反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第9回。古代ギリシャの戦争と民主政。アテナイ部族制の民主的再編と課税、重装歩兵大隊、。都市国家全般の自給自足経済。

1、アテナイ帝国化と富者、貧者の利益と負担。
Wのまとめ。
A)市民への税金の課税の仕方。<アテナイの社会構造がハッキリする重要ポイント>
各部族ごとにまとめて課税され、部族から下に下ろされる。
 
 財産や所得に対する直接税は原則的に専制的であるとみなして避けていた。ーフィンリー
例外。戦争などの緊急事態には重装歩兵以上の層に臨時財産税。
(W。3年のうち2年はどこかで戦争をしていた。)
 
 戦艦の漕ぎ手のようなコレといった財産のない層は課税しなかったが、貧困市民層でも1、5ヘクタール程度の土地所有者。
乾燥地で地味は表土薄く痩せており、穀物生産に適さないから貧困層の生活は楽ではないと想定さる。
この点においても帝国の戦争願望が参政権を得た市民下層から沸き起こってくる必然がある。
 
 交易先進地アテナイといえども経済の基本は自給自足であり、所有地からの食料調達がなければ、生活は成り立たない。
 
 シャムー「ギリシャ文明」引用。
「そうした交易品で実際に何人かの貿易商(W。その多くはアテナイ市民ではない)と船乗りたちの生活が維持されていた。
(W。交易船は100トン未満、簡単な帆掛け舟であり、航行の季節は春から夏に限定。全体の交易量は限定されれる。。戦艦も沿岸航行で例外を除いて外洋には出ない。)
 
 重要な取引の場はアテナイコリントスなどいくつかの特権的都市に限定。
(W。貨幣も度量も都市国家間でバラバラだから、経済力が特権化するし、コレだけ見ても都市国家の自給自足性がわかる。)
 
 >他方、大部分のギリシャ都市は、そうした交易活動には加わらなかった。
>彼らは、その土地の産物に基盤を置き、自給自足を理想とし、商業はローカルなものに限定した。
事実、ギリシャ人にとって海からの誘惑よりも農民的伝統の方がズット強力だった。
(W。都市はあくまでも政治行政センターであり、アテナイでも都市生活者は全住民の3分の1程度だが、ギリシャは都市が農村を支配している都市国家の世界。)
 
 彼らの賛嘆の念を呼びこしたのは、勇敢な船乗りよりも重装歩兵=ポリプタイ(W。この語感はポリスの兵士で、重装歩兵ではないとおもうが)だった。
植民活動が盛んに行われていた時代でも、彼らが海のかなたに求めていったのは、商売ではなく、新しい土地だった。」
 
 従って、今風の自分の労働力を売って、生活を回していく層はアテナイ市民の中に存在しなかった、といってよい。
 
 そういう実存形態に相当する層をあえて指摘すれば、全住民の40%を占める奴隷層である。
A)古代奴隷ーB)身分制による土地縛りつけ=農奴ーC)生産手段から切り離された現代の労働力商品のみの所有者=賃金奴隷という被搾取労働力の変転の系譜。
 
 C)の歴史段階において西欧では市民革命が発生し、被搾取、弱者にも諸権利が分配された。
 
 日本では経済的な市民革命は敗戦によって、到来したが、政治的な市民革命は法的成文に偏在した状態で市民生活の中に根付いるとはいえない。
 
>そういう状態で、<<歴史的必然としての経済的相対化>>(戦前戦後に渡る先進国の世界経済に占める割合を比較した結論。全ての先進国の占有数値は大きく後退しており、日本のみが例外であるわけがない。)を前提にすると、<<改憲して国民規模の生活労働健康環境の現状維持ができるかどうか>。
 
 世界経済全体は成長するが、成長は不均衡。 
 
>今目の前の日本政治過程において発生している政治事態の本質は、縮小する国内のパイに対して自分たちの取り分をできるだけ大きくしようとする支配層の策動と断定できる。
 
本論に帰る。
 
B)各部族に割り当てられる司法行政の合議制の官職(W。一定の人数を割り振られた部族内での抽選)。
軍の編成は太古の昔からの原則を保持。部族を通じて徴募された兵士は大隊に編成され、同族の指揮官。
 
