反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

Steppenwolf - Born To Be Wild。ドーム球場と<野球環境偏差値>、MLBや韓国野球は屋外野球に切り替えた。大差リーグ優勝、広島の日本シリーズ敗戦にセリーグ野球の低迷を想う。

腹、300。腕80。階1000。定番になった。
オオバン - Wikipedia(クイナ科でカモの仲間ではない)が潜水できる事を「発見」した。
イメージ 1日本の以下の都道府県レッドリストの指定を受けている。
絶滅寸前(絶滅危惧I類、CR) - 埼玉県 危急種(絶滅危惧II類・VU) - 栃木県千葉県大分県 準絶滅危惧(NT) - 群馬県富山県京都府大阪府奈良県山口県香川県沖縄県 要注目種 - 宮城県
W。今年(2016年)は例年よりも一杯飛来している。とても活発な水鳥だ!(留鳥にもなるらしいが、春夏は見かけない)運動能力の高そうに見える水鳥だから、この鳥が絶滅する環境では他の水鳥たちも危ない。
 
>がしかし、オオバンの3本のオールのような足先は水面を泳いだり、ましてや潜水にはエネルギーロスが多すぎて最適機能とは云い難い
そのためかクイナ科の特徴である首を上下させた不経済な泳ぎ方をしている。
人間の泳法に例えるとバタフライのようだ。
クイナ科の鳥が潜水できるまで枝分かれ進化した事が、環境劣化の今になって、劣勢種になった原因かもしれず、そいう意味で「レッドリスト」入りは納得できる。
 
>「英名cootは鳴き声に由来するという説もある」←W。この水鳥の鳴き声だったのだ。ヒドリガモではなかった。訂正!

猛暑の中、勝手に体力増強月間にしていたことが今頃になって効いてきたのか、朝にやったからといって、特にどうという事がなくなった。汗もほとんどかかない。その方面の筋力が少し付くだけで、ちょっと変わったメニューを加えると、その部位の筋肉がはってくる(スクワット等々)。(その程度の運動量にすぎないという事だ!)
頭と体の機能が習慣化した環境に馴染む事に掛けては現世人類が哺乳動物で抜きんでているが、近代が進化して、環境そのものを自分たちの都合で変えるようになり、その分、他の生き物の生存空間を奪ってきた。
自然と人間の環境の均衡状態が崩れていく分岐点が、グローバル資本制の規制の効かないアナーキーな巨大資本による全地球一体化の深化とともに人間の課題になっていく。
***********
 
ウェイトトレーニングと自分がやっている簡単な筋トレは別モノと感じる。
このような自己流の筋トレは毎日やっていると体が慣れてきて、筋力負担を軽減するような身のこなしが自然とできるようになるらしい。例えば階段の上り1000段下り1000段、体に負担がかからない様に身を処すコツがいつとはなしにできてくる。
 
一番故障し易い膝と腰を保護する身の処し方がある。
 
子供のころに自分は水面を速歩で渡れると、なぜか想っていた。
夏に水泳をしているときに何度も試みたことがある。
人間は水面を走って渡れる。空中落下しても着地できる。
ソレができないとなぜ、わかったのか。
***********
 
Born To Be Wild http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20061230←W。歌詞の日本語訳
歌詞の一部引用
 
I like smoke and lightning
おれは煙や稲妻が好きなんだ
Heavy metal thunder*2
重砲級の雷鳴がな
Racin' with the wind
風と競走して
And the feelin' that I'm under
それで自分がかなわないのを感じる
 

 You Tube  Steppenwolf - Born To Be Wild 
「1967年にカナダで結成されたロックバンド。バンド名は、ヘルマン・ヘッセ - Wikipedia(1977年~1962年、文豪は20世紀を体現する現代作家であった。)の小説荒野のおおかみ』から名付けられた。 」←W。ヘッセの「荒野の狼」とは聞いたことがない。
 
          ↓
一部引用。
「極論してしまえば、三千の人格が一念に含まれる。←W。確かに、共同政治幻想とは、そういう次元のもので、大きな勘違いが社会的に発生する。
共同政治幻想の発信源積極的に迎合する者、ソレに浸ることで心の安らぎを見出す人々がいるのも事実で、平和主義のヘッセは、この社会的な状況(時代の流れ)を、個人の力ではどうすることもできないと想念した。
 
