反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

普通の現役高校生のネット日記を毎日、追跡すると、無駄な受験体制によって、支配体制への服従(若者の保守化、硬直化は必然)や団体訓練(空気を読む)を受けている様なモノ。

 ネット公開されている母校の現役高校生の日記がをフトした切っ掛けから知って、毎日閲覧している。
 
 なかなか面白い。
ツィッターとほとんど変わらない程度の短文だが、この女生徒は結構な文章家なのではないか、目を着けたら、やっぱり作文の学年代表として教師が選んだらしく、みんなの前で読み上げる事になる。
「普段思ってもいない事を云うな」と同級生からの批判も出たらしいが、天性の作文能力で普段、想ってもいない綺麗ごとを絞りだせたのか?
 
 ネット上の日記の短い文章も解り易い上に、コピーライターのような冴えが毎回ある。
しかし、それは簡単に湧きでてくるモノではなさそうで、毎回結構、考え込んでいるらしい。
ネット上の大人のその手のモノの相当上を行っている。
 
 芥川賞作家の川上未映子さんがまだほとんど無名に近い頃、桑名正博と大阪で1時間のラジオ番組をやっていた頃、若いけど個性が言葉の端々に光っていると注目し毎回楽しみに聴いていた。ベタベタの関西弁丸出しで歯切れは悪かったが、発する言葉に彼女自身が自分の意見に自信を持っていることが覗えた。若いにもかかわらず、精神世界を鍛え上げてきているのである。ズット年上の桑名さんに一歩も引かず、対等にやり取りしていた。芥川賞受賞のかなり前でまだ個性ある唄を出している歌手程度のふれこみ時代だった。
 光るヒトは、何処にいても、何をやっていても、個性を感じさせる。今の文化環境は、この道一筋の時代ではなく、そういうマルチタレントの時代なんだと想う。
 
 あの女生徒はその方面に磨きをかけたほうが良い。モノになる確率はかなりある。
 
 その他にもイロイロ個性的な生徒がいるが、才能を感じさせつところまでは至らない。この高校は伝統的に総じて明るく活発。
其れが集まり共鳴し合うと騒々しい。
最初は抵抗してもやがて、気がつけば馴染んでいる。
コレが良くも悪くも昔からの校風であり、今も変わってないなとつくづく想う。
 
私の高二時代の同級生はノイローゼが高じて退学したほどなのだが、そんな彼も孤立しておらず、みんなに自分の病状について、明け透けに話していた。
表面的に陰鬱なイメージはない。ある種の精神病者と話していると不思議な安らぎを感じるが、彼にもそんなところがあった。神経系の薬の所為かも知れないが、要は脳内神経の異常なんだ、部外者の思いつきのアドバイスや気休めは簡単に云えないと余計に大変さが解った。
 
 母校の高校の後輩たちのネット記事を読んでいると、今の私のモノの見方考え方の基本は高校2年生の頃にほぼ完成し、その後大して変ってないと自覚してゾッとする。
 
高校2年の初っ端の修学旅行で東京神田の古本市でサリンジャーの「ライ麦畑のつかまえて」を探していた。地元ではペンギンブックの英文しかなく、和訳はなかった。
 
 この延長線上で、カミユの「異邦人」「シューシュポスの神話」に出会った。他のモノは読んでいる振りをしているだけで難し過ぎて解らなかった。また、自分は哲学的思考に内面、感情の問題の出口を求めているのであって、理性や理論の精緻さを要求していない事は解っていた。
 その癖、日本の主だった作家を読むと、伊東整の理性と理論がなぜか自分ピッタリきて、彼を自分だけの生涯の好みとして置こうと想った。
 
 教科書の歴史の記述に疑問を感じたのもこのころだった。
10巻程度の世界の歴史、イリンの「人間の歴史」などをテスト前の勉強を全て投げ出して読破した。
そこからの疑問が氷解したのはマルクスの「これまでの書かれた歴史は支配階級の歴史だった」という行き着いた時だ。確かに自分のボンヤリトした疑問点の核心もそういう処にあった。
 
 世間とは相当のズレがあるこんな私にこの高校の校風は心地よかった。
 
 今想いだすと高校3年間の担任は全部、左翼そのものだった。
 
 高1の担任は部落解放研究所所長に転任していった。学年副主任だったから、もっと出世コースに乗って転任すると想ってたので意外だった。
 
 高2の担任は60年安保ブントの若い教師だった。
一度だけ何かの拍子に学者を志し運動に区切りをつけたが、学費の事を考えて高校教師にならざる得なかった、と空を見つめてしばらく言葉が出なかった。
 卒業後、仲間と公営住宅のうちに遊びに行くと、妊娠中の若い妻は大卒後、最初に赴任した農業高校の教え子だったと紹介してくれた。所謂、インテリ風のヒトと云う感じは全くなく、さっぱりした性格で、ホームルームのときも大きな声を出して、みんなを載せてその気にさせるのが上手い。アレは昔取った杵柄で一種アジっていたんだろうか。
このヒトが尊敬する同僚教師も学者志望で、教師の傍ら、自分の専門分野を勉強していた。後にこのヒトの教授の肩書の専門書を古本屋で見つけた。
 
