事情により長らく作業が停滞した。連載中の課題を思い起こすために、とりあえず上野千鶴子著「資本制と家父長制」の気になる論点を整理することにした。
2,2 市場と家族の弁証法的関係
「家族は労働市場に人間という資源をインプットアウトプットする端末だったのである。
A)>この中で、人々は再生産をめぐる権利義務関係に入り、単なる個人ではなく、夫・妻 父・母 親・子 息子・娘になる。
B)この役割は、、規範と権威を性と世代に不均等配分した権力関係であり、フェミニストはこれを「家父長制」と呼ぶ。」
3,3 ドメスティック、フェミニズムの逆説
「奥様」と呼ばれる。W。注① 身分になることは、女性にとって労働しなくていい身分になること、つまりメイドを使う身分になることを意味した。
『奥様』の身分は、貴族と武士階級を除いては、最初は、都市ブルジョアジーの家庭において成立したが、その時、主婦の座とは、自律的な女の領域を確保したうえで、その中で意思決定権、指揮監督権を行使できる女の王国の座に就くことを意味した。
<近代の形成期>W注② に「家庭」という領域の確立とその領域への女性の君臨~後のなってみれば女性の隔離~とが、ドメステックフェミニズムとして「女性の地位向上のための目標になったというパラドックスは、こうして説明できる。
のちに女性の疎外と抑圧の元凶として怨嗟の的になった性別役割分担~近代における公私の分離とそれぞれの領域への性別配当~は皮肉にもこの時期には女性によって積極的に称揚されたのである。
というのも、前近代の農業社会で大杼が同質の労働に従事しているところでは女性は常に男性の監督指揮下に入り、自律性を経験すること委がなかったからである。
「家庭性」の確立は、性別隔離のもとに女性に男性権力からの避難場所を与え、逆説的に女の王国を作り出した。
男にとっても、家事使用人のいる家庭に家事労働をしない妻を置くことは、彼の所属する階層のステイタスシンボルとなった。W注③
>今でも結婚したら主婦になりたがる娘たちの中には、主婦になることが階層上昇を意味した近代初期の残響が響いている。 W。注④
男たちは教育という階梯を上ることによって出身階層から這い上がることができるが、娘たちにとっては、結婚が自分たちの貴族階層を選びなおすほとんど唯一のチャンスだったからである。
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W。注① 今日の日本語に「家庭」の妻に対する呼称として<奥さん>以外の語彙は存在しない。
貧困丸出し何も格好をつける必要のない家庭の妻が<奥さん>などと呼ばれている悲喜劇。~落語のハッァン、クマさんの長屋住まいの交流はそこにない。現実と意識のズレは甚だしいので、こうした呼称は自分たちの手足を縛る。
そこに東アジア東端付加体列島の原住民性を見る。
W注②③④ 一言でいえば資本主義発展と自力市民革命未達成、経済下部構造と上部構造の大きなずれ、の問題である。
W注② 日本の戸籍法は世界の類を見ない家族単位で国家が国民掌握、管理を目的としたものであり、現戸籍法は帝国憲法戸籍法を継承しているところがある。
家族から個人の自律性の析出は戸籍法のない国々よりも困難を伴う。
上記とともに江戸時代の年貢村請け負い制度におけるムラ秩序意識と制度の残照は近代現代に継承され、(現在の付加体列島原住民性に刻印) 日本民衆の共同政治幻想を呪縛している。これを支配機構はよく知っていて統治に利用している。統治する側、される側にも深い継承性がある。このグローバル資本主義の時代に、どうしてそうなっているのか、突き詰める必要がある。
W。注④ 主婦になりたがる女、世界一は日本。日本の現実に歴史的根拠があるからだ。