反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢一郎氏の強制起訴裁判の本質は完全な支配層グルになった何が何でも、小沢失脚狙いが本質。発端の2009年西松事件まで遡って、時系列的に検証すればよく理解できる。

 今日は時間をかけて、現小沢裁判に直接関連し、発端となった2009年3月の西松建設「事件」大久保秘書逮捕まで遡って、検証を試みた。
 
 >まず、2009年3月の西松事件、大久保小沢秘書逮捕の政治背景の確認が重要。
 
 云うまでもなく、小沢氏の秘書大久保氏が西松建設事件で逮捕され起訴された2009年3月は自民党戦後長期政権の支持率が低迷し、遅くとも同年9月までに任期切れになる衆院の総選挙がある、年であり、一方、小沢代表の政治力の下、民主党参院選に勝利し、自民党を着々と追いこみ、国民の支持率は一貫して高く、政権交代は確実視されていた。
 
 マスコミは小沢氏秘書大久保逮捕で小沢氏の責任追及をし、小沢氏は代表辞任したが、民主党衆院選の圧勝を果たした。
 
 政権に就いた民主党の首相は鳩山氏。小沢氏は幹事長に就任したが、西松事件秘書逮捕がなければ、小沢氏が代表就任後の自公政権を追い詰め、それまでの弱点をカバーし民主党を浮揚させた、政治指導力から言って、圧倒的な力な党内支持を得て首相に就任していただろう。
 
 その場合、小沢熱烈支持者が云うように日本が変わったかどうかは解らないが、一つだけ云える事はある。
 
小沢氏の力の政治によって、自民党を中心とする利権癒着勢力は、食い破られ、日本にもう一つの具体的利益で結合した大きな政治勢力が誕生した可能性が大きい。
 
 これは欧米先進国の国内政治の基本パターンであり、自民党の事実上の一党支配の日本は一つのヒエラルキーに各政治勢力、利益団体が収斂してきたのである。
 
 私があえて類推する処では、小沢氏の政治戦略の本当のところは、この一点に集中されていた。
脆弱な民主党の政治基盤を自民党に匹敵し対抗するモノに育て上げようと目指していた、と。
 この戦略は政権担当期間を利用した、物的組織的根拠に基づく、日本への民主主義の早急な定着の道である。
 
しかし、国政レベルでは今の日本にその戦略への適当なオブラートが見つからない。全部、停滞日本の現実の半端くされる。
その点、器が小さく、外国は関係のない地方政治では、キレイごと、建前が通用する。
普通の人の政治的想像力の限界もある。
大阪、橋下の大阪都構想、名古屋河村の減税。
 真面目な政策とは思えないし、結局は既存の中央政治力の政策に統合されるモノである。
 
 それはともかくも、小沢氏の政治戦略をそういうモノと、仮定すれば、その政治戦略の当非が本当の処問われなければならなかった。
 
しかし小沢さんに、それを綺麗に説明する適当な言葉がなかった。
 
結局、地方分権による繁栄論になってしまう。仕方がないな~と云う面はある。
古今、市民的政治改革者は手を変え品を変え、そういう地方分権民主主義の自由と繁栄を唱えてきた。東では小沢さんは初めてじゃないか。
 
 ただ今時点の欧米で、そう種の主張をする政治家は減っている。
それだけ政治思想が遅れている。
 
 
 >西松建設事件はその後の日本の政局を大きく左右した。
 
>鳩山、小沢政治資金問題と普天間基地移設問題がマスコミの民主党新政権攻撃のセットだった。
 
 特に普天間基地移設問題とオバマ大統領訪日、訪中を一つ切っ掛けとする、普天間基地問題におけるマスコミの沖縄県民の反基地意識も巧妙にミックスした米国寄りの新政権への揺さぶりが民主党新政権の両幹部を標的とする政治とカネ疑惑と同時進行的に行われていた事を押さえておく必要がある。
 
 >明らかにアメリカは新政権誕生に対して、在日米軍の存在感を示す事で、自分の側に強引に引きずりこもうと云う強硬姿勢しか新政権に対する対象方法は持ち合わせていなかった。
 
