反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第1回。 何も言わないために多くを語る典型の介護論文。

       高齢社会における介護ストレスとその対策 服部万里子
      立教大学コミュニティ福祉学部福祉学科 NPO 渋谷介護サポートセンター 
                 (ストレス科学研究 2011, 26, 1-7)
    Wの前説
W。この論文は学生さん執筆のモノと思う。第三者的支援者の立場が濃厚に出ている。
現場の生々しく厳しい実践が足りず、介護現場に踏み込みだ探求はできるはずもなく、ありきたりのことしか書いていない。
このような指摘は嫌というほど読んだ。毎度おなじみのフレーズが出てくるが介護現場の実態との乖離は大きい。

W。ただし、Wの批判的観点は認知症のひとの介護を対象としたものであり、この論文は介護保険利用者全体を想定したものなので、無理な批判がある。

>例えば、執筆者は在宅、要介護2を軽度としているがWの意見では要介護2の在宅認知症のひとの介護はたとえ、訪問諸サービスを導入しても一般的要介護2のひとよりも介護者にずっと重い負担がかかり、
>介護環境が整わなければ、症状の進行が早まり、重度介護の介護3に移行する。
在宅認知症、要介護2の人の在宅介護は介護サービスを利用しても相当な介護力を必要とする。

ということで在宅要介護2の認知症のひとは、認知症自立度Ⅱb→認知症自立度Ⅲの途上なので、この時期に施設入所をした方が介護者の心と体の健康のためにも良い。
受け入れ施設があるかどうかも難題である。
また本人のために入所後のこともある。
しかし例外的事例もあるが、事の本質は姨捨なのではないのか

>ただし、認知症のひとは自分の置かれた状況がわかっていないし、自己中心の世界にいるので、教科書的マニュアルの言う、本人の納得を得ての施設入所は難しい。
認知症介護の最難関はここにあるのだが
教科書的マニュアルには何も書かれておらず、個々の介護家庭の私小説的ストーリーの情報が洩れてきているだけで、それらのパターンを類型すると、実にあからさまな事実があるだけだ。

>そして、介護者被介護者双方が頑張った結果、最悪の悲劇が訪れる場合がある。
>皮肉な視点で見れば、それらの悲劇は軟着陸できたらいい方で各ステージに等級化できる