誕生から40年…苦難乗り越え美景路へ「メタセコイア並木」知られざる歴史 - YouTube
誕生から40年…苦難乗り越え美景路へ「メタセコイア並木」知られざる歴史
16,941 回視聴 2021/12/20 #四季 #冬のソナタ #ten
四季折々の表情が訪れる人々を魅了する、滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木。約2.4kmに渡り幻想的な光景が広がる、滋賀県の観光名所です。
W.下図の情報とは2024年現在をカバーしていないようだ。
>東電柏崎刈谷原発、7基合計、世界最大の原発、とは知らなかった。住民は「忍耐」強い。どの程度の見返りがあるのだろうか?
地球は所詮、<猿の惑星>。最後は巨大化した太陽に焼き尽くされ宇宙の藻屑と消える運命。
******
引用再開
「しかし実は40年前、苗木から成木へと成長していく過程では、住民から苦情の声が相次いでいました。絶景が誕生するまでの知られざる歴史と、”名所”となるきっかけになった思わぬ出来事、その歩みを紐解きます。」
(かんさい情報ネットten. 2021年12月17日放送)
⇒W。疑問あり。
下図、2,4km」の並木道、両サイドの遊歩道は雪に埋もれている。琵琶湖西岸最北のこの地は大津から60km離れた関西圏と北陸の混じった風土、気候。言葉は完全な関西弁。JR北陸線を石川県から徐々に南下すると地元の人の話す言葉も徐々に関西弁になるのが面白い。近代以前の歴史によって形成されてきた文化圏による言葉の変化。
W。メタセコイアの樹皮の薄さ、頼りなさに注目。
同じセコイア属(今では亜種の位置づけ、と記事アップ中に判明)のセコイアは樹皮が厚く(ナント厚さ30cmにもなる)、繁殖地であるカリフォルニアの森林火災では防火の役割を果たすという。あと、セコイアは常緑樹、メタセコイアは壮大な落葉樹。木材用途に不向き。
*********************
上の画像は春先の新芽が芽吹いてきた時期のメタ(新)セコイア。最盛期は鬱蒼とした葉陰を作る。生育が超早く、真っすぐ上に伸びて樹形が美しい、毎年の剪定作業は必要なし。最大の難点は針葉樹にも拘わらず、大量の落葉。落下した葉っぱ、小枝の掃除は困難を極める。苗木が40年でこんな巨木になる。
もっともセコイアの樹はもっと大きくなる。
南洋材もどきの樹皮の形。樹皮は赤褐色、厚さ35センチメートル (cm) に達し、縦に深く裂け~~。さすが世界最高の樹高の樹(110m。植物学では枝が互生か対性かの違いは属の判断材料。セコイアの樹の枝は互生。メタセコイアの枝は対性(高木剪定作業にに伴う木登りの際の足場確保が難しい。体を反転しながら上に進む。)
前者、常緑、後者落葉針葉樹(珍しいのではないかな?)進化と衰退過程はほぼメタセコイアと同じ。恐竜死滅後の中生代を生き延びたが寒冷化と共に繁殖地帯が狭隘化⇒衰退。カリフォルニア北西部に野生種が群生しているのは樹を熱源とした人類の北米大陸の発見が遅れたため、と北米にはレッドウッドなど用材があったためであろう。
>メタセコイアの幹は軟弱で枝と葉は燃えやすく,熱源にするにはもってこいの樹である。落葉した樹と枝、葉を剪定中にこの樹は燃やすのに最適、思わずゴミとして捨てるのはもったいない、とおもった。
「セコイアは裸子植物マツ綱のヒノキ科セコイア属~~メタセコイア。裸子植物マツ綱のヒノキ科セコイア属⇒W。セコイアとメタセコイアは同属!
間違い!今では亜種になっている。植物の分類は微妙なところがある。
セコイアの方がヒノキによく似ている。
メタセコイアの樹皮は薄くて弱い。小枝と葉先はヒノキ系で同じ。最大の違いはセコイア常緑樹、メタセコイアは落葉樹。枝が互生に幹から生えて居るのがセコイア。幹の同位置から生えて居るのがメタセコイア(植物の分類上、枝の生え具合は重要な分岐点⇒反俗日記、過去記事、道端の雑草特集で学んだ。)
メタは有用樹ではないので生命力は強いが人間が保護しなければ断種していたと思う!
