フィグネルは、回想が読者の思考と行動の資料となることを念頭に置いている。コレが、大部の本を書くモチベーションである。
第25章 肩章
『どうしてあなたは私から文通を奪うことができるのですか、私はどんな過失も犯していません。(W、警務当局と、監獄当局の権限の違いをフィグネルはついている』
『あなたは手紙の書きなおしを拒否しています。だから我々はあなたから文通を奪うのです』
言葉のやり取りがされている一方、考えの方はめまぐるしく駆け巡った。--手紙は送られないだろう。刑務当局は下さないままに終わるだろう。訓令は実施されるだろう。旧制度は復活するだろう。--我々が我慢できないだろう。同志たちーー彼らはどうなるのだろう?
その先はすでに自分の問題だが、おまえはあらゆる結果に耐えることができるか?
軍法会議と死刑あるいは孤独の恐怖、発狂そして死ーー悔やまないか?後悔しないか?こういった一切に立ち向かうだけの力がお前にあるのか?
看守長は脅迫しているにすぎないのだと云う疑問の余地を残さないようにするために、私は口きく。
「それではあなたは、私から文通を奪うのですか?』
『その通りです』
考えが稲妻のように走り、あらゆる疑問を投げ捨てる。
『行動してみて初めて自分の力が分かるのだ』
とっさに私の両手が上がり、看守長の両肩にふれ、力任せに彼から肩章をもぎ取る。
『何をするのです?』と叫ぶと、房から飛び出し、狼狽した騎兵曹長は、もぎ取られた肩章を拾おうと床の上の這い回る。
~ただちに私は旧監獄に連れ去られるだろうと考え、大急ぎで同志たちに何をやったかを知らせる。
第26章 脅迫
内務次官憲兵副長官
「どうしてあなたはこういうことをやったのですか?」
『情状酌量などごめんこうむります。私がもう20年も在獄していることを忘れていただいて構いません。一切の個人的動機を排除して、監獄全体のために問題提起をします」
~~
自分とだけ向き合いながら、自分の運命を真っ正面から迎える覚悟を心の奥に固めていった。覚悟しなければならなかった、死ぬ覚悟を、あるいはどこかの独房に一人ぼっちで幽閉される覚悟をしなければならない、堅固でなければならない、石のように堅固でならなくてはならない
>石とならなくてはならない。コレ以外のことは考える必要がない。
同志たちの同情は必要でない。他の人たちにも自分自身にも心を動かすものは何一つ容認すべきではない。
>心を動かしたりやわらげたりするような一切のものを圧殺しなけれなならない。
~~
絶えず軍法会議を予期し。死に直面しているのを感じていた。絶えず死を予期し死を迎える準備をしていた。
その時に押されおののくことがないように覚悟しておかなくてはならなかったのだ。
そして4週間に渡って夜も昼も四六時中続いたこの体験は破壊的作用をもたらした。
>私は運命が私に自己を発見する機会、想いきった反撃のための力を発見する機会を与えてくれたことを、
一種の特別に邪悪な喜びとして喜んでいた。
>『僕たちの中の誰ひとりともう激しい抗議をやる能力を失っていますね』
と云ったトリゴーニの言葉は、今では心の中に痛みを呼び起こさなかった。私はこの宣言を撃破したのだ。
私はやったのだ。能力をもっていたのだ。
>そして無期懲役の判決を受けた私には、抗議ゆえにこう主題の上で死ぬことは最良の最後だと想われた。
老齢のために死ぬなんてーー本当は恐ろしいことではないだろうか?--
W。一転、上記のような感情の自己を突き放し、外側からみていく。
*つらい獄中生活に耐えつつ、投獄以前ににも尽くしてきた自由の理念のために尽くすと云う思想にどんなにしがみつこうとも、やはりそれは受動的な無力状態なのだ。
なんと云う静止状態、なんと云うマヒ状態だろう!
