反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

昨日(5月14日)の記事は大誤報と判明しお詫びします。内部事情告白者は東京第3検察審査会メンバー。西松建設ー二階ルート議決員であり、小沢強制起訴には関係ありません。

 大失態をやらかした。
昨日の記事の情報源の雑誌の名は講談社発行のg2(ジーズ)。
ノンフィクション新機軸メディア。2012、VOL10。
 
 記事のライターは今西憲之さん(1966年生まれ)。大阪を拠点にし、原発関連など硬派の著書数冊。
ただ、当該記事をじっくり読んだ感想として、問題意識がまだまだ緩く、あくまでもマスコミに載るジャーナリストの域を出ない。突っ込みの足りない青木理(このヒトの時事も載っていたが、佐野さんの下で表紙を飾っていた)さんと云ったところか。
 
 その取材記事は2009年4月に東京第三検察審査会から出席の求めに応じ、同5月19日から同審査会議員になったAさんの東京第三検察審議会の議事風景と議事の事実関係の思い出と感想に基づき、そこから、取材者が小沢強制起訴裁判への感想を求めて作成されたモノであった。
 
 Aさんが直に体験した第三審査会の様子の突っ込みが足りない。他方小沢強制起訴関連記事はあくまでもAさんの感想とライターの解説を交えた中途半端なコンセプト。
 
 それを誤魔化す為に、
ノンフィクション記事にしては記事のタイトル、冒頭の書きだしによって、当人があたかも小沢強制起訴裁判の議決員であるかのような勘違いを起こさせ、読者の気を引こうとしている。
 
 >当人が記憶を基に語っている事実関係はあくまでも2009年から任期満了の半年後の間の東京第三検察審査会の印象風景の如きものであり、そこにおける重要事案として偶々、西松建設ー裏金づくりー「架空政治団体」-二階衆議院議員パーティー券購入ルート検察不起訴案件に遭遇し、西松社長起訴相当を議決したモノである。
 
 従って、敢えて言えば、西松建設二階ルートは告白者も感想で述べている様に、自民党の幹部連中、森、古賀、国民新党自見と同じく、検察は最初から不起訴にし、西松小沢ルートに関してだけ、徹底捜査し、検察審査会などあらゆる手段を使って、裁判に持ち込む構えだったのだから、小沢強制起訴第五検察審査会の風景とAさんの第三審査会の風景はおのずから、大きな違いがあった。
 
 告白者Aさんの第三審査会から、小沢強制起訴の第五審査会の様子をストレートに類推するのは間違いである。第五審査会の検察官、補助弁護士の誘導はもっと強烈。第三審査会は補助弁護士さえついていない。
 
>>以下とにかく、記事の展開に沿ったメモを淡々と羅列していきます。何かの参考にでもなればと想います。
最重要ポイントは2009年3月大久保秘書逮捕。2009年5月審査会法改正(強制起訴条項付与)
 
>>取材者はAさんに二階ルート強制起訴にした第三審査会の様子を議事内容非公開原則(罰則を伴う)を承知で話してくれと。
Aさん「国民が自分たちの視点を反映できると想っていたが、実際の検察審査会検察のさじ加減でどうにでもなる危険な存在。公正さに欠ける。結果として審査会によって無実のヒトを罪に陥れる可能性があるから、声を挙げる必要を感じた」
 
>>第三検察審査会出席前後の事実経過。
1)2008年11月12日。選出通知。アンケート同封に記入して返信。
2)2009年4月。第三検察審査会から出席を求める通知。
 
3)2009年5月19日。
 東京家庭裁判所内の審査会に1~6までの審査委員100人程度集合して宣誓書にサイン。
 各審査会11人と補充員2~3名。ガイダンス。
 日当6000円。交通費。
 
4)2009年6月16日。
 ザット見渡したところ、平均年齢30代前半。男6、女4。
>>小沢強制起訴審査会の若過ぎる平均年齢は異常ではなかった、とも云える。
平均年齢の間違いを理由とする再三の修正は常日頃検察審査会の当たり前として偽装工作をやっていたから、本番?の小沢審査会でもついその癖が出てしまった。
コレは要するに審査会の議事運営をスムーズに行うために有権者の平均年齢よりもずっと若いモノを恒常的に選出していた、と想われる。マンネリ仕事の中で手間を省きたいのは役人仕事の常。合理化の一種である。
 
