反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

連載開始にあたって~「政友会と民政党」井上寿一(ひさいち)著~例えようのないユーモアを「発見した」~<2012年11月25日発行、(民主党野田内閣最末期)>中公新書。

 さてと。
 今回から井上寿一(としかず)著「政友会と民政党」2012年11月25日発行、中公新書
自分流儀で修正しながら書き写し、戦前の二大政党の政争を軸に大正デモクラシー~満蒙紛争~満州国樹立(国際連盟脱退)~日中戦争拡大~太平洋戦争突入までのリアルな1930年代日本史を追跡し、「再構成」していきたい。
 この本の読後感。
(1)全体を通じて、たとえようのないユーモアを「発見する」のは、この著者の「政治思想」を徹底して小ばかにしているせいかもしれないが、とにかく単純に面白かった。
 
(2)書いている本人は大まじめ、のつもりなんだろうが、戦前日本の帰趨を制した1920年代~1930年代を論述する際の、著者の緊張感の欠如ぶりと
描かれている二大政党の主要政治家どもの、あまりにも政治的すぎる魑魅魍魎としか言いようのない政治空間が適当にブレンドされ、例えようのないユーモア空間を生んでいる。思わず、失笑の漏れることが何度もあった。
 
  (1)(2)に関して。
戦前日本の帰趨を制した1920年代~1930年代を論述する際には、どうしても、当時の日本内外の社会経済構造の大枠を概観する必要に迫られると思うが、著者には、その方面の問題意識に乏しく、ひたすら、二大政党の政争空間を追っていく。これだけで、大ボケもいいところである。
社会経済構造を文中にさりげなく埋め込む描き方はあると思う。例。「パク、チョンヒ最後の一日~韓国の歴史を変えた銃声~」趙甲済著、草思社。能力と、日本の政治思想の限界である。前回まで連載してきた言語学の方面の最終的結論から言えば、日本語の現状にも由来していないことなない。
 
しかし、面倒なことを省いているせいか、それが読者に読み物として、あまりにも政治的すぎる魑魅魍魎の主要政治家の所作に親近感を持たせている。
「歴史的必然性」の万力に縛り付けられた1920年~1930年代日本において、こうした政治家どもが、日本の社会経済構造の中で<踊る人形のような役割を果たした>のではなく、それなりに正当な理由のある政策を追求したにもかかわらず、トータルとしての政党政治のやり方あり方が悪かったから、政党政治は、どうしようもないところまで至った、と大きな錯覚をもちながら読み進められる。
俗にいう軍部台頭、政党政治のあまりにも早すぎる終焉だが、「反俗日記」では以前、この辺の政治過程をとらえる方法として、社会経済構造の分析に流されてきたことから(経済決定論を自覚するが、軍事予算国家予算の約半分。1927年の普通選挙選挙実施など話にもならん!この時すでに日本の大きな進路は決していた!恐慌以降、1930年代半ばの、日中戦争本格突入までは景気は良かった。戦争政策によって、一時的に好景気が続くことがある。)、政友会と民政党の関連に絞って、丹念に綴ったこの本によって、1920年代~1930年代論のリアルな中身を詰めていきたい。
 
 本のページをめくる時、誰しも面倒なことは考えたくない。それは別枠として考え、後回しにして、先に進みたいものだ。
 
 中公新書の編集部からの書き下ろしの注文に応じたことと、政権交代後の民主党政権の混迷の時期(世界同時不況、東日本大震災福島原発事故の未曾有の天災人災と民主党政権時期が重なったとを抜きにその政治混迷は語れない)に問題意識を持ち、丹念に文献資料を追跡しながら、時間をかけて、書き出していったということだが、それなりに有名な政治学者、歴史学者としては、驚くべきことである。
 
 引用。
「戦前昭和と今日の政党政治を比較すれば、何か示唆を得られるのではないか?そう考えていた時、中公新書編集部~から政友会と民政党をテーマにとする新書執筆のお誘いを受けた。~
次の総選挙よりも前に(W執筆時期は管内閣末期から野田政権と思われる)、日本の政党政治を歴史的な観点から、考える手がかりを提供したい~。
政友会と民政党の党機関紙を読むのは楽しかった。
*しかしそれを文字にするのは難しかった。刊行日が近づく、立ち往生しかけた。


