反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

暮れから正月。どのYou Tube動画も退屈極まりなかったが唯一、90分の長時間魅入った動画はLinguoer—mechanic - YouTube天才少女は、苔で覆われた廃棄されたオートバイを正常に復元しました!

天才少女は、苔で覆われた廃棄されたオートバイを正常に復元しました!

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Linguoer—mechanicLinguoer—mechanic - YouTube

Tired of the hustle and bustle of big cities, I gave up my high-paying job, bid farewell to the city, returned to my hometown, ~省略⇒以下翻訳。

 大都市の喧騒にうんざりした私は、高収入の仕事を辞めて都会に別れを告げ故郷に戻り、美しいジャングルの中を歩きました。 私はジャングルに自分の夢の家を建てただけでなく、余暇には自分の知識を使って親戚や友人があらゆる種類の機械を無料で修理するのを手伝いました。 また、多くの中国のファンが機械を無料で修理するのを手伝いました。
私の修復物は気に入っていただけましたか? コメントで教えてください。

W.自信たっぷり、「任せてください。問題ありません」と。

この表情をみて動画は<ヤラセ>ではない、と確信した。

ディーゼルエンジン修復の別動画。

(W建設現場で動力源として使うものらしいが日本では見かけたことはない<高度経済成長以前に使用か?例えばコンクリート練り機にベルト伝導。農家で自家脱穀する際に脱穀機とベルトで伝導し使用していた。中国でも修復しても使い道が無いだろう。コメントが寄せられているベトナムでは使っていたと。

💡Genius Girl Repairs An Irreparable Diesel Engine For The Contractor, Shocked All! - YouTube

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W.ただし、一気に修理しているように見えるが、かなり時間をかけた作業を編集で短時間にみせている。

また、画面には映っていないが作業を手伝ってくれるアシスタントがいるようだ(スタッフの存在は「多くの中国のファンが機械を無料で修理するのを手伝いました。」と明記しているので問題はない。)

例えばTVの料理番組で食材を揃え、本番までの段取りをするアシスタントの存在抜きに、短い決められた時間内の料理番組は成立しない。

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          Wの感想、意見、疑問点

①時間をかけて作業できるなら、根気と興味、ヤル気があるヒトなら「誰でもできる」!

 見終わった後の感想。エンジン部分の作業を除けば自転車の分解と組み立て、と作業工程はほぼ同じ。

Wも時間と場所、作業道具さえあればできる。ただ、映り映えのする作業はできないが。

 

②素人とプロ、職人の仕事とは次元が違う。

 作業スピードと正確さが要求されるのがプロ、職人技。時は金なり。熟練作業でも当該労働力は市場で平均化される。

平均以上の時間をかけるとプロ失格。「もっと早くやれよ!ゆっくりだったら誰でもできるぞ!」と叩き込まれる世界がある。

 

>③この動画が魅せるのは手際よく作業しているように見えるからだ。

暮れから正月にみた動画でココまで魅入ったものはなかった。

西部劇を中心とするアメリカ映画の動画が多数アップされていたが、全部、途中で中断した。日本製の動画は所詮、私小説の世界!個々人のパフォーマンスの開示。物語の世界が構築しきれていない。

従って、各動画の愛好者はアップする個々人の支持者

Wは個々人がどうあろうと関係が無い、面白い、情報があれば良い。

この若い女性の作業動画のリアリティー勝るものはなかった自分が作業しているような気分になってついつい見入ってしまった。90分以上だ。

 

⓸やたらとボルトやナット外し、締めの作業動画が多い。

Wも作業する前にボルト、ナットの外しと締めの数は気にする。手間と時間の目安になう。修復に手間がかかると判断すればやらない。修繕前より壊してしまう可能性がある。

各部品を固定するボルト、ナットの数が多い。

画面の外でアシスタントが整理していなければ、作業は停滞する。

Wも作業の際に部品とボルトナットの整理に本チャン作業と同じくらい注意を払う。⇒コレ多分、アシスタントの仕事。

@ただし、この若い女性はマシーンを復元する際記憶力が抜群に良い元のあった場所を憶えている。普通はココで戸惑うから予め写真やポンチ絵を描いておく。それでもイザとなれば戸惑う。マシーン復元の全体像(基本構造の知識がある)がなぜか頭の中に入っている(センスの問題)彼女はその必要が無いのか。ココが天才的なところ。

手指や作業着が汚れていないのは分割して撮影しているからだろう。

洗浄、溶接など特殊作業以外は素手で作業するのも自分から見て不思議でしょうがない。油や水分、埃、錆びで素手だと力が入らないし、余分な注意力が必要と思うが

また、昔の機会工場ではこうした作業で汚れた手指の汚れを洗浄に磨き砂状の荒っぽい洗剤を使っていた。細かい手先作業用の良い皮手袋も売っている。撮影用に見栄えをよくするために使用しないのだと思うが、プロは日常作業なので手元足下注意が鉄則だ。

安全靴を履いていない、とまではいわないが。

若い女性が素手でやるところに見栄えがする、というコンセプトのエンターティメントいちゃもんをつけているようで無粋だが、素人作業にはそれなりの<ナリ>が不可欠!は肝に銘じておいた方が良い。

>ま、同じようなことをやっていれば、そのうち飽きられる。見る人が見たら撮影編集意外に映された作業に助っ人がいるのはミエミエで最終的に主演も含めた作品の出来栄え如何となるだろう。

@もっとも天才とまではいかないが中国は歴史的にこういった細部に耽溺する文化、技術の伝統があり(紙、火薬、印刷技術は中国で生まれた)雲南の女性とかこのエンジニアはそれを庶民的に継承しているものとおもえる。

>申し訳ないけど日本のYou  Tuberのアップする動画は物語性もなければ、映像技術もない安物の個性の大安売りできたら寄ってきてほしくない勉強にもなるので外国製を所望しているのだけれど、勝手に日本向けYou Tubeが出現する。

@日本のYou Tuberではジョーブログを支持する

何もそこまで~~~、と痛々しくおもうこともあるが節目節目で筋を通している。やることはやっている。そして成果とのバランスがどうして生まれている。

ヨーロッパ旅行中のイタリアの広場のカフェで頼んだワインは白だった。テーブルの皿は生ハムなどだった。普通は赤ワインだ。白ワインのグラスをぐびっと一気に開けた。鍛えている。粋(すい)である(江戸の粋<いき>ではなくナニワの井原西鶴風、粋<すい>)。

   粋(すい)の極限とはこういうこと。

『好色一代男』(井原西鶴)昭和期復刻

  引用

「巻五から巻八には、三十五歳から六十歳までの二十六章にまとめ、母親から父親の遺産二万五千両の譲渡を受け剛毅な生活を過ごし、京都島原の吉野太夫、大坂新町の夕霧太夫、吉原の小紫太夫や高雄太夫など有名な花魁を登場させ、粋な世界が描かれている。

 長崎の丸山を最後に、気がつけば足腰弱り耳も遠く歩くには杖が必要となった夜乃介(世之介)と同行者七人が、山盛りのお宝と当時の風俗がわかる責め道具をあの吉野太夫の形見の腰巻を取り付けた「好色丸」に積み込んで、海の彼方に存在していると伝わる「女だらけの女護島」をめざして船出し、消息が絶えるところで筆が置かれている。

  反俗日記引用

「 wacwacは井原西鶴の発見された墓がどこの寺のどこにあるかも知っていて、何度も参ったことがある。 大塩平八郎の墓前で何度も滂沱の涙を流した。 井原西鶴は江戸初期の元禄時代、大阪が本物の天下の台所であった時代に今読んでも何ら褪せていない「好色一代男」を書き上げた。 東京が粋(いき)ならば、それに相応するのは浪速の粋(すい)である。 世之介は好色の道を究めようと志し最後まで徹底した 粋(すい)のひとだった。一種の上方落語の<らくだ>世界に通じるものをそこに見る」

 

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 まず、井原西鶴の戯作文の代表作「好色一代男」の現代語訳で戯作文とは、どういうものか確認してみた。 一言でいえば、まさに野坂昭如調のご本尊である。もっと描写が綿密にできる文体である。 それから、ブログに書き写すと縦書きが横書きになるわけで、そのことによって、日本語小説から情緒や感情が減滅されているように直感した。横書きにすると、縦の活字文章の「火垂(ほた)るの墓」の感動が薄れるような気がした。コレは横書きに慣れたら、済むという問題ではないように感じる。 そこで

野坂昭如著「火垂(ほた)るの墓」~文体の解説とポイント抜書き~

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⑤錆びついたままの各部品を外しているが、潤滑油を噴霧するともっと楽に作業できる。やらないと錆びたねじ山が潰れる場合があり、復元のときに、新しいものが必要になる。

 

⑥高圧洗浄機が錆び汚れ落としに活躍しているようだが、なぜコンプレッサーの音がしないのだろうか?⇒編集でカットされている。映像の進展具合が素晴らしく長時間飽きさせない編集はプロの技。

雲南、保山の郷土色豊かな風物を紹介する女性ブロガー(登録者数900数十万人)と同じく編集プロダクションがバックにいる。

Wはあまり手際よすぎてこの女性ブロガーの郷土紹介動画よりも飼い犬の巨大なアラスカンマラミュート犬(名前、大王~~ダワン~~の動画だけを見ることにしている

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 今回紹介する女性エンジニアブロガーもどきの舞台設定の若い女性キャンピング動画がアップされていた。

その女性はなぜか密林もどきの山の中に入っていって周辺の樹々を切り出してキャンプを設営するが、

またなぜか

>わざわざ斜面に半横穴を掘って表の入り口に柱を立て、屋根をふく。

@その間のなたやのこぎりといった簡単な道具を使っての手際よい作業が見どころとなっている。この場合スコップでの穴掘りがトピック。

@かなりの本数見ていくと、なぜ、わざわざ半横穴を掘ってキャンプ設営するのだろうか?とか

なんでそんな密林の中でキャンプなのか?など

キャンプ設営のイロハかたみて可笑しなことだらけで、結局、その動画はキャンプ設営を魅せるよりも作業するおんなを魅せるためのものだと、いうことになり、すぐ飽きてきた。

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>このマシーン復元女性の動画もその線にそってのものとおもっているが、

@今でもある程度の作業を日常としている自分には、

>この女性独特の作業に立ち向かう平常心仕事に圧倒されない姿勢。冷静な判断と淡々とした実行の積み重ね、テクニック大いに参考になる

 

⑦コメント欄にオートバイの前輪のつけ方が逆になっているという指摘があった。

再生してよく見ると指摘通りで、前輪は時計の反対方向に回るわけだから、下図のリムの方向でなければ、無駄に空気を切ることになる。

コメント欄ではバイクが水面を走行した場合、反対方向では過大な抵抗が発生する、と指摘していた。泥道などを走る場合も前輪のリムが反対向きでは支障が出る。

@修復前のバイクのリムはこの手の物のではなく普通のもので(自転車のリムと同じ)方向は関係が無かった。

 

日本酒の歴史から東アジアの歴史、世界史を覗いてみる。12,28(木)ワイン、焼酎関連(泡盛)深堀。日本酒、醪(もろみ)を絞って沈殿させて濾過させ再度ろ過させ、その間に2回も過熱殺菌する、工程図を追加。

W。簡略図を用いた分かりやすい(清酒日本酒の製造工程を参照してもどうもピンと

こない。

W参考資料 同種の解説の中で一番、短く整理されているが、各用語の詳しい予備知識が無いと文章だけの理解になる。

日本酒はワインと同じ醸造酒。蒸留酒や、その他のお酒との違いについても紹介 | MATCHA - 訪日外国人観光客向けWebマガジン

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    W。上記の記事の解りやすい解説がコレ

         ↓

      単発発酵

  出典

日本酒とは | おいしい日本酒・酒蔵紀行

 

原料糖質が含まれているため、そのまま発酵W?注させることが出来る発酵の形態。

  ブドウ ⇒ 発酵 ⇒ワイン 

 

W。温帯モンスーン地帯で湿度高く、多雨。酸性土壌の日本列島はブドウ作りに不適。生育中のブドウの房を紙でくるんで環境から保護しているような地域はワイン製造に不適切。

W?注

ワイン酵母の種類を知れば、ワインがもっとたのしくなる!|たのしいお酒.jp

「ワイン酵母の種類は大きく2つ。

  ①自然酵母

ブドウの果皮などに、もともと付着している野生の酵母のことです。
自然酵母のはたらきにより、収穫したブドウを放置しておくだけでも、自然にワインが造られます。ワインの発祥時から活躍してきた、ワイン造りの原点とも言える酵母

自然酵母はブドウの生育過程で果皮に棲み着いたものなので、産地の気候風土や個性をかなり重要視するワイナリーは、こちらを選ぶ傾向が強いようです。ただし、ワインに適しない雑菌が混ざっていたり、発酵力が強くなかったりといったリスク。

酵母などの微生物の種類は、気候や土壌などで異なります。ブドウ畑ごとの環境に順応した酵母が住みついているため、産地ごとに個性あるワインが造られている。

ワインの味わいはブドウの品種や質によって骨格が決まりますが、酵母の働きによっても個性が変わるのです。

  ②培養酵母

ブドウをつぶして放っておけば勝手にワインになります

日本酒やビールもワインと同じ醸造ですが、
日本酒の原料であるコメやビールの原料である大麦は
それ自体に十分な水分を含まないので仕込み水が必要です。
糖分もそのままでは発酵に使えません(糖化という工程が必要)。

ブドウには発酵に必要な果汁と糖分が十分に含まれるので、
仕込み水も糖化の工程も必要ありません。

古来、水に苦労していたヨーロッパでは、果実に水をためてくれるブドウは貴重な果物として重宝されたそうです。

ブドウ以外の原料を必要としない
製法が原理的にシンプル

このシンプルさが、ワインが人類のあけぼのとともに生まれ世界中に広がった理由です。

さて、それではなぜ、ブドウをつぶして放っておけば勝手にワインになるのでしょうか。
それは発酵が起こるからです。
発酵は人が手を加えなくても勝手に起こります。

このときに働くのが酵母です。
酵母ブドウ畑ブドウ果実に自然に存在する、目に見えない単細胞の微生物です。

酵母がブドウ果汁に含まれる糖分に接触し、その糖分を食べて
徐々にアルコール分に変えていくのです。
これをアルコール発酵といいます。

ちなみにアルコール発酵のとき、酵母二酸化炭素も同時に空気中に吐き出します。
これを逃さずに瓶詰めしておけばシャンパンのような発泡性ワインになります。

酵母がブドウ果汁中の糖分をすべて食べ終えたとき
そのブドウ果汁はワインとなります。

果汁中に糖分はもう残っておらず、その代わりにアルコールとなっています。

ここからおわかりのとおり、
ブドウがよく熟して甘いほど、アルコール度数の高いワインができます。」

                  引用終わり

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www.kateigaho.com

発酵と腐敗は紙一重なので、技術を要します。

産地の気候や土壌、つまりテロワール(W.その味や性質を左右するブドウ畑の土壌や気候、職人の技術などとりまく環境を表す言葉)

が反映されていてこそ。そのためには何より鮮度が大事です。ブドウ畑のそばにワイナリーがあるのはこのため。収穫された場所ですぐに仕込むのが基本的な造り方です。近所のお店で買った生食用ブドウを発酵させたものを、ワインと呼べるかどうかは……、お分かりですね。

また、日本では、アルコール分1%以上を含むお酒を造るには醸造免許が必要です。少量といえど勝手にワインを造ると違法行為となるので気をつけてください。

【答え】△ 「ワイン風飲料」にはなるでしょう。⇒W。その①。アルコール発酵に成功した場合。

外部の雑菌の侵入防止のために栓をして瓶詰にしたまま発酵を待っていると、上手い具合に自然酵母がブドウの糖分を食ってアルコールに変える際に、二酸化炭素を放出するので、瓶が爆発する可能性がある!

