参考資料①
反俗日記 2013/5/1(水) 午後 3:46 ここで反俗日記はモーゼス・フィンリー - Wikipediaの『民主主義――古代と現代』、柴田平三郎訳、刀水書房、1991年 / 講談社〈講談社学術文庫〉、2007年と図説古代ギリシアの戦い - ヴィクター・デイヴィスハンセン - Google Booksの成果を再解釈している。
(1)W。城塞都市コリントス市民は夏の乾季で乾きに毎年苦しむが、市民は共同体の全体の秩序の中にいて、耐えなければならない。ペロポネソス半島の僅か5キロの付け根に位置するコリントスに日本で云う川はなく小川だ。降雨のない乾季の夏のコリントスの城塞都市生活は乾きとの戦いであったろう。
W。川の神=(乾燥地コリントスでは水の恵みの象徴だろう)、の娘の誘拐事件の真相を知っている彼は父親=(川の神)の事情の説明の詰問に真相を話す交換条件として
「コリントスの城塞に水をくれるならば、教えようといった。」
シューシュポスは「天の怒りの雷電よりも、水の恵みの方を選んだ。」「このため地獄で罰を受けた。」
引用 フィンリー「民主主義ー古代と現代ー」
「共同体意識こそが民主政治の実際上の成功をもたらした不可欠な要素であって、その意識は国家宗教と伝統によって強化されていた。
もし市民の間に大部分の人々の行動に枠をはめるような自己規制がなかったならば、無制限の参加の権利を持った主権的な民会も、民衆法廷も、抽選による役人の選出も、陶片追放も、無秩序状態や、その反対の僭主政にせよ、阻止することができなかったであろう。」
「反俗日記」が再構成したシューシュポスは民主政治の実際上の成功をもたらした国家宗教と伝統によって強化されていた共同体意識に反抗し行動した。
反体制と素朴な欲に従ったシューシュポス的存在には天の審判が下る運命にある。
シューシュポスは落下必然の巨岩を押し上げる無益で希望のない労働の罰を<永遠(意識ある人間には今が
永遠。>に受けなければならない。
(2)W。更にシューシュポスの罪は重なる。
死の神を鎖に繋いだシューシュポス。
シューシュポスは古代ギリシア人特有の戦争文化とその勇気と知力の実行精神への反抗者、平和の神だった。
ハンセン「古代ギリシアの戦い」引用。
省略 日記本文参照
3、瀕死の床に横たわっても、生への執着の覚めないシューシュポス。
愛と猜疑心に身を焦がし、地上の快楽を捨てきれないシューシュポスに遂に神々の地獄の永遠の労苦の評定が下された。
「影を生まぬ太陽はないし、夜を知らねばならぬ。
2017年、3月14日追加 A、カミユ「シューシュポスの神話」新潮文庫 P80より引用。
不条理人間は<よろしい!>という。
彼の努力はもはや終わることはないであろう。
ヒトはそれぞれ運命はあるにしても、人間を超えた宿命などありはしない。
少なくともそういう宿命はたった一つしかないし、しかもその宿命とは、人間はいつか必ず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべきものだと、不条理人間は判断している。
それ以外については、不条理人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。」
「頂上をめがける闘争ただそれだけで、人間の心を満たすのに十分足りえるのだ。いまや、シューシュポスは幸福なのだ。」
2017年、3月14日追加 A、カミユ「シューシュポスの神話」新潮文庫 P80より引用。
W。<不条理の実相>
「不条理は解決されることはあり得ないのだと云う事を、不条理は死を意識しつつ同時に死を拒否することだと云う限りにおいて、不条理は自殺者の手から逃れてしまうのだ。」
「死刑囚の脳裏をよぎる最後の思考がぎりぎりの極点に至り、めくるめく死への転落が今にも起ころうとするまさにその直前の地点で、しかもなお彼が目にする数メートル前の靴ひも、不条理とはそれだ。
自殺者の正反対のもの、まさしくそれが死刑囚である。」
「こうした反抗が生を価値あるものたらしめる。
>反抗が一人一人の人間の全生涯につらぬかれたとき、始めてその生涯に偉大という形容が冠されるのだ。
偏見のない人間にとっては、知力が自分の力を遥かに超える現実と格闘している姿ほど素晴らしい光景はない。
>精神がみずからに命ずるあの規律、隅々まで鍛え上げられたあの意志、あの毅然と向きあってたじろがぬ姿勢、ソレらには力強い独特な何物かがある。
>現実の非人間性が人間に偉大さを作るのだから、そうした現実を弱めることは、同時に人間の力を弱めることだ。
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>重要なのは和解することなく死ぬことであり、すすんで死ぬことではない。自殺とは認識の不足である。
不条理の人間のなしうることは、いっさいをくみつくし、自己をくみつくす、ただそれだけのことだ。
>不条理とは、彼のもっとも極限的な緊張、孤独な努力で彼が絶えず支え続けている緊張のことだ。
なぜならこのような日々に意識的であり続け、反抗をつらぬくことで、挑戦という自己の唯一の真実を証しているのだと云う事を、彼が知っているのだから、以上が第一の帰結である。」
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W注
個々人は世界のすべてを認識できるはずはないのに、世界はその全てから成り立っている。
世界を再構成し、認識する側に転倒し、個々人を積極的な行動主体と位置付けると人間的『物質』の叛乱、蜂起にたどり着く。
宇宙史、地球史、生物史、動物史、人類史と『物質』が展開してきた壮大な歴史の果ての只今現在の最先端に存在し続ける『物質』の個々が自らの意思で叛乱し、蜂起し世界に対峙し、宇宙史の次元からすると即時に宇宙の無機物に帰っていく。
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反俗日記 2014年9月21日
<酔って死んじゃあ、男じゃねぇ!> 国定忠治
W、載っていたブログ記事は捜しても見当たらなかった。貴重。
~刑場に引き出される前の役人とのやり取り~
「忠治よ!おまえも年貢の納め時だなぁ。手も足も利かなくんなっちまってざまぁねぇやあナ」
「うるせぇ、こちとら、伊達や酔狂で、博徒をやってんだよ!小役人が偉そうな口を利くんじゃねぇやい」
「ハハ、普通は伊達や酔狂ではやらねぇというんじゃねぇのか?全く学がない奴はやだねぇ」
「だから、おめぇら、小役人は出世しねぇのよ。 まぁおいらの気持ちは大樹さま程じゃねぇとわかんねぇかもな
「盗人猛々しいとはお前の事だ。よりによって公家様の名をかたるとはいい度胸だ。な~んて、言っても、お前も今日限りだせいぜいほざくんだな。」
「けっ」
「ほら最期の酒だ。もう一杯いくか。」
「じょうだんじゃねぇや。 こちとら男を看板にいきてきたんだ。 磔が怖くてよ、酒を何杯もかっくらって
酔っちまったらどうすんだい。酔って死んじゃ、男じゃねぇ!、てっよ」