今年の日本シリーズは自分としては珍しくずっと、テレビ、ラジオで観戦した。
物凄く、密度の濃い試合だった、と実感している。見ていて飽きなかった。つまらないエラーやフォアボール絡みでランナーをためて、ホームランで試合が事実上決まる、と云う場面が一切なかった。緊迫した投手戦がずっと続いていた。
両軍投手陣の層が厚い。先発する投手は慎重に投げて(捕手のリードもある)、失投がほとんどなかった。ストレート、変化球の球の力があった。おまけに、後ろに出てくる投手が短いインニングだったら、先発投手よりも強い球を投げられる。
さらに、今年から全球団に渡る統一球として、反発係数の低いボールが使用されることになった。
それまでは、各球団の事情によって、使用するボールは違っていた。押し並べて、飛ぶボールを使用することによって、打力による一点突破全面展開的なエキサイティングな野球をファンに提供してきた。
今年の日本シリーズがサッカーの様なロースコア、ゲームの緊迫した投手戦になったのは、当たり前といえよう
両軍は共に144試合の長丁場を戦った中での最終的勝利者であり、その意味で総合力に秀でたチーム同士の激突であり、飛ばないボール使用、元年の頂上決戦だった。
ハプニング性の強い、打撃による局面の打開ならまだしも、一打によって試合の行方が事実上決まる様な事が飛ばない統一球使用によって極端に減少した。
>本当に強いチーム同士が休養たっぷりで死力を尽くせば、ああいうロースコアの緊迫した試合になる。
やはり、クライマックスシリーズ導入でセ、パ両リーグの半数のチームに日本シリーズ出場権が生まれ、第三位同士のチームの日本シリーズも想定される様な状況では、プロ野球から、打撃におけるハプニング性をできるだけ排除し、勢いで勝ち進んでいく様な状況をできるだけ少なくし、強いチームが選抜されるためには、日本プロ野球機構側に反省と細工が必要だった。
その方法は以前から誰でも知っていた。
>飛ぶボールをなくすこと。
しかしなかなか決断できなかったのではないか。
打者が打てないと云うことがハッキリし過ぎて、それまでの打力によるスリリングな局面展開がなくなる。
ホームラン、長打が少なくなるばかりでなく、野手の間を抜ける打球の力が弱まり、ヒットが出にくくなる。
以前にもこれに類することがあった。
>圧縮バットを禁止した時だ。
王さんの全盛期、圧縮バットがはやっていた。
バットの素材に圧力加工して、反発力を高める。
>球場も小さ過ぎた。
最新の球場は、どこも広く設計されている。
ドーム球場も東京ドームの様なホームランの出やすい空気圧でテントを膨らませているモノは皆無で、両翼も100M程度とっている。
後楽園球場は解体時、実測すれば、両翼89MMの表示だが、85Mしななかったとか。
川崎球場も狭過ぎて、物凄い高い外野フェンスだったが、放物線を描くホームランにはあまり関係がなかった。
しかしあの球場はそれなりに郷愁があったが。
(もっとも今までが異常だったのであり、まともな状態になった、と云う事)
>ある時点からの、日本プロ野球は飛ぶボールを使用しておかしくなったのである。
例えば、昔の阪神、巨人戦。
阪神の村山、小山が投げると、両軍1点2点を取るのがやっとだった。何かの間違いで3点とれば安全圏だった。
日本プロ野球史上に残る投打の本物の語り継がれる英雄はは飛ばないボール時代の投打のヒーローだった。
王、長嶋、金田、稲生、野村。
日本プロ野球黄金時代と云うこともあるが、彼らは当時の日本人の平均体力から、ぬきんでていたアスリートだった、と想う。
尤も、大リーグの方も球団数が今よりもっともっと少なくて少数精鋭で本物の全国民的な英雄がいた。
私自身もプロ野球黄金時代に少年時代を過ごしたモノとして、当然野球に夢中になった。
父親から「プロ野球の選手にはなれないんだから、いい加減にしておけ」と云われたことがあるが、なぜか球技をやると、教室の時と全く違った結果が簡単に得られたから、痛快だった。通信簿にも特殊な才能があるとまで書かれていた。
当時の少年としては大リーグ情報に詳しかったのじゃないかな。
個々の選手の名前、成績を覚えていた。
大リーグの選抜チームが来ると、王、長嶋クラスでも全く打てなかった。とういうか、打っても球が前に飛ばなかった。
投手の投げる球の力が全く違っていると想った。
>あの時代から、あまりにも長い年月が過ぎた今。
大リーグもスポーツのチャンピオンでなくなって、球団数を極端に拡張し、試合数も今は年間160試合ぐらいやっている。明らかに水増しされ、選手層が薄められ、全体のレベルが低下している。
日本人選手が渡米してある程度通用しているのは、日本野球の進歩もあるが、向こう側のレベル低下もある。
トップレベルの選手が水増しされた球団に散らばっているのだから、渡米した打者も投手も、それなりにやっていける。
>ただ、これからは大リーグ側が、これまでの様に日本人選手に大金をはたいて獲得する状況は生まれないと想う。日本プロ野球と云わず、アマ、社会人を含めた日本野球側に傑出した選手を生み出す環境が潰えている。
>イロイロナ日本野球の特性はある。
飛ばないボール使用することで、本当の野球に近付いたと想っている。
>ファンの数を頼んだ、一斉の大騒ぎも、飛ばない球の使用によって、一球、一投走の集中することでグランドの醍醐味を少しでも味わいたいとするファンが増える事で抑制できないものか。
野球とサッカーは違う分野の団体競技なのである。野球ファンのサポーター化は本来の野球を楽しみたいファンにとって迷惑この上ない。ロッテファンの応援スタイルを見る虫唾が走る。
弱い時代に一生懸命応援してきた阪神ファンは好きだったが、今のファンの風潮は、如何なものか!
