反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2022年4月20日水。見守りケアの人、明日21日木、グループホームに移動する。

 4月18日ケアマネジャーから突然TEL。部屋の原状回復の見積もりをすので本人を外に連れ出してほしいと。この時、4月20日(木)の移動時刻を告げられ、21日(金)の部屋整理のスケジュール通知される。

それまであいまいに今月末まで部屋にいられるようなスケジュールを告げられていたので、当方としてはその間にゆっくり別れの準備ができると思っていたが突然の通告だった。しかしよくよく振り返って部屋整理屋の見積もりの日より、2週間後に施設移動を予定している、と漏らしていたことから、

>最初から今週の初めに移動の手続きは終了する手はずだったのではないか

Wはそんなに単純な人間ではない。こういった先に引っ張って通常状態を維持させておいて突然通告するというやり方を経験しているので、だまされない。内心愚弄されていると感じるが、見守りケアの人優先なので黙ってスケジュールに従っていく

 

 W所持のコールマンの大きなキャリーバックにヘルパー責任者と一番数入っているヘルパーさんが見守り介護のひとの早朝の徘徊騒ぎの時、揃っていたのでWの提案で急遽、施設移動の品々をキャリーバック詰め込んでもらった。徘徊騒ぎの興奮冷めやらぬ状態で次々に品物を詰め込んでバックがパンパンに膨れていた。Wは女の所持品は解らないので傍観していた。

後で確認してみても趣味の良いズボンがいっぱいで何が何だかわからない状態だった。

そこに追加して19日火に近所の古い付き合いの人からお別れのズボン3着の追加があり、よく考えてコレも施設にもっていくべきだとおもって、別枠で記念品と記して無理やりバックに押し込めた。この人は見守りケアの夫の臨終のとき立ち会っていた人で一番長い付き合いがあったがWが見守ケアを突然始めて以降、距離置いてみてくれていた。あの年の女性としてはまれにみる行動力のある人で近所の人の面倒を見ていたら、突然死に立ち会うという事態もあった。そういえば焼死事件もあった。ナルホド、こういうところで面倒見の良い行動力のある人は異常事態の直接立ち合い者に成ってしまう。

 お別れのズボン3枚の件もあるので、TELで移動日と時刻を伝えた

なお、部屋整理前に見守りケアの人の荷物を近所のお世話になった方々に、<お別れの品>として、持って行ってもらおう、と企画している。

人それぞれ歴史がある。

何もしなければそのまま流れに流されていく。思いを形に残すことが大事だと考えた。ただのごみとして処分されてしまうものが、ほんの少しでも記憶に残るものになる

 Wは大げさに言えば社会的な介護を目指していた。まったくできなかったが、外に開けた」見守りケアをやるしかなかった、というのが実情。こういう姿勢は当初、訪問介護の現場の人たちの理解の埒外にあった。しかし年月を経ても曲りなりにもやり切っていくWをみて、多少は信用してくれて来たと思うのだが、どうしても態度がでかいWに疑問を持つ人もあったに違いない。

 施設で必要な細々とした身の回り品、必需品はWしかわからない部分が多い。

これらはほぼ用意できた。

例えば処方箋。入所時の担当の医療機関に提出したら事がスムーズに運ぶ。医療機関同士の横の連絡は意外とない。

入れ歯容器。コレ必要。

その手のもろもろがかなりあった。

鍵3本揃わず合いかぎを作る際の経験がものを言った。

街の鍵屋さん、量販店の即席合いカギ作りに押されて仕事がなく、年寄りばかりになって、作った合いかぎが回らないことがあった。知り合いの口八丁手八丁の人に尋ねると修理方法を教えてくれてた。明るいところで微妙なねじ山の誤差を見つけやすりで削ると、OKだった。

 

 今回の量販店の女性店員も奇妙なことを言っていた。

「ねじが微妙に曲がっているのでうまく削れないかもしれないがそれで良いですか。近所に別の店があります。差し込んで外れない場合もある~云々」

修理の仕方を知っているし、1本ぐらい使えないカギがあっても、どうってことはないと開き直ったWはやってもらうことにした。今日ねじ山の誤差を慎重に検討した結果、全部OKと判断し、潤滑油をさしていれてみてOKがでた。

>見守りケアをしたおかげでいろんな体験をした。知ることも多かった、と一応しておこう。とにかく、自分を責めることばかりしか浮かんでこない昨今なので~~~。

以上のような手間のかかることが多少あったので準備には時間がかかった。

 

 在宅最後の夕食に握りずし、と本マグロの大トロの刺身を買った

何でそういうものしか買えないのか、と昨今の食事情に疑問がないわけではなかったし、事実、そんなものが旨いわけではないと知っていたが、とりあえずということだった。手料理が一番だが好き嫌いがある。

 

 よる指の爪を切った。縁起が悪い。

耳垢掃除、足に塗り薬。

ここ数日、話す機会があったが、超高齢者に成って里心のついている見守りケアのひととは真正面から話題にすることがなく、相手のセピア色の話を聞くばかりだった

>懐かしき幸福な故郷の想い出がある人は幸せだ。

しかし、そういった話を聞き続けていると一体人間って何なんだろう、という疑問が自然に湧いてくる。それが一切ないWはやはり特殊人間なのか。

未成年時代に頭を思いっきり鈍器で殴られたような体験をしているWの頭の中で時間はとまっているのか。

 とりあえず、明日に向けて~。ハードボイルドでいこう!セントメンタルはみっともない。

こちとら伊達や酔狂でこうやっているのだよ!

磔に合う前の国定忠治でありたい。

過去の記事を再録し足場を固める。ロシアウクライナ戦争は帝国同士の戦争。介護の現状。

         本文の趣旨のまとめ

見守り介護の現状や介護業界に対する基本的な意見を記した記事を再録する。

>日本国内の政治経済状況においては、どの視座から状況を把握し確たる意見を持つかということが一番の課題である。

 

 さらにロシア、ウクライナ戦争の状況に対する日本国内の一方的な報道濁流への意見を過去記事から取り上げてみた。

>この戦争は帝国同士の戦争であって、

正義不正義、事の善悪、民主主義OR反民主主義などの基準で判断するのは間違っている。国連憲章や人道法などを持ち出すのも的外れもいいところである。

>なぜ国連の所在地がニューヨークにあるのか?帝国主義戦争における最大の勝者の懐に国連がある。

EUの中銀の所在地はドイツフランクフトである。

EU経済圏拡張によって最大の恩恵を受けているのはドイツ資本制であり、いまのロシアウクライナ戦争はヒットラーをやれなかった戦争代理人を立ててロシアウクライナイへの介入をEUの仮面をかぶってやっているユーゴスラビア内戦へのNATOの介入とその後の加盟を想起する。

@なお、以上の見方をもっと丹念にトレースするためにエレファントカーブの図を用意した。

■図表1 エレファントカーブ

 その図の注目点は二つある。

その1はグローバル資本制の深化によって、第二次帝国主義戦争以前、以後、戦後の高度経済成長によって育まれた日本を含む先発国の中産階層の没落傾向の一層の進行である。

これを原理的に表現するとピケティの

資本収益率>経済成長。

株式、土地、外国資本への投資への利益が、労働への搾取を上回る。言い換えると資本側はそうした投資を優先するので雇用や給料は上がらない。

実体経済の指標も欠かせない。

GDP=消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)

国民所得GDPと同じ、付加価値の総和ともいう)

A民間消費+B<民間投資>+政府支出(政府の消費と投資)+C輸出-輸入

日本経済停滞の要因A、B、C増加させる要因が国内に乏しいからだ

政府支出によって有効需要をつけるのがケインズ政策だったが過去にスタグフレーション(物価高騰と不景気の同時進行)を招いた。結局、世界資本制は労使力関係の逆転策やIT革命のパラダイム転換によって乗り切った。グローバル資本制の矛盾(資本の支配力の増強、富の異常な偏在、階級格差拡大、国家主義民族排外主義の世界的台頭~国家主義民族排外主義はグローバル資本支配層の特殊な統治形態であり、EUNATOなど帝国の既存の世界支配機構を利用するので戦争の危機が高まる。)の進化した今度は1930年代のように世界中に軍拡のあらしが吹き戦争して軍事消費するしか出口がない、と思う。MMTは軍拡後押し経済政策であり危機に陥った支配層の財政金融対策である。