その②スーパーで買ってきたブドウの房は流通過程で洗浄されている。⇒ワイン酵母流出。かりに洗浄されていなくても流通過程で付着した雑菌によって、発酵よりも腐敗が進行し、飲料に適さない。

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www.kondo-vineyard.com

白ワイン タプコプ・ブランの場合

ぶどうの搾汁は、全房で600kgほど入る垂直バスケット式のプレス機に投入し、ゆっくりと時間をかけて絞ります。プレス時間は短くて24時間、前後に他の作業が無ければ48時間ほどかけます。澱や雑味が非常に少ない良質の果汁が取れるため、発酵前おり引き(デブルバージュ)はせず、地下室にある600Lの樽または樽型のステンレスタンクに直接、重力を用いて流し入れます

発酵期間は、短くて12か月、長い時で24か月かかります

瓶詰め直前複数の樽とタンクのワインを合わせ、必要であれば酸化防止剤(亜硫酸)を添加します。

>年によっては糖分が残ったままになるためやや甘口

@W。白ワインは辛口を選んだ方が良い。(値段が安い割りにスッキリ、アルコール度も高い14%程度。安い白ワインのアルコール度は11%12%、で水気を感じる。

値の張る白ワインの中には日本酒のような濃厚な味わいのモノがある。冷やしてぐい飲みには適さない。白ワイン用の料理の味を殺す。高価な白ワインは止めといた方が良い。チリ産が旨い。

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場合によっては多少のガスを生成するのでスパークリングの瓶に詰め残糖を意味する“z”がワイン名につきます。酵母、乳酸菌その他の添加剤は全てのワインで添加せず、濾過も行いません酸化防止剤(亜硫酸)は、必要があれば10~15ppm、年によっては添加をしません←ここ旨いワインの目安。酸化防止剤はラベル表示。

***********************W。まだ不明点はあるが、概略**

     赤ワイン タプコプ・ピノノワールの場合

W.高級赤ワインを有難がって飲む通人たちの想いを今、反俗日記を編集していて知った。無知で退けていた部分はあったが、嗜好<品>の市場価値と個人の好みはズレる方が面白い。

  ピジャージュとは W。実態がよく解らない!

収穫したブドウをタンク/樽などに入れて発酵させ、果皮、種子、時には果梗(房の枝部分)に含まれる様々な成分を果汁に抽出していく工程の中で行う作業のひとつが『ピジャージュ/櫂(かい)入れ』です。 その名の通り、「櫂」を発酵槽のワインに入れ、液面に浮かび上がってくる果皮などの固形成分=「果帽」を押し入れる作業です。」

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 下記の説明で赤ワインは白ワインにない収穫したブドウをタンク/樽などに入れて発酵させ、果皮種子、時には果梗房の枝部分)に含まれる様々な成分を果汁に抽出していく工程の中で行う作業のひとつが『ピジャージュ/櫂(かい)入れ』という発酵中の余分な作業が必要、とわかった。⇒W.赤ワインは意図的に発行の工程で、果皮種子、時には果梗房の枝部分)を果汁に抽出しているから、Wの好みに合わない!赤ワインよりも白を選んで来た理由が製造工程から解った。赤ワインの癖を嫌ってきたのだ。ぐい飲みできない。料理の味を殺す。

>W「除梗(じょこう)』とはその名の通り『梗』をとること。『梗』とは果梗、つまりブドウの茎、粒がついている軸の部分のことです。

「除梗」とはブドウの房から果梗を取り除くこと。 除梗率75%であれば25%は梗を残して醸造することであり、「全房発酵」となれば一切の除梗をせずに造られたワイン。

「基本的に全てのぶどうを網で除梗しています。果粒をあまり潰さないように丁寧に除梗し、プラスチック製タンクに入れたあと二酸化炭素を充てんし(ピノノワールの仕込み時期には他のタンクで旺盛に発酵が起きているので、そこからガスを引き込みます)、2~3週間はほぼ何もせず、タンクに蓋をして置いておきます。

たまに様子を見ながら、頃合いを見てピジャージュを少しずつ始めます

の加減は年によって異なり、また五感が頼りなので、結果的にワインの個性に繋がる作業になります。仕込みから3~4週間でこの作業を終え、分離したワインは地下室の225ℓ樽へ重力で投入し、残ったもろみは垂直バスケット式プレス機にかけ、これも樽に入れます。

その後は白と同じで瓶詰め直前まで全く動かさず、3週間に一度ぐらいの割合でウィヤージュ(目減りしたワインの補填)を行います。

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         単行複発酵

原料がデンプン質で、まずは糖化させて、糖化し終えてから発酵させる発酵形態

大麦 ⇒ 麦芽糖化麦汁酵母) 発酵 ⇒ ビール

 

麦芽モルト「発芽しはじめた麦芽を乾燥させたもの」麦もやし⇒原始的な日本酒造りもコメの発芽を利用、麦、特に大麦の種子を発芽させたもので、ビール、ウイスキー、水飴の原料となる。

発芽前の麦はその成分のほとんどがデンプンです。このデンプンの組織は、がっちり繋がれた鎖のチェーンのようなもので、このままではうまく発酵させることができず、アルコールが生まれません。しかし、発芽させることで酵素が造り出されこれがデンプンのチェーンを外し、アルコール造りに必要な糖を生み出します。麦は多くの穀物の中でも、デンプンを糖に変える力が勝っていたため、ビール造りに重宝されるようになりました。

W.蒸していない大麦に芽が出た麦を

麦は多くの穀物の中でも、デンプンを糖に変える力が

蒸米にこうじよりもシンプル強力糖化 麦汁、じしんが醪(もろみ)よりもアルコール度高い?

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平行複発酵 

 日本酒、マッコリなど東アジア特有の製法

原料がデンプン質で、糖化と発酵を同時に行う発酵形態を「平行複発酵

東アジア特有です。(こうじ)は大豆などの穀物コウジカビなどの食品発酵に有効なカビを中心にした微生物を繁殖させたもの。

培地である蒸米(日本酒原料。日本、東アジアの昔、コメは炊飯ではなく、蒸して食べた<強米。気候風土的にぶどうに相当する高い糖度でアルコールに替わる果実が栽培できなかった。

①蒸米放置しておくと弱いアルコール分を含む状態になる。

②麹(こうじ)追加はこの自然現象に種麹散布こうじを追加し糖化&発酵のダブル作用を促進や蒸麦のデンプンやタンパク質を分解し、生成するグルコースブドウ糖アミノ酸を栄養源として増殖。

麹の作り方 別途培養した麹菌胞子である種麹を蒸した原料に散布して製造

種麹は専門会社から購入。その昔は稲につく麹菌(画像有だが省略。稲穂につく黒い病原菌状、昔見た記憶がある)を採取したり、自家製造したり様々な方法で手に入れた。

米と麹 ⇒ 糖化&発酵 ⇒ 清酒
小麦と麹  ⇒糖化&発酵 ⇒ マッコリ

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    反俗日記本分

「そこで古代(古墳時代W注①)、朝鮮半島から杜氏が渡来し原始日本酒が作られていった日本酒の歴史を紐解いて、日本酒の原型から中期日本酒、完成形の清酒を跡付け日本酒の全貌を明らかにしたい

>世界史的に見て、アルコール度数の高い<酒>の製造工程を発見、伝播させた地域より近代化が進展していった、と理解している

W.調べていくうちに奥の深さにぶち当たった。上記のような素朴な感想いじょうのものがあった。連続蒸留製法の発明と使用という意味では当たっているがアルコール度の高くなる蒸留酒の伝播経路に文明の波及経路を重ね合わせることができる、と知った。

蒸留酒は製造工程は醸造酒より手間がかかるがアルコール度が高い分腐敗し難い、という利点がありこの点においても人々は製造に熱意を持った。

従って日本酒について探求することは世界史における日本文化習俗の位置を飲用アルコールの観点から明らかにすることでもある。

***********良いとか悪いとか、遅れているすすんでいる、なんて地球規模の歴史から言えば立場は逆転する。******絶対的尺度ではない********

下記のWの日本古代の認識も明治維新以降、東アジアでの立場は逆転し、グローバル資本制下でまた変わりつつある。「書かれた歴史は支配階層の歴史」その時代と共に生きるとは自律した歴史観と共に死ぬこと。

W注①  古墳時代

古墳が造られた3世紀から7世紀ごろまでを指す時代区分で、およそ350年続きました弥生時代飛鳥時代の間に当たり、日本の古代国家W?のかたち反俗日記は大化の改新はなかった説~後付け文字の上だけ、原点当たっていないが大化の改新記載は「日本書紀」~の立場)がこの時代に成立⇒W奈良県明日香村一帯の風景、大小古墳群を探索した結果の感想=当時の支配者どもは、未開状態の原始的人間像からようやく文明段階の人間に抜け出した奈良盆地山裾一帯を広域支配圏とする有力地方豪族(奴隷制支配の一種)。内部暴力的司祭的に蠢動していた。Wは明日香村の山裾に点在する原始的な小規模古墳群の洞穴?を潜り抜けながらの素朴な感想。日本の歴史教科書の記述は当時の奈良盆地末端山裾の豪族たちの蠢動をキレイごとに書きすぎ<「書かれた歴史は支配階層の歴史」大化の改新が古代律令制国家の始まりでなくては困る人たちがいる。>。基本は部族的残滓引きずる野蛮人。

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https://www.nta.go.jp/taxes/sake/koujikin/pdf/0021012-102_03.pdf

国税庁日本酒の歴史1)日本酒造りの歴史。麹(こうじ)菌や酵母など

 引用

① 日本酒造りの黎明期   古代~平安時代

     〇 古(いにしえ)の酒造り 古墳時代 

酒造りの技術については、

古事記W。和銅5年(712年)~~ゲルマン人傭兵隊長によるローマ皇帝廃位。西ローマ帝国崩壊476年~~

応神天皇の時代百済からの渡来人である須須許理(すすこり)が大御酒を醸して献上した、という記載がある。須須許理は朝鮮半島の言葉で酒造りを職業とするものを指す「スルコリ」に由来する。

この酒は、糵(げつ発芽米)を用いた酒⇒W米もやし酒(コメでんぷんは発芽すると糖分が出やすくなる)と推定されている。

>ただし、穀物にカビが生えた状態、すなわちこうじ麹を示す「かむだち」(かび立つが語源)利用した酒造りの方法記紀』の中に見出されていない(W。古事記日本書紀は700年代初期。ただし麹を利用した醸造工程は複雑。東アジア特有。ヨーロッパになかった。蒸留酒の工程は産業革命以降でなければ設備的に不可能W注)~大化の改新絵空事を記載。対外的に国家的体裁をとったものと言えよう。広域統治の実態は地方古代豪族の既存の地方支配に中央ー地方大和政権貴族が乗っかったもの。日本列島の地政学的な位置がこういった緩い広域統治で済ませられた要因。

W注

 引用   蒸留酒について

https://www.nta.go.jp/taxes/sake/koujikin/pdf/0021012-102_04.pdf

「① 蒸留技術の伝播と焼酎造りの始まり
蒸留器紀元前 3000 年に西アジア今のイラク付近で発明(メソポタミアは取れ高の多い小麦の生産地、小麦を蒸留したと思われるので蒸留酒はウィスキー系?)されたと言われる。

蒸留酒自体は、東洋では 13 世紀の中国(元の時代、中近東まで覇権。このとき蒸留技術入手か?)

15 世紀の琉球王国

www.mapple.net

泡盛 - Wikipedia

泡盛独特の匂いがダメという人も多いようですが、あの甘い香りは原料であるタイ米によるものなんです。」⇒W.芋焼酎の臭みはOKなのか、という話。現在、泡盛のアルコール度も低位に抑えられ臭いも昔ほど強くない。昔、アルコール度の高い泡盛を口に入れると吐き気がした。イギリス系のウィスキーも同様。コーン系のバーボンは口当たりがよい。

を原料として、黒麹菌アワモリコウジカビ)を用いた米麹である黒麹によってデンプン糖化し、酵母アルコール発酵させたもろみ単式蒸留器蒸留して製造する。」

使う米もかつては中国の唐米でしたが、明治の末になると唐米の価格が上がったため、ベトナムミャンマーなど東南アジアの米を使うようになりました。そして大正末期にはタイ米が広まり、現在ではタイ米泡盛の原料として定着しています。タイ米は、硬質米(W.日本酒の酒米山田錦、百万石~~も硬質、大粒。タイ米は心白<でんぷん凝縮部分>がない?ので、タイ米の雑味がそのまま流出?)なので米麹にしたときに作業しやすくアルコール発酵時の温度管理もしやすいのです。さらにアルコールの取れ高も多く泡盛製造には最適。

黒麹は沖縄固有の菌で太平洋戦争後、多くの酒蔵が焼け、黒麹もなくなってしまったと思われました。泡盛消滅の危機でしたが、わずかに残った黒麹が見つかり、戦後の泡盛製造が救われました。

16 世紀の薩摩

薩摩焼酎 - Wikipedia

「『三国名勝図会』には、焼酎の製法は中国から琉球王国経由で薩摩藩に伝わったという記述がある

宝永2年(1705年)には琉球王国から薩摩の山川サツマイモが伝わり、水はけが良くて稲作に適さないシラス台地での栽培が急速に広まった18世紀前半にはサツマイモを用いた芋焼酎が藩内で作られていたとみられる。

西遊記』には、「薩摩では良好な日本酒が得られないため、ほとんどの人は焼酎を飲む」とある。2012年の統計では鹿児島県の成人1人あたりの酒類消費量は本格焼酎が26リットルであり、47都道府県で唯一ビール(鹿児島県では18.2リットル)以外の酒類が1位になっている

製法

サツマイモは端部や病痕部を除去し、場合によっては皮をむく 黒麹菌や白麹菌によって作られる麹の原料は主に米であり、一部ではサツマイモも麹作成に使われる麹と水、酵母を混ぜた1次醪で十分に酵母を増やし蒸したサツマイモを加えて2次醪を8-10日間発酵させる発酵後の醪アルコール度数13-15度になっており、これを常圧で蒸留したのち熟成させる。常圧蒸留とは、地上の大気圧(水の沸点が100℃の状態)で蒸留する。

>W。朝鮮半島の地酒マッコリ。

小麦と麹  ⇒糖化&発酵 ⇒ マッコリ

芋焼酎は地培養の小麦が芋にかわり、単式蒸留したもの。

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  芋焼酎の油臭の原因が、不飽和脂肪酸エチルエステルの酸化によるものであることがわかったのは1978(昭和53)年頃のことでした。

原因がわかってからは、過剰な濁りはろ過で取り除かれるようになりました。

また、それまでは焼酎を入れる瓶も、白瓶、茶瓶などさまざまなものが使われていましたが、一升瓶や五合瓶などの主要瓶は日光の影響を受けにくい茶瓶に統一するなどした結果、油臭のついた焼酎はほとんど見かけなくなったのです。(2) サツマイモの品質向上(1) 麹の製造技術の向上⇒W.イロイロな改良で芋焼酎、独自性を麦焼酎のあっさり味に近づけた、ということだ。朝鮮半島醸造酒マッコリを蒸留すると<麦焼酎>はできる、理屈の上では。

