反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

She Thinks I Still Care⇒ジョージ・ジョーンズ -Leon Russell -。The Surfrajettes - Britney Spears Toxic Surf Cover。Britney Spears - Toxic (Live)

She Thinks I Still Care

ジョージ・ジョーンズ - Wikipedia

ソングライター ディッキー・リー、スティーブ・ダフィー

W。自作だと思っていた。

George Jones-She Thinks I Still Care - YouTube

W。この歌を知ったのは大昔、友人のレコードコレクション。


Leon Russell - She thinks I still care

From the album Hank Wilson's back - Leon Russell Recordet at Bradley's Barn febr.1973, released Aug.1973

W。カントリー界最大のレジェンド、ハンクウィリアムスに引っ掛けてHank Wilson

@名盤!である流れているのはCDではなくレコード盤だと思う。

コレクションの中に大川栄策のアルバムもあった。なぜこんな馴染まないものが、と違和感を覚えたが、友人はこの歌手は人気がないがうまい、とさかんに強調していた。その後大川栄策は表舞台に出た。

 もともと、Wはカントリーのコレクションに熱中していた一時期があったのでレオンラッセルのアルバムの完成度の高さにピンときても譲り受けたが、CD発売当初、レコードの音源に慣れ親しんだものにとって、CDの音は聴くに堪え切れず、新調したコンポは友人に譲り音楽を聴くのをやめた。

その際、このアルバムも友人に手渡した。物持ちの良い人なので今も保存していると思う。レオンラッセルはアメリカでも地味なアーティストであり貴重なアルバムである。

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 打ち込み系一辺倒の電子音の楽曲とハンドメイドの違いがよくわかるのはコレ。

 


The Surfrajettes - Britney Spears Toxic Surf Cover


Britney Spears - Toxic (Live at NRJ Music Awards)

 

2011年、3,11からCOVIDー19パンデミック、東京オリンピックへ。唄(うた)を忘れた 金糸雀(かなりや)は ~~

唄(うた)を忘れた 金糸雀(かなりや)は
後(うしろ)の山に 棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

 

唄を忘れた 金糸雀
背戸(せど)の小薮(こやぶ)に 埋(い)けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

 

唄を忘れた 金糸雀
柳の鞭(むち)で ぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう

 

唄を忘れた 金糸雀
象牙の船に 銀の櫂(かい)
月夜の海に 浮べれば
忘れた唄を おもいだす

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W.明け方、寝床の中でフト、童謡カナリヤの一節が浮かんできた。

日本とは悲しい国である。

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news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

引用

汚染水処理問題の“大きな見逃し”があったという

汚染水を多核種除去設備(通称ALPS)で、トリチウム以外の62種類の放射性物質をろ過しトリチウム汚染水」として、敷地内の巨大なタンクにためる方法が取られている。  現在設置されている汚染水タンクの容量は137万トンこれが22年秋までにいっぱいとなるために、海洋放出するか、蒸発させるか、議論が難航したままの状態だ。⇒W一日当たりの汚染水排出量は約140トン。凍土壁で汚染区域を地下水脈から防御している。

 ところが、だ。

ジョー氏はトリチウム汚染水の約7割が十分にろ過されておらず放射性物質を含む汚染水のままであることが分かりました。

そもそも、こんなに汚染水が出るとは思っていなかった⇒W.3本の地下水脈にぶち当たっている。

福島第一原発事故後の最新情報 P.21

ALPS処理汚染水、大気・海洋放出で本当にいいの? パブコメを出そう!(〆切7月31日)|FoE Japan

f:id:redtigerkun:20210311151354p:plain

 

一時期、ALPSのフィルターの掃除などが滞っていた時期があったことが原因で、こ

のようなことになっている」と明かす。

つまり、もう一回、ALPSを使い、ろ過作業をやらなければならないわけだ

東電福島第一原発、放射能汚染水、「最新鋭のALPS」で浄化後も基準2万倍超えの放射性物質検出。トリチウムどころではない(各紙) |  一般社団法人環境金融研究機構

 

 

東電が処理「完了」発表・・福島第1タンク汚染水 リチウム除去できず、3割は再処理必要 |

 

「二度手間になっているんです。時間が迫っているんです。僕はてっきり、たまっているものに関しては、次の工程としては『捨てる』だけかと思っていた

>「さらなる問題も浮上。「再ALPS処理水」をどこにためておくのか、ということだ。 「もう、敷地もいっぱいいっぱいな中で、これまでの7割のタンクというのは汚れていて、そこに水を入れるわけにはいかないですから⇒W。海洋放出か蒸発の2手段しかない。F1事故最大の難点は3本の地下水脈からの湧く膨大な汚染水対策である

デブリの取り出しに関しても問題が山積み。⇒W。不可能である。チェルノブイリ型石棺にして放置しかない。

予定では去年、耳かき1杯ほどの2~3グラムのデブリを取り出す予定だったがそれもできなかった。推定800トン、900トンのデブリが残っているのに

「事故を起こした彼らが生きているうちに『廃炉』っていう希望がないと、後ずさりしちゃう。夢物語だとは分かっていても、心が折れないために『2050年廃炉』を掲げざるを得ないんですよ」と指摘した。⇒Wデブリ石棺放置にするにしても、結局は汚染水をどうするのかという問題は残る。

                ↓      ↓

意見わかれる福島の処理水放出の「安全性」 その議論の構図

              国側が示している方向性は

経産省は2019年12月23日、処理水の処分方法を検討する有識者会議に、放射性物質の除去処理を再度行い、薄めて安全基準を満たしたうえで

1)海洋に放出する
2)蒸気にして大気に放出する
3)その両方の併用

という、3案を示した。

国はいずれの案でも「安全性に問題はない」としている。

中でも、コストや先行実績などから最有力視されているのが、海洋への放出だ。

これに対し、福島県漁連は「国や東電が風評被害などへの対策をきちんと取らない限り、放出は認められない」という立場だ。

トリチウム」という放射性物質は、ALPSの能力では取り除くことができない。

トリチウムは水素の仲間(同位体)で、核実験や原発の稼働によって人工的に発生するほか、宇宙線の影響で自然界でも常に生成されている。

そして、酸素と結びつき、水とほぼ同じ性質の「トリチウム水」となる。それが海や川、雨水、水道水、大気中の水蒸気に含まれ、人間は普段から体内に取り込んでいるという。

トリチウムの処分の安全性を巡る認識は国際的に共通しており、韓国や中国、イギリス、フランスなど各国も、それぞれの国の規制基準に基づいて大量のトリチウムを海や大気に排出している。

突出して排出量が多いフランスのラ・アーグ再処理施設では2015年、計約1京4000兆ベクレルのトリチウム海や大気中に処分した。これは19年10月末現在の福島第一原発のタンク内のトリチウム総量(実測値と推定値の合計)の約16倍にのぼる。

一方で、いま貯蔵されている処理水のほとんどが、トリチウム以外の放射性物質を多く含んでいる。

これはALPS運用当初の不具合や、タンクに貯めるための安全基準を満たすことを優先して処理したのが主な理由だと、国や東電は説明している。

浄化処理によってタンクに貯める基準はすべての処理水でクリアした。だが、より厳しく設定されている環境に放出する際の基準を満たさない限りは、処理水を処分できない。

東電は、処理水を環境に放出する場合、もう一度浄化処理(2次処理)にかけ、トリチウム以外の放射性物質の量を可能な限り取り除き、放出基準を満たしてから行う、としている。

放出基準を満たせば、科学的な安全性に問題はないというのが、国側や東電の一貫した立場だ。

          環境団体「危機感でいっぱい

「置き場所がないから海に流す、というのは本末転倒」

グリーンピース・ジャパンが処理水に対して望むのは、以下の2点だ。

・放出しないこと
・長期保管し、並行してトリチウム分離技術を開発し、適用すること

鈴木さんは「海はゴミ捨て場ではない」と強調する。

ALPSで2次処理をしても、トリチウム以外の放射性物質がすべて基準値以下になるかわからない。それに(科学的に安全だとしても)本当は放射性物質を出さなければ出さない方がいいに決まっていますよね。基準値を満たし、線量が少ないからといって、リスクがゼロになるわけではないのだから」

              国側は、団体が示す懸念にどう返すのか

処理水の大半で放出基準を満たしてない点について「ALPSでトリチウム以外の放射性物質を規制基準未満まで浄化できます。その実績もあります」と語る。

また、トリチウム分離技術の研究は国内外で進められているものの、現時点では能力や規模、コストなどの面で福島第一原発に適用できるものは見当たらない、という。

    放射線治療の専門医が問題視すること

トリチウムの内部被ばくへの懸念を軸に放出への反対

トリチウム体内で「有機結合型トリチウム」に変わることで、人体への危険性が高まるというものだ。

「内部被ばくは、外部被ばく以上に深刻。国や委員会の科学者たちは、内部被ばくを過小評価しています」

「外部被ばくと内部被ばくを例えると、外部被ばくは薪ストーブにあたって暖をとること。内部被ばくはその燃え盛る薪を小さく粉砕して口から飲み込むことです。体の細胞により大きな障害を与えるのは、局所的とはいえ後者です」

具体的には、水素と同じ挙動をとるトリチウムが、体内のタンパク質や糖、脂肪などの有機物と結合し、化学構造式の中に水素として組み込まれた有機結合型トリチウムに変わることだという。

有機結合型トリチウムとなれば、トリチウム水と比べて、体内に残る期間も長くなるからだ。

そして「有機結合型トリチウムならば、食物連鎖の過程で生物濃縮もされ、人体に取り込まれて危険だ」と主張し、こう言う。

「最大の問題は、遺伝子(DNA)の中にトリチウム元素が水素として取り込まれることです

DNAに含まれる水素とトリチウムが置きかわり、そこでベータ線を出し続ける。さらに、トリチウムがヘリウムに変わり、DNAを構成している塩基の化学構造式まで変える。また、ヘリウムに変われば、DNAの二重らせん構造を維持する水素結合力が失われ、その構造が脆弱になり、最終的にはDNA構造を破壊して遺伝情報に影響を与える。だから「問題だ」と言う

放射線の影響は、基本的には被ばくした部位に現れる。たしかにトリチウムが放出するベータ線のエネルギーは低い。でも、DNAの中に取り込まれると、そこで放射線を局所的に当て続け、DNAを破壊する。それによってどんな悪影響があるかは、ほとんど解明されていないのです

白血病の増加などの健康被害が起きたとする報告があるとしたうえで、「要するに分離技術がなかったから、流していただけなんです。『今も世界で流しているから良いじゃないか』というのも、ふざけた話だと思います」

「国はトリチウムの分離技術は実用化段階にないと言っているが、分離技術はあるにはある。だから、技術を確立してから、分離して流すべき。そして、その技術を海外にも輸出する。健康被害が出ないような方法を考えていくべきです」

   小委員会の専門家の見解は?