 民主党政権交代さえ、今の米国には許容できない。
国内政治経済が行き詰まりそれだけに、世界中でアメリカ離反の動きは急速で、東アジアの拠点としての重要性が高まっている。
日本韓国だけではなく、中国に国債を売られたら、もうすべてが終わりだ。
 
>>マスコミ、民主党の一部や官僚層、自民党などの勢力は、在日米軍基地のプレゼンスを起点とする新政権への強硬姿勢しか取れない、米国のぎりぎりの選択肢に押され、その一環としての己を位置づけた蠢きを開始した。
 
 >革命の進展が<反革命の密集を手繰り寄せる>という古今東西の政治テーゼは、この政権交代を巡る動きをみる基本視点である。
 NHKが日曜日夜報じた民主党政権を巡る特別番組は見ていなし、見る必要もないモノだが、小沢支持の主要ブログを点検したところ、<革命の進行が反革命の密集を手繰り寄せた>とする論調は一切見当たらなかった。
 
 言い換えると、この事態の中で打ち勝つ事によってしか、新政権は当初の政治生命を維持できなかった。
それはマニフェストが実行できなかった、国民の期待を裏切った、とかのマスコミ報道流の形式的次元ではなく、民主党の中軸であった小沢氏とその政治力とそれを何とかしてそぎ落とそうとする、政治勢力との具体的な力関係の領域の問題である。
 革命と反革命の政治の力学ではそういう結果になるしかない。
 
 
 >>>さて、2010年1月13日を持って、大久保氏を被告とする西松事件は裁判2回目にして、突如、消えた。 
 >2009年11月第1回公判が開かれた西松事件裁判は、年明けの年の2011年1月13日の第二回公判において、早々と大久保被告無罪の兆しが明確に見えだした、から突如、消えたのである。
 
 どういう事か?
引用する前に先回りして、結論付けておくと、
 
 1)あの無罪判決に決着した村木厚子厚労省幹部裁判を彷彿させるように、検事側が有罪を立証するために、裁判所に呼んだ証人が法廷で、検察の訴追要件を根底から覆す証言をしたからだ。
 
 2)その後の特捜検察の動きは、1)の結果として、翌々日の石川衆議院議員逮捕は強行された。
   結果、大久保秘書は西松事件で単独で裁かれることなく、陸山会を巡る土地取引を巡る収支報告書虚偽記載事件に関連した、小沢氏の政治資金収支報告書疑惑の共謀罪として合体して裁かれることになる。
 2011年9月26日の石川氏らへの登石裁判長の判決文は、このような検察の方針変更を含めた告発内容を全面、踏襲する形で、弁護側の意見を全面的に退けた判決を下している。
 
 
「この裁判の第1回公判は2009年11月に開かれ、第二回公判は2010年1月13日だったのです。実は大久保被告の無罪の兆しが見え始めたのが、この第二回公判だったのです。
 
 第二回公判では検察側要請証人が西松建設の二つの政治団体がダミー団体ではなく、実体のある団体である事を証言したからです。
 
 検察側はそれらの団体がダミー団体である事を根拠に起訴しているので立証の根拠が崩れた事を意味したのです。検察は窮地に追い込まれたのです。
 
 なぜなら、次回公判は1月26日であり、体制を立て直すには時間がなかったからです。しかも残りの公判日は2月26日まで決められている。
 
 陸山会の別の事件<陸山会土地購入事件>を取り上げ、2日後の1月15日小沢氏の元秘書、大久保、池田、石川の3氏を逮捕したのです。
 
 この逮捕はあらかじめ計画されたモノではないという事です。
なぜなら、15日に逮捕されたのは池田、石川両氏だけであり、大久保氏の逮捕は翌日の16日になっているからです。
 政治犯の場合、警察や検察は逮捕状を取って逮捕するときは、予め、本人の所在を把握しており、本人不在で逮捕が次の日になる事など考えられないかです。
 
 そして検察のやった事はすでに決まっている公判を先延ばしにして時間を稼いだのです。」
 
 その挙句、飛び出してきたのが、検察側の西松事件訴因変更である。
 
 「未来研と新政研が西松建設のダミー団体であるかどうか、西松事件の大久保被告に、その認識があったかどうか争われていたのに、池田、石川両氏との<陸山会収支報告書の虚偽記載の共謀>で告発するという、訴因変更を行った」
 
