反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

山口瞳著「草競馬流浪記」~貴重なブログ記事。「草競馬流浪記」を読む- 園橋軒太郎のその場しのぎ 記事一覧~で山口瞳から「若様 若様」と呼ばれた古今亭志ん朝、落語You Tube動画集。

イメージ 1 作家山口瞳 - Wikipediaの名著に「草競馬放浪記」がある。(~とWが勝手に思い込んでいるだけかもしれないが、影響を受けたし、その世界に親近感があった。)
今は廃止されている競馬場がたくさんある全国地方競馬場山口瞳一党(担当編集者、ゲストなど)が出向き、全国鉄火場巡りのごとき旅打ちの真剣勝負を~趣味とはまじめにやるから堪能できる!~しながら、各地の食(酒)、風物、人物を軽妙な筆致で描いていく。
 
ネットで調べたところ、適当なものがなかなか見当たらず、下記のブログ記事が一番、その世界を伝えているようだ。幸いなことに当時出版されたハードカバーの本の表紙の写真も載せてくれている。文庫本にもなっていると想う(新潮文庫~書棚で見かけた記憶がある)
山口瞳の全国地方競馬巡りの底流にある<粋>がスタイル化した世界を伝えるためには、写真の掲載は欠かせないようなのだが、他のネット記事を当たると、この本に関連する写真を掲載すると、後から削除されている
この写真なら大丈夫だろうか?
 引用 
 W。地方競馬まで視野に入れて競馬を楽しんだ経験のある人は良くわかっている。JRA中央競馬会の競馬は欧(←民営競馬)米(←地方競馬)の競馬とは違って国営競馬(中央集権競馬官僚組織)で、少数派的存在。その異常をマスコミの力で異常と想わなくされているだけだ。
「読書を通じての私の競馬の師匠は山口瞳とディック・フランシス。
まあ勝手に思っているだけですけど。

その故瞳氏の競馬関連の本で、一番お世話になっているのが、これ。
当時の公営競馬場27箇所の完全踏破の記録です。」
W。一連の記事は今、詳しくは読んでいないが、久々にみる丹精込めた貴重な記事。
コメントが多いのも頷ける。素晴らしい!
 
「        <草競馬流浪記」書庫の記事一覧>

これが平和というものだ(「草競馬流浪記」を読む30)

最後に、一番最初に載っている文章を。 山口瞳が残した大量の文の中で、一番好きです。 これがあるから、彼の本を何度も読み返そう2007/2/28(水
 
この全国の公営競馬場を回る旅の最後の訪問地が岩見沢。 なのに、瞳先生、体調が悪いのに加えて、輓曳はお嫌い。~~W注。「ばんえい」の漢字表記は「輓曳」!ばんえい競走 - Wikipedia
 
瞳先生としては、 この競馬場はかなり気に入った方なのだろうけど、体調が最悪。 馬券は当たっているのだけど、心は弾まず、不思議な文章2007/2/27(火)
 
第三コーナーに危険な箇所があって、 そこを改良したら、裏目に出て、滑るようになってしまったとか。 そんな時に訪れた瞳先生は、2007/2/25(日) 午前 9:02
 
人妻が肉眼でアナウンス(「草競馬流浪記」を読む25・中津)中津は、町も競馬場も、気に入らなかったようで・・・ でも、端々に面白いエピソードが散りばめられています。 ●ずっ2007/2/25(日) 午前 9:01

草競馬放浪記」の記事には丁寧にも目次を載せている。
山口瞳草競馬流浪記」、新潮社、昭和59年3月
その中でココに注目する。
> 5 東京ギャンブル大環状線(川崎、船橋、大井、浦和)
W。これ等4競馬場は通称、南関4場(南関東4競馬場)と云われ、山口瞳著「草競馬放浪記」の記憶では~4半世紀以上前になるとは!~
>このいずれか競馬場のゲストに招かれたのが~多分、大井競馬場?~故、古今亭志ん朝師匠だった。
作家山口瞳は、志ん朝師匠を「若様、若様」と呼んで大変なもてなしようだった。
草競馬放浪記」を読んだころは落語を生で聴いたことは一回もなかった。もちろん関心もあまりなかったが、この本に影響されたのか、寄席に入ってみることにした。
上野、鈴本だった。
 
実によくできた十八番の創作落語で、テレビなどで2,3回聴いたことがあり、話はほとんど覚えていたが、ライブではもっと上手かった。身体の大きな押しの強い落語家で、「会長への道」を面白おかしく話すので信憑性もあった。
この落語のオチは
   ↓
会長:五代鈴々舎馬風 - Wikipedia(2006年 - 2010年)
わたしにやらせろよ、ということなのか実際に会長への道を実現してしまった。
 
この日のトリは、古今亭志ん朝師匠だった。
ほの暗い客席から見た高座の柔らかいライトに浮かんだ志ん朝師匠はなんとも云えない品があり、背後に後光が差しているようで、この日一番の強烈な印象だった。今、落語を楽しむようになり、とくに志ん朝落語をYOU TUBEで聴くことに安らぎを求めるようになって、志ん朝が最高!~~想い浮かべるのはあの時の古今亭志ん朝の佇まいである。
もっと若いころにライブで聴いとけばよかった。
~~同世代以後に肩をらなべル落語家はいなかった。立川談志桂米朝も自分にはしっくりこない。
山口瞳が「若様 若様」と下にも置かない接し方をするのは山口瞳的粋のスタイルには、志ん朝は若様なのである。
志ん生 びんぼう自慢
W。志ん生の美濃部家は江戸時代の近江の一族。
 
 
番外編
W。<江戸の粋イキ>←文<化>、文<政>文化~と<上方の粋スイ>←元禄文化だから、歴史が古い~の意識が志ん朝 には強烈にある。良くわかっていると想う。
上方古典落語の欠落は武士階級と町人の関係が出てこないことである。
江戸時代の上方にはサムライが1000人~2000人しかいないのだから仕方ななかった。
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           古今亭志ん朝 You Tube 動画名作一覧
好みから順位づけると
 
「試し酒」古今亭志ん朝 
 
三代目古今亭志ん朝 - 宋珉の滝
 
 
古今亭しん朝 二番煎じ 
W。この話がNO1でもよかった。
 
古今亭志ん朝 (三代目) Shincho Kokintei 火焔太鼓 落語 Rakugo 
W。人情話。若いころの同じ演目の動画が出ているが、問題にならない。コレが傑作。
 
志ん朝  『そば清』   rakugo