 

その2は、ヨーロッパにおける旧ソ連地域と東アジアにおける日本の中産階層の没落の急展開であり、この二つの長期経済停滞地域を取り除くとエレファントカーブの像の牙部分の落ち込みは緩やかになるという事実である。

これを反俗日記流に解釈すると前者は拡張するEUの地殻に沈み込んでいる状況が継続し、そのストレスの一番かかったウクライナにおいて大地震現象が発生している

 後者は言うまでもなく日本列島のユーラシアへの沈み込みのような地殻変動現象が経済政治軍事ストレスとして発火する状態にある

日本とウクライナの違いは

戦後の経済成長によって形成された中産階層からアメリカを中心としたグローバル資本制がその財を収奪できる期間が先延ばしにできる余剰があるという点だ

搾り取るべき余剰が底をつけば、指摘した日本列島のユーラシアへの誠意経済軍事的沈み込みは戦争に発火する。

この現象を日本国内の政治分布に俯瞰すれば

ウクライナのゼレンスキーみたいな輩の台頭しか没落の危機に立たされた日本中産階層の不平不満のはけ口がなくなるということになる。

 

>第二次帝国主義戦争以降、欧米の戦争の口実にはいつも平和や民主主義が掲げられてきた

帝国主義戦争の一方の側ではそれらは戦争の口実ではなかった。

@今のロシア、ウクライナ戦争においても同じことが繰り返されており片方では民主主義や人道の大合唱であるが、この戦争を帝国の同士の戦争という基本視座に立てば、そんな見方は怪しくなる。

 

帝国主義世界戦争後の世界資本主義の高度成長期の、植民地解放、民族自立の世界的な気運を時代背景にした1960年代から70年代のインドシナベトナム戦争の時代とは時代背景が違う。グローバル資本制下の帝国の代理人ウクライナに植民地解放、民族の自立とかの条件はない。ウクライナは一方の帝国の仲間入りを急速に求め、停滞大失政のソ連邦を引き継ぐロシアの帝国防御と軋轢を起こした。言い換えると地殻変動的な政治軍事経済状況を顧みず、エレファントの背中部分を急進的に求めた。犠牲をいとわないゼレンスキーのような輩を選んだことによって、戦争の道を開いた。

その理由はこれだ。

>しかしこの帝国主義戦争において

@グローバル資本制が本格化して以降、その悪しき側面が拡大しているが、最大の問題は世界的な階級格差の拡大傾向が累進的に進行していることである

それはコロナ渦とマネー架空資本の国際的な流動性の大拡大によってもたらされて、ロシアウクライナというヨーロッパ縁辺地域の帝国同士の戦争として発火したロシア、プーチンウクライナゼレンスキーは世界の人々にとってともに敵である。

 

>グローバル資本制の戦争をやめたければ軍事予算100兆円のアメリカを封じ込めなければならない。

EUも帝国として動いていてきた。

>ロシアも停滞没落帝国である。

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2022年3月28日(月)久しぶり生気戻る。お供えを親、兄、夫にしている。朝から笑顔は久しぶり。笑顔の素敵な人である。施設入所の件があり、心痛む。

もっと自分がうまくやれたのに、という後悔。

このような状態なら、今後自分が頑張ったらうまくいくのではないか、という願望が自然に沸き起こってくる。

見守りケアを放棄しても、同じ運命が自分にまっている。だから身を賭してでもやっていこうという願望。

しかし、持病がネックになり、困難な局面が多発する今後を乗り切れない。

死ぬのは怖くないが、持病によって精神的な余裕がなくなってぎりぎりの状態で介護することは、施設入所よりも本人にとって良くない。

コレが冷厳な事実でもある。

 

 今まで自分の落ち度で迷惑をかけてきた、と痛切に反省しているのに、一時の気分でやれるとするのは冷静な判断ではない。

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>近所の老老介護で室内転倒を何度も繰り返した夫は2度目の大きな転倒事故による脳外科入院から施設入所、半年も経たずに亡くなった。つい最近のことである

*病院から施設入所の選択のとき、自分も「絶対に帰宅しての自宅介護は無理」と何度も高齢妻にいった。ケアマネ、息子その他の周囲の判断も同じであり、妻本人も納得づくだった。

>施設で亡くなるまで妻本人から聴く情報では施設に適応して過ごしているという方面のことばかりであった。

>それが突然、亡くなった。

死因は誤嚥性肺炎とのこと。入院直前には脳血管性の認知症を発症し転倒を繰り返していたのだと思う。支え続けた妻は苦労したが愚痴は聞こえてこなかった。

この夫婦をよく知る見守り介護の人は以前、あそこの夫婦は変わった夫婦、といっていた。しかし在宅中、自由人であり続けた夫の拠り所は妻だった。

コロナ渦で妻が施設訪問しても面会できず、差し入れするだけだった。電話での話し合いはできる。高齢者はリモートが使えない。世界中でこういったコロナ渦事情で亡くなった高齢者が膨大にいる。

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 コロナ渦から戦争が転がり出た。コレは予測できたことだ。

グローバル資本制の地殻変動のストレスが最大にかかった地域が長期経済停滞するロシア、ウクライナ地域だったベラルーシロシアという見方もできる(ここでもベラルーシの政治をめぐってUEとの間にいざこざはよく起きていた)。

EUNATOの東方拡大によって、東欧に新中間層ができて、所得を増やしている一方で工場やカネの投資が減った結果、EU中央部の中間層の所得はあまり伸びず、EU反対移民排除の新政党が急伸している。

 

 もともと対米対抗的な要素のあるEUを見据えてNATOの米国は、軍事力による揺さぶりをかけ覇権(軍事プレゼンス拡張と経済文化のための世界基準拡張)を伸ばしたいが、トランプ現象(中間層の没落、と富の異常な偏在化)を抱え、ウクライナロシア地殻変動を利用しロシアを後退させ、新市場分野で競争力増強の中国を世界市場から分離したい。

 

 中国にできてロシアにできなかった理由を知ればソ連邦崩壊時期の大失政がわかる

独裁政党が大失政すれば人々の富と財産、知識財産は一気に消失する。

中国共産党の路線的ジグザグが結果的に現実対応できる党の質を高めた。

他方、ソ連共産党はそれがなく社会民主主義路線をとったがこれは必然である。

もともと共産主義という思想政策体系はなかった。マルクス自身がそう書いている。社会民主主義のツーリ専制への対応形態であるボルシェビキズムの過渡期社会の独裁期を支配する政党を共産党と自称するようになった。したがってソ連邦崩壊から社会民主主主義路線が出てきても不思議はないが、メンシェビキはロシアに合わなかった。

 

 EU入り東欧の中間層所得増大という実物教育が目の前にぶら下がっているのだからウクライナの多くの人々は急進的にEUNATO入りしたがって当然人間の動物的な欲望の問題~それほど高尚な次元ではないが大切。スターリン主義や亜流はそれを安直に否定。アンジェイワイダ監督作品やブダペスト1956に漂うのは軽さが弾みをもっていきつくところまで行く。風俗的政治感覚。が、その実態は国内分裂を抱え、ロシアともどもEUの地殻にめり込んでいる状態だった

戦争のトリガーを引いたのはプーチンだったが、ウクライナは没落中の帝国を挑発し続け、国内に戦争の火種を招き入れた。

多くの国民の犠牲を払ってまで勝ち取るものに対する長期展望がなかった国内分裂状態にあったのも急進的な政治への傾斜を強めさせた帝国(EU米国)の代理人になろうとするそばに没落停滞帝国があり、共々EUの地殻のずりこんでいた。

 

 なお、事情通の長い動画の解説には、国内分裂を抱えた国はNATOに加盟できなという言説があるが、旧ユーゴスラビア内戦においてドイツ軍は激しいセルビア空爆をした。ヨーロッパNATO軍は積極的に参戦した。その結果、現状セルビア周辺の分割された国々はNATOに加盟している。プーチンウクライナ戦争は旧ユーゴスラビアの事態を見据えての軍事判断だろう。

 