田内委員によると、トリチウム水を飲んだ場合、すべてが血中に移行する。代謝や排泄などで、平均すると10日程度で半分に減るが、組織中の水と交換をしながら「5~6%」が有機結合型トリチウムに変わるという。

 「生物濃縮はしない」

現在、有機結合型トリチウムについてわかっているのは、40日程度で半分に減るものと、1年近く経って半分に減るものの2種類があることだ。

だが、有機結合型トリチウムに変われば残留期間は長くなるものの、やがて体外に排出され、「生物濃縮はしない」と田内委員は強調した。

「血中のトリチウムは体を循環している中で、(組織中の水と)交換をしながら、尿や便、呼気、皮膚などを通じて排泄される。いずれは減っていきます。決してどこかに濃縮されるということはありません」

「もし生物濃縮があるならば、タンクの中のトリチウム水(処理水)は生物で濃縮して取り除けるということにもなりますが、そういうことはございません」

  有機結合型トリチウムの方が影響は大きいが..

有機結合型トリチウムが、トリチウム水よりも生体への影響が大きいことは「事実」

「DNAの中の水素の大半がトリチウムに置きかわるというような状況でもない限り、生体への影響というのは考えられないというのが、我々科学者のコンセンサスです

日本は長年、トリチウムを含む水を海に放出してきたが、2015年度の原子力施設周辺海域の海水濃度は、最高でも1リットルあたり2.6ベクレルだったという。

  マウスによる実験で

  「特別に生体影響が大きい事実はない」

      総括

グリーンピースの議論は、これ以上、人為的に放射性物質を生み出して放出すべきではない、という観点や原子力発電のあり方、そして、リスクをどうやってゼロにするか、という点を重視しているといえる。

西尾さんの議論は、トリチウムの内部被ばくの影響は全容が解明されておらず、危険性が潜んでいるのではないかという危惧が前提にある。また、放射線防護に関する勧告を出すICRP(国際放射線防護委員会)のあり方も、疑問視する。

両者はそのうえで、タンクのさらなる増設や大型化で貯蔵を継続して時間を稼ぎ、その間にトリチウム分離技術の開発に注力することを求めている。

一方で国や東電、小委員会に入る専門家の議論は「現在の学識と国際的なコンセンサスに基づけば、放出の安全性は科学的に担保されている」という考え方を前提とする。

しかしその裏には、コスト増や新たな用地買収の困難さといった経済的、社会的理由から、貯蔵の継続を避けたいという国と東電の本音も見え隠れする。

そこに、漁業関係者が抱える、放出で起きるかもしれない消費者の買い控えという、社会的影響への不安という観点も絡んでくる。

さらに、もし貯蔵を継続すれば、そのコストは最終的にわたしたち国民が電気料金や税負担の増加というかたちで支払うことになる。処理水の問題は、わたしたちの家計にも直結しているのだ。

<この記事は、Yahoo!JAPANとの共同企画で制作しています

http://バズフィード・ジャパン ニュース記者 Kensuke Seya kensuke.seya@buzzfeed.com に連絡する. Got a confidential tip? Submit it here

 W。盗人猛々しい!

英語では「The guilty is audacious

「盗人猛々しい」は英語のことわざ「The quilty is audacious」を使うことができます。意味は「相手を巧みに騙して利用する者は、始めから罪悪感がかけている」となりますが、正常な環境で成長していない人にまともな話をすることは到底無理で、逆にこちらが被害に遭ってしまう、という状況に反映してできたことわざとなります。

中国語では賊喊捉賊

中国語の成語に「賊喊捉賊(ぞくかんそくぞく)」という表現があります。直訳すると盗賊が悪事を働いた後に、逃げながら「盗賊を捕まえてくれ」と、まるで自分が第三者のように見せかけることを表しています。つまり、悪事を働いたにも関わらず、自分の非をごまかすためにしゃあしゃあと被害者に成り済まそうとすることを意味し、ずうずうしく開き直りることを指す言葉となります

www.econ.kyoto-u.ac.jp

引用 

京都大学

 

京都大学大学院 経済学研究科
再生可能エネルギー経済学講座

2019年4月4日
エネルギー戦略研究所シニアフェロー 竹内敬二

 

福島第一原発事故の8周年が過ぎ、廃炉処理に何年かかるのか、費用はどこまで高騰するのかが改めて問題になっている。

>政府と東電は、廃炉作業は30~40年で完了し、事故の総費用は21.5兆円(廃炉には8兆円)との数字を示しているが、

>このほど民間シンクタンクが「35兆円から81兆円」という大きな数字を出した。より多くかかるとした主な理由は、見通しのつかない汚染水処理だ

 過去の原発大事故をみると、40年前に起きた米スリーマイル島原発事故炉では廃炉作業は未着手であり、ウクライナチェルノブイリ原発事故(1986年)の処理には今後100年が必要ともいわれる。原発事故は、驚くほどの時間と費用がかかるケースが多い。」⇒W。オリンピック誘致を推進した(事故の後始末の費用は日本経済と国民が負担する)日本支配層は現実から故意に目をそらした、としか言いようがない。明らかに、東日本大震災福島原発事故以降のオリンピック誘致は、経済合理的にも大間違いの政策である。世界における日本の政治経済的な立ち位置を正確に見極めた政策とは言えない。その挙句、新型コロナパンデミックによって、巨大公共事業、イベントによる需要の波及効果も一部の利権団体だけのものになるが、中止すればそれもなくなるので利権の当事者のマスメディアの宣伝力を頼りに五輪を中止したうえでの抜本的な新型コロナ対策よりも利権優先に強行する。

 

TMI事故80年から除染作業が始まり、85年から炉内の燃料の取り出しが始まった。圧力容器の下部には燃料が溶融後に固まった堅い層があり、鉱山で岩石を砕くボーリング機を使ったが、機械の歯の破損が続くなど難渋を極めた。

 取り出し作業は一応90年に終えたが、燃料の一部は除去できていない。」

チェルノブイリ原発事故では、炉心の屋根が吹っ飛んで(格納容器がない炉型)、溶融した炉心が大気に露呈し、大量の燃料が放出された。」

石棺も老朽化したため、事故後30年の2016年、石棺をすっぽり覆うかまぼこ型の巨大なシェルター(1700億円)をEUが建設した。耐用年数は100年以上。今は、外から事故炉が全く見えない状態」

炉心には溶けて固まった大量の燃料が放置されている。処理には100年かかるだろう」と言われている。

福島、汚染水が難題。「30~40年で完了」は疑問

デブリの取り出し、汚染水の処理、廃棄物の最終処分などは見通しが立っていない。」

溶けた燃料が炉心の底にとどまっているのは、チェルノブイリ事故と似ている

@大きく異なるのが、地下水だ福島の原発3基の壊れた炉心は、地下水の流れの中にあり、常時汚染水を生み出している

 福島では汚染地下水を減らす方策として、常に電気で氷の壁を維持する「凍土壁」が建設されたが、水の遮断性においては信頼性が低く、失敗と見られている。


 今年3月、民間シンクタンク日本経済研究センター」が、事故の対応総費用は「35兆~81兆円にのぼる」という試算を公表した。大きな部分を占めるのが廃炉・汚染水処理などで最大51兆円とした。そのほか賠償で10兆円、除染で20兆円だった。

 今後、どんな処理方法を選ぶかによって、費用は大きく異なるとしている。「溶けた核燃料デブリを取り出さず、廃炉を当面見送って『閉じ込め・管理する』いわゆるチェルノブイリ方式だと、2050年までの総費用は35兆円になる。

 汚染水の処理や汚染土を最終的にどう処分するかを決めなければ、事故処理はどの程度の時間と費用がかかるかわからない。「30~40年で完了」は、事故直後に、当局が掲げた希望的な数字の意味合いが強い。

唄(うた)を忘れた 金糸雀(かなりや)は
後(うしろ)の山に 棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

 

唄を忘れた 金糸雀
背戸(せど)の小薮(こやぶ)に 埋(い)けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

 

唄を忘れた 金糸雀
柳の鞭(むち)で ぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう

 

唄を忘れた 金糸雀
象牙の船に 銀の櫂(かい)
月夜の海に 浮べれば
忘れた唄を おもいだす

@戦前戦後を通底する日本支配層と追随する庶民の心性を見事に表現している歌詞である。(赤色マーカーの歌詞に注目。一転して在りもしない希望的観測に乗り移っている。その意味で西条八十は日本情緒を見事に表現する作詞家である。作品遍歴を見ればよくわかる。(「打倒英米」「若鷲の唄」「同期の桜」から青い山脈」「夕笛」「王将」歌詞は後段にコピーした)

 なお、映画「青い山脈」は、(石坂洋二郎の原作は読んでいない)、奈良光江の歌う西条八十作詞、服部良一作曲の軽快な曲調とは裏腹に戦後期の地方における学校と地域社会を舞台とする庶民レベルの民主化の動きと旧体制の些末な対立を最後の陰惨な暴力場面まで暗示する一種のリアリズム的政治映画にしあがっているが、演出が硬すぎて、作り物感が鼻につく。

>この映画のような地方末端での戦後期の庶民レベルの対立が全国各地で広範に起こっていたとすれば、肝心なところがGHQ任せの民主政にならなかったと思うし、今の時代様相も変わっていただろう。2011年3,11を逆手に取ったかのごとき東京五輪招致はなかっただろう。

 

@パンデックによる日本情緒を吹っ飛ばす事態が発生し2021年に延期。

@検査体制の拡充による感染実態の把握と抜本的な対策が希薄なまま、ワクチン導入の遅れなどの混乱混迷にもかかわらず、政府と当局、利権層は東京オリンピック開催を強行する。

>そして皆さん「自分の意識の絶対外部とはできないで」オリンピック騒ぎに巻き込まれ、あるいは踊らされる。

わかっちゃいるけどやめられない!

止められない止まらない!

