反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

話題の著、経産省現役官僚、古賀茂明「日本の中枢の崩壊」。アナタも壊れの一部。タカが高級事務屋じゃないか。身の程をわきまえよ。

  何かえらそうなタイトルになった。身の程を知らなければならんのは自分だとわかっていながら、今日はこの論調で行くことにした。
ホント、つまらん本だった。全部読まなくても、大体のことはわかる本だ。個別の事実を具体的に書いているので情報収集にはなる。
 
 古賀という官僚の政治的立ち位置は「みんなの党」べったりである。
小泉の政治手法も肯定して度々、指導力なるモノを政治家のお手本にさえしている。官僚に政治の分野で単純思考の持ち主が多いことがよく分かる。
 
政治目的と手段の短絡しているところは政治を政策実現の手段としてしか見ない官僚どもの生態を自白している。小泉みたいな政治手法を問題視せず、全面肯定して、デマゴギーに煽られた多くの人が間違った選択をする危険まで考えが及ばない。
 
 所詮、彼は高級事務屋さん。身の程を知らなければならない。
東大法学部ー官僚のコースは世間の荒波をかぶらない、学校の勉強で食いつないでいける狭い道でしかない。しかも後で述べるように、昔に比べて官僚のやれることは限定されてきている。
 
 とにかく、公務員制度改革をして、高級官僚の現体制を民間会社をお手本にフレキシブルにしたら、日本はなんとかなるみたいに短絡的に決めつけている、シングルイシューの人である。その意味もあって「みんな」の党にぴったりと寄り添うことになる。
 
 でも、官僚制度をいじったところでどうにもならない。これが実際のところだ。
 
 >日本を取り巻く時代状況はもうとっくにそんな次元を超えて、新帝国主義の時代に突入している。古賀のいうような高級官僚を筆頭とする国家公務員、地方公務員の現体制をいじくってガタガタしている間に、中国の様な党と行政官僚の密集した集中力に押され日本が沈没していく可能性のほうが強い。
 
 >アメリカなどの古賀がお手本とするアングロサクソン移民国家の「官僚体制」は、「自由と人権」市場原理主義の貫徹する国土、歴史、資源環境という特殊性と一体不可分。
 それらの条件の乏しい日本では、結局、その主張は日本社会の特色であり、大事にしなければならない、共生関係を上から率先してぶち壊し、本来日本人にマッチしない、新市場原理主義社会の荒波に全国民を落とし込み、日本と日本国民の生活を根底から破壊する。日本はアングロサクソン移民国家になれない。
 
 >日本の経済下部構造は海外展開している大きな部分も含めて、あまりにも大きすぎて、政治のコントロールがきかないところまで来ている。
 政治がコントロールできないということは、あくまでその配下の黒子でしかない、国家官僚なんかの役割は昔に比べてうんと小さくなっているということだ。
 
 >だから、実際に彼らのやっていることは、経済下部構造の勝手な展開に市場原理政策によって掉さしているだけじゃないか。実際のところ。
 
 この方向を変えようとした民主党の「国民の生活が第一」路線に事実上アメリカと組んで大抵抗し、今日の何でも言うことを聞く管政権を「作り上げている」。
 
 そんな狭いところを一点突破することで大きな視界が開けるような話は一般に分かりやすく、したがってマスコミ受けするが、日本の置かれた実態からみれば重箱の隅だ。
 みんなの党や古賀は民主党政権交代時に大衆にアジり、現実に政権に就いた時投げ捨てた政治改革の一部、官僚、公務員改革の旗を拾い上げてシングルイシューの様に掲げる。
 
 この政治方向は単純明快だから、大衆受けする。
ところがいざ政権に就いた民主党の政治主導と旧来の官僚体制の軋轢は酷く、民主党側が政権の円滑な運営のため、財務省をキーに妥協した。
 
 古賀のこの点への批判はもっと上手くやれたはず、という政治技術的な面に終始している。
そして、公務員制度改革こそが政治改革のキーポイントの様に問題点を限定していく。
 
本音は官僚体制が支持してきた自民党みんなの党がタッグを組めばうまくいく、と言いたいのだ。
 
>ところが、自民党の主流は官僚機構に乗っかった政治であり、みんなの党の渡辺も離党して新党を立ち上げても、いざ権力を握ると、自民党の政治を否定できるはずがない。党は違っても昔のさやに戻る。
 
>>そうすると、この妥協の中から生まれる最大のモノは何か?
 