中国湖北省の田舎(標高800m~1200m)で神の木(水杉)としていたのは中国では伝統的に天と雲の思想があり、メタセコイアは真っすぐ天」に向けて伸びる高木だったからかもしれない。
>メタセコイアの枝は互生ではなく対性⇒今、剪定中のWは高木のメタセコイアに下から上に這い上がるときに枝の間隙を潜るのに苦労した。この樹をよじ登るときは足場の確保に苦労する。体を捩じって上に押し上げていくことが必要になる。樹高が高いからアブナイだけではなかった。
*******
セコイア属(イチイモドキ属)は、現生種としてはセコイアのみを含む(W??メタセコイアは何属?⇒W植物学会ではメタセコイアは認知されていないのか?⇒恐竜の絶滅した新生代も生き残ったが、北半球の中緯度の寒冷化と共に生き残り日本列島で生きた木の化石が発見された。日本列島のユーラシア分離によりメタセコイアは生き残っていたものと思われる(中央よりも末端、辺境に古いものが残る法則)。
発見の経緯
「メタセコイア類の化石は北半球の第三紀地層からしばしば見つかっていたが、
>当初はセコイア属などに分類されていた。
>しかしセコイア属とは異なり、枝や葉、球果の鱗片が互生ではなく対生すること、また常緑性ではなく落葉性と考えられることなどから、1941年に古植物学者の三木茂によって新属 Metaseqouia が提唱されたが(W.だからメタ、セコイアと命名した)今は亜種になっている
*******
太平洋戦争の影響でこの論文はほとんどの国外の研究者の目には触れなかったが、中国北京の静生生物(W。化石生物)研究所の胡先驌はこの論文を読んでいた。
ちょうど同じ頃、中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)で神木とされていた木(「水杉(スイサン)」とよばれていた)の試料が王戦によって採集された。
W.昔の中国では四川省の領域は広大だった。今の四川省は内陸部中国最南端の雲南省の上。湖北省利川市は最西部,現、四川省より。中国の気候風土、文化の区分け、南船北馬。湖北省は典型的な南船地帯。中国の諸王朝盛衰の舞台、中原に含まれる。
これを元に研究した胡先驌と鄭萬鈞はこの植物が三木が記載したメタセコイア属に属すると考え、1948年にメタセコイア属の新種として記載した。
上位分類
「>中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)で神木とされていた木(「水杉(スイサン)」とよばれていた)の試料が王戦によって採集された。
@系統的にはセコイア属やセコイアデンドロン属に近縁であると考えられており、これらは合わせてセコイア亜科(Sequoioideae)に分類されている。⇒w。ということだった!
人間との関わり
「1948年に米国の植物学者であるチェイニー(Ralph W. Chaney)が発見直後のメタセコイアの種子を持ち帰って播種育成し、
1949年に昭和天皇に送るとともに、1950年には化石植物としてのメタセコイア属の提唱者である三木茂が結成したメタセコイア保存会に100本の苗が送られ、保存会から日本国内の研究機関や自治体の植物園に配布された」⇒W.動画によれば種からも接ぎ木からも簡単に苗木が生育できる。種を保存する生命力の強い雌雄同株の樹だった。イチョウも同じだ。
*****
セコイアは
「高115メートルに達するものが報告されており、現生の生物の中では地球上で最も背が高いといわれる。山火事に強い厚い樹皮を持ち~~メタセコイアの樹皮は薄く弱い~~(W知らなかった!カリフォルニアの山火事に強い樹だった)
******************************************************************************
W。雨に濡れた路面上のメタセコイアの落ち葉、小枝を手作業で掃除している。2,4kmのメタセコイアの並木道。本当にこんな作業を繰り返してきたのだろうか?物凄い労働量が必要だったはずだが~~~~。
w。幹から枝が対生に生えている様子が解る画像。隙間なく枝が生い茂っているので落葉した葉っぱ、小枝はばらけ易く処理に苦労する。特に雨に濡れた歩道にぴったりとくっついてほうきで履いてもなかなか剥がれない。
休日のドライブで訪れるのかな。近畿圏でなかなかこういうまっ平らな壮大な並木道の景色は見られない。北大のポプラ並木の記憶は薄れた。あそこでテントは張って一晩過ごした。8月上旬だというのに薄ら寒い秋の気配がした。オーソンウェルズ主演のデビットリーン監督の「第三の男」のアニタバリが遠ざかっていく並木道はメタセコイア並木道よりもロマンチックだった。ポプラ並木だった。落葉広葉樹、花を咲かせる雌雄異株。メタセコイアは小粒の丸い種が成る。
「ウィーンに着くと、まったく別の世界にさまよい込んだような気分になった。にぎやかながらも、健全で、清潔な西ドイツの諸都市に比べ、ウィーンはアジア的なエキゾチシズムに満ちているように思えた。
「アジア的」という表現が誤解を生みそうだから、言葉を変えていうと、写真や映画でしか見たことのなかった “東欧” をそこに感じた。」⇒W。ウイーンはハプスブルグ王家の首都だった。下の画像。枯葉が散っている並木道をジョセフコトンから遠ざかっていくハリーライムの恋人アニタバリ。日本映画黄金時代の日活映画にほぼ同じストリー展開の映画がある。赤木圭一郎。芦川いづみ主演。赤木に歌う主題歌が良い。反俗日記の過去記事は背景の貨物船に注目しながら特集した。
赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる🎈2曲🎈 CD音源 昭和35(1960年) 歌詞付き - YouTube
W.美醜は個人によるがメタセコイアの枯れた並木。松や杉、ヒノキが枯れて死ぬとあんな色に染まる。それは紅葉とは言えない、単に樹が枯れているだけ。
W.下の画像は舗装道路上の大量の落ち葉、小枝。落ち葉の季節にこんな手作業を繰り返してきたのか、あるいは道路清掃車を利用しているのか?