 この戦争は徹底的やり抜く前に停戦すると、国内混乱のまま、国内と国境外の対ソテロとゲリラの温床になり、もっと大きな戦争を招く

@憎悪渦巻くウクライナ停戦の中身を守る政治的軍事的統治能力がない

中立の軍事力を導入し監視しなければ戦争の燃えカス、近親憎悪が抑え込めないがその必要なないというのだから、この地域の地殻変動は再戦争に発火する。

 

地球上に中東に続き、EU縁辺に低強度戦争の温床地域が加わったが、そこには核弾頭の脅威があるヨーロッパ縁辺が三度目の大戦争の発火点になっている。

 

 EUとNATOの東方拡大は歴史的事実であり、

コレは見る位置を変えると帝国の拡大そのものであり、

ソ連崩壊後のロシアも帝国であろうとしてきた。

@ロシアウクライナ戦争は地球規模の帝国の戦争である

@帝国の戦争は、かつてそうだったように善悪、正義不正義、民主主義は着ている服の模様の違いに過ぎない。

第二次世界大戦帝国主義戦争であり勝者が敗者を戦争犯罪人として裁いた。その国の人々がさばいたのはイタリアだけだ。

 

>ロシアを一方的に非難するということは、これから日本支配層とその追従者が起こす戦争への賛成と参加に通じる道だ。

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@中国が攻めてくる。北朝鮮の核弾頭が飛んでくる。

 

@そういう外からの脅威を煽りながら

演出された激動情勢の継続さ中に、大きな獲物を得る者どもがいる。

 

>そもそも国内の一部の過酷な状況は中国の脅威のためなのか!

北朝鮮の核ミサイルのためなのか

>中国や北朝鮮が過酷な状況を強制しているのか?

 

@日本支配者の政治が過酷な状況を強いている。

 

このような状況を見据え生きる者にとって、戦争によって失うものは命だけだ。

>その大切な命を過酷な状況に追いやっている者どもに捧げて何か得があるのか。

@命がけで戦う相手はめのまえにいる。

ウクライナの人々は@戦争と政治の間のハードルが低いプーチンを知らなすぎる素人ゼレンスキーを選んだ時点で命を捧げる相手を間違った。

 

@もっとも逃げるという手もある。

ウクライから逃げている人々は正しい選択をしている。

自分に自信のあるものは国は出たほうが良い。残っていても先の見通しがたたない。

 

@日本においても同じことが言える。ゼレンスキーのような後先見えない人物と政党が国の行く末を左右するようになったら、腕に自信のあるものは日本を出たほうが良い。

 

 東アジアにおいてもユーラシア地殻に長期低成長日本列島がめり込んでストレスがかかり戦争の発火点になろうとしている。

南西諸島、尖閣列島は中国大陸の300キロ海上にある無鉄砲な侮辱行為が続くと戦争の火ぶたが切られる。世論は騒然とし後先が見えなくなり、結局、損をするのは多数派国民。逆に得をするものが必ず出てくる。

 

台湾は経済成長が戦争への歯止めになっているが、この状態がいつまで続くのか予断を許さない

 

 ただし、東アジアの日本列島はロシアウクライナ地域の地殻変動状況(戦争)と違って米国が日米安保体制を使い、北朝鮮の核弾頭増強を利用し日本列島住民を脅迫などして日本の市場から、残存する富を吸い上げる構造が確立していることが戦争の発火を先延ばしにしている。

 

 プラザ合意受諾、日本バブル崩壊以降、日本の支配層はこういった政治経済軍事システムに寄生している連中が主流を占めるように変質した

 

端的に言えば日本経済の体質は寄生性、空洞性を強めてきた。その果ての進行形がアベノミクスの金融膨張政策であり、今般のロシアウクライナ戦争によってその方向はさらに強まる。

 

 アメリカの軍事予算は100兆円越えだという

日本政府の赤字予算と同じ規模だ。

それでも日本はアメリカ軍事予算の消費をしなければならない。

特定の国民の余剰が吸い上げられるしかない。

余剰のないものは放置されるだけだ。だから勝手に生きる、というのが正解。

国内投資が先細ると経済は単純再生産しかしない。カネを大量にすればインフレになる。小学生でもわかる道理だ。

W。縦軸は2010年を100に見立てた指数

W。リーマンショック以後の民主党政権発足のころ。アベノミクスの前兆はいわゆるリフレ派による日銀政策批判=国債大量発行のアベノミクス路線。第二次安倍政権発足によって金利政策の取れない日銀の市中の国債大量買入れが始まった。この極端な政策は後戻りできないので、支配層内外の政治軍事危機が強まれば、国債の日銀直接引き受けの大強化に至る。現代貨幣理論のような財政金融膨張策をとれば実体経済の成長のエンジンに乏しいので国内供給力不足でインフレが進む。

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引用

円の実質実効レートが、70年代前半と同水準での推移を続けているということは、単純に言えば円の購買力が70年代前半と同水準まで低下しているということだ。例えば、80年代後半から90年代までは、海外から来日した外国人は、一様に日本の物価の高さに文句を言い、一方、日本人は海外の免税店で割安なブランド物を買いあさった。

 それがアベノミクス以降に大幅な円安となってからは、来日する外国人は「日本は安い」と口をそろえコロナ前までは銀座で買い物を楽しんでいた一方、日本人にとっては、海外旅行先でさまざまな物が割高に感じるようになった。

「他国の物価が日本に比べて大幅に上昇しているのに、為替レートがその分の調整をしなくなってしまった」ことが背景にある。」⇒W赤字国債大量発行、市中から日銀による大量買い付けや直接買い付けの実行は日銀当座預金の豚済みがあっても市中への資金大量供給には間違いなく為替相場円高抑止効果が発揮される。1$=¥120のままべいこく物価上昇が20年間で50%なら、実質の円の交換レートは0,6$=¥120        

      

    キャピタルフライト(資本逃避)

「00年以降の約20年間でみると、日本の消費者物価指数は2・6%しか上がっていない

一方、その他の国をみると、米国の消費者物価指数は54%、ユーロ圏は40%、英国は51%、中国は60%も上昇している。

 しかし、実際の名目為替相場(W.実質実効レートとの違い)をみてみるとドル・円相場は00年の平均レートと21年前半の平均レートがほぼ同水準。W。1ドル=¥120

しかし、今¥120で昔買えた商品は50%~60%上乗せしなければ買えない!その一方で来日の買い物客は5割ぐらい安く買える。爆買いするはずだ。

>つまり、物価上昇率の差を全く反映していないどころか、逆方向に動いてしまっているのだ。

しかし見方を変えると20年間で日本の消費者物価が2,6%ぐらいしか上昇していないので庶民の家計は何とかやりくりできている。労働力商品の再生産費用はその国の労働力再生産に必要な諸物価の総和だ。カネをばらまいたり財政規模を膨張させても労働力商品の再生産費が高騰するのは必至で家計は苦しくなる。

 

  W。以下はいわゆる実体経済の状態を見る物差しである。

GDP=消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)

国民所得GDPと同じ、付加価値の総和ともいう)=A民間消費B<民間投資>+政府支出(政府の消費と投資)+C輸出-輸入

W。金融財政膨張政策によって国民所得は一時的に増えても大きな期間では増えない。

しかし、日本は有力国の経済政策に歩調を合わざる得ない。もう独自に政策展開する選択肢はない。

日本経済停滞の要因はA、B、Cを増加する要因が国内に乏しいからだ。政府支出によって有効需要をつけるのがケインズ政策だったが過去にスタグフレーション(物価高騰と不景気の同時進行)を招いた。結局、世界資本制は労使力関係の逆転策やIT革命のパラダイム転換によって乗り切った。グローバル資本制の矛盾(資本の支配力の増強、富の異常な偏在、階級格差拡大、国家主義民族排外主義の世界的台頭~国家主義民族排外主義はグローバル資本支配層の特殊な統治形態であり、EUNATOなど帝国の既存の世界支配機構を利用するので戦争の危機が高まる。)の進化した今度は1930年代のように世界中に軍拡のあらしが吹き戦争して軍事消費するしか出口がない、と思う。MMTは軍拡後押し経済政策であり危機に陥った支配層の財政金融対策である。

さまざまな理由が考えられるが、

>日本企業によるキャピタルフライト(資本逃避)が大きく影響していると考えられる。

日本企業は、アベノミクスが開始された13年ごろから対外直接投資を急増させている

13年9月に安倍晋三前首相はニューヨーク証券取引所で行った演説で“Buy my Abenomics!”と発したが、日本企業にその声は届いておらず、真逆の行動を取って…」

⇒W。日本企業のの海外直接投資の一貫した増加傾向は国内に儲け先が見当たらないからだ。究極のところ、日本企業の海外投資志向のモチベーションは収益率の問題である。一方で理屈でいえば海外機関投資筋はインフレ上昇分だけ日本買いができる。“Buy my Abenomics!”は日本買いという形で実現している!