速くもっと弱くなって、馬鹿騒ぎ目的のモノたちを球場から、遠ざけてほしいとさえ思う、ファンも少しはいる。
野球はゆったりとして、グラウンドの白球の今とこれからの行方を楽しむものであり、できたら自分でやるモノだ。
東海大学の管野とかいう原監督の親戚の速球投手のファイターズ1位指名拒否ー1年浪人。
日本プロ野球界を超えた、大げさに云えば、日本って国は一体何なんだろう、と云う疑問を呼ぶ。
というか、相手にするのもばかばかしい。情けない、のだが。
>もっと言えば、飛ばない球をせっかく導入したのならば、もっと進めて、大リーグ球を導入したらどうか?
大リーグ球は日本の使用球より一回り大きい。円周が1,5センチ違う球で飛ばないボールにすれば、日本野球は全く様変わりするだろう。
おそらく、負担がかかるので、今の日本の練習法だと、ケガ人続出になるだろう。打球は全く飛ばなくなって、グラウンドの些細な一挙手一投足にファンは集中せざる得ない、なぜならそこが勝敗の分かれ目になるから。
>そういえば、少年野球の監督を30年もしている方は止めたいだけど後継者が見当たらないとか。
若手の指導者は叱るばかりで選手を委縮さててしまって、指導者としてはだめらしい。
純粋ボランティアだからそういう人材不足になる。
下手な選手をクソミソに叱っている。しかも、同僚選手と一緒になって。どうしてできないか具体的技術指導が全くない。そういうのはいじめだ。
昔の様な中学野球部の時代じゃなくなった弊害がある。
底辺から、日本野球は衰退の途にあるのだ。
<追記>
ノックした簡単なフライに万歳して取れない子供は野球に関しては、才能がないと大人の指導者は解る。
その子供を怒鳴って、どうなるものでもないのに怒鳴ることしか、できない大人。しかもできる子供と一緒になって、怒鳴っている。見ていて腹が立ってくるが、キチンとしていない民間に指導を委ねていけば、そういう情熱だけの薄っぺらな人間が指導者になる。
確かにそこには極端な市場の原理はある。
できる子供と一緒になって、「教育者」ができない子供を、怒鳴るだけの指導で事実上、排除している。
大阪橋下とその手下、維新の会、府知事候補が断然リードと云う。
ザジャーナルの投稿では出目差別よりも政策でなどと解りきったことを述べ立てていたが、橋下らはのやってきた事、これからやろうとしている事は、今風の装いをされているが、ファシズムである。
凶暴な市場原理主義を貫徹させようとしている意味でのファシズムだから、ある意味では戦前のファシズムより社会性がなく、個人主義的であり、失業者や弱いモノを運動の中に取り込んでいこうとする姿勢は一切見当たらない。
換言すると、彼らを支持していても、物的に救済される反対に、貧困環境を増幅させられる。
だから、ある意味、戦前ファシズムよりたちが悪い、
<グローバル資本の儲けのための最適環境を、この日本に作り上げることが彼らの最大限政治綱領>である。
従って、この世界と日本の状況が悪化すれば、彼らのやっている事の正体はハッキリするが、事前に察知するのが、自分の立場をわきまえた庶民である。
時間が経過し、イロイロナ問題がハッキリしてからでないと解らない、解っていてもまた忘れると云うのでは根本的に政治に向かない性向である。
結局、戦前戦後を通じた経済効率一点張りの大阪の歴史がはぐくんできた悪い意味での到達点だ。
橋下人気を煽った関西マスコミの責任も大きい。
この大阪の現実は日本中に蔓延すると想う。根っこに経済幻想と衰退が顕著にあるのだから。