W。清酒造りは手間がかかる(下図参照)

1,もろみを絞って。2,絞ったもろみ残留液の不純物を沈殿させ。3,上澄みアルコール含有液を濾過し。4割水とブレンドをし再度ろ過する。~この間に2回も殺菌して雑菌繁殖の余地を消す。

>工程管理に手間がかかる。

 杜氏は江戸時代から農閑期の出稼ぎ労働に頼っていた。

製造工場の整理整頓、出荷にも手間がかかる。清酒は日本人らしい几帳面な作業からできている。

>コレだったら蒸留酒、焼酎を作る作業の方が手間いらず、高濃度の乙種エチルアルコール酒が手に入る。江戸時代からいわゆる醸造アルコールを添加したのも自然の流れだった。下図の清酒工程では日本酒独特の雑味は消せない。日本酒のアルコール分の安定にもエチルアルコールが必要。

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>西洋では 16世紀のフランス、⇒W。中世西ヨーロッパ封建時代は<暗黒の中世>

>18 世紀のスコットランドに登場(イギリス市民革命とビール蒸留=ウィスキーの関係有や無しや?パブの歴史との絡みで今後の探求課題)する。⇒W。19世紀中期、連続蒸留機の発明。

つまり、蒸留の技術は長い時間をかけて世界中に広まっていったことになる。

東方への流れは、インドを経て元の時代(13~14 世紀)に中国に至る。

中国にもたらされた蒸留技術は、華南の福建省を経由して、当時進貢貿易で交流が深かった琉球王国へ直接伝わったという説や、あるいは中国からいったんシャム(現在のタイ)へ南下し、それから琉球王国もたらされたとする説がある。

当時、琉球王国は、東南アジアの国々と盛んに交易していて、とくにシャムとの交流は頻繁であり、遅くとも 15 世紀後半には琉球王国泡盛が造られ始めたとされている。

 

>焼酎の主産地である九州への蒸留技術の渡来には、琉球説、朝鮮半島説、中国説等がある。

焼酎に関する最古の記録は、ポルトガル人によって残されている。すなわち、戦国時代の 1546 年(天文 15 年)薩摩半島の山川港を訪れたポルトガルの船長アルバレスは、ザビエルあての『日本報告』の中で、「米からつくるオラーカ(蒸留酒)」W.江戸時代、焼酎の生産は全国に分布があることを記している.

              

江戸時代南九州以外では日本酒の酒蔵の副業として酒粕や変敗した日本酒を原料にした焼酎が造られており、飲用及び消毒などの薬用のほか、みりんの原料日本酒に添加する柱焼酎として使用された。

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W.この項を記事して良かった。

 日本酒はアルコールに変化する糖分過少でんぷん主成分の米原材料を醸造したまま飲むのでコメの雑味を残しルコール度数は割って飲める蒸留酒に劣り、果実酒の香りと味わいを濃厚に残すワインより下位。

>雑味消しともろみに含まれるか味わいを出し腐敗防止のためにもエチルアルコールの添加が必要になった。

@ワインは腐敗防止剤添加以外(ラベルにソルビッドの表示ありのワイン)、醸造アルコールは必要としない。原材料ブドウの糖度が酵母によってアルコール分にかわる。

@ワインのフルーティな香り味わいに対抗し、日本酒の弱点をカバーする醸造アルコール添加の具合、醸造工程の工夫による吟醸酒ブームは女性、若者を含む広範な層を取り込もうとしたが、日本酒支持層の割合は以前よりも減少した。醸造コストのかかる吟醸酒は同価格帯のワインに対抗できるのか微妙。

@どの銘柄、価格帯の日本酒を飲んでも醸造酒としてワイン蒸留酒の中間に位置する日本酒の中途半端な立場は変わらない

>刺身焼き魚に日本酒。活躍の場は狭い。

長年のワイン党から脱却して一時、日本酒飲み比べ、最終的に焼酎の銘柄がどうのこうにはならないが、酒量制限して焼酎に行きつくのが無難かな。

この記事を書いて日本酒飲み比べにチャレンジする気がなくなった、のは良かった。越乃寒梅(コレだったら、ドライ系の白ワインが旨い、と当時は想った。赤よりも白。、庶民は!冷やした白ワインをうまい料理を食いながらグットやる!)よりも土佐鶴だった(日本酒度の高さが旨い~コレも醸造アルコールによるものだったとは知らなかった。醸造米の味では雑味が出てしまい限界がある。)(醸造アルコールの使い方などの違い好みの問題)。味覚というのは忘れっぽいが、結果は同じ。

www.nomooo.jp

日本酒は大きく分けて特定名称酒と「普通酒」の2つに分けられます。

特定名称酒とは、ラベルに「純米」や「吟醸本醸造酒といった書かれた日本酒のこと」

純米酒は、お米と米こうじ、水だけで作られる日本酒ですので、醸造アルコールを使用していません。

本醸造酒吟醸酒の違い~~ともに醸造アルコール(サトウキビより製造~コロナを殺菌するエチルアルコールのことだ!)使用。

本醸造酒精米歩合が70%以下W.玄米度70%の意味=玄米を30%削っている!」ですが、吟醸酒精米歩合が60%以下(W.玄米の削り度高い)と決められています。また、吟醸酒は、通常よりも低音で長期間発酵させる「吟醸酒造り」と呼ばれる製法で作られた日本酒。

精米歩合が60%以下の本醸造酒は、「特別本醸造酒

醸造アルコールが使用されているお酒の特徴

本醸造酒吟醸酒普通酒の3つ

本醸造酒の特徴

使用できる醸造アルコールの量は決められていて、使用するお米の重量10%までです。普通酒と比べて少ない添加量

醸造アルコールの添加によって味のバランスが整えられており、キレのあるシンプルな味わいが特徴

特別本醸造酒の特徴

特別本醸造酒は、精米歩合が60%以下で作られた本醸造酒、または特別な製法を用いて作られた本醸造酒のことです

吟醸酒の特徴

精米歩合が60%以下で、吟醸造りで作られた日本酒です。10度前後の低音で長い時間をかけて発酵させる吟醸造りによって、「吟醸香」と呼ばれる芳醇な香りとフルーティーな味わいが楽しめる日本酒になります。

大吟醸酒の特徴

手間をかけて吟醸酒よりもお米を磨いているので、より芳醇な香りとフルーティーな味わいになっています。

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醸造アルコールは、ほぼ100%の純度のアルコール⇒Wエチルアルコールのこと。ですが、清酒に加えられる際には30%程度の度数に調整されています。
なお、度数が36%以下になるように調整されたものが、甲類焼酎

わざわざアルコールを入れるのはどうして?

日本酒に含まれる糖分や酸による雑味の部分を、アルコールが抑える効果があるため

醸造アルコールを添加した日本酒は、スッキリとした、爽やかな飲み口のものが多い⇒W。地酒は日本酒に含まれる糖分や酸による雑味を残している。

 例 ラベル表示

地酒 純米大吟醸 アルコール分15度以上 

         原材料 コメ、コメ麹。精米歩合50%

W,寸評。米発行の渋み(日本酒に含まれる糖分や酸による雑味のことか)酷く癖のある味。玄米粒を半分も削っているのに、雑味の癖がある。

醸造アルコール入りの日本酒の味に慣れているから癖のある味がするのかな。

アルコールを加えたお酒は、いわゆる辛口のものが多いのですが、それはアルコール分30%ほどの醸造アルコールもろみに加えると日本酒度が必然的に高くなるためなんです。土佐鶴のラベル、日本酒度、高かった記憶。

辛く感じるか甘く感じるかは他の要素とのバランスもあるので、日本酒度が高いからといって、一概に辛口ではないので注意してください。

醸造アルコールを添加することでこのように味わいに変化を出すことができるので、日本酒に個性を出すためにも使われているようです。

●フルーティー吟醸香が際立つ

吟醸酒大吟醸酒から、華やかでフルーティーな香りを感じたことがないでしょうか?
この香りは「吟醸香」と呼ばれ、醪の中に含まれる成分で構成されています。実はこの成分、アルコールには溶けるものの水には溶けないのです。

醪を搾って酒粕と液体を分離する際、アルコール度数が低いと、香りの成分が液体に溶け出さず、酒粕に残ってしまいます。

>そこで、高濃度のアルコールを加えることで香りの成分をお酒に溶け込ませることができるのです。

@鑑評会用のお酒は、アルコール添加された大吟醸酒が多いのも、この理由が大きいのではないでしょうか。

●雑菌やカビなどの繁殖を防ぐ

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アルコール添加は江戸時代から行われていた!

江戸時代に入ると、産業としての酒造りがますます盛んになりました。
その中で、酒の品質を安定させ、腐敗を防ぐことが必要になり、アルコール添加が始まったとされています。
当時は現在のような醸造アルコールではなく、酒粕からつくられた粕取焼酎や、本格焼酎などが使われていたようです。

意外にも添加アルコールの歴史は長いのです。

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 〇 こうじを使った酒の記録  飛鳥時代奈良時代 

~~W。穀物にカビが生えた状態=麹こうじ作り~~日本酒造りの第1キーポイント。

日本酒の原型と言える米こうじを使った酒造りの最初の記載は、奈良時代

8世紀前半(記紀の時代)各地の文化、風土、地勢などを記録して天皇に報告し風土記のひとつ、播磨国風土記』(716 年(霊亀2年)~W。酒つくりの歴史は古代から)にある。

強飯(こわめし、こわいい)=蒸米が乾いてカビが生えたので、酒を造り、献って宴をした。

カビが生えたことと酒を造ったことが直結して書かれており、当時、カビの生えた米、すなわちこうじの原型を用いた酒の造り方が広く知られていたと考えられる。

 奈良時代729~749 年(天平年間)に各地で編纂された「正税帳(しょうぜいちょう)」には、色々な酒の種類が記録されている。正税帳とは、国司が備蓄された米の管理、運用状況を朝廷に報告するために作成した公文書である。

それによると清酒(すみさけ)は滓(かす)と対比されて記載されていることから澄みか布で濾過した酒と考えられる。
清酒の文字は『播磨国風土記』にも見られる。また、濁酒、白酒、粉酒、辛酒、醴等、
色々な酒が記載されている。

***

平安時代頃までは、食用の米も炊くのではなく、~~~こしき)は、古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。~~~蒸した「強飯」を食べ、

>水炊きしたものは「ひめがゆ、ひめいい」と呼ばれていた。水分の多いご飯ではなく、比較的少ない強飯であったために

>こうじ菌の生育に適した水分条件になったと考えられる。

 

大神のお供え<おそらく強飯(こわめし、こわいい)=蒸米>が乾いてカビが生えたので、酒を造り、

W。前回の記事、ウィスキーの連続蒸留機の構造を参照。ろ過塔で醪(もろみ)を上から順にろ過しながら蒸して、アルコール分を抽出し蒸留塔に送る。清酒も同じ工程必要⇒調べた結果、ろ過という表現は間違っていると解った。

移動式竈(いどうしきかまど)|大野城市

しかし、飛鳥時代奈良時代、農民に対して度々禁酒令が出されており、庶民、特に
農民は自由に酒を飲むことが許されなかった。

例外的に庶民が酒を手造りしたり、飲んだりすることができた機会は
農耕儀礼 国見、歌垣における酒宴
神への振興 神饌の酒(直会
狭域市場の開設 市の酒


官衙(かんが)~W。各省庁?~~における給酒

国府で造られ、国司~役夫まで給付されたものに限られ、基本的に濁酒であった。

W.基本、奴隷制だったので、<農民。などと云う用語も不適切>

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    趣旨と完全にずれてきたが、酒を通じて世界と日本を探求するつもりだ。

W参考資料

 日本古代国家の社会編成と地域社会  坂江, 渉

https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/D2003222/D2003222yy.pdf

引用 論文の主旨は律令制度を支える村落共同体に近いものがあった、と。

「古代国家の社会編成原理は、この時期以降、「籍帳」にもとづく土人(W.当時の支配者の認識が戸籍あるものは<土人>なのになぜ農民などと呼ぶのか!根本的な歴史視点が今風)と「浮浪人帳」にもとづく浪人に対する二元的な体制に移行したと捉えられる。」、

8 世紀前後の地域社会では、「女性=皆婚」W.双系制原理ならあり得るという社会的規範が存在したことを明らかにした。」

@W上記異論は論証資料を読んでいないので理解できない。

W。論者によって整理された下記の通説に従って<大化の改新>なかった説をとってきた。結局は、日本の歴史の特性をはっきりさせる通史の基本的観点の問題である。地球儀、地理と歴史を融合させた歴史観が何となく自分の中にはある。論証したいが技量と教養がない。

 引用

「『律令国家と古代の社会』岩波書店、1983 年)。吉田説の大枠は、つぎのとおりである。
① 8 世紀前後の日本の地域社会は、双系制原理(W。子供は生みの母帰属の場合、父帰属の混在、と理解⇒村落共同体成立外の混沌とした男女関係があったので双系制原理が働いた、と理解する。

⇒当然にもW.社会編成は流動化必然が導き出される

21世紀日本の出生率低下対策は双系制原理導入?だが、無理。日本はトッド分類の直系家族+家族(しかも世界に希少な戸籍制度)ー国家(国民統合幻想+実体暴力支配)ー私有財産の国家支配統治系統強固。

*****

 双系制原理もとづく流動的で不安定な社会で、父系制の中国と比べて「未開」で遅れた社会であった(W。この辺は異論があるが立ち入らない)これにより社会には、律令制を支える村落共同体は存在しなかった。⇒W郷の繋がりがムラ共同体になったのは、室町時代後期かな?
②またこうした社会のあり方を反映して、日本古代国家の社会編成原理(律令制統治機構は、中国のように十分機能していなかった。⇒W.日本列島の地政学的位置に尽きる大きな内乱の発生要因が封印されているので中央ー地方。上下末端の統治機構は官僚的に整備する必要が無く既存の状態と中央から上からの新規な支配機構が共存出来る状態で列島内で歴史が進行する。

>だからこそ、外圧が強力に掛かると政治意志が集合し易いベクトル作用が働く

 

それは日本の貴族層が中国から「早熟的に先取り」した国制上の青写真にすぎなかったと捉えられる。
③ところが 8 世紀半ば以降、未開な社会と文明として律令制との間の「交流」が始まりだす。やがて 9 世紀代の列島社会では、「建て前」としての「小帝国意識」(=民夷や土浪間の区別を強調する意識)が急速に希薄化する⇒W何を指しているのかピンとこないが、上記解説の通り。そのことによりこの時期、一つの安定的なレジーム=古典的な国制が確立した⇒W。遣唐使中止以降の荘園制を経済基盤とした平安朝政治を指している。 ⇒W中央貴族⇔地方担当貴族の上下系統支配。地方担当貴族の配下は地方豪族。その地方支配に乗っかって、物資、労役中抜き、中央上納。軍事貴族(武士)登場の必然。

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  国税庁~~それにしても欧米諸国は日本ほど酒税を取っているのか?

