だからといってそれが社会全体にとってマッタク悪であったということにはならない。はなはだしい不公平、重大な利害対立、が深刻に存在した。
>>そうした条件下では、対立は単に不可避であるばかりでなく、民主政治にはよいことだった。
なぜなら、民主制が寡頭制へと堕落するのを防ぐためには、単に同意だけがあればいいというものでなく、同意と共に対立があることが必要だからである。
前5世紀の大半を占めた国政の関する論争では勝利を収めたのは民主派の人々だった。
>「そして彼らが勝利を収めたのは戦ったからであり、しかも激しく戦ったからだ。彼らの戦いは党派的なものであり、アテナイの強みはまさにそこにあった。
この党派的戦いは必ずしも階級闘争でなかった。それはまた富者や家柄のよいものの支持を得ていた。
民主派はまだ資産家であり、しばしば資産階級に毒していたという事実に当時の批判者は気づいていなかった。」
「要するにギリシアでは公共儀式にまつわるかなりの費用も含め、統治にかかる費用を賄うのも、戦争で主に戦うのも、富裕層の役割であった。
そこで、帝国の創設と維持は一体誰の利益に適っていたのだろうだろうか。」
第三章、民主主義、合意及び国益より
次の引用はマルクーゼのテーゼの消極的な焼き直し、であり、マルクーゼは<合意のつけを払うそれからはじき出された人々>こそ体制変革の原動力、としている。
「今日、一つのイデオロギー的な合意、つまり{民主主義的な}信念の抽象的、一般的な表現に対する同意が存在することは確かに否定することはできない。しかし、問題はそれが反映すると想われる{抽象的満足度}がどれほど、深い欲求不満を抑圧しているか、ということである。
その欲求不満は、{政府の決定に大きな発言力を持つ利益団体に対抗することができない、}という広範な無力感や、それに伴う政治的無関心によって、まさに示される。」(W。意味不明なので大幅訳文調整。)
<合意につけを払うのは、それからはじき出された人々である。>」
「古代アテナイ人にとって、普通の人々である<我々>と、政治エリートである<彼ら>をはっきり区別することはそれほど容易でなかっただろうが、、そのような区別は今日の無関心派の人々の対応にあまりに診しばしば見られる減少である。」
(W.。奴隷制度、交易発展といっても、所詮、自給自足性の強い古代経済だから、カネ儲けに上限があり、今ほど貧富の差は生じない。
前600年代後半のソロンの財産による政治参加の基準では戦艦の漕ぎ手と将軍資格者の1年間の収入格差は2、5倍程度。その後の年月の経過を想定しても古代経済では今ほどの資産年収は生じるはずがない。
ところが現代の庶民の<我々>と政治エリートの<彼ら>との区別の少なさはどういうことか?
国家ー国民国家の政治幻想に自らの立ち位置を見失っているのか。
それもあるが、<彼ら>古代と比較して余りにも富裕になりすぎて支配機構を肥大化させ、庶民は己の立場を自覚させないほどの脳内支配を受けている、ということではないか。
以上の文章を引き継いで
第四章、ソクラテスと彼以後より。
>「政治の分野では、言論の目的は行動を起こさせる所にあり、そのように提起された行動は、変化を望まぬ人々から見れば、国家に対する脅威となるほどにラディカルな変化を政治体制や社会構造にもたらすことがあり得る。
それならば一体誰が~自由と安全との間に両者(W。自由と安全の均衡)が守られることを保障するというようなデリケートな行為をなし得るのか。
このジレンマは民主主義国家に限って見られるのではなく、政治的な決定や行為の最終的な裁可が、何らかのより高い権威でなく、共同体自身にある所では何処でも見られる。」
>>古代の近東の場合のように、神聖君主や神によって定立された支配の場合は問題ない。
アッシリア研究者の指摘によれば、
>>そのような社会では<従順は必然的な最高の美徳となる。>
>>従ってメソポタミアでは<善き生活とは従順な生活のこと>であったとしてもさして不思議でない。」
W。戦前、国体日本などはこの類。
「それとは対照的にギリシア社会では民主政導入の遥か以前から、<主権が共同体にあったが故に、萌芽的に同じようなジレンマ>が見られた。」
「その後、真にに民主的な共同体に移行すると、そのジレンマは大きな問題になった。」
W。フィンリーはこのジレンマに基ずくソクラテス裁判について、リアルな状況説明をするが、根底的な批判的視点は提出していない。
>民主制と帝国主義及び民主制と特定者排除の不寛容社会は、同じ時代、同じ社会で今まで共存してきた。
コレまでの歴史の示すリアルな事実であり、現在もそうである。
