1、民会の行動を見れば、技術的な専門知識と同時に政治的な専門知識の存在を認めていた。
W.。直接民主制には民会、裁判制度の他に評議会、陶片追放~不適切提案訴追制度などの制度が機能していた。(W。民会での発言の具体的記録が現在に残っているのはペロポネス戦争敗北後の4世紀以降に集中している。
>今の我々には不思議におもわれるが、フィンリーの<民主政は機能していたのである。>との指摘は大局的見地として正しい。アテナイ民主政は<何をしでかすしか解らない脅威>ーハンセンーを全ギリシャ世界に振りまいてきたし、文化的には群を抜いた存在だった。
歴史におけるアテナイの輝きは専制国家が世界基準だった古代に直接民主主義を徹底化して、西欧における古典時代の道筋をつけたことによる。古代中世の歴史において、長く続くことは、必ずしも、いいことではない例が多すぎる。
市民革命の時代まで、アテナイ民主政蔑ろにされてきた。
>中国史を検討した結果、モンゴル征服王朝の時代は、中国史にとってマッタク無意味な時代だったと、総括しているが、ギリシャ世界のすぐ北にフィリッポスとアレクサンドロスのような軍事至上主義がいたことがギリシャ世界に不幸だった、とみている。
>翻って、日本は朝鮮中国のような内の秩序に閉じこもることを正当化する儒教国家が隣人であって、幸運だった。
新大陸移民国家以外に、こうした幸運に恵まれた民族はいない。
全て壮絶な民族規模の殺戮戦の危機に晒されていた。だから対外的的関係性において大いなる成功と挫折のパターンは繰り返される。
>アメリカ合州国国民と称する人たちは地球上に残されていた最高の処女地に雪崩れ込む幸運に恵まれて今日に至っている。
が、この点の配慮をマッタク欠いた見地をいまだに維持している。
そういった本質的に普遍性を持たない特殊が世界史の流れの都合で世界に広まっていることに今とこれからの世界にとって根源的問題なのである。アメリカ合州国は人類にとって、災難である。それと日本のような本質的な政治的未熟がタッグを組めば、どうなるか。よいほうに向かわないのが当たり前である。
>>アテナイ的政治の質を機能させるべき分野が今でも存在している、ともいえる。
特に日本では考え直した方がいい。
2、シュンペーター自身によるエリート主義的民主主義の定義。フィンリー「民主主義」より。
「民主主義の方法とは、政治決定に到達するために、個々人が(W。政治家個々人という意味。)人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定力を得るような制度的装置である。」
シュンペーターはこの決定力を、文字通り「政党の指導者たちが決めるのであって、民衆でないとみなしていた。」
<無責任国家からの脱却>
迷惑な「指導力の欠如」より。
「日本は世界に大国になってしまったのである。好むと好まざるにかかわらず、大国としての責任を免れることはできない。
日本はその広くて深い影響力?をキッチリとコントロールし、世界のために役立てる義務がある。
この頃の彼は米国の日米政治軍事網の渦中にいて、戦略を物的政治的に担っていた。
細川連立政権樹立後の政治混迷によって、日米連携網から排除されたとみなす。
政権交代劇は政治の一寸先は闇の典型であった。
熱烈支持者によれば、伝統的支配層は小沢の政治力を怖がって、政治弾圧を加えている、という見方に終始しているが、小沢氏が政治の中心にいると無用な混乱が起きるという断定を持って排除することも論として成立する。
私のような小沢氏とマッタク縁遠いものよりも、かつての身内の方が本質を見分けることができるともいえる。
国民に自律と自己責任を説く政治姿勢は彼の主張の本線(乱暴稚拙なエリート政治「思想」。彼にとって民主制とは選挙を通じた多数派形成と空虚な制度論に尽きる。)からすると派生物であるが、
彼らの系譜はその絶頂期においてマスコミの寵児だった。
小沢一郎政治に特定の支持層や政治基盤は元々なかった。逆風が吹けば、船は前に進まないのである。)
>「日本改造計画」に戻る。
