腹250 腕80 階1000。
公園デッキからみえる水鳥たち。
>最大勢力は、ホシハジロになった。40羽。
スズガモも多少混在(頭の後ろの毛に特徴があるキンクロハジロのオスがいないのでスズガモである)。飛来直後、岸から離れて辺りの様子を伺うようにしていた1群のカモたちは、ホシハジロとスズガモだった。ぱっと見が正解だった。
1)潜水カモと潜水できない鴨は大きさが違う。潜水カモは水中に潜って餌を捕食する必要から基本的に小型。
潜水できない鴨は比較的大型。
2)潜水ガモの後ろ羽根は水面に近く垂れている。潜水しない鴨は水面方離れている。
3)胴体の中心線に足が位置するのが潜水しないかも。水中の運動性を高めるために胴体の中心線からやや後ろの足が位置するのが潜水ガモなのだが、←ペンギンの足は極端に胴体のうしろについている。
潜水ガモは越冬期間中、余り陸上に上ってこないで、水面上で休むので、足の位置はあまり目安にならない。
4)動態、性質には個体差がある。
>北に飛び立たないで、夏の間中、小さな干潟で過ごしたヒドリガモがいたのにはびっくりした。
この個体を長く見ていたので、ヒドリガモとホシハジロの区別がつかなくなった。いまでも、ハッキリしない。姿かたちはホシハジロぽいが水中の潜っているところを一度も見たことがない。ほとんど水に入らず、人工物の上でぼんやりして過ごし、無駄な動きは一切しない変わりモノのカモ。捕食しているところをみたことがないので、衰弱して死んでしまうのかと思っていたが遂に冬の季節がやってきて仲間と合流したようである。
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水鳥天然「公園」から、運動後、天然「水族館」にまわった。
30センチ以上の大型のチヌ(クロダイ)がウジャウジャ寄ってくる場所を見つけた。あたり一面で50匹はいるのではないか。大勢の人が往来する場所なのに悠々と泳いでいる。なぜこの場所なのか、よくわからないな。
見えるチヌは釣れないが、やり方次第で何とかなる雰囲気がある。もっとも釣っても食わないのだから、釣ることはできない。
2016年10月29日(土)日本時間 11,38
カブス | 0 - 1 | インディアンス | 7回表 |
スコア詳報
予想通り、技巧派投手ヘンドリックはインディアンスの左打者ばかりで、コンパクトでシャープなスイング軌道の打線には通用しなかったようだ。4回2/3で降板。マドン監督の判断で細切れの継投策にでている。
インディアンス打線にはパワーピッチングのできる投手しか通用しない、と見ている。
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三軒長屋・古今亭志ん朝
W。権現様は出てこないが、鳶のかしらの家の姉御の描写は秀逸!昭和あたりまでは、下町にはそういう雰囲気があった。
『「裏の」[浅草の」権現様にお参りする」というくだりが良く出てくる。
権現様?なんとなく解ったような気になっているけれど、実際によくわかっていない。
神社系なのか・ソレにしては現在、権現様の神社は見当たらない気がする。
ソコで調べてみた。
引用
↓
本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。←W。仏教伝来以前の列島に元々いた様々な神と仏教を和合させようとした当たり前の宗教摂理。その場合、仏や菩薩と日本古来の神々が時空的に同居する=神仏習合。
権現→「権」という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示す。」
~
その理由としては、藤原氏をはじめとして名家の子弟や家長などは、一定の年齢に達すると、その実力とは別に、自動的に官位が与えられるのが慣習となっていたが、官職には定員が決まっていたため、定員外の権官として官職を授けざるを得なかったという事情がある。」
両者ともに同格の権力を有した場合と、一方は実力を持つが、他方は名前だけの官職であった例などがある。
>政敵を打倒するため、名目上の権官とすることもあり、
W。南北朝時代以降権門体制 - Wikipedia、が弱体化し公家権門(執政)、宗教権門(護持)、武家権門(守護)、荘園を経済的基盤とし、対立点を抱えながらも相互補完的関係のバランスが崩れ、武家優位の時代になり、朝廷貴族の物的存在基盤は弱体化した。
公家の荘園を通じた物的存在基盤と権力機構が崩れたのだから、公家が自動的に大納言、中納言になる意味がなくなり、そうした最上級の官位は武家を取り込むための方便となったのではないか。言い換えると武家の側から、朝廷権威を政治的に利用する需要が高まった。
資料
「<豊臣家臣時代>
<秀吉死後>
<征夷大将軍>
慶長8年(1603年)2月12日
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神号の事例
春日大社は~~中世には興福寺が神宮寺として支配的な影響力を持ったため、神仏習合に基づいて不空絹索観音(一殿)・薬師如来(二殿)・地蔵菩薩(三殿)・十一面観音(四殿)をそれぞれの本地仏とし、社にちなんで「春日権現」(もしくは春日明神)と総称した。
参考資料
近代社格制度とは
昭和21年(1946年)2月2日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の神道指令により神社の国家管理が廃止されると同時に廃止。GHQの干渉を恐れ、石の社名標の社格が刻まれた部分をセメントで埋めた神社が多かった。その後セメントを除去した社名標もあるが、現在でもそのままのものも多い。
神社本庁(じんじゃほんちょう)は、
神社本庁は神道系の宗教団体として日本で最大[4]。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している[4]。都道府県ごとに神社庁を持つ[5][4]。内務省の外局であった神祇院の後継的存在であり、宗教法人法にもとづく包括宗教法人である。
>有名な神社であっても、鎌倉宮・靖国神社・日光東照宮・伏見稲荷大社・気多大社・新熊野神社など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約2000社、小さな祠等を含めると20万社の単立神社がある[24][32]。
↓
全国的に最も多く見られるのは「白山権現」、「立山権現」、「羽黒権現」などのように、「山名(もしくは地名)+権現号」という組み合わせである。その他、少数ではあるが「摩利支天権現」、「薬師権現」、「釈迦権現」のように本地仏の名前がそのまま用いられる例や、「天妃媽祖権現」(媽祖)、「徐福権現」(徐福)、「将門権現」(平将門)などのように神名や人名を用いた例、「猫又権現」、「大蛇権現」などのように動物由来の例も見られる」
>権現社・権現宮・権現堂の多くが廃され、「権現」の神号や修験道が一時禁止されたため、