引用 W。最初この映画の主題歌。赤木圭一郎の歌の背後に流れるYou Tube動画をみて各シーンのの繋がりが読めなかった。
マドロスの赤木と芦川いづみの恋人年同士にしては何やら訳アリげで関係不明。
吉永小百合は何で登場しているのか赤木を巡る三角関係にしては未成年風で幼過ぎる、しかも入院治療中。
葉山二郎の立ち位置の悪役ははっきりしているが赤木との関係で旧知らしいので座りが悪い。
筋書がかなり込み入っていることだけが解った。
予告編を見てとアッ<第三の男>そのものではないか!と。
名画<第3の男>の完全パクリであった。脚本は熊井啓 - Wikipedia
後に高名な監督になる。なかなかやるものだ、とあきれた。日本の熱い日々 謀殺・下山事件 - Wikipedia
⇒W。反俗日記は戦後史を取り上げるときに何かにつけ持ち出し政治事件なので熊井さんの作品展開を入念に追ってみた。三大謀略事件から朝鮮戦争、高度経済成長初期の60年安保までの通史こみで映画化する力業なのだが、一気に映画館の観客に見せることができるのか気になる。先日、反俗日記で東宝争議を調べていたら、三大謀略事件に引っかかるような人物系譜をみつけた。ああいう大掛かりな連続事案を実行できるためには思想的な背景が必要である【「仮説」。通史的に一覧しても漠とした感想しか生まれない。ある方向に流れる水の流れを見た感じしか受け取れない。日本の大方の政治傾向の翼はそいうところにある。時代の流れとか世間が~とか。
それよりも~ということだが、表現は公にし難い。
熊井監督の映画は見たことが無かったが骨のある作品が多数にみえるが、そんなものを映画館やDVDで見るよりも本で読み己の中に杭を打ち込みたい。何で俳優さんたちの顔を見なきゃならないのだ、わざわざ。演技は演技、演出は演出の評価が生まれてしまう。文字の方が無機質でマシ。
***
赤木の妹役で出演している吉永小百合だけが<第三の男>にはなかった。売り出し中の吉永のためのとってつけたような役を振っている感がある。予告編に新人とあるが日活出演第4作目らしい。物語の回し役の刑事役は西村 晃 も同じく<ザ、サードマン>の刑事(大佐だ)。
*****
*****
ひさびさに観た。
この頃多かった外国映画の翻案で、これは『第三の男』。
薬物問題をじっくり描きたい社会派・熊井啓のシナリオと、『事件記者』テイストの快テンポ映画にしたい山崎徳次郎の演出が、互いにうまく噛み合っておらず、少々、隔靴掻痒。
だが、赤木、芦川、吉永の個性が素晴らしく、ロケとセットの組み合わせやカメラも見事で、見応えがある。
訂正。鮎川ではなく<芦川いづみ>
W。以下、船好きなので。
1960年当時、コンテナ船は就航していなかった。大型貨物船の船腹YAMASITA LINE。山下汽船所属(大阪商船+三井商船=MOLに山下汽船も加わる⇒今は川崎汽船
K LINE+日本郵船もそこに合体してONEに統一
オーシャン ネットワーク エクスプレス ホールディングス - Wikipedia
~連携しなければ、巨大外国船会社に対抗できない。輸送単価が低下しても採算ベースが取れる船の大型化など巨大な固定資本がかかることもある。
**反俗日記は船舶記事の分野がある。海と船が大好き。ロマンがある。**
貨物船が横浜港に入港しているシーン。甲板から上に突き出しているのはハッチ内に貨物を出し入れする大型クレーン。太いワイヤーロープをはってバランスをとって重量物を吊り下げる。積んだ荷は洋上に出たとき大きな揺れに対応できるように専門職がワイヤーや角材を細工し固定する。
W。「第三の男」の巨大な地下下水道のシーンを連想するが「第三の男」は霧笛が~のように直接の殴り合いやピストルの打ち合いは一切ないが霧笛~」以上の緊迫感と不気味で謎めいたシーンが続く。
W.ジョゼフ・コットン - Wikipediaよりも赤木圭一郎
イタリアの女優さんだったのか。英語が苦手でハリウッドでは成功しなかった、とか。偽ペニシリン密売で障碍者を一杯出しても何食わぬ顔で大儲けし事故死を装ったオーソンウェルズの恋人役だった。そういえば長セリフはほとんどなく神秘的な超美女を最後まで演じ通した。枯葉舞う並木道を遠ざかっていく後姿のラストシーンが有名。
芦川いずみもまけていない。庶民的リアルがある。
「第三の男」の舞台は英米仏ソ分割統治の敗戦オーストリアの首都ウィーン。
