反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

高知県沖、フィリピン海P共に巨大な海山の沈み込み。海山は1946年の南海地震の破壊過程に対して、バリアー・フィルター的な役割。潮岬沖、周辺どころか紀伊山地までもすっぽり覆うほどのドーム状の岩体。その重みで岩体の沖側のフィリピン海プレートがたわみ、割れ目や断層に水が入り込んで力を溜めにくい脆い領域形成。

過去20年間のビッグデータから見えてきた南海トラフ地震発生帯  2022/10/13

https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20221013/

W.余談ですが本記事のタイトルを急ごしらえしていて東南海、南海地震のイメージが半分程はできた(巨大海山と超巨大岩体の存在で)。四国高知県は波動の長い地震波になる可能性大で津波警戒。紀伊半島、三重,東海は高速強震地震波、津波警戒。太平洋沿岸四国、淡路島は危険区域、大都市圏水の都大阪水没、家屋倒壊インフラ壊滅で都市機能マヒ。東海地方の浜名湖以東は東南海、南海地震で空白地のままなのでストレス溜まって解放警戒。

         沈み込むフィリピン海プレートの上に異様な岩体を発見

図

    「海底下構造探査」の仕組み

「地球サイズのCTスキャンを用意することはできません。そこで、地球科学の研究では、X線の代わりに船に搭載したエアガンから人工的な地震波(音波)を発生させ、あらかじめ海底に設置した地震や、船に装備した計測器で受振し記録します。このデータをもとに海底下の構造を2次元の断面図で描きます(図1)。」

 

      南海トラフ域の海底下構造探査を実施

「いくつかの特徴的な①不均質構造 W。注1と、以下②。③の南海トラフ巨大地震震源域の分布の関係が明らかになっています。」

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昭和東南海地震 - WikipediaW。注2

1944年 震源としては熊野灘破壊が進行⇒紀伊半島東部の熊野灘三重県尾鷲市沖約20キロメートル北緯33度8分東経136度6分)から浜名湖沖まで

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素晴らしい地震学者がいた。

                今村明恒 - Wikipedia

「明恒は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録(歴史地震)から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想~~~W今は文献だけではなく地質調査など科学的方法とすり合わせて精度を高めている~~~。1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告し、震災対策を迫る記事「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」を雑誌『太陽』に寄稿した[3]。この記事は新聞にセンセーショナルに取り上げられて社会問題になってしまった。そして上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された[4][5]大森・今村論争)。

しかし1923年(大正12年)9月1日に関東大震災関東地震)が発生し、明恒の警告が現実のものとなった。その後、関東大震災地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。

翌月には、摂政宮を務めていた皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)に震災について進講し、当時の最先端理論であった地震地球の地殻のせめぎ合いで起きることや大陸漂流説のほか、今回の震源相模湾と推測されること、江戸時代に比べて近代化に伴い可燃性の石油など市中に増えたにもかかわらず消防能力が「殆ど皆無」に低下していたことを指摘。地震自体の防止は不可能だが、火災の防止は可能であるとして防災の大切さを訴えた。この時の手書き原稿『一般地震関東大地震との就いて』は遺品の一つとして現存しており、1929年(昭和4年)1月には学会誌にほぼ同内容で掲載された[6]

先立つ1911年には今村式強震計[7]を開発した。

1923年に亡くなった大森の後を継いで地震学講座の教授に昇進する。1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震が発生し、次の大地震南海地震と考えた明恒は、これを監視するために1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立した。明恒の予想通り1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生した東南海地震後には南海地震の発生を警告したものの、被害が軽減できなかったことを悔やんだと言われる。

1929年、1892年に解散していた日本地震学会を再設立し、その会長となった。

1931年に東大を定年退官したが、その後も私財を投じて地震の研究を続けた

>1933年に三陸沖地震が発生した際には、その復興の際に津波被害を防ぐための住民の高所移転を提案した。

>また、津波被害を防ぐには小学校時代からの教育が重要と考えて『稲むらの火』の国定教科書への収載を訴えた。それが実現した後、1940年に『『稲むらの火』の教え方について』を著して、その教え方についても詳しく指導している。

1944年12月7日に前述の東南海地震が発生した際には、陸地測量部が掛川-御前崎の水準測量を行っていた。この測量は今村の強い働きかけによるものであった[8]この測量の時、地震前日から御前崎隆起する動きが確認できた。これが現在の東海地震の発生直前の地震予知が可能であるという根拠とされている。墓所多磨霊園。」   

                                 引用終わり

昭和南海地震 - WikipediaW。注3

1946年 潮岬南方沖78キロメートル(北緯32度56.1分 東経135度50.9分)、深さ24キロメートル震源単に「南海地震」といえばこの地震を指すことも多い。

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  W。注1 不均質構造

「例えば、室戸岬沖の昭和南地震の破壊の伝播が及ばなかった領域には、富士山級の海山が沈み込んでいること(Blue Earth 48 P33)が分かりました。

********W.現時点で理解不能の動画、図、解説はパスする。***

  南海トラフに巨大な海山の沈み込みを発見

https://www.godac.jamstec.go.jp/doc_catalog/external/metadata/be48_all/file/be48_all.pdf#page=18