自分たちの政治支配に都合のいいモノ、体制は残した国家公務員、地方公務員の大リストラである。
国家と地方の官僚を手なずけられ温存され、結果、首を切られるのは末端のモノたちである。
 そこで浮いたカネが、一体いかほどの財政再建に寄与するのか?と国民は冷静に考えなくてhなならない。
 
国鉄は分割、民営化されても民間企業として蘇生される。
なぜなら、資本の論理、システムで動かすことができるからだ。
 
 国と地方の行政機構はいったん壊されたら、資本の論理システムで蘇生できない。金儲けの主体的動機は出てくる組織でなく、あくまでも公共サービス、統治を目的にする。
 
 >古賀やみんな渡辺の政治方向は国家や地方の行政機構の公共財としての役割を自分たちに都合のいい経済合理主義に塗り固めることである。こうして変貌させた組織は国民多数の利害に反することが分かってもなかなか元に戻らない。行政機関が中立性を失い利権癒着層の利害を体現した道具に変貌するのである。
 
 
>>>今の日本は右肩上がりの時代の基礎というか、勢いで食っているようなところがある。
 
ただ、相当無理をして、右肩上がりのベクトルを維持していたことも事実。
 この時代は表と裏のコントラストがはっきりしていたが、表側の経済成長の眩しさの中で裏側に手当てが回らなかった。
 
 55年体制の政治と経済のパイの分配方式は間違っていた。
一方の頂点に政官業の癒着の実態を構造化させ
他方の側に生活と労働の二重構造を生んだ。
 
右肩上がりの勢いが止まり、陽の表側の眩しさが消えてしまった時から、必然として裏側の影の部分が大きくなる。
 
 端的にいえば、ようやく成し遂げた政権交代で「国民の生活が第一」と謳ってはみたモノの、自民党長期政権が自分たちの政権維持のために政官業の癒着構造拡大再生産の中で国家、地方財政をボロボロに食いつぶしおり、財源が捻出できないで立ち往生してしまう。
 野党に転落した、当の食いつぶした張本人が、庶民の切実な要求を代弁した「国民の生活が第一」の財源がないと、囃したてる。
 
 >世界における日本の立ち位置を日本の社会経済構造から見極めると、今まで通りの延長線上ではいかないのは誰でも何となくわかっているはずだ。事実と統計を直視すればそうなる。
 
 今まで日本が蔑にして、経済成長を追い求めてきた裏側の国民生活の内実を充実させる方向に向かうのは、当然のことであり、その方向を否定して、無意味な成長戦略とやらに国家の戦略を見出すのは間違っている。
 
 国家が海外に生産活動拠点の比重を置きつつある大資本、中小資本の資本蓄積構造の拡大を最大の国家戦略にしたら、世界市場における悪無限的経済競争をより一層激化させ、政治軍事問題の世界化を推進する。
 
 >これが現下で進行中の新世界帝国主義の時代様相である。
 先進国のどの国の資本蓄積構造を見ても、同じように相対的低賃金化、様々な分野での格差に起因とする内需不足、供給過剰にあり、新興国への資本流失状態は止まらない。国内のあらゆる分野で格差が広がっている。
 
 デフレは日本だけでない。国内投資よりも、高利潤の補償のある海外、周辺に出ていく。
 
 その一方、資本は儲かる国内環境を整えてくれと国家と国民を脅迫する。
税金をもうこれ以上払いたくない、社会保障費を負担したくない、いつでも使える安価な労働力を大量にプールしておき、それを沈め石として、労働総全体の賃金を引き下げ儲けを確保したい。
しかし、この要求が国内需要不足、供給過多=資本過剰生産過剰に巡り巡ってきて、海外資本流失になる。
 
 この経済サイクルは法則であり、止めようがない。
なんとかなるという政策は国民に政治的幻想を与えるものだ。資本の儲けの環境を整ることは=労働総全体の環境を悪くすることであり、賃金や制度を良くすれば、資本は国内投資に逃げ腰になる。
 そして、資本が求める海外の高利潤率のも世界市場の競争強化の必然から、低下していく。
だから、国の国境を越えた政治力、軍事力を海外進出企業はあてにする傾向を強める。
 
 自民党や管政権のいう一方における成長戦略やTTP開国、他方におけるあらゆる分野の国内格差進行は新帝国主義に展開する新帝国主義日本の現状そのものである。
 日本政府はその動向の枠内で政策展開するしかない。
 
国民の生活が第一」は含みの多い政策である。
 が、新成長戦略の様な剥き出しの新帝国主義よりよっぽど、幅広く、明るい政策である。
 
多数派日本国民の将来は今より貧乏になる。成長する世界を基準にする相対的にそうなるしかない。この傾向は止めようがない、
 
世界市場において競争が激化しており、利潤率の一般的低下傾向はズット続いていく。
 
 さらには世界市場で重要性を増す巨大新興国家の経済急成長も内実を見れば、外国資本による国民的規模の労働搾取構造を「買弁化」した支配層が強権支配や様々な政治手段を用いて手助けし、こちらも格差が拡大させつつ成長している。
 
 日本国民は全世界を獲得し、全世界の多くの人と仲良くしなければ、これからやっていけない。
偏った考えで敵対すると粉砕される。
 
 大震災、原発事故を契機に自ら悪い道に転げ落ちないようにする必要がある。
ひと塊になるのではなく多元主義の力を発揮したい。そのほうが長い目で見たら力になる。