>普段メタセコイアの落ち葉を清掃してきたWからすると、2,4kmの並木道(車両道路と両脇の遊歩道計4本=10km近くの手作業清掃はあり得ない)を普通のトラックに落ち葉の荷積み清掃をやっているとは考え難い。
手作業の雨中作業は道路に細かい葉っぱ、小枝がくっ付いて困難を極める。
人手の大量動員とそれなりの日当が不可欠。
シルバー人材センターに登録している高齢者はそもそも仕事好きな人が多い。仕事効率とか不合理な手間はほとんど気にしない人もいる。仕事をきちんとやり遂げることだけが目的。同じ仕事をしていると迷惑する面もある。そういう仕事振りにオンブ、抱っこではそもそも現状の日本経済のために良いのか、という問題もある。
W.画像の上に広がるのは琵琶湖の最北。背後に里山、前に湖(うみ)古代中世日本の原風景(荘園?)のようなところだ。
********
反俗日記は動画コメントしようとしたが記事にした。そのときの長すぎるコメント。
「日本人の有名植物学者が戦前、化石からセコイアの新種発見(メタ、セコイア)。戦後(中国国共内戦中)、アメリカ人によって中国四川省の奥地から現生種の存命が確認された⇒勘違い!。アメリカで生育され日本の皇室に奉納。その後、主として大学、地方自治体関連で全国各地に伝播(この順序は以前ウィキに記載されていた)。朝鮮戦争後の韓国では日本よりも植栽された樹だと思う。だから冬のソナタのシーンに登場。
生育が超早くて、あまり剪定しなくても上にまっすぐ伸びる樹形は目立つ。針葉樹にもかかわらず大量に落葉した葉小枝は細かく分散し易く濡れた道路の掃除は手動ではほぼ無理。
マキノ町は動画で見る限り道路清掃車が使えるような環境が整っているようで、多分それもあって今まで伐採を免れた来たのではないかな?
清掃車を使っていないとすればその労力に頭が下がる思いがするが問題も含まれている。
******
私の住む集合住宅にはメタセコイアの樹列がある、しかも真下に深い側溝。
自治会の人たちは営々と40数年渡りほぼボランティアで落ち葉を手作業で掃除してきた。
昔気質のヒトは前例踏襲、忍耐強い、総意としてNOにはならない。
高度経済成長期の基底層は結局周回遅れだった。意匠を変えただけで中身は経済成長程、変えられなかった。その後に続く日本バブルも変身を妨げたばかりか政策的にも保守に逆戻りした。東西冷戦終結後、グローバル資本制の外圧により社会全体として変わらざる得なくなった時代とグローバル資本制の制度的浸透が重なったので日本の社会経済は先進国の中でもうまく回らなくなっている(基底層にとってはダブルショック!若者は観念化不適応)。準備ができていなかった。
*****
枝を切るのは簡単だがゴミ収集車に載るように後処理するのに体力を使う。小枝をゴミ袋用に刻んで、大きな枝を薪のように束ねるので異様に手間がかかる。
新しく清掃係になって1年半、最近、一人でこの高木に登って剪定中。1年おきの剪定は今年は無しなので物凄い量の落ち葉を予想し剪定しかないと覚悟を決め一人でやることに決めた。自分のペース、自分のやり方、自分の自由な時間でやっている、というかやらせてもらっている。ま、朝のウォーキングは雑草観察は枯れてしまってできないし、この方が実のある行為、他人がどう見ようとまったく気にしない。
強剪定で枯らしても良いつもりで作業に臨んでいる。人に寿命があるように樹にも寿命がある。住民が移転すればこの高木は伐採され廃棄物の運命だ。役割は終えた。
******
メタセコイアの植生には場所を選ぶべきだった。集合住宅の庭に植えたのは大間違いだった。