ナチスベルリンオリンピックとは違う次元で、2021年夏、東京オリンピックは日本沈下の墓標となる。

こういうのをボタンの掛け違いという

上から下までフレキシブルでなくなって硬直してきた。

戦後、元号を経るごとに。日本は自分で自分を窮屈にしている。

融通が利くのは支配層とその追随者間だけだ。

それがたまたま露見して騒ぎになっているが、氷山の一角だろう。

news.yahoo.co.jp

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金糸雀(かなりや)」
  西條八十作詞・成田為三作曲

西條八十について調べていくとますますその思いを強くした。

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W。参考資料集

ameblo.jp

blog.goo.ne.jp

oshimahakkou.blog44.fc2.com

作詞 西條八十
作曲 山田耕作

別れの酒は汲まねども
覚悟に胸は火と燃えて
乗り込む艇に月朧
ああ壮烈の真珠湾

指折り数えもののふ
待ちにし晴れの秋は来ぬ
光栄ある死もて皇恩に
報い奉らん嬉しさよ

見よ麗しのこの艇を
心血篭めし武器にして
誉を飾る我が棺
花散るごとく波を蹴る
打倒米英
作詞   西条八十    作曲   古賀政雄

一、 待ちに待ったる時は来た   腕が鳴る鳴る血が躍る   

   さあ来いアメリカ  さあ来い英国
   正義の旗の輝くところ   ハワイの堅塁  なにものぞ   なにものぞ

二、 降るよ火の雨   鐵の雨  とうに覚悟は出来ている   

   さあ来い空襲     さあ来い敵艦
   一億生命を捧げるところ   烏合の敵勢  なにものぞ   なにものぞ

三、 神の亜細亜を白人の   手から亜細亜に取戻す   

   尊い使命だ光栄ある戦だ
   八紘一宇 理想の前に   汚れし米英  なにものぞ   なにものぞ

 

若鷲の唄

歌:霧島昇

作詞:西條 八十

作曲:古関 裕而

若い血潮の 予科練
七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く

燃える元気な 予科練
腕はくろがね 心は火玉
さっと巣立てば 荒海越えて
行くぞ敵陣 なぐり込み

仰ぐ先輩 予科練
手柄聞くたび 血潮が疼く
ぐんと練れ練れ 攻撃精神
大和魂にゃ 敵はない

 

同期の桜

原詞は西條八十

  引用

「昭和13年(1938年)1月号の「少女倶楽部」に発表された西條の歌詞が元になっている。直接の作詞は、後に回天の第1期搭乗員となる帖佐裕海軍大尉が、海軍兵学校在学中に江田島の「金本クラブ」というクラブにあったレコードを基に替え歌にした。」

引用

作詞の西條八十は1970年(昭和45年)に没したため、日本において著作権保護期間は2040年に満了する。」

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう

 

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青い山脈

西條八十作詞・服部良一作曲

若く明るい 歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼(な)

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺(みね)
なつかしさ
見れば涙が またにじむ

父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく
若いわれらに 鐘が鳴る

    ↓

ghq.club

引用

筒井清忠著『西條八十は、「戦前戦後のヒット曲に作詞家として名を連ね、ランボー研究をはじめ、詩人・フランス文学者としても大きな足跡を残した西條八十。多大な功績にもかかわらず近代文学の系譜から疎外されてきた、忘れられた巨人の生涯を精緻に描いた初の本格的評伝」と謳っている。

その「第十一章 『民主化日本』と八十」から引用してみよう。

 ――戦後、最初にコロムビアから八十に来た作詞の依頼は『敗戦で呆然自失している国民を、明るく励ます小唄をお願いしたい』というものであった。そこでできたのが十二月発表の『ワカランソング』であった。(中略)
 この歌の第四聯は
  銀座ウヨウヨ 有閑娘
  焼けた柳が 焼けた柳が にが笑ひ
  馬鹿な戦争で ワカランワカラン
 というものだが、第四聯がこのようになったのには経緯があった。

 「ペンを執る時、もうくだらないレコード検閲は無くなったから、大丈夫と思って安心していた。ところが、今度はGHQがクレームをつけて来たので面喰った

『銀座ウヨウヨ GIガール』が不可になったので『唐人お吉』と訂正したよ」というのである。しかし、吹込直前に「お吉」も不可となり「有閑娘」でGHQの許可がおり、右のようになったのである。しかし、これでは折角の諷刺も生かされないものになってしまった。この歌はそのせいもあるのかあまり歌われなかったようである。ともあれ、自由に歌が作れる時代が来たかと思ったところ、新しい検閲が始まったのであった。⇒W。前記の進軍唄の数々は西条本人のものである。「自由に唄が作れる時代が来た」とは社会の流れ、時代の流れを自然史観のように眺める観点である。

その後、『悲しき竹笛』『旅役者の唄』、昭和二一年四月の銀座の『復興まつり』のために書かれた『花さく銀座』、『三百六十五夜』など、八十は次々に作詞していくが、「二四年三月、東宝映画青い山脈の同名主題歌が発表されたのである」。

            ↓ 

 

青い山脈

西條八十作詞・服部良一作曲

 

 若く明るい 歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼(な)

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺(みね)
なつかしさ
見れば涙が またにじむ

父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく
若いわれらに 鐘が鳴る

 引用

……地方都市の因習を若い世代が打破していくという映画の主題からして、歌詞の中でいささか妙なのは第奇四聯の「父も夢みた 母も見た」である。この点について橋本治(は次のように言う)。

 ……軍国主義の「雪崩」が消えて「青い山脈」という新しい希望が姿を現わしたのだが、それは「なつかしさ 見れば涙が またにじむ」ようなものである。⇒W.政治体制の変転をきわめて情緒的自然的に眺めている。中国王朝時代やそれを模写した日本独特の政治観である。

なぜそれが懐かしいのかというと「父も夢みた 母も見た」ものだからだ。……結局橋本は、生徒たちをかばう原節子の女教師の「勇気」に「父も夢みた母も見た」ものを求めている。……W。映画「青い山脈」は軽快な歌とは裏腹に途中転回、結末は爽やかなものではなく一種のイタリア、リアリズム映画に近い政治映画に終始している。地方における民主化と旧体制の葛藤の映画である。実際にこの映画を見ると唄と映画の別物感にびっくりする。場面転回に洗練されたところがないどちらかといえば、暗く奥行きのない映画である。木下恵介女の園」の方がはるかにスリリングで演者への演出も行き届いていたツーランクぐらい上の映画である。

   W。以下はいわゆる大正デモクラシーを過大評価する寝言の類である。

 

W.イタリア、日本、ドイツの1920年代以降の政治状況を比較し検討すると、日本の時代状況が解る。大正デモクラシーは大都会だけの表層的民主政である。

ドイツでは皇帝は革命によって逃亡し共和制になった。イタリアファシズム階級闘争の激化の中から反革命運動として生まれ国王に承認され政権の座に就き、敗戦後、ファシズムと王政は一掃された。日本の軍国主義体制は既存の天皇制国家統治機構のなし崩しの警察軍事化であり(在野にいた勢力が新たに政権の座に就いたり権力を握ったのではなく、国家統治機構そのものが軍事化警察化した)、敗戦後、天皇制は米軍事力の日本統治と東アジア覇権の必要から、日本国憲法1条~8条的に継承され国家機構に残り支持者を確保した。

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 「旧世代の人々にとっても、自由や民主主義の理想というものは決して全く新しいものではなく、彼らにとっても大正時代から昭和初期にかけては、日本はその道に進んでいたはずなのである。八十にも大いにその自負があったものと思う。

ポツダム宣言にも、「二本における民主主義的傾向の復活・強化」とある。対外関係からやむをえず戦争に走ってしまったが、日本はそうした方向を一旦は歩み始めていた。従って、再び登場した自由と民主主義は、「父も夢みた 母も見た」ものなのだということを若い世代の人にも認識してもらいたい。こうした感情がこの歌詞にこもっていると考えた方が整合的であろう。
 こうした、親の世代の理想を若い世代も追っていくという主旨の歌詞が入っていることもあり、この歌はたんに当時「新しい」ばかりでなく、時代を超えた普遍性を獲得することができたように思われるのである。

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西條八十 - Wikipedia

 

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ja.wikipedia.org


Canary Song 綺麗な声で鳴くカナリア、可愛いジャックラッセルテリアには警戒鳴き、 Shiba Inu White & Jack Russell Terrier

 

「若鷲の歌」歌詞

「若鷲の歌

新型コロナは風邪とほぼ同じような感染状況、春には冬の大波は「沈静化」。開催はますます(国民の努力に覆いかぶさってくる)自民党政治の延命策の一大支柱に。

   wacwac (@wacwac05690282) | Twitter

 

ある人が自分の意識絶対的外部にある客観的実在を思考の結果、認定したとすれば、

意識と客観的実在の異和を解決する方途に苦労するはずである

そこで様々なアイテムや作法が浮かび必要となる。

@党と政治。啓蒙。処世術。放置、傍観。

そしてアパシー

>反俗日記におけるアパシーは、単なる政治的社会的無関心という意味ではない。

グローバル資本制への動物的直対応には二つの種類がある。

ネトウヨ対応とアパシー対応。後者には好感を持っている。

政治的無関心同義に用いられる場合もあるが

その場合には,

政治の世界から自己が疎外されていると感じている「政治的疎外感」や,

@政治に自分が影響力をもたないと感じてしまう政治的無力感

または「政治的有効性感覚」の欠如とも類似した概となる。

W。グローバル資本制における政治経済の「巨大なヒエラルキー」を自己意識の絶対的外部の客観的な実在として「認定」すれば、そいういう領域の事情から遠ざかり仕事、日常生活、趣味の世界に沈潜しようとするのが人間的な本能である

>このグローバル資本制下の社会経済と海辺の砂の真砂的自己の異和状態を傍から政治の場にサルベージすることは基本的に不可能である。

ヒトは十人十色を根本原理とするWはそういうことを否定し付けてきた。

もっと言えば、本質的に政治などないほうが良いのだ!