7~8世紀に編纂された万葉集には、数は少ないが酒を題材にした歌が掲載されてい
る。

君が為醸(か)みし待酒安の野に独りや飲まむ友無しにして(大伴旅人

 

待酒は、来訪者のために造った酒の意味で、大宰府の長官であった旅人が親しい部下が都に赴任する際に詠んだ惜別の歌であり、待ち酒は家庭で造られたと考えられる。

 

・・・雪降る夜は術もなく 寒くしあれば堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒・・・
貧窮問答歌山上憶良) 

 

糟湯酒とは、ざるか布で濾された酒の糟を湯で溶いたものとされている

貧しい者とそれよりもさらに貧しい者とが、問答の形式で生活の苦しさを述べ合ったも
のであり、貧富の格差がひどく、農民?は過酷な税の取り立てに苦しみ、上等なお酒など手の届かない存在だった。

***

     『延喜式

 儀式に使う酒造りの方法

糵(もやし)豆類や穀類などの種子を発芽させたものを指します。

(W,当然、蒸し飯)と糵(注)(よねのもやし、かむたち)W.種麹(こうじ)なく麹(こうじ)製造できない。替わりに発芽米。を甕(かめ)に入れて混ぜ合わせ、十日ほど発酵させ(同時にでんぷんが糖分化)して薄い酒

こうして作られた酒は白貴(白酒、白貴に久佐木という植物の灰を混ぜて中和(w、酸性を灰のアルカリ成分で中和)~~W.伊丹鴻池の酒蔵で首になった使用人が濁り酒に灰を投入したことが清酒製造工程の始まり~~したものは黒貴(黒酒)と呼ばれ、いずれも篩(ふるい)で漉された。
この伝統は現在に伝わり、新米で醸された白酒、黒酒は新嘗祭皇位継承の際の大嘗祭
で使用される。

   〇 朝廷の酒造り 奈良時代平安時代

ウィスキー、日本酒、ワインの原料、製造法などを探索

 ウィスキー、日本酒、ワインの原料、製造法などを探索

 

      ウィスキー飲み比べ。

  ポケット瓶を買う(200ml)~~飲みすぎ防止。日本酒も300ml以下~~

 サントリー角、オールドパージム・ビームJim Beam

一番安い「バーボンウイスキージム・ビームJim Beamポケット瓶(ポリ樹脂製容器)一番口に合う。スコッチウィスキー系は喉越しに吐き気がする。こののど越しの不快感がウィスキーを遠ざけてきた原因。ウィスキーを好む人はココが良いのかもしれないが~。

   ウィキ引用

ケンタッキー州クラーモントで蒸留製造されているバーボン・ウイスキーの銘柄である。この銘柄のウイスキーは、1795年以来、蒸留製造W注されている。ジム・ビーム銘柄を所有するビーム社は2014年に全株がサントリーホールディングス総額160億ドルで買収され、2014年5月には社名を現在のビーム サントリーに変更した。」

引用

ジム・ビームは、バーボンとされる必要条件に適っている。マッシュW、日本酒の製造過程に例えると醪(もろみ)状態~~~酵母菌でエチルアルコール抽出の原材料が発酵どろどろ状態~~~トウモロコシが51%を越えており、新しい、焦がしたオークのバレル(樽)のなかで、(W,スコッチウィスキーの製造過程における泥炭の香りづけに相当か?米国の必要基準である 2年以上の長い期間貯蔵される(「ストレート・バーボン」の呼称が許可されるのに必要な熟成期間は 2年(Wポケットボトルに2年と記載、熟成期間は販売できないので単価高くなるである。単なる「バーボン」には、このような必要熟成期間はない)。ジム・ビームは、グレインを膨らませるのにライ麦大麦(W.標準的なウィスキーの原材料)

を使用している。

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W注  連続式蒸留機 - Wikipedia

日本酒、焼酎、ウィスキー、ブランデー、ウォッカなど高い濃度のエチルアルコールを抽出する必要のある酒はこの種の蒸留機を使っているので概略を憶えておくこと。原理はシンプル。

*A 醪塔(醪もろみ搭)~W.もろみの濾過器かな? *B 精留塔(rectifier)醪が高熱蒸気で熱せられアルコール分の強い蒸気状態で比重の軽いアルコール分は上部に重い醪残留部分は下に流れ落ち再度、ろ過塔へ「 *1 醪(W。どろどろの醪) *2 加熱用の水蒸気

*3 蒸留残渣 W日本酒でいえば酒かす成分~~酒かすは珍味この上ないが、他の種類のもろみカスは食えたものじゃない!

*4 アルコールを含む蒸気

*5 精留塔で凝縮した成分は醪と混合され再び醪塔に送られる(純度の高いエチルアルコール蒸気にならない比重の重い再ろ過用アルコール成分 *6 蒸留酒

*7 凝縮器(condenser)実体不明。要するにアルコール蒸気を加圧し液状化する装置

Wワインやビールは蒸留酒ではないので、上記のような蒸留機は不必要。

古代から愛飲されてきた酒は製造工程簡素な非蒸留酒でだったはずだ。昔のニューギニア原住民はでんぷん質の芋を噛んで吐き出し発酵させ(もろみ状)弱いアルコール成分の飲料を作っていた。アルコール度数が弱すぎる飲料しか製造できない日常の中でできるだけ酒の回りを速くしたい、欲求もあって、集まって激しいダンスを踊っていた。強い酒があればダンスは直ぐ止む。

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www.youtube.com

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www.nhk.jp

12.26(火)PM11.30~AM0.30

12,28(木)PM5,00~PM6,00

>カントリーフォーク調の米歌手や自作のバックミュージックが粋。

>地元のヒト風物との距離感にべた付きなく飄々としていて絶妙。バックに流れる曲は

ライ・クーダー - Wikipediaみたいな系統で一貫している。

西田佐知子の「初めての街で」~菊正宗CMソング~の歌唱、歌詞も独特のドライブ感があり日本酒系統の歌の定点沈潜、追想、怨念吐露と大きく一線を画している。

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    日本酒には二種類①清酒②濁り酒(どぶろく)。

日本酒の歴史|北川本家360周年記念サイト

   W。清酒はハプニングでできた(有名な実話)

 鴻池家のあった兵庫県伊丹市鴻池には「清酒発祥の地」の石碑~W.陸上自衛隊の駐屯地ある附近が鴻池。大昔は水運に恵まれ物資輸送に便利な地だった。多分、今の武庫川の流れは後代に真っすぐ海に流れるように改修したのではないか?流域は氾濫平野が広がっていた。こういうところの百姓は川の氾濫の度に田畑にダメージを受け不作で高利貸しを兼ねる豪農に借金、結果、鴻池のような百姓上がりの前期「資本家」を生み出した。

濁り酒から清酒

1600年(慶長5年)頃、鴻池家の酒蔵で金を使い込んだ使用人蔵を追い出された事への腹いせに酒に灰を入れて逃げました。

その酒を確認すると酒は澄んで、味がきれいでまろやかになったことから、鴻池新六という鴻池家の当主が酒に灰を入れると酒がよくなると知り研究を重ねました。その結果、他と全く違う酒質を得ることができ、鴻池家の酒がたくさん売れ、その資金を基に鴻池家は莫大な富を得ることとなり財閥を形成

  現在もこの手法が基礎

お酒を搾ると酒は最初濁った状態で出てきます。この濁りを除くため現在では滓(かす)下げ、ろ過という工程を経ます。A 醪塔(醪もろみ搭

滓下げとは簡単に言うと酒造り用語では、搾りたての酒の濁り部分を滓と呼んでいます。

この滓をそのままにしていると酒に雑味が出たり、色がついたりしてきます。

なのでこの滓の部分を残して上部のきれいな部分だけ取ることを滓引きといいます。

滓引きを終えると貯蔵前の「ろ過」を行うのですが、 *B 精留塔

>当社では精米度の低いあまり削っていない米で造った酒W注に対してはこの時点で活性炭を使用します。

この活性炭が鴻池家で使われた灰と同じような効果があります。活性炭は悪い香りを取ったり、色を取ったりできるものが多様にありますので酒の状態によって種類や、量を変化させて使用しています。

このように酒造りにおいて非常に効果的な活性炭ですが、使いすぎると酒本来の風味や味を損う原因にもなりますので当社では活性炭の使用を極力控えて酒造りをおこなっています。

⇒W。ワンカップよりも安価な紙パック入りの安い日本酒は、たぶん、活性炭のような添加物をつかって日本酒造りの工程を短縮しているのだろうか?

それとも酒米の削りを少なくした(捨てる?部分が少なくて済む)白米度(精米歩合とは玄米基準100%)の高い醪(もろみ)をつかっているのか。濁り酒に近い清酒

コレだったら、安い紙パックの日本酒を飲んでも問題ないのだが、活性炭のような添加物をつかって日本酒造りの工程を短縮しているのであれば常飲すると体に悪影響が出る。

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W注

日本酒の特定名称酒大吟醸純米吟醸純米酒など)には必ず精米歩合の表示がラベルにあります

精米歩合60%とは? 玄米を100%だとすると玄米の表層部を削って残った白米の%になります。60%よりも40%の方が米が削られているということです。(W.削る、という独特の表現を使う!日本酒用のコメはほぼ山田錦

精米歩合60%の表示⇒まだ60%程度は玄米の形が残っている。

精米歩合40%の表示⇒40%しか玄米の形が残っていない。60%は玄米を削っている。

@つまり精米歩合の%は玄米残存度!

酒造り専門家の視点でみた表示と一般人の見方は逆だ。

酒造家の立場に立てばできるだけ玄米から削る部分を少なくし(原料コスト削減)、旨くて売れる日本酒(清酒)を作りたい。

日本酒を飲む側にとっても同じだ。玄米残存度の低い(酒米から削る部分の大きい)吟醸酒が旨いとは限らない。不味い吟醸酒であれば焼酎の方が良い。

W注

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W注

蕪栗米生産組合|東北地方での酒米山田錦の栽培に成功

兵庫県で生まれ、全国の約9割が同県で生産される山田錦酒米の代表です。

山田錦」の特徴

(1)大粒であること

(2)心白が鮮明に中央にあること⇒W。そういえば普通米でもコメ粒に白い部分があるものにお目にかかった。アレは<でんぷん質>のおおいこめだったのだ。脂質やアミノ酸がその分少ないので不味い米であるのは間違いないのだが~(酒米山田錦の炊飯実験=冷えると無味)

(3タンパク質含量が少ないことなどが挙げられ、一般のお米作りとは勝手が異なっています。

本来、山田錦は気候や土地、日照条件などから東北での生産は適さないとされてきました。

山田錦晩生W.稲穂が実る頃、急激な温度低下の気候は不向き~~であるため「つや姫」よりかなり遅い稲刈りとなり、さらに主食用のお米が栽培される地域ですから、見たことが無い背丈が高い品種が植えられていることで、周囲では大変話題になりました。

  酒米は、粒が大きく心白がある

     酒米                     普通米

山田錦と普通米の心白の違い

酒米と食用米の大きな違いは、粒の大きさと「心白」が見られることです。

米の表層にはたんぱく質が多中心にいくほどデンプンが多く含まれています。

>食用の場合、たんぱく質は旨味の元となり重要な存在です。しかし、

>酒造りの場合はたんぱく質が多すぎると雑味の元になり、酒の香りが消されてしまいます。

>そこで、酒米は精米しやすくするため食用米よりも大きなサイズに育成されるわけです。

*******
吟醸酒純米酒のような特定名称酒のラベルには精米歩合が記載されていますが、

>W.通常の吟醸酒精米歩合50%程度。玄米を50%削っている。酒かす、相当出る!

@こういう事情を知れば吟醸酒純米酒を無闇に有り難がることは無くなる。要は嗜好品なので好みの問題。

精米歩合が70%の場合は30%ほどお米を磨き、残り70%を使って日本酒を造っているということになります。

W。<仮説>⇒良い酒米を使っている場合、

精米歩合<玄米100%基準で表示)70%、60%(30%~40%しか酒米の米粒を削っていない)でも日本酒の酒米独特成分である醪(もろみ)が酒水分に溶け出しているので独特の味わいがある。

***

 <吟醸酒は概ね精米歩合の低い酒>50%ぐらいが多い。

W。その反面酒米の粒を削り込むということは、純度の高い酒<云うところの吟醸酒>を造るために酒米の脂肪分アミノ酸など余剰分を捨てているということで、原材料のコスト高=単価の高い日本酒!になる。

>W。吟醸酒って案外うまくない

昔はあまり出回っていなかった越乃寒梅は焼酎成分を混ぜて切れの良い味わいをだしていた、と伝え聞く。大昔、新潟帰りの土産にふるまい酒でコップ一杯、飲んだ時は今まで飲んだ日本酒独特の臭み、もたれがなくさらっとした味わいに幻惑されたが、ずっと後に本腰を入れて味わったとき、それほど旨いとは思わなかった。

****過去に日本酒を飲み比べたが、<土佐鶴>の辛口1升瓶が一番旨かった。多分上記の二つの条件にぴったりあったのだろうか。ワインもそうだが高いものが旨いとは限らない!***ウィスキーも一番安いジムビームが好みに合った。***多分、酒だけを味わう習慣が全くなく、必ず料理とマッチングするようにしているからなのか?**酒とつまみ、という習慣もない。***

また、心白が大きいのも酒米の特徴です。心白とは米の中心部の、デンプンが多く含まれる白色不透明な部分のことです。
粘度と強度の高い心白は、精米の過程で砕けにくく、日本酒の元である醪(もろみ)に溶け出しやすいという性質があります。そのため、

心白の大きい酒米は日本酒造りに適しているのです。

引用

山田錦」はこれらの条件の全てを兼ね備えた良質な酒米です。 兵庫県山田錦生産 兵庫県山田錦の出荷量は約21,981トン(令和元年産)で、全国の59%を占めています。 兵庫県は名実ともに日本一の「山田錦」の産地となっています。」指名買いが多く全国550以上の酒蔵で使用

酒米の王様「山田錦」はなぜ人気?その魅力と飲んでみたい日本酒5選

日本酒業界を取り巻く環境は厳しい。日本酒離れが進んでいるのだ。特に2000年前後の吟醸酒ブーム(W.日本酒独特の風味を消している焼酎ブームと表裏一体かな?日本酒は割れないのが弱点、純日本料理にしか合わないが酒そのものの味は焼酎よりも数ランク上。が過ぎると需要減が顕著に。圧倒的な人気を誇る山田錦でさえも、産地の縮小が懸念された。生き残りをかけて

六甲山の北側、標高50~150メートルの山麓や谷あいに山田錦の産地は段々に広がる。

六甲山の北側、標高50~150メートルの山麓や谷あいに山田錦の産地は段々に広がる。JAみのり、JA兵庫みらい、JA兵庫六甲の管轄エリアだ

 

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www.youtube.com

炊きたては美味しいですが、冷めると無味無臭になります。戦前は寿司飯として使われていたみたいですが、食管法により主食米としての販売を禁じられました。今は規制緩和で販売できますが、、
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 反俗日記

日本酒(清酒)の製造工程についてイロイロ面倒な仕掛けが書かれており、事実その通りだと思うが、キーポイントは前記の連続蒸留機のような装置が必要である、ことに変わりがない。焼酎、ウォッカ、ジン、ウィスキーなどもおなじく。

>次回は日本酒の製造工程をもっと詳しく調べてみるつもり。またワイン、やビールの製造工程と比較してみたい。

@酒を何気なく飲んでいる状態をふと振り返ってみたかった。

「戦国と宗教」神田千里著 に関連して。権門体制論の立場に立てば言わずもがなのこと。権門体制論は日本右肩上がりの時代に受け入れられたが2000年以降、否定の対象。日本の現状隠蔽に不適。編集時に文字化けし失敗作。

