4月某日。
ここ3回、訪問医療の立ち合いをしないことにした。
この医療は医者が聴診器を当てて、看護師が血圧を測り、ノートパソコンに入力するだけで、自分がかかわるようになる以前の約5年間、看護師同行にもかかわらず、服薬管理の状況さえもチェックしてないで、強靭な心肺血管能力、体幹能力を誉め、本人を安心させてきたが、スーパー後期高齢者にふさわしい生活指導はしてこなかった。
(くすりの出し方は信頼してきたが、それも最近よく調べてみると揺らいできた)
服薬管理は自分が知っている方法を用いてからようやくできるようになったが、それでもトラブルは避けられない現状があるが、こうした実情を立ち合いの場で医者と相談する相互の絆がない。
悪意にとれば、あるがままに放置し、倒れたら病院送り、その先に施設があるという、ハードボイルドな割り切りが透けて見える。
しかもその陰で、地域として本人に積極的にかかわる自分に対して裏から手を回して排除してきた過去がある。
介護保険制度は発足以降、徐々に設立当初利用者本位の理念と実行力を失い、関係事業所の都合と利益に従属する現状になっている。
当然であろう。点数が上がらないのだから、制度内で力の強いもの(関連事業所)が優位に立ち、極少派の身寄りのない高齢者が結果的に粗末に扱われる。
介護保険制度の歪み、経年劣化に馴染んだ関係各方面の「常識」からすれば、そうした高齢者に関わる地域のものは、スムーズに事が運ぶ障害物に映るのであろう。
彼らは当事者能力の徐々に失われつつある<本人>とのみ交渉したがり、本人の「病状」が悪化すればするほど、金銭が発生する算盤を本能的にはじき出しているようだ。