 ただ、こうも云える。
高年齢者は律義に審査会出席の求めに応じず、必然的に素直な比較的若いモノに偏る。
日当、6000円で週二回一日丸つぶれ、半年、のお上の手助けにはいかない人が多くいる。仕事の重責もある。
 
>>自己紹介で名前も互いに名乗っている。コレは裁判員裁判の番号呼び名と違っている。
それにしては2度目の強制起訴議決で裁判に持ち込める検察審査会改正?法が2009年5月自公政権時代に成立し、被告に半ば刑事責任を問える立場が付与された事と不釣り合いはないのか?
 
>議長選出は事務局の指名。
 
以下、記事のタイトルに沿って。
 
 
    <西松建設の審議> 
 
 スケジュール調整で月2回ー6か月と決定
仕事を抜けられない人にはきつい。多分補充員の2~3名も常に審議に参加していただろう。
 
厚さ3センチの資料を渡され、西松二階ルートの説明を受ける。
 
西松ルートは自民党首脳の二階、森、古賀ルートと民主党小沢ルートがあり、検察の説明は自民ルートはダミー団体がパー券購入などの犯意が低く、小沢ルートはダミー団体から4年間、3500万に上り、悪質であるとして
前者の不起訴の姿勢あらわにする。
 
>>>Aさん第3審査会出席2009年4月。
 >>>小沢秘書大久保さん、西松建設社長国沢逮捕2009年3月。
>>>自公麻生政権森法相によって、検察審議会法改正によって、審査会2度目起訴相当議決によって、
<強制起訴>とされたのは2009年5月>。
 
 偶然の一致ではない。特捜検察ー自民党幹部は最初から小沢一郎氏を最終ステップにする、政治包囲網の大まかな段取りを決定していた。
 
 その場合、審査会は上手く起訴に持ち込めなかった場合の最後の切り札、最後の砦と想定していた。
他の官僚幹部、マスコミ幹部にはこういう小沢政治弾圧の方向はダークサイドで了解されていた。
アメリカ、CIAは敗戦日本の政治的軍事的最弱点、在沖縄米軍基地の存在と東アジア情勢激動化で民主政権の脆弱な戦力性の動揺を引き出し役割分担だろう。
 
>以上は謀略論の見地でわざわざ談合から彼らの行動を説明しなくても解る事。コレやり過ぎると、相手は何でも筋書きどうりやれるんだという、過大評価につながる。
戦後支配体制の中で培った公然非公然の情報網、人脈がある。ここに利害関係が絡んでいる。
謀略論だったら、体制論でやった方が正当。かつてはそうしてきた。
一番悪いのは権力が法律を恣意的に運用したり、法律破りをしているのに頑固に在るべき理想的な合法主義に固執する事。コレが行き過ぎたのが共産党だ。肝心なところで秩序派から、反革命に転じる。
小沢氏関連の政治弾圧での彼らの立場がコレ。
 
>説明役は東京地検検事木村。
説明を受けたAさんのニュアンスは木村は「国沢を起訴すると負担がかかる」などと「裏取引をにおわせる発言」
>コレは要するに小沢関連で検事側に有利な証言を引き出す為、他ルートの国沢関与は見逃すと。
 
>こうした中で30代女や年配男からは厳しい批判が起こった。
「なぜ自民ルートやらない」
「検察は巨悪を叩くイメージだったが、そうではなかったのか?」
栃木足利事件志布志事件はどうなのかと云う声も上がった。
 
>Aさんの全体を通じた検察の対応の感想は「民主党だけやってりゃいいんだ。ごちゃごちゃい云うな」。
 
>午後、木村検事の説明で資料を読み込むとよく解った。
議長ソロソロ結論をと、事務局。
其々意見を述べて、プリントが配られると、そこには三種類の選択にマル印をつける様になっていた。
<起訴相当8人以上><不起訴不当6人以上><不起訴相応>
 
結果。
 国沢ー起訴相当。二階関係者ー不起訴不当。
事務局が全体の意見を文章にまとめ、プリントを配って全員でチェック。
>補助弁護士はいなかったようだ、と。
だったら、検察官が審査会で勝手にまくし立てただけと云う事になる。
 
