反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

地球の中心"コア"への旅 - YouTube 28分の要所を23枚の解説と感想付の静止画像に。【全記録】過去に発生した南海トラフ巨大地震を全て集めてみた(684年〜2020年) - YouTube⇒参考になるコメントを載せた。。

W。今回の記事の本編(地球の中心"コア"への旅 - YouTube)

⇒最近の地震関連記事の続編

地球深部の水の循環を担う鉱物の性質解明 | 東工大ニュース | 東京工業大学

W。動画は下図の解説のはずであるが、

図右端の最新研究の島弧火山の部分(プレートの沈み込み⇒H層による水の輸送)には一切触れられていない。

        ↓        ↓

プレートの沈み込み帯の短期的な流体移動の痕跡を
上盤マントルで発見
沈み込み帯における地震活動と流体との関係を示唆―2023 年 4 月 6 日 

https://www.kek.jp/wp-content/uploads/2023/04/pr20230406.pdf

引用

「過去に沈み込み帯の上盤を構成したマントルの岩石から、特徴的な反応帯(注 2)を伴う鉱物脈(注 3)のネットワークを発見しました。微量元素分析により、この鉱物脈は沈み込むプレートから供給された流体の痕跡であることを示しました。

 さらに熱力学的解析及び物質移動モデリングにより、

>その流体活動の継続時間が非常に短期間(数ヶ月~数年)であり、流速が大きい(秒速 0.1~1cm)ことを見出しました。

 本研究で明らかにされた流体活動は、

>現在の沈み込み帯で観測されている微小地震の継続時間震源の移動速度とも類似し、沈み込み帯における地震発生過程と流体活動との関連を示唆しています。」蛇紋岩

かんらん岩などが水と反応し、蛇紋岩化作用(もしくは蛇紋石化作用)を受けることで生成する。蛇紋石化作用は主に超塩基性岩類中のカンラン石で起こり、カンラン石と水から蛇紋石と磁鉄鉱が生成される反応で表される。蛇紋岩化作用の程度は岩体により様々で、作用の弱いものは原岩を構成する鉱物が多く残り、作用の強いものはそのほとんどが蛇紋石化している。かんらん岩はマントル上部を構成する岩石の一つであり[4]、そのほとんどが地下深くに存在。

低圧では斜長石かんらん岩、中圧ではスピネルかんらん岩、高圧では柘榴(ざくろ)

能登半島地震の要因⇒珠洲市地下の東京ドーム24杯分の流体の存在(群発地震⇒流体の移動⇒2023年5月地震⇒2024年1月1日能登半島活断層の一気の逆ズレ。下流体と地震の関連の研究は最近のもの。流体の半島北部への移動も観測されていたときに2023年5月地震が発生し、コレによってストレスは解放されたという予測もあり、半島沖の活断層地震に直結するという予測はなかった。地盤、水、圧力の関係の地震研究が進められているが、熱力学では観測の始めと観測の終わりの間の途中経過は法則的に明らかにできない。データによる経験則による大雑把な予測しかできない。


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プレートの下部マントル到達以前に

プレートに含有水分が上昇地下に貯まったマグマを刺激膨張させ火山噴火を起こす火山のマグマの揺らぎは地震と連動する

 能登半島地震の特異な要因とされる珠洲市地下8kmのTドーム24杯分の巨大な流の半島北部への移動(岩盤のスロースリップ、流体圧力による剥がれて浮き上がった状態)による23年24年の続発地震太平洋側の東日本大震災を含むプレートの沈み込みによるマントルHによる水の移送(解説を素人ながら解釈する限りは)とされている。

