反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

認知症考。資料、見沢知廉「囚人狂時代」筆記引用。W、大西巨人「神聖喜劇」彷彿。世間の常識が非常識!非常識が常識になる場所と時がある。特殊に一般性普遍性をみる、一般的なものに特殊をみる。

  今回の記事はこれまでのこの方面の記事の問題意識を深める素材をそのまま提出したものである。
しかし、頭の中で観念を追い求めることと現場の実行にずれが生じているのは承知している。

 引用文の参考資料

見沢知廉 - Wikipedia 「囚人狂時代」の著者

見沢知廉 ―― エラソーニの見沢知廉 評 
引用
『囚人狂時代』 新潮文庫 (312P \514)
★★★☆☆
>ホームページ 文弱エラソーニの部屋

引用
「 9月7日は作家・見沢知廉氏の三回忌だった。見沢さんについてはこの連載の19回目の「『人生を変えた言葉』と高遠さん」で書いたのでそちらを参照して欲しい。当日、中目黒で行われた三回忌に出席した後、「劇団再生」による「天皇ごっこ 母と息子の囚人狂時代」という演劇を見た。見沢さんの生涯が、そして小説が演劇になったのだ。
 演劇前の追悼の会で、見沢さんのお母さんが「この舞台に見沢は来ると思います。これから見沢に会えるのが楽しみです」と語った。」
~~引用
「獄中で膨大な量の小説を書き続け、それを清書して新人賞に送り続けるお母さん。「死にたい」という見沢さんの手紙と、「死ぬなら死になさい!」というお母さんの手紙。それでもどこまでも見沢さんの面倒を見ると最後には言うお母さん。そして獄中受賞。「原稿用紙の上に咲いた小さな花」。出所。その後の作家生活。まるで本人が降臨したかのように、見沢さんの、みんなに言いたくても言えない本音が舞台上で吐露される。みんなに迷惑をかけている、みんなに恩返しをしなくては。最後の方はそればかり。全然そんなこと思う必要ないのに。気にすることないのに。そして舞台終盤、劇場に真っ赤な血しぶきが飛んだ。赤い羽毛が、客席を埋め尽くす。見沢さんの血しぶきは私たちの上に舞い落ちる。 」
~~引用
「イベントのタイトルは「償うとは何か」。今まで死刑は微妙に避けてきた分野だが、死刑囚の人を意識したきっかけは見沢さんだったことを思い出した。今から十年近く前、彼は永山則夫と文通していて、その手紙を見せてもらったことがあるのだ。地獄の12年を経験した彼は、常に獄中者のことを気にしていた。そして私が永山則夫の手紙を見せてもらってからすぐ、永山則夫の死刑が執行された。その時の見沢さんの怒りと落ち込みはよく覚えている。見沢さんの書いたものの中には、獄死した人を獄中で偶然目にするシーンがある。白い布をかぶせられて運ばれる遺体の上に載せられた手錠。獄死すると、遺体の上に手錠が置かれるという。死んでも罪から逃れられないということなのだろう。
 「償うとは何か」。森達也さんと話しながら、見沢さんの記憶ばかりがフラッシュバックした。
「人を殺した見沢さんは、12年の刑を満期で終えた。それは「償った」ことになるのだろうか? 当り前だが、どれほど重い罰を与えても、死刑にしたって死んだ人は戻らない。償うとは何か」。見沢さんこそが、そのことを考えに考え抜いたのではないだろうか。そしてそのことと彼は、文学という形で必死に向き合おうとしていたことを知っている。苦しんでいたことも知っている。だけど、私は、そして彼の周りの多くの人も、そんな彼にかける言葉を見つけられなかったように思うのだ。」
引用終わり。