マキノ町は上手くはまったが街路樹にメタセコイアは賛成できない。公園にもどうかな不向きだろう。上に伸びて木陰を作る樹ではないし、メンテナンスは大変。紅葉もただ枯れているだけにしか見えず紅葉とは無縁の風情。マキノ町の並木道はメタセコイアの作る日本には珍しい一斉感が素晴らしく見える。地面を覆い尽くす落ち葉は薄汚い風情でどうしようもない。
こういう立場と読売の報じるマキノ町の総意とのすり合わせが必要だ。そのためには正確な情報がいる。一方的にロマンでを語ってはどうかと思う。
少なくともWは事実をありのままに書いているつもりだが、そもそも日本独特の文化様式である<様々な意匠>ってそういう錯覚の齟齬から成り立っているのかもしれない。
一方に事実があり、他方に事実の意図的な編集がある。だとすれば編集情報の方を矯正してもらえば、<様々な意匠>のとっかえひっかえは少なくなり真実が一般に見えやすくなる。
*******
溝の中に落ちたメタセコイアの落ち葉をさらうのが大変だったと歴代の掃除係のひとはいう。
ではなぜ事態を改良しなかったのだろうか?
機械の導入、掃除用具の工夫、無しで只黙々と時間超過のサービス労働をしてきた。
ソレに費やした時間の総計はどのくらいになるのだろうか?途方もない時間である。
私はその事態に日本人の性根は年貢ムラ請負の江戸時代から変わっていないのじゃないかと疑う。政治や社会がどうこう以前の問題と思ってしまう。
マキノ町のケースはたまたま、条件が嵌った感がする。
街路樹に成長が早く、メンテナンスに過大な手間がかかる樹を植える時代ではなくなった(特に人手の足りない日本では)。緑豊かな樹々や見どころのある植栽は公園に集中すべきだった。都市計画無きところで通用しない見解だが。最近ようやく街路樹や公園の樹に気配りするようになってきたが色々不便な要素が多く開花期の短い桜の樹が多すぎる。ソメイヨシノってそんなにきれいな花を咲かせる樹は決まった場所の決まった樹。大半は集を頼んで咲いているだけの駄樹。そういう樹下で飲んで騒いでは下卑たものを曝け出しているだけじゃないのか、恥ずかしくないのか。
*****
それに報道意図に沿った一部情報を編集し、視聴者になんとなく納得感を醸し出すのは止めてもらいたい。
どこからどこまでが手作業清掃なのか機械化作業なのか、はっきりさせない報道姿勢は報道者の目的のために編集加工されたものである。一端でも軽く全貌を紹介しないと勘違いする人が出てくる。そういう記憶脳が積み重なることの弊害がある。そういうのって仮想現実に埋もれるっていう。
仮に機械化しないでシルバー人材センター的労働力を動員しているのであれば、巨視的経済観でいえばそれなりに問題がある。
シルバー人材のヒトは作業の効率化など全く眼中になく、ただ黙々と仕事に励む人が多く、昔気質の管理者はそれを良しとする。社会の基底において未だにそういう労働環境が下支えしているとすれば、マキノ町のような「観光地」を訪れててもゆったりした心で楽しむことができなくなる。ただ訪れて周囲を散策しないで終わり。地元にカネは落ちない。スマホ写真と撮ってハイ終わりの観光地確認作業になってしまう。飯食う前のスマホ写真と同じだよ。
****
一方で勝ち誇ったような顔で語る地元のヒトに田舎の独りよがりを見てしまう。
都会から田舎に移住して落胆するケースは田舎の独りよがりの環境に馴染めないせいもある。
*****
@silentjoker0203
8 か月前
大津市から昨日行ったわ~チャリで。往復120km。
⇒W。ナルホド、そういう楽しみ方もあったのか!朝出発して帰宅したころは夕暮れ。琵琶湖西岸、一日の楽しみ方としては最高。
*****
明日からメタセコイアの剪定がまた始まる。よじ登って枝カットしてゴミ出し用に処分する。引っ越してきてからいろいろなことがあった。自らへのエポックメイキングのつもりで最後までやる。ココに至れば****以外に本質的な意味はない。