トラフ巨大地震の発生前に、内陸部で予兆の地震発生<安政地震は奈良で地震。戦中の2度の南海地震は言論統制で首長だけに内務省から通達だった。新聞には小さな記事。1946年の南海地震も余震はあったはず(調べていない)海溝Pが事前にスロースリップしているはずだから、内陸部の活断層が先に反応する。
──水圧がかかりつづけていることが、地震の周期に関係しているわけではない、と。少し安心しました。
「水の圧力の変化の大小によって、地震の周期が長くなったり短くなったりすることはないだろうと予想しています。100年だろうが1000年だろうが、地震が起こる断層のまわりの水圧自体には、さほど
──水圧があまり下がらない状態で100年もつづく100年も水圧が変わらない、圧力計付きの計測器をトラフ地中心部に埋め込んだのは2018年(予定より埋め込む深度が足りなかった)。それ以前の観測データはない。)
ということは、私たちが日々暮らしている足元の地面は、想像している以上に不安定ということですね。⇒W.日本列島の地質学的形成史からいえば、当たり前。地学のみならず文化、芸術、思想、政治、風俗に影響を与えている。
「そのとおりです。私たちを含む地球科学の専門家たちもいま、地面はものすごく不安定なのではないかと考えはじめています。
古文書に残るような大地震だけでなく、
もっとひんぱんに、小さな地震とかゆっくりした地震(スロー地震)が観測されるようになってきています。⇒W.能登半島震度1の地震は計算上、1週間の半分ぐらい発生。大きな地震もあって明らかな強度な群発地震発生中だった。
大きな地震が起こるようなエネルギーの蓄積には、
地面の変形がともなわなければいけないので、そのためには時間がかかる。それが100年とか1000年の周期につながっているんでしょうね」(宮川さん)
たとえばば南海トラフの場合には、海底からどれくらい掘るイメージですか?
「海底から6kmくらい掘り進んで設置する必要がありますね。じつは、こういったプロジェクトはすでに進んでいます。掘削船『ちきゅう』で南海トラフ地震が起こるような海底を掘り進んで岩石を採りながら、そこに水圧に限らず、さまざまなセンサーを設置しようという研究が進められているんです」(大坪さん)⇒W。日本国って変わった国だ。先にやるべきことを後回しにする。コレも国民性なのか。小林秀雄は日本人は「方丈記」(天変地異)と「平家物語」(戦争ー敗戦)の感性のままだといった。
──2018年から19年にかけて、海底下2800mまで掘ったプロジェクトですね。
「そうです。そのときは予想以上に海底下の岩盤が固かったりしたことで、目標地点まで掘り進めることができなかったのですが
、次のプロジェクトが立ち上がれば、水圧計測についても提案できるのではないかと期待しています」(大坪さん)
W。予算措置の優先順位に問題がある。
「地球の息づかい」をとらえる
──大坪さんは「地球の健康診断をしたい」と仰っています。水圧の変化をモニターする試みは、まさに健康診断といえますね。
「ええ。水圧に限らず、何かしらの変化というのはすべて、『地球の息づかい』だと考えています。だから、その1つの候補がとらえられたというのは、私たちが長年、手がけたかったことの1つではありますね。
私たちは地球の上で生活していますが、多くの人が日常で考えていることは、経済や政治、生活そのもののことだと思います。⇒W。地震(火山噴火)の活動期に突入中。対策が遅れると消費意欲にも影響する時代に待ってきた。
でも、地球の息づかいを知ることは、地上に暮らす者として欠かすことのできない重要性をもっている。特に、日本のような地震大国はなおのことです。
そうすると、どうしても精度の高い地震予測を期待されると思いますが、残念ながらなかなかそこまでは到達しない。水圧がどこまで高くなれば、地震が起こる条件が揃うといえる可能性は高まりましたが、それが『いつ起こるのか』を予測するのは、まだまだ難しいというのが正直なところです」(大坪さん)⇒W.いつ大地震が起こるか、なんて予知を地震学に期待するヒトは!?