全面削除した。自分の頭の中に残っていれば良い。

解題。「赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる」昭和35(1960年)⇒「第三の男」のパクリ映画というよりも<第三の男>のストーリー展開やカットを取り込んで何食わぬ顔で当時の日本人の欲求に応じて改ざんしていく逞しさに日本の高度経済成長期の原点をみる想いがする。今必要なのはコレだ。

filmarks.com

引用 W。最初この映画の主題歌。赤木圭一郎の歌の背後に流れるYou Tube動画をみて各シーンのの繋がりが読めなかった。

マドロスの赤木と芦川いづみの恋人年同士にしては何やら訳アリげで関係不明。

吉永小百合は何で登場しているのか赤木を巡る三角関係にしては未成年風で幼過ぎる、しかも入院治療中。

葉山二郎の立ち位置の悪役ははっきりしているが赤木との関係で旧知らしいので座りが悪い。

筋書がかなり込み入っていることだけが解った

予告編を見てとアッ<第三の男>そのものではないか!と。

名画<第3の男>の完全パクリであった。脚本は熊井啓 - Wikipedia

後に高名な監督になる。なかなかやるものだ、とあきれた。日本の熱い日々 謀殺・下山事件 - Wikipedia

⇒W。反俗日記は戦後史を取り上げるときに何かにつけ持ち出し政治事件なので熊井さんの作品展開を入念に追ってみた。三大謀略事件から朝鮮戦争、高度経済成長初期の60年安保までの通史こみで映画化する力業なのだが、一気に映画館の観客に見せることができるのか気になる。先日、反俗日記で東宝争議を調べていたら、三大謀略事件に引っかかるような人物系譜をみつけた。ああいう大掛かりな連続事案を実行できるためには思想的な背景が必要である【「仮説」。通史的に一覧しても漠とした感想しか生まれない。ある方向に流れる水の流れを見た感じしか受け取れない。日本の大方の政治傾向の翼はそいうところにある。時代の流れとか世間が~とか。

それよりも~ということだが、表現は公にし難い。

熊井監督の映画は見たことが無かったが骨のある作品が多数にみえるが、そんなものを映画館やDVDで見るよりも本で読み己の中に杭を打ち込みたい。何で俳優さんたちの顔を見なきゃならないのだ、わざわざ。演技は演技、演出は演出の評価が生まれてしまう。文字の方が無機質でマシ。

興行収入黒部の太陽(1968年。

***

赤木の妹役で出演している吉永小百合だけが<第三の男>にはなかった。売り出し中の吉永のためのとってつけたような役を振っている感がある。予告編に新人とあるが日活出演第4作目らしい。物語の回し役の刑事役は西村 晃 も同じく<ザ、サードマン>の刑事(大佐だ)。

*****

*****

霧笛が俺を呼んでいる(1960年製作の映画)
 
3.5
#59 芦川いづみ大会
ひさびさに観た。
この頃多かった外国映画の翻案で、これは『第三の男』
薬物問題をじっくり描きたい社会派・熊井啓のシナリオと、『事件記者』テイストの快テンポ映画にしたい山崎徳次郎の演出が、互いにうまく噛み合っておらず、少々、隔靴掻痒。
だが、赤木、芦川、吉永の個性が素晴らしくロケとセットの組み合わせやカメラも見事で、見応えがある。
⇒W.動画の各シーンだけを見ても手が込んでいるのが解る。その時代を象徴する風景が自然に描かれている
@<第三の男>のストーリー展開やカットを取り込んで何食わぬ顔で当時の日本の人々の欲求に応じて改ざんしていく逞しさに日本の高度経済成長期の原点をみる想いがする。だからパクリ映画じゃないか、というだけのWの感想は否定し評価すべきは評価する。
>今必要なのはココだ。
*****
特にタイトルバックからの長回しは圧巻。さすが姫田真佐久~(吉永小百合の代表作「キューポラのある街」1962年撮影~だと思った。吉永小百合も1960年かたら成長した。

訂正。鮎川ではなく<芦川いづみ

W。以下、船好きなので。

1960年当時、コンテナ船は就航していなかった。大型貨物船の船腹YAMASITA LINE。山下汽船所属(大阪商船+三井商船=MOLに山下汽船も加わる⇒今は川崎汽船

K LINE日本郵船もそこに合体してONEに統一

オーシャン ネットワーク エクスプレス ホールディングス - Wikipedia

~連携しなければ、巨大外国船会社に対抗できない。輸送単価が低下しても採算ベースが取れる船の大型化など巨大な固定資本がかかることもある。

**反俗日記は船舶記事の分野がある。海と船が大好き。ロマンがある。**

貨物船が横浜港に入港しているシーン。甲板から上に突き出しているのはハッチ内に貨物を出し入れする大型クレーン。太いワイヤーロープをはってバランスをとって重量物を吊り下げる。積んだ荷は洋上に出たとき大きな揺れに対応できるように専門職がワイヤーや角材を細工し固定する。

W。「第三の男」の巨大な地下下水道のシーンを連想するが「第三の男」は霧笛が~のように直接の殴り合いやピストルの打ち合いは一切ないが霧笛~」以上の緊迫感と不気味で謎めいたシーンが続く。

W.ジョゼフ・コットン - Wikipediaよりも赤木圭一郎

アリダ・ヴァリ - Wikipedia

イタリアの女優さんだったのか。英語が苦手でハリウッドでは成功しなかった、とか。偽ペニシリン密売で障碍者を一杯出しても何食わぬ顔で大儲けし事故死を装ったオーソンウェルズの恋人役だった。そういえば長セリフはほとんどなく神秘的な超美女を最後まで演じ通した。枯葉舞う並木道を遠ざかっていく後姿のラストシーンが有名。

芦川いずみもまけていない。庶民的リアルがある。

「第三の男」の舞台は英米仏ソ分割統治の敗戦オーストリアの首都ウィーン。

原作者のグレアムグリーンはイギリスの結構な作家。大昔、それならと小説のページをめくってみたが無味乾燥なページが続いた。娯楽小説でもなく問題小説でもない中途半端な題材だった。カトリック作家。英軍の諜報部に勤務の経験がある。

アントン・カラスツィター演奏によるテーマ音楽~~~W。日本でもヒットした~~~や、ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズの印象深い演技でも知られている。」

遊園地の巨大な観覧車で事故死したはずのハリーライムと再会するシーン。

ココが第1の有名なシーン。観覧車の記念は今でもある、とモノの本で読んだ。

第2の有名なシーンは通りに面した屋根のひさしの下で佇む人影。

下半身は街灯に照らし出されているが、上半身は屋根のひさしの真っ暗な影で覆われ誰だかわからない。

ところが通りがかりの車のヘッドライトがゆっくりと上半身を映し出し最後にライムの顔が浮かび上がる。ライムは旧友のジョセフコットにニヤッとはにかむように苦笑する。

ここから警察隊に追われ逃げ場を失ったライムは下水道のマンホールのふたを開け巨大下水道に逃げ込み、VS警察隊のライムの逃亡劇が始まる。

**日本にはないウィーンの巨大な地下下水道がこの映画の最初で最後の大アクションシーン***ストーリーから自然にみえる巨大下水道の逃亡アクションシーンは映画史上になかった。

考えてなおしてみるとウィーンには日本にはないその手の下水道がある、という確認だけでは、済ませられない何かがあると調べてみた。

*****

映画「第三の男」★「読み比べ」「見比べ」~原作を読む: 千々石(ちぢわ)deその日暮らし~長崎県雲仙市千々石町

引用

「グレアムグリーンは「序」で「先ず物語を書いてからでないと、シナリオを書くこと

は私にはほとんど不可能だ。」と書いていますが、ところが、この物語、「残りあと

三日という時にも、何のストーリーも浮かんでこなかった。」


残り二日目になった時、「イギリスの情報組織の若い将校と昼食を共にする幸運

に恵まれ」その時、「地下警察」の事を知ったのですが、「地下警察」は、いわゆ

る「秘密警察」等の事ではなく、ウィーンの地下には巨大な下水道があります。


当時、戦後下のウィーンは、英、米、仏、ソ連の占領下に分割されていましたが、

「地下警察」とは、文字どうり下水道の中で働く「地下警察」

>下水道は四大国の管理下になく

各国の情報部員は自由に行き来でき

また、ペニシリンの裏取(後、分量を増やすため、混ぜ物を入れ犠牲者が多数でる。)の事を聞き、下道を回りながら、物語の全体像が形をなして来たそうです。

**********だったら、ハリーライム(オーソンウェルズ)はペニシリンの裏取引に使っていた勝手知ったウィーンの治外法権の巨大下水道に逃げ込んだ、のか?*******ただし、街が4つに分割統治されていたら、犯罪者は一方で悪さをしても別の統治下に逃げ込めば手配が遅れるので犯罪がやり易い。国定忠治みたいなものだ。

 しかし、イロイロ文章でなぞるが最後にビデオを借りてみたとき全く退屈な映画にだった。ストーリー展開のテンポが遅い。今想えば前記の情報から練りが足りないでっち上げ作品の感もしてきた。映画全体に謎めいた雰囲気を盛り上げるためにストーリー展開の本道からかずれ横道に逸れた無駄な場面が結構ある。反俗日記程脱線していないが。

英国の映画監督の作品は見慣れていないせいかもしれなかった。

デヴィッド・リーン - Wikipedia

>この監督の「アラビアのロレンス」や「戦場にかける橋」もストーリー本線から逸れた枝話が長い。

 

瓦解と越境〜1960年代日本映画と表現の革新〜(2004-05,未発表) | 実験映像アルシーヴ

   引用 

作家はただ一つのテーマで作品をつくるものではない。人間がただ一つの考えで人生を生きるのではないのと同じように。

ところがおろかな批評者は、作品はただ一つのテーマで貫かれていると思いたがる。(……)私たちは、今私たちが考えていること、生きていることの全てを作品のなかにたたきこみたい。

でなければ、私たちが作品をつくる意味はない。——大島渚1968年

***

ハリウッド映画にない思考だ。小説の世界でも「ユリシーズ」は名作といわれている。

フォークナーの小説も複雑。ほとんどの人は最後まで丹念に読み込めないのでは?しかし小説の腕は凄い、ということだけは分かる。Wは高校2年のとき、フォークナーの生活にあこがれた。

 

川崎競馬場の45thホワイトクリスマス賞の丁寧なパドック、返し馬の動画amodaiamo16 - YouTubeをみて予想してみた。3番人気、1番人気、11番人気、偶々的中。反俗日記の競馬観は過去記事で語り尽くされている。山口瞳著「草競馬流浪記」~貴重なブログ記事 ... - 反俗日記。

W。丁寧な撮影に感心した

大井競馬、川崎競馬船橋競馬、浦和競馬ができたあの時代に帰りたい。

昔はよく通っていた。

南関4場にいって(道中がウォーミングアップのようで個性有、ワクワク感)各々特徴ある馬場身近で馬が見えるパドック博打場の雰囲気を残す場内の雰囲気場立ちの予想屋JRA予想をしている奴らが足元にも及ばない本物のプロ尊敬の念を常に抱いていた。ココで競馬予想が何たるかを学んだ)。

人混みに紛れていると、異次元空間に迷い込んだような気分になり、世間の雑事からから解放された。そもそもが動物界や自然界志向、そこにギャンブル異次元空間がミックされた自己解放の異次元空間地方競馬場>にしか見いだせなかった。

中央競馬会の競馬は世界的に見て競馬の本道から外れた日本的特殊の国営競馬の紛い物である。今、アメリカ競馬で調教師も馬券を買える競馬場が残っているのかな?昔はあった、とモノの本で読んだがいまはどうなっているのか。

「地方」競馬こそが競馬の本道。欧米の競馬は地方競馬だよ(中央競馬などと云うシステムや組織はない、強いて言えばアラブの競馬)。ココを勘違いしている人が多い。

  出典。

www.youtube.com

 W引用。2023年で第45回。第一回ホワイトクリスマス賞は1978年に開催された。

そういえば遭遇した記憶がある。

当時はギャンブル競馬の合間の予想する気分もなく主催者側が勝手にやっていると物悲しい雰囲気が漂っていた。~~~川崎競馬の真骨頂はギャンブル競馬。当時、素人が馬券を全うに買える競馬場は大井競馬と川崎競馬だと割り切っていた~~~

川崎競馬場で15日、45thホワイトクリスマス賞が行われ、今年は芦毛馬14頭が寒さを吹き飛ばす熱戦を繰り広げた。」

(C1C2選抜馬~W.これより下級条件はほぼない!他の競馬場の馬の助けがいる?ダ1600m~W、川崎の下級条件戦は1400M基本パターン~マイルは距離長すぎ)

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川崎競馬名物‼ 誘導馬、出走馬 全頭白い! 芦毛白毛だけのレース 現地映像 white christmas race

W。パドック、返し馬が丁寧に撮影されているので動画をみて予想してみる。(amodaiamo16さんは馬を見る要領が解っていると見た!)

      よく見える馬を列挙、軸は14番の馬。事前情報は皆無。動画だけ。

    ③番⓸番⑥番⑨番⑬番⑭番

www.youtube.com

③番⓸番⑥番⑨番⑬番⑭番析出的中したな。

⑬番は切っても良かった。頭高すぎFWは川崎1600は長い。

南関4場の枠順決定の方法は外枠発走は希望枠。

馬ゴミを嫌い競馬にならない馬が地方競馬にはたくさんいるからだ。トコロテン式に順番で決めているはずだ。外枠の順番が来た馬(厩舎)は要注意

同時に最内枠発走も抽選じゃないよ。恣意的に決められる

馬ゴミを嫌い逃げなければ競馬にならない馬が地方にはたくさんいるので最内枠も希望枠。

地方競馬の鉄則は勝負気配の馬(厩舎)は前々の競馬を指示される。

砂の深いダート(川崎競馬では青森県原発がある大間~~クロマグロの一本釣りがTVでよく紹介~~の砂に変えたらしい大井オーストラリアの砂に変え今まで以上に力のいる馬場になった。)で差し追い込みは悪条件が重なる。

W。買えたとすれば、⑭軸の③連複かな

③番の馬が川崎リーディングの有名な森騎手騎乗は全く知らなかった。OZZや馬柱も無しだった。⑭番の馬勝負気配が際立っていた。馬も仕上がっているように見えた。

人気の③が逃げて前崩れの展開後方にいた11番人気の減量、あんちゃん騎手52kg⑭が馬券に絡んだ。

Wは展開の利とあんちゃん騎手52kgの幸運が重なって偶々的中した。上級組みなので57kgを背負った馬が2頭(3番人気、5番人気)いるが下級条件1600mでは厳しかった。

なお中央競馬の枠順も普通は競馬会がイロイロな事情を勘案して勝手に決めている。

競馬会が勝たしたい馬スターホース~競馬にスターはない!所詮ギャンブルの賽の目~とやらを捏造)や馬券売り上げの都合武豊に象徴される競馬熱を盛り上げるに不可欠な騎手は競馬会の選定した枠順に収まる。

大昔のダービー出走馬27頭ぐらい?の多頭数競馬の実績⇒ハイセイコーブームに続いて、ミスターシービーで競馬が盛り上がった時の枠番だけの馬券販売の時代=単勝圧倒的人気馬の単枠指定。⇒JRA役人の売り上げ至上目的、競馬人気維持のための馬番操作。