地球内部構造と地球深部への水の輸送

引用

H相マントルと核の境界付近の2900キロメートルまで水を運ぶ可能性を持っています。

水の存在は岩石の溶ける温度を下げるためマントル最下部でのマグマの発生を引き起こし

これによりマントル最下部に観測される超低速度層や、この付近に起源を持つマントル上昇流(プルーム)などの原因になる可能性があります。

また、地球中心核の主要物質である溶融鉄への溶け込みなど、地球深部の物質や運動(ダイナミクス)の解明において、重要な影響を及ぼすものと考えられます。

今回決定されたH相の弾性的性質は、このような地球深部の水の循環経路を調べるうえで非常に重要な情報となるでしょう。⇒W。過去の能登地震記事で珠洲市地下のTドーム23杯分の流体はどこから来たのか?という問いがあり、東日本大震災時からの水分含有Pの沈み込みの結果、という情報があったが、巨大流体は大震災以前からの太平洋Pのもぐりこみによってもたらされた、とすれば納得できる

東日本大震災による日本列島東の太平洋側への反発は、

②西日本列島のフィリピン海Pの沈み込み西進圧力との、

③ホッサマグナの西の端、丁度能登半島辺りでの捻じれ現象となって半島沖の活断層の巨大な逆ズレ、ストレス解放になった。

であれば①東日本大震災はは巨大なトリガー、②能登半島地震は東と西の捻じれの部分的ストレス解放にすぎず、③の南海トラフに貯まりに貯まったストレス一気解放に結果する、との予想も成り立つ。

>①と②の間の熊本地震

下図は中央構造線ができるまでの日本列島の内帯(北に位置)外帯(中国南部に位置)トイザナギPの状態を示す。従って熊本地震を引き起こした活断層は広い意味で中央構造線の残骸である。そもそも阿蘇山のような巨大火山がある地域は巨大地震警戒区域

錦江湾はどうやってできたのですか?桜島の前に広がる錦江湾は、実は火山の噴火でできた海なのです。 約29,000 年前、現在の錦江湾奥部で巨大噴火が起こり、大量のマグマが噴出して地下が空っぽになり、地表が崩れ落ちてへこんでしまいました。 
 
 
 
 

地球内部構造と地球深部への水の輸送

 

W。大陸P(一つが分割した大陸)と海底P(海嶺で新規生成P、地球内部に沈み込み、あるいは分裂~インド洋、インドネシア沖~~、横滑り~カリフォルニア沖~~)。

>海嶺で地底から浮上したPが日本列島周辺で地球の底に沈み込んでいる。

大陸P側の島嶼部日本列島は海底Pの激しい沈み込み(地質年代でいえば)に引っ張り込まれ(1億数千万年前のイザナギPは地球の底に沈下)、

>その逆作用で地殻沈下(日本海誕生)。

>一気反発(東日本大震災)による東北地方の太平洋側への東進と西日本の大陸側への引っ張り込みストレス。⇒列島の捻じれ(ホッサマグナは日本列島が大陸から分離するときの南海トラフ日本海溝の捻じれによって真っ二つに割れた痕跡。

  解説⇒「ここが地球内部への入り口です」

⇒W。入口があれば出口がある。地球内部のマントルは循環している。ソレが動画のテーマ。

「地球全体から見るとプレートは卵の殻のような薄さ。」⇒W大きさ比較だけの紛らわしい説明。

       硬い岩石でできたマントルの世界
 高温熱放射の現象でマントル以下は輝いて見える

>熱放射を取り除くことができれば(W.無理。人間は12kmしか掘れない)

@本来の色を見ることができる(火山噴火によってマントル内部の物質は回収されている。)

  かんらん石 ガーネット、ダイヤモンド、など。

 ゼノリス 数百年前に火山活動によって噴出した石(かんらん石、ガーネット、その他)

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 W参考資料~高温であるはずの地中深部のマントルが個体状態なのか、?この動画は肝心なところに答えていない・

マントルの主組成がゼノリス状態(固形カンラン石、ガーネット状態)でなく、高温高圧の液状であれば、地球の大きさと比較すると卵の殻ほどの厚さしかないプレートの規則的な運動はない。

****

 物質は温度と圧力に応じて何になりますか?
物質は,温度と圧力に応じて固体,液体,気体のいずれかの状態をとります。 状 態が変化しても,その物質であることに変わりはありません。 そして,このような物 質の三態の変化が起こるのは,粒子の不規則な動きである熱運動があるからであり, 粒子間の力があることから,粒子どうしが離れたり離れなかったりするのです。」

