反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第10回。古代ギリシャの戦争と民主政。同時代の世界共通、専制国家の道を歩まなかったアテナイ民主政への鈍感。

 アテナイの場合、以上に加えて、多数のオールの漕ぎ手を要する戦艦の充実に軍事的活路を見出していったこと=多数の漕ぎ手は重装歩兵のように自前の軍備を必要としない、肉体提供だけでよかった.
重装歩兵以下の貧困市民が採用され、結果的に政治発言力を得るようになった。
アテナイ民主政拡大の特殊要因である。
 
 アテナイ民主政発展の決定的要因はもう一つある。
 
 フィンリー引用。
 
「要するに、前5世紀後半の完璧な民主制は、もしアテナイ帝国?が存在しなかったならば、導入されることはなかった。~前6世紀半ば以降、民主制はギリシャ社会の中で次々と現れ始めた。
その民主制は意思決定に当たって富裕層により大きな比重を与える一方で、貧民層に一定の政治参加、特に役人を選ぶ権利を与えるという妥協的な制度だった。
 
この比重はアテナイで次第に変わっていったが、
>>その際に作用したアテナイ独特の変数はアテナイが帝国であったことである。

 その後、前5世紀の終わりごろ(対スパルタ戦争敗北)帝国が力ずくで崩壊させられたとき、この制度が深く根付いていたので、前4世紀になって、
必要な財政基盤を提供することが困難になっていたにもかかわらず、誰もそれを取り替えようとしなかった。」
 
>>W。27年間に及ぶ対スパルタ、コリントス、テーバイのペロポネス同盟への降伏=帝国の覇権の崩壊~。
帝国の政治的軍事的圧迫、経済的収奪体制は弱体化しても、民主制を維持していたのだから、これぞまさしく非帝国的なデモス民主政に近づいた、といえる。
アテナイ民主主義は帝国的都市国家の崩壊と共に成熟の域に達したのである。
 民会や裁判の発言者の記録が比較的キチンと保存されているのは帝国崩壊後の前300年代であって、
それまでは必要最小限の行政的事務手続きの記録しか残す慣習しかなく、重要事項は石碑などの手段で広場に公示されるだけだった。

 face to faceの民会主導の直接民主政治、各種行政への市民参加、官僚制の拒絶、党争の原因になる政党忌避の神々の共同体社会は
統治システムの肥大化を意識的に回避する言論優先の政治行政社会だった。
>>そういう民会や裁判の記録も蔑ろにしがちな民主政の自然発生性は帝国崩壊による経済基盤の弱体化の中で、合理的に克服されていった、とみる。
 
帝国としての政治経済の余裕がなくなって<海軍、公共事業、神々の祭儀、市民の公務参加の手当て、食糧輸入の財源>政治選択の余地は狭まった。
こういう時期に、今更ソクラテスプラトンの云うような民主政を放棄した寡頭政治にしても、実際のところ、今までのアテナイ市民生活は維持できず、幸福をもたらさない、と市民は感知していた。
市民は二度にわたる短期間の寡頭制に対して武器を持って蜂起して民主制に戻した。
>>アテナイの得られるパイの縮小、という動かしがたい現実を前にして、
民主政を放棄しても、得るものは多くないないと解っていたのである。
言い換えると、アテナイだけではなく、ギリシャ社会文化全般に見られる世界的普遍性に始原的回路を開いた稀有な徹底性、独創性は
古代の全時代をかけた戦争と平和、生活と文化に育まれ、古代ギリシャ世界に根付いたものであって、
目先の状況に単純反応して、投げ捨てられる性質のものではなかった。
 
>>長文引用。「ギリシャ、ローマ世界における他者」から、中村滋「数学における他者ー先輩エジプト、バビロニアからインドアラビアまで」。
 
「エジプトやバビロニアには実に豊かで見事な数学が存在していた。それなのに何故、学問としての数学は古代ギリシャに始まるといわれるのでしょうか。~
公理を立て、言葉の意味をハッキリと定義した上で、抽象的一般的に言い表された定理、公式を、純粋に演繹的演繹に証明していく。
ウィキペディアより。一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る推論方法。対義語は帰納帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、
演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。したがって実際上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられれば、誤った結論が導き出されることがある。)
 コレはアゴラに集まって政治や哲学を論じ、時には科学も論じた議論好きな古代ギリシャ人にとってもっとも{自然な}数学のありかたでした。
<W。アゴラ。都市国家の中心部の神殿、劇場、行政建物、給水所と共に備わっている市民の集会開催広場。市場としての機能も併せ持つ。都市のあり方と民主政治は関連する。日本の城の直下に広場はない。専制支配に端を発する地域は全部、同じ。)

