反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

フォークソング。加川良「教訓Ⅰ」  岡林信康とはっぴぃえんど「今日を超えて」「わたしたちの望むものは」。「山谷ブルース」「流れ者」。カントリーロック、リンダロンシュタット「銀の糸と金の針」Ⅰ

この前の松山千春radioの関西フォーク特集の二番目に取り上げられた唄。バックのフィドルのフィーチャーは抜群。本場のカントリーミュージックとそん色がないテクニックとセンス。当時聴いた時はこんな感じではなかった。泥臭い曲だった、と記憶しているのでびっくりした。バンジョーは?。

(1)岡林信康 今日を越えて  演奏 ハッピーエンド。 https://www.youtube.com/watch?v=vk_tY1dPHo0
関西フォーク特集で最初に取り上げられた。 バックの<はっぴぃえんど>で、この長い曲を聴かせる。
 
(2)岡林信康 私たちの望むものは  HAPPY END はっぴいえんど 
わたしたちの望むものは  おなたを殺すことではなく
わたしたちの望むことは   あなたと生きることなのだ
わたしたちの望むものは  あなたと生きることではなく
わたしたちの望むものは  あなたを殺すことなのだ 
W。歌詩に矛盾はない。このフレーズの直後、平和の象徴である鳩が(驚いて)一斉に逃げ出す擬音が録音されている。
 
 
歌詞の世界はリアル、普遍性を帯びている。日本の極致のエピソード、一産業部門の現実では絶対にあり得なかった。
福島第一原発事故処理現場の当初の事故対応、以降から直近までの労働現場の実体を直視すると、誰が何のためには働いていてきたのか、あきらかである。事故現場のこの実体関係は明らかであるにもかかわらず、そこの労働が直視できていない。
福島はチエルノブイリ原発事故に比較して、飛散放射能量が圧倒的に少なく、施設と地下にその圧倒的な放射能量が蓄積されている。その人々の点、を基盤にするのが、本来の社会民主主義政治の原則である
事故現場、復旧労働現場を直視することから政府批判、被災問題は始まる。
 
日本では原爆被曝国民の放射能恐怖心から、いきなり、ドイツのみどりの党のドイツに<飛び級>してしまった。
福島原発事故放射能汚染量は、戦争における敵戦闘能力の即自的大量破壊目的の広島投下の原爆何発分などの比較の意味を疑う。
(戦前のワンダーフォーゲルナチス合流以降の環境政治の伝統。イタリア北部同盟の政策もドイツみどりの党に似た部分がある)。
国家ーグロ資本複合体の政治支配に対して、まず、原則的社会民主主義的政治の範疇で政治判断するのが原則である。そののちに違いが生まれてくる。イタリアにおいても共産党社会民主党のような役割を果たしてきた。
 
 
 この唄の世界はこれからの先進国?における国家ーグローバル資本複合体、体制下の相対的貧困絶対的貧困の問題であもる。資本主義労働力商品人肉労働市場の極致の現実は労働力商品の形を変えて、日本全国化していく。(ブラック企業大国日本への道をひた走っている。)
この戦後日本資本主義の資本主義原理の段階ー「帝国主義」段階論ー現状の世界が、高度経済成長以降、濃縮され過ぎて、この歴史的経過に対して人々の思考パターンがついていけない現状がある。
現実は国家ーグロ複合体体制の世界支配下で、この歌に歌われる人肉労働市場の極致の現実が日本全国化していく。バブル循環を取り除けば資本主義実体経済の普遍的原則を物語っている、と今にして、」改め断言できる。
引用 松平直彦
*「産業の成熟は、貨幣資本の過剰を永続化敵に拡大する。
地球環境の限界への逢着は、成熟した産業の外延的拡大にとって絶対的限界として立ちふさがる。
人間(関係性)の豊かさへの欲求は、相互扶助領域を拡大するも、利潤を目的とする一奴隷制である資本関係による、その事業化については限界するモノにする(前回の資料動画の内田樹発言の最終部分。里山農業「共同体」)
結局、過剰貨幣資本は肥大し続け、コレが投機マネーに転化していく。
そしてその対極に、資本の雇われることのない(=資本主義化で生きていけない)絶対過剰人口が膨張する。
社会は、投機マネーと、絶対的過剰人口の両極に引き裂かれて、ますます「関係性」失い、『社会』でなくなっていく。」
 