W。戦前の文語調の現代訳という難しさだけではなく、おそらく歴史的な観点から解釈することに歴史家としての限界を感じたのだろう。政友会と民政党の機関誌を歴史的観点から、読み込むためには筋道の通った歴史観、それを支える政治思想が必要だが、著者に、そういった特定のものは認められない。
 しかし、それなりの工夫はしているのだ。それが、本人にそのつもりはなくても、例えようのないユーモアとなって表れている。結局、戦後の日本の視点からみると、どうしようもない権力野望に突き動かされ、引きずられた政治的人間たちの蠢きという想いはぬぐい難く、それを事実関係としてあからさまに書けば、どうしたことか、ブラックユーモアのごときものになってしまうのか?
 
 引用。4ページ以降
「ところが政友会は反政党の政党だった。この逆説は三つの観点から説明できる。
第一に政友会は国家の利益を最優先する公党(W?その国家とは?)だった。国民の利益を重視する民党を政党と呼ぶなら、政友会は反政党の立場に立つ。~
第二に政友会は民党に対する吏党(政府を支持する政党)の系譜を持つ政党だった。~
第三に政友会は伊東の個人政党だった。~伊東は19世紀(W!)のイギリスの政治家ディズレリーの言葉を引用しながら『東井雲はまた絶対にその投手に服従しなければならぬ』と強調する。
伊東にとって政党政治家であることは選挙で選出されたか否かを問わなかった。政友<党>ではなく、政友<会>の名称を持つ政友<会>は、近代的な政党組織とは異なる彼の個人政党だった。」
W。維新の<会>→維新の<党>へ。100年も前の政治感覚なのか、どうか知らないが、政党という集団の歴史的に形成されてきた本質的意味が自他共にわかっていなかった、ともいえる
 
 引用。 13ページ以降
第一次世界大戦勃発に際して土岐の、大隈重信非政党内閣は、日英同盟に基づいて参戦する一方で、中国に対して21カ条の帝国主義的な要求をつきつけた
>対する原の政友会は、対米協調の立場から参戦に反対した。アメリカは中立、参戦回避の姿勢だった。
そこに21カ条問題が起こる。アメリカは日本を批判する。 
大隈内閣と対立していた原の政友会は、対米協調路線を強める
アメリカが参戦へ転換する政友会も参戦支持へと転換する。
*政友会にとってこれは路線転換ではない。対米協調で一貫していたからである。」
以上、初っ端から、こんな調子である。
*政友会にとってこれは路線転換ではない。対米協調で一貫していたからである
なるほど言われてみればそういう見方もできるわけだが、政治学者、歴史家としては、こういう明け透けな表現はできないものだ。事大主義という便利な歴史用語もあるし、原の政友会の対米協調<路線>も大隈内閣に反対する政治戦術の域を出なかったも解釈できるわけで、その後の両党の政争史を総括すると、そういう明確な政治路線なき風見鶏的戦術対応し終始した、互いの応酬だった、と総括できる。
著者によれば、アメリカの台頭をいち早く見抜いたところに原敬(1921年暗殺。大正デモクラシーの時代)の先見性があったとしているが、果たしてどうかな?
期せずして毒ガスユーモアになっている。現在の日本政治においても~。


 こんなことは今に始まったことではなく、何度も経験している。追い込まれてどうにもならなくなったときは、モダンホラー小説の帝王スティーブン、キングの言葉に救いを求める。
『大切なのは、気分が乗らず、あるいは、手詰まりで書きあぐねたからといって、自分が地べたにへたり込んで汚泥をほじくり返しているとしか思えない時、案外いい仕事をしているかもしれない』」
「いい仕事」だったか否かはともかく、何とか書き上げた。


*W。以下は、野田政権の民主党政権の行く末、当時の国民政治意識の変化の状態を見届けられた時期に執筆したにしては、政局の推移に対する的の外れた<周回遅れの問題意識>である。