********

地球深部のマントルは高温、高圧状態で粒子の不規則な動きが抑えられ固体状態を維持する。

ダイヤモンド 800度C

マントルは深くなっても組成の物質は変わらないが押しつぶされることによって色が変わる。下図は超高圧実験結果。中心部の色の変化。


*************文系なものでコレ以上詳しく深堀しない****

 下部マントルマントルの大部分を占める広い場所。深さは2,000キロ以上。

深さ550キロ以上。ゼノリスのような物質が上がってこないので今まで実態不明

           ↓

 地震波を調べることによってレントゲンで診察するように下部マントルの状態が解るようになった。

 赤い部分ー温度が高い部分。青い部分ー温度が低い部分

W.いよいよ、グロテスクなハイライトシーン登場!大きさ数千キロメートル!

「最も変化の激しい場所はマントルの底にありました」

マントルの底から温度が高い塊と低い塊を見上げた絵図。下降する塊はプレートの沈み込み(太古のイザナギPもこうしてマントルの底に沈んでいった。上昇する塊はマントルの底で熱せられ上昇する塊=大海の海底海嶺から新生プレートとして誕生(前々図、フィリピン海Pが発生した場所にまだ熱い塊がある)~~伊豆半島フィリピン海Pにほって日本列島にぶつかった~~。

 マントル内の温度変化を表した図。左の板状の塊は<スラブ>と呼ぶ。

     マントルの底はスラブの墓場」

   「長いスパンで見るとマントルは滞留している」1年間に50センチ動く。

マントル対流を見る時間は1億年以上。

>W。学者の説明では下の疑問はサラリと流している。素人には難しすぎるからだろう。

物質は温度と圧力に応じて何になりますか?
物質は,温度と圧力に応じて固体,液体,気体のいずれかの状態をとります。 状 態が変化しても,その物質であることに変わりはありません。 そして,このような物 質の三態の変化が起こるのは,粒子の不規則な動きである熱運動があるからであり, 粒子間の力があることから,粒子どうしが離れたり離れなかったりするので

外核2000キロ以上ー溶けた鉄ー水のような非常に流動性のある状態。

マントルは比重の高い鉄の海に浮かんでいる。W.地球物理的自然は上手くできている!地球上のプレートの分割、沈み込み、マントル対流外核の鉄の海、地震火山活動地球の生命体の生成発展消滅はトータルで超巨大な無常の循環であった。

鉄の流れから電流が作り出され、磁場が生まれる。外核の流れ1時間に1メートルは熱をマントルに逃がすため。

内核は鉄の塊。緑と茶色は同じ物質圧力によっての色の違い=マントル、銀色外核=鉄の流動体、内核=鉄の塊。巨大なシンプル構造。

 内核の大きさ月の三分の二ほど。

>先ほどからの課題にココに至って答えている。

物質が液体から個体に固まる条件というのは、温度と圧力で決まる。

>地球は内部に行くほど温度が高くなるが、圧力の方が上回って地球の中心部から固まって内核ができた。

    内核は約10億年から20億年前にできた。

約40億年前に誕生した生命は徐々に進化し、まずは細菌古細菌に分かれ、その後真核生物が誕生し3つのドメインが形成されました。「細菌と古細菌に分かれ」る直前の細胞は、現在の全ての(細胞性)生物の共通祖先であることから、LUCA (Last Universal Common Ancestor)と呼ばれています。はっきりとした年代はわかっていませんが、おおよそ、35億年以上前の存在と考えられています。

W。ウィルスは生命体と非生命体の中間的存在で上記とは別系統。宿主に寄生してRNA遺伝子を継続。変異が常態であり進化しなかった。恐竜絶滅以降⇒新生代、以前中生代。ヒト新生の時代などと云うカルチャー教室的見解もあるがそれよりも「猿の惑星」が相応しい。原作ピエール・ブール - Wikipedia」