③『見沢知廉とその母の事』大浦信行

囚人狂時代 本文 筆記引用
P160
千葉刑務所に落ちて約3年俺は独房舎である11舎に移された。
1886年5月のことである。
~省略~ W.。引用文の舞台を紹介する。
なぜ大物だけかといえば、はっきり言っていじめなのだ。11舎のことを囚人たちは泣く子も黙る11舎と呼んでいた。
独房は昼夜独居または厳正独居といい。、一日中房舎の中で座って仕事をしなければならない。
屈伸や死後どころか、勝手に水を飲んだり便所に行くのも禁止。アムネスティーなど国際人権擁護団体は死刑に次ぐ残酷な懲罰として糾弾しているぐらいだ。
しかも明治時代から使われている監獄である。悪い冗談のようだが、俺が言っていたころは千葉県の特別指定文化財になっていた。つまりそれほど前近代的な代物ということだ。
 11舎に送られたものはまずその雰囲気の異様さに恐れをなす。
一つの房はは3畳程度の広さしかなく畳はボロボロ。窓にはガラスの代わりにビニールが張ってあり、流しも陶器ではなくコンクリートの打ちっぱなしだ。便所もただの床に四角く穴が開いているだけの汲み取り式で、そこに木の蓋がかぶせてある。
夏は部屋中に大小便のにおいが充満し、冬は窓から寒風が入込み、窓辺に置いた濡れ雑巾が氷結するぐらいだ。
時折、左翼の宣伝カーがやってきて、塀の外でアジリ始める。
「~転向しない幹部のみ、きれいな普通舎でなく、不潔極まりない残酷な11舎に押し込め転向を強要し~」
だが俺は意外と11舎が好きだった。
政治犯の先輩がここで苦しんできたと思うと自尊心が甘くくすぐられた。
~俺は7年間11舎で過ごしたことになる。
この章ではこの間の出来事を少し書いてみよう。
      
      空がかゆい。
 ある夜のことだ。
<空がかゆい>の房を監視孔からのぞいた看守が大声で叫んだ。
「うぉぉ、おめぇ、なにをしてやがる!」すぐガチャガチャと鍵を開け中に突入する。直後、
「ぎゃあ!」
看守は絶叫して飛び出し、<空がかゆい>が何か叫びながら後を追いかけていった。
 それにしても看守が逃げるほどだからよほどほどの事態だ。すぐ非常ベルが鳴り警備隊が有数人も走ってきた。
 ダダダダッー。廊下を走っていた<空がかゆい>をとっ捕まえると、たちどころに緑色のズタ袋に詰め込み、ズルズルと袋ごと廊下を引きずっていった。保護房に運んでいくのだ。
叫ぶ右側の房にこたえ、苦笑交じりに看守がいった。
「うん、野郎、机の上に自分のウンコをのっけて、それで人形を作ってたらしいんだ。それでドアを開けて中に行ったら、その人形投げて追いかけてきたんだとよ。~まったくよお、看守も楽じゃねぇよな」
 しかし、<空がかゆい>は序の口で、俺はその後もいろんな;キチガイ;を見ることになる。
このウンコ人形事件の後、さすがに<空がかゆい>は普通刑務所不適格と判断されて、八王子医療刑務所へ送られていった。(下線W)
そしてさらに八王子から精神病院に送られそこで死んだらしい。
   
    自殺するなら切腹以外で、 
『いやぁ 見沢君ね、俺の女房が昔精神病院に勤めていたから知っているんだよ。
いいかい、今の薬なんてね、なんでおつむに効くのかなんてまだ解ちゃいないんだよ。
ただ表面上、そういう効果があるってだけで、あんなもの飲むのはモルモットだよ。薬ばかり飲んでいるとホント、パープーになちゃうぜ』
>モンちゃんの云うことは本当だ。
刑務所時代、俺も精神科医のカウンセリングを受けていた。この時試した薬は何十種類に上る。文学のネタにしようと思ったのだ。
W。いちいちクスリの名前と効能を書き綴って
~というう風に向精神剤はどれも胡散臭い。しかし全く薬を飲まず、躁うつ病と戦うにも無理がある。←W。見沢の死は向精神剤多量摂取の影響もあった、とおもう。
    
