反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

未完記事。高木メタセコイア剪定の最終段階。何とかやりきろう。 redwood ってセコイアの樹だったのか。愛国主義を素通りした労働者の国境を越えた連帯は先進地域では元々成立していない、という原型、パリコミューン。

   質問 YAHOO 知恵袋

@恐竜時代、植物も巨大だったと聞きましたが、何メートル(高さ)程の植物が存在したのでしょうか?

>現代の科学では、なぜ恐竜のような巨大な生物が陸上を闊歩できたのかは謎とされていますが、

恐竜以外の全ての生物が相対的に巨大なのであれば、自ずと答えが導かれるように思います。ただ、恐竜時代の植物の大きさを調べてみたのですが、中々情報が得られなかったので、こちらで質問してみました。よろしくお願いします。

******回答。

 W。下の地図。調べてみると、セコイアの樹とレッドウッドは別科目の勘違い、判明!

レッドウッド - Wikipedia

  • ヒノキ科
    • セコイア (coast redwood, California redwood)⇒レッドウッド国立公園。
    • セコイアデンドロン (Sierra redwood)⇒W。ヨセミテの巨樹はこの亜属。
    • メタセコイア (dawn redwood)⇒Wが今、切込み中の高木。枝を切るのは簡単。ごみ処分用の処理に10倍ぐらい手間がかかる。薪のようにまとめ紐でくくる、小枝はゴミ袋。高木の高所作業は勝手が違うので余分に警戒心が働く。足場が信頼できないことがまず第一。一人作業で最後までやりきる。こんな機会はない。高所作業でも刃渡り30cm弱、ピッチ300の手鋸でできるだけ刃渡りの長さを利用してキレイに引くとズバズバ切れる。一握り程の枝ならあまり力は入れないで5回ぐらい引けば切断できる。
    •  それでもやっている最通に思うな。全て手前引きの日本の鋸より欧米の押引きのほうが体が合理的に使えるようだ。高所作業では弾き切った時に体の重心が外に振れアブナイ。押し引きは体を幹に預けることができる。上半身の強さが無ければ足で踏ん張って引くしなかい、ということか。今の鋸はよく切れるので上半身の強さは関係ない。それに機械化されて鋸を引く機会は少ない。
    • あまり力は入れないで最上位に伸び切った枝を伐採するとき十字路の歩道に面しているので異常に緊張する
    • 切り込み口と追口は実行しているけれど<コレやると一機にすっ飛ぶように切った幹が落下する普通に片方切りにするとたいてい落下しないで垂れ下がるので下を見渡し落下させる時間ができる。この辺の事情は専門家は指摘しない>その他の技はまだ利用していない。
    • 素人は仕事を難しく考えすぎる
    • 頭の中で伐採方法を想像し考え込むと想念が空回りする、雨の日の朝、現場から見あげると想像しているよりも最上の枝の実寸は短かった。しかし登って身近に見ると枝は太く片方だけでは鋸が詰まって引けなくなる。
    • しかし、一方で道路面にせり出して真上に伸びる太い枝はやっぱり吊るし切りが必要かな、と。他にも方法はあるが余分な手間をかけずにやれると判断すれば一気にやる。素人は考えすぎる。
    • う~ん!最後に残した1本の樹の高所作業(最上枝は4本ぐらい)は手ごわい。
    • メタセコイアの樹は軟弱だが粘り気があり、脂分が少なく、かまどの薪に利用するのに最高の樹。中国雲南省の有名You Tuberのうちのかまどで利用しているのはこの種の樹だ。一気の燃やして火力を出し大きな中華鍋で料理する。薪もこの種の高木から調達している様子が動画で出ている。
    • ゴミとして処分にするのがもったいない。土地と畑があれば燃やして畑にまくのだが。都会は不経済だな。
    • セコイアとの違いは落葉する。枝は幹から対生アサガオ状に幹の周囲に枝が生えて居るので上る際に身体を入れる隙間がない。下から枝落としをしながら導線を作って上に登っていく。セコイアは互生。
    • スギ (Japanese redwood)
    • ****

  勘違いの原因は

magictrain.biz

This land is your land,
This land is my land,
From California
To the New York Island,
From the redwood forest,
To the Gulf stream waters,
This land was made for you and me.