引用。グローバリゼーションと資本主義 第5章 グローバル資本主義と地域経済 鳥居伸好
「グローバリゼーションと云われる動きは、1970年代に置けて生じたすタグづレーションを克服する対応の関係で生じるものであり、ケインズ主義的な有効需要政策による景気循環ににおける不況を乗り越える景気浮揚政策をとってきた先進資本主義国が政策的な手詰まりにお云った末の打開策として打ち出された政策と不可分な動くである。
>そのような動きは、資本主義の一般的低下傾向としての利潤率の傾向的低下法則に照らして考えれば、資本主義運動の必然的な傾向としてとらえることができる。(W。大ざっぱにいえば先進国の産業資本は国内投資をしても儲からない。国内産業空洞化=低賃金化)

資本家剰余価値不変資本により多く振り分けると、資本有機的構成が高度化する。すると総資本に対する剰余価値の率は低下する。すなわち、利潤率は必然的に低下することを示した法則であるマルクス資本論』第3巻第3編で論じた。」
「利潤率が常に低下するわけではなく、低下傾向に反対に作用する要因もあり、長期的に見れば利潤率は低下する、ということから、マルクスは利潤率の低下を「傾向的低下」と呼んだ。景気循環の中で、利潤率は上下するが、景気の下降局面で利潤率が低下することは利潤率の傾向的低下の法則ではない。」
  数学的「証明」
「「資本の有機的構成と剰余価値率のうち,どちらがより急速に上昇していくか」に集約し、「剰余価値率がどれだけ上昇してもけっして越えることのできない上限が存在し,この上限そのものが資本の有機的構成の高度化によって低落する」ことが主張された。その証明は、次のようなものであった。
具体的に、不変資本C可変資本V剰余価値M利潤率r とおくと、
r=\frac{M}{C+V}=\frac{(M/V)}{(C/V)+1}
という関係が成り立ち、資本の有機的構成C /V が高度化すると、剰余価値M /V が一定である限り利潤率r は低下することがわかる。

資本主義における利潤率の傾向的低下の法則は、個々の資本がより多くの利潤を追求するために生産性を高めて個別的価値と市場価値との差額である超過利潤を得ようとする動きが社会総階資本の利潤率を低下させる傾向をもつと云うものであり、実体面での追加投資の制限性があることを示すものである。
そして、それは、先進資本主義国における大規模資本の多国籍企業化を即す要因となっている。
その意味では、その意味では、その法則に示されている資本の動きが、グローバル化の動きの推進の推進要因であれば、スタグフレーションンは、グローバル化への転換契機となる現象となる現象であり、ともに資本主義の基本矛盾に関わる法則あるいは現象としてとらえられることができる。
 資本主義の基本矛盾は生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾であり、~生産の社会化が取得の形態によって制限づけられると云う基本矛盾(難しい表現。資本の輸出、社会化を超えて全世界化=産業空洞化、しかし、内部留保タックスヘイブン留保はどの国も共通。)
資本は、剰余価値を生むことによって、自己増殖する価値の運動体であって、運動の推進要因は、より多くの徐世価値の追求である。
>それゆえ、より多くの剰余価値、すなわち利潤を求めて増殖運動を展開するための賃金コストを含むコスト削減が、その本性に内包されているのであれば、
>供給拡大と需要制限に伴う需要制限とによって、必然化する商品の過剰生産は、不可避なものとなる。
国家の実体の有効需要の創出が、需要と供給のギャップを調整するための一手段となり、高度経済成長が持続可能であれば、矛盾は引き伸ば氏は可能であるが、そのような需要創出策に向けられる財政出動が、スタグフレーションをひきのばす要因ともなり、それが全体の需要の伸びを抑えることになって矛盾が発現する。
そしてそのことによって、国家の役割の転換が希求されるようになったと云ってよいであろう。
>それは、国家の財政出動を背景として進められてきた先進資本主義国の高度経済成長が財政面の有効需要では補えない段階が来たことを示したものにほかならない。
 