    モンちゃんはIQ140の天才
~以下省略~
     
       腹が減ったのう 
W。差別、偏見に傾きそうになるが事実に正面から向き合い、時と場所、機会を踏まえた姿勢を維持して筆記する。 

~独房舎はシーンとしている。
夜間はことに~空虚な静寂に満たされる。
 そののっぺらぼうの暗闇に突然、
『コトーン』
と報知機の音が反響する。
鳴らしているのは<ボケ>さんだ。本名はボクさんだが刑務所に行ってからボケさんになった。
~60代半ばごろ、愛人殺しで懲役10年の判決を受け、千葉に行ってきた。
そして70を超すころに、老人性の痴呆症が出るようになった。それまで工場に出ていたが、徘徊、空笑い、独り言などがひどくなり、11舎に収容されたのだ。
~『コトーン』
担当が早速、ボケさんの房へ飛んでくる。
『何の用だ』
『腹が減りました』
ボケさんはいつもこうなのだ。
『お前さっき飯食ったろう。』
『エッ何のことですかのう。わしは腹減りましたのう』
担当はチッと舌打ちしながら念のために掃夫を呼ぶ。
『おい、こいつ飯食ったのか、残飯は出したのか』
担当に効かれて答える。
『はい、全部きれいに食いました』
官は囚人のハンストや衰弱を恐れる。囚人の病気や暴行には無神経だが、獄死者が出るのだけが怖いのだ。いつか新潟刑務所で原因不明で3人も連続して死んだときは、国会でも問題に荷った。
しかし食っていて死なないとわかるとがぜん強気になる。
『てめぇ!飯を食ったばかりで腹減ったとは何事だ!管をなめるのか!そんなことでいちいち警報器を鳴らしやがって!俺はそれでここまで来たんだぞ。』
 管のこの対応はシナリオ通りだ。餓死の心配がないならば、後は脅かして平伏させるのみ。
官はいつも、まずは怒鳴ることで威嚇する。それでも反抗するものには注意処分や減点、それでもダメなら懲罰。その上は保護房、自殺房その果てには八王子医療刑務所の精神舎がある。ここは昔ロボトミー、今でも向精神薬や電気ショックが多用されている完全な<カッコウの巣の上>だ。五体満足では帰れない。だからどんな強者でも八王子の名前を出されたら、文字通り泣いて平伏してしまう。
刑務所を支配するのは理屈でも規律でもない。恐怖なのだ。W、下線
その恐怖を背景にして官と囚人の間には、軍隊式の厳然たる場へ関係が成り立っている。       
>>しかし老人性痴呆には、どんな威嚇のシステムも通用しない。W>>印
『ほう、よく来たの。まあ、そこにお掛けなさいや、お元気かいのう』
『お元気かいって~~このボケ野郎。いいか、今度意味なく報知機を下ろしたら、許さんからな。』
担当はコトンと報知機を挙げて担当台に戻った、しかし、すぐさま
『コトン~』
ボケさんが報知機を下ろす。担当は駆け戻ってきて怒る。
『て、てめえこの野郎』
『はぁ、腹が減りましたな』
担当は鉄扉を開け、報知機を押し所をどんどんたたきながら怒鳴り散らす。
『おいボケ!ここを押すな。解るか、わかったな。ここを触るなよ。音がうるさいんだ。俺は忙しんだ。いい加減にしろよ!」

 ある日、こんな押し問答~というより暖簾に腕押ししているところへ巡回の区長が通りかかった。
担当は過ぎ鉄扉を占め、区長に向かって敬礼した。
『オッス、独居舎総員54名、現在54名異常なし』
異常の真っ最中なのだが、それは言わない。いえば自分の成績に響く。よほどのもめごとがない限り担当は握りつぶしてしまうのだ。むろんそのためには囚人を殴るぐらい、平気の平左朝飯前だ。
区長は鷹揚にうなづいて、ボケさんの房と通り過ぎようとした。その途端、
『コトーン』
ボケさんは上司なんかこわくない。
区長が不審そうに振り返る、お偉いさんだけあって、現場の事情は知らないのだ。
『どうしたんだ?』
担当は情けなさそうな顔になり、直立不動であえぐように言った。
『ボ ボケているんです』
  W。大西巨人の「神聖喜劇 - Wikipedia」染みてきた。←当時の100万部ベストセラーである。主人公は鉄壁の記憶力で陸軍内務規定を暗記しそれを逆手にとって上官に立ち向かう反戦小説。痛快ユーモアピカレスク長編、独特の文体がなぜかリアル感を醸し出していた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E5%96%9C%E5%8A%87
>見沢の「囚人狂時代」の主人公ボケさんは神聖喜劇の主人公と逆のパターン。世間の常識が非常識!非常識が常識になる場所と時がある。特殊に一般性普遍性をみる、一般的なものに特殊をみる。
ボケさんに人類進化史の普遍性を見る。ボケるのは真っ当である。この前の記事で引用した認知症全国キャラバン標準教科書のような観点=人生の最期まで尊厳を持って迎えたい。そのためにはボケないでいたいなどという願望を一般化普遍化するのは、庶民の現実的最期にはありえない。特殊を一般化普遍化するものであり、激しい怒りを覚える!
その意味からも見沢の「囚人狂時代」は文学している。特殊世界の常識は非常識。それを暴くには毒がいる。
       