かつて日本が得意だった斜陽の生産部門の資本は次々に海外資金をあてにしている。余剰金をため込んでいる企業は土地投機、株投機、海外資本投資にまい進している。

ピケティのいうr資本収益率>g経済成長率の不等式の法則が純然として作用しているのは日本経済である。

「この不等式が意味することは、資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということだ⇒W。左記の資産収入と労働力商品の価格とのギャップにさらに荷重する形で長期経済停滞や少子化核家族化が進行している現状によって、資本逃避と日本買いがある。

 言い換えれば「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」というわけだ。
富裕層の資産は子どもに相続され、その子がさらに資産運用で富を得続けることができる。もちろん各国で所得再分配政策は行われているものの、ピケティ氏は、多くの富が世襲されていると示唆する。

格差は現在も拡大に向かっており、やがては中産階級が消滅すると考えられる

W。没落する中間層の動揺はナチス急進の政治土壌だった。

⇒像のカーブを想起し日本経済のユーラシアへのめり込みを想定する。資産獲得の政治経済構造を守るために100兆円軍事予算のアメリカの武器購入であろうがデマ宣伝扇動であろうがなんでも利用する。危機感をあおっておればわが身は安泰である!

その原資は自前ではない。国民から搾り取る。多くの老人は過酷な状況で人生の終末を迎える。

 

⇒W。他方中国の急速拡大は古来からの中国史専制体制が拡張すればその果てに躓くという王朝崩壊の法則を実行中である大きな器で人民を食わせられなくなった中国共産党(経済低成長)は中国人民の海に沈んでいく。

⇒W.困った者同士はけんかっ早くなり、則を弁えなくなる。ともに貧乏になりロシアとウクライナのようにならないとは断言できない。

中国経済に成長のエンジンがある限り中国は挑発に乗らないが、なくなれば戦争手段に訴える。


今のところ東アジアの地殻変動の実態はEU縁辺地域とは戦後日本自身の経済成長とその環境が取っ払われてきての内外での資産価値保有の中での長期停滞の有り様において様相が違う。

 

冷戦構造解体、グローバル資本制、東アジア経済台頭によって裸をさらす機会が多くなった図体(日本)の大きな両足が股裂きにあっている。

一方の脚は政治と軍事、他方の脚は経済だ。

このリアルな実態を深く認識しかじ取りをしていくことが日本の政治家の最大限政治綱領になる。

 

日本にウクライナのような分裂政治状況はない。経済力も雲泥の差。

しかし、国民が冷静さを失うとゼレンスキーみたいな後先の思慮に欠けるポピュリストが国の行く末を左右する条件は整っている

戦争を選択するのは国民である

ウクライナ国民の多くは国内分裂という仕方のない面もあって、自分たちの置かれているリアル状況を直視できなかった。近親憎悪が作用している。

EU加盟願望までで絶対止めておくべきだった。アメリカ覇権とリンクするNATO加盟はウクライナという不安定国情の政治に帝国の軍事力が導入されるということであり

核弾頭とインフラ資源をプレゼンスにし、ソ連邦崩壊の時期の経済崩壊から回復見込みのないロシアにとって脅威である。

 

 おそらく来る参議院選挙はロシアウクライナ事態や東アジアの戦争危機をメインに訴え、改憲を掲げる自民党の圧勝に終わるだろう。

こうして財政金融政策が全く手詰まり状態に陥り、金利を上げられず、紙幣を増刷するしかなく長期経済停滞する日本の富はアメリカ市場や海外に向かう。増刷された紙幣を手に入れられる階層と低賃金労働を続けるしか方途なしの階層の格差はとことん進行する。

困っているときは八方ふさがりになる。政治の延長に戦争がある。勇ましい言動や軍事用語による情勢分析が巷に流布されると政治がなくなり戦争志向が強くなる。

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>施設入所してもらっても、後に残った者の老い先の苦労が想定されるならば

>お互い離れ離れの一人ぼっちになり本人を施設で苦労させるよりも共に天命を全うしたほうが良い、という考え方もある。

>できるだけ在宅期間を先延ばしにするというのが自分の調べた結果の福祉先進国スェーデンのやり方だ。その方が費用対効果も高い。

>施設入所はなんだかんだ言ってもカネがかかる。

>コレはぱっと考えてもわかることである。職員人件費、運営費。特に後者は在宅ではイラナイ。職員数がぎりぎりの状態では結局、一人一人の面倒は小まめに見れない。であれば自由ではなく拘束が日常になり、高齢者の精神肉体に良いはずがなく、必然的に医療費が嵩む。

>施設入所が良い結果を生むのは高額の入所費をかけ運営に余裕のある施設だけだと思う。

@大手の業者のワタミは施設運営から撤退した。他業種からの新規参入者が増え市場競争が激化し基準を順守すれば儲からないからだ。

@施設はよく選んで入るべし、は鉄則だ。

>選ぶ環境もなかった。特養資格は要介護3以上だ。要介護3の認知症の人の在宅介護は並大抵ではない(徘徊多発のアルツハイマー型は無理)。施設で亡くなった方は要介護2~3近辺である。施設生活が順調に推移すれば、特養入所の順番を当該施設で待つというストーリーだった。

認知症の人の基準指標は認知症自立度(介護困難度)である。要介護度でいえばあまりにも早すぎる入所だが、介護困難度はⅡbからⅢaに移行途上だ。Ⅲaは身近に介護者が付き添う必要が生じる段階であり介護者への心身のストレスは高まり、1対1介護はお互いにとって良くない場面を多発させる。

 

>これからの日本の高齢者のかなりの部分は屋内スクラップ置き場のようなところが終の棲家になる!しかもカネの成る木のごときスクラップ。コレが厳しすぎる現実。

 

>この現実を直視すれば、在宅生活を送っている間にどういう生き方をすればよいのか自ずと解る。

>それは究極的には個々人の問題であり、課題だ。

@見守り介護の人でいつも気になっている傾向は「隣近所のひとたちの目、聴き耳」

@人々を矮小卑近な偽の地域共同体に閉じ込め、それを束ねて支配機構とする戦前教育が骨の髄までしみ込んでいる。

@ところが本人の人生の軌跡は敗戦後の解放を身をもって実践したような「自由」な生きざま。

@体は自由になったけれど頭はまだ戦前のまま。

>コレが日本の高度経済成長を演出し中軸を担った世代の普遍的なあり方だった。(世代論やその矛盾の論議に終わるのは間違いだが)

 

>我々はそのギャップに肉体的に反抗したが、頭を解放するまでに至らなかった。その証左は今更だからあげない。

>我々が帰った企業やマイホームは「解放」されていなかった。言い換えるとそれが日本経済成長のボーナスだった。

*****************************

 

@反俗日記では日本の経済成長や停滞を単純に解釈していない。

政府の失政?