だから自分の三千を人格を全て許しなさいと言ってるんですね
W。作家は、1927年ドイツーヨーロッパ情勢に憂慮する心を自分の内面に向け、<全てよし>と自分を説得しようとしていた。
W。ドイツ哲学的でもあるし、仏教的でもある。
>激動の時代に個々人が内省しナイーブであり続けることは大切なことだ。
>しかし、ヘッセの当時の思考範囲はそれだけに留まらなかった。
 
そのために必要なのは、ユーモアである。笑いである。そう結論しているのです。
      ↑  
*W。その真意は「Steppenwolf (「荒野の狼」)というタイトルに表現されているのではないか。
 
>W。「自分の三千を人格を全て許しなさいと言ってるんですね。」という心性の在り方と、自分が「荒野の狼」たらんとした二つの心がヘッセの中に同居していた。内面が複雑である、からこそヘッセであり得た。
車輪の下」の主人公の人生の道程が時代の世界矛盾に直面したとき、ソレを表現できるのが大作家である。
「荒野の狼」のタイトルはジャック・ロンドン - Wikipedia野性の呼び声』や『白牙』のテーマを彷彿させるものがある。
>多分、ヘッセはジャックロンドンの人生と作品世界を念頭に置いて、この難解な観念小説を「荒野の狼」と名付けた。
司馬遼太郎アメリカ訪問記には、ジャックロンドンのメモリアルをわざわざ訪ねた詳しい文章がある。
>ヘルマンヘッセ、司馬遼、村上春樹がなぜジャックロンドンに拘るのか、
>時代状況を作品に描こうとする作家は当時の時代状況の中で良いも悪いも思いっきり生き抜き、独創的な作品にしたジャックロンドン覇気になる存在であり続けた。
 
参考資料 W。ジャックロンドンの伝記。村上春樹が引かれたのはコレだろう。
グーグルに載っているもう一つの関連記事は「反俗日記」だった。みっともない!進歩がないなぁ~。
 
「無論、ヘッセであるから、それだけでは済ませていない。
第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦が起こるだろうという先見の明があっての社会批判もあり、物質的裕福に対する批判もしているし、マスメディアへの批判もあり、それに迎合している一般庶民への批判もありさらには、レコード芸術としての音楽すら批判している。よくもまあ、ここまでの内容を破たんさせずに物語にしたものだと驚く。
 
W。確か、ヘッセはスイスに移住したはずだ(妻はユダヤ人)
トーマス・マン - Wikipedia(1875年6月6日 - 1955年8月12日。ヘルマンヘッセと同時代人だった!)も亡命している。
「1933年秋、マンはスイスチューリッヒ近くのキュスナハトKüsnacht)に住居を定めた。終生ドイツに移住することはなかった。」 
ヘルマンヘッセとトーマスマンはヒットラーナチス政権誕生だけではなく、ソレを支持した当時のドイツ大衆に作家的精神を深く傷つけられ、戦後西ドイツの復興に背を向けたのだ。
 
なお、ココで付け加えておくことがある。
>ヘルマンヘッセやトーマス、マンの広く読まれた傑作小説は、ドイツに始まった教養小説というジャンルに色分けされるものである。
>ヘッセの「車輪の下」などの小説は教養小説の世界を逆転し、個人の階層下降をテーマにしたものであり、広い意味でこのジャンルに入る。
日本の大正デモクラシーを代表する白樺派 - Wikipediaの作家たちの小説作法もこのジャンルに入るものと考える。
>その典型は武者小路実篤 - Wikipediaであるが、正直にいえば、個性と個人意識に特殊日本的な限界のある小説である。
近代の個人の自律や宗教意識が小説世界で上滑りし、最初から哲学的自己肯定在りき、の煩悶にすぎないという感がした。
志賀直哉 - Wikipediaの場合、はかなり位相が違っている、と想いこむのはファンであるせいか、もしれないが。
 
引用。
「3年後に離婚した。また、1931年には、アシュケナジム・ユダヤ人のニノン・アウスレンダー(旧姓ドルビン)という女性と結婚する。なお、ヘッセとニノンは、長年の間、文通をしていたそうである。
平和主義を唱えていたヘッセは、自分の祖国であるドイツにヒトラー政権が誕生すると、ドイツを離れ、スイスで執筆活動を始める。当時、ヘッセの作品は、ナチス政権から「時代に好ましくない」レッテルを貼られて、ドイツ国内で紙の割り当てを禁止されていた。
1946年、ヘッセは、ノーベル文学賞ゲーテ賞を受賞する。」
 
W。以上を踏まえて、ステッペンウルフの「ワイルドで行こう」の歌詞の心をどう解釈したらいいのだろうか?
この記事の内容にもそうした意味のことが含まれているが、時代の流れに抗することを幅広く考えたいが、簡単ではない。ヒントはある。
①「荒野の狼」の心意気で時代状況に向かい合う」         政治対応は不可欠
②「そのために必要なのは、ユーモアである。笑いである。    柔軟な思考
③さらには、レコード芸術としての音楽すら批判している。」    文化など様々なジャンルで個性、個人を鮮明にする
**********
 
ジャック・ニコルソン - Wikipediaの実質的なデビュー作で脇役だけど、妙に印象深かった。
引用
「共演していたデニス・ホッパーピーター・フォンダから誘われ、『イージーライダー』(1969年)に出演した事が転機となった[15]。同作ではアルコール中毒の弁護士であるハンソン役を演じ、本来は別の役者が担当する予定であったこの役でアカデミー助演男優賞にノミネートされ[16]、一躍その名を知られるところとなった。」
************
 
>子供時代の感覚が階段登り、に役立っている。
前に送り出した足に負担がかからないような感覚で次の一歩を踏み出す。そうすると膝や腰に負担がかからないで、速く上り下りできることになると、<想っている>。

     
 
         <シカゴカブス阪神タイガース
>それにしても、高温多湿の日本の夏は、運動する者にとって負担が大きすぎると改めて思う。
 
と、ここで突然、かねてより唱えてきた野球環境偏差値の話題にすっ飛ぶ。
高温多湿の下で野球をやるのとドーム球場のクーラーの効いている中で野球をやるのとでは、1年をトータルすると大きな違いが出てくくる、と今年の夏、運動を続けることで経験した。
今程度の、腹筋300回、腕立て伏せ80回、階段上下1000回など、夏場はとてもじゃないが続けられなかった。
 
ところが、アメリカの野球で始めてドーム球場が完成したミネソタツインズのホームグランドは、日本初のドーム球場の東京ドームの屋内加圧方式のドーム球場だったが、その後、使われなくなった。
 
現在、MLBのドーム球場トロントブルージェイズ)とフロリダタンパ(レイズ)だけで、後者のことは調べていないが前者は開閉式になっている(シアトルマリナーズも同じだが、天井が閉ざされることはない)。
以前、日ハムと札幌ドーム運営会社(大株主は札幌市)の運営権めぐる問題で調べたときに、気付いたことだが、韓国プロ野球ドーム球場ではなく、野球は大空の下でやるべし派である。
 
先日、2016年第42回社会人野球選手権大会(東京ドームで開催される補強選手ありの都市対抗野球方式とは違ってチーム丸ごとトーナメント)を2日にわたって観戦したが、屋内球場は広い天に開けていない分だけ、グランド内のプレーそのものが、なんとなく、人工芝というグランド条件も加味してボールとバット、グラブを使った特殊体操競技とでもいおうか、プレーの完成度が高いだけにそんな気分にもフトなってしまう。
グランド熱戦の最中の狭間に生き抜きで思わず天を見上げら、鉄骨だらけの天井では如何ともし難い圧迫感があり、この武骨な天井はどのようにも飾り立て演出ができない。本来そこに大空の巨大空間があるべきなのだ
天井の鉄骨の圧迫感から、目線をグランドに戻すと閉塞感が生まれる。
 
広いフィールドの団体競技で、特に気象条件の制約のない条件で屋内で試合をやっているのは、
日本プロ野球だけではないかと思う。
 
ソレもコレも全部、野球とはかくあるべしという、理念抜きの開催技術の問題だけに焦点を合わせた結果、屋根付きすればいいじゃないか、という判断から、ついにセパ両リーグ12球団の内、6球団もドーム球場を本拠地とすることになった。
面の広がりのあるベースボール文化を点としての技術的な側面でとらえているから、ソレでも良いのである。
<ベース><ボール>発祥時の塁間ボール競技は大空の空間に開けたところでやらなければ、チマチマした団体競技になった。当時の投手の投げるボールに対するバットの衝撃では打球を遠くに飛ばすことはできなかった。そう証拠がショートストップという用語に表れている。1塁~3塁守の備位置以外に、当時のショートは投手の近くに守備位置をとって、余りにも飛ばないボールに対処したものと想われる。だからショート、ストップなのである。
また映画、フィールドオブドリームス - Wikipediaのトウモロコシ畑をマイタウン、コミュニティーが野球場に変えるくだりは、ドーム球場を作る精神とは程遠い。
 私を野球に連れてって - Wikipediaは大空に開けたボールパークで合唱するから心が浮き浮きするのであって、ドーム野球場は余りにも機能的すぎて場違いなものである。
 
極論すると、ドーム球場なんて作ることに手間はかかっても、そんなに大変な技術的な問題がある訳じゃない。天井の鉄骨屋根建設は大型クレーンで高い足場を順番に組んで作業できる。ドームの敷地とカネが、一番の問題だろう。
 
**********
   <シカゴカブスのデーゲーム>
野球は太陽の下、天然芝の球場でやるべきだメジャーリーグにはこんな不文律があるが、今でもこれを忠実に守っているのが、シカゴ・カブスだ。~~」
「他球団が平日や夏場の祝日、夜に試合を開催する中でのこの観客動員数は大健闘だが、昼間からビールとホットドッグを両手に試合観戦を楽しむファンをテレビで見かけると、いったいこの方は、何を生業にしているのだろうかと、余計な詮索をしてしまう。

 それだけ、カブスのデーゲームが愛されているという証拠なのだろう。米国人作家のポール・オースターの「ムーンパレス」には、こんな一節がある。

ビクター伯父さんはデーゲームの断固たる擁護者だった。チューインガムの王様が人工照明などという邪道に堕していないという事実は、伯父さんから見れば論理的優越の証にほかならなかった。『こっちは野球を見に来ているんだ』と伯父さんはよく言った。『星はグランドにいる連中だけで十分さ。野球とは太陽と熱き汗のスポーツなんだ』
(ここで言うチューインガムの王様とは、カブスの元オーナー、ウィリアム・リグレー・ジュニア。ガム会社の経営者で、球場の名前の由来になった)
また、リグレー・フィールドでは、ブリーチャー・バムと呼ばれる集団が名物になっている。外野席に陣取る、上半身裸でビール片手の男たちだ。
 彼らはカブスのファンの中では上級な部類に入ると目されている。敗色濃厚のゲームでも試合を楽しむ極意を身につけているからだ。

 ただ、相手チームのホームランボールが足元に飛び込んできた際には、「こんなもの、要らねぇよ」と、グラウンドに投げ返すことができないと、彼らの仲間にはなれない。」
 
W。シカゴカブスがデーゲームに拘った代償が、途方もなく長い間、ワールドシリーズ進出が叶わなかった大きな要因になっていたと想う。
ナイトゲーム中心の他チームのスケジュールにデーゲームの多いカブスの選手たちの頭と体の調整機能が付いていけないことがプレーに悪影響を及ぼしていたと想像する。
ソレでも伝統を守っていることを全米の野球ファンは知っているからこそ、優勝しないカブスアメリカズチームであり続けられた。ベースボールの伝統には勝ち負けを超えたものがある
阪神タイガースが春夏の高校野球全国大会に本拠地、甲子園球場を明け渡すのも、大きなハンディキャップであり続けた。
この視点もあって、阪神超変革都市伝説批判の途上でシカゴカブスに注目した。
カブスはこの大きなハンディキャップをワールドシリーズを開催し優勝を果たすことによって遂に超えたが、それまでの長い年月を想うと実に大きなハンデであったと云わざる得ない。
ハンデを克服するためには新オーナ、球団運営者、監督、選手たちの実に大きなエンジンが必要だったと考える。
反俗日記は現在の阪神タイガースにシカゴカブスのようになれと勧めているわけではない。
もっと当たり前のことである。
超変革だとか育成だとか称して阪神ファンにチームの実態を隠ぺいするが如きカネ儲け目当てのマスコミ報道依存の組織的大嘘をつくのは止めにしてほしいと想うだけだ。
負けても良い弱くてもよし、有りのままのチームの実態をファンが承知の上で支持できるチーム内外の環境であってほしいと願う。
暗黒時代と言われた時期の阪神タイガースに今のような大がかりなウソはなかった。
シカゴカブスには論理的優越があった。
阪神タイガースにもソレが必要な条件が存在しているが、チームの実体を隠ぺいするようなウソのチーム戦略は自滅の道をはき清めることになる。
今のようなチーム運営方針の下では、何年たってもチーム力は強化されず、停滞するだけだ。
オーナー球団運営者、監督のすべてが2流、3流、アマチュアモドキ、プロではない、新自由主義の大衆騙しの政治テクニックを結果的に使い、呼応する大方のファンに新自由主義大衆の心性が充満しているのだが、そんな自身の姿は自分で見えないだけである。自己中心主義のチーム運営が他球団との競争状態の中で不利になるのは当たり前の原理だ。
 

      <2016年のセリーグ野球のレベルは低かった>
 
という事で、日本プロ野球は高温多湿の運動能力の消耗の激しい季節にクーラーの効いたところで野球ができるチームとそうでないチームの体力的差異は野球シーズンを通してボディーブローのように効いてくる。
 
2016年日本シリーズ
ドーム球場を本拠地として、シーズンと通して、体力を最終局面まで温存できた日ハムが、ぎりぎりのつばぜり合いに勝ったと云えなくもない。
屋外球場の広島は疲労蓄積が最終局面に出てしまった。
両チームに技術的なチーム力の差はあるように思えなかった。
 
ただし、日本シリーズが始まる前から、注目点があった。
セリーグ2位チームを17ゲーム以上の大差をつけて優勝した広島カープパリーグのCSファイナルステージでソフバンに接戦の末勝った日ハムにどのような試合をするかで、大差優勝の広島はともかくも、大差を付けられた2位以下のチーム力がはっきりする。
 
(6試合4勝 1アドバンテージ、全試合ホームグランド制~計算上、ソフバンは対日ハム3試合2勝1敗ペースを連続しなければならない無理があった。逆に日ハムは2勝1敗と1勝2敗で出場権を得る。)←パリーグには日ハムと力差のないソフバンがいる
 
日本シリーズの各試合の試合内容は問わないが、結果だけからみると4勝2敗で日ハムの優勝だった。
>ということは、広島カープに17ゲームも離された巨人以下の現状のチーム力はトンデモナイ低いレベルにあったと云う事だ。
 
>2016年シーズンは都合上、阪神中心の試合をみる機会ばかりだったが、極論するとコレでもプロ野球なのかという、勝つとか負けるとか以前のお粗末な試合があまりにも多すぎた。
 
同時に救いようのないことには、関西マスコミや大方のファンたちが、そんな野球をしている状態を直視しないで超変革とか育成とか(競馬の世界では、育成とはトレセン厩舎入り以前の若駒の牧場時代)糊塗しているところに新自由主義大衆の政治現象を見出した。
 
耳目を集める絵空事に近いシンボル操作よって大衆を巻き込み動員する手練手管を持つ球団とマスコミ対して、思考停止状態で呼応することによって、心地よさを甘受する大衆の身びいき、依怙贔屓の外に閉じられた関係がインプットされている
 
コレは特殊状態である。今までの弱い時代の阪神にこんなウソはなかった。弱さを認める度量があった
 

そこで、盛夏を少し過ぎたころから、MLBの球団に参考になるチームはないか、ということで、シカゴカブスに行き着いた。そのとき、カブスが首位を独走していることも知らなかった。
 
もともと大リーグの野球は野球少年だった子供のころ、ヤンキース黄金時代のミッキーマントルとロジャーマリスの連続HRのテレビ映像に衝撃を受けてから注目しだした。大リーグのチームが来日した試合のテレビ中継は欠かさず見ていたし、できる限り情報を集めようとしていた。後に来日チームの試合は事情が許す限り必ず見ることにしていた。
 
MLBを無視するようになった切っ掛けは、野茂英雄イチローラインからNHKがMLB放送を流し出してから、身を引くようになった。
大リーグに注目したのは、今風にいえば、純粋にコンテンツとして興味があったからで、ひねくれ者と云えばそれまでなのだが、日本人選手のいるメジャーリーグ野球に多くの視線が集まることに耐えきれなかった。
宝物はみんなが持てば希少性が失せる。宝物でなくなる。マイナー指向が世間に受け入れられてメジャーになれば、もともと、関心の持ち方が違うので、混じり合わない。
そうじゃないんだよ、という程の事もないので、身を引くしかない。
 
 
シカゴカブス阪神タイガースは明暗、まさに好対照である。
 
カブスはシカゴ北部エリアの伝統を守りつつ、新しい試みをしていることに魅かれるものがあった
オーナートムリゲッツ、球団運営者セオエプスタイン等、監督ジョーマドンと阪神タイガースの懲りない面々は何から何まで真逆である。
 
厳密にいえば、阪神電鉄は阪急に買い取られて時点で球団を所有する資格を失っている。
米国ならばドライに割り切って、球団を売却している。それなりの多額の金額で買収する者が手を挙げるが、日本ではそうはいかないのでずるずると年月がながれた。
 
阪神球団にカネがあると錯覚している人が多いが、自転車操業的に人材に小ガネを回しているだけで、最悪の2軍環境や独身寮を刷新する大規模設備投資の資金力はまったくない。
育成などという寝ぼけたことを、1軍のペナントレースの目標にするぐらいだったら、企業にとって一番手っとり早いはずの設備投資ができるはずなのにしない、いやできない。あたり前のことを当たり前にやらずに人材をいじって事を済ませている。スローガンは勇ましいが消極的手法である。
 
オーナー(サラリーマンの出世頭で、周りを固めた人物~企業の私物化は非上場になりやり易くなった~~)は
球団運営に対して何らリスクを背負っておらず、本質的に無責任である。
オーナーはカブスのセオエプスタインに相当する人物を指名しておらず、フロントで一体だれがチーム成績の最高責任を負って仕事をするのか不明確である。四藤球団社長は一サラリーマンにすぎずプロ野球素人である
前監督和田豊のオーナー付きアドバイザーの職責の範囲不透明。
 
その意味で云えば、広島カープの松田家が稼業のごとく経営責任を負っている状態は、チーム成績が悪くなれば自分の腹を痛める事になるので、すっきりしている。
阪神のチーム成績が悪くなっても、銭勘定はするが、地位が保全される限り、腹ををいためることはなく職を離れると球団との関係は切れる。
こんな仕事環境で相手の機先を制するようなチャレンジができるだろうか?
 
日ハムの球団GMにスポニチ記者出身者が就任している。巨人などで活躍した木田優夫 - WikipediaがGM補佐である。なかなか面白いところある人物だと思っていたが、日ハム球団経営者は人材を見抜いたのである。日ハムのセオ、エプスタインに当たる人物は元スポニチ記者出身のGMである。一企業のサラリーマンには特殊能力の必要な球団運営は無理、責任体制もはっきりしない。
日ハムはある時点でやはり、GM制復活が必要と決断したのである。
 
阪神オーナーは監督金本を選定基準不確かな己の感覚で選んだ。
単なる想い付きといって良い。日本プロ野球始まって以来に手法である。
 
しかし、中村勝広GMが亡くなったのも、阪神電鉄サイドの球団経営責任に行き着くのではないか。
閉鎖的私企業組織は、状況が悪くなると身内以外の関係者を責め立てて責任転嫁する。
究極のところ、経営責任者の自軍戦力の客観的評価がどの程度できているかどうかの問題なのだが、
なんとなく失敗を感じているから、企業外の人物を使う度量がなくなったのだろう。
 
カブスワールドシリーズ優勝への道筋は、日本プロ野球にとっても一つの目安になるモノと云えるが、日本の場合、選手移籍市場の活性化や戦力均衡化を保証する制度が整っていないので、一端チーム力の低下した球団は外国人選手補強に主眼を置くほかない。
村上ファンド事件以降の阪神タイガースの好成績がそうだったように、2,3の外国人選手の活躍次第でチーム状態は一変する、というのが実際のところである。
 
セリーグでは外国人選手のでき次第のようなところがあるから、優良外国人補強をするだけで、特別なことをしないで普通にやっておれば順位は上がる。
 
弱体球団が多く、上下の順位変動の激しいセリーグの中日阪神はMLBシステムと日本プロ野球の制度を混同し、MLB方式のまねをして貴重な日本人選手のチーム力の自滅の道を辿った。
余計なことをし過ぎたのである。
 2016年のヤクルトの自滅は資金力不足でセットアッパーと抑えに手が回らなかった事に原因があった。

    追記
カブス108年ぶり世界一、もう一人の立役者 野球の能力より選手の性格重視、チーム編成の最高責任者エプスタイン本部長   夕刊フジ 11/4(金) 16:56配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161104-00000008-ykf-spo
アメリカ東部の知的エスタブリッシュメント出身のエール大学卒のセオ、エプスタインがサンディエゴ、パドレスのフロントに職を求めた最初のボタンの掛け方からして、日米スポーツビジネスの間の長い経験値の大きな掛け違いがある。
日本プロ野球の親会社天下り球団組織に対して、MLBフロント業務の独立性はFA制度や選手市場を活性化制度などによって切磋琢磨の末に急速に確立された。
経験的にそのような環境ではオーナー組織の天下り人事では手に負える代物でなくなり、フロント業務に専門的知識と経験、結果責任が求められるようになった。
MLBのフロント業務に独立した機能があり、ソコに大きな仕事の余地がなければ、エプスタインのような人材は職を求めない
 セオエプスタイン自身は編成本部長を管轄責任分野として、ホイヤーGMと育成本部長の三頭体制を差配してフロント業務を取り仕切っているようだ。
言い換えるとセオエプスタインがカブフロントのトップに招聘された時点でも、カブスフロント組織はトップに立つエプスタインの意向に沿って動ける体制にあった。そうでなければ、優勝できないカブスブランドを曲がりなりにも全国ブランドとして維持できていたはずがない。
 
 ソレは阪神タイガースのような全国高校野球開催球場をプロ野球球団の本拠地することによって、半ば自動的に、歴史的に全国区オールマイティーの複数の官制マスコミの支援を得られてきた関係性とは違って、カブス球団にはそれなりの企業努力が営々としてあった。
 
ソレに対して阪神タイガースフロント実務部隊はどう云う基準で選抜されたのか不明な選手上がりの実働人員を一企業のサラリーマン組織の天下り要員が操る野球現場の論理とは距離を置いた私企業の小銭積み上げ金もうけ第一主義の<セコイ>論理に貫かれた組織である。

この記事に対する次のような阪神らしきコメントがある。
引用
阪神に来てチームを一から作り直してくれないかな!?まあ無理だってのは分かってるけどさ…。性懲りも無く35歳のベテランを高額年俸・複数年契約で迎え入れようとしている、学習能力が微塵もない阪神~」
 
W。若手選手をとっかえひっかえした結果、他チームとどうにか拮抗できるほどの戦力になる選手は2,3名しかいない、その他大勢は鍛えてもそれ以上のものにはならないだろうと判断でき切るだけのと判断力はある
若手選手を起用すれば上達すると単純に想定している、アマチュア野球流の考えを持っているのコメント氏の方だ。
 
選手が足りなければ自転車操業のカネを出しても獲得し乗数効果を狙うのは日本プロ野球の現状からみて柔軟かつ真っ当な方針である。伸びない素材はいくらチャンスを与えてもダメ。コレが日本プロ野球の世界の論理である。
 
W。見当違いのコメントである。
セオエプスタインは阪神フロント組織のトップに立っても仕事はできないだろう(この際、言語文化環境による意思疎通の問題は排除して純粋論理の次元の仮定をしてみる)。
 
阪神フロント業務の究極の問題点は<口を事あるごとに差し挟むが、まとまった大金を出せない(設備投資をできない)オーナー会社、阪神電気鉄道に集約されるといっても過言でない。
>言い換えるとセオ、エプスタインがフロントのトップに立って球団をどうのこうの以前に、球団経営者の野球施設に対する巨額な設備投資ができるかどうかの問題に集約できる
コメント氏のような人事で球団が変わると云う見解は、金本のキャラで球団が変わるように錯覚した浅はか旧態依然たるオーナー坂井某の思惑と同じ次元の問題の立て方である。
 
*現状の関西プロ野球球団2チームの地理的勢力図は詰将棋に例えると、神戸の旧スタジアムと大阪ドームを抑えるオリックスが西宮、鳴浜の阪神を挟み撃ちにしている。
 
そればかりか、大阪ドームを除いた大阪市第一の野球施設である舞洲(マイシマ)球場を神戸にあったオリックス2軍の本拠地の移転対象球場として入札価格約30億円で向こう50年間の運営権を取得した。
 
土地不動産の地上権のようなものと考えると、舞洲(マイシマ)球場はオリックスのモノになり、大阪市は地代を受け取るだけの存在となった。日本地本主義にとって所有権を安上がりで獲得したようなものとみなされる。
地代など多寡がしれている。湾岸開発を進める行政の意向があるので、長期的視野に立てば2軍フランチャイズ以外の利用の仕方も生まれるから、そこから上がる利益は大きい。
大阪市オリックスとタイアップして市民財産をかすめ取ったに等しい。
当該地は阪神2軍施設の移転候補地にもなりえたが、何も手出しができなかった。多分、大阪ドームを甲子園開幕中使用させてもらっている関係から、入札で介入できなかったものと想われる。
もっとも、阪神電鉄の球団運営体質ではそうした積極的な物目当ての投資サギ行為よりも、関西マスコミ依存の共同幻想を煽ることが手っ取り早い。
 
という事でボサッーとしているうちに余地のない関西地区で手狭になっている阪神2軍の近場の移転候補地は、オリックス宮内によって抑えらる事となった。
 
>そもそも、神戸と大阪ドームオリックスが活用することはダブルフランチャイズになって野球協約に違反すれすれの行為であるはずが
阪神が春夏甲子園の開催期間中、オリックスの実質的所有球場になっている大阪ドーム(京セラドームなどと厚かましくも自称しているが、いずれ大阪市に寄付する約束で80億円で買い上げ黒字化してそのまま使用している。)を<使用させてもらう>ためにオーナー会議で看過されてきたと考えられる。
 
 まして、オリックス本拠地の真下には阪神電気鉄道がなけなしの大金をはたいて建設した深い地下鉄の阪神西大阪線の延伸線が開通している。
したがって、現状の大阪ドームの近接線は3本になっており、阪神電鉄1本の阪神甲子園球場と根本的な交通の便において格差が生じている。
 
 自分の個人的な感情としては、オリックス宮内への反感さえなければ、プロ野球観戦はオリックスで十分である。
何もレベルの低い野球をしていることがハッキリしてきたセリーグ球団と阪神の試合をみることはない。
素人い目でもハッキリと解るのだからひどいレベルにある。球場に行っても大騒ぎ専門では細かいプレーの判断はできまい、と敢えて偉そうに言っておく!)
 
オリックスの試合をみることで日ハム、ソフバン、西武、ロッテの試合もワクワクしてみられるし、何よりもうっとうしい甲子園の阪神ファンの狂態に接しなくて済む。
 
自分の野球観は素晴らしい野球を観戦したい、ただそれだけで、何処そこの球団のファンとか言う目玉で野球をみる時期は過ぎた。セリーグの野球は中身と包装紙に違う嘘の野球である。
 
結局、「阪神タイガースの究極の問題点は
球団の応援団と称する実数たった200名程度の他のファンの観戦姿勢を巻き込むスポーツ観戦の邪道をいく一部劣悪ファンに迎合して、村上ファンド事件以降の球団経営の危機を乗り切ってきたことにある。
 
 試合前の場内アナウンス。
「メガホンを叩いての応援をよろしくお願いします」などというのはその象徴である。
球場中のファンが打ち鳴らしているモノはメガホンではない、2本のバットの形ををしたナイロンプラステックスの打楽器である鳴り物入り応援を球場全体の観衆に要請している破廉恥がココにあり、吐き気がする。
 
正岡子規がベースボールを野球(漠然としたフィールドボール)命名した時点で大きな間違いがあった
塁間ボールはもっと個々人が想いももいに神経を集中して観戦するものである。
単調にわぁ~わぁ~大騒ぎするよりももっと心地よい野球観戦スタイルがある。
プロの野球は神経を集中してその魅力を余すことなく吸収したいものである。
 
 引用。Wはお行儀に良いマナー云々の綺麗事を云っているのではない。ソレは過去のソフバン戦の「帰れコール」を肯定する記事でも書いた
コレなら賛成である。
リグレー・フィールドでは、ブリーチャー・バムと呼ばれる集団が名物になっている。外野席に陣取る、上半身裸でビール片手の男たちだ。
 彼らはカブスのファンの中では上級な部類に入ると目されている。敗色濃厚のゲームでも試合を楽しむ極意を身につけているからだ。

 ただ、相手チームのホームランボールが足元に飛び込んできた際には、「こんなもの、要らねぇよ」と、グラウンドに投げ返すことができないと、彼らの仲間にはなれない。」