    生かさず殺さず
 ボケさんの報知器遊びは次第に感覚が狭まっていき、ついには30分毎に鳴らすようになった。例の腹減ったとわかっていても、相手は一応老人だ。なにかも発作の心配もある。
慌てて駆け付け報知機を取り上げると
『いや、あなたね、腹が減りましたのう、」
毎日ボケさんがこの調子なので、担当もすっかり弱ってしまい、苦肉の策で、報知機にガムテープで止めてしまった。
ところがボケさん報知器が気持ちよく下りないので、いつまでもガチャガチャとおしている。これがうるさいととうとう回りも騒ぎ出した。
『うるせえ』
『何とかしろ』
平穏が乱れるのを保安は死ぬほど嫌がる。
~~省略~これで一件落着に見えた。
おもちゃを取り上げられたボケさんは、かえって痴呆が進んでしまった。
夜になると幻覚を見るらしく、大声で何かをしゃべるようになった。
省略
これに周囲のブーイングが加わる。ヤジ、怒声、壁をける音~~。
夜勤の看守は汗をふきふき、
『まあ、ボケてんだから我慢してくれよ』
そうういいながら「動向調査票」という細長い帳面に何かを書き込んでいる。さしずめこんなことを書いているのだ『11舎騒乱状態になる』
この帳面は毎朝、担当に提出される。騒乱状態が何夜も続いて、担当も頭を抱え込んだらしい。
係長や区長と相談し始めた。
~省略~
が、相手はぼけ老人だ。脅かしても透かしても効き目がないし、いわんや減点処分などまったく意味がない。下手に懲罰をして衰弱死されても困る。生かさず殺さずなのだから囚人が不具になっても構わないが、死なれたら困るのだ。
 しかし結局これといった妙案も浮かばず、課長巡回が平穏に過ぎるのを祈った。
が、そうは問屋が卸さなかった。
 独居房の作業中囚人は定位置に座っていなければならない。立つことはおろか、屈伸したり横になったりしても懲罰を食らうハメになる。ところがボケさん徘徊してしまうのだ。意味のなく3畳の独房の中を、一日中ぐるぐる歩いている。   
 巡回が来るとまずいので、担当が看守を連れて房に入り、ボケさんを二人係で押さえつけ、蹴飛ばし、殴り、何とか座らせた。そして作業の恰好だけはさせようと二人羽織のようにぴったりとボケさんの後ろにくっついて両手で押さえつけ袋貼りの真似をさせ始めた。
 そうこうするうちに点検の時間だ。
朝夕二回の点検は、刑務所に神聖な儀式の一つだ。
『点検用意-ーっ!』
号令とともに担当か係長が点検簿を持って廊下に立つ。その横で看守が一房一房、ドアのかぎが掛かってるかを確認し、
『**房、番号!』
と叫ぶ。すると房の囚人は、正座して前を向き、両手を膝の上にぴったりつけ、背筋を伸ばして顎を引き自分の番号を返さなければならないのだ。
 このときは、手や足の位置が少しずれていただけでも、あるいは番号が聞き取りづらかっただけでも雷鳴のように怒鳴られ罵倒される。屁をこいで懲罰になったやつさえいる。
 けれどもボケさんは怖いもの知らずだ。
ぶつぶつ独り言を言っていると思ったら、
『腹が減った、腹が減った』gるグル徘徊を始めてしまった。真っ白い頭を上下左右に振り、手にはアルマイトの皿を持っている。口をだらんと開き、ドタドタとおぼつかない足取りだ。
 慌てたのは係長と担当である。ドアをける、怒鳴る、脅かす~がきかない。そこへ課長が近づいてくる。
 もうだめだ。仕方なく担当は非常ベルを押した。
数人の警備隊が飛んでくる。こいつらも看守だが、戦闘服に戦闘帽、安全靴を履いて警棒と手錠を持っている。出勤するのは総検の時と、喧嘩や暴動の鎮圧、懲罰の連行、宣伝カーが来たりしたときの外部防衛などごく限られた時だけ。普段は仕事をせず、保安等で監視テレビのモニターを見てぶらぶらしている連中だ。
 軽部隊はぼけさんの房へ駆けつけると、灰色の大きなズタ袋をもって中へ押し入り、70歳の老人に柔道の技をかけた。倒れたボケさんに数人が馬乗りになり、殴ったりけったり。そのあげく、後ろ手錠にさるぐつわの高速具をかけ、老人をズタ袋に放り込んだ。そしてズタ袋を引きずりながら、保護房へと連れて行った。
     
     裁判ごっこ
  見沢「囚人狂時代」筆記引用は次回に続く