 シャムー「大隊は<部族>という意味の<ヒュレ。その指揮官は<ヒュラルコス>」
 
>>重装歩兵集団の強力な結束の絆の基礎は部族。アテナイの徹底した民主政志向はその部族を政争の火元になって来たから4から10に抽選で再編し、さらに居住区に分けて、市民の戸籍の認定にしている。
伝統的貴族支配の基盤に大胆に手をつ込んでいる。
 
>>詳細は次のようになっている。世界史の研究 作成者:松本 徹全文引用。
 
<<クレイステネスの改革>>(W。前508年。対ペルシャ戦争<前490年>民主化は戦闘力に転化した。)
 クレイステネスの改革は次のようなかたちで行われた。

1. アッティカ全土を都市部・内陸部・海岸部の3つに分ける

2. その3部をそれぞれ10の地区に分ける
・都市部:1地区、2地区、3地区・・・
・内陸部:1地区、2地区、3地区・・・
・海岸部:1地区、2地区、3地区・・・

3. 各部の1地区ずつをくじ引きで結合して1部族とする
(例)
・第1部族:都市部2地区、内陸部7地区、海岸部4地区
・第2部族:都市部5地区、内陸部1地区、海岸部2地区
 (以下、省略)
※ 10部族のすべてが都市部・内陸部・海岸部の地区 (トリッテュス) から成るため、市民間の利害が中和された。

4. 1つの地区(トリッテュス)をいくつかの行政区(デーモス)により構成

5. 10の各部族が選出した50人の評議員が、五百人評議会を構成する
評議員は各行政区(デーモス)からだいたい人口に比例して選出された(比例代表制)。

 前508年のクレイテネス民主改革は部族、氏族、地縁の旧来の繋がりによる政治紛争を回避するため抽選によって、4部族制から10部族制に再編し、市民の戸籍(コレがアテナイ市民、個々人のデモスとしての所属=特権)のような所属をハッキリさせた。
 
 以前のアテナイは4部族。
ギリシャ都市国家は家族ー氏族ー部族(市民軍)=国家(様々な国家宗教)の社会構造。
 
 全ギリシャにおいて、自然的絆の氏族社会の族長的権力は都市国家の狭い枠の政治や都市間の戦争による市民の動員=市民の政治力の強化などの要因から、弱体化していった。
 
 以上の文脈から、教科書的に云えば、市民軍主体の重装歩兵方陣形(動員力を誇るアテナイ、スパルタ1万人程度)の確立と民主政の発展を並行的に見る視点は正解。農奴的奴隷を多数抱えるスパルタも市民同士の平等性は異常なほど確立しおり、その地上軍がズット、ギリシャ一だったことから、古代ギリシャの戦争と民主政に密接に繋がりがあることがわかる。
 
 都市国家同士に分裂し、絶えず戦争をやっている、という現代の平和主義的観点からの批判があるが、よ~く考えると、都市国家に分裂し、恒常的な戦争状態と、全ギリシャ儀礼、神話の統一という稀有で奇妙な均衡が同時代の古代史の常道=専制国家から、逸脱したギリシャ都市国家の民主政を育んだ。
 
 
極端に言えば、分裂したままで、組織暴力を動員したイザコザが絶えなかったからこそ、人類史上、稀有な古代ギリシャ民主政は育まれた。
 
もっと遡れば、ミュケナイ文明が崩壊し、文字も必要でない遊牧牧畜の真面目?で粛々とした素の生活に戻ったからこそ、古代ギリシャの民主政は育まれた。
結果的に創造的な徹底破壊、イノベーションだった。
大きな建物を建てるとき更地にする。
人は必ず死ぬ。絶対的真理だ。
 
私の個人的趣味からいえば、ギリシャ文明などなくてよい暗黒時代のままでよい、といえば言いすぎか。
だって、古代ギリシャ世界に生まれていたら、さしずめ奴隷身分なのだから。