人間の中にある最良のものである一切が奥深く追いやられてしまい、現れることのできないーー秘められたもの圧殺されたもの、それはあたかも存在しないかのように思われる。
自分に対して同志に対して疑いを持ち始める。
自分のところに残っている10人の人たちは監獄の壁によって隠された全人類であるから、人類の中に存在する一切の素晴らしいもの、一切の崇高なものを忘却し始め、偉大なものに対する感覚を喪失する。
意欲や愛を育むものは何もなく、それらにとって出口なく、それらの根はたちきられている。
そして生活、みすぼらしい、惨めな、沈潜した生活が果てしなく続くーー監獄のベッドの中で死に至るまで!
*そうではない。絞首台の上で死ぬ方がましだーー無為のうちではなく、行動の中で親友のため、同志たちの抗議の中でーー
ところがどうだろう?またしても死ぬ機会を奪われてしまったのだ!
覚悟を決めることを余儀なくされ、疲労困憊させられ、精神的に痛めつけられ、そして生きることが残された
日または日が、週または週が過ぎていった。
~
監獄の暗がりの中では何もかもが誇張されゆがめられた輪郭を持つようになる。
生活は様々な幻影に満ちたものであるが、
わたしたちのところでは生活全体がことごとく幻影そのものだった。
田坂訳の「遥かなる革命~ロシアナロードニキの回想~」には次のようなものが付されている。これは「1928年ドイツ版の付録でもあっただろう。
第1巻(『忘れ得ぬ得ぬ事業』への<付録>
1)執行委員会綱領 (W、中央集権を目指した人民の意思党の中央指導部)
2)「人民の意思」党党員、労働者綱領
3)アレクサンドル三世宛執行委員会の手紙
W。これらは3)を除き、現存のこの種のモノより、理論水準が高い、とみる。壊滅した人民の意思党を社会革命党が、継承した理由がこの綱領に見出せる。人民の意思党の壊滅はロシア独自のナロードニキ社会運動の中に位置づけられる。社会革命党は反政府勢力としては、最大の勢力の時代がつづいた。「テロとその党の破産」のトロツキーの回りくどい社会民主党批判にソレが表れている。
ロシア革命はロシア人民の事業であり、その特性が世界的に拡散し、半世紀後に自動的に内部矛盾によって瓦解し始めた。言い換えると、そういった限界ある体制の存続した事実は、資本主義の発展矛盾はそれほど大きいものであり続ける証明である。
第二巻『時計が止まった日』への<付録>
第2章への補足
第6章への補足
第21章への補足←神への信仰と無神論者の問題の根源を問うている。
>「しかし、それならば、こうした長い年月にわたってあなたを支えたものは何なのですか?」と府主教は尋ねた。
「自由の身でいたときにも原動力となった同じものにほかなりません。
~~
報いが訪れたとき、私は私の信念の誠実さを、私に負わされた一切の罰を確固として引き受け、それに耐えると云うことによってのみ、証明するこいとができました。」
第27章への補足←時事情報の途絶した獄中でどうして日露戦争の勃発とロシアの敗北を知ったのか、
「日本との戦争のことなんか思いもよらなかったことだったのは云うまでもない。
>この戦争に関する最初のヒントは私たちは英語雑誌の中で発見したのだ。
>極東水域で、クジラが埋設水雷に衝突したという記事が出ていた。『つまり日本との戦争が起こったと云う訳だ』とわが明敏なる読者たちは結論した。~アベの南シナ海の機雷除去に集団自衛権を使う発言は機雷設置状態が戦争状態であることを知って発言しているのかどうか。この地域への抑止力うんぬんを超えた、戦争挑発発言である。~
作戦行動の推移やロシアの失敗については憲兵たちの顔色によって私たちは判断した。~~彼等がお互いの間でひそひそ場なしをしたり、うなだれて歩いていたら、たちまちロシア軍に悪いことが起こったと推察したわけだ。
>わたしたちはみな、戦争は日本の勝利に終わるだろうと確信し、将来を予測していた。モローゾフは最初からこう言明していた。『ミカド、ムツヒト』明治天皇は我々を解放するだろう!」
壊滅の後には改革と大赦が続くだろう。」
W。1905年ペテルブルグ大衆蜂起が発生した。
第28章への補足
ロシア革命から、5年後、1921年12月にフィグネル全集の発効を企画した第一巻の単行本として発行され、原題『忘れ得ぬ事業』。コレが「遥かなる革命」の前半部分である。