   海陸境界域深部構造探査で得られた海山の沈み込み構造図

 土佐ばえ側に大規模に沈み込む海山が存在している。1946年の南海地震の破壊を止めるバリアの役割をした可能性がいわれている。

フィリピン海プレートの沈み込み帯である南海トラフ辺域では、これまでおよそ100年から200年といった間隔でマグニチュード8を越える巨大地震が繰り返し発生しており、海底下の地殻変動が活発な海域として知られている。

最近では1944年の東南海地震(M8.0)、1946年の南海地震(M8.0)が起こっており、それ以前には1854年に東南海地震、南海地震が発生している。
また、1707年の地震(M8.4)では、四国沖から東海沖に至る広い地域が破壊したと考えられている。

 反俗日記 

「100ねんから200年周期」の200年周期の根拠は明応地震 - Wikipedia

応仁の乱1467年~1477年。三好長慶が上京し幅を利かせていた時代。「M 8.6 に換算

「明応東海地震津波の高さは、1854年に発生した安政東海地震の約3~4倍もあったと考えられている」以前の周期を南海地震以降の周期に当てはめているのだろう。

W。南海トラフ地震は南海と東海地震がほぼ連動していること。さらに伊豆半島から東の地震とも関連性がある。

今回発見された海山は、地磁気異常からすでにその存在が示唆されていたが、長さ約50km、高さ約3kmもの規模があり高知県室戸岬沖東方(土佐ばえ)、深度約10km付近に沈み込んでいることが初めて確認された。

 また、この巨大海山は、1946年の南海地震の余震域の境界域に存在していることもあわせて明らかになった。

1946年の南海地震データの波形解析結果でも、

>海山の東方で大きな地震波を伴う高速破壊が生じると、

>海山西方では主として津波を伴うゆっくりとした破壊が生じる、

という断層モデルが得られている。

>海山は、1946年の南海地震の破壊過程に対して、バリアー・フィルター的な役割を果たしたと推定される。

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 また、昭和東南海地震昭和南地震震源域の境界となる紀伊半島潮岬沖下には、

沈み込むフィリピン海プレートの上に、周辺より硬く重いドーム状の岩体が存在すること(Blue Earth 92 p10-11)も大きな発見でした。

 紀伊半島潮岬沖下に沈み込むフィリピン海プレート上の周辺より硬く重いドーム状の岩体については、潮岬沖周辺どころか紀伊山地までもすっぽり覆うほど大規模であることがわかりました(動画3、図3、図4)。

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>その重みで岩体の沖側のフィリピン海プレートがたわみ

>そこにできた割れ目や断層に水が入り込んだことで

>力を溜めにくい脆い領域が形成され、

>昭和の大地震発生時の滑り硬く重いドーム状の岩体の側面に沿って、その脆くなった領域に伝わったであろうと解釈されました。

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 図3:四国沖から紀伊半島沖にかけてのフィリピン海プレートの沈み込みに伴う構造

a西南日本の残差フリーエア重力異常*3図です。

周辺より密度が大きいことを意味する正の異常を示す赤色部分(>100mGal)


周辺より密度が大きいことを意味する正の異常を示す赤色部分
(>100mGal)が、b, c図の岩石が硬いことを示す地震波速度の大きい領域とほぼ一致しており、点線で囲まれた領域に周辺より重いドーム状の岩体が沈み込むフィリピン海プレート上に存在することを示しています。

**********黒線A-A’ B-B’で切った断面を図bcに示します。

   フィリピン海プレートの沈み込み角度の平均値は

>四国沖の約5度から、

紀伊半島沖の約10度まで変化します。

1944年の東南海地震1946年の南海地震地震時の滑り域(1m以上滑った領域)です。

bc中の破線は、フィリピン海プレートの地殻の上面と下面を表しています。青星印と青線は、それぞれ、1944東南海地震1946年南海地震震源位置と地震時滑り域の範囲です。

図4:テキサス大学が実施した南海トラフ域の3次元的なモデル化によって可視化された紀伊半島潮岬沖で沈み込むフィリピン海プレート上の巨大な岩体(赤色の盛り上がり)です。カラースケールは図2と同様で、赤色は周囲より硬く重いことを示しています。この岩体はこの海域の巨大地震の発生に十分影響を与える規模のものであることがわかりました

W。能登半島地震の大きな要因となった珠洲市地下Tドーム24杯分の巨大な流体の存在

南海トラフに置き換えると

紀伊半島沖に沈み込むフィリピン海Pの上にのった比重の重い巨大な岩体(大きさはほぼ紀伊半島分)

 紀伊半島の地形は鉄道で一周したときも、巨船に乗って海上遠くから眺めたときも一種、異様な感がした。地下深く、沈み込むフィリピン海プレートの上に巨大な岩体が乗っているとは!