こんな数学が、<ヨーロッパから見るとあまりにオリエント的で、
オリエントから見ると余りにヨーロッパ的といわれるギリシャという地に生まれた。
~~古代ギリシャ人は本当に変わった人達だったのですね。
そんな風に考えたのは変わり者のギリシャ人だけでした。
整数の比でかけるという点までゆるがせにせず、徹底的にこだわり、二次方程式が与えられれば
解の公式で完璧に解く、こんな態度がやがて近代科学を生むことになり、さらに遅れて、現在の技術を生むことになるのでした。
一言で言えば、古代のギリシャ人が始めた<厳密な論証>数学の延長線上に、現在の快適な生活があるといえるのです。
二次方程式の解の公式は学校を出て使ったことが無いから教える必要が無い、といった人がいます。その想像力の乏しさには呆れてしまいます。
この人は」テレビを見、電話をかけ、電車や自動車にも乗るでしょう。そんなときに誰かかが二次方程式を解いたことに気づかないのですね。
生活の中で二次方程式を解く必要がある人なんかいません。
でもそれをキチンと扱う精神のあり方こそが、現在の便利で快適な生活を支えていることを決して忘れてはいけません。」
ギリシャ数学の精神。彼らは実用上、間に合うかどうかということで物事を判断しませんでした。
その本質的な姿をしっかりと見つめ、徹底的にこだわったのです。
~すると、ギリシャ以前とギリシャの数学を画然と分けるものは<証明>があったかどうか、という一点に集中します。
そして、これこそが古代ギリシャの数学を特徴付けるものなのです。
その初期には直感的な証明が主流だった、とおもわれます。しかし驚くほど短期間に直感に頼る証明は影を潜め、見事な演繹的証明法が完成したのです。
こうして学問としての数学、まさに一から学ばなくては理解できない学科が出来上がります。
証明を発見したことにより、数学は永遠の命を獲得することになりました。」
長い引用終わり。以上は数学の分野だけに限らない内容を含んでいる。
 
>>古代ギリシャの歴史に触れると、まずなにより、当時の世界共通の専制国家という道を、実際の政治行動、政治改革によって、拒否して、彼らだけが異例の道を歩んだのかという、
素直な感嘆、と疑問が沸き起こってくる。
それがなければ、古代ギリシャは民主主義発展の出発点の歴史階梯に過ぎない。
 
>次の引用箇所からはその手の安易な民主主義観の精神が伺える。桜井万里子「ある銀行家に妻の一生~前4世紀のアテナイ女性像」
 
 ヘロドトスの<多数のための統治であるが故の民主政治>、という言説を受けて、
「多数者のためといっても、そこで述べられている多数者とは男性市民の多数者に<過ぎず>(W。簡単に過ぎずとされては)、女性がそのような統治を享受することはまったく認められておりませんでした。
アテナイ半数を占める奴隷に至っては人間としての扱いを受けることさえほとんどありませんでした。
>その意味で、(W。問題の立て方で結論は限定される。)古代ギリシャの民主政は、<今日のデモクラシー>とは大いに異なります。」
 
 古代奴隷制度がなくなろうが、女性に参政権が与えられようが、現代民主政は少数者の多数者支配の一統治形態である。ゆえに多数者は永遠にそれを変革する必要がある。
 桜井万里子センセイ(東大大学院教授)の大先輩の丸山真男さんのご高説ではそういう結論に達している。
現代民主制にはイロンナ意見がある、と最低限程度、読者に告知するのにたいした手間はかからない。
 本論の中身を見ても、そういう問題意識は伺えない。
それどころか、センセイの「 」の文章と本文で描く世界は違いすぎる。
 読み方によれば、センセイの「 」内の持論の否定になりかねない。
少なくともアテナイ非市民エリートにはローマに通じる寛容性融和性の世界があった、という理解に達するはずだ。
 国家による都市共同体存続の強固な家族制の継続の法的枠組みにおける女性に地位の低さは、驚くに当たらない。
古代共通の国家存続のために、家族生活まで国家権力が干渉するという個人や家庭生活よりも共同体や国家を上に置く、古代的「合理主義」の現れである。
古代都市国家は強くなければ、生き残っていけなかった。優しくなければ生きていく意味がないとはおもわなかった。
 
桜井さんが本文で描くのは以下の世界。
 
 元解放奴隷から身を起こし、大詐欺師まがいのあこぎ金貸し行為も駆使して(金融業も家内業で自立性の弱いアテナイではまともに金貸しをやっていたら短期間に蓄財できない)得た資金による数度にわたる戦艦運用費用寄付の国家奉仕によってアテナイ市民権を「買い取って」
有数の財産家になった人物と、
死別後の遺産に恵まれた非市民の妻の裕福な一生に訪れた身内間の欲とカネまみれのイザコザ。
 
以上が本論で描かれた世界の全てといっていい。
そのどこに「 」内の言説の証明があるのだろうか?理解に苦しむ。
 
>民主政の制度成文はあくまでも、法的形式であり、本質は少数の支配層の暴力装置の支配を根幹とした、民主政や国民国家、民族的同一性の政治幻想の手段を用いた、圧倒的多数者への支配である。
 その民主政は内外の経済政治環境に応じて、強権化、民主化する可変性を有する。
なお、そうした国家統治形態は上記のように国家と市民社会の分裂を常に内包しているが、市民に公共性、安全性も付与されるシステムである。
 
 >現代においても民主政は世界的にも、国内的にも、大いに偏在しているのである。
 桜井万里子さんのところには古代ギリシャと大いに異なった民主政が充満していようだが、
この日本でそういう環境に乏しい人はたくさんいる。
 この日本で民主政を満喫できる少数派の輩が各担当部署で、少数派支配の実態を隠蔽し、
庶民の生活実態から遊離した民主主義の一般論の刷り込みによって、
多数派の国民の無抵抗状態の泥沼を演出している。

続く。