反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「公務員制度の研究」ー日米英幹部職の代表性と政策役割ー読了。政治主導を保障する改革は米>英>日だが、米官僚制は優秀な人材の民間指向、政治的中立性破壊など問題点多い。

 今、「公務員制度の研究」を何とか読み終えた。
中身そのものは、難しく理解し難いものとは思わないが、何しろ学者センセイの論文形式なので、緻密な事実を積み重ねていく形式をとっているので、読んでいて、イライラしてくる。いつまで読んでも、結論というか、センセイの意見が出てこない。
また、米英日に共通する、大まかな公務員制度の改革の流れ、への政治的意味ずけが、全くない。
 
 最後の方の日本の官僚制度の改革問題を指摘するところで、やっと数ページ抽象論の様に自分の見解が出てくるが、全部、民主党政権交代直後の鳩山政権が内閣ー党ー官僚の関係において実行しようとしたモノばかりだ。
 それらは、普天間基地移設問題、鳩山ー小沢政治資金疑惑?のマスコミ大宣伝や小沢さん関連の特捜検察の強制捜査、起訴によって、事実上空洞化してしまって、政権交代前の自公政権時の政権と官僚の旧態関係が復活している。
 
 このセンセイが英米の官僚機構の過去と現在の事実を精緻にトレースし、日本の官僚機構を分析しての、短い結論をほぼそっくり、政権交代した民主鳩山政権が実行した結果が、今現在のこの事態。
 
 コレをどう解釈するか?
 
 改革をやろうとしたが、官僚や既存の利権勢力が抵抗したと政治的力関係からだけ解釈して果たして済ませられるのか?
 
 また、民主内の誰そうれがどうしたこうした、と云う意見だけにお手軽に終始していいのか?
コレでは橋下の様な奴の存在が大きくなる、これからの政治状況に対して本当に理解を深めることはできない。
 
 事実、小沢さんの支持者の中に橋下にグラッときている人は少なくない。
それはそれで個人の見解だからしょうがないが、政治に対する根本的見方としては庶民の立場を十分踏まえていない。 
 
 政治は個人の人気、力量、目先の敵味方の論理による政治力学だけで絶対に済ます事は出来ない。
目先も大事だが、先を見通す事が絶対に必要。
負けて勝つという事も歴史的事実としてこれまで繰り返されてきた。日本人は経験としてコレが足りな過ぎた。
 
 政治基盤が脆弱で既存の利権癒着勢力の側の攻撃に打たれ弱かったから、この学者センセイの示唆する方向は、有効性を発揮できなかったのか?
 
 それとも、煎じつめれば、そういうアメリカやイギリスの官僚機構、公務員制度改革を日本がお手本にすること、日本の実態に大きなズレがあるのか?
今の経済成熟期の日本の到達段階では有効ではない、と。
 
 この本の読後感として、どうも後者の視点も必要でないかと、想い始めた。
 
以上を踏まえて今日の記事のタイトルにその視点を含ませてみた。 
 
 日本には日本独自の今現在まで至る官僚、公務員制度の流れが実際にあって、それは少なくとも、バブル崩壊近辺まで有効に機能していた、というか、むしろ諸先進国によりも、効率的に政治経済の要として機能していた。
 
 さらには、根源的な問題が横たわっている、と我々は常に念頭に置かねばならぬ。
 
資本制社会において政治家は、資本制システムを自分の政策、立法の前提事項にするから、このシステムの大本であり、この社会経済を根底から動かしている民間資本の法則的基本動向ー資本蓄積構造まで手をつけることができない。
 
 すると政治家はどうするか?
 