有権者の約20%は投票所に行かない

(したがって投票率50%ということは実質70%の実行有権者が投票した、ということになる)それが現代民主政と社会状況なのだ。

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    コロナ渦でもこの法則は適応される。

日本の自粛年貢村請負のムラ掟に原基形態を見出せる)なら、古代ギリシアアテナイデモス支配民主政の歴史的変転を経た現代の民主政普遍的認識では、物的見返り(持続化給付金一日6万円補償~個人営業によって巨大な延命措置~と当該資本援護のGO TOは表裏一体の政権維持策。過去現在の日本における政治政策の普遍性とはその程度のモノ。)と罰則で対応するほうが真っ当な現代民主政のやり方だと思う

   ↓           ↓

普遍や一般が解体された次元にある<客観=物質>について考える。

←W.自民らの政権の政策(コロナ対策、五輪強行など)及び同調普遍や一般が解体された次元に実在する<物質>と読み替えることができる。

   引用 中沢新一「始まりのレーニン

「W。経験一元論批判で始まる。日本に流布されている民主主義理解はこの程度である。丸山真男永久革命としての民主主義、民主政論もこの範疇に属する。自分の意識の絶対的外部に実在する物質政治に押し流された。

  引用開始

個人の想像界に生まれる個人的な心理経が、集団の場にもちだされ、そこで個人のゆがみが糺されたり、不足を補われ、社会的に調和するように形作られ、経験が社会的な意味を持つように転写されるとき(つまり想像界象徴界に転写されるとき)客観性が生れる

                 ↑

 W。現時点(2021年2月25日)での2021年東京オリンピック開催への蠢動を想起して

 

意識の内部にはニューロンパルスである感覚のカオスがあり、それを組織化して経験が発生する。

 

>その経験ははじめ個人的な心理に過ぎないが、次第に集団の場で社会性を獲得して、ついには社会的に調和する客観性を獲得する、という物語が出来上がる。

記号論とは、何とまぁ~、ブルジョア 教養小説のような造りをしているではないか、とレーニンはあざける。

 

社会的に、集団的に作り出された客観は、確かに個人的な想像の世界よりも人間の意識の外にある絶対的な客観的実在より正しく反映できる

 

>しかし、客観そのものは、どのような意識的現象からも独立して、その外にあるものなのだ。

 

>普遍カソリック)とか一般(ジェネラル)とかいいうものは、あくまでも集団意識の内部の出来事である。

 

物質であるところの<客観的実在>その普遍性を解体したところに出現する!

 

@絶対的自然、物質無限深さと、無限の力能と、無限の階層性と無限の運動を孕んで、人間の意識の外に、実在している

@<わたしの>意識はその物質の運動の中から形成され、自分の中に物質を反映し模写する。

@主観の外、意識の外にある恐るべき運動する実在を「物」と名付け「客観」と名付け、人類の「客観」に向かって解放する運動としての共産主義を構想した。

唯物論は、意識の外にある客観的な実在を認めて実践によって、それに無限に接近していこうとする、運動の別名だ

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コロナ感染状況に対する医療体制の改変通達が2月16日厚労省から保健所、自治体に向けて発出されたという問題である。大きな公的な病院が重篤者の病床を増やし、地域の中核病院が中等症以下の患者を引き受ける、という通達である。

専門家の意見では、風邪コロナウィルスの一種である新型コロナは風邪とほぼ同じような感染状況の波を描くという。コロナ対策はこの感染の波を基本的に変えることができないそうだ。

>とすれば、春が近づいた時期にしぜんと冬の大波は沈静化していく。

>その時期を見計らったような厚労省通達である

@例え、医療体制の編成替えに手間取っても(保健所、自治体に強制力はない)政策遂行されているような外見と整えることができる。本気でやるつもりだったら、やる時間はいくらでもあった。

 

 しかし他方で、

>3月中旬だったか、オリンピック委員会の開催時期が近付いている。そこで当然にも開催、中止が最大の議題になる。

news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

その前に聖火リレーが始まる。

news.yahoo.co.jp

今頃になって唐突に。コロナ医療体制の改変を言い出したのはオリンピックスケジュール絡みだ。

 

@ところが、日本当局はワクチン争奪戦に完全な後手を踏んでおり、それが巨大な沈め石となってきた。日本のワクチン供給体制は完全に他力本願である。

W、資料。己を知らなすぎる、というよりも片手落ちの理屈(意識、認識)の絶対外部にある技術経済大国の実情を覆い隠そうとしている。足元と世界の実情から遊離した議論は国家依存の共同幻想を煽るだけに終わり、結果、コロナ渦の切り捨て御免の支配的政治を助ける。

W.やっぱり!偽物の匂いがした。厚労省役人⇒自民党議員クビ。本人は解ったつもりのようだが、足りない。いつまでたっても。自分の世界の絶対外部にある客観世界の断絶が死ぬまでわからない。こういうキャラクターが日本沈下を先導する。「いしん」の会が相応しい。

豊田真由子 - Wikipedia

なぜ、日本は「ワクチン後進国」なのか? 豊田真由子が思う「理由」と「背景」 | まいどなニュース

 

@日本ほど<私の意識の絶対的外部>への処し方が下手な国民と国はOECD諸国では珍しいと思う。

地政学的言語的な障壁も大きく根が深い

 

this.kiji.is

<O.MO.TE,NA,SI>!には吐き気がする。

命じているのだ。<O.MO.TE,NA,SI>を。日本人の意識の絶対外部のごくごく少数者の客観的実在の側から。この関係を感じたから、吐き気がしたのだ。コレがわからない人は感性の囚われ人だ。

 

@コロナ対策で言えば、感染地図をつくって、集中的に対応していれば、ヒトと経済活動の犠牲はもっと少なく済んだ

>地域のその筋の有力者には狭い町単位の感染者情報が伝達されており、具体的数字は聞けない程度の伝聞だが本当のことだろう。

いくら検査数が少ないといっても保健所を軸に対応しているのだから、詳しい情報は持っていた。

しかし、最後まで集中地域に対する徹底した感染対策は打たなかった(徹底した検査をやったところがあり、無症状を含め相当数の感染者が判明したが、医療崩壊は起こらなかった。)。

それでもこの程度の被害に終わっているのは自粛できる国民と日本列島、交差免疫によるもので、当局の対応は酷いものだった。政府当局が普通にやっていれば台湾と韓国の間ぐらいの被害に収められた。

豪華旅行補填、食べ歩き三昧補填など一々批判しなかったが開いた口がふさがなかった。また、日本のインバウンド観光旅行業の売り上げは世界的視て低位の方だ。資源に限界があるということだ。

 

@吐き気を模様すようなオリンピック招致は論外資本主義は、一定の条件があれば、どこでも急速に発展する戦後日本は主体的営為もあったが条件に恵まれすぎていた。おそらく冷戦体制の最大の受益者は日本だろう。もっと地道な戦略方向があった

 

@日本におけるコロナワクチン供給体制の齟齬当局にとってあらかじめ織り込み済み、だと思うが、最初から正直に語れない立場にあった

コロナ管轄の旧体制をぶち破り緊急時の王道を行くコロナ対策をとらず、国家政治共同幻想に依存する弛緩した道を選択した為政者にとって近い将来、ワクチン争奪戦が発生することを見越して、先手を打つ事はできない。頭ではわかっていても体が動かない。

 

 コレとオリンピック夏開催のスケジュールとは完全に矛盾している

彼らは大震災原発事故⇒アベノミクス⇒オリンピック招致の経済幻想にとらわれていたしそうするしかなかった。そのほうが居心地がよかった。

長期政権継続の負の力だ!

ワクチンは予め大量調達できなかった。後は神頼み、国家共同政治幻想頼みだ。

@ワクチン接種に手間取ってもオリンピックは強行すると予想する。利権とカネ、政権維持が絡めば、執拗であり、どんな誤魔化しもして強行突破する。なにしろ日本マスコミこそが直接の利害関係者である。国内のスポンサーのカネをぐるぐる回す必要に迫られている。もちろん「主催者」電通を中核とする業界は中抜きしなければならない。

開催強硬はますます自民党政治の延命策の一大支柱になってきた。

かつてのモスクワオリンピックアフガニスタンソ連侵攻を受けて日米など有力国不参加のオリンピックになった。ロサンゼルスオリンピックは逆にソ連東欧諸国不参加のまま開催された。

アメリカテレビ全国ネットで一大スポーツイベント利権を持っているNBC(2000億円)と、

全米大学体育協会 - Wikipedia

(アマスポーツを束ねている利権団体~予選の進捗状況はここが把握していると思う~~)、

の動向が決定力を持つ。日本当局はその決定に従属するだけだ。究極的に言えばアメリカが参加すれば、どのような方たちであれ、真夏の東京五輪が成立し、それを自民党衆議院選挙に政治利用する。

厳しい時代局面における<政治>がなかった。言い換えると自律的軍事がないから自立的政治がないのだ。指導的政治が国民政治意識に依存しすぎている。マスコミの煽りがあるからだとか、報じないだとかいう前に、国民の側が主導的政治を処断する道につかなければ、為政者側はいつまでたっても国民の努力に覆いかぶさってくる。

 

@このように考えていくと、今年に入ってから自民党がコロナ対策に強引ともいえる形で強烈な罰則規定や、コロナ拒否病院晒し者宣言(民間病院はやり玉に挙がっていたのもおかしなことだが)の出所が解る。

@当局は外国のワクチン世襲進捗状況を横目にワクチン争奪戦が起こり、劣勢に立たされることを予測し、慌てていたのだ。

>なんだか陰謀論めいてきたが、先に紹介したコロナ感染地図は町単位で一応出来上がっている。政府当局は情報を持っており、それを参考にした政治を打っていることは間違いない。阿呆な陰謀論は排して政治スケジュールに乗せられないようにしないと。

結論

放射能汚染、アンダーコントロール

>「大震災、原発事故からの復興オリンピック」

>「O、MO、TE、NA、SI」

>「人類がコロナウィルスに打ち勝った証としての東京オリンピック

 

社会的に、集団的に作り出された客観は、確かに個人的な想像の世界よりも人間の意識の外にある絶対的な客観的実在をより正しく反映できるが、

 

客観そのものは、どのような意識的現象からも独立して、その外にあるものなのだ。

>普遍カソリック)とか一般(ジェネラル)とかいいうものは、あくまでも集団意識の内部の出来事である。

@>物質であるところの<客観的実在>その普遍性を解体したところに出現する!

