反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第3回。反俗日記掲載介護記事の再録(学習)と経験による意見添付。原理原則と施設という閉鎖的な特別環境、労働には金銭発生という条件を無視した解説が書籍やネットに多すぎて

   2017/9/14(木) 午後 10:36 引用
認知症という疾患は、記憶が悪くなるだけでなく、考えて判断して行動するときに自分では正しいことをしているつもりでも、客観的には問題となることを知らない間にしてしまうのです。」
             ↑
W。?「正常」といわれる人たちも、同じことをやる。
W。参考資料

認知症の方と同じ土俵に立ち←W。物理的精神的に不可能なことをできる、できている、という思い込みは施設という閉鎖空間において成立する。

>「本人の気持ちを感覚的に理解して、本人にとってストレスとならない対応をとること、本人にとって、うれしい、安心すると感じる対応をすることが上手なな対応となるのです。
すなわち認知症の方が快適に生活できる環境を整えることが認知症の介護であり、認知症の治療ということになるのです。←W。胆に銘ずべきところ。

参考資料 「必察!認知症ケア」~思いを察することはから始まる~生活(いき)ること支援~永島徹
認知症ケアの研修会で話をさせてもらう時でも、介護職の方々から
認知症の人に対して、適当なことを言ってごまかすているようで、やりがいが感じられない~~』
うそをついて相手をだましているようで嫌になることがある』
相手を子ども扱いしているようで、これでいいのかと思うことがある』
というような、日ごろの思いをうかがうことがたびたびあります。
はたまた、
『私は嘘をつけないから』
『私は口下手だから、認知症ケアには向いていないのです』
そんな言葉を聞いたことがあります。
『うそのつくのが上手な人』 『口がうまい人』が認知症ケアに向いているなんて思われてしまったら、飛んでもありません。
どれだけ相手の思いに目を向けられるか、相手の思いを察することができるのか、
認知症ケアに大切なのはそのことです。

察することを生かした認知症ケアを実践していくことで次のようなメリットが考えられます。
 1)必然的な対応が可能になる
>『どうしてそのような言葉かけをしたのか』
>『なぜ、そのようにかかわったのか』
など、自分の言動の根拠が見えてきます。

『このようにかかわれば、相手が安心することができるだろう』←W。気性的に安心を与えられない介護者がいる。
そんな予測に基づく対応も可能になってきます。
『偶然そうなった』ではなく、根拠や予測に基づく必然的な対応で、ケアの専門性を高めていくことができるでしょう。

3)認知症の人<相手>と思いを察しあう関係性を実感できる。
察するということは一方的なものではありません。
相手の思いを察して、関わっていこうとする人の思いは、相手にも伝わります。
自分だけが認知症のヒトの思いを察しているのではなく、そんな介護者の思いを認知症の人も察しています。
>個人差はもちろんあります。


                  2017/9/15(金) 午後 1:12

第3回 1、介護現場の実例 
    症例ごとにケアの判断が点数で分かる
認知症ケア~あなたならどうする~伊刈弘之 医療法人さわらび会福祉村病院

客観的には症状がないのに、いろいろなクリニックで薬をもらって飲んでいる。
85点→いつも介護者が傍らにいて、本人が安心できるような対応をする。

認知症高齢者の介護で本人が信頼できると感じる介護者が常にそばにいることほど安心できる状況はありません
常に介護者が傍にいてくれたら認知症高齢者が自分で調子が悪いと感じて近くの病院などに出かけようとする際にも、その介護者の話を聞くだけで安心し、受診する必要がなくなる可能性(W。その程度のことが結構厳しい)が出てきます。
しかし認知症高齢者と一緒に生活し、介護することは、大変な苦労を伴います。
>>1対1で介護することは難しいでしょう。←W。看取ったケースも介護者が身体を壊したことも知っているが、可能な限り、そのような状況は避けるべきだ。

本人に対して、病気じゃないと説明したり、納得させようととしたりすることは意味がありませんし、薬を取り上げるような行為も無駄になることを理解していただきたいと思います
>>本人が自由に好きなように行動しても支障なくストレスを感じることなく生活できるような環境が最適なのです