スタグフレーションと云う現象は、まさに高度経済成長を支えてきた福祉型国家による経済政策、高雇用政策の限界を示したものであり、(W。日本政府の福祉元年宣言は1972年と遅すぎる。だったら、日本では福祉型国家は基本的に出現していないまま挫折した!福祉型国家の真面目な構想もなかった。その後も経済成長至上主義でプラザ合意バブル経済とその大破綻に至った。)
国家の役割は、財政破綻によって、新自由主義な政策に経済活動を見出すと云う方向転換が図られるようになったのである。したがって、以上はヨーロッパ諸国の動きで、日本ではない。
 
>金融自由化も、利潤率の傾向低下の法則に当面は影響されない資本運動の場の形成と捉えることができ
架空、信用経済面での商品生産の拡大による利潤拡大の道を形成する動きと考えることができる
*国家の役割は金融自由化のための基盤をを形成すると云うものに変化している。」
(W。バブル循環経済)
 
               
レコード盤の岡林の最高傑作はこの曲。歌詩のもの悲しいリアル世界をフルートがフィーチャーされた軽快な極め付きの名アレンジさらっと聴かせている。日本の歌でこういう歌詞と曲調のマッチングは珍しいのではないか。カントリーミュージックにはよくある手法。バラード調はでしんみり歌う曲ではない。
TOU BUBEにはレコード盤(たぶんCDのベスト盤もコレ)のバージョンが載っていない。
レコード盤に一番近いものを選んだ。ギター一本のこういう感じに、バックの名アレンジがからむ。
関西フォークの音楽性からみた最高蜂は「五つの赤い風船」。このCDとほぼ同じ音をコンサートで出せる。当時のフォークでフルートをここまで使うことはなかった。藤原秀子(リードボーカル)と西岡たかしのハーモニーは抜群。ほとんど声質が似ていてどちらがリードを取っているのかコンサートでも分からない。
 
最後に拍手が録音されていることから、コンサート盤なのか。会場で大体この程度の音が出せる。


Skeeter Davis  SILVER THREADS(糸) AND GOLDEN NEEDLES(針). 
元唄のワンダ、ジャクソンのカバー。
世界的なヒット曲「The End of the World」はクロスオーバーのスタンダードナンバー。
日本でも、スキーターデイビス盤で流行った。
 
Skeeter Davis - Send Me The Pillow That You Dream On 
ハンク、ロックリンのカバー。スキーター、デイビスではこの唄が一番良い。ピアノに特徴がある。
 
Linda Ronstadt - Silver Threads And Golden Needles - 12/6/1975 - Capitol Theatre (Official
*リンダ、ロンシュタットとイーグルスのコンサート盤がアップされていたが、削除された。ボーカルと間奏のリードギターは圧巻、最高傑作!
 
間奏はこのアレンジに近い。リードギターに続き、ステールギター。
Linda Ronstadt - Silver Threads And Golden Needles (1976) Offenbach, Germany 
  
Linda Ronstadt - Silver Threads and Golden Needles - 1976 
A Concert: Behind Prison Walls is a live album recorded by Johnny Cash (カントリーレジェインド)in 1976. The album features Cash with his backing band the Tennessee Three, but also features performances by Linda Ronstadt, Roy Clark(カントリーギターの名手), and Foster Brooks.