歴史の目で見ると本質ではない。

@①1930年ごろの日本経済の立ち位置は当時のソ連やイタリア並み。

民需がないがしろにされた軍事大国だった。

@②当時の日本の工業生産値とワシントン条約における戦艦建造割り当てでは日本は英米に次ぎフランスをオーバーしている。

ゆえに過剰生産過少消費、停滞的、相対的過剰労働人口を養人口扶養力も脆弱。であれば遅れて、軍事的に比較的過疎な東アジアに領土を含めた進出をしていくしかなくこのような当時の日本の方向性に反対する勢力は希少で大多数の国民は支持していた。

>③ところが敗戦後の日本の急経済成長で日本のGDPは1990年の半ばまでアメリカに次ぐところに至った。

 

この現実を内在的な要因だけに帰することはできない。

冷戦構造の最大の受益者は日本であった。

日本の(官僚)企業統治の在り方も戦前を引き継いでいた。

人口ボーナスも威力を発揮した。

戦乱と革命、民族独立の続く極東(中国革命、朝鮮戦争)東南アジア(ベトナム戦争)を含む日米安保体制も日本経済が成長にまい進できる要素となった。

>以上の要因がすべて変わったから日本の経済停滞がある。

 

 @そしてコロナ渦(スペンイン風邪はアメリカ欧州戦線参戦とともにパンデミックになった)、アメリカ主導の断続的な世界的低強度戦争によって(定期的であるかのように大規模な地域戦争の直接間接の発火者だがすべて民主主義だとか平和だとかの大義名分がついている)、更に状況は一変するとみるのが当たり前だ。

 

@日本の経済停滞を人口の高齢化のみで説明するあけすけな学者の出てきている。

日本経済の中身を見ていない。

日本経済を支えて生産部門の市場競争力が急激に低下した。

老後生活不安に怯えながら働く壮年層が増えると、民間消費は伸びず、貯蓄に回って結果、国債大量発行や超金融緩和しか経済政策の手段がなくなる。

W。アメリカの著名な投資家の企業は、原油に投資している。

W。各々の原油価格高騰の要因は歴史の目で見る必要があり一緒にはできない。

 

W。ロシア、ウクライナ戦争は帝国の戦争である、という視点がなければ巨視的には見えない。

ロシアがウクライナに侵攻したとか、民主主義がどうたら、こうたら、だけを語ると、この戦争の本質が見えなくなる。

 

W。旧ソ連支配圏と東アジアの日本において長期経済停滞が続いており、経済的政治的地殻変動が進行中だ。

前者においてはUE経済圏加入の東欧諸国の新中間層が所得をアップさせているが、他方、ソ連旧支配圏では経済停滞が続いている。東方に急拡大したEUの大きな地殻にウクライナも含めた旧ソ連支配圏がめり込んでいるウクライナではそのストレスが最もかかっていた。

ウクライナの多くの人々はEUに加盟し東欧の新中間層のように所得を伸ばす願望を抱ていた。欲望の赴くところの自然現象である。

**

ロシア経済の民間消費の過半は上層と一部中間層によるもの、といういびつな経済構造を呈してきた。

プーチンは登場する時点でソ連プ崩壊時の大失政を取り繕う強権を期待され、20年も一応政党の体制をとって権力を握ってきた。

石油ガスなどのインフラ大企業はソ連邦崩壊時に所有権を奪った者たちであり、欧米金融資本とのつながりが当時からあった。軍需産業プーチンを求めるが、インフラ大企業は日和見プーチンに臨んできた。

 したがって、欧米がプーチンを倒せばインフラ企業の経営基盤に欧米のカネが注入される可能性も排除できない。

 

 東方拡大したのはNATOだけではないEUも東方拡大し続けたが、その恩恵を最も受けたのはドイツ経済である。

マルクよりもEU通貨のほうが有利だ

ナチスドイツが果たせなかった野望を今実現している

ユーゴスラビアの複雑な内戦にドイツ軍は参戦しセルビア空爆を行った。

バルカン半島NATO加盟国が過半数。このことを考慮すると、NATOが直接参戦しないのはロシアの7200発の核弾頭の存在が大きい。これがなければ直接介入している可能性も排除できない。

**

 アメリカのたいEUの視点に立てば、

もともとEUは対米対抗的な要素を持っていたので、UK離脱(もともと無理を承知でドイツ統一の脅威をみて仲間に入った。)は好都合であり、ウクライナで揺さぶることがそのプレゼンスにとってプラスに働く。

 

 要するに、欧米は7200発の核弾頭を無力化させ、ロシアを経済従属化に置くことが最大限のもくてきであり、この戦争でこの方向の成果を欲しがっている。

そうすれば、中国を世界市場から分離し再び欧米の思うがままにできるという目論見の大きな第一歩が築かれる。

*****

 >東アジアにおいても経済地殻変動によるもぐりこみをしているのは日本である。

@日本の弱点は戦略的な政治性、軍事性が今までぼやけてきたことであるが、ロシアウクライナ戦争を奇貨として、アメリカ軍事力により一層、頼るようになり、アメリカはその状態を維持するために日本国民の血税や権益を奪い取るように画策し日本支配層にとってもこうした排外主義はこれまで獲得してきた己の利権を守り拡張するためには有利である。煽るだけあおって腰から下は海外に逃避している。

**

 結論。ロシア、ウクライナ戦争は帝国の戦争である。帝国戦争だからこそ、国内の社会民主党社会民主主義政策を実行している政党が一方的なロシア非難に追従する。

歴史は同じ道を歩まない。しかし螺旋的に回帰する。

敵の敵は味方である。戦争は政治の手段だ。対抗要因を弱体化させた米国の力が強くなれば損をするのは多数の日本国民である。反米主義は関係ない。そういう構造になっているということはカネの動き、物品の動きと世界的な構造を見るとわかる。

>卑近な例。なぜアメリカ大リーグが日本人選手獲得に大金をはたくことができるのか?外国から経済実態を超えたカネが流入し続ける金融財政システムが世界化しているからだ。その根幹は軍事力とアメリカ世界基準である。

出典先

https://car-rider.jp/sell/wp-content/uploads/2018/06/gasoline-suii-tokyo2021.png

ガソリン価格の推移のグラフ(1966年〜2021年)

2022年4月17日(日)見守りケアのひと。施設入所は今月末と決定。明日残務処理のため連れ出して欲しい、とケアマネより連絡。

今日、さっぱりした状態で送り出したいので近所のヘアサロンに行く。短くかってくれた。自分は椅子に座って手渡された創価学会の雑誌をカット終了まで読み通した。

宿命を使命感に転化する、という箇所が気になったがよくよく考えてみるとこんな表現はカミユの「シューシュポスの神話」の論法に似ている。

この手の精神論で介護の元気を生み出そうとしていたが、いつの間にやらこれでは気合が入らなくなった。見守り介護の人を施設の入れてしまったことは、どう考えても使命を果たしたことにならない。己の不甲斐なさを使命を果たしたと強弁できるほど面の皮は厚くない。

ここから先は

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この期に及んで去来するのは戦闘的唯物論者として人生を全うするというテーマだった。

そのために見守りケアも曲りなりに続けてきた。こういう心境を誰にも話したことはない。見守りケアの人に話した頃にはもう理解することはできなくなっていたので話し合いにはならなかった。

 ありがとう、とあのひとにお詫びしなければならない。そして申し訳なかった、自分が不甲斐なかった。

自分の頑ななまでの拘りが交流の障害になったのも事実。情のない人間、二重人格とよくけなされた。

 太宰治の「姨捨」と

安岡章太郎の「海辺の光景」

という私小説の中身について考えが回帰する。

楢山節考」の世界が今の世の中に形を変えて実在する、とどれほどの人々は知っているのか。解れば「自由」に生きられる人たちが大勢いる。

2022年4月11日(月)。8日(金)夕刻、来宅意思疎通はとれたと思っていたが田舎に明日帰るとTEL⇒駆けつけたが対応できずヘルパーさんに任せる。土曜日、21時脳化視床下部障害による室内風景擬人化、対応できず外出できないように措置。

10日(日)。夜、遠く離れたところにいる近親との電話連絡が取れないのでやってほしいと来宅。留守電になっていた。以前、町内の昔の知り合いの商店主に電話をかけすぎ警察に通報されたことがあった。この人は本人の症状をよく知らないまま、丁寧に対応していたので、繰り返し電話するようになったものと思われる。

こういうことがあるので、留守電措置はもう対応したくないという合図、と当方は受け取った。本人から聴いた話では対応が面倒になったので、本人の田舎の両親兄がいまだに生きている幻想をそのまま受け入れるようになったものと思われる。当方にとっては迷惑な対応であり、面倒でもその都度、きっぱりと事実を言ってほしかった。もっとも、そうしても生きている幻想はゾンビのように復活するところが、この症状が重くなった特徴とはいえるが、繰り返し事実を提示すると、納得する場合もある。当方は必ず、存命を否定してきたが、近親者が肯定すれば、どちらの話を信じるのかということだ。ずっと、一度当方から連絡して事情を聴きたいと思っていたが果たせないまま、施設入所の段階まで来てしまった。そして最後には音信不通にしてしまったのだろうか