以下はレコーディングでは割愛された歌詞ですが、この部分の歌詞を読むとウデイ・ガスリーがこの歌に込めた想いがよく分かると思います。)

******

⇒W。オバマ大統領就任祝賀集会ホワイトハウス前だったか、動画アップ~1月の寒い屋外~)でピート・シーガー - Wikipedia常、謳われていない以下の歌詞を歌った

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⇒歌詞の世界は実際にあった光景、をウディ・ガスリー - Wikipediaが歌にしている。(ホーボー大行進、作家ジャックロンドンは実際に参加した経験をもとに小説にしている⇒「怒りのブドウ」原作スタインベック。映画はジョンフォード監督、ヘンリーフォンダ)。基本的に前者、ホーボー達の大行進を歌っている、地元の人たちは大行進するホーボー達に食料を提供したりけがの手当て、衣服のカンパ等々の救援をしている。幹部はパーティに招かれる場合もある。米国社会運動、労働運動の原点である。  

 後者はオクラホマの記録的砂嵐に襲われ離農しカルフォルニアを目指した小作農(オーキー、アーキ―)たち一家の物語。行く先々で地元住民や当局の規制を受ける

*****

 第1次世界大戦後の米国好景気によって市民社会は底上げされ豊かになり変容し世界恐慌によって突然、大失業の時代を迎えたが、昔の素朴な市民社会(わが町)の連帯感は喪失していた。

日本現代史に当てはめると高度経済成長⇒日本バブル崩壊⇒東西冷戦終結=グロ資本制⇒長期経済停滞=米世界戦略との一体化。

>以上の歴史過程は一種のエントロピー理論で表象される。

>バラバラ複雑化した個々を政治統合する内容がいつの政治経済危機の歴史過程にも問題になってきた。

@社会にも適用されるエントロピー法則を受け入れ利用する立場は必要な時代状況になってきた。加速主義なんていうのよりよっぽどまともな立場だ。

  引用

エントロピー増大の法則はざっくりいうと「物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい自発的に元に戻ることはない」という法則ですが、この考え方は経験則として私たちの思考にもあてはまります。」

⇒その個々バラバラ、複層する意思は国家主義による共同政治幻想によって集合意思として国民~~国民意識はその時々場所、機会によってイロイロ変化する。~~に統合され第二次世界大戦参戦へ!ということか。

******

 トマ、ピケティー階級闘争にスポットライトを当てるべきだ、という見解を示している。ところが階層的政治共同性を作り上げる実体は労働組合しかないのは明白だが、

EU統合の国民投票で反対意思を露にしたフランス労働階層社会民主主義中道左派の推し進めたEU統合政策に失望し、国民戦線の支持ブロックに移行し統合された。フランスの労働組合の組織率は低く、政党や社会運動団体が政治統合の代行をしている(反俗日記過去記事)

米国北部工業地帯の製造業で働いていた人たちが民主党支持層からトランプ支持の回った原理と同じ。トランプが再び大統領候補戦をリードしているのは米国の産業構造、社会構造の変化を物的基盤としているからだ。このブロックは根強い。

 EUシステムが本格化すれば中央部の生産的資本は安い労働力を目当てに周辺部に移転する、逆にヒトは高賃金を求めて中心部に移民として移動する。このヒトモノカネの流れに割を食うのはEU中心部の下位中間層と労働階層であることは誰でも肌身で感じる理屈。

EU統合が労働階層過半の利益にならないと察知した物的根拠がある反対なので議会左派系からの向こう側への移行は政治ブロックの形成なので根強いものがある。

 資本主義グローバリズムや、中道左派社会民主主義の世界の労働者の連帯の空文句と国民国家に統合される労働階層の共同政治幻想の間には大きな利害対立がある。

 愛国主義を素通りした労働者の国境を越えた連帯は元々成立していない、という原型がココにある。

パリ=コミューン

  W。ざっくりとまとめると

1871年3月、普仏戦争講和に反対したパリ市民が蜂起して成立させた世界最初の労働者政権。

パリに労働者による政権を樹立したが、ブルジョワの支持を受けた臨時政府の軍隊によって攻撃され、激しい市街戦の結果、5月に崩壊した。」⇒w。ブルジョアジー貴族はインターナショナリズムであった。労働階層は愛国主義に固まりやすい。