原作者のグレアムグリーンはイギリスの結構な作家。大昔、それならと小説のページをめくってみたが無味乾燥なページが続いた。娯楽小説でもなく問題小説でもない中途半端な題材だった。カトリック作家。英軍の諜報部に勤務の経験がある。
「アントン・カラスのツィター演奏によるテーマ音楽~~~W。日本でもヒットした~~~や、ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズの印象深い演技でも知られている。」
遊園地の巨大な観覧車で事故死したはずのハリーライムと再会するシーン。
ココが第1の有名なシーン。観覧車の記念は今でもある、とモノの本で読んだ。
第2の有名なシーンは通りに面した屋根のひさしの下で佇む人影。
下半身は街灯に照らし出されているが、上半身は屋根のひさしの真っ暗な影で覆われ誰だかわからない。
ところが通りがかりの車のヘッドライトがゆっくりと上半身を映し出し最後にライムの顔が浮かび上がる。ライムは旧友のジョセフコットにニヤッとはにかむように苦笑する。
ここから警察隊に追われ逃げ場を失ったライムは下水道のマンホールのふたを開け巨大下水道に逃げ込み、VS警察隊のライムの逃亡劇が始まる。
**日本にはないウィーンの巨大な地下下水道がこの映画の最初で最後の大アクションシーン***ストーリーから自然にみえる巨大下水道の逃亡アクションシーンは映画史上になかった。
考えてなおしてみるとウィーンには日本にはないその手の下水道がある、という確認だけでは、済ませられない何かがあると調べてみた。
*****
映画「第三の男」★「読み比べ」「見比べ」~原作を読む: 千々石(ちぢわ)deその日暮らし~長崎県雲仙市千々石町
引用
「グレアムグリーンは「序」で「先ず物語を書いてからでないと、シナリオを書くこと
は私にはほとんど不可能だ。」と書いていますが、ところが、この物語、「残りあと
三日という時にも、何のストーリーも浮かんでこなかった。」
残り二日目になった時、「イギリスの情報組織の若い将校と昼食を共にする幸運
に恵まれ」その時、「地下警察」の事を知ったのですが、「地下警察」は、いわゆ
る「秘密警察」等の事ではなく、ウィーンの地下には巨大な下水道があります。
当時、戦後下のウィーンは、英、米、仏、ソ連の占領下に分割されていましたが、
「地下警察」とは、文字どうり下水道の中で働く「地下警察」。
>下水道は四大国の管理下になく、
各国の情報部員は自由に行き来でき、
また、ペニシリンの裏取引(後、分量を増やすため、混ぜ物を入れ犠牲者が多数でる。)の事を聞き、地下道を回りながら、物語の全体像が形をなして来たそうです。
**********だったら、ハリーライム(オーソンウェルズ)はペニシリンの裏取引に使っていた勝手知ったウィーンの治外法権の巨大下水道に逃げ込んだ、のか?*******ただし、街が4つに分割統治されていたら、犯罪者は一方で悪さをしても別の統治下に逃げ込めば手配が遅れるので犯罪がやり易い。国定忠治みたいなものだ。
しかし、イロイロ文章でなぞるが最後にビデオを借りてみたとき全く退屈な映画にだった。ストーリー展開のテンポが遅い。今想えば前記の情報から練りが足りないでっち上げ作品の感もしてきた。映画全体に謎めいた雰囲気を盛り上げるためにストーリー展開の本道からかずれ横道に逸れた無駄な場面が結構ある。反俗日記程脱線していないが。
英国の映画監督の作品は見慣れていないせいかもしれなかった。
>この監督の「アラビアのロレンス」や「戦場にかける橋」もストーリー本線から逸れた枝話が長い。
瓦解と越境〜1960年代日本映画と表現の革新〜(2004-05,未発表) | 実験映像アルシーヴ
引用
「作家はただ一つのテーマで作品をつくるものではない。人間がただ一つの考えで人生を生きるのではないのと同じように。
ところがおろかな批評者は、作品はただ一つのテーマで貫かれていると思いたがる。(……)私たちは、今私たちが考えていること、生きていることの全てを作品のなかにたたきこみたい。
でなければ、私たちが作品をつくる意味はない。——大島渚、1968年
***
ハリウッド映画にない思考だ。小説の世界でも「ユリシーズ」は名作といわれている。
フォークナーの小説も複雑。ほとんどの人は最後まで丹念に読み込めないのでは?しかし小説の腕は凄い、ということだけは分かる。Wは高校2年のとき、フォークナーの生活にあこがれた。