認知症介護のリアルな問題はすべて現場の具体的な事情、推移から生じる。

認知症の教科書的理論から生じるわけではない。それは現場介護の理論的な基準になるが、(例えば認知症患者の自立度指標<介護困難度>。各認知症の特徴)現場介護で一番必要なのは介護者の生の介護経験の公表、交流。コレができる環境にあると自分たちがやっていること(いいところ、悪いところ)が客観的にわかってくる。

@その公表、交流の場がない。

介護ブログ記事?以前偶に見ていたが~みなくなった。そもそも反俗日記も自分のために書いている。公開しているのは自己規律に主眼をおいている。以前、のブログサイトに書き連ねた記事が検索に散らばっているのを発見したときは、とにかく恥ずかしかった。抹消の方法を必死で探したが無理らしいのであきらめた。そのサイトで記事を書いているときに別のところに誘われたが移転するつもりは全くなかった。片隅でひっそりと書いていくのが極少数派にふさわしいと割り切っていた。ただし<はてなブログ>などという訳の分からない選択ミスをした結果、残念なのはジャンルごとに散らばっていた記事が一か所に集められたことだ。

このころ、反俗日記の訪問者は激減した。私の記事はまとめて他人に読ますようなものではない。自分のために一つの課題に集中し深堀してきたので、興味ある人は読む、ない人はこの記事、めんどい臭い、となる。

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訪問介護の人たちの入る時間は限定されているので、見守りケアの担当者がどうしても必要になる。ここが欠けている人は、4月7日死亡事故のような結果を招くことが多くなる。

介護保険の認定基準において、身体障碍優先で認知症の認定は厳しい。症状が進んでいても高い要介護度の認定がされないのでデイサービス通所日数も限定されてくる。

@見守り介護の人の特徴はアルツハイマー認知症の症状は進んでいるが身体障害の程度は低いという、介護認定に最も不利なもの。

@記憶障害、見当識障害が悪化し行動心理症状(BPSD)も顕著になっている段階でも今年の夏の認定日まで要介護1のままだ。

>であれば当然にもデイサービス利用も限られてくる。本人はいきたがらないので利用しない。ヘルパーさん利用にも限界がある。よって近所のボランティア見守りケアの負担が大きくなる。以上が見守りケアの人のグループホーム入所までの構図と軌跡である。

@田舎に帰る幻想を利用して入所させるようにしているので、本人とって田舎に帰るは既定の事実のようになっており、目の前の日常生活での不如意にこらえ性がなくなっている状態なので、以前はコミュニケーションがうまくいかなきなった時でも修復できたことが簡単に修復できなくなっている。

 

@処方され1か月程度で中止したディエゴ錠(眠剤)の悪影響もあるのではないか。

アルツハイマー認知症の場合、大脳辺縁系の各種器官に存在するというレキシンの機能を弱めて眠りにつかせるようだが、コレによって海馬(記憶)偏桃体(情緒)脳化視床下部(景色正常認識)が弱体化しているように感じる。なお、この近辺にある臭気を感じる器官は不能となっている模様。

>結局、動物的な本能を司る大脳辺縁系諸器官に障害を受けるというのがアルツハイマー認知症の特徴であり、記憶障害、見当識障害が重くなり行動心理症状が悪化すれば、簡単に架空の理由で外出し、帰宅できなくる、危険性が日常化する。

@そこで、身体保護というこで、施設入所措置が取られるが、頭の機能の保護は難しい。身体と頭の二元的な分離状態がひどい人の保護が一番難しいのではないか。有らぬきっかけで動いてしまうわけだから制御するには拘束状態がどうしても必要になるのではないか。心の病の人たちへの保護にも共通することだと思うが、具体的には見当はつくが解らない。

@しかしそもそも、他人事ではなく自分のことでもある。そういうつもりで接してきたが、解ってもらえなかった。一番残念に思うことはここだ。

>もっとも自分がその手の考え方を持ち込んでいるのかもしれないが、これが終生変わらない個性である。

>自分の本音はここにあるが、その尺度で他人を測るのもいかがなものかということだ。

 

2022年4月8日金。黙って野垂れ死にするな!施設入所までに丁寧に見守り介護をしていたが、冷蔵庫に施設にもっていく予定のCDラジカセリモコン。怒ったつもりはないが、機嫌を損ね誤っても通じず。翌日も不調。

このラジカセは自分が購入したもの。本人がうまく使えないので、簡単CDラジカセを購入。こちらはリモコンがついていない。

リモコン付きのものはSONY。全曲繰り返し機能がリモコン操作できず、4回本体のボタンを押さなくてはならない。また音の質も自分には合わないのでお蔵入りしていたものをプレゼント。ただし、リモコン入り切りワンタッチ操作で使えるが電源を切った場合のワンタッチ再操作は本人には無理筋。

リモコンなしの方は2回操作で済むがCD回転を待つ時間が必要(操作手順をボタンにマーク)で、これも本人は操作できない。

どちらにしようかと考えた末、SONYを選び持って行ってもらうことにした。施設の人向けに、簡単操作法の説明書を作成するつもりであった。

>その矢先に、肝心かなめのリモコンが忽然と姿を消している。

>探している途中で毒舌を吐いたかもしれないが、本人が認めるとあっけなく収まる程度のものだったが、こういう場合、頑として自分がどこかにやったとは認めず、「関係ない」「私だけを悪者にする」と強硬に突っぱねる。冷蔵庫にあったリモコンは短時間で見つけた。

>自分のほうから口に出して謝ることにしている。この時もそうしたが、これまで経験したことのないほど、機嫌は収まらないまま退散した。

 

@施設入所をスムーズに実行するために介護側が「田舎に帰る」「出ていく」ということに弾みをつけたため、本人も出ていくということが現実味を帯びた形で認識している。なので、目の前の不如意にこらえ性がなくなっている。

@そこまでち密に出ていくことの理由を告げなくても、本人は絶えず架空の田舎に帰りたいといっている。目の前で嫌なことがあればそのはけ口は桃源郷の両親、兄の揃った田舎。ありえないと否定してもゾンビのようにその妄想は復活する。その気持ちは自分は解る。人間は想念(夢)がなければ生きられない。自分にもその気があると自覚する。

  翌日の朝も機嫌が悪かった。

@その傾向は収まらず、訪ねてきて帰るというので説得しそれが功を奏したと思った矢先にTELがあった。よそよそしい口調で明日帰りますからという急いで直行し勝手に家から出ていってはだめ、と説得しているうちに腹が立ってきた

昼食も食べていない。病院の定期健診帰り。帰路、役員に出会って入所と退去、自治会費日割りは当方の役割分担に決定との報告、ヘルパーさん2人と出会って正直に丹念にやろうとした反動が出た、と告げた。「いつもの通りで良いですよ」とヘルパーさん。

>やはりなれないことはやるべきではない。

>便利屋、代行屋もどきが似合わぬことをやっていた。

淡々とその日まで自分の役割を果たそうと改めて思った

@トラブルの事後処理は、経過報告などをホワイトボードに記して夕方のヘルパーさんに委ね帰宅した。

@よる本人が元気を取り戻したかのような声で訪ねてきてくれたて安心した。

>やはりヘルパーさんはヘルパーさんだ。

@1対1関係でに詰まった時、解決してくれる。これまで何度も経験した。

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>入所によって身体の安全は保たれるかもしれないが

>こころの保護は並大抵ではない。急速な症状悪化は避けられない。

@リストラ現場を率先するものはやがてもっとひどいリストにあう。

>ここまで分かり切っているのに何をやっているのか?

@国の孤立老人スクラップ政策のお先棒担ぎだ。

>黙って野垂れ死にするな!