 手っ取り早く、手をつけやすく、成果が上がった様に国民に映る、統治行政機構の再編に乗り出す。
巨大な資本相手に戦うよりも、形式上は自分たちの指揮できる統治行政機構の再編に狂奔したほうが、政治家として楽なのだ。
 確かに、法治国家の政治家として、その仕事は大きな本分である。
だから、そういう政治家としての戦略も間違いではない。
 
 しかし、よくよく考えてみると、我々日本の庶民の日常生活が圧迫されているのは、果たして、行政統治機構によるものだけ、だろうか?
中国や北朝鮮の様な制度としての専制国家なら、政治的上部構造の奈何とそれの根本的改変が庶民生活の上でも最大のテーマになる。
 
 が、日本の多くの庶民の本当の政治課題は経済的要求であり、キチンと働いたら、その分だけ報酬を貰いたい
これは、同一労働同一賃金となるが、日本の現実はまるっきり違う方向に向かっている。
 
だから多くのヒトはいらいらして、可視できるお手軽な身近の身内の様な、存在との差異に無性に腹が立つ。
 
この現実の上に、社会保障や税金の在り方が乗っかっており、ここで初めて、国家、統治行政機構の問題が視野に入る。順序は逆ではない。
 
 この領域の問題を言い換えると、働く場の問題は労働組合と使用者の関係でやればいい、政治は別の分野、トータルの処を取り上げたらいいというモノではない。本質的に。
 
 今の日本や世界の先進国の様に社会経済が停滞して、格差と人々の分散状態が激しくなればなるほど、経済労働の問題が生活に及ぼす影響が増していく。
 
 今野田政権の推し進めようとしている税と社会保障の一体改革と称する増税案に多くのヒトが憤りを感じるのは、奴らが肝心なこの日本社会の格差と分散に対して、政府が所得移転の観点を投げ捨て、社会の各方面での格差を助長する政策を取っていこうとしているからだ。完全な市場原理主義国家政策だ。
 
 >>また、今の日本の成熟した経済の到達段階や東アジアと云う地域的歴史的特殊性からして、次の様な日本独自の視点、問題意識から、公務員制度の問題を読み解いていくことが絶対に必要。
 私が読了したこのセンセイには、その視点が全く欠けていた。尤も次に引用する本は政権交代後の2010年に発刊され、民主政権の経験を踏まえることができた。
 
 「日本と云う国はともすれば、諸外国のモデルに規範国を求める傾向が顕著である。古代の日本は中国化を目指し、近代に日本は西欧化に走った。そして戦後の日本はアメリカナイズされてきた。
小泉改革市場原理主義とも称されるアメリカモデルであり、政権交代によって誕生した民主党政権はイギリスモデルを指向している。
これだけ長い歴史を誇る日本はもっと自国の歴史に学び、日本モデルを模索してもよいのではないか?」
ー日本行政史ー笠原英彦。
 
>簡単に云えばそういう段階に日本は到達しているという事だ。それにもかかわらず、まだ他所の真似をしようとして失敗している。
 
 イギリスのサチャーから、ブレア労働党政権も大まかに云ってアメリカ方式の公務員制度を参考にしている
が、問題も大きいい。政治的中立性を保ってきた高潔な?イギリス官僚にも天下りが浸透してきている。
アメリカ官僚制度は大統領と去就を共にする政治的官僚とキャリア官僚の対立や上級官僚制度に優秀な人材が集まらなくなっているという大問題がある。
 
>橋下等のこの問題に関する方向はアメリカ流儀の政治主導とサッチャー登場時の当時のイギリスにとって衝撃的な企業効率導入をミックスしている様だが、
>>>この場合、我々が気をつけなくてはならないのは、日本歴史独特の官僚制度、層が内外の<危機的事態に遭遇してなす崩しで、ファッショ化>するという点だ。
また、繰り返す歯止めが、実体として、どこにあるのか?
 
 さらにこの本で取り上げていない、フランス、ドイツのヨーロッパ大陸諸国とイギリス、アメリカなどのアングロサクソンでは、官僚制行政機構の在り方が歴史的に違ってきたという事だ。
この本のセンセイあ英語しか読み下せないようだから、それらの国の分析は対象外となっている。
全く不十分である。