反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

裁判所は国家暴力装置の重要な一翼を担う機関。小沢支持者は小沢裁判が政治裁判になるという現実を見据えよう。

 石川氏など秘書三名の裁判において東京地裁が検事調書のうち小沢氏関与の部分を証拠採用しなかった、事実を持って、検察審査会のよる強制起訴という異常な政治裁判で小沢氏の無罪が確定的となった、様な楽観的見解が小沢熱烈支持者の間で流附されている。
 
 こういった状況に対して、弾圧されている側の通常の対応はおそらく、無罪なのではという見通しと、いやそんなことはない、気を引き締めて事に当たらねば、という両方の見解が相半ばするモノなのだが、小沢熱烈支持者のコメントが寄り集まっている「阿修羅サイト」では、まだ裁判も始まっていないのに、これで無罪だ、などという見解が羅列されている。
 
 これが、小沢熱烈支持者の一般の被弾圧者側と区別された、特質である様に想う。
どうしてそうなっているのか、アカラサマニ書いてもしょうがないが。
 
 小沢熱烈支持者は政治的共同幻想が過ぎている。これは一概に悪いとは言えないが、裏付けになる政治的組織的背景に乏しい場合は空回りする要因になる。
 過去の純化路線は、こういう背景を持っているのではないか。気をつけないと孤立していく。孤立すれば多数の国民の利益にならない。
 
 あなたたちの事情に沿って例えると、長い裁判の結果、収賄0で有罪判決が下された元福島県知事の佐藤氏に小沢裁判の行方について質問すれば、すんなりとした楽観論は決して出てこないだろう、と想う。
痛い目にあったモノは絶対に忘れない。
 
 >郷原信行さんの見解のキズレ承認部分にさえ未だに異論を挟む立場は小沢熱烈支持者のうちの強硬論であり、このような人は、小沢氏裁判自体の否定の立場を理論武装するため、キズレもなかった、作成された収支報告書は合法、よって小沢氏を裁判にかける法的根拠はないというものである。
論理にはそれなりの一貫性がある。
 
 土地取得の仮契約を小沢一郎個人名義で行った時点で、収支報告書に記載する必要はなく、年が明けて、政治資金団体が本契約を結んだ時点で記載したのは全うな手続きである、と主張する。
 
 「有名な」壇公善さんなんどの主張がこれであり、私は以前、そういう趣旨の毒毒しいビラをデモの周辺で配っていたから、記事においてかなり突っ込んで批判した。
 
 >秘書さんたちの裁判はもとより、これから開始される小沢さんの裁判においても弁護側は壇さんの様な立場に立って弁護活動はしない。キズレそのものを裁判の争点にはしていないはずだ。
 
 ここを争点にしては勝ち目がない、と見通しているから、そうしている。
 
>仮契約、当該土地担保による銀行融資、本契約の政治資金報告書記載の一連の手続きはやろうと想えば、年内に片付いたはずである。敢えて、年を超える必要はなかった。
これをやっていれば、不当な云いがかりをつけられる筋合いは一切なかった。
 
勿論、市街化調整区域の地目の農地から宅地への移転手続きも、簡略にできるようになっている。
檀氏もそれは承知している。
 
 裁判で争われているのは、単なる不動産売買の常識の範囲をはみ出た政治資金の現金、土地、所有権の移動の問題である。裁判官はそういう視点から判断する。
 
 となれば、キヅレで争っても勝ち目はないとなる。だからやらない。
 
郷原氏は以上の様な意味で石川氏作成の報告書のキヅレ部分については、罰金刑ぐらいは下るかもしてないと、云っているのである。
 
 >その上で小沢さんの秘書たちへのキズレ、指示の検事調書は地裁側が証拠採用しなかったから、無罪の可能性が強まった、と極めて常識論を展開しているのである。
 
 が、振り返ってみれば、郷原氏の小沢さんたちの裁判や強制起訴に関しての意見はあくまでも、全うな法理論的立場から、目の前に発生している、恣意的な異常法解釈による、権力の乱用への批判であった。
従ってその意味で、事態の異常性を国民一般に認識させ、それと戦う法的論拠を与えるモノであっても、それ以上ではなかった。特捜検察はもとより、マスコミはそんなことはお構いなしに、暴走して今日に至っている。
 
大方の小沢支持者のコメントの論調も郷原氏の線に沿って、素直に感情をぶちまけているモノである。
檀さんたちの様な手の込んだ、法的理論武装はなく、単純素朴である。
 
 >檀さんらの法的理論武装はアカラサマニいえば、そこまでラジカルに徹底しないと最悪の反動的判決に立ち向かえないという、政治的判断を優先したモノである。
 このまま、やらせておけば、小沢有罪の可能性も大きいとの危機感を強く持っているから、ラジカルな法的武装を部外者としてやっているのだ。
 
 どうしてそのような危機感、懸念を持つのか?
私の意見でもある。
 
 >小沢有罪判決の手口は前提条件として、Aという「犯罪」事実の内容が証明される。
 
 そのAという「犯罪」内容にBは直接関与したり、指示しした事実は証明できないが、状況証拠からして、その内容を知り得る立場にあるのだから、了承していたに違いがない。
 
 これで有罪判決に導けるのである。
 
 事実証明はなくてもよい、状況証拠があればいい。
だから、石川さんたちの検事調書から、小沢さん関与や指示の事実証明がなくても、裁判官は有罪判決をかける。
 
 これが検察が力を入れて無理やり起訴に持ち込んだ案件の裁判所の判断の実態である。
政治的裁判ではこういう方途がズット連発されてきた。
 
 小沢さんたちは共同幻想の中で今まで通り、過ごすのではなく、権力闘争への諦めを正当化するのではなく、困っている多くの国民の立場に立って、シブトク、力を集中し発揮すべきだ。
 
 脱皮する時期に来ている。
今の国会では野党は極少数派。これでは多数の国民の利害は反映されない。
小沢さんたちの役割は大きい。
 
     
     <追記>
 今週発売の週刊現代にこれから始まる小沢政治裁判を彷彿させるが記事が載っています。
物凄く丁寧な取材にもとずく記事で力作といっていい。
 
 ホンダの創業者、本田宗一郎の長男が刑務所に服役しなければならなくなった、経過を取材したモノで、勿論本人はズット無罪を主張してきた。
 この裁判は一審のさいたま地裁は無罪判決を下したが、高裁は一転、有罪判決。
 
その判決の論理が上記に書いたモノ。
犯罪を承知していたに違いない、という状況証拠で有罪にできる。事実証拠は要らないと。