反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

支配層の画策する全国民的リストラ=道州制は政権交代の民主党政府への国民的不平不満を官僚、公務員批判へと集約し、水面下で実行の途にある。その主導軸は東電など電力会社から橋下的政治詐欺に変化。

 昨夜、ラジオで拝聴した、フォーク歌手、新党大地名誉顧問の松山千春センセイの「千春ラジオ」をとっかかりに、フォークソングについて書こうかと、予定し、イロイロ調べていたが、急きょ変更。
 固くいくことにした。
 
 昨日、ようやく、<広島大学公開講座道州制」-世界に学ぶ国のかたちー第一章、総論、道州制とは何か。
を読み終えた。
この領域の基礎知識不足で字面を追うだけだった。
今もう一回、読み始めると、なかなか、高度で多方面の問題が記されている様で、感心した。
 ただこのセンセイの一貫した欠陥は、道州制の問題を純粋な行政的視点(この視点では、事態の推移を容認し、解釈するかない)からみていくことであるが、コレは第一級の政治的課題である。
 
 <「国のかたち」の根底的変容>は官僚や役人、政治家だけで議論されるモノではなく、国民の問題である。
 
 我々が事態の真相を本当に知らないから、橋下の様詐欺師に騙されるのである。
 
 そこで急きょ、予定変更して、タイトルにある様な、自分なりの観点から、読み込んでいくことにした。
今日は余りにも時間が足りず、読み込みも不足しているが、いけるとこまでいく。
 
 >第1章の総論、道州制とは何か。
の筆者、広島大学、川崎センセイは
 
まず、第一。
道州制の「構想の始原は、ひとまず、その政治的法的性格を問わなければ、昭和初期に遡ることができる」としている事だ。
 
 コレは私が橋下批判をした際の持論であった、大正デモクラシーを終焉させた1922年関東大震災と、特に世界大恐慌以後の中央地方の統治機構の強権的官僚統制へのなし崩し再編、という規定を裏付けるモノである。
 
 このなし崩し的統治機構の強権的再編を実体的基礎として、日本型ファシズム=翼賛体制が満開していく。
 
 河崎センセイはこういう事実を踏まえているが、もう戦前も済んだ事として、拘っていないよ、と云う意味で、
サラリと「ひとまず、その政治的法的性格を問わなければ、」などとやり過ごしている。
 
 日本人の歴史的事実に対しる、忘れっぽさ、を学者センセイが敢えて主導しているのである。
コレでは歴史の教訓化は乏しくなる。
 
 広島は原爆を落とされたところ。
 
コレへの評価に欠陥があるから、戦前と戦後の日本史の継承性の観点が乏しくなる。
 
 サラリと触れるだけ済ますモノでなく、再び、第28次地方制度調査会が現行の47都道府県を9~13の道や州に再編する答申を出し、それは経団連自民党の見解とピッタリ一致するのか、
戦前の世界と日本の政治経済危機とそれへの日本的対応と云う視点から、論じるべきである。
戦前史と戦後史は切り離すべきでない。日本国憲法にも天皇制、官僚制と云う国家の軸に継承性がある。
 
 ここを明らかにする立場に立つことが、学問をしていくモノの民族的使命ではないのか。
 
 それが乏しいから、支配層の経済的要請を眼目とする中央地方の統治機構の再編の容認派になっている。
同時にそれは、戦後的民主主義の大きなよりどころであった憲法に基づく、国ー都道府県ー市長村の統治機構の解体に必然的に行き着く。
解体していい方向に向かえばいいが、より悪い選択もある。多数国民にとって。
 
 28次地制調が真っ先に掲げる道州制による
地方分権の推進、及び地方自治の充実強化」と
中央政府の役割の重点化、純化」は耳触りのいい国民騙しのお題目である。
 
 本音は以下の通り。
 
「自立的活力ある圏域の形成の実現」ーコレも国民騙しのお題目臭いーそうなる根拠に乏しい。
 
ハッキリしているのは、権限を委譲された道や州はグローバル資本にとって規制の緩和など、あらゆる意味で御しやすい相手だという事だ。
現実にアメリカでは大企業が労働法制や税制などの面で不利な北部工業州から南部に移転している。
しかし問題はそれでアメリカ国民とアメリカ経済はよくなってきたのかと云う事だ。
国内で縮小するパイを奪いあっているだけに過ぎない。コレが紛れもない現実。
 
 道州制の胡散臭い処は、結局この制度が、グローバル資本の跳梁跋扈の舞台を提供することに重点があり、多数派国民住民の生活、労働、生命健康が蔑にされる、<全国民的リストラに終着せざる得ない>という処である。
 行政機構がどうとかこうとか、煽動されてその気になって、国民規模で騒いでるうちに、大騒ぎしている当人たちが、最後には切り捨てられるのである。
グローバル資本制の多数国民無視の非情である。
 
 戦後日本の憲法下のフランス的制度を導入した中央ー府県ー市町村統治機構関係から、アメリカ的連邦制への道を開くモノに<素直に実行すれば>なる。
この面でTPP推進によるアメリカ制度の日本移植の統治行政機構版とみなされる。
 
 処が日本の場合、そもそも、アングロサクソン的な下から積み上げた、地方自治の伝統がない。
しかも、フランス的制度を取り入れたにしても、
1)内実を官僚統制的中央集権的非民主主義システムに空洞化させてきた経緯から、
 