 

@絶対的自然、物質は無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と無限の運動を孕んで、人間の意識の外に、実在している

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 マヨネーズ牛乳入り卵焼き、オープンサンドは簡単旨い。LT VLOG 世界旅行総集編⇒ 【国際カップル】世界一周を振り返ってみた!最高の思い出、ヤバイ経験、裏話など・・・

 

wacwac (@wacwac05690282) | Twitter

     マヨネーズ牛乳入り卵焼き、オープンサンド

   <材料>

マヨネーズ(大さじ2杯)と牛乳(大さじ3杯)~動画の分量よりも多め~+卵2個

味付け塩コショウ白コショウ+ブラックペッパー少量で香りづけ味の素少量うま味を出す)味付け塩コショウの材料欄よりチーズを乗せないので塩だけでは味の深みが出ない。砂糖を入れてはダメ

     ↓      ↓

 ①よく混ぜる。器具を使えば簡単。

     ↓      ↓

 小型フライパンにバターを敷いてマヨ入り卵液。

~~~

@オープンサンドの作り方はこの動画のサンドウィッチの折り畳みを省いたものでもっと簡単。

 ③フライパン上のマヨ入り卵焼きを混ぜるのもふんわり仕上げるコツらしい。一度もやったことがない多分混ぜると、速くふんわり焼けて焦げ目がつかない。パンを早めに浸すので、やる必要はないサンドウィッチを創るのかオープンサンドにするかの違いは大きい。後者はこのような工程を省略した方が味のしみたパンができる。

半熟状態の卵焼きにパンを早々と浸すマヨ入り卵液がパンに浸透し、味が染みる。卵が焦げにくくなる。

 

 ④裏返してパンの側を焼くのは必要←裏返しに大きめのヘラを使えば緩々卵焼きの型崩れがしない。この動画のヘラは小さすぎる。

@多少焦げ目がついても気にしない。味に関係はない。

 

 とんかつソースとケチャップを焼き卵の表面に適量、塗る。

  疑似デミグランソースだよ。

~~~ナイフとフォークで食す。


卵サンドの作り方!フライパン3分で超簡単に作れます♪Twitterで話題になったレシピをアレンジ☆-How to make an Egg Sandwich-【料理研究家】【たまごソムリエ友加里】

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【国際カップル】世界一周を振り返ってみた!最高の思い出、ヤバイ経験、裏話など・・・

今回の動画では、私たちの世界一周の経験を色々な角度から振り返ってみました! 世界一周中の裏話や、最高の思い出、辛い経験やヤバイ経験などを一気に振り返ります 是非今回の動画もお楽しみ下さい!!

*【ナミビア一周】全8話

http:// https://www.youtube.com/playlist?list...

 

*【アメリカ西海岸】全10話 ►

https://www.youtube.com/playlist?list...​

 

@LT BLOGの動画は他者を無遠慮に画面創りに巻き込んでいない関西テレビ芸人によくあるイジリを回避している。両人の見識を感じる。

イジリ芸のスタンスをとれば、もっと登録者数が増えた。

面白くあれば良い、登録者数を稼げば良い、というものではない。

結局そんなものはテレビの下流の泡粒の一つにすぎない。

高い質を維持しながら登録者数を増やすのは並大抵ではない

@世界旅行の動画は見識を感じるものばかりである。

@年齢は大きく離れているが、タカさんの感性は自分とよく似ている、と多くの動画を見ながらつくづく感じた。好みの財布(札露出型)を探し続けて10年、見つかったヒトと未だに見つからないものの違いはある。もっとも自分には見識とはかけ離れているが。

http:// *【アフリカ縦断】全48話 ► https://www.youtube.com/playlist?list...​

*家、ついて行ってイイですか? in ザンビア 【アフリカ縦断 #34】 ► https://youtu.be/82yQyXDOxHs​

*【南米縦断】インカ帝国『マチュピチュ遺跡』がヤバい!行く人必見!行き方・日程・予算全部教えます!

【アメリカ大陸縦断 #25】 ► https://youtu.be/nT6-TkyRxKQ​

*【閲覧注意】落差100m以上!世界一危険な場所...Africa Devil's Pool Victoria Falls

【アフリカ縦断 #33】 ► https://youtu.be/yfHxZ7GuPJk​

【チャンネル登録】よろしくお願いします! ► https://www.youtube.com/channel/UCsi7...​

【LT VLOGのInstagram】 ► https://www.instagram.com/lt_vlog/​

【お仕事のご依頼等はこちら】 ▶︎ lenatakavlog@gmail.com

http://*【世界一周】全178話* ► https://www.youtube.com/playlist?list...​

 

 

http://【これまでの旅】 #名古屋生活​ #日本を旅する国際カップル​

]#世界一周を実現する国際カップル​

#アフリカ縦断10000kmの旅​ #陸路でユーラシア大陸横断​

#レンタカーでイギリス一周​ #レンタカーでナミビア一周

意識と客観的実在の異和。全文を点検し編集した。論点①若者の繰り広げる世界旅行の動画について。②自分の意識の絶対的外部にある客観的実在。アパシーとおしゃべりな独裁国家③スウェーデンと日本④MMT批判⑤不徹底コロナ対策と五輪開催の矛盾はどうして⑥五輪開催はアメリカの動向次第

世界一周旅行の膨大な動画がアップされており、毎回面白く視聴できた。これを見ると世界旅行に行く必要がない、程の完成度に想えた。

年齢を重ねると我流に沿ってしか新たな発見はできないが~~腑に落ちる、ということだ~~(客観的実在は自分の意識の絶対的外部にある)。

 

wacwac (@wacwac05690282) | Twitter


【閲覧注意】宣教師 VS 無宗教信者、宗教について語る...【アフリカ縦断 #46】

再編集して動画を上げることにした。

 

 外国探究動画はどれも面白くて、当地を訪れる人たちへの情報提供をしているという意味で貴重な動画になっている。


スコットランドでウイスキー蒸留所を訪問!!本場のスコッチ、美味過ぎて飲み過ぎた... 【イギリス一周 #7】


【閲覧注意】世界一危険な国で黒人が集団喧嘩! 【アフリカ縦断 #35】


【南米縦断】インカ帝国『マチュピチュ遺跡』がヤバい!行く人必見!行き方・日程・予算全部教えます! 【アメリカ大陸縦断 #25】

要領を得た解説である。

それにしても、同じ出アフリカ現生人類が南米にて500年後に出会い、原住民2000万人の惨劇を見よ。

にもかかわらず、この遺跡はさらに分散逃亡するインカによって封印され20世紀初頭の発見まで残存した。

>いかに近代文明の歴史推進力と現代文明の人類的革命力、破壊力が凄いか。

「現生人類の出アフリカ」の画像検索結果

大正デモクラシー文学を代表する白樺派志賀直哉(反俗日記に作品掲載)、武者小路実篤里見 弴(さとみ とん)は遺言によって当時としては珍しい無宗教葬式を行った。

いま、葬式は家族葬で行うことが多くなっている。弔いを極内輪で先にやったのち周囲に知らせるひともいて日ごろの言動も手伝ってしっかりしているな、とかんじた。

勤めている会社絡みなのか葬儀会社が取り仕切る葬式をだしたひともいたが少数派だった。

日本国民の多くは自然と無宗教に近づいているが、宗教の大きな側面は共同政治幻想なので、それらの人たちも仮想のしばりがきく。

 

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次にあげる伊勢神宮訪問動画は見る人が見たら、本人たちの意図に関わらず、それ以上の深読み材料を提供している

おそらく、江戸時代以降、伊勢神宮はしょみんにとって動画のような機能を果たしてきた。昔は参る人に遊郭遊びを提供していた。今も表参道の裏側にはその残滓はある。日本の神々は単純素朴あっけらかんだ。

日本の「王様」は伊勢神宮に近い京都に帰ると、安堵される。

もっとも、伊勢神宮の原風景は荘園時代の典型であり、古代王族の偽律令全国??支配体制と何の関係もない。

W。一連のコロナ渦におけるちょっと国内旅行の動画をじかに拝見すると、GO TO トラベル。EATキャンペーンがいかに新型コロナ全国蔓延に寄与したかが納得できる。

もっともWは庶民を責めない。我々には自由がある!自粛は大間違いである!


【食い倒れ旅】伊勢神宮の「おかげ横丁」で食べまくる!

 

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 中沢新一「始まりのレーニン」1994年6月1刷、8月7刷⇒W.この種の本としてよく売れた。本の中で意識と客観的実在の異和(この用語はPCの変換に載っていないが最も適切な造語)という難題に対する中沢のパッション的解答が展開されている。Wはいまだにわからない。

現場では凡庸通俗唯物論<観念論。

 この著作の時代背景。始まりのレーニンというタイトルからし意味深である。

ある人が自分の意識絶対的外部にある客観的実在を思考の結果、認定したとすれば、

意識と客観的実在の異和を解決する方途に苦労するはずである

そこで様々なアイテムや作法が浮かび必要となる。

@党と政治。啓蒙。処世術。放置、傍観。

そしてアパシー

>反俗日記におけるアパシーは、単なる政治的社会的無関心という意味ではない。

グローバル資本制への動物的直対応には二つの種類がある。

ネトウヨ対応とアパシー対応。後者には好感を持っている。

引用 アパシーとは - コトバンク

一般には社会学における概念で,

社会現象や社会そのものに対し無関心になってしまい,自己を取巻く日常的な事柄にしか興味をもたない,社会的無関心,政治的無関心を意味する。

心理学的には

自己の生活や自分にも興味をもたない,極端に無関心な虚無的な意識をさすが,

社会学的もしくは政治 学的概念として用いられる場合が多い。

政治的無関心同義に用いられる場合もあるが

その場合には,

政治の世界から自己が疎外されていると感じている「政治的疎外感」や,

@政治に自分が影響力をもたないと感じてしまう政治的無力感

または「政治的有効性感覚」の欠如とも類似した概となる。

 

W。グローバル資本制における政治経済の「巨大なヒエラルキー」を自己意識の絶対的外部の客観的な実在として「認定」すれば、そいういう領域の事情から遠ざかり仕事、日常生活、趣味の世界に沈潜しようとするのが人間的な本能である

>このグローバル資本制下の社会経済と海辺の砂の真砂的自己の異和状態を傍から政治の場にサルベージすることは基本的に不可能である。

ヒトは十人十色を根本原理とするWはそういうことを否定し付けてきた。

もっと言えば、本質的に政治などないほうが良いのだ!