特異な経歴に注目。最後のシーン、禁断の海岸に埋もれた<自由の女神>発見はフランス人らしいオチとみる。映画化したフランクリン・J・シャフナー - Wikipedia1920年生まれ)監督は6歳まで日本で育った(宣教師の息子)。

地球の歴史

内核の表面。100メートルほどの鉄の樹が生い茂っている。W。個体が流体になろうとしている。磁場の影響も大きい

外核には硫黄、炭素、水素などの不純物⇒泡粒のように外核に立ち上って光を発している。実験の結果外核の不純物が要因

外核の滞留はマントルに熱を逃がすために起こっている。

マントル(緑と茶色ー物質は同じ、圧力がかかって色が変化)。外核内核は組成の違い、比重の違いで混じり合わないまま、内から外(地表)に熱を逃がしている(海嶺と火山)。海嶺で地表に現れた新生海洋プレート押し出され移動しは古い大陸プレートに沈み込んでいる。

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【全記録】過去に発生した南海トラフ巨大地震を全て集めてみた(684年〜2020年) - YouTube

    コメント欄 

これだけの記録が残っていることに驚きです。日本のご先祖様ありがとうございます。

資料を遺してくれた昔の人々に感謝しきれないよね、起きるのがわかるだけでも有難い。絶望せず諦観せず対策しとかないと!

南海トラフ辺りの大地震は、ほぼ先に東側半分が揺れてから西側が揺れるパターンが多いようですね。同時に起こる場合も何度かあったようですが…。これは本当に貴重な記録だと思います。
1000年以上前の地震記録が残ってるって凄いなこれらの地震に耐えてきた法隆寺すごい

周期として、だいたい100年に一回ぐらいは来てると思うと本当に来るんだなと実感しちゃう。

昭和東南海地震昭和南地震って結構ヤバい地震なのにあんまり触れられてないイメージあるよね 東南海の頃は戦争真っ只中だったのもあってその存在が秘匿されて被災地への支援すら全然なかったとかいうすごい地獄だったらしいし南海地震も戦後の混乱期へ追い討ちをかけるように地震発生という両者とも結構悲惨なやつなんだけど

過去に発生したこれら地震を書いた歴史書や古文書などを紹介するまとめ動画とか無いかな?個人的にすごく興味のあるテーマです。

こんなに昔のデータが残っているとは…凄いとしか言えないよな

地層じゃね

何度も立て直し復興させてきた先人達は本当に凄い。思いやりに欠け、ネットで他人を攻撃する事に喜びを覚え、自分の事しか考えない人が増えた今の日本人に果たして先人達のように復興が出来るのでしょうか…

記録残ってるのすごいな。具体的にどういう感じで記録に残ってるのかに興味ある。当時の偉い人の日記とかかな。

地震は過去の文献もそうですが、津波により打ち上げられたものが地層に残されるので、数mの地層を垂直に取り出してその時期を分析することで文献と比較出来ます。これによって地震の存在が明らかになります。

今から4年前、熊本地震がありましたが、友達と熊本って大きい地震とか起きる事ないよね〜熊本って本当に安全だよね!って話を学校帰りにしていました その話をした当日の夜にあの地震が起きました。内心、私がこんな話をしたからなのではないかと思っていましたが、大きな地震はいつ来るかどこで起きるかわからない。常に準備をしていつでも逃げれる状態にしておく事が大事、たわいもない1日がどれだけ大切か思い知らされました。  いやー、今思えば地震の話をしたその日の夜に地震は恐怖でした。

間違いなく来ますね!! 悲観しても仕方がないので楽しみに待ちましょう!