高3の担任は共産党活動家だった。愛妻のやっている美容院の名前はヨーロッパの共産党機関紙の名だった。
国語教師でプロレタリア文学の項で中野重治の処になると感情が高ぶったのか声が震え気味になっていた。
このヒトはどこからどう見ても共産党の雰囲気丸出しで、何を考えているのか解らない処が合って親近感がわかなかった。
 
しばらく学校に行かなかったら、心配して尋ねてきてくれた。学校が嫌になって休んでいたのではなく、受験勉強の遅れている自分は、休んで受験勉強しなければ、目指す大学に現役合格できないとハッキリしていたから登校を暫く見合わせていただけ。高3になって、自分の考えもまとまっていたので、周囲は全く気にしなかった。
 
 >>要するに我が母校の高校生の大半は昔も今も普通の高校生。
今風に云えば、偏差値が抜けている訳でもない。
勿論昔も今も学校の勉強の得意な生徒はいる。
でも彼らは普通の生徒と隔離されて高校3年間の教科を2年間で終える受験専用教育を受けている。
進路も国立医学部、東大、京大。
また今ではそれに次ぐような難関大学を目指すクラスもできているらしい。
それはそのつもりで特殊環境を選択し入学しているのだから、今やどうこう言っても始まらない。
 
>問題は、それ以外の学年の<3分の2生徒>。
昔の我々の時代に比べて、学校の勉強に向いている生徒が集まっている訳ではない。
偏差値的には文字通り、普通の高校生である。
ネット上の日記を見ても、自分たちの身近な内側以外への関心は希薄なまま、他愛もない仲間同士の交流に満足を覚えるレベル。
だったら、中学生時代との違いは、肉体的成長と精神的には仲間同士の付き合いで世事を覚えた事ぐらい。
そういう環境しか大半の親も学校も用意していない。
 
>今の母校の教育方針は、こういう生徒の状態にもかかわらず、部活動を推奨し、なおかつ、受験体制のカリキュラムを用意して生徒を否応なしに受験勉強に追い込んでいる。
 
 高3になれば、競馬の第4コーナーを回った直線コースの各馬の叩きあいの如き、受験体制が生徒たちを追いこんでいく。
余裕、アソビの存在の余地を与えていない。
 
>そういう環境で、昼休みの時間も学習室に行く生徒も出てくる。
なおかつ、部活動の引退にもまだ間があり、こちらも高3最後のハードなラストスパート。
塾も行かなければならない。家庭教師もある。
そうすると、遅く帰って、塾への移動中に食事を採るというハードスケジュールの変則事態が現出する。
 
>>で、最後の結果はどう出るのか?どう出てきたのか?
普通の高校生のまま、ハードスケジュールをこなしたにもかかわらず、普通の大学に進学するのである。
一応、ナントカ大学などと称しているが、この少子化の時代、その程度の大学に入学するのは適度な受験勉強で事足りる。そこに入るために猛烈に受験勉強をしなければならないのは、受験勉強に向いていないからで他の方面にエネルギーを残していたほうが良いという事だ。
単なる一つの体制への服従訓練が受験体制ならば、部活動は団体行動訓練だ。
 
>>努力したことが<大切なモノ>を各自の中に残す?。
確かに個々の人物に焦点を当てれば、そう云う面は強い。
しかし、一端、大学に入学したら、大半はモラトリアム期間に突入すのだから、<努力忍耐の大切なモノの>の価値は時間に埋もれていく。
尤も最近は就職難だからその余裕もないかもしれないが、それはそれで、中学生程度の外界への関心程度が高校生になっても本質的に継続し、大学生になっても引き継ぐという最悪事態と云う事だ。
 
>>が、日本全体で、こういう教育が組織的に行われて、それを総合した結果が日本社会全体にどういう
影響をもたらすかだ。個別の努力が全体の悪に転嫁する場合がある。
 
>>冒頭の女子生徒。
結構ハードな部活動と受験体制の中、今この時期に磨きあげられるべき貴重な才能が放置されているというより摩耗しているのではないかと危惧する。
受験体制には向き不向きがある。