有権者の約20%は投票所に行かない

(したがって投票率50%ということは実質70%の実行有権者が投票した、ということになる)それが現代民主政と社会状況なのだと思う。

kotobank.jp

@だったら、ターゲットを20%~30%に絞って説得力のある政治を敷いたほうが良い。

@もっとも共産党がそうしている?とてもじゃないが思えない。

 

 コロナ渦でもこの法則は適応される。

自粛(年貢村請負のムラ掟に原基形態を見出せる)なら、物的見返りと罰則で対応するほうが真っ当な現代民主政のやり方だと思う

古代ギリシアアテナイデモス支配の民主政の歴史的変転を経た現代の民主政とはそういうものだと理解する。

>コロナ渦は日本が現代民主政がないということを白日の下に晒した。民主政が欠如しているのではなく、ないのだ。

池上彰が言うように日本国の統治形態はおしゃべりな独裁国家だ。

自民党の誰それが、どうしたこうしたなどと云うことは、おしゃべりな独裁国家の実態が表面化しただけだ。上級国民層には自由がある。下級国民には自由がない。

 

>そのように考えず、密告や権力情報に踊らされているから、支配層の仕掛けるスキャンダル報道によって、歴史的結節点における大切な政治方向を挫折させられるのだ。

密告や権力情報に基づく文春砲が民主政なのか。過去に置いて現在において将来において。

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 反俗日記の前回記事では中沢引用文はリアルな介護事情に対する身の処し方の必要に迫られてのものだが、

>今回の記事では<私の意識の絶対的外部>をコロナパンデミック状況やこれに対する当局のこの間の対応(大震災原発事故、アベノミクス国債大量買入れ⇒オリンピック政治、PCR検査小規模限定。コロナ向き医療体制の構築超先延ばし、ワクチン争奪戦後手)、と読み替えている。

 

>日本において<我、我の意識の絶対的外部の客観的実在>は啓蒙によって変えるには限界がありすぎる。

それは巨大な世界的物理力、制度に従属し自律性が乏しい。意識が存在を規定するのではなく存在が意識を規定する。

 

>確かに酷いな、とは思う。

PCR検査を先行し感染状況を把握し、それに則った政策を実行しなかった「先進国」は(その力があるのに)スウェーデンと日本だけだ。

 *************************

  以下のスウェーデン記事は横道にそれているが、アップする機会が今後ないと思うのでこの際載せておく。

スウェーデンの国家運営に対しては長年疑念を抱いてきた。

国民の政治意識における協調性が強い。日本とよく似ている。

エマニュエルトッドの家族形態分類から言えば、長子相続=非民主主義的という日本との共通項がある。

さらに、今回のパンデミックスウェーデンの検索より知った意外な事実は経済の60%が一つの財閥系に関連しているということ。コレは政治や文化風俗も画一化に繋がる。日本経済の好調期は政官業の「癒着」システムに支えられていた。スウェーデンの経済システムは立ち入って調べていないが、上記の理由から政治からのコントロールは効きやすいと思う。

 元々、スウェーデンの医療体制において命の優先順位は実行されてきた生産能力があれば移民でも優先順位は先に来るこれを民主主義といえばいえるが、徹底した人工的な民主政ではある。

しかし、そういう地縁血縁を排しアテネのデモス支配)

一方向の効率性を追い求め(男子の共同扶養と軍事訓練、2人国王体制<一人は密集歩兵集団最前列右翼の現場指揮官>の軍事国家スパルタ)、住民に具体的な力を付与する民主政は古代ギリシアに由来するものだ。

 

こうした事情の一切合切が、パンデミックにおける施設収容高齢者の大量死に結果した。

言い換えるとそこから除外されたものは本物の孤立を体験する(そいう状況を描いたスウェーデン映画があった)。スウェーデン政治は弱者にやさしい政治とは言えない。

 

>日本のパンデミックへの対応は、要するに国家共同政治幻想を為政者が利用し(天皇制なき天皇制~逆に言えば天皇制がなくても統治できる天皇制に拘るのは、何なのか?)~~依存し事実問題を直視せず、あるいは解っていても隠蔽し利権と事なかれ無責任体制で基本対応をなし崩し的に先延ばしにしてきた。

>もう一つは、ここに至っても、高度経済成長時代から、ジャパンアズナンバーワンといわれた90年までの成功時代経験の幻想を追い求めた政治手法から抜け出していない。

中曽根政権時代までに先行する欧米にならって家族革命を可能にする制度を成立させていれば、グローバル資本制への対応もやり易くなったが、逆に保守的伝統的な専業主婦をモデルケースとする制度を成立させた(社会保障制度、その他)。戸籍制度、ハンコ「制度」など、グローバル資本制への機動的な対応に邪魔になるものが多数ある。

 

政治当局だけでなく国民政治意識においても。小泉竹中路線もこの範疇において生産性の低い邪魔切り捨て政策をはっきりさせただけだ。アベも「美しい国日本」で日本の総人口8000万程度に縮小してもやっていけるの述べている。

だだしそれは究極の経済幻想であって、有機的結合体としての国家と国民の機能を無視している。

当然にも、国力を確保しようとすれば、移民大量導入が道筋となる。しかし、制度,習慣、文化などが本質的に外に開かれていない。

 現代貨幣理論は的外れな議論である。

それは何度も繰り返しているように日本では八方ふさがりに陥った支配層の逃げ切り危機打開策にとしてしか機能しなかった。支配層を巻き込んだ戦争という打開策が回避される付けると、超金融財政膨張政策は極端な資本蓄積推進の政策となる。

政治権力を握ってもないのにどうして予算を

弱いもの、困ったところ、必要なところに分配できるというのか。

>カネをばらまけば強いところはもっと強くなりその経済政治支配力は隅々まで及ぶ。

そいういう一国主義、会計原理主義の経済理論日本で実行すれば日本沈下のスピードが速まるばかりだ

もっと身の回りのカネとモノの動きをリアルに見つめて、己の理論を点検すべきだ。

日本はアメリカとは違う。世界通貨と覇権国家アメリカではサンダース議論はつうようするが、日本では先に云った通りだ。

現代貨幣理論は日本ではせいぜいケインズ政策ぐらいに収めておいたほうが良い。ステファニーレイトン訪日の時の記者会見を聞いた限り、現代貨幣理論現実適応範囲ケインズ政策レベルの慎重で具体的なものに思えた。

現代貨幣理論を党派性にするのは愚挙そのものである経済原理論で経済政策を実行することはできない。もっともその原理が的外れなのだからもっと質が悪い。

@危機に陥った支配層の最終経済政策である。

かつて、リフレ派は日銀批判をした。結果、国債大量買い付けになった。

こんどは、財務省の緊縮財政とやらに的を絞ってわかりやすい政治宣伝としているが、

>その財務省の軌跡を辿ってみると、自民党長期政権護持、あるいはジャパンアズナンバーワンに対する欧米諸国の圧力にたいしてプラザ合意国内有効需要の低位を補うために行き過ぎた大判振る舞いをしてきたのではなかったか。経済主義者はこうした経緯に対する総括はない。

大蔵省はバブル崩壊以降、右往左往の結果(竹下時代のふるさと1億円散布など)、一転、財布のひもを事あるごとに占め金融を緩和、省力化規制緩和、格差拡大政策に打って変わった(橋本、以降)。

財務省が政府財政を家計に例えるのは彼らのこうした軌跡を素直に反映したものといえよう。こんな次元の低いことを国民向けに宣伝しているのは日本の当局だけだ。もっともそれに対して、鬼の首を取ったように己の経済主義理論の宣伝材料にしているものは同じ穴の狸だ。

 そうした過去を持ち、本質的に自律したの判断力を持たず、いい加減な財務省に対して、

カネをどんどん刷って市中に散布せよ、と要求するのは(肝心要の政権問題をスルーしているので、ヘリコプターからマネーを散布するような状態で、特定の者が降って来る大量のカネを鷲掴みにし続ける!)。

後は野となれ山となれ。付けを一番払うのは大多数の国民だ、と割り切ることができるグローバル資本制下の支配層の延命の後押しをすることに他ならない。

河合失職の後を受けて広島選挙区で立候補者を探しているらしいが、止めたほうが良い。政治は党派のためにあらず。「いしん」批判は正しい。しかし桜井誠も似たような経済政策を語り「いしん」批判をしていた。藤井聡さんもキチンと経済理論に向き合ったことがあるのか怪しいものだ。

~~

 

@日本ほど<私の意識の絶対的外部>への処し方が下手な国民と国はOECD諸国では珍しいと思う。

地政学的言語的な障壁も大きく根が深い

 

<O.MO.TE,NA,SI>!には吐き気がする。

命じているのだ。<O.MO.TE,NA,SI>を。日本人の意識の絶対外部のごくごく少数者の客観的実在の側から。この関係を感じたから、吐き気がしたのだ。コレがわからない人は感性の囚われ人だ。

 

@コロナ対策で言えば、感染地図をつくって、集中的に対応していれば、ヒトと経済活動の犠牲はもっと少なく済んだ

>地域のその筋の有力者には狭い町単位の感染者情報が伝達されており、具体的数字は聞けない程度の伝聞だが本当のことだろう。

いくら検査数が少ないといっても保健所を軸に対応しているのだから、詳しい情報は持っていた。

しかし、最後まで集中地域に対する徹底した感染対策は打たなかった(徹底した検査をやったところがあり、無症状を含め相当数の感染者が判明したが、医療崩壊は起こらなかった。)。

それでもこの程度の被害に終わっているのは自粛できる国民と日本列島、交差免疫によるもので、当局の対応は酷いものだった。政府当局が普通にやっていれば台湾と韓国の間ぐらいの被害に収められた。

豪華旅行補填、食べ歩き三昧補填など一々批判しなかったが開いた口がふさがなかった。また、日本のインバウンド観光旅行業の売り上げは世界的視て低位の方だ。資源に限界があるということだ。

 

@吐き気を模様すようなオリンピック招致は論外資本主義は、一定の条件があれば、どこでも急速に発展する戦後日本は主体的営為もあったが条件に恵まれすぎていた。おそらく冷戦体制の最大の受益者は日本だろう。もっと地道な戦略方向があった

 

@日本におけるコロナワクチン供給体制の齟齬当局にとってあらかじめ織り込み済み、だと思うが、最初から正直に語れない立場にあった

コロナ管轄の旧体制をぶち破り緊急時の王道を行くコロナ対策をとらず、国家政治共同幻想に依存する弛緩した道を選択した為政者にとって近い将来、ワクチン争奪戦が発生することを見越して、先手を打つ事はできない。頭ではわかっていても体が動かない。

 

 コレとオリンピック夏開催のスケジュールとは完全に矛盾している

彼らは大震災原発事故⇒アベノミクス⇒オリンピック招致の経済幻想にとらわれていたしそうするしかなかった。そのほうが居心地がよかった。

長期政権継続の負の力だ!

ワクチンは予め大量調達できなかった。後は神頼み、国家共同政治幻想頼みだ。

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@ワクチン接種に手間取ってもオリンピックは強行すると予想する。利権とカネ、政権維持が絡めば、執拗であり、どんな誤魔化しもして強行突破する。なにしろ日本マスコミこそが直接の利害関係者である。国内のスポンサーのカネをぐるぐる回す必要に迫られている。もちろん「主催者」電通を中核とする業界は中抜きしなければならない。

開催強硬はますます自民党政治の延命策の一大支柱になってきた。

五輪中止を政権の英断に祭り上げるシナリオは、考えすぎだ

>直接の利害関係者のマスコミの援護があるとは思えない。

>仮に日本マスコミがそれをやれば臨終を向けえた証左だ!