宝永地震で富士山が噴火したのか‥‥こう見ると‥‥確か‥‥富士山噴火も1707年(W.斜面に噴火口=宝永火口。火山灰、東に流れの農作被害甚大~神奈川~。)だったよな

じゃあ南海トラフ来たら富士山噴火するかもしれんって事?(>д<*)コワイ

南海トラフは来るのが遅くなるほど規模でかくなるから来るなら早く来て欲しい…

こんだけ巨大地震がえぐい頻度で来てるのに滅んでない日本最強🇯🇵

文字での記録は無いけど、約2000~2300年前と約4000年前に起きたらしい南海トラフ超巨大地震(津波)をいつか解説して欲しいです。

津波堆積物は70センチだった方そうですね 宝永地震津波堆積物が30センチなので  いかに巨大だったか分かりますね mは8.8〜9.3程度?

プレート地震である「南海トラフ地震」は、「必ず発生する」「前回との間隔が長いほど、規模も大きくなる」が特徴、、だよね

3:11安政東海地震1854年におきて3:50昭和東南海地震が1944年で1854+90で1944年になる計算だから今が2021年だから90年ぴったりに南海トラフ地震がくるとしたら1944+90で今から13年後の2034年が丁度90年後になるね。

日本はこれを乗り越えてきてるってことは今回も大丈夫ということ。 ただ昔と変わったことは高い建たしかに2000年以上天皇陛下万歳でいれてる国ってスゲェよな。物が増えたこと。 よし田舎に住もう

山が崩壊して川を堰き止め、それが決壊したりなんてこともありますからね。 by長野県民

南海トラフ地震のときダム湖ができて海なし県だけど海の地名がついてるんでしたっけ

私の記憶が正しければ、887年に南海トラフで巨大地震が発生し、海から100km以上離れている八ヶ岳山麓で大規模な地滑りが発生千曲川をほぼ1年間堰き止め、恐らく日本史上最大の天然ダムを形成しましたが、翌年888年に決壊し(W、前回の黄河上流青海省の中国BC4000年のポンペイ記事。地震でできた天然ダムの決壊⇒大洪水!住民は逃げる間もなかった。)記事かなりの被害が出て当時の朝廷にも報告される程の大災害だったようですね。 恐らく、地名については八ヶ岳のすぐそばにある小海町だと思います。 余談ですが、この小海町は「君の名は」や、「天気の子」を作った新海誠監督の出身地でもあります。


地震ってかなり事件だと思うけど、歴史の教科書にあんま載らないよね

大きな地震を全部載せてたら歴史が地震だらけになるからでは? まぁ、歴史の教科書って割とどうでもいい内容が多い気もするな。

歴史を学ぶことも大事だと思うけど、偉人が亡くなった事件とかより過去の災害の記録の方がずっと役に立つと思う

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鎌倉の大仏がなぜ外に有るのか? それは大仏様が納められていた大仏殿が、南海トラフ地震の大津波で吹っ飛んでしまったからです。 恐ろしいです。

W。鎌倉は日本の都市で一番好きな場所。周囲ぐるりと里山風の山系に囲まれ、前には由比ガ浜海岸が開け(ここで辺りが真っ暗な夜、友人と泳いだことがある。沖まで泳いで行って不気味な思いをした。)、海岸は江の島まで続く。勘違い!江の島は逗子方面。

江ノ電に乗らず、海岸沿いを腰越まで歩いたこともあった。寺の山門に登る階段は長い年月と人跡で風化し角が取れて丸まっている。こんなの京都には見られない。あの鎌倉の小世界は鎌倉武士たちの争闘があった、と思いをはせるには丁度良い。大仏殿は興味がなかったが行った。大仏の背後には寄進した近在の豪農や商人の名前が刻まれていた。奈良東大寺の大仏よりも人間の営みが背景に伺われ親近感がわく。

>大仏殿が大津波で崩壊したというのはピンとこない。鎌倉の大仏は海岸からかなり高いところにある。川倉の背後をぐるりと取り囲む低い山系を北鎌倉の紫陽花寺から尾根伝いに歩いたことがあった。そのとき鎌倉市街を眺望し由比ガ浜から次第に山系に高くなっている地形を確認している。ということで大仏が安置されていたという建物が大津波で流されたなんて想像できない。