中央競馬は社台競走馬財閥~~種馬独占、生産、育成、販売、馬主クラブ、レース、引退種牡馬市場の独占~の運動場だよ。日高中小牧場の後退は資本力だけではなかった。ノーザンテーストからサンデーサイレンスの流れのなか、片やニジンスキーの直子のダービー種牡馬当時の50億円導入の大負債。国際情報に疎過ぎた。

**

地球の東のはずれ時計の速や過ぎる馬場競馬は本来、馬力で評価する基準もいる国営競馬の利点など諸々の日本中央競馬固有の国境線でマジ切ったなかでの優勝劣敗の原理裏側では厩舎、騎手、厩務員の末端まで資金が届くシステムによって、そうなっているとしか言いようがない。

JRAの至上目的は農水省当該予算枠畜産振興予算~和牛畜産援助中心⇒2000億円ていど)へできるだけ大きな金額を上納すること、コレに尽きる。

>カラクリが解れば馬券を買うのは手控える方が良い、と。コレが最終結論。

>遠目で見るに越したことはない。

ダラダラ長い日本プロ野球シーズン中は選手たちの御身第一でやっているMLBも同じだ。

@もっとも野球よりも競馬の方がわくわくするが。

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山口瞳著「草競馬流浪記」~貴重なブログ記事。「草競馬流浪記」を読む- 園橋軒太郎のその場しのぎ 記事一覧~で山口瞳から「若様 若様」と呼ばれた古今亭志ん朝、落語You Tube動画集。

イメージ 1

作家山口瞳 - Wikipediaの名著に「草競馬放浪記」がある。(~とWが勝手に思い込んでいるだけかもしれないが、影響を受けたし、その世界に親近感があった。)
今は廃止されている競馬場がたくさんある地方競馬場山口瞳一党(担当編集者、ゲストなど)が出向き、国鉄火場巡りのごとき旅打ちの真剣勝負を~趣味とはまじめにやるから堪能できる!~しながら、各地の食(酒)、風物、人物を軽妙な筆致で描いていく。
 山口瞳の全国地方競馬巡りの底流にある<粋>がスタイル化した世界を伝えるためには、写真の掲載は欠かせないようなのだが、他のネット記事を当たると、この本に関連する写真を掲載すると、後から削除されている
 この写真なら大丈夫だろうか?
 引用 (    )書き込みは過激な用語を多発する癖のある反俗日記かな?
 「地方競馬まで視野に入れて競馬を楽しんだ経験のある人は良くわかっている。JRA中央競馬会の競馬は欧(←民営競馬)(←地方競馬の競馬とは違って国営競馬(中央集権競馬官僚組織)で、少数派的存在。その異常をマスコミの力で異常と想わなくされているだけだ。
「読書を通じての私の競馬の師匠は山口瞳ディック・フランシス - Wikipediaまあ勝手に思っているだけですけど。

その故瞳氏の競馬関連の本で、一番お世話になっているのが、これ。
当時の公営競馬場27箇所の完全踏破の記録です。」
W。一連の記事は今、詳しくは読んでいないが、久々にみる丹精込めた貴重な記事。
コメントが多いのも頷ける。素晴らしい!
 
「        <草競馬流浪記」書庫の記事一覧>

これが平和というものだ(「草競馬流浪記」を読む30)

最後に、一番最初に載っている文章を。 山口瞳が残した大量の文の中で、一番好きです。 これがあるから、彼の本を何度も読み返そう2007/2/28(水
 
この全国の公営競馬場を回る旅の最後の訪問地が岩見沢。 なのに、瞳先生、体調が悪いのに加えて、輓曳はお嫌い。~~W注。「ばんえい」の漢字表記は「輓曳」!ばんえい競走 - Wikipedia
 
瞳先生としては、 この競馬場はかなり気に入った方なのだろうけど、体調が最悪。 馬券は当たっているのだけど、心は弾まず、不思議な文章2007/2/27(火)
第三コーナーに危険な箇所があって、 そこを改良したら、裏目に出て、滑るようになってしまったとか。 そんな時に訪れた瞳先生は、2007/2/25(日) 午前 9:02
 
人妻が肉眼でアナウンス(「草競馬流浪記」を読む25・中津)中津は、町も競馬場も、気に入らなかったようで・・・ でも、端々に面白いエピソードが散りばめられています
~~~~~
~~~~~
> 5 東京ギャンブル大環状線(川崎、船橋、大井、浦和)
W。これ等4競馬場は通称、南関4場(南関東4競馬場)と云われ、山口瞳著「草競馬放浪記」の記憶では~4半世紀以上前になるとは!~
 
>このいずれか競馬場のゲストに招かれたのが~多分、大井競馬場?~故、古今亭志ん朝師匠だった。
作家山口瞳は、志ん朝師匠を「若様、若様」と呼んで大変なもてなしようだった。
**************************************************************************
W。ココから話題は古今亭志ん朝、礼賛に大脱線する。
たった7年前なのに草競馬放浪記の記事を書いた記憶はあるが、古今亭志ん朝落語に脱線した記憶は全く脳から飛んでいた。
 ブログを始めてた頃はYAHOOを使って<こんな日もある>というハンドルネームだった。<こんな日もある>はある作家が競馬会月刊誌「優駿」に連載していた名エッセーから拝借した。
反俗日記はYAHOOがブログサイトに伴って閉鎖し移転する際に5秒ぐらいでネーミングした。徹底したひねくれものには違いないが、本人は俗っぽい人間。後から考えると実存主義にはそういうところを包含した自然主義人間主義らしい。
 
>記事を始めたころ、はコメント欄も付けていた。
予言者だとか面白い、とかのコメントが寄せられていたが、
>もうちょっと記事の内容をまとめてくれないか、という意見があった。
@わかちゃいるけどやめられない!
 
@もともとブログ記事は自分のための書いていた
公開するかどうか迷ったが、公開することで記事を書くうえで大切な自己規律が生まれる、と思った。バカだ、アホウだ、と決めつけたり、人格攻撃をするのは止めよう、できるだけ根拠を証明することにしよう
 
 @YAHOOブログを始めたころ、ブログサイトの移転を誘われた。
しかし誰も知らない片隅で自分のために記事を書こうというコンセプトは手放したくなかった。
自分の生きることと記事は身近に繋がるものにしたい。他者を傷つけない心がけがある以上、極少読者が記事をどう思おうと気にしない。
思考がアチコチ飛ぶのをそのまま載せると人生の末期に自分で記事を読み返した時、他者の目を意識したモノよりも面白く読める、と考えていた
思考の結論よりも思考過程の広がりが面白い。そもそも大方の人間は過程に生き過程に死ぬ存在。素人の特権でもある。売文する必要が無い。生活スタイルを公開する意味がない。
 
>そうこうしている、あるときにグーグル検索をしているうちにネット上に自分の記事が出回っていることに遭遇した。
恥ずかしく慌てて削除方を模索したがどうやら無理らしい、と
 
 結局、今のブログサイトに移転したままだったが、
移転の際にPCも買い替え、埋め込まれていたブラウザーマイクロソフト、エッジをそのまま使っていたのがまずかった。
グーグル上の記事がハンドルネーム一括で整理されているのを見てびっくりした。それまで自分の記事は多様なジャンルに渡ってクラウド上に分散し誰かが検索した際に関連として記事が出ていた。
反俗日記は個性を売る目的は一切ない。(Wの見る限り流行りのブログ記事やYou
Tubeチャンネルの一定数は日本固有の文芸手法である<私小説>スタイルを踏襲している。~~~よく解る例。日本と外国のキャンプ動画を見比べるとよく解る。日本=素を装ったキャンプする自分を表現、完成度低く個性の提示が無ければほぼ無価値。外国動画⇒キャンプ動画完成度を争う。~~~日本と外国結局は演出した自分を売って賛同者はその個性を高評価している、この手法は日本特有の私小説で開発されたもの)
 
 反俗日記は各ジャンルごとの探求した過程をアップしている。
従ってできるだけ参考資料をそのまま載せている。自分のためでもあるし、そのほうが各ジャンルの閲覧者の参考にもなる。自分の意見など他人様にあえてえて披露するつもりはあまりない。十人十色でありたい、あってほしい。あくまでも思考過程が大事。
 
>ハンドルネームで一括してまとめられたのは、グーグルからすれば他社ブラウザーとしては競争相手)の新参者エッジを使っていたからだと推察した。
そもそもWの記事は一括してまとめられるほど個性的でもないし一貫性もない閲覧者の大方は各ジャンルの検索からアクセスしているのであって<反俗日記>で検索するものなどほとんどいない。結果、アクセス数が激減した。各ジャンルごとの思考過程を公開している<反俗日記>にとって痛手だった。
 
 しかし、もともと記事を始めた趣旨からいって過程に生き過程に~~自分のためだったのだから、原点に返って記事を続けることにしている。
>出先で時間待ちのとき、携帯で反俗日記を読んでいると時間の経つのを忘れるほどだ。どういうことか自分の書いた記事が一番面白い。
>ある意味、自分の記事よりも面白い記事が出回っていれば<記事を書く必要>はなくなる。もっとも自分のような思考をする人が世の中に少なくなったからかもしれないが。       個人的感慨はココで終わり。
 
>それにしても感慨深いなぁ~。この記事をアップした後、生活環境が激変した。
否定を否定しないと。西田佐知子の「裏町酒場」。出だしの~~。~~。の<と>の歌い方に注目した。歌詞も面白い。アレは否定の否定形なのか?「楢山節考」~~1956年中央公論11月号掲載。の世界も念頭にある。

映画化

時代状況にぴったりのときは「楢山節考」は企画されない。1983年の今村昌平作品は彼固有の人間の(動物の)原始性確認、生命転生観<仏教思想かな?>に基づいており原作に忠実ではない紛い物、とみる。深沢の小説は一種のハードボイルドタッチで一貫している。倫理観など入り込む余地はない。
********個人的感慨はココで終わり****************************
草競馬放浪記」を読んだころは落語を生で聴いたことは一回もなかった。もちろん関心もあまりなかったが、この本に影響されたのか、寄席に入ってみることにした。
上野、鈴本だった。
 
実によくできた十八番の創作落語で、テレビなどで2,3回聴いたことがあり、話はほとんど覚えていたが、ライブではもっと上手かった。身体の大きな押しの強い落語家で、「会長への道」を面白おかしく話すので信憑性もあった。
この落語のオチは
   ↓
会長:五代鈴々舎馬風 - Wikipedia(2006年 - 2010年)
わたしにやらせろよ、ということなのか実際に会長への道を実現してしまった。
 
この日のトリは、古今亭志ん朝師匠だった。
ほの暗い客席から見た高座の柔らかいライトに浮かんだ志ん朝師匠はなんとも云えない品があり、背後に後光が差しているようで、この日一番の強烈な印象だった。今、落語を楽しむようになり、とくに志ん朝落語をYOU TUBEで聴くことに安らぎを求めるようになって、志ん朝が最高!~~想い浮かべるのはあの時の古今亭志ん朝の佇まいである。
もっと若いころにライブで聴いとけばよかった。
  古今亭志ん朝 You Tube 動画名作一覧
好みから順位づけると
 
「試し酒」古今亭志ん朝 
 
三代目古今亭志ん朝 - 宋珉の滝
 
 
古今亭しん朝 二番煎じ 
W。この話がNO1でもよかった。
 
古今亭志ん朝 (三代目) Shincho Kokintei 火焔太鼓 落語 Rakugo 
W。人情話。若いころの同じ演目の動画が出ているが、問題にならない。コレが傑作。
 
志ん朝  『そば清』   rakugo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西田佐知子は日本歌謡史上、不世出の歌手だった!12,12。年譜などを編集しデビュー2作追加。12,13、全編を珍しく検閲し追加編集済み。

   CMソングを歌っても西田佐知子ワールド全開。

                          出典⇒天空回廊 - YouTube

      初めての街で 

西田佐知子(CMバージョン) 永六輔 中村八大W。菊正宗CMソング。

デビュー当時の2曲(アルバムには入っていない)など西田の曲を聴き続けていると、円熟過程がはっきりわかる。西田佐知子ワールドの根幹である鼻にかかった軽妙なドライブ感のある節まわしは、洋楽「コーヒールンバ」の大ヒットなど従来の歌謡曲ジャンルを超えた歌唱の経験から獲得されたものである。その意味では天才少女歌手の延長線上で大衆歌謡の道を歩んできた美空ひばりが拭えなかった泥臭さとはきっぱりと一線を画している。

>西田は1971年の結婚によってそれまでの歌手活動から撤退したが、

>75年9月から全国一斉に茶の間に流れたCMソング「初めての街で」によって西田佐知子ワールドは完成形に達した、という奇妙な現象は日本の歌謡史上皆無であった。西田のデビュー2曲(1956年、1960年)以降の作品を聴き比べた結果の率直な感想である。

系譜でいえば1966年の「裏町酒場」から「初めての街で」へ。ここに西田佐知子ワールドの真骨頂がある。 

www.youtube.com

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初めての街で - Wikipedia

コマーシャル(CM)用音源は1975年8月26日にレコーディングされ、同年9月からオンエアを開始した。

⇒W。西田佐知子は1971年の結婚により歌手活動を制限していた。1975年ごろは公開の場で歌うことはなかったはず。

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     ~西田佐知子 - Wikipedia

  西田の活躍していた時代は高度経済成長期、そのもの。

1940年前後生まれの世代は物心ついた頃に戦後日本の原風景を肌身で知り、戦前が総括された完全右肩上がり、高度経済成長にどっぷりと浸った最も機会に恵まれた世代だった。(東西冷戦下の資本制国同時一国高度経済成長期)~~クレージーキャッツ植木等の無責任ソング、TVと映画の世界は後にも先にも再生できなかった~~

(1939年大阪府大阪市城東区生まれ

反俗日記で過去に掲載。1年と10か月ほどしか経っていないのか、唖然とする。

この長旅の中で関口知宏が母親、西田佐知子にふと言及するシーンがある。「僕は代々東京育ちなんだけど関西弁がフト出てしまうことがある。母親が関西人なもので~~(W。石坂浩二の家は火消し、関口の祖父~国会議事堂建設に携わった~はとび職=火消し系は江戸の時代から町の顔役)」

西田佐知子は家庭内で関西弁で通しているたようだ。

関口知宏の中国鉄道大紀行3万6000キロ。ラサ出発⇒成都⇒桂林⇒上海⇒西安⇒天津⇒北京、瀋陽⇒フフホト⇒カシュガル

 com 関口知宏の中国鉄道大紀行 W。1編~4編各1時間40分以上、全編見たわけではないがTV鉄道紀行番組の傑作だと思う。旅人の関口知宏は常に自然体、フレンドリー、この種の番組によくある騒々しさはない。口をぽか~んと空けて、よちよち歩き。しかし所々、要所要所で知識の一端をさらっと垣間見させてくれる。通訳を入れているが、中国語の簡単な会話は事前に理解できているようだ。本人の無理をして生きてこなかった人柄によるものなのか長時間旅番組に飽きることがない。 >鉄道旅番組の見どころは…

佐野周二 - Wikipedia

ja.wikipedia.org

W.関口宏の父は佐野周二

 五所平之助監督「煙突の見える場所」1953年⇒「大阪の宿」1954年。

庶民を描いた系譜に東宝争議で組合側の戦いの先頭に立った五所平之助監督の心象風景が投影されている、とおもうが、イマイチ東宝争議の先頭に立った五所監督の立ち位置が<理会>できない。