2)道州制の実行は中央官僚の都合に良い「国と地方を通じた効率的な政治行政システムの構築」によって、
 
3)道や州がミニ中央集権体制化し、そこの役人と中央官僚の癒着強化とさえなるという経緯をたどらざる得ない。コレは政治的過程である。
 
4)人的物的交流関係は支配政党、財界、マスコミの癒着構造に支えられ、いくらでも公然非公然のルートができる。
 河崎センセイの指摘する様な権限分配を巡る当事者間のいさかいは、表面的なモノに終わる。
それで大変な政治課題に取り組んでいるように見せかけているだけ。実際は多数派国民にとって、より悪い選択に過ぎない。
植草一秀さんは社会革命を官僚批判や公務員制度の改革にスリ変えている。結果的にみん党の主張の後押しをする次元に行き着く。
 
 川崎が指摘する様な、道州制導入による
<単に府県の合体に留まらず、全国に展開している国の地方出先機関の権限、財源、及び職員をも道や州に包摂しようとする>こと。
 
<それが、具体化すれば、国と、市町村、道州と云う2層の自治体の間での権限の大幅な再分配を随伴し>
<「国のかたちの」の根本的変容>を生じさせる。
 
は、日本の場合は、先に挙げたミニ中央集権体制=アメリカ的連邦制の形だけまねた、<実質的な中央地方官僚への権限権力集中に終わるという政治的結果>を指示しているだけである。
 
 非政治的な学者、川崎はおめでたくも、事態の推移をリアルに政治の現実として見つめていない。
 
「府省側からの強い抵抗に遭遇さざる得ない」は小泉構造改革の実態である、官僚機構の権限変わらず、逆に余計な事をやったおかげで、統治機構に混乱を招いた、と云う事実からも、見当違い、単なるから騒ぎを推奨しているだけだ。
 
>時間の都合で東電などの電力業界が
「其々の地域において今日の道州制論議を主導する役割を演じている」と云う川崎センセイの指摘にたどり着けない。
 
 彼は先に私が指摘した、今日の道州制構想のそもそもの始まり、をこの項目で指摘している。ただ今日との継承性を取り外しているところがみそである。
 
戦争的事態における内戦を想定した軍事的要請として道州制は敗戦マジかの1945年に導入された。
それまでの地方協議会を廃止して、
全国は8軍管区に区分され、8軍管区司令部が設置され、その作戦行動と行政の一体化が推し進められた。
 
「戦局の非常事態に対応して、陸海空軍と緊密な連携の下に、地方の各般の行政の総括に関して、各地方官庁の行政の総合的見地により統一的強力な推進を図るとされてきた」
 
この時期に確立した9電力体制は配電統制が目的であり、インフラ面での軍管区制=道州制への対応である。
 
軍管区制は軍司令部の作戦行動と行政執行の一体化を図るモノであり、元々が軍事的効率化の要請から発したモノである。その場合、議会は消滅している。
 
 この経験からも、現支配層は緊急事態に際して、道州制は住民統制と行政の効率化に都合がいい、と熟知しているのである。 
 
 しかし、そういう政治過程を歩んだから、日本は負けたのだ。日本国民は惨禍に見舞われた。
 
 急がば回れ!危機の時代に国内政治体制を先に硬直化させた国は敗北している。
 
 結果的に国民経済を疲弊させ、不合理な戦争をやる選択肢しか、残されていなかった。
 
 >橋下の政治方向は、道州制に収れんされるものだ。
 
>>日本の現状の地方自治制度はアメリカ流の連邦国家制ではなく、フランスに近い、民主的中央集権制になっているが、日本では直接選挙で選ばれた首長を行政の最高執行権が与えられているはフランスではそれが議会議長になっている。
 この点で日本と地方の関係は中央集権的「垂直関係」なのに、地方自治ではアメリカ制度を取っている。
制度として、矛盾点がある。不必要な混乱の原因だろう。
 
仮に、日本がフランスの様な議長に最高執行権限が与えられていれば、橋下の様な輩は登場し辛くなる。
 
  
       <<追記>>
道州制の旗振り役を電気事業連傘下の各電力会社が務めた根拠。
結局、経団連企業の中で戦前からの歴史があって、総括原価方式で安定的利益が確保でき、経団連と云う政治活動に統一的に人的物的要素を割ける企業は全国規模では電力会社になる、と云う事に尽きる。
 
 だから財界、右代表で経団連企業の大企業にとって最も好都合な舞台=市場を確保する意味で道州制の旗振りをやってきた。経営体力のある大企業にとって、規制などできるだけない、弱肉強食のジャングルの掟の市場環境が巨利を得る最適環境である。むき出しの資本の論理である。
 
 小泉改革を引き継ぐ自民党政権が、あのまま突っ走っていたら、次の大政治課題は、道州制の急速な導入になっていただろう。これとTPPは密着しているから、内外再編があっという間に実現したであろう。
 
 民主党新政権誕生は、こうした従来の官僚支配政党など支配層が着々として画策してきた政治方向の執行猶予期間であると位置づけられる。
 
 広島大学のセンセイもこうした観点から、民主党政権の間は道州制をもう一度考え直す猶予期間が与えられたと、期している。
 
 今後、の具体的政治過程の推移を想像すれば、今の時点から、もう表面的に誰がどうしたの狭い政治的陣地に陣取っての、敵味方の議論は大きく見ると、無効の様な気がする。