 これによって、事実上、西松建設事件裁判の大久保被告は1月15日逮捕され、陸山会収支報告書を巡る事件で起訴された池田、石川両氏と合体された陸山会事件を巡る収支報告書虚偽記載の共同謀議の被告として告発され、統一裁判の被告となる。
 
 言い換えると、特捜検察は、西松建設がダミー団体を通じて小沢氏側にやみ献金をしており、大久保氏はそれを知って、収支報告書に虚偽不実記載していたという事実で検察側が訴追したにもかかわらず、検察側要請証人がそれを覆す、証言をしたため、検察不利の裁判情勢を、1月15日の突撃逮捕と身柄拘束での強引な取り調べによって、陸山会収支報告書共謀虚偽記載事件とすることで、強引に逆転しようとした。
 
>登石裁判長の2011年9月26日の判決文の要旨は検事側が確たる証拠を持って、立証できなかった告発を全面的に依拠したモノである。
 例えば、たった二回裁判で消滅した西松裁判の西松建設の二つの政治団体が実体のある団体だったとする
検事側証人の法廷証言は全く、無視されている。
 
A)「岩手県秋田県公共工事の談合では小沢事務所の了解がなければ、本命業者になれない状況。
小沢事務所の秘書から発せられる、本命業者とするとの了解はゼネコン各社にとって<天の声>と受け止められていた。大久保被告は1002年3年ごろから<天の声>を発せられる役割を担うようになった」
西松建設公共工事の受注獲得のための寄付しているのだから、小沢事務所に西松建設献金と意識してもなら若ければ意味がない。
献金の受け入れ窓口の大久保秘書が理解していなかった、とは到底想われない」
B)「両研究会からの寄付と云う外形を装っているが、実体は西松建設から。他人名義の寄付や企業献金を禁止した政治資金規正法の趣旨から外れ、是認されない」
 
A)の公共工事受注談合における小沢事務所の<天の声>が談合による受注プロセスに影響を与えた、と云う具体的立証は全くなく、抽象的な推論に終わっている検事側の告発を全面採用している。
これでは事件にする強い意思を持った検察が、弱みがある業者側を叩いて、供述を引き出し談合で政治家を陥れることは容易にできるが、小沢氏秘書の裁判の検察はその様な増収賄の立件もできない。
しかし、そういう云う疑いがある状況証拠でB)の政治団体をダミーと決めつけ、「他人名義の寄付た企業献金」と決めつけ、政治資金規正法違反としている。
談合プロセスの証明は乏しい。ダミー団体ではなく実体があった、との検事側証人の反証もなされた、にもかかわらず、裁判長は検事側の確たる証拠なしの多弁を採用した。
 
 こんな事をやっていたら、権力にたてつき、権力の気にくわない、市民政治活動家は、権力がその気に微罪をでっち上げて、いくらでも逮捕し、裁判に持ち込める。
 事実、70年代中期あたりから、公安警察ー検察の常とう手段は、そういう次元に踏み込んで、活動家と団体を委縮させ潰してきた。
 小沢さんに対する特捜検察の手口、裁判官の同調はそれと全く、同じである。
 
>小沢さんに対する裁判において、問われているのは、実は国民自身の政治主体としての在り方である。
政治をカネ問題に切り縮める解りや易い手法は、アメリカ屈従で、国家戦略なき日本、天下と国家無き日本の政治の在り方を問えない日本マスコミの、許された最も得意分野である。
 
 こいつ等に単純な政治家、政権批判はできても、本当の日本の権力構造批判はできない。
これをやれば、権力に連なる自分たちに火の粉が降りかかってくる。
勿論アメリカ批判はタブー。
国民の誤った政治選択はも、購買者であるから、俎上に載せられない。迎合しなければならない。
となれば、政治とカネで大騒ぎして耳目を集めるしかない、処に結局行き着く。
 さらにマスコミ人そのものが、若い時から、政治的無菌状態に成長しているから、ボランティア活動を底辺に活動に、どれ程、資金が渇望されているか知る由もない。
 
 もっとも、小泉以降、そこを民族排外主義への迎合で補っているが、それこそがアジア分断、アメリカのハブ化の最新戦略に寄りそっている。