● キーポイント
認知症高齢者が、なぜ必要ないと思われる薬や治療を要求するのでしょうか。その理由を考えてみたいと思います。

認知症とという状態は、記憶が悪いだけでなく、思考や判断力に障害が認められます。
考えるとか判断するとかという能力が低下すると、自分自身の状態を正確に把握できない状況が発生します
正常な状態でも、、ほっておいて大丈夫な状態でも、事実誤認をしてしまうのです。
逆に、
非常に危険な状態であっても「たいしたことはない」と関jてしまうこともあり得るわけです
これが思考力判断力の障害なのです。

認知症高齢者は自分の状態が悪いと考えているわけです。(たとえ事実で履くても本ににとっては真実です。)
そのような認知症高齢者の考えに(たとえ誤っていても)「あなたは悪くない」と本人と対立する意見を述べるのですから、認知症高齢者はさぞかし怒りを感じて腹を立てることでしょう。これも当たり前の反応です。

>ですから、認知症高齢者の言動を否定してはいけないのです
認知症高齢者の世界を理解し、受け入れる方向性はいつも重要ことなのです

W。かかりつけの病院不信があり、A病院に行きたいと行動を起こしているとき、その程度の症状であれば、長年、診てきたかかりつけの病院に行くべきだと、厳しくとめたことがあった。この時、激しい抵抗にあった。
結果的にWの判断が正しく、実際にそのようになったとしても、この解説によれば、行かせるべき、ということになる。

*Wの意思、介護の方向性と本人の、思いがすれ違う場合、
説明説得事態になり、激しい抵抗を受けると本人よりも先に感情的になり、相互不信に至るという最悪結果を繰り返してきた。
>結果、自分でよかったのか、症状を悪化の要因になっているのではないかというと激しい自己嫌悪、と迷い、葛藤を引きづるWに
>寛容の手を差し伸べてくれたのは、介護されるべきひとだった。

*この症状の介護に不適格な性格はあると思う。
何も知らなくても、自然体で接することで、この症状の人をうまく介護できる人がいる。
脳血管性認知症の母親を103歳大往生まで看取った人が語っていた。
理念理屈先行タイプの人間は、得てして感情的な人間である場合が多い。

感情的な人間との自覚があるから、理念や理屈に頼って事態を乗り切っていこうとする。非現実的人間である。
>そのようなケースでは、この症状介護の悪循環への出口が見当たらない
>結果、この症状の介護を社会化していく方向性に活路を見出す
二つの認知症地域サポーター講習会の男性講師(ともには母親介護経験)に共通する傾向とWはみた。
(本人たちは気づいていないと思う)
*Wの実際にやっている方向もコレだ。
そのような方向しか選択できないという、被介護者抜きの一方的なリアルな実体がある
この症状を担当する施設の職員の自分は向いていないのではないという悩みは本質的なところからきている根拠があり、介護技術、職業倫理、報酬に働く根拠を見出していくしかない。

>であれば、介護技術が未熟で、職業倫理、や報酬という条件が取っ払われた介護者は、どうすればいいのか。
>さらにボランティア介護であるという法的枠組みのないケースでは?
結論的に言えば
3重の高いハードルがある。

しかし、賽の河原の石積み、積み木崩し、シジフォス的事態を裏側から見るとしてみると、
フレキシブルな自由をソコに見出すことができる。
崩壊すれば、巨石が麓に落下しても、わずかな前進を目指してまたやり直す。
狭き門より至れ。
力を尽くして狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者おおし、 生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出す者すくなし。」

>自分の運命を受け入れる。すべてはこれでよかった、この道しか残されていなかったのだ!
毎日、死にながらのサバイバルだ。
コレはサバイバル戦争であり、自分はその兵士。
目的を目指すための手段がこの症状の場合、本人本位という極めて特殊!
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    デイサービスを始めたいが、本人が嫌がって、行きたがらない。  
>通所サービスを上手に使うことは、在宅での認知症の介護を上手に進めるうえでの重要なポイントとなるのです。
最後に余談ですがアルツハイマー認知症の方はいき始めるまでは大変ですが、一旦慣れていくようになると好んでいく方が大多数です。
他方脳血管系障害による認知症の方はなかなかなじめないで苦労することも多い印象があります。
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介護者は認知症の本人ができなくなったことを、元のようにできるようにと一生懸命に訓練するが、本人は配偶者が急に冷たくなって怒ってばかりいると、悲しそうに泣いて訴える。