戦後間もない混乱期とみるか、

<戦後革命期>との歴史の見方をとりいれるか、という歴史の見方によっても<理会力>が左右される。

 

とりあえず、当時を伝える文字も映像も風化しているためか、戦後生まれもモノにはリアルに解らないので東宝争議 - Wikipediaを調べてみる。

bunshun.jp

**********力作である。当時の新聞記事(朝日、読売)を資料として使いながら、東宝争議の全貌を臨場感をもって描き出している。小冊子1冊分を超える長文は東宝争議の経営側の背後にいたと思われるのがGHQ公職追放中の阪急東宝グループの創業者小林一三 - Wikipediaに及ぶ。

  <東宝争議を敗戦後、最大の労働争議(戦車も飛行機も来た、来なかったのは軍艦だけ!)と位置付けるなら、戦後世界体制の緊張と激動との関連を強く押し出す必要がある>。

GHQの対日対策の肝はマスコミ新聞、映画など大衆娯楽を使って米世界戦略に従順な日本国民に宣撫すること。東宝の監督俳優なども含めた従業員組合が日本共産党の影響下にある産別組合の傘下にあって、経営参加や撮影作品への影響力を持つ段階に至ると世界戦略の拠点日本を危うくする。

「1946年からの東欧における、また1949年中国大陸における国共内戦の末の共産主義政権の成立、1948年から1949年にかけてのベルリン封鎖

>特に東宝争議は

マッカーシー上院議員らによる赤狩り(ハリウッド映画関係者パージ)との時系列関係で再認識すべきだ。(1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除」

戦後1940年代後半の切迫する朝鮮戦争勃発に至る朝鮮半島情勢や1947年2月1日ゼネストGHQ司令部による中止、国鉄3大謀略事件(1949年下山国鉄総裁列車轢死事件、三鷹駅無人列車暴走事件、東北本線福島県松川町列車打線工作事件、

 

「270名に対し、個人宛て解雇状を発送した」日本映画の運命を決定づけた戦後最大の労働争議はなぜ起こったのか

                                             小池 新

「270名に対し、個人宛て解雇状を発送した」日本映画の運命を決定づけた戦後最大の労働争議はなぜ起こったのか | 文春オンライン

バリケードに立てこもった女優たちにも向けられた「空には飛行機、陸には戦車」…「娯楽の王様」だった映画界で何が起こったのか | 文春オンライン

本当の目的は、これを機会に東宝から赤を追放することだ」

苦肉の策の「出稼ぎ」

スターも浜田百合子が松竹に借りられたのをはじめ、池辺良、志村喬大映龍崎一郎が東横へ出演契約金の一部を組合へ寄付するし、その他若山セツ子、久我美子三船敏郎ら男女優は谷口、黒澤、成瀬、小田監督らの率いる11班の文化事業班に加わり、本格的に撮影所劇団

を組織し、日建て1万円(同約10万3000円)から3万円(同約30万8000円)ぐらいで稼ぎ回ることになり、まず谷口組は若山セツ子らを連れて2週間の予定で日立連合会の各分会を回る豊田四郎は戦前「小島の春」、戦後は「夫婦善哉」などで知られ、志村喬黒澤明監督の「七人の侍」「生きる」などで主役を務めた名優。若山セツ子は三船らと同じ東宝ニューフェース1期生で「青い山脈」などに出演したが、のち自殺。「谷口」は「暁の脱走」などを監督し…"

「2人がいる限り、仕事をしない」

"このころの撮影所内部のことを黒澤明監督は自伝「蝦蟇の油」に書いている。「外から入り込める所には全て鉄条網を張り、お手の物のライトを配置して夜間の襲撃に備えた。傑作は表門と裏門の防備で、両方とも門に向かって大砲のように撮影用の大扇風機を据え付け、いざと…~~~~""

 「東宝山本嘉次郎監督ら演出、脚本家、プロデューサーから成る芸術家会議全員24名は12日、撮影所紛争につき『渡辺社長、馬淵重役の2人が東宝を主宰する限り、仕事をしない』旨の声明書を発表した。"

「会社の言い分は言いがかりに等しい」

"メンバーの1人だった黒澤監督は「新日本文学」1948年7月号の「東寶の紛争―演出家の立場から―」という文章で「僕たちは、今度の紛争における会社側の言い分ややり口について、次のような点が容認できない」と述べ「会社側がこの首切り案を合理化するために発表し…"数字には多分に意識的なうそがある」とした。"

東宝争議 きよう仮処分強行」

"申し入れを日映演側は受諾したが、会社側は17日の重役会で拒否を決定。渡邊社長は「既定方針で進むよりほかない」と語った。仮処分が決定した以上、強硬姿勢でいくという意思表示だった。"

「飛行機3機、戦車7台、騎兵一個中隊をもって、警察に先んじて出陣した」

"組合員は職場別に中央広場に隊伍を整え、四列縦隊に腕を組んでインター(ナショナル)を高唱しながら、籠城134日に及ぶ撮影所を後に、裏門から撤退を開始した。先頭の赤旗について、伊豆から病躯を押してかけつけた五所平之助の悲壮な姿が見え、谷間小百合、若山セツ子、久我美子中北千枝子らの涙にぬれた顔も見えた」"

"労使交渉の結果、伊藤・日映演委員長ら20人が自発的に退社することで決着。第三次東宝争議は195日ぶりに解決した。 

>しかし、それで全て終わったわけではなかった。約1年半後の1950年5月、会社側は1200人の人員整理を通告争議が再燃したが、同年6月に"始まったレッドパージで最終的に共産党員とシンパは映画界から追放されることになる。"

"「東宝争議・レッドパージとは何だったのか」は次のように解説する。"

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なお、五所平之助監督の前記2作品は近年までYou Tubeで無料公開されいた。「大阪の宿」は3回ぐらい繰り返してみているが、どうやらDVD化されて著作権関係が厳しくなり(分程度)のシーンのアップに留まっている。結局、カネを払ってまで繰り返し見る価値があるかどうかに尽きる(ネットクラウドに出ていれば300円程度でダウンロードできる)。「大阪の宿」は小品である。それ以上ではない。しかし、当時の大阪の庶民の風俗はそんなものだった、だろう。芸達者が演じるから面白く興味深いのであって、他の地域のモノが実際に遭遇すれば癖が強くて、辟易するだろう。

 原作者の水上滝太郎の小説は超エリート社員(明治生命創業者の孫~徹底した上層家系)の入社間もない大阪支社出張時の宿泊旅館で働く人々を中心に据えた大阪庶民の逞しいリアルな日常への率直な共感が描かれていると思うが(三田文学永井荷風調に描かれているのか?)、

 五所監督が脚本にも参加した「大阪の宿」は映画評論家からは転向映画の系譜に数えられている。~もっとも無党派のモノが考え方を大きく変えたことが<転向>といえるかどうかの問題が東宝争議参加者の俳優などの幅広い顔ぶれをみると浮上してくる。~~

東京本社から大阪支社の出張した野周二創業者に血を引く超エリート社員(実際、原作者水上は明治生命重役と作家活動兼務~「三田文学」の資金的精神的支柱~)ではなく、東京本社での労働争議により本当は解雇されるはずが経営陣との縁故関係で大阪に左遷されたインテリ社員を演じている。終始、苦み走ったインテリ社員が庶民の逞しさに戸惑う受け身の演技に徹した中で存在感を醸し出す難しい役どころをこなしている。同じ松竹の同僚、上原謙も同じような演技が得意でなのだが、横顔だけで絵になる寡黙演技のできる俳優は極少ない。

ja.wikipedia.org

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       西田佐知子 年譜 

W.高校を止めて1950年代中期からプロ歌手の道を歩み始めた

戦後日本の原風景1950年代にある。

戦前の風景風俗と戦後が混在し衝突し戦後が戦前を否定しやがて生まれる高度経済成長期の助走が始まっていた時代

日本映画黄金時代でもある。

高校を止めて歌手活動を開始した

>歌手西田佐知子は戦後日本の原風景の中で育まれた。

独特の鼻にかかったハスキーボイス、情緒に流れ込まない冷めた歌唱

タミー・ワイネット - Wikipediaボイスに似ている。おそらく西田本人もタミーウィネットは知っていると思う。

1950年代はジャズとカントリーミュージックの影響力が強かった進駐軍」の界隈で多くの日本のジャズやポピュラーミュージシャンが育った。

*****年譜、西田佐知子。*******************************

1956年(昭和31年) - 「伊那の恋唄」マーキュリーからデビュー

muuseo.com

マーキュリーレコードの戦前、戦後を通じた系譜は下記

1924年大正13年~~関東大震災1923年9月~~兵庫県西宮市に設立された合資會社内外蓄音器商會⇒蓄音機(タイヘイレコードのレーベル使用)⇒大日本蓄音器に組織改編(関西の老舗ニットーを吸収)。荒川区尾久に分工場九段下ビル)に『ニットー・タイヘイ東京吹込處

 

   1956年マーキュリーからデビュー。

  伊那の恋歌

日本映画黄金の時代日活映画「帰ってきた勘太郎」主題歌。セリフが入るのも当時の定番。名和宏は時代劇俳優。映画産業全盛期の主流は紙芝居の最高発展形態のような粗製乱造された大衆娯楽映画~勧善懲悪、復讐劇のチャンバラ映画が多かった。

映画館は場末の盛り場にも映画会社の名前を冠したものが複数あった

超満員の館内から勧善懲悪、復讐の、危機一髪のシーンに思わず掛け声が上がった(~体験したのはガラの悪い地域だったからかもしれないが。悪ガキに連れられもぎりの前を無料で駆け抜け館内に入った。もっともその悪ガキは弱いものを守る「正義」のひと運動神経が抜群、運動会のスターだった。)

いわゆる芸術映画は3番館ではかからなかった。現代劇の映画もチャンバラ映画に比べて人気が無かったようだ。16歳17歳の西田にチャンバラ映画の主題歌が回ってきたのもそういう事情からだ。いくら何でもいい加減すぎるが、当時の映画産業と音楽界の肝は大衆動員だから普通のこと。

セルロイドフィルムなので映写中に時々テープが切れ、暗闇の館内が眩しく照明され映写技師のフィルムをつなぎ合わせる時間が長く感じた。映写中にフィルムが発火して映写室から煙が上がった事態にも遭遇した。映写中のフィルム発火で火災になった映画館は当時、全国規模でかなりにのぼったのではないか、と想像する。

たばこの臭いと便所の臭いが充満していたはずだがガキどもは気にしなかった。

チャンバラ映画が一番解りやすくて(面白かったが、さすがに美空ひばりのお嬢侍何とかでバッタバッタと取り囲んだ者共が簡単に切り倒されるのには違和感があっった、鉄砲から発射された弾丸を刀でチャリ~ンと受け止めるなんて技も、日ごろチャンバラごっこと兵隊ごっこで野を駆け回って者には余りにリアル感がなさすぎた。大人は騙せても子供は騙せないってことはある。

石原裕次郎北原三枝の「狂った果実」は何のことやらさっぱりわからなかったが大人向きの映画、ということだけは雰囲気としてわかった。子供が見てはいけないものを見ている感がした。

伊那の恋唄(西田佐智子)

出典musasino 2 演歌(歌謡曲) - YouTube

伊那の恋唄 西田佐智子 - YouTube

W.弱冠17,18歳で美空ひばりもどきを狙っていたのか。当時の西田は進駐軍系洋楽の影響下にあったはずなんだけどいかにも無理筋感漂う駄作

W。美空ひばり的天才少女歌謡路線で売り出されたが不発(マーキューリーレコ―ドの大衆底辺娯楽路線のラインナップに少女歌手西田佐智子を投入)。少女時代から抜群の歌のうまさで注目されプロデビューのパターン。上京しないで地元大阪で歌手活動をしていたのかな?当時の大阪のエンターテイメント業界は活気があった

W.この項については関連事項まで徹底的に調べたので別の機会に独立した記事をアップする。

 その時のために参照した資料を掲載する。コレで西田デビュー後の沈黙期間4年の謎は解ける。要するに所属するマ-キューリーの衰退混乱に若年西田(若すぎるしヒット曲が無いのだから仕方がない)は巻き込まれ他者移籍の順番も遅れた。

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西田佐知子/西田佐知子全曲集

AMAZONでも西田佐知子全集の触れ込みでCD盤が出ているが、全曲がカバーされている訳ではないので苦情が出ている。もちろん、マーキュリーのデビュー曲の収録はない。1960年のポリドール2作目も未収録(デビュー作にくらべて物凄く上手くなっている後の西田佐知子ワールドの片鱗が伺えるが水木藤原コンビの作だが、情緒に流れ過ぎて西田のタッチがでていない。演歌っぽいな。

 

*************徹底的に深堀する!

西田の所属したマーキュリーレコードの戦前の前身(レコード関係者の人脈は特殊技能業界なので敗戦にもかかわらず続く)。西田年譜のデビュー以後の4年間の空白を理解するために。さらにこの際、話題を戦前戦後のレコード業界の俯瞰にまで広げる。

       タイヘイレコード - Wikipedia

戦前関西には民族系レコード会社である帝国蓄音機~奈良本社~、大日本蓄音器~兵庫西宮~があった

戦後、

帝国蓄音機はテイチク。

大日本蓄音器日本蓄音器時代の有志が奔走しタイヘイ音響から

1952年、アメリカのマーキュリーレコードとの独占契約を結び

>1953年日本マーキュリー株式会社と改めた。

所属歌手一覧の中に西田佐智子(後の西田佐知子)~歌謡史に名を残す有名歌手多数。全員、歌謡調の歌手。マーキューリーの基本路線は大衆歌謡。

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W資料  

第二次世界大戦以前の日本レコード産業と外資提携
           6 社体制の成立  大久保いづみ

>この資料から、戦前の日本資本制の在り方と戦争政策による新聞マスコミ、大衆娯楽の隆盛を問う。資源物資枯渇機までの総力戦体制は新聞マスコミ、大衆娯楽を右肩上がりする!アメリカが戦争を止められない理由でもある。日本の今後も予測させる。

>戦争に至る道=暗い時代観は一面的歴史観である。支配層と軍部に熱狂した国民がいたが、そこで梃子の役割を果たしたのが新聞ラジオ、大衆娯楽。

MLB大谷恭平10年、1014億円契約。報道。日本国民に対米隷属意識を刷り込む役目を果たしている。この報道を受け取る側はアメリカ現地の実質実効為替レートに換算する習慣を身に着けた方が契約金額をリアル感を持って受け止めることができる。ドル表示のみが正確な大谷に支払われる金額。無理やり円に換算すると600億円~700億円。年棒にすると60億円~70億円。リアル感のある妥当な金額である。日本円は交換レートで円安になるし、その上に円からドルに換算したドルの購買力が物価高によって円は二重に目減りする。円の購買力は物凄く後退している。この現実が大谷恭平などのMLB移籍に大きな影響を与えている。この現象は日本買いの一種である。裏面ではNPB球団は優秀な外国人選手を手に入れなくなっている。もっとも経済関係ばかりに原因は絞れないが。

日本から韓国に行っても以前よりも商品の価格が高く感じる、と動画などで報告されている。

円表示はあくまでも為替市場における円ドル交換レート。また今後続発するこの種の報道を自己修正できる。

***********W資料 に戻る。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/49/4/49_4_25/_pdf

日本の会社別レコード製作・売上枚数およびシェア(1938年 7 月~1939年 6 月) 