民主主義政治には本質的に寡頭制や専制への転換、共同体の不寛容、閉鎖性による特定者排除を含んでいる。
しかし、それらを内在させている国民の政治的同質性と、それも基ずく国民的政治合意の形成は民主制定立存続条件として必要である。(20~30年ドイツ、ワイマール時代の左右の政論家の結論)。
ー政治対立と合意形成は自由と安全のジレンマと同質の問題ー
その視点からフィンリーの「対立は単に不可避であるばかりでなく、民主政治にはよいことだった。
なぜなら、民主制が寡頭制へと堕落するのを防ぐためには、単に同意だけがあればいいというものでなく、同意と共に対立があることが必要だからである。」の引用文を読み込む必要がある。
一般論なのだが。
>フィンリーはこの書によって、アテナイ民主政の生々しい状態を描いて、政治の原理を示し、現代の民主政治の問題点を照射し、行動者に心意気を吹き込んだが、それ以上のものを提起しているとは思えない。
池上彰の民主主義とは何か論は丸山真男の実際の思想、運動を大きく視野に入れた民主主義を永久革命する論を皮相にも有権者の選挙の繰り返しに切り縮めたもので、結局、民主制は民主制だから良いのだ、というものに等しい。
だから唐突に北朝鮮を引き合いにだす必要があった。
日本の近代思想によくある<時と場所を選ばない>でっち上げ排外思想である。
>フランスの人権宣言200周年を中心に議論されてきた人権の一般化、普遍化の思想は興味深い。
~その人間個々人の普遍的同一性を問う。
「それは人間が自由だということである。勿論自由とは無制約ということではない。
>むしろ<自律>と言う意味である。
>自律とは文字通り、自らが決めた規範によって自らを律することである。
確かに人間は全知全能でないけれども、自然の秩序、歴史などによって、人間のあるべき姿が一方的に定められている訳ではない。
>人間は反抗する。
>人間のあるべき姿を決定する権限は人間自身の手にゆだねられている。
この意味で人間は絶えず、個人のレベルでも共同体のレベルでも、将来いかなる方向に進むのか、それを決める自由と責任がある。
>人権の基礎は自律的人間主体である。
この様な人権を自律の観点から捉えると、
人権主体の個人のあり方だけでなく、国家の正当なあり方も浮かび上がってくる。
>まずいかなる公的権力も個人の自律性を侵してはならない。
例えば、国家は宗教的心情のような個人の精神領域に踏み込んではならない。
人生の意味や目的は政治権力が決めるのではなく、個々人が自律的に決める。
それゆえ政治や法の公的領域では、私生活の場とは違い、非宗教性(ライシテ)の原則を貫く必要がある。
より一般的にいえば、
>私的なものと公的なものとの分離が必要である
>このような<<公私の分離による権力の限定>>だけでなく権力内部の分離(立法司法行政)~云々」
ーフランス最新事情よりー
<追記>
フィンリー池上彰の民主主義政治論の核心には選挙で選ばれた政権には「独裁的」権力が与えられるとしている。
だとするならば、選挙できない期間の国民はどうして政権の独裁的運営の可能性や諸々の政策の勝手な施行を拒否できるのか。本来ならば、国民市民自らが厳しく監視すべきであり、間違っているとおもえば、その時点で自ら立ち上がって、NOを表明すべき筋合いのものである。
大衆行動の本来の大きな役割は、そういうところにある。
ところが、日本のデモの多くはスケジュールに沿ったもので、参加誘導もベルトコンベアーのような手順で組織的に行われている。
デモはデモとして現実政治と別の次元で行われているが如き様相を呈してきた。
日本のマスコミが国民、市民の代表を自称して、(新聞は社会の木鐸とか云うわけのわからない死語や不偏不党を自称して)国民市民の選挙と同じぐらい大切な選挙のできない期間の国民の政治行為をマスコミが政治報道によって、代替してきた。
ズットそうしてきたからシステム化した虚構とさえなっている。
全国紙の発行部数が単独で1000万部とか800万部とか自称している。
話を半分にしても、世界に類を見ない異常な状態である。
この全国紙の系列に全国テレビ網が各々連結している。ラジオもだいたい同じである。
記者クラブ制度の結局何も変わらなかったが、政官業の一次情報を独占する仕組みである。
販売価格協定も独占禁止法から除外されている。
これらは物理的組織的資本的巨大な力であり、システムとして、国民政治参加の代替をしている、というか実質は国民を情報の完全な受け手にすることで、政治と国民の間の生のかかわりを遮断する巨大なカーテンを作っている。