反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本のODA援助、再考と世界と日本の政治。

前回の記事、中ほど「4)AIIB出現の経緯については、日本政府の対アジア政策、アジア開発銀行の経過を振り返らなければ、現実味を持って理解できない。」以下のアジア開発銀行と日本のODA援助~の関係について、その後の調べで、無理解から混乱した記事を書いていたことが分かった。
 大きな勘違い、はODA予算を二国間援助に限定していたこと。政府から拠出されるODA予算は大きく分けて、二国間援助と国際機関に対する出資拠出に分れており、アジア開発銀行に対する拠出金はODA予算の中に組み込まれている。
外務省広報より Official Development Assistance(政府開発援助)の頭文字を取ったものです。政府または政府の実施機関によって開発途上国または国際機関に供与(W。アジア開発銀行に対する拠出を含む)されるもので,開発途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供
 
ホーム > ODAって何? >日本のODAは?より引用
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Japan International Cooperation Agency、略称JICA、ジャイカ。外務省所管の独立行政法人。政府開発援助の実施機関の一つ。
予算 1550億円(2009年度実績
資本金
7兆6014億円
 
理事長
田中明彦→「イラク戦争については「現在までのところイラクアルカイダなどのテロリストとの関連を示す証拠は、確実なものはほとんどないようだが、これが結びつく可能性は絶無とはいえない。もしイラクの保持しているかもしれない大量破壊兵器がテロリストの手にわたったら、9・11事件をおこしたテロリストであれば必ず使用するであろう。」という認識のもとに、「アメリカを支持しない危険は、日本にははかりしれないほど大きいと思う」と語り、日本政府は米国を支持すべきとした。~毎日新聞より~
W。なお、外務省は公式に、現在でも「イラクの保持しているかもしれない大量破壊兵器」を修正していない。
  
 
   田中の以下の世界の仕分け作業は不可解だが、面白い。
「著書『新しい「中世」』においては、「近代的」な世界システムグローバリゼーションの進展によって変質しつつあり、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界システムへと変化しつつあるとの指摘を行い、そうした傾向が顕著である第一圏域(新中世圏)、「近代」的国際関係が優越している第二圏域(近代圏)、グローバリゼーションに参加する基盤さえ崩壊しつつある第三圏域(混沌圏)という3つの圏域から世界が成り立っているという視座を提示している。」
W。かつての中国の3つの世界論を現代に焼きなおした形而上学的な世界の振り分けである。
この世界の仕分け作業によれば、間違いなくEU圏は第一圏域。東アジアは一部を除いて第二圏域。
 
そうすると、米国は田中の政治思想から云えば、第一圏域となるのだろうが、果たしてどうであろうか?
新たな世界システムとして米国基準のグローバリズムを、世界システム化することを画策中だが、達成できているとは言い難く、そのことによって世界中で問題を次々と引き起こしている。それに米国はバブル崩壊以降、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界ではなくなって、一色化の傾向がますます強まっている。
 
EU圏も制度としては、「近代的」な世界システムグローバリゼーションの進展によって変質しているが、金融危機以降、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界ではなくなって、一色化の傾向がますます強まっている。
 
>米国バブル崩壊、欧州金融危機以降、既存の米国、EUの金融帝国主義化の強化によって、新興世界との不均等発展の矛盾が政治軍事経済争闘として、ますます顕在化していく。アジアインフラ投資銀行と日本米国のODA援助の軋轢もその一環である。
 
確かに、AIIBへの英独仏などのEU諸国の参加表明は、、「近代的」な世界システムグローバリゼーションの進展によって変質しつつあり、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界システムへと変化しつつある」『新しい「中世」』=第一圏域(新中世圏)であるが所以である、ともいえる。
そうすると、ユーラシアから隔絶された米国は、田中の世界の仕分けの番外に位置づけられるようになるのではないか?
 