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    鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか?
                    萬年 一剛(神奈川県温泉地学研究所

https://www.onken.odawara.kanagawa.jp/files/PDF/tayori/63/onkendayori63-02.pdf

鎌倉大日記くらいしか、検討に値する文献が無いのです。

「鎌倉大日記は、誰かの日記のような名前の文献ですが、基本的には年表の類で、治承四 (1180) 年から天文八 (1539)W三好長慶(みよしながよし)が上洛応仁の乱 (1467)年から文明9(1477)主に東国で起きた事件を記した書物です。

南北朝時代の頃から書き継がれてきたと考えられていますが、執筆の経緯や著者は不明、原本も残っていません。

明応の津波について取り扱っている書物はこのほかにいくつかありますが、ごく最近まで江戸時代の文献しか知られてきませんでした。

 現代語に訳すと、「明応四年八 月 十 五 日(1495 年 9 月 3 日 )

「大地震と洪水があった。鎌倉由比ヶ浜の海水が千度壇に至った。水の勢
いが大仏殿の堂舎屋を破った溺死人は二百名あまりを数えた」

 

      大仏殿は津波で流されたのか?

 歴史学者や、歴史地震に詳しい地震学者はほとんどいないのです。むしろかなり自信を持って大仏殿が津波に流されたというのを「俗説」として退けているのです。

なぜかというと、鎌倉大日記が津波発生日としている明応四年八月十五日(1495 年 9 月 3 日 )の前に、大仏殿はすでに無かったという文献があるからです。
その文献は万里集九が書いた「梅花無尽蔵」です。作者は室町時代の禅僧。

鎌倉大日記に比べる書かれた時期や著者がはっきりしていて歴史のプロは梅花無尽
蔵の方が鎌倉大日記より信頼性があるだろうと考えているのです。 

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>W.以下実に庶民的な光景が描かれている!

今のヒトよりも室町時代のヒトがアッケラカンとしている。風通しが良い。日本庶民が歴史の舞台に登場したのは室町時代まで。これが民衆史観にたつWの想い。戦国時代なんてほとんど興味が湧かない。

明治維新まで今は宮内庁管轄で絶対立ち入り禁止の古墳を庶民は遊山の場所としていた、という記録がある。禁断の古墳掘り起こせなくて何のための日本考古学なのか!(もっとも盗掘で何も出てこないよ!)なぜなら禁断の場所になったのは「いしん」洗脳の後だった。

それなのに他所の国にって王家の墓を暴いている。恥ずべき精神構造である。一種の山師根性だな。

 

「「長谷観音の古い道場を見て、数百歩行くと、二つの山の間にある銅で出来た大仏に逢う。高さは7〜8丈。腹の中は空洞であり、数百人は入れる。後ろに穴があって、わらじを脱 いで腹の中に入る。みんなが言うことには、この中に往々にして、ばく
ち打ちが昼日中からいて、サイコロをふっているというお堂は無くて、露座である

梅花無尽蔵の記述の注目点は、この時代、大仏は見る影も無くさびれていて、お堂も無いような状態であった、ということでしょう。⇒W。庶民にとって風通しの良い時代下剋上はわかる。

大仏殿が流されたと読むのは間違えですよ、というのが通説になっているのです。

じつは、当の鎌倉大日記も、応安二 (1369) 年の記述として「大仏殿転倒」、としているのです。。

なぜなら現在の大仏がある地点の標高は 14m ほどあるので、もしこの高さで津波が来たら鶴岡八幡宮の前も津波で浸水していなくてはいけないのです(図 2)。要するに鎌倉市街は大半が浸水してしまい、そうであれば「鎌倉大日記」の記述もそれなりのものになるはずです。

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 ごく最近になって伊東市教育委員会の金子浩之さんの研究によって、明応四年の地震は、明応七年の南海トラフ地震とは別に確かに存在し、しかも南関東に甚大な被害を与えたかもしれないということが明らかになりつつあります。