90点→怒ったり叱ったりしない介護の仕方を徹底してもらう
怒っても叱ってもダメなのだと思っていても、怒ったり叱ったりすることがやめられないのが家族であるという証拠なのでしょう。
認知症の場合には、怒ったり叱ったりすることは何の意味もないのです。

意味がないどころか脳槽や暴言、暴力など介護上の悪いことを誘発しかねません。本人の性格や人間関係によってはうつ状態になることもあります。
ですから何があってもにこやかに穏やかに対応することが大切なのです。

プロの介護者にとっては簡単なことですが、家族が介護する場合には、時としてつらく悲しい思いがこみあげてくるかもしれません。
>すべては認知症の本人を幸せにして絵げるためであると割り切ることが必要となります。

W。この症状の進行していく事態を日常生活で目の当たりする介護者はそれまでの割り切った接し方を維持できないで、思わず苛立ち怒ったり叱ったりする、割り切った段階以前に逆戻りする。
相手に対する身体的感情的思い入れ(身内意識)がそうさせるのである。この類的感情は人間においてもっとも発達し、霊長類の「頂点」に押し上げてきたものであるから、払しょくできない。

>どうすればいいのか?
この症状の介護は100点満点の60点でOKと割り切ること。
マイナス点には目をつぶる。清濁併せ呑む。
モグラたたきはやちゃだめだヨ。
日々、間と遊びを作る。

85点→本人が夫と離れている時間を増やすようにする。←W。一番シンプルにできる物理的方法。
W。 日常生活上の本人との距離の取り方ということに尽きるが、ここまで考えると意外に難しい。 メリハリをつけた接し方。そういうものだと習慣づける。一日の生活を定型化し、介護者は本人の定見化した必要時には必ず、その場にいる。

75点→楽しい話や本人が好むアクティブプログラムを実施する
~ 
共通の思い出話に花を咲かせるセル回想法 作業療法 

   おすすめの『こうなる』
介護者が認知症のことを理解し、介護を実践できるようになれば、認知症本人の状態はみるみるよくなるはずです。
しかし、家族の介護、特に配偶者を介護する場合、解っていて実行できない、どうしてもイライラしてしまい優しく介護できない、などの状況が発生します。そのような場合は二人だけで頑張るという姿勢は捨てて、子
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在宅で見ればよいのか、早めに施設入所を考えた方が良いのか迷ってしまう。
85点→主たる介護者である夫の気持ちや意向を、一番尊重する

もしも夫は自分が疲れ果てて死んでしまっても、その瞬間まで妻の介護を続けることが生きがいであり、そのように死ねたら本望であると心から感じているのであれば口出しは無用でしょう。
ぜい思いのまま最後まで生きてほしいと応援したくなります。
~~
認知症の方は自分の気持ちや意志を、相手に十分に、適切に伝えることがむつかしくなっています。
そのような場合には、その人の気持ちをもっとも分かり合える第一責任者、主たる介護者、後見人などの気持ちや考えを最も優先すべきであると考えます。
 おすすめの『こうする』
決して第三者である介護専門委員が勝手にこうすべきであると決めつけるような行動はよくありません。

           おすすめの『こうする』
注意すべき点は、
認知症の方の状態が毎日の生活環境によって、よくなったり悪くなったり、行動障害が増えたり減ったりすることを、家庭で介護している方々が十分理解したうえで、今後のことを判断しようとしているかどうか、ということです。
>プロが行うような認知症の介護をすれば夜間の不穏状態などが減ることを家族が知ることなく、認識のないままで重要な判断を下すことだけは避けたいものです。

>それは認知症の介護をしている介護者が認知症の知識を持って認知症の介護方法を勉強すると、考えや感じ方が変わり、介護に対する意見が変わってくるからです
    ↑
W。はたしてそんなかんたんなものだろうか? この介護は不条理そのもの。進行性を目の当たりにすると介護者は動揺してしまい、将来不安に陥る。

原理原則と施設という閉鎖的な特別環境、労働には金銭発生という条件を無視した解説が書籍やネットに多すぎて、生に身の在宅介護者は自分の至らなさに悩み、精神的肉体的に疲労を蓄積していく。共倒れ状況なのだが、まじめで熱心な介護者の方が先に体調を崩していく場合が多い。

症状への知識が裏目に出る場合もあり、あくまでも真理は個別、個性の介護現場にある。
リアルな情報公開と交流の場が救いになると思う。