W.立ち入ってみると

普仏戦争は1870年9月のスダンの戦いで皇帝ナポレオン3世が捕虜となり、プロイセンは余勢を駆って翌71年正月にヴェルサイユに入り、ドイツ帝国の皇帝戴冠式を挙行した

2月26日、フランス臨時政府の行政長官ティエールは、賠償金支払いとアルザス・ロレーヌの割譲を提示して講和し、プロイセンは3月1日、パリに入城した。

労働者政権の成立

 3月18日、臨時政府側が国民軍の武装解除に当たろうとしたことに激高したパリ市民が蜂起。臨時政府のティエールはパリを放棄しヴェルサイユに逃走し、パリは革命派の市民が権力を握った。

クールベ

クールベは1870年に普仏戦争が始まると国防政府軍に加わって戦い、ナポレオン3世が退位してパリ=コミューンが成立するとそれにも参加した。コミューンが崩壊した後、クールベヴァンドーム広場の記念円柱を破壊した責任を問われ、罰金刑を科せられたため、スイスに亡命し、その地で58歳で亡くなった。

W.マルクスのこの時代の政論は全くピンとこなかった。ドイツ社会民主党路線である。

レーニンが「何をなすべきか」「帝国主義論」「国家と革命」でマルクスを換骨奪胎した。Wはマルクス資本論しか認めないことにしていた。マルクスに埋没すればカウツキーやローザルクセンブルにしかならない。

労働者政権の構成

 しかし、コミューン内部には、ブランキ(彼自身はヴェルサイユ政府に捕らえられていた)の影響を受けた急進派や、プルードンの影響を受けた無政府主義者などを含み、

マルクス派は少数派であった。

(W。このような歴史に見方は戦いの現場に即していない結果から解釈したもの

だったらマルクス派がコミューン多数派であれば勝利していたのか、と。

もしかして戦わずして武装解除に応じていたかもしれない。もっともマルクスのパリコンミューンへの言及を読むとそれはなかった。)またパリ以外の都市でもコミューン運動が起こったが、保守的な農村部の中で連絡が取れず、パリは孤立していた。

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 下の歌詞はこの辺のギリギリの労働階層の心情を歌いこんでいる。政治経済状況の厳しいときは国家と政権の問題が最終的に最重要課題になる。観念的民主主義の信奉者はウクライナ戦争への評価と立場(構造論がない。EU帝国主義の範疇にぴったり当てはまる。民主主義は隠れ蓑!ロシア、プチン政権の表の顔のようなモノ。本質的に似た者同士だから獲物狙って争う。第二次大戦と同じ構図。プーチンロシアが侵略したのならEUウクライナという市場を目指して侵略してきた。米国は世界覇権の拡張は目当て)を見ても激化するしかない対中戦争状に決然とした反対行動を越せない。なぜなら判断基準は民主主義なのだから。

「不法侵入禁止」

そうさあの場所だってあなたとわたしのために創られたんだよ!

>W。ソ連邦崩壊後のロシアで起こったことだ。現代日本にも自治体がカネを払った経営設備が民営化され私的資本に転化する、似たような例はある。

****

ある者はぶつぶつ不平をつぶやき
ある者は訳が分からず困っている
この国はまだあなたとわたしのために創られたものなのかな

誰もわたしが生きてゆくことを止められないし
そんなふうにわたしは歩き続ける

誰もわたしの生きざまを捲き戻すことはできない
この国はあなたとわたしのために創られたんだから

>W。上記の意思は真珠湾攻撃を契機に日独伊反対、世界戦争参戦に統合される、というカラクリ。世界政治の視点からいえば、善と悪、主義主張の原則は各々の立場によってくるくると変っていく。構造主義の観点が大事になる

 マルクスを今更いう人がいるが、マルクス時代の分析方法では20世紀初頭以降の世界資本主義の構造(英国に対抗するドイツ、アメリカ資本主義の登場の世界市場の再分割)を明らかにできなかった。イギリス一国が世界の工場の産業資本主義段階⇒よって資本論分析はイギルスを重点的にやればよかった。古すぎる。それでも1960年代の大学では経済学にマルクスを使っていた。一方、入学する前の学生はマルクスでは古すぎると知っていた。このギャップも大学闘争の火種の一つ。