 

 かつてのモスクワオリンピックアフガニスタンソ連侵攻を受けて日米など有力国不参加のオリンピックになった。ロサンゼルスオリンピックは逆にソ連東欧諸国不参加のまま開催された。

アメリカテレビ全国ネットで一大スポーツイベント利権を持っているNBC(2000億円)と、

全米大学体育協会 - Wikipedia

(アマスポーツを束ねている利権団体~予選の進捗状況はここが把握していると思う~~)、

の動向が決定力を持つ。日本当局はその決定に従属するだけだ。究極的に言えばアメリカが参加すれば、どのような方たちであれ、真夏の東京五輪が成立し、それを自民党衆議院選挙に政治利用する。

(全米体育協会~アマフットボール、バスケなどの巨大な権限を持つ~にとってオリンピック収入などに関心がない。ここが日本のアマスポ団体との格差。しかし、予選が行われていれば参加を押しとどめることはない。ただし徹底した感染対策を要求する。1か月に1回しか検査しない日本プロ野球の世界とは違う。大量の医療関係者が開催期間中、東京に釘付けになる。)

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 厳しい時代局面における<政治>がなかった。言い換えると自律的軍事がないから自立的政治がないのだ。指導的政治が国民政治意識に依存しすぎている。マスコミの煽りがあるからだとか、報じないだとかいう前に、国民の側が指導的政治を処断する道につかなければ、為政者側はいつまでたっても国民の努力に覆いかぶさってくる。

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地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件である。
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  「始まりのレーニン

「ボグダーノフ「経験一元論」を引用して

『客観性の基礎は、集団的経験の領域になければならない。>我々と他人とにとって等しい生活上の意義を持っている経験のデータ、単に我々が矛盾無しに自己の活動をそれに立脚させているばかりでなく、

>矛盾に突き当たらないためには他人もまたそれに立脚しなければならないところのデータそれを我々は客観的なものと呼ぶ⇒W。この事実認識に基づく一致点認知症のヒトに説いたのは大間違いだった(得意げに当たり前の真実の如く)。

@なぜなら、客観的存在の認知症のヒトは<私の意識の絶対的外部>にあるのだ。

@社会性はなくても、経験の組織化がなくても、

>その人は<私の意識の絶対的外部>に実在する

~~

W。ボグダーノフの経験一元論に対する中沢の解説。

中沢新一「始まりのレーニン」引用

個人の想像界に生まれる個人的な心理経が、集団の場にもちだされ、そこで個人のゆがみが糺されたり、不足を補われ、社会的に調和するように形作られ、経験が社会的な意味を持つように転写されるとき(つまり想像界象徴界に転写されるとき)客観性が生れる。

意識の内部にはニューロンパルスである感覚のカオスがあり、それを組織化して経験が発生する。

 

>その経験ははじめ個人的な心理に過ぎないが、次第に集団の場で社会性を獲得して、ついには社会的に調和する客観性を獲得する、という物語が出来上がる。

記号論とは、何とまぁ~、ブルジョア教養小説のような造りをしているではないか、とレーニンはあざける。

社会的に、集団的に作り出された客観は、確かに個人的な想像の世界よりも人間の意識の外にある絶対的な客観的実在をより正しく反映できる。

 

>しかし、客観そのものは、どのような意識的現象からも独立して、その外にあるものなのだ。

 

>普遍カソリック)とか一般(ジェネラル)とかいいうものは、あくまでも集団意識の内部の出来事である。

 

物質であるところの<客観的実在>その普遍性を解体したところに出現する!

 

@絶対的自然、物質は無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と無限の運動を孕んで、人間の意識の外に、実在している

@<わたしの>意識はその物質の運動の中から形成され、自分の中に物質を反映し模写する。

@主観の外、意識の外にある恐るべき運動する実在を「物」と名付け「客観」と名付け、人類の「客観」に向かって解放する運動としての共産主義を構想した。

唯物論は、意識の外にある客観的な実在を認めて実践によって、それに無限に接近していこうとする、運動の別名だ。

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時間不足で資料のアップにとどめておく。

論点は

コロナ感染状況に対する医療体制の改変通達が2月16日厚労省から保健所、自治体に向けて発出されたという問題である。大きな公的な病院が重篤者の病床を増やし、地域の中核病院が中等症以下の患者を引き受ける、という通達である。

専門家の意見では、風邪コロナウィルスの一種である新型コロナは風邪とほぼ同じような感染状況のヤマを描くという。コロナ対策はこの感染の波を変えることができないそうだ。

>とすれば、春が近づいた時期にしぜんと冬の大波は沈静化していく。

>その時期を見計らったような厚労省通達である

@例え、医療体制の編成替えに手間取っても(保健所、自治体に強制力はない)政策遂行されているような外見と整えることができる。本気でやるつもりだったら、やる時間はいくらでもあった。

 

 しかし他方で、

>3月中旬だったか、オリンピック委員会の開催時期が近付いている。そこで当然にも開催、中止が最大の議題になる。その前に聖火リレーが始まる。

今頃になって唐突に。コロナ医療体制の改変を言い出したのはオリンピックスケジュール絡みだ。

 

@ところが、日本当局はワクチン争奪戦に完全な後手を踏んでおり、それが巨大な沈め石となってきた。日本のワクチン供給体制は完全に他力本願である。

@このように考えていくと、今年に入ってから自民党がコロナ対策に強引ともいえる形で強烈な罰則規定や、コロナ拒否病院晒し者宣言(民間病院はやり玉に挙がっていたのもおかしなことだが)の出所が解る。

@当局は外国のワクチン世襲進捗状況を横目にワクチン争奪戦が起こり、劣勢に立たされることを予測し、慌てていたのだ。

>なんだか陰謀論めいてきたが、先に紹介したコロナ感染地図は町単位で一応出来上がっている。政府当局は情報を持っており、それを参考にした政治を打っていることは間違いない。阿呆な陰謀論は排して政治スケジュールに乗せられないようにしないと。

     結論

放射能汚染、アンダーコントロール

>「大震災、原発事故からの復興オリンピック」

>「O、MO、TE、NA、SI」

>「人類がコロナウィルスに打ち勝った証としての東京オリンピック

 

@>物質であるところの<客観的実在>その普遍性を解体したところに出現する!

 

@絶対的自然、物質は無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と無限の運動を孕んで、人間の意識の外に、実在している

 

>普遍カソリック)とか一般(ジェネラル)とかいいうものは、あくまでも集団意識の内部の出来事である。

 

社会的に、集団的に作り出された客観は、確かに個人的な想像の世界よりも人間の意識の外にある絶対的な客観的実在をより正しく反映できるが、

 

客観そのものは、どのような意識的現象からも独立して、その外にあるものなのだ。

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W.資料①


特ダネ!菅政権・自民党の嘘!コロナ医療体制大転換・更にワクチンは間に合わない?!安倍晋三から続く嘘だらけ政治とマスコミの怠慢。元朝日新聞記者ジャーナリスト佐藤章さんと一月万冊清水有高

 

W資料② 大幅に遅れるということだ。

prtimes.jp

    ↓    ↓

W.③詳しい事情はこの記事で.当たり前のことが起こっているだけ。スムーズにいくと思うのは、平時感覚が過ぎる。この資料を整理する必要がある。

business.nikkei.com

W。資料④、国内の委託製造メーカー。知らないメーカーだったので検索してみた。

巨額な給与を払って外国人社長を招いた武田薬品工業がワクチン供給の主役を張っているようだが、この会社は何兆円もの巨費を投じてイギリスの先端製薬メーカーを買収したはずだが、ここからコロナ新薬の研究話は聞こえてこない。買収によって武田薬品第一三共を抜いてトップに立った。ファイザーも売り上げ第三位に位置する。

会社概要・関連会社 | JCRファーマ株式会社

W.資料⑤

ファイザーはドイツの先端新薬企業との連携してワクチン製造。

>イギリスはアストラルゼネカ

>ロシア、中国、「インド」~連携~の自力でワクチン製造。

W。日本の薬品メーカーの売り上げ順位

 

命と介護のつぶやき。結局は自己完結、自己満足に終わることは承知しなければならない。であれば自分の人生とは何だったのか?人生には意味がない、実際になかったのだ。 >その確認においてじゆうになるのだ、ここにおいてそうすることにおいて。@深沢七郎「楢山節考」のおりん婆さんとその息子は<否定>の<否定>の英雄だった。

認知症介護。担当のケアマネが辞めて後任が決まらないまま、1年以上経過。現場の最高管理責任者が兼務している状態としってから、事業所側のおおよその事情は察していたが、今日の偶然の話し合いの中で実情を知った。

募集してもいつまでたっても後任はできないばかりか、所属のケアマネ確保に汲々としている事情があり、来る人がいないまま兼務しているという。

この話の中でとっさに思い浮ばなかったが、次の事情で新しいケアマネが決まらないのだと思う。

 

1,特殊な専門職のケアマネの労働市場は硬直化し流動性は少ない。看護師の方がまだ流動性は大きい。

2,コロナ渦の感染を警戒するためにヒトと地域に密着しなければならない新しい職場に移動しようとする人は極限られている。移動したいケアマネがいてもまず、コロナ渦が治まってからと考えるはず。むしろ転職希望者よりも一時的に止める人の方が多い。2000年当初の介護保険制度成立以降、ケアマネになった35歳ヒトの30年後の今はもう引退の時期だ。この10数年ほど介護報酬は据え置きのままなので新しい血は入っていない。ヘルパーの報酬と最低賃金の差は驚くほど縮まった。

 

3、ケアマネは業界事情に詳しい。事業所の管轄地域を一目見ただけで担当地域の労働のおおよその見当はつく。介護のむつかしい利用者の多そうな地域を管轄とする事業所はスルーされる。

4,通勤事情の悪いところは避けられる。

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結論。

①と②はケアマネ労働力商品市場が徹底した売り手市場になっている事情を示し、募集しても新任者は選定できない。

それに環をかけて

③や④の地域特殊事情が加味されるので、いつまでたっても求人はスルーされたままになる。

新しい担当のケアマネはできないまま、管理職が兼務することになる。

>そして 結局、手間のかからない利用者が兼務の対象となる。 本人の症状は進む。可哀そうである。わたしのやることは増える。

>しわ寄せは一番弱いところにきている。

 

私がやってきたことの肩代わりをヘルパーさんたちに要請していたが、あの人たちの流儀の仕事内容を吟味すると、一番若いヘルパーさんの無償サービス労働だったり、簡単な仕事に煩雑な手続きが付随したりして、これだったら、私はやったほうが良い、ということにならざる得なかった。

 

週二回の旧式のふろの湯はりはただ働きするという。無償労働を1年間トータルすれば、どうなるのかと私は言った。自分の目の届く範囲での労働者の無償労働は看過できない。

もっとも、私のこれまでのやり方は本人の体調を見ながら2日に1回入浴、待機見守りはしないが、必ず入浴中に声掛けしてきた。風呂は毎日でも入ったほうが良いと伝えている。

入浴後、脳神経系がふわっとすることが原因なのか、普段よりもボケるのを発見した誰でも入浴時に独特の良い気持ちなることと変わりはない、とおもっているが、そうすると認知症とは何なのだ、という新しい解釈が生れてくる。年老いてぼけてくることは脳の安息なのだ。

夕方の勤務時間帯では服薬の都合上、湯はり入浴、のケアはできないのでそういう時間外の無償労働をしなければならない。だったら、これまで通り、私がやって安否確認したほうが良い。

近所のスーパーでおかずを買ってくること自体に帳面付けその他の労働が付随する。しかも調達できるおかず高齢者向きではない。

配食弁当は以前経験したが嫌がっている。反俗日記でほのめかしたように一部は貧困ビジネスすれすれだと思う。

結局、安くて量があってうまい今までの店頭販売で買って、すーぱーで彩を添えるほうは本人のためになる。

 

わたしが4年間、認知症のヒトの見守りケアに携わり、その間に症状が進んだ今に至った結論から言えば、他人の無償労働には大きな壁がある。一方で、家族介護の悲劇の目の当たりにした。他人介護は有償の仕事でなければ安定し継続したケアは厳しい。相手にも悪い。わたしがその都度思い悩むのは労働にインセンティブと職業倫理がないという側面に原因があるのは明白だ。継続は力なり、を実行中に無駄な悩みの負荷が加わる。仕事と割り切ってしまえるところを理念や精神力でカバーするしかなかった。その理念が瓦解し総括した。ダリ「過去の固執ムンク「叫び」安岡章太郎「海辺の光景」太宰治姨捨」の4点のなかでこれから使えるのは、「海辺の光景」だけだ。

 

この情況への一番フレキシブルで手っ取り早い解決方法は、わたしがその介護事業所に所属する労働とこれまでの経過の中で携わってきたヘルパーさんの労働をミックスすることだ。しかしその場合、ヘルパーさんの労働はなくなる。ココの仕事は楽だとヘルパーさんは言う。本人の力によるのであって、わたしは煙たがられていた。

 しかし見守りケアが認知症介護の基礎であることは間違いない。わたしが退けば近所の他の人が一部を代りをするしかないが、やればたいへんな側面がわかる。実際にやりきれなくて二人死んでいる。一人は制度利用から施設収容の軟着陸に繋げた。すべて、大人の子供たちがいたのに、近所の助けが必要だった。コレが日本社会の一部のありのままの現状だ。地域コミュニティーを有償ボランティア活動で生かしていくしか方途はないと思う。学者さんや専門家の提言や構想はピンとこない。もっと泥臭く、いい加減で許容範囲を広げること、カネを薄く広い範囲に散布することが大事なのではなかろうか。街頭デモに参加するような次元だ。

 わたしの見守りケアのひとに身よりはない。夫や、子供たちがいても事故死の悲劇がおきたのに社会的に丸裸状態のヒトにたいして、介護困難度が増したから訪問介護事業所に丸投げするわけにはいかない。

 

 1週間弱遠ざかったとき、ヘルパーが本人の事情を説明に来た。

心の整理がつかないまま、本人と話し合い元の位置に戻った。が、周辺症状が顕著になっているのでやはり難しい。自分自身の精神的肉体的限界もやり始めたころよりも大きく感じる。4年間で大きな手術一回と目の手術、緑内障を患った。アルコールが極端に弱くなった。

覚悟はできているが、介護で死ぬ覚悟に未だ至らずの面がある。

なぜなら、統一的人格の怪しくなった他者に対して命を尽くすことの意味がいまだに位置づけられない。結局は自己完結、自己満足に終わることは承知のうえだ

であれば自分の人生とは何だったのか?

しかし、前回の記事で書いたように人生には意味がない、実際になかったのだ

 

>その確認においてじゆうになるのだ、ここにおいてそうすることにおいて。

 

@アルベールカミユの「シューシュポスの神話」は似つかわしくなかった。

キリスト教の課題がない私には。

 引用 中沢新一

「ボグダーノフ「経験一元論」を引用して

客観性の基礎は、集団的経験の領域になければならない。

>我々と他人とにとって等しい生活上の意義を持っている経験のデータ、単に我々が矛盾無しに自己の活動をそれに立脚させているばかりでなく、我々の確信によれば、

>矛盾に突き当たらないためには他人もまたそれに立脚しなければならないところのデータ、それを我々は客観的なものと呼ぶ。⇒W。この事実認識に基づく一致点を認知症のヒトに説いたのは大間違いだった。なぜなら、客観的存在の認知症のヒトは『私の意識の絶対的外部にあるのだ。社会性はなくても、経験の組織化がなくても、その人は実在する!~~

W。ボグダーノフの経験一元論を解説して。なるほどもっともらしい見解である。

個人の想像界に生まれる個人的な心理経験が、集団の場にもちだされ、そこで個人のゆがみが糺されたり、不足を補われ、社会的に調和するように形作られ、経験が社会的な意味を持つように転写されるとき(つまり想像界象徴界に転写されるとき)客観性が生れる。⇒W。認知症のヒトの客観的な実在に対してこの論理は通用しない!

意識の内部にはニューロンパルスである感覚のカオスがあり、それを組織化して経験が発生する。

その経験ははじめ個人的な心理に過ぎないが、次第に集団の場で社会性を獲得して、ついには社会的に調和する客観性を獲得する、という物語が出来上がる。

記号論とは、何とまぁ~、ブルジョア教養小説のような造りをしているではないか、とレーニンはあざける。

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引用再開

社会的に、集団的に作り出された客観は、確かに個人的な想像の世界よりも、人間の意識の外にある絶対的な客観的実在をより正しく反映できる。

>しかし、客観そのものは、どのような意識的現象からも独立して、その外になるものなのだ。

>普遍カソリック)とか一般(ジェネラル)とかいいうものは、あくまでも集団意識の内部の出来事である。

>物質であるところの<客観的実在>はその普遍性を解体したところに出現する!

@絶対的自然、物質は無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と無限の運動を孕んで、人間の意識の外に、実在している

@<わたしの>意識はその物質の運動の中から形成され、自分の中に物質を反映し模写する。

@主観の外、意識の外にある恐るべき運動する実在を「物」と名付け「客観」と名付け、人類の「客観」に向かって解放する運動としての共産主義を構想した。

唯物論は、意識の外にある客観的な実在を認めて実践によって、それに無限に接近していこうとする、運動の別名だ。

 

@実践する人間の意識は、自分の外に向かって踏み出していく

@馴染みのない不気味な異和の感覚が、意識の先端に接触し、そこを洗っていく。

意識は意識ならざるものに触れながら、自分の形態を絶えず変化させていくこの実践は無限に続く。

@しかし、実践の波がしらでは、意識は客観に変容し、客観の中から、新しい意識の形態が絶え間なく発生している。

そのときレーニンのあの笑いがよみがえってくるのだ。ドリン、ドリン!唯物論の本質を体で表現するあの笑いだ!

言葉の外、意識の外にある何者かの力が沸き上がってきて人間という生き物の底に触れ、それを押し上げようとするとき、笑いが生れる。

この『なにものかの力」というモノを今だったら次のように表現できる。

それは客観的実在であり、レーニン物質なのだと。

レーニン的物質の運動が意識のそこに触れそれを押し上げていくとき、ヒトは笑うのだ。

小さな子供の頭や、やわらかないぬのおなかをなでるときも、人間はそのよう客観に触れている。だから唯物論の実践とは笑いと同じ構造を持っているといえるのだ。

 

 

深沢七郎楢山節考」のおりん婆さんとその息子は<否定>の<否定>の英雄だった。

太宰治姨捨」は許せん!

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関係のある事業所が私が全面的に介護をひき受けるなら、キチンとした手続きをして、やってあげるといっている。 ただその場合、管轄地域外だし、規模を縮小した事業所なので応援体制に不安を感じる。さらにそこの責任者は1年余り前に死んでいた。あまりにも早い死だった。詳しい事情は聴けなかった。

 

今の介護事業所の後任のケアマネはいつまでたっても見つからない。そればかりか、管理責任者が兼任すれば人件費の削減になり、介護保険の点数が長年据え置きのままなので、無理をして後任者を探す必要はない。その人はその人なりの責任をはたしているが。

 

訪問介護最前線のヘルパー責任者は人がころころ変わっていくうちに、いつの間にやら利用者にマンツーマンでせっしなくなり、用件はケアマネに!が口癖になった。そして知らぬ間に長年担当したケアマネは止め管理責任者の兼務になって、1年が過ぎていった。

 

毎日朝夕はいるヘルパーさんはよくやってくれているが、6人の違う顔ぶれの出入りに社交性のある本人だからこそよく対応してくれている、とおもう。しかし、認知症の進行具合ははやくなった。この感想を口に出せば、会社は引くと思うので云えない。実際にそのような発言もあった。

 

つまるところ、今の業界事情では特定の事業者は弱者利用者にとって<強者>なのだ。上から降りる点数が長年変わらない中で、訪問介護は儲からなくなり、ヒトのやりくりに苦労するだけで、競争原理がはたらかいのだ。全般的な疲弊状況の中で、弱い利用者に選択の自由はない。

 

だったら他にやってもらえば的な発言にたいして、身を引くしかない。

余裕があればしかるべき措置はとれる。

責任もとれる。

余裕がないので、弱いものにシステムの不具合のしわ寄せがいく。

どうじに自然の流れに身を任せる。

その総和が今の社会の潮流を作る。

最弱者とかかわることで、怒りは内向するばかりだが、自分が変わらなければ不幸になる人がいる。

 

>長い引用文で事実認識の共有を唱える過ちに気づいた。自分の意識の外に存在する客観的実在にたいして事実認識の共有を解くのはナント独りよがりだったのか!それが単純な事実の確認であっても。できないものはできない。