決定的なのは、「熊野年代記」という熊野三山の社家が記した記録で、

>これには明応七年の南海トラフ地震について詳しい記述があることに加え、

「明応四年八月十五日乙卯、鎌倉大地震」という記述があります。

ようするに、明応七年と別個に、明応四年に鎌倉で大地震があったことが明らかになったわけです。


>また、静岡県伊東市にある宇佐美遺跡では標高 7.8m のところに、津波堆積物がみつかりました。⇒W。現代の大地震周期研究は故文献と津波痕跡の地質研究(専門用語がある)の「両方をすり併せて確証を得ている。

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>宇佐美は伊豆半島の東岸なので津波を引き起こした地震南海トラフでは無く伊豆半島より東側の海域、つまり相模灘で発生した、と考えるのが妥当でしょう。

ちなみに、宇佐美での津波高は大正関東地震で4〜7m 程度とされていますから、標高 7.8m のところに津波堆積物というのは、大正関東に比べてかなり大きい津波と言うことになります。 

     相模トラフ系地震の系譜

W.。明応四(1495)年に発生地震⇒元禄地震⇒大正関東大震災~~相模トラフ震源地の地震200年周期である

前回の記事で首都直下型地震の信ぴょう性を疑う記事を載せた活断層はあるが関東平野の地形から首都直下型大地震短いスパンの発生確率は低いとみる。   以下省略

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>大地震情報が古文献に残されているのは統治者の文書(記録された場合は詳しい情報である)ではなく、

>神社系が自然神崇拝を根本にしているので大地が揺らぐ地震情報に敏感に反応するためと思われる。

>寺も地震による破壊を寄進によって修復する関係から記録に残す必要があった。

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          コメント続き

亡くなった祖父母は昭和東南海地震浜松市中心部で遭っているはずなんだけど、戦争中で余り記憶がないって言ってた。艦砲射撃と空襲の方が恐ろしかったらしい。対戦レベルだと人災>天災なのかな

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親が大阪市で二度の南海トラフ地震に遭いました・・が記憶に殆ど残っていません。十代の終わり頃ですから記憶は確かな筈なのに、 室戸台風の記憶は鮮明で後の地震については「確か東海地方や四国で大勢が亡くなったらしい」と言うだけです。 次の地震に備えて東海地方と四国の方は特にご注意を。

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その地震の時に和歌山に住んでた方がいて、当時胸まで津波に浸かったと聞きました。

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100年に一度ならあと30年位あるから居住地を海側から山側に移動させろと思う

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阪神・淡路大震災が起きた時、朝方のまだ寝ている人が多い時間帯に発生して瓦礫に埋もれた人が多かったというのを聞いたけど、も南海トラフみたいな化け物が2時3時くらいに発生したらと考えたらもう助かる確率3割きるよね

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経験者ですがまだ子供でしたがみんなパジャマ姿とかでした、、あと冬だったのでストーブつけてた家が多かったせいで火災も多かったとか、、

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南海トラフが来る前に早死にするか、長生きして南海トラフに遭遇するか、で考えると 長生きして南海トラフに遭遇する方が幸せだよな。当たり前だけど。 待ってろよ!南海トラフ!(震え声)

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地震の後にもそこに住み続けるメンタルが理解できない…。怖くてムリ。

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本当に機械のようにほぼ正確に決まったスパンで来てるんだね…こりゃ予測もしやすいわけだ… やっぱ地震大国だから慣れてしまっていることもあるけど、日本全体でまだ防災の意識が低いとは思う

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先に東側だけ揺れたら西側も後からきっちり揺れるんだなとよくわかりました

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逆にいうと本来住めない場所なのかもしれない、日本は地震が多すぎる。関東もいつくるんだ

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不謹慎ではあるがこういう歴史的に定期的に打撃を受けるとわかる地域に今も住んでいる人が居るのはなぜなんだろう

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サイクルが長くて忘れるから。 例えばAという県があってそこに10年〜20年に一度ぐらいの間隔で大地震津波きてたら流石にそこには人住んでないと思う

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東だけ揺れたら必ずすぐ西も来るんやな これはいい情報知ったわ