(単位:1000枚)
レコード企業       製作総枚数 シェア(%) 売上総枚数 シェア(%)
1 日本畜音器(コロンビア) 米     7,500   27.7     7,100     31.1
2 日本ビクター蓄音    米      5,121   18.9     4,486     19.7
3 帝国蓄音器(テイチク)  日      3,934   14.5     3,190     14.0
講談社キングレコード  日      3,328   12.3     2,329    10.2
5 日本ポリドール蓄音器 ドイツ     3,153   11.7     2,425     10.6
6 大日本蓄音器 タイヘイ(日)⇒マーキュリー 2,213   8.2     1,523      6.7

**********

1957年独占契約満了に伴い、マーキュリー・レコードの発売権をキングレコードに奪われ、日本マーキュリーの看板が有名無実化した

>1958年新興の東芝レコードによって藤島桓夫松山恵子ら看板歌手を引き抜かれたのを始め、専属の作詞家・作曲家やスタッフまでもが集団で競業他社に移籍し、致命的打撃を受ける。西田佐智子マーキュリー、デビュー1956年。メジャープロ歌手活動の基盤であるレコード会社が没落。生粋の大阪人なので地元で歌手活動をしていたのではないだろうか?当時キャバレーなどの隆盛期。関西のエンタメ業界も充実していた。

 

@1960年 休業状態に陥り、旧盤の版権の一部はマーキュリー・レコード本社に移った

生産設備の半分は山口組の力を借りた吉本興業の手に渡り(創業者林家⇒株式公開で非上場~マスコミ各社資金提供で吉本株購入=吉本とマスコミは資本関係にある、という現実はジャニーズ問題よりも根深い!影響力消滅)

プレス専業工場ヤンマー音響として再出発し、日本クラウン日本ビクター等の生産を請け負ったが、日本マーキュリーの残党も同所と東京都文京区で営業を継続するなど、経営上の内紛が続く

若年末席の所属歌手西田は所属のマーキュリーレコードの急激な弱体化もあって沈黙。

 

******2枚目のシングルはポリドール発売
  1960年(昭和35年) - 「死ぬまで一緒に」発売

出典natsuki kenji - YouTube

後に西田でヒット曲を連発した作詞 水木かおる 作曲藤原秀行のコンビ登場。まだ、ジメジメした歌謡調を払拭しきれていない。

>「世は歌につれ」はないけれど「歌は世につれ」ということかな。軽快なタッチの洋楽「コーヒールンバ」のヒットを取り込んで一部の社会風潮にマッチした「アカシアの雨が止むとき」で西田佐知子ワールドに至る。

www.youtube.com

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1961年(昭和36年- ギリシャ映画『日曜はダメよ』同名主題歌のスマッシュヒット。映画史に残る作品。反独裁政権が背景。主題歌の洋楽も日本でヒットしたはず。軽快なリズムの曲。

www.youtube.com

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1961年

続けて外国曲のカバーコーヒールンバのメガヒットで一躍その名を知られるようになる。
1962年(昭和37年) - 「アカシアの雨がやむとき」⇒W、一応、代表曲と言われている.

村田英雄の「王将」とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞

 

1967年(昭和42年) - レコード売上1000万枚を突破の記念曲「たそがれの恋」発売。9月30日にはレコード売上1000万枚突破記念チャリティ・リサイタルを東京厚生年金会館で開催

1971年(昭和46年) - 関口宏との結婚を発表する。これを機に芸能活動を大幅に縮小

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W,音を聞くうえで大切なことはココ。

オリジナル音源を過度に修正すれば、原曲のオリジナリティーが脱色されソフィスティケイトsophisticateされ別物になる場合もある。ビートルズのCD盤。アレはレコードステレオ盤とは完全に別物。ビートルズのLPレコードは当時の最高録音技術が駆使されていたのか、音の広がり、臨場感がものすごかった。

     ↓

 引用 ⇒この時期に活動していた多くのスター歌手モノラルからステレオへの過渡期にあり、過去のモノラル録音曲をステレオで再録音することが多かった。

>西田も結婚後の1970年代後半にモノラル時代の主要曲をアルバム用にステレオ再録音したが、現在は廃盤となっている。⇒W。本人が聴いて、コレでは駄目とする音楽センスは素晴らしい!本物だ。歌が次第に上手くなったのも天賦の才もあるが本人の努力が大きい。晩成型のヒトである。

 

また、現在発売されるコンピレーション・アルバムでは(W、西田佐知子の代表曲を編集したCD盤が発売されているのだろう)

>モノラル録音のものはモノラル・オリジナル音源を収録することで統一されている。⇒W。1962年(昭和37年)公称代表曲「アカシアの雨が止むとき」レコ大特別賞受賞 1961年(昭和36年)「コーヒールンバ」⇒W多分、西田最大のヒット曲。西田、独特の歌い方を思い浮べるのはこの曲。原曲は多分、トルコ語か?スペンイン語の歌だった。

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コーヒールンバを調べていると同じ曲を歌っていた

森山加代子 - Wikipedia行きついた。

このヒトも独特の軽いタッチの歌かい方をしていた。どこか西田佐知子に通じるものがある。❝超売れっ子アイドル❞だったが、1962年7月、所属事務所のマナセプロダクションとの契約満了により突然独立し、20歳で自分の事務所を設立(W.当時の一大芸能事務所網<渡辺プロダクションの兄弟事務所>からの独立でオミットされた)。活動してもテレビやラジオ、マスコミに取上げられる機会さえ奪われ、事務所独立と同時に森山の人気は急降下。⇒W.今のジャニーズ=芸能TVマスコミ問題の根っこは逆らったモノは村八分。20歳で独立?バックに親が付いていたのか、それにしても大胆な先駆者だったが、その後、キャバレーの仕事さえ入らない中水原弘の紹介でコロンビア復帰、訳の分からない曲調でヒット。準メジャー的歌手の位置へ。先駆的ジャンプをした芸能人なのに流行歌手の域を越えられなかった。歌に深みはないな。西田佐知子とは次元が違う。このレベルの比較になると持って生まれた才能の問題だから仕方がない。

>動作が重くなるので動画掲載は止める。マウス右クリック。

初めての街で 西田佐知子(CMバージョン) - YouTube

W.数バージョンアップされているが、このCMバージョンが一番いい。歌詞1番からずっと<一人酒じゃない>のフレーズで通しているが、

最後に<菊正宗>のおなじみのフレーズが登場する仕掛けコンセプトがはまっている。

CMが放送されてからCMバージョンのシングル盤が発売された。

独特のドライブ感ある節まわしは西田以外の誰にもまねできない

歌詞が情景を物語っているので情緒を抑えて淡々と歌って説得力がある。歌手として理解力がある。

シングルレコード盤のジャケットは西田佐知子。

W.動画を掲載した方が解りやすい!

www.youtube.com

いやもともとCMのためのオリジナル曲ですよ。 CMで使われてからかなりたって、歌詞を変えてシングル化されているだけで。
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        東京ブルース 西田佐知子
w、西田佐知子の魅力が詰まった楽曲。独自の境地、くっきり!西田佐知子ワールド凝縮
コーヒールンバの軽いタッチの西田佐知子、ココにありを示した曲と
1960年を時代背景にした「アカシアの雨が止むとき」止揚後の演歌調に堕さない
>西田佐知子ワールドの立ち位置を鮮明にした唄である。
 
1964年1月に発売(W東京オリンピック開催年)音源はモノラル録音だろう。
 ↓
別の曲の本人映像を編集して作成した歌唱イメージ動画です。実際の歌唱映像ではありません。

www.youtube.com

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W.東京ブルースの立ち位置変わらず

この唄も傑作。CMソング<酒は菊正宗>~タイトル「初めての酒場」~~の西田佐知子ワールドのドライブ感ある節まわしが既にこの唄で完成していた。名曲である。

1966年1月発売。

www.youtube.com

歌:西田佐知子

作詞:水木 かおる

作曲:藤原 秀行

発売:2008-11-04 06:08:57

酒をのもうと 生きよと死のと
あんたなんかの 知らぬこと
どうせまともに 生きたって
つらい世間の うしろ指
男なんかにゃ 欺されないと
鼻で嘲笑ってひくルージュ

夢を持ちなと 云う言葉
それもどこまで 本気やら
弱い女に 帰ってしまう
雨がしょぼつくこんな夜
酒にこころを しびれさせ
生きる裏町 灯も暗い

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アカシアの雨がやむとき 西田佐知子 (1969年) W昭和44年NHK紅白。
 
同曲がヒットして7年後。1969年当時の社会状況を背景に意図的にこの曲が選曲されたのか?
「アカシアの雨が止むとき」は60年安保闘争後の心情を重ねた歌といわれていたのは、当時(69年70年当時)、まったく知らなかった。
 70年安保闘争日米安保と沖縄、ベトナムがリンクされ69年佐藤首相の11月羽田からの訪米が最大の政治課題である、とはその運動の路線にある者はみんな知っていた。69年と70年は時代状況が画期的に変わった。意志は貫く、そのために生きてきた。
 
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エリカの花散るとき 西田佐知子 W,モノラル録音西田の特徴がよく出ている昔のラジオテレビからこういう音が流れていた。
 

www.youtube.com

W.エリカは歌詞に歌われているようなロマンチックではない。

 下記の理解でエリカ(花の咲く低木)のイメージが付きやすい。以前調べたエリカの形状を失念したのはイメージ不足。

ヒースとの関わりからヨーロッパで古くからよく親しまれている」痩せた土地にシブトク繁殖する低木。

1:「エリカ」の花言葉

「エリカ」全般花言葉は、「孤独」「寂しさ」明るい色合いのこの花に、どうしてそのような名前がついているかというと英名の「ヒース」に由来があるのだとか。「ヒース」とは、イギリスやアイルランドなどの農耕に向かない荒れ地に生えている植物をさします。他の草花も咲かないような荒れた場所に生えている姿が、寂しげに見えたのかもしれませんね。

⇒W.シャーロックホームズの「バスカビィル家の犬」の背景。意外にも20世紀前期のヒトだった。シャーロックホームズの登場人物、舞台背景は貴族周辺か貴族趣味の人物が多いせいか。今。NHKBSプレで放映中。絵空事にみえる。上流階層に興味は全くない。彼らが死のうと生きようと知ったことじゃない。「酒をのもうと 生きよと死のと
あんたなんかの 知らぬこと」

アーサー・コナン・ドイル - Wikipedia 1859年5月22日 – 1930年7月7日反共主義者であり、第一次世界大戦中にロシアで起きた共産革命を強く嫌悪した。ロシア革命について「まるで一人の強健な人物(帝政ロシア)が、突然目の前でドロドロの腐敗物(ソビエト連邦)と化してしまったかのようだ」「やがていくばくもなく共産主義政権は崩壊し、再び強固で健全なロシア人が甦るだろう」という感想を漏らしている。ドイルの後年の心霊主義傾倒は共産主義に対する反発もあったようである。また英国労働党の緩やかな社会主義も非英国的と見て嫌っていた 

バスカヴィル家の犬 - Wikipedia

plaza.rakuten.co.jp

 

W。エリカの花の咲く地。 

マメ科のハリエニシダ属(Ulex)。常緑低木。
背丈は90cmぐらいまでで、さらに背丈の低いものもしばしば見かける。
夏の終わりから秋にかけて、黄色の花を咲かせる。
スコットランドイングランドウエールズアイルランド
フランス、スペインの北西域に自生。
ヒースと同じ土壌・環境に生育する。
英語名:Irish Gorse(アイルランドエニシダ)W.南アフリカ原産のエリカの花はとんがり帽子のもっときれいな色。なぜか花は南アフリカ原産のものが華麗。西田の歌うエリカはこんな雑草もどきとは違う、ようだが<エリカ>は名前の可憐さと実物がかなりかけ離れている。

PICT0496.JPG

 痩せた土壌で、酸性度の高いものから低いものまで、湿ったものから乾いたものまで、多様な土壌に適応し、羊やヤギや牛などに何度食べられても、ダメージを受けることなく芽を繰り返して出し、生育する強靭な「ヒース植物群」。

管理も「火入れ」、即ち、焼くことで、次の芽を出すという簡単さ。⇒w。西田の歌う伊豆のエリカは山の斜面の畑の雑草防止に植え込まれていた、と想像する。乾いた低木は延焼し易い。そういう農作地の管理方法もある(休耕田のレンゲ)。

*********そうとう本題とはづれて来たが*****面白いことは良いこと****************************************


 かっては、ヨーロッパ大陸は、ほとんどが広葉樹林で覆われていた。
しかし、人類文化の発展は、山野の大森林を焼き払って、農耕地として、ヤギ、ヒツジなどの家畜を大量に林内に放牧して、森林を破壊し、原始の大森林を荒涼たる草原にすることで発展してきた。(草や低木が壊滅すると、その上の高木の森も壊滅)
  ミズナラやシラカバに覆われた豊かな森は、4000年に及ぶ過放牧や岩塩採掘、森林の伐採などで土地がやせ、「エリカ」などの矮生低木やイネ科の植物が繁茂するようになったのだという

 とりわけ地中海沿岸地方のフランス、イタリア、スペイン、北アフリカ地域は、植物の活動期に少雨のため、一度失われた森を再生することが困難で、裸にされた土地は、今もそのままである

>(この地域に長く君臨したローマ帝国は、この帝国が滅亡した時には、地中海沿岸地域の豊かな森はすべて破壊しつくされていたという。)
 このように見るとヒースの草原は、人類文明が森を破壊した跡地に必死に適応し、繁茂して、生き延びている植物群落であるといえる
人類が4000千年かかって、破壊してきた森を、現代は、この100年ぐらいの間に、さらに世界的規模で、一気に破壊して壊滅しようとしている。
 森を破壊しつくした時、古代文明は滅んだ。

 ヒースの群落は、現代の私たちに、生物社会の連鎖のなかで、命を繋いでいくことは、どうあらねばならないかを警告している。

>以上、何だか自称マルクス主義者の若い大学のセンセイの教説の補強のような話題であった。グローバル資本制の信奉者はテメェーが率先して地球環境を破壊し世界的に戦争を引き起こしている一方で環境問題や平和を世界の民衆に「強制」する。奴らの際限なく肥大した欲望の表裏の発露である、と考える。

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 イギリス、フランス、などでは、この2種類のエリカが、生育環境に応じて、カルーナと
共存して、繁茂するこが多い。W。西田佐知子の歌うエリカも歌詞から想像するとこの種のもの(品種改良でもっと華美な花を咲かせるものだが、)であろう。

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赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる🎈2曲🎈 CD音源 昭和35(1960年) 

W。映像の上でしか経験が無いが、もの心つくまえにこういう時代風潮が実際にあったような気がするから不思議だ。

どこか郷愁を誘う一方で男女共々その格好のつけ方は今は絶滅。一種わらえる要素になっているとしかおもえない。

>1950年代のモノクロ映画が一番好みに合う。

昔、専門映画館のスクリーンで初めて見たときにショックをうけた映画のシーンはいつかどこかで見たような気がした。あり得ないんだけれど自分の精神が記憶していた。冒頭の演奏石原裕次郎のヒット曲に多用されている。テンポ、リズム、歌詞の醸し出す雰囲気も同じ。当時の日活映画調なのか。

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