次の指摘だけは的を射ている!
「東アジアは米国の核心的な利益がある場所でもなく、米国が投入できる力にも限りがある。」中国網日本語版(チャイナネット)」~2014年。第一次世界大戦、新興ドイツと既存の大国の対立の教訓~。
 
であれば、この文脈から当然にも、日本を下請けとして徹底変質させ、この地域の米国権益の拡張に使用しつくす。コレを受けて日本支配層は冷戦体制のレントを加味された国民の資産を取り上げることに米国との共同利益を見出していく。
 日本の国民資産の収奪と貧困化による巨大な低賃金労働力層の創出の日米支配層共同の収奪構造の確立という内向き志向だから、アジアインフラ投資銀行よりも既存のアジア開発銀行が日本にはあるじゃないかで良い。国内においてパイの大きさが少ししか増えないのだから、どれだけ大きなパイを奪い取るかの国内資産の争奪戦に関心が集中しているから、中国やアジアの投資などに関心が向かわない。
もっともそう云う内向き志向でなければ、平常心を保てない理由がある。
 
>実際に、GDPの倍の1000兆円の公的借金。歳出のうち国債償還費と利払い費、合計24,3%。防衛費も粉前までは3%程度と思っていたが、いつの間にやら5%に膨らんでいる。金利政策不能の0金利状態では、ODA予算の増額はできず、アベノミクスの強引な円安政策で精いっぱい。
H、26年度一貫会計予算の概要(財務省)←後先考えず、庶民に負担を負わせる消費税増税にまい進するしかない。そして増税~消費需要低迷によるアベノミクスの頓挫を逆手にとって、不意打ち総選挙、大勝。支配層への国民多数の所得移転の時間の猶予と体制は整った。2020年東京オリンピック開催の前年まで政権は続く。
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   W。1980年以降の日英米独仏のODA実績の推移を統計ツールを使用して作成したが、いつごろか、ブログに張り付けられないようになっている。この図によって、日本のODAとひも付き援助の関係が1985年バブル崩壊以降のにほんけいざいのていめんとのか推移で良くわかる.
 
> バブル崩壊後の1992年に日本はトップになった。以降の推移はODA拠出を国内の公共事業のように利用してきた側面がわかる。もっともその儲けは国内の比ではない!そのまま経済長期低迷で横ばい。
>英独仏の基調は緩やかな右肩上がり。
>2000年代に入って、米国の上昇ぶりは異常。世界市場への政治工作が格段に飛躍したことを裏付けている。
*他国の比べて、日本のODA援助は、長期展望に立った世界市場に対する政治工作というよりも、目先の自己本位の都合によるものと云われても仕方がない。
 
引用。中央日報日本語版]「【コラム】「他人のお金で北のインフラを構築しよう」
「『ADBは日本政府の下部機関か』という声まで出てきた。実際、研究の結果、日本の海外借款(二国間ODA)とADB(アジア開発銀行)の支援パターンが似ていることが確認された。
 さらに重要なのは、アジアのインフラ投資需要に比べ、現在のADB資金供給能力は非常に不足しているという点だ。アジア太平洋地域のインフラ投資需要は年間7000億ドル規模を超える。これに対し、IBRDとADBが可能な支援は5%にもならない。AIIBのような第3の開発銀行がいくつか追加で誕生しても足りない状況だ。」
 
 
 
 主要国のODA実績の推移 W199年以降。
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この中国発信の論説のもっともその後に続く、米中関係論は大きな戦力差のあった朝鮮戦争ベトナム戦争の全面戦争の米国敗北の指摘については間違っていないが、全面戦争を前提として、「協力の可能性は、衝突の可能性を上回る」、ので協力して「日本軍国主義の復活の抑制に共同責任を持っている」というくだりは間違っている」
>これからの日本の基本動向は中期的には、あくまでも対米従属の枠内でアジアと世界に覇を求め、その渦中で国民多数の資産は日米支配層に徐々に剥ぎ取られ(上位所得移転)、対米従属覇権によって低強度戦争状況は常態化し、長期的には、日本のイスラエル化が懸念される。
 
流布されている古くて単純な昔の軍国主義の復活をイメージするといつも日本社会の実態とは違った説明になる。
1929年以降の世界大恐慌受けて、1930年代初頭の高橋是清の財政金融拡張政策によって、軍需拡大をけん引として日本経済は1936年の日中戦争拡大まで、見せかけの拡張をした。工場はフル稼働し失業者は減って賃金は上がった。並行して、国政における政党政治の力は弱まって、軍部の力が拡張した。この政治過程のなかで唯一の侵略戦争絶対反対を掲げた日本共産党は1930年代初頭に治安維持法の強権によって壊滅した。
 この30年代の政治過程を現状のリアルな内外関係に応用すると、まず何より、政治軍事に特化した危機意識を煽る政治手法は、一部の人々に受け入れられても、多数者の感性に響かないという、ことである。
1930年代でさえ、世界恐慌以後の経済発展があったりして、社会は奥深い様相を呈している。
 
 確かに戦争絶対反対は正しい。しかしその正しさの絶対的な担保は、第二次世界戦争の勃発と日本の敗北というリアルな結果においてである。
仮に、歴史的長期にわたって、そういった結果がないとすれば、戦争絶対反対や天皇制廃止は絶対的担保ではなく、人道主義的な政治テーマと政治党派としての最大限綱領になる。
言い換えれば、人々の見方考え方の一つで、人が100人いたら、20人の賛同を得るかもしれないが、残りの人たちは中立であったり、反対者である、という事態が想定できる。
 
 
>実はこの問題は、この前の東京都知事選挙の細川(小泉)候補と宇都宮候補のつばぜり合いの時に出現していた。
細川候補は原発反対のワンイシューを前面に掲げて、この指たかれ、をした。
宇都宮候補は、細川候補の手法を否定して、生活、命、健康の問題を原発反対と並んだ基本政策として訴えた。
選挙結果は予想外に宇都宮候補の第二位だった。
どうしてなのだろうか?
原発反対はめぐり巡って、生活、いのち、健康の問題ではあるが、直接的な被害者ではない都民の生活者一般にとって、原発反対以外に目の前の今すぐどうにかしてほしい切実な諸問題があった。細川候補は原発反対というイデオロギー選択を都民に訴えた。原発反対は最大限の政治綱領=政治イデオロギーに分類できる。宇都宮候補の方が、都民の生活リアリズムにそっていた。
 
さらに、この選挙戦で目立ったことは、細川陣営の一部に戦前の軍国主義二重写しにした反ファシズム的言動が目立ったことである。実際に鎌田という評論家は、反ファシズム統一戦線的な意味合いを込めて、小泉元首相との連携を是とした発言していた。
 原発反対までは庶民でも理解できる。
しかし、都知事選の時点で戦争反対まで踏み込むと、庶民感覚とはズレタ政治優先主義に上滑りしたと云える。
原発反対に、都知事選時点の戦争反対が加味されて、あの時点の都民に政治選択を迫ることになり、結果的に、自分たちはそのつもりでも、政治戦略を間違ったために、その思いは、空回りした。
 
>そして今度は、統一地方選挙において、共産党候補者は「戦争のできる国に日本をする」ことに反対、戦前から戦争反対してきたのは日本共産党だけです、という主張を前面に押し出して選挙戦を戦っているようである。
この主張を耳にすると、何か何処かが違うんじゃないかと感じた。確かに統一地方選挙前後に閣議決定した集団自衛権案連法案の国会審議、TPPや首相訪米の時代の節目になる政治日程が組まれていている。
連動して秘密保護法もすでに法制化されている。
 