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今の日本にでさえ経済がボロボロなのに南海、東南海地震が起きたらヤバいな。
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記録に残る地震では、東海、東南海、南海地震は必ず同時か時間差で連動する。全て同時に起きたら東日本大震災を遥かに上回る大災害になる事は間違いない。3・11の津波では20分の猶予があったが多数の死者が出てしまった。南海地震では地震発生から数分で津波が襲う。まして夜間なら逃げる暇も無く死者は数十万単位で出る。オリンピックや万博などやってないで備える必要があるはずだが

菊池寛 短編小説「マスク」、引用~スペイン風邪が日本に上陸したころ(1920年パンデミック最終便)を題材にした小説。新型コロナパンデミックへの世界的政策変更に対するマフフェスト。最後の下りは菊池寛の一ひねりも二ひねりもした人間観。

 マスク   菊池寛

W反俗日記」記事を再掲載する(2021年ワクチンを約1か月間をおいて2回接種~

2022年初春ワクチン3回目接種(6波)

⇒2022年夏、4回目ワクチン接種(7波)

WHOがオミクロン新系統の監視強化…南アなどで確認、「BA・2」の感染力上回る : 読売新聞オンライン

                                                   

注目部分引用

BA・4は3月30日までに南アフリカ英国などで計52例見つかった。BA・53月25日までに南アで27例が確認された。日本国内では見つかっていない

西浦博・京都大教授(理論疫学)らは、国内の第6波で主流だったBA・1に比べ、BA・4の感染力は1・49倍BA・5は1・4倍と推定し、1・21倍のBA・2を上回るとした。西浦教授は「日本に入れば置き換わりが進むだろう」と指摘する。」⇒W,なぜBA4オミクロン株(英国で検出。感染力やや強い)ではなくてBA5oミクロン株が大流行したのは不思議。

南アでは入院者数や死者数は急増しておらず、病原性は不明。」

「新系統が持つ変異は、ワクチンや薬の有効性を下げる恐れがある」

オミクロン株、さらに別系統を国内初確認 「組み換え」生じた変異株 [新型コロナウイルス] [オミクロン株]:朝日新聞デジタル

 

@4回目に接種したワクチンは<デルタ株スパイク>を対象に開発されたメッセンジャーRNAワクチンであり、上記の系統図を参照するとデルタ株とオミクロン株は枝分かれし別系統のスパイク形態を持っているのでワクチン効果は薄れる。

上記のような系統図は事前に知っていて接種を躊躇していたが、感染の可能性のある作業を継続しなければならない事情があって、接種に踏み切った。

オミクロン株のスパイクに対応したmRNAワクチンでなければ、ウィルスを大量被ばくしたときにスルーして気道に付着し侵入する。

BA.5」に効くコロナ治療薬は 抗ウイルス薬は変異前とほぼ同等:朝日新聞デジタル

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リバタリアン的放置主義に漂着した新型コロナ、パンデミック対策。

コロナ感染「全数把握」見直し、各自治体の判断で…重症リスク患者らに限定も

W。新型コロナウィルスの変異も抗体に対抗する進化ではなく、<コピーミス>で偶々、現状のオミクロンBA5に至っている。

引用

「現代の生物学における進化論は、チャールズ・ダーウィンの主著『種の起源』から始まりました。その基本的な考えに、ダーウィンの時代にはなかった遺伝子に関する知見を加えた現代の進化論のことを「ネオ・ダーウィニズムといいます。」

しかしこれは間違い。

「「キリンの首は、高所の葉を食べるために進化して長くなった」というのは間違い」

ダーウィン以前にもさまざまな進化論が唱えられていましたが、それは根本的なところでダーウィンの考え方とは違いました。それは、生物の進化に「目的」があると考えるか、進化は単なる「結果」にすぎないと考えるかという点です。ダーウィンの進化論は、後者でした。つまりそれ以前は、進化には目的があると考えるのが主流だったのです。」

「その説にしたがえば、たとえばキリンの首が長くなったのは、「祖先が高いところにある葉を食べるために首を伸ばしたから」ということになