2月3日、節分の日。スーパーの食品売り場がやけに混雑していた。人だかりのする弁当やすし類を売っている陳列棚には、すべて<巻きずし>、横たわっていた。異様な光景であった。
巻きずしに目線を移すと、普通の巻きずしと、デパ地下なんかでいつも売っているマジメな太巻き寿司との、中間品のような安っぽい代物だった。
値段は確認する気になれなかった。一刻も速く、そのようなチンケな代物にたかっている人混みから離れたかった。今から想うと値段を、確認しておくべきだった。
こういうハヤリを発起し、人々に向かって宣伝扇動し、そのどさくさに紛れて小銭を積み上げる、という<セコイ>商法をキッチリと目に焼き付けておくべきだった。まだまだ修行が足りない。細部にこだわり寄せ集めて、真実?に到達する帰納法に徹底すべし!
長年、人間やってきて、そんな風習は、記憶にない。
「ベストアンサーに選ばれた回答
W。明快である。
(W.廃れてきた節分の豆巻き太巻き寿司に替えたのかな?なかなか<アザトイ>知恵が働く。いかにも日本人らしいな。)
これを恵方巻の風習として2000年頃から日本各地で宣伝やキャンペーンを開始するにあたり、日常的な16方位による簡便な説明をしており、甲とすべき所を「東北東」、丙とすべき所を「南南東」と言い換える例が多くなっている」
引用 ウィキペディア
(W。イロイロ経過をさかのぼっているようだが、そういう習俗は一般に定着していなかった。)
「5世紀から6世紀頃、陰陽五行説が仏教や儒教とともに日本に伝わったとき、陰陽五行説と密接な関係をもつ天文、暦数、時刻、易といった自然の観察に関わる学問、占術とあわさって、自然界の瑞祥・災厄を判断し、人間界の吉凶を占う技術として日本社会に受け入れられた。
このような技術は、当初はおもに漢文の読み書きに通じた渡来人の僧侶によって担われていたが、やがて朝廷に奉仕する必要から俗人が行うことが必要となり、7世紀後半頃から陰陽師があらわれ始めた。
7世紀後半から8世紀はじめに律令制がしかれると、陰陽の技術は中務省(W、注。なかつかさ。)の下に設置された陰陽寮へと組織化された。陰陽寮は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせた。また、令では僧侶が天文や災異瑞祥を説くことを禁じ、陰陽師の国家管理への独占がはかられた。」
W、注中務省(W、注。なかつかさ。)
W.注。陰陽師は古代天皇制「国家」の中枢を担う官僚部局の管轄下にあった。仏教は<学問宗教>体系として日本に伝来した、儒教は難しすぎて分かり難い、陰陽は融通が利いて、古代天皇の筆頭、族長、祭礼主的性格を、もっとも補完しやすい。当然の措置である。
以下に挙げる江戸時代の陰陽と陰陽師の解説のニュアンスの違いは、関西文化圏と、その他の違いだろう。
W .その後の日本歴史における陰陽について次の点を注目する。
W.太平の世の全国統治を推し進めるための江戸幕府の意匠の一つとしての天皇家行事。
各地の民俗との融合を繰り返して変化し、江戸時代を通じて民間信仰として民衆の間でかなりの流行を見せた。←その他の地域と比較して、関西文化圏に濃厚。
近世での統制・近代での廃止
江戸時代には、陰陽道はもはや政治に影響を及ぼすことはなくなったが、民間で暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く日本社会へと定着したが、その活動は、だましものと扱われた者も非常に多く、後の占い禁止につながるものである。それらを声聞師とよび、士農工商に該当しない、身分の低い賎民として扱われた。←関西地方の特徴でもあり、日本的カースト制度の宮中の行事を聖なるものとするためには、同じような民間習俗は
禁止は事実上西洋化政策の一時期に限定され、圧政による明治政府の権力基盤の安定から、明治後半以降の天皇制家族国家イデオロギーへの転身とともに、ほどけていき、民間習俗としての陰陽もその中に組み込まれていく。
日本国憲法では信仰の自由はうたわれいる。
>先般、大型の汎用品量販店を訪れると、売り場の入口、10メートルにわたって各種の神棚を並べ販売していた。どれもこれも実にちゃちなものではあるけれど、売れ筋なのだろう、熱心に見入っている若者カップルの姿が印象に残った。
参考資料
vol.101 神棚の祀り方②
竹田恒泰(つねやす)
神の霊が宿る神聖なものを「御神体(ごしんたい)」といいます。設置したばかりの神棚はただの棚ですが、そこに御神体を納めることによって、神の宿る神棚になります。
神棚に納める御神体は「お札」が一般的です。
神棚に納める御神体は「お札」が一般的です。
お札は神社を参拝したときに、神社から頂くことができます。
では、日本全国には様々な神社が様々な神々を祀っているなかで、どのようなお札を神棚にお祀りすればよいのでしょうか。
第一に、家庭の神棚にはやはり神宮大麻をお祀りするべきです。
第一に、家庭の神棚にはやはり神宮大麻をお祀りするべきです。
次にお祀りすべきは氏神(うじがみ)でしょう。氏神とは氏族の先祖に当たる神、もしくは、地域の守護神をいいます。
氏族が特別に祀っている神様がいる場合はそれが氏神になりますが、現在では氏族の観念が薄くなっていますから、地域の守護神を氏神としてとらえて差支えありません。
氏族が特別に祀っている神様がいる場合はそれが氏神になりますが、現在では氏族の観念が薄くなっていますから、地域の守護神を氏神としてとらえて差支えありません。
地域の守護神は二種類に分けられます。
ひとつは自分が生まれた土地の神様、そして自分が今住んでいる土地の神様です。前者を産土神(うぶすなのかみ)、後者を鎮守神(ちんじゅのかみ)といいます。
産土神は、その人が別の土地に引っ越したとしても、生涯を通じて守ってくれる神と考えられています。
ですから、生まれた土地から引っ越して、現在は別の土地に住んでいる人なら、産土神と鎮守神の両方を氏神としてお祀りするとよいでしょう。
産土神は、その人が別の土地に引っ越したとしても、生涯を通じて守ってくれる神と考えられています。
ですから、生まれた土地から引っ越して、現在は別の土地に住んでいる人なら、産土神と鎮守神の両方を氏神としてお祀りするとよいでしょう。
神棚にお祀りする神様は、次のようにまとめられます。
1.天照大御神(あまてらすおおみかみ) W,古代天皇系
2.氏神(うじがみ) W,氏神系(民間系)→ 産土神(うぶすなのかみ。鎮守神(ちんじゅのかみ)
3.それぞれの家庭や個人が特別に崇敬(すうけい)する神々
4.祖霊神(それいしん)
1.天照大御神(あまてらすおおみかみ) W,古代天皇系
2.氏神(うじがみ) W,氏神系(民間系)→ 産土神(うぶすなのかみ。鎮守神(ちんじゅのかみ)
3.それぞれの家庭や個人が特別に崇敬(すうけい)する神々
4.祖霊神(それいしん)
W.伊勢神宮は本殿から一通り、見学した。特に本殿のあまりにも素朴というか俗っぽい雰囲気に驚いた。云ってみればちゃち。
神宮全体の雰囲気は、古代日本の原風景を醸し出すように工夫されていると見た。
その意味で飾り気がなくあっけらかんとしており、大きなほかの神社の威厳を前面に押し出すような威圧的なたたずまいと違っている。
しかし、伊勢神宮の背後の山系と川の流れの海側に開けた風景は典型的な中世鎌倉後期から室町の荘園の風景である。
当地を支配した中世封建領主と伊勢神宮との関係が、このアンバランスを解く、ポイントである。
竹田氏の天皇物語の実像をしるのが歴史の探求であり、面白さである。
私はまるっきり興味がないので調べる気がしないのだが。
江戸時代の関西地域を中心とした庶民の間からお伊勢参りが突然湧いて出たのもうなずける。伊勢神宮はほかの大きな神社に比べて親近感を与えるを神社である。庶民はお伊勢参りをして、参道や付近の歓楽街で遊ぶことも楽しみにしていたという。今もそうした雰囲気は参道や付近にある。
竹田氏の解説は、この記事を読む限り、それなりに公平感があり、神社系について、整理されている。
セブン&アイ・ホールディングス
株式会社セブン-イレブン・ジャパン 100%
|
主要企業の比較
セブン-イレブン | 2兆7849億円 | 13,103店 |
イトーヨーカ堂(単体) | 1兆3647億円 | 174店 |
そごう・西武 | 8,592億円 | 28店 |
ヨークベニマル | 3,487億円 | 164店 |
ヨークマート | 1,105億円 | 65店 |
連結3396億5900万円 (2014年2月期) |
連結1756億9100万円 (2014年2月期) |
連結2兆2215億5700万円 (2014年2月末現在) |
連結4兆8113億8000万円 (2014年2月末現在) |
連結5兆6318億2000万円
9兆5978億円(7-Eleven, Inc. 含む)←W。? |
「セブン-イレブン (米国)7-Eleven, Inc.) とは、アメリカ合衆国のコンビニエンスストア
してしまう。日本で独自に培われたノウハウが注ぎ込まれ、再建が始まる。これにより、フランチャイジーのイトーヨーカ堂傘下となって、社名を「7-Eleven, Inc.」に変更する。2005年には、セブン&アイグループの完全子会社となり、「セブン&アイの米国現地法人」という位置付けになった。現在は、アメリカ本土で5,799店(2004年末現在)を運営するほか、セブン&アイグループの国際戦略の一翼を担っている」
W。セブンイレブンの沿革をおおざっぱに整理してみると次のようになる。
スーパー大手資本イトーヨーカ堂の創業者伊藤は、米国のコンビニ方式の広域販売網を、日本で展開すれば大もうけできると目を付けた。
次の話のコンビニ発祥の話は、納得できるが、食文化の違いや、海のもの山のものの新鮮な食材が、身近にあり、地元に商店街があって、おまけに人手が余って、出張販売までしていた日本<日本的食材と流通経路>とはかなり実情が違う。
「1927年に、サウスランド・アイスカンパニーとして創立。当時のアメリカでは、電気冷蔵庫がまだ普及していなかったため、周辺住民にとって保存用氷は、なくてはならない存在であった。
同社の販売を任されたジョン・ジェファーソン・グリーンは、夏の時期には、週7日・毎日16時間の営業を行った。この試みは、地元の人に高い評価を獲得した。
ある時に来客から、食料品や調理器具などの日用品も扱ってくれると便利だという声を聞き、ジョンは本社へ提案を提出。同社もこれに合意した。これが、「7-Eleven」の原型となる」。
W。その、テキサスに本社のあるサウスランド・アイスカンパニーの経営する米国セブンイレブンが、後発の同業他社との市場競争に敗れ、1991年倒産したために、日本セブンイレブンを傘下におさめるイトーヨーカ堂資本に買収される。
2005年ホリエモンのニッポン放送(フジテレビ株の多くを所有)買収騒動のとき、「- 株式会社セブン-イレブン・ジャパン、株式会社イトーヨーカ堂、株式会社デニーズジャパンの3社が株式移転により3社の持株会社として設立。」
W。スーパーチェーン網が地元商店街から顧客を引きはがし、袋小路に追い込む。それでもなんとか踏ん張るが、小回りのきくコンビニができて、シャッター商店街へ。
土地柄によって、商店街の真ん中にスーパー(店舗面積の規制は受けているのだろうが)やコンビニがある。
岡田イオンと経営内容を比較してみると。
セブン&アイ最高益、イオンは減益 決算で明暗分かれる、何が理由か
2014/4/20 16:00
「イオンの連結決算は、本業のもうけを示す営業利益が前期比10.1%減の1714億円だった一方、セブン&アイは同14.9%増の3396億円と過去最高を更新したのだ」
W。生活必需品、日用品を主力に販売して、年間、2000億円も取り込んでいるのか!
基本的にそのウゴメキは寡占資本、そのものである。
それでいて、消費税値上げのどさくさに紛れて、あざとく便乗値上げ。
火をつければ燃え上がるという体質が、庶民の側にあるにしても(恵方に反応する関西歴史風土の体質とともに、端的にいえば、食い物系の店に長い行列を作ってた危機するという摩訶不思議な現象と同類)、節分の日に便乗した恵方巻き(えほうまき)はブームは、2000年以降どのようにしてでっちあげられたのか?
スーパーマーケットでは、ダイエーが関西地方で1980年代頃には販売を行っており、関東地方の一部地域では1990年代前半から販売開始、ジャスコでは1992年(平成4年)から全国同時に販売を開始[49]、などのように同小売業態でも宣伝活動が行われるようになった[16]。2000年代以降は地方の小規模スーパーや個人経営店も参入する動きがある[14]。
2007年(平成19年)の日本全体での販売本数は約3000万本[50][51]。2008年(平成20年)では2月2日と2月3日の2日間で、セブン-イレブンだけで388万本、コンビニ大手3社で約700万本が売れたという[52]。」
W。しかしよくわからないのが、食い物屋の前に何十メートルも行列を作ることは、欧米ではありえるのかどうか。昔の物資不足のソ連の行列を嗤えないよ。ものがあふれている今の日本の方が、不思議現象なのではないか。横並び集団現象なのか?