生い立ちから始まり、人民の意思党最後の執行委員として、党再建中に、1884年、内通者、人民の意思党軍人グループの幹部であり、意思党の残された古参でもあった元士官デガーエフに通報され、裁判の被告として陳述するまでの回想である。
田坂訳の回想記は約300ページ。文学全集のように細かい字がびっし上下段に分り並んでいる。行間が狭くて読みにくい。
人民の意思党の戦闘記録のような記述とは云えない。
徹底的に自分の関係した事実にこだわって、淡々と記述されている。
ソフィア、ペロフスカヤと題した一章もそっけなかった。フィグネルの人民の意思党での位置は終始一貫して党財政維持、組織維持を含む行動の組織者実務家かつ支持者の想い描く人民の意思党的人物像の象徴であり、テロ現場の行為に立ち会うことはなかった。その典型は皇帝暗殺事件の組織者フィグネルと行為者ペロスカヤの両者の関係である。
フィグネルの才能の特徴は、スイスで医学を学んでいたように理系方面のち密な思考力である。記憶力も異常とも言えるほど高い。回想録の各章に記述される出来事はキチンと、年月、登場人物、出来事状況を記して書きだされており、大ざっぱに過去を振り返った感想を連ねているところが見当たらない。もっともこの手法が、事実関係の記述が主の回想録をとっつきにくくしている。読者も、それに適応できるだけの忍耐がいる。
Wの引用部分は、関心の向かうところの極一部の引用であり、省いたところにこの回想の真骨頂があるかもしれない。様々なな事象人物が淡々と描かれており、極限状態におかれた人間のリアルな在り方を知る上で、再読に耐える書である。
フィグネルの意思の力がにじみ出る風貌全体の醸し出す雰囲気は対面者を圧倒するところがあった、のだろう。
「ヴェーラは我々だけのものでない、ロシアのものだ。」と云うのもうなずける。
青年時代の写真と比べてみると獄中で成長したのではないかと思えるほどで、回想録から状況適応能力が抜群に高い、事がわかる。実務家でもある。スイス時代は「カネのことならヴェーラにたのめ」と仲間内で云われていた程、集金力がある。人民の意思党の活動家は社会から排除され非合法化されたものが多く、フィグネルの実務能力は貴重なモノだっただろう。その能力を買って、党はテロ現場の任務を最後までフィグネルに与えなかった。
田坂訳「<「遥かなる革命~ロシアナロードニキの回想~の前半の内通者、人民の意思党軍人グループの元士官デガーエフに通報され
原題のタイトル『忘れ得ぬ事業』1921年12月発行に注目する必要がある。
1921年、3月、政権は
①ネップ - Wikipedia政策を3月に施行した。
当面の農村と農業の再建と支持基盤の確立、徴税環境の確立、全土の食糧事情の改善、を目的として、余剰農産物の市場販売を許可した。
③革命後のボルシビキの1917年ロシア革命のヨーロッパへの連続的波及の展望は再検討される時期であり、ソレを受けた党内議論の中に、
⑤新たに民族、植民地半植民の激化を視野に入れた世界の基本情勢のリアルな把握の課題が伏線として登場するようになっていた。
>フィグネルの長大な回想を読み込むと、1880年から1900年を超えた段階でも①~⑤の全部の問題と課題が潜在していると理解できる。フィグネルが1904年釈放後、流刑時期を経て、20世紀の初頭、書き記したものだから当然、これらも問題意識と課題は執筆時、頭の中を駆け巡っていただろう。そしてロシアのナロードニキであり続ける道を選択した。フィグネルは社会革命党に参加したが、1904年発覚した大スパイアゼーフ事件で脱党し、その後どの党派にも参加しなかった。運動の一線から離れて、著作活動や救援活動に専念していたのではないか。だからこそ、この回想記は多義的的多元的要素を含んでいる。様々な読み込み方が可能である。
>①~⑤はそれぞれ個別の重大な課題であり、1917年ロシア革命の結果、生まれた体制が本質的に背負いきれるものではなかった。
>さらに、一つの体系的政治思想や情勢分析手法で間に合うものでは決してなかった。この時点で世界はあまりにも複雑化していた。
重層する複数の多元的な視点が必要である。