2020年4月7日木。階上の孤立した老女が(認知症)突如亡くなっているのを発見された。

短期間で認知症を悪化させ孤立した状態を見かねて周囲が介護の手続きをし訪問介護利用。

顔見知りの人で最初逢った時からニコニコし気軽に話すこともあった。最初の印象から急激に症状を悪化させた模様。

隣の住人(老人ホーム勤めらしい)のエアコンが4月2日(土)以来、一晩中異常な騒音を発するようになっていたので相当気にしていたのではないか。

エアコン騒音発生源の住人は手間のかかる人で階下への水漏れ事故を告げにいくと、いまにも殴り掛からんばかりのものすごい剣幕で「警察ややくざも怖くない」などとおお声で威嚇し行き成り詰め寄ってきたことがあった。当方はこの住人がなんとなくやり難い相手と察知していたので、TELでアポを取ってから訪問しようとしたが電話番号は解らなかったが、老人ホーム勤め、の情報は得ていた。

当方が冷静に事情を説明すると納得して室内に招き入れてくれて、ベッドに上がってもいいからじっくり調べてくれなどと当たり前の対応をするようになった。

その後、大雨の中、次の機会で良いからというのに自転車でずぶぬれになって近所の知り合いの工事業者のところにいってくれた。

 その後、隣人の情報ではこの住人は昔、階下の病弱老女に騒音被害を与えており、被害者が隣人に泣きながら助けを求め、抗議してもらったことがあったという。さらに酒に飲まれるタイプなのか、夜中に偶に大声を出して吠えている人物もこの男だった。

 

 親も含めた地域に根を張る某宗教団体がらみの人のようだ。アルコール老人ホーム勤務。独りよがりに成りがちな条件はそろっている。

 亡くなった老女の情報は去年の11月ごろ、役員から見守り介護の人が迷子になって身柄引き受けに行った際、具体名を出してこういう案件がある、万全の措置をするようにという意味で聴いていた。これを受けて当方はあまり実効性のない地域の相談室に登録し係員の訪問を受けた。もちろんグループホーム入所をケアマネジャーにプッシュした。

その人は身寄りがいないので周囲が介護の手配をした、と。今はどうしているのかと聞くと訪問介護が入って日常生活が普通に送れていると。

>その後、某宗教団体の新聞配達の役員からもこの人が明け方助けを求めて廊下を行ったり来たりしているという情報を聞いていた。関わりたくない様子で話した。

@それ以降、6か月ぐらいで事故死した。

@ニコニコ気軽に話した最初にあったころから、5年で亡くなった。事故死である。

@見守り介護の人はきっちり介護できるものが身近にいればまだ在宅生活は維持できる状態。このことを加味すると見守り介護の人の施設入所後の先は不透明極まる。施設入所で保護されたのは身体だけではないか、心は保護されない。自由人の近所の92歳の老人は施設入所7か月で誤嚥性肺炎で亡くなった。

>守ってあげられなかった不甲斐なさだけが去来する。大きな壁もあった。

2020年4月5日火。夕食後、腹痛を訴えベッドに座った状態から急に仰向けに、血圧低いぐらいだが、脳梗塞を想定し救急車同乗の準備。トイレ導線介護できずうずくまる。仰向けにすると上下異常な厚着判明。脱衣すると楽になる。異常な厚着⇒夕食⇒血行不良、と判断。

 入浴前に、ベッド上にうず高く積み上げられた下着衣類をそっくりそのまま、入浴後装着していた、とは気づかなかった。積み上げられた衣類がすべてなくなっているのでたんすの引き出しに戻したものとばかり思っていたが、全部着込んでいたのだ。その後夕食をとって、全身血行不良を起こした。

「ヘルパーさんに変なものを食べさせられた」などといっていたが本人の異常な厚着が原因で失神状態に陥った。

>こういった場合、脳梗塞の疑いがまず第一番にあるので、できるだけ早く救急車を呼ばなければ、病院で治療しても後遺症が広がる。

>対応のマニュアルは知らなかったが、頭痛くないか、などと何度も声掛けし「いたくない」との応答があった。しかし目の前で失神状態になった超高齢者がいる。慌てた。

*************************

        近所の高齢者災難を振り返る

@離れて住んでいる息子が駆け付けたが(父親本人のTELで~妻は重度認知症~)「親父がろれつが回らなくなっている」「救急車を呼ぶにも住所がわからない」と、ドアをどんどん叩いてきた。非常に慌てていた。

**

>その後、この一家は大変な目にあった。

認知症介護の夫は軽い脳梗塞で済んだが、その後、数年間で人工透析、がん転移で大手術。入院中に認知症の妻は火の不始末から焼死した。ドアをたたいた息子は脳梗塞OR脳出血で仕事ができない体になっていた。

>唯一助かったのは遠く離れたところで家庭を持って働いている次男だけだった。

>火の不始末によって損害賠償をとられるのを恐れていた。

>この大事故を後から振り返ってみると

認知症の妻一人を置いて入院する際に、後を託した近所の世話役的な二人女性たちが残された妻がうちカギを掛けて公的援助もできない状態になっているのに<強硬>手段をとれなかったことだ

はっきり言えば、外から侵入できるので了解の下、合いかぎを作る。

実際に自分は中の妻に用事のある人のために高所を伝って侵入できる開けっぱなしの窓からうちカギを開けたことがあった。

>この大事故後の近所の評判は

認知症の妻が訪問介護などの援助を断っていたのでどうしようもなかったということに落ち着いているようだが、

>自分の見方では重度症状の亡くなった妻に責任能力はなかった

周りがなんとかできる方途はあった。夫の側で介護をつけることもできた。あんな状態の妻を残しているのに合いかぎを信頼できる他人に預けなかった。

 

@そのまた近所のスーパー高齢者も激しくドアをたたいて助けを求めてきた。

駆けつけ血圧測定すると200を超えて計測不能だったと思う。「心配するな。救急車を呼んでついていってあげる」といっているところに妻が帰ってきた。その後急激に落ち着きを取り戻した。

**

その後、この夫は

室内転倒で肋骨骨折全治3か月、その後、何度も店頭を繰り返す夫に小柄な妻はそのたびに介護して腰を痛めたという。

>最後の転倒で後頭部を強打し有名な脳外科病院に入院2か月、⇒施設入所7か月で亡くなった。死亡原因は誤嚥性肺炎という意外なものだったが自由人に施設は合わなかった。

>在宅最後のころは軽い脳梗塞連発によって、脳血管性認知症だった、と自分は常々見ていた。検査していたのかどうか。92歳。

>なかなかの人物だった。私の介護も間接的にやめるように言われたことがあった。*

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  歩けなくなって買い物を頼まれた、近所の人が入室したらうつぶせになった老女は布団にうつぶせになって突然死していた。

 この老女の死亡事故も振り返ってみると不思議だった。

糖尿病が悪化して足が極端に腫れて買いにいけない状態なのになぜ?入院させなかった?入院費用がないわけではなかった。子供のも遠く離れていないところにいる。

私はこの人が衛星TVが映らないというのでアンテナを修正に行ったことがあって急に親しくなった。そのとき、またお礼などといって品物を持ってくるのではないかと、様子を見ていたら、会うたびに親しくするだけでその気配はなかったので、その人を信用するようになった。ありがとうの一言で良い、品物を持ってくるということは関係性の切断と自分はひねくれてみているのであっさりと対応する人を自分に近い人と信用する。年に似合わずさっぱりとしたいい人だった。終わりのころは自転車のカギを差し込むのにも苦労していたので入れてあげると、「お父さんの命日なので花を買ってくる」といっていた。カネ払いにきちんとしていた人でもあった。何事にも動じない人とは古い付き合いのある人の弁。

亡くなった前後の様子を聞けば聞く程、なぜ入院させなかったのだ、と不思議に思った。唯一考えられるのは急死である。死は本人も周りも想定外だった。しかし、買い物にも行けない事実は目の前にあったはずだ。糖尿病で歩けなくなればアブナイ。

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夜中に車いすで倒れた老女を近所の人二人で起こしに行くのがそんなに苦労することか

この件は仕事であるか否かで全く苦労とするか当たり前のこととするか、天と地ほどの違いがある。わたしは深夜明け方に連絡が入ればバイクで駆け付け、倒れた車いすの人を起こし、下の掃除をして帰宅した。現場で整然とやり切るには作業前の気構えが必要だったが、まったく躊躇はなかった。近所の人が同じことを一回ボランティアでやれば苦労話になり吹聴される。