 今、マルクスを持ち出す学者さんにレーニンが一次世界大戦前に発表した「帝国主義論」の構造主義の徹し、帝国主義戦争を内乱に転化せよ!と言い切った精神と分析力を持つ人は日本には皆無。これはレーニン一人が無し切ったことではなく当時、世界資本主義の構造分析をした人はいた。参考文献や資料が揃っていたからできた。

*******イデオロギー偏重で戦争政治を行ったものが敗北した**コレが教訓**

 引用

1941 年 12 月 7 日の日本軍による真珠湾への攻撃を契機、米国は第二次世界大戦に参戦することとなりました。

(W。日本側の暗号や対米開戦を決意した日本軍の動向の大枠を米側は事前に察知。敵基地奇襲攻撃をさせて国民の世界大戦への参戦意思を撃ち固めた。先にやらせて<謀略、デマもある>参戦への意思を国民統合し打って出る。米国の長期戦に対する戦争政治の基本スタイル

>戦争発動に手間がかかるということは国民の沸点が高くなるということで、間違いが生まれにくくなる。ただしそれだけではない。

~=アメリ合<州>国という政治構造による。モンロー主義も政治選択肢にできる世界の紛争地から超絶した地政学的位置のある北アメリカ大陸海洋国家

エントロピー状態の個々人を体現したアメリカの憲法を読めば解る。中央議会に州、個人単位を統合するためにはセンセーショナルな事件の演出が不可欠。)

日本国憲法もそれなりの戦争政治発動への歯止めになってきた。

******W。ナチスドイツはナポレオンのような両面戦略と取った。イデオロギーに拘った世界戦争戦略であった。日本も同様。*****

W.この年表をみても米国の二次大戦参加の遅さが浮き彫りになる。他社にやらせておっとり刀で駆け付け一番おいしいところを持って行って、世界覇権を確立した。他方スターリン主義は一時の歴史の歪みの中で一時的対抗軸になったに過ぎなかった。原理的に社会主義経済というものがあると措定して、欲望無限拡大がシステム化した世界資本主義がある限り長期の対抗軸にはならない。

*****ナチズム、ファシズム軍国主義は軍事資本主義の一国主義的財政金融膨張の必然的形態。米国のニューディルもその亜流。

 以下記す内容は今とこれからの世界経済の実態分析を前提とする。世界がどのような方向に動いているのかという大状況に認識が前提。

 財政金融膨張政策は一時的な景気浮揚はあっても超インフレから経済停滞し脱出口に戦争政治を実行するしかなくなる(歴史の教訓)。

カネを刷っても通貨安で外国からモノを買えるモノが値上げりすれば日本経済は八方ふさがりになる(国内物価も高騰する)国債の利回りが上がる=財政が苦しくなる⇒さらにから銭を刷る。

 日本のような経済圏のない従属国は自ら通貨安を呼び込む経済政策を選択すべきではない。

かつてのリフレ派=アベの国債大量発行、日銀購入や市中消化。

www.asahi.com

引用

日銀によると9月末時点で、国債の発行残高1066兆円のうち日銀が536兆円を保有保有割合は50・26%で、2012年末の第2次安倍内閣発足後に大規模緩和が始まる前の11・48%と比べて4倍超になっている。

保有割合が膨らむ主因は海外の金利上昇だ欧米では中央銀行が今春以降、物価高を抑えるため相次いで利上げを進め金利が上昇

日本でも金利が上昇したが、金融緩和策で長期金利の上限を「0・25%程度」とする日銀は、国債を大量に買い金利を抑え込んだ買い入れ額は6月に月間で過去最多の16兆円、9月も12兆円近くにのぼった。」⇒W。政府⇔日銀の間での帳簿上の記号物の記帳になるが、その一部は大企業や資本家への資金供給になる。他方経済状態の悪い家計はより一層の安価な労働力商品の提供者のなるだけ。したがって前者はこの政策によって両得。しかも円安で輸出企業はドル円為替交換すれば円を多くつかむことができる。

政府が予算をまかなうため国債の発行残高を増やし

市場では日銀が政府の資金調達を事実上支える「財政ファイナンス引用終わり

デフレ傾向改善せず、世界的なインフレ傾向によって日本経済のインフレ実現目標達成。そもそもこの政策はフィッシャーの法則からきておりインフレによって増殖する借りて資本が身軽になり儲かり、労働力商品が安くなる仕組み。

