昭和の不思議101 2020年-2021年 冬の男祭号 - 大洋図書 - Google ブックス
「森之宮団地の大阪砲兵工廠跡」と「鵲森宮の機銃掃射弾痕跡」(大阪
引用
「赤い線の内側が大阪砲兵工廠。
W。保存されているように見える写真だが、現状は放置状態でフェンスで囲った廃墟風。
大阪環状線は、砲兵工廠のある大阪城の東側のみが高架ではなく、唯一の地上線路となっている。これは高架にして工場を一望されることを防いだためという。なお、大阪城公園駅ができたのは戦後。当時は駅は設けていなかった。大阪砲兵工廠は、陸軍唯一の大口径火砲工場として、火砲や戦車、弾薬などを開発・製造していた。また鋳造や金属加工に関する最先端の技術水準を誇っていたということもあり、軍需のみではなく民需の依頼も受注していた。」
「陸軍の大砲は全部、ここで造られた。終戦の頃には、動員された中学生を含めて6万何千という人が働いていたんです」「1945年8月14日、砲兵工廠を標的にした爆弾が駅に落ち、500~600人が犠牲になったとされる。」⇒W。都会人には疎開できる人とできない人、最後の最後まで住居を放棄し、伝手があっても田舎に行く決断をできず、町内会の隣組の防空防火訓練に参加していた家族もいた。野坂昭如「火垂るの墓」の自伝版である「アドリブ自叙伝」は神戸大空襲前後の記録、被災したのちの義理の妹を背負っての流浪(背中に背負った妹の衰弱餓死に気づき死体を小さな寺の境内で火葬にした経緯を淡々と記述している、また神戸港沿岸の工業発展のリアルな推移を資料を基に描写している。貴重な大都市空襲被災の歴史資料である。
W。ストリーの詳しい説明はコレ。当時、この手の変形やくざ業界を題材に人間を描く映画手法は珍しくなかった。B級映画だが、佳作もたくさんある。何よりも出演する俳優の演技に説得力がある。世の中の風潮と映画の主題やストーリーがかけ離れていなかった。名優たちが出演している!
- 伴淳三郎 - 寄せ松
- 渡辺文雄 - 寄せ平
- 藤原釜足 - バタ助
- 北林谷栄 - ちか
- 小沢栄太郎 - 動乱屋
- 小池朝雄 - 色目鏡
- 羅生門 - 大男
- 浜村純 - 村田吾郎
- 佐藤慶 - 坂口
- 戸浦六宏 - マサ
- 松崎慎二郎 - 片目の竜
- 佐々木功 - 武
- 津川雅彦 - 信
- 中原功二 - 辰夫
- 川津祐介 - ヤス
- 吉野憲司 - ポン太
- 清水元 - 大浜組の親分
- 永井一郎 - ヤリ
- 糸久 - ケイマ
- 宮島安芸男 - 古道具屋のおやじ
- 田中謙三 - ソバヤのおやじ
- 曽呂利裕平 - ルンペンA
- 小松方正 - ルンペンB
- 茂木みふじ - ズべ公
- 山路義人 - ドヤの主人
- 田中邦衛 - 泥棒
- 富永ユキ - 犯された女学生
- 檜伸樹 - 犯された女学生の連れ
- 左卜全 - バタ屋
- 安田昌平 - 巡査
鋳造工場の溶解炉=「キューポラ」の煙突が多く見られた埼玉県川口市[注釈 1]を舞台とした青春ドラマである。鋳物職人の娘である主人公・石黒ジュンの周囲で起こる貧困、家族の衝突、民族、友情、性などの問題が描かれる。1959年(昭和34年)から翌年にかけ1年間、雑誌『母と子』に『キューポラのある町』の題で連
1959年(昭和34年)
- 5月28日、柳韓国大使が在日朝鮮人の帰還事業を武力で阻止する旨申し入れ。
- 6月15日、韓国が帰還事業への対抗として対日通商断交を声明。
- 8月25日、民団員が「北送」に反対し日本赤十字社本社に乱入。
- 12月4日、新潟日赤センター爆破未遂事件で韓国人テロ工作員2名を逮捕(12月5日新聞各紙)。その後も韓国人テロ工作員の摘発が続く
- 12月14日、第1次帰国船が新潟港を出港。
- 12月16日、第1次帰国船が清津港に入港。
- 1960年(昭和35年)
- 4月19日、韓国で四月革命。李承晩大統領が退陣。
- 8月号の『母と子』に連載中の「キューポラのある街」に北朝鮮への帰還者を川口駅で見送る光景が掲載される。
- 1962年(昭和37年)
- 4月8日、日本映画『キューポラのある街』が封切られる。北朝鮮への帰還を祝福するシーンがある。
- 1965年(昭和40年)
- 4月29日、日本映画『未成年・続キューポラのある街』が封切られる。原作にない、日本人妻を説得し帰還させるというシナリオがつくられる