  引用。あとがき。
~戦前昭和と今の二大政党は悪いところばかり似ている。
民主党民政党から学ぶべきは、官僚を批判するよりは使いこなすことだろう。~
<昭和デモクラシー>の発展のために、民政党新官僚と提供し、社会大衆党や陸軍「統制派」にまで手を伸ばしたことは、今日の文脈で再解釈するに値する。
 
 他方で自民党が政友会から学ぶべきは何か?
1930年の総選挙で一敗地にまみれた政友会は反省した。東北の農村から東京のスラム街まで徹底的に調査した政友会は、荒祐る階層の求める政治から政策を導きだ出そうと試みた。
自民党も政友会と同様に包括政党を目指すべきである。」


W。著者の論述では、戦前の二大政党は戦後の保守合同によって、両党合体で自民党に継承されたとしている。
民主党=戦前の民政党自民党=戦前の政友会とここで敢えて類推するのは、当時の政局の表面だけの形式、便宜を優先した根拠なき理屈である。
この時すでにその先の総選挙による政治過程は政治学者、歴史学者として予測できたはずである。
そういう意味からも、そのような類推に大きな価値があるとも思えないし、現状の自民公明政権と野党の力関係を見ればなおさらである。
 
W。上記のように民政党の短い政党史を教訓化していることから、やはりこの本の例えようのないユーモアは、作家として努力の結果、生み出されたものではなく、著者の資質と、物語対象のあまりにも政治的人間すぎる魑魅魍魎ぶりの融合した偶然の産物であるとしか言いようがない。
本人は大まじめに、政友会、民政党の政治史を追跡していたのだ。
 
 がしかし、よく知らないが、今の日本の政治学者、歴史学者は、近代史を社会経済構造を抑えながら、記述するのではなく、物語として、語る傾向にあるのではないか
井上のこの本の最大の欠陥はここにある。
この前の言語学をめぐる不消化な記事の中で言及した新井利明著「『敗者』からみた中国現代史」と同じ方法である。文献資料にも続き、事細かな長い共産党内部闘争の過程を文献資料に基づき丹念に追跡した方法は中国共産党党内闘争史としては、価値があっても、そこに中国現代史を見出すことはできない。その時代の社会と経済を根本的に突き動かす、各々の構造、社会経済集団、階層の相克が全く不鮮明である。
これは、日本の高度経済成長以降、バブル経済崩壊までの30数年の長期の特殊日本的な内外状況と、冷戦体制崩壊以降のグローリズムによって、形成された非社会構造的な歴史観に原因がある。
また、日本のその方面の専門家に特徴的な、重箱の隅をほじくる作業に溺れてしまう特色が出ている。説得力のある戦略性を持った政治思想や観点はいつも日本の外からやってくる。それを消化するのが日本の役割である。それ以外の全部、このような重箱路線の観点か、外国人に理解しがたい倫理と論理の満開したものでしかない。自分の例外でなく、そういうものにひきつけれれて行く傾向が根強くある。
 
こういう物語に流れる方法を採用すると、当時の歴史の流れの重大局面で政友会と民政党の政争史が果たしていたリアルな役割が評価できなくなる。どの時期のどのような政策が時局に便乗、あるいは促進した決定的に誤ったものであったのか、はっきりしなくなる。事実この本に著者がそういった特筆した個所はない。
 
文献資料を駆使して、事細かな両党の政党史、政争史が、それなりに興味深く読めるように工夫されて、続いていく、のがこの本の最大の長所だから、社会経済構造的な観点から、そうした事実関係を、再構成する必要に迫られる。それができたら、この本の最大の欠陥は、むしろ、長所となる。
関係略年表が最後に載っていて参考になるが、あまりにも細かすぎる。やはり、そういった研究姿勢の専門家であるらしい。
 
>最後になるが、コンピューター、デジタル化の時代。
先にあげた「『敗者』からみた中国現代史」荒井利明やこの著者のような、文献資料を丹念に読み込み、整理して順序良くで記述することは、アナログ時代に比べて格段にやり易くなっている。
アナログ時代の専門家の仕事のかなりの部分が、今ではルーチンワーク化しているのではないか?
そういった意味でも、このような文献資料中心の仕事の真価が問われる時代である。
しかし、この本に書かれている我々の重要でリアルな歴史の一部は知っておく必要がある。