>W、日本は国土の3分の1が海抜0以下のオランダに学んだ方が良い。華美なことは慎み、質実剛健、政治経済文化風俗に進取の合理主義精神がある。
>W。自らよって立つ足下のぐらつき対策が遅れている。足下が決まっていないと今後、ファンダメンタルズの在り方がものをいうグローバル資本制下で良い仕事はできない。
>W。「先進国」で地震大国なんていう国は日本だけだ。だったら、対策は相応しくやらないと。
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今後の記事作成のための参考資料一覧
素人は地質学、地学(地球史)と人類史、世界史、日本史と一体に考える。
資料① ヨーロッパ中心思考。現生人類が北アフリカ、中近東から北上して西に進む方向しか取り上げていない!調べると米国系ユダヤ人の粋の出の学者だった。
David Reich (geneticist) - Wikipedia
日本版ウィキは書くべきことを省略。「父親は、米国ホロコースト記念博物館の初代館長を務めたジョージ・ワシントン大学教授のウォルター・ライヒです。
W.中国の最新研究。東に別れた現生人類~~以上を中国の北京原人以来の研究を継承しようとしている。無理があるようだ。出アフリカ、中近東の旅がヨーロッパに向かったのは距離的に近いという事実もある。ドナウ川などの大きな河川、地中海伝いは北上し易い。
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資料2。
忘れられた大陸 | Nature ダイジェスト | Nature Portfolio
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は解剖学的に現生人類とされている。いろいろな断片的情報(ネアンデルタール人と共存していたが遺跡出土数が少なく論理的脈絡なくネアンデルタール人の情報に飛び移る。)を総合するとヨーロッパ人の祖先とするのが素直な見方。
の祖先という考え方もあるが、「近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての「西ユーラシア人」(過去記事でに和訳のコーカソイドの分類を図の英語分類では西ユーラシアンと表記)腑に落ちなかったのはそういうことだったのか!という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種を参照)。それは後述のように、コーカソイドには濃い目の肌の色を持つ人々もいるためである。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。」
******W.ヨーロッパアメリカでこの方面の研究先行**一歩戦前日本では皇国史観。最後は鬼畜米英(新聞で堂々と一面)。**研究はマイナスから始まった**
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資料3
メソポタミア文明よりも古い、という触れ込みだが、ドナウ川峡谷に面した半漁業半狩猟の原始的集落の遺跡にしか見えなかった。セルビア民族主義が根底にある。ユーゴスラビア連邦の反ナチパルチザン国家形成の時代に頂点を迎えたのではないだろうか?
ドナウ川を北上するとヨーロッパ中央に達するルート。グレートジャーニーは以前計算したところによると1か月に4km、狩猟採取しながら進めば達成できる。当たりのモノを食い尽くして別のところに移動する何のことはない当たり前の狩猟採取民の営み。
氷期でなければ植物、河川などが遮って移動は困難。現生人類が移動してきたのは氷期。間氷期に定住した。マンモスを負って陸続きベーリング海を渡ったというのは真相に近い。
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資料4.
よく言われる二酸化炭素温暖化はない、論へのデータを用いた治験。
本当に二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化の原因なのか | 地球環境研究センターニュース
W。小氷河期は地球地軸の揺れによる気温低下である。本物の氷河期は約1万年以前に退潮。人類の農耕定住文明が開化した。
だから、二酸化炭素排出量急増⇒温暖化、という結論。
グロ資本が率先して叫ぶ地球温暖化への反論に魅かれてもデータは尊重することにしている。自分らで勝手に地球を汚して金儲けにまい進する一方で、民には節制を強いる。
技術開発に先行している先進国が優位に立てる。
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資料5 この論文は前記の情報の小氷期の気温低下1度C未満とは違う。
本物の氷期。
人類誕生前「異質」の温暖化が起きていた【脱炭素社会への「本質」理解 第7回】
W.下図は氷期、間氷期を理解する上で大事な図。E。T。P。3要素によって氷期が周期的に訪れる。現在は間氷期。小氷期(鎌倉中期~江戸時代)は気温1度Cしか低下していない。W.ミランコビッチはセルビアの学者さん。
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資料
縄文人の痕跡を現代人に探る ゲノム科学で迫る先史時代 - 日本経済新聞
渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ - 日本経済新聞
ヤフーが2020年まで実施していた遺伝子検査サービスに集まったデータのうち、許諾の得られたものを解析した。1都道府県あたり50人のデータを解析したところ、沖縄県で縄文人由来のゲノム成分比率が非常に高く、逆に渡来人由来のゲノム成分が最も高かったのは滋賀県だったW,滋賀県安土の神社の伝説では武士は船に乗って渡来してきて、やがて地元豪族と融和し荘園経営支配層となったと記されているとのことだった。出自と解釈すれば納得できる。典型的な渡来系苗字、秦氏が多いのも滋賀県。
沖縄県の次に縄文人由来のゲノム成分が高かったのは九州や東北だ。一方、渡来人由来のゲノム成分が高かったのは近畿と北陸、四国だった。特に四国は島全体で渡来人由来の比率が高い。
大橋教授は「九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」と話す。
近年の遺伝学や考古学の成果から、縄文人の子孫と渡来人の混血は数百~1000年ほどかけてゆっくりと進んだとみられている。弥生時代を通じて縄文人と渡来人が長い期間共存していたことが愛知県の遺跡の調査などで判明している.⇒W。愛知だけが特別ではない。稲作環濠集落の遺跡と1kmほどの近所に同時代の縄文遺跡があった、しかも交戦したような跡が一切ない、弥生式の埋葬スタイルを掘り出すと縄文人の人骨が出土した、と地方史に載っている。
共同体の富の「私的所有」を巡って階層分解しないと他の共同体と戦争はしない。コレが原則。
農業ほど生産手段の進歩が遅い分野はない。
日本の農村では高度経済成長前期まで牛や馬に引かせた農具で田畑を耕していた。需要が一定レベルのままであれば、生産用具の改良の必要は生まれない。
日本の経済低成長の要因は労働の末端で未だに労苦が幅を利かせ、後発諸国の低賃金労働と対峙しているからだ。キャッチアップの切っ掛けがない。
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資料 未検討。難しい研究成果。反俗日記で繰り返して取り上げてきた地下の巨大水と地震との関連問題。