コレどういうことなのか。よく言われる地域ボランテァの基準は少しづつの助け合い。

>しかし、対象が酷い状態になっているときにそれでよいのかということがある。

>中途半半端にやっていると犠牲を対象者が払うことになる

@この局面でこうすべきだ、と判断できる知識と行動の啓蒙を付記すべきで一般論一辺倒ではどうかと思う。

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4月6日木。部屋の整理業者が入室し見積もりだす。

自分の提案で見守り介護の人はその間に自分が外に連れ出すことにした。

自分の電解製品や必要なものも、そのひとの部屋に入れているので、確保することにした。

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生身のひとをこのように扱うものは本人も同じ扱いを受けるということだ。

この間記事にしてきた天と始原的物質(道)の話は他人ごとではない。自分の身に降りかかってくることだ。

辿り着いた東洋思想(実存主義は捨てた。介護の役に立たなかった)と戦う唯物論者としての最後を全うすることとは矛盾しない。

 

人間は便利にできている。

事実を直視しないで一生済ますことができる。生活の知恵というところか。

ファジー、スルースルー、外し外しが優しさなのかもしれない。

でも事実を直視すれば、白黒はっきりし、もっともっと激烈に生きられる。

架空のものに思いを託すなどというのは愚の骨頂だ。

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>仕事で介護する人と身内故介護する人、地域で無給介護する人の立場、条件における差異に気づくことが度々ある。

     まず自分の体験から

久しぶりボランティア団体にかかわったとき、団体運営についてすばらしいな、と思った第一のことは、活動家が昔のように食うや食わずで身を削り活動しているのではなく、きちんと常駐のひとにはそれなりの給料を払っていたことだった。若い男女二人、実務能力や政治能力はそれほどではないが経験を積めば、ということだろうか、彼らの背後にいるものが実質的な組織運営者だった。

わたしが相応のところで動けばわずかながらでもカネが出た。

 

過去の経験から一方的な思い込みのボランティア活動が暴走すると最後に破綻する。

活動量と人的力のバランスを無視しがちになり自己犠牲が常態化する。これでは邁進している人はやがてつぶれていく。視野も狭いままになる。したがって内輪もめが生まれ暴走する。

権限を持っているものが常勤である場合、自己犠牲ボランティアを引き回し、使い捨て現象が発生しいつまでたっても組織は膨らまない。

 

活動対象が厳しい条件にあるボランティア団体ではもう自己犠牲のボランティアは通用しなくなっている。常勤を置いて安定的に活動を続けていくことが活動対象のためでもある。

>以上を踏まえて、介護の世界でも身内介護、やボランティア介護には限界があるという結論に達する。

>仕事として給与の裏付けのある介護を活動をする人と、後者の無給介護の差異はあまりにも大きすぎる。後者には職業としての倫理はない。活動に対する対価も発生しない。

>では何をもって、介護のモチベーションとするのか?

@とくに脳の老衰の人に対する介護は以上のことが特別に明らかになる。

@私は常々、職業としてやっていたら、こういう言動は抑制できたのにという悔恨に向き合うことが多かった。職業倫理がない。経験を広げる機会もなかった。雪駄琢磨もなかった。全部自分のうちで処理してきた。それで多くの迷惑を本人にかけてきた。

ある時から便利屋、代行屋に徹しようと決めた。しかし、そういうロボット機能だけでは処理できないことがあまりにも多すぎた。本人が求めているのはそういうことではなかったが、自分にはそのつもりももう力もなかった。

家族の絆は盲点もあるがやはり威力を発揮する、とつくづく思うことがあった。身を削ってでも介護している方たちがいる。夫婦のじいちゃん、ばあちゃん介護では何とか持ちこたえられる。家族の絆、任せが今に日本では多く何とか持ちこたえている。1対1介護は危ない(特に認知症の場合)。

 

>施設介護は経費が掛かる在宅介護をできるだけ引き延ばしにできる福祉全体のシステムの方が結局、費用対効果が大きい。しかしそのためには社会全体のコンセンサスが確立していなければならない。在宅でヘルパーさん利用、有償ボランティアや家族介護する人にカネを出すほうが施設で拘束してカネの成る木みたいに扱い、施設の言うがままにカネを出すよりも安上がりで生活の質の向上になるのと違うかな。

>この辺は調べたことがなく情報だけで無責任に書いており迷惑に思う人たちもいる。

見守り介護の人はまだ在宅できる能力は残っているのに施設に入らなけれならない現状にある。

今はいらなければ空きがない。この点において責任を背負っていくつもりだ。それしか言えない。だから、

「生身のひとをこのように扱うものは本人も同じ扱いを受けるということだ。

この間記事にしてきた天と始原的物質(道)の話は他人ごとではない。自分の身に降りかかってくることだ。」と。

介護事業所への点数が出ていない。自分のようなボランティアはただ本人のやる気次第に任されている。きちんとカネを出ていれば、この介護状況も好転した可能性が十分にあった。従って、本人が損をし、自分は人生の時間を消費した。

施設在所期間が長いということは社会全体、世間が、人間の生々しい一生にわざと目をそらしているということであり、中途半端なことをやっているという証拠だそれでグローバル資本制の中で地位を保っていけるかどうか。足し算引き算だけの世界ではない。

 

@オレンジキャラバンという厚労省肝入りの認知症啓蒙全国活動がある。

2か所で受講したが私に言わせると見当違いも甚だしいものであった。

教科書冒頭に認知症になったら、人生の最後で人間としての尊厳が保てなくなると記されている。

終わりなんだと。

ある意味でそういう事実はある。

しかし、一般の人生終末者が生の最終局面で人間としての尊厳を果たして保ったまま死んでいけるのか!

絵空事言ってはいけない

人間は死ぬときにはたった一人で死んでいく。コレが事実。

また死ねばその人の世界は終わる。残された世界とのかかわりはない。あるとすれば残された人たちの心の中だけだ。死んだものと後に残って生きていくものとの間にどういう関係があるのか、ないのか。歴史総体としての関係はある

 

 大昔のインドに実存した釈迦は死ぬころには原生林に立ち入って彷徨の果てに生を終えたいと思っていた仏教思想から言ってもごく自然に出てくる考え方だ。

しかし、生前の教説流布が進んだ結果、釈迦の死の間際、ぐるりと高弟たちが取り囲んでいわゆる大往生ということになってしまった。

今の世の中で大往生できる環境にある人が何%いるか?

しかし、死の有り様が個的化、辺縁化しているということは死に臨む者にとって釈迦の望む本来の死に方に近づいている、ともいえる。

生の世界と切り離された辺縁系の死が大衆化している。

>ということは一般的な個々人にとっても死を思想化できる機会が出てきたということだ。

戦争に参加しなくても、座禅を無理して組まなくても事実を直視すれば、死に対する思想を持てる。

>自殺者がいっぱい出たり、拡大自殺のような異常事件が発生する思想的根拠はここにある。

 

>以上のような志向ルート以外に厳しい条件下で活動できる縁は職業的な倫理観、資本制の対価以外にない。

@一番かかわってくれているヘルパーさんは認知症の親の介護の経験があり、そこで挫折している。一番よくわかってくれるから、困難な局面にきっぱりと言い切ってくれるのですっきりすることがある。

認知症の親介護の苦しさと職業としてのヘルパー経験がうまい具合に融合しているように見える。

@所長兼人のケアマネさん認知症の人の在宅後期の始末をやってきた人だと思う。その人が私のような頭の中でこね繰り回した考えをその都度持ち出していたら仕事にならない。

 

@重度の人たちを揃えたグループホームを見学したことがある。

勤務主体は男性職員である。おしっこがしたいと訴える入所者がいると強引に抱え上げてトイレに運ぶ。マニュアルから外れた力ずくの作業であった。もちろんリハビリパンツはいている。しかしそうしないと経費が掛かると思った。

最上階のグループホームの入所者の表情から人間的な要素が消えてまるで類人猿のようだった。

この老人ホームは当時、入所にはかなりの補償金をとっていたはずだ。施設訪問者から帰る後ろ上品な姿が自家用車の中に消えていった。

@それでも人間は生きていくべきだ、というのが自分の考えだ。そこで勤務する者がいて利用者がいる。コレが社会そのものの生の姿だ。

 

>人の世がジャングルの掟が支配するものだったら

@巷間言われていることは全部きれいごと意匠になり

@嘘には従わなくなる人が多くなる。

@世の中窮屈になりマイナス要因の多い社会は停滞閉塞する。