 それでうまくいかないので今度はかつての日銀の代わりに財務省が攻撃の標的になっている。

 かつての日銀、今度は財務省が悪い、というのは 八方ふさがりの現状、将来に何か抜け道の妙案があるかのごとく言うのは日本経済の現状、将来の姿を隠す役割を果たしている。戦前日本にもこの種の政策を掲げた右翼社会民主主義者がいた。

 云うような財政出動をすれば今以上にインフレになる。外国からの資材原材料を依存しているので。また生産労働人口の減少も労賃コストプッシュインフレに安易に連動する。そうすると景気はずっと冷え込んだままを背景に結局は株式がまじ切った市場での高騰で済むように、軍需産業の需要増と増産がこれまたその中での循環になり、コレは政府の財政金融その他の政策でコントロールし易い一種の社会主義経済の誕生となる。

>世界経済が同種の傾向に向かっているのであれば、この政策もそれなりに機能するが、他方で経済成長する国々や地域があれば、自らが歴史的な経済地位の低下の道を選択していることになる。

@今とこれからの日本はもう自由主義経済の道は歩めない(ここまで国債中央銀行買入れ額が大きくなると政府の財政金融政策の選択肢は超せまくなり、経済外的規制に頼るしかなくなる)と漠然と思う。

@預金を円だけで持っていると物凄く自動的に目減りする。だったら株式投資日経平均の企業200社の株は高くて買えない。いずれにしてもっ実体経済の企業間、個人間の格差は拡大する要因。

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1939年9月1日にドイツ軍ポーランドに侵攻したことを受けて9月3日、フランスイギリスとともにドイツ宣戦布告

1940年5月10日、ドイツ軍はオランダベルギールクセンブルクベネルクス三国に侵攻を開始。フランス軍の防御が手薄となっていたアルデンヌの森から装甲部隊を進撃させた。

6月14日、ドイツ軍は無防備都市宣言されていたパリに無血入城し、6月16日、フランスのポール・レノー内閣は総辞職し、後継のフィリップ・ペタン元帥はドイツへの休戦を申し入れた。6月22日、コンピエーニュの森において休戦条約が調印された(独仏休戦協定

フランス軍の大半は武装解除され、アルザス=ロレーヌ、サヴォワニースはそれぞれドイツ、イタリアに割譲されたものの、フランスは主権国家として存続することとなった。しかしパリを含む北部フランスはドイツ軍の占領下におかれ、ペタンを首班とするヴィシー政権の影響力は南部に限定された上に内政外政ともにドイツの影響下に置かれることとなった。

1941 年 6 月ナチスドイツはソ連への攻撃の一環として、ソ連の占領下にあったポーランド東部に侵攻

 米国は(1941年12月7日の真珠湾攻撃)翌日の 12 月 8 日に日本に対し宣戦布告しました。

12 月 11 日、枢軸国として日本と同盟関係にあったナチスドイツが、米国に対して宣戦布告しました。」         引用終わり

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As I was walkin’
I saw a sign there
And that sign said no trespassin’
But on the other side
It didn’t say nothin!
Now that side was made for you and me!

わたしが歩いていたとき
わたしはそこである警告を見た
その看板が云うには「不法侵入禁止」
でも他のところでは
そんなこと言ってなかった
そうさあの場所だってあなたとわたしのために創られたんだよ!

In the squares of the city
In the shadow of the steeple
Near the relief office
I see my people
And some are grumblin’
And some are wonderin’
If this land’s still made for you and me.

街の広場で
尖塔の陰で
救援オフィスの近くで
わたしはわたしの同胞たちを見る
ある者はぶつぶつ不平をつぶやき
ある者は訳が分からず困っている
この国はまだあなたとわたしのために創られたものなのかな

Nobody living can ever stop me
As I go walking
That freedom highway
Nobody living can make me turn back
This land was made for you and me

誰もわたしが生きてゆくことを止められない
そんなふうにわたしは歩き続ける
あの自由のハイウェイを
誰もわたしの生きざまを捲き戻すことはできない
この国はあなたとわたしのために創られたんだから