そのために何が必要なのか。強力なリダーシップである。
(W。以降、ナチス理論家カールシュミットに端を発する決断の政治の実行をくどくどと述べた後。
>当然にも、「問題の第一は権力のいたずらな分散である」、という点に行きつく。改造論、19ページ。
<このままではいつか来た道>
小沢流の戦前日本の総括。
「政治のリーダシップの不在が、結局軍部の暴走を許し、その結果、わが国が犯した大きな失敗こそが、あの第二次大戦であった。」
従って小沢氏の何でもかんでも政治主導にこじつける戦前総括は現日本政治においてはファシズム的政治の跳梁に無感覚になることに繋がるものである。
橋下、維新の会への未練は小沢氏の政治思想の中にあった。)
<権力を巡る競争を>
「第二は政治を巡る競争がなくなった。~」
(W。以下は自民党内の派閥政治の硬直化と野党との一種のコーポラリズム体制の卑近な現実をアレコレ挙げて、<決断できる政治主導>に話題を持っていくが、そこにはシュンペーターの示すような民主主義装置としての政治家、個々人が政治決定力を得るための競争による大衆獲得という意味合いの民主主義論など何処にも出てこない。)
「多数派が少数派の駄々っ子ぶりに嫌気がさして、~決断しなかったことが悪い結果をもたらしたとしても一体誰が責任を負うのか。(W。この種の恫喝の究極は江戸時代に戻るのか、というフレーズ。何度も登場する。)
過剰なコンセンサス?の、コレは悲劇というほかない。
>このように、日本の戦後政治は多数決の原理を無視??あるいは軽視してきた。
(W.。現時点の国会情勢を前にすると、このフレーズがいかにその場限りの目先だけの出鱈目な反民主主主義か理解できる。)
それが無責任な政治を生んでいる。
(W。この頃の小沢氏は、まさに飛ぶ鳥を落とすが如き舌好調ぶりであった。
>しかし(W。.日本が自律した国家として機能する世界情勢の到来ゆえに)いまや、それでやっていけない。
><国民によって民主主義的に<権力を付託されたもの>が
(W.。代議制民主制は選挙によって<権力>を政治家に付託するシステムではない。勘違いもはなはだしい。さすがシュンペーターは<決定力>という適切な用語を使っている。)
責任を持って<決断できる体制>しなければならない。(W.。決断できる多数派原理優先の体制とは何か?政治的な熟考、先に見通しはなく、時々の情勢に沿った発言をしているだけだ。訳のわからない焦りによる爪先立ちだけはある。)
>小沢氏のサイドに立って、云うならば、
「権力は強いだけではいけない。明確に限定されなければならない、としている。」
が、その明確な限定とは具体的に何か。
「それは話し合いを徹底することではない。」とまず断っておいて、
「本当に中央に必要な権限のほかは全て地方に委譲し、中央が身軽になり、国家レベルの課題に集中することである。
(W。小沢氏はコレを空間的限定と称する。
当時日本経済の状態は悪かったし、軍部の台頭もそろそろ進行していた。
それ以降の政党政治お軍部台頭の事態を教科書的に総括すれば、国民は政党政治に絶望したという国民に優しいモノになるが、実際のところは日本政治は内外情勢から軍事化しており、政党政治の出る幕は狭められていった。)
以上の何処に<強い権力の明確な限定になる>のか。ただの漠然としたイメージの垂れ流しではないのか。
時間的限定と称するもの。
「政権交代だ。」
「はっきりしない権力がだらだらと永続するより、形のはっきりした権力が?一定期間責任を持って政治を行うことである。
(w。小沢氏の政治論の特徴は強権にしか行きつかない多数派原理の政治主導=決断の政治と、日本のリアル政治にマッチしないイギリス型議会主義をミックスしているところである。政党という民主政の必要条件への考慮は乏しく、イギリス型議会主義願望との矛盾には大きい。
従って、政治理論として、勝手なパズルをでっち上げているようなもので、最初から分解する運命を背負っている。
その都度の仲間の離合集散はその政治論の中に組み込まれている。
>字数制限につきこの項、続く