>事務局が「明日の新聞などに大きな記事が載る」と云う。
 
 
    <新聞に興奮する事務局>
Aさん等は新聞記事に接して高揚感を持ち、記事の内容に納得。
地検は早速、起訴決定。
 
>>7月最初の会議
事務局、新聞スクラップ、コピーを配り、「凄い事になりましたねぇ」と興奮状態。
Aさんは議決の重さと胸を張る様な気持を抱く。
 
>>>そして取材記事は小沢強制起訴を含めた審査会の在り方の結論に及ぶ。
私の感想も加味して述べていく。
 
1)検察には審査会への資料の内容について監督、決済するシステムはない。
>だから、恣意的な捜査資料の提出が可能となる。
>他方で審査会法改正によって議決には拘束力がついた(2度目の起訴相当で強制起訴)
ここにアンバランス、不公平がある。
>>検察は現行法の決済のない事を上手く利用して、小沢氏を起訴したいという目的を達した。
 
2)森ゆう子議員。
「A)審査会の会議内容は逐一最高裁まで上がっている。
上には公開されているという訳だ。が、
 
B)審査委員には審議内容守秘の罰則規定がある。
当人同士には罰則否定の守秘義務で情報公開性は閉じられている。国民意識の反映を願っても密室審議に閉じ込められたまま。
 
 >>だったら、先回りして云えば、マスコミ報道の垂れ流す世論の空気と検察情報に議決が左右されざる得ない。
その上には最高裁=司法トップ、最高検=司法行政トップの監視の目は生き届いている。
植草一秀氏の指摘する最高裁事務局という司法の最高行政官僚組織の存在も見逃せない。
要するに、審査会は厳重な司法と司法行政の監視下にあるが、国民サイドには開かれていない。密室に閉じ込められた審査員の判断力は世間の空気(マスコミ発信源)と密室「実質的に包囲する司法関係権力の恣意性に委ねられる。
国民サイドは審査会に中身をチェックする機会システムを持たない。
C)検察側は、審査会で説明できるが(説明できるだけでなくチェック体制がないのだから、恣意的に説明にできる。
D)他方、被疑者側は書面のみ。
 
 
   <<検察は不偏不党か?>>
Aさんの感想として
「検察は与党自民党を守りたいのだ。民主をやっつけたいのだ」
「非常に恣意的」
「事務当局は新聞スクラップ配りをしたりしてやり過ぎ。それでは素人の集まりが冷静さを失う」
 
>>感想
煎じつめると2009年5月の自公政権時代の検察審査会法改正(強制起訴条項)は完全な悪法!
検察、警察の無法ぶりも監視しなければならぬ。可視化は必要。
 
   <<追記>>
今、自分の書いた記事の全体を読んだ。
政権交代の年の20009年を迎えた戦前戦後の継続を支えた官僚組織のリアルな足掻き=その反映の最先端である特捜検察の検察審査会を舞台にした過激な蠢動が明らかになっている。
同時に2009年にマスコミがあれほどまでに小沢叩きの大洪水を国民に垂れ流した必然性も、明らか。
<奴等は在るr程度、焦っていたのだ>。
これは西松建設ー二階ルートを審議したメンバーの自民ルート不問への不満発言尖鋭化でも明らか。この時の政治の潮流は明らかに<政権交代へと着々と向かっていた>
だから、どうして自民党ルートは不問に付すのかと云う追及が審査会でなされた。
ただこれら発言は社会構造や事案の深い背景を踏まえたものでないから、単なる公平観の吐露に終わっている。リアル政治が公平感の実現に終始できれば、こんな解り易い事はない。リアル政治がそうはいかないから、政治の現実に苦労がある。
しかし兎にも角にも、
この時代風潮を巻き返し、小沢強制起訴に持ち込むためには、奴らの戦後培ってきた人脈、金脈、組織の持てる力を総動員するしか打つ手はなかった。
 こうした激烈な事態が政権交代後の鳩山政権を襲った。
そして多くのモノは政権交代に早々と失望感をあらわにし、他方でこうした戦後支配体制サイドの動きに疑問を感じる人も重なった。