>しかし、具体的な政治党派について、敢えて言う。
今まで述べてきたことを踏まえて、この主張を耳にすると、何か何処かが違うんじゃないかと感じた。宇都宮選挙のような、もっと生活に密着した庶民の具体的な想いに寄り添った方が支持層の裾野は広がる。共産党票の大部分は無党派層であることが、判明している(反俗日記、2014年12月衆議院選挙分析)。ココが創価学会の宗教活動の一環としてのフレンド票との違いである。
 さらにえば、戦後、戦争反対に人生と身体をかけてきたのは共産党員と支持者だけではなく、もっと広範な人々が存在してきた。この事実を心にとめなければ、その政治に柔軟性はうまれない。
確かに定形の政治活動をほじする党派は、情勢の変化に翻弄されにくく、政治の継承性を持続できる。今の「躍進」はこの結果によるとことが大きい。しかし、その政治は宗教活動や、単なる啓蒙活動ではないはずで、日本支配層の政治支配を打ち崩すためにあるはずだ。また、戦前に治安維持法下の自己犠牲的活動の機会は二度と訪れないだろう。とすれば、その活動のなかにより多くの人々、より活動的な人材を引き込むことが求められるのではないか。
そのための簡単な方法として、戦争反対を専売特許=党派性にするような言動は慎んだ方が良い。古臭い教義のように聞こえる人々が今の日本には多数存在する。
 
民主党について、支持するしない、投票するしないにかかわらず(支持していなくても比較優位で投票しなくてはならない場合があるのが小選挙区制の特性)、政権交代時の諸行について、彼らにハンディを付けてやらずに、平然とダメと撫できっている人の政治感性を疑う。
民主党の政権担当したとき、は米国バブル崩壊の余波で世界経済の低迷があった時期である。また連動してEU金融危機も発生していた。加えて、東日本大震災福島原発事故の発生によって事故処理に追われ、安定した状態で政策展開する余裕がなかった。この大きな政権を取り巻く環境を除外して、失政ばかりを、あげつらう政治感覚を疑う。
>更に政権基盤のぜい弱性もある。言い換えれば、民主党に投票した人々が率先して政権を支えなけらばならなかったのである。端的にいえば、自らの信条と離れた妥協の必要だったのである。ヨーロッパの先進国では当たり前の支持者の在り方を意識した支持層がどれほどいたのかどうか?違いが生じると簡単に政治レッテルを張ったり、切り捨てたりするようでは、自民党に代わる政党はいつまでも育たない。
>また政権党は国民全体の利益を第一にするものであって、支持者の意向を主眼とするものでない。ココのところが分かっていないお気楽支持者が多すぎた。それこそがいつも批判している55年体制的政治感覚に安住している証拠である。
>現代の金融資本主義国において、既存の選挙制度の枠内では、主義主張、政策の相容れない政党が、政権の主体を担うことは、大戦争を前提にしなければあり得ない。
>仮に日本共産党が政権に就いたとしても、普段宣伝している基本政策は、必ず変更を余儀なくされる。コレがリアリズムである。
>となれば、国政選挙において、上記のような事柄を抜きにして、かつて政権交代を支持したのに、いつまでもきまりきった民主党批判を事あるごとに公言している人々は、天に唾しているのと同じだ。
 
>支持する政党や人物と、大局的見地に立った政治選択とは分けるべきだ。
民主党が全部ダメと切り捨てたら、他方に共産党の存在を置いて、投票する政党がないなどと、嘆くのは己の狭い政治感覚を吐露しているのと同じだ。政治に対して、本当に切実なものを要求していないから、そんな趣味や好みのような感覚でいられるのだ。そういう政治観は頭の中で作り上げた自己本位の観念である。
まず、そんな嘆き節を慎むことだ。国民的諸行の成果である政治が、己の思惑通りに推移する訳がない。増してグローバル資本が国民国家の枠組みを大きく超え世界に跳梁跋扈している時代である。世界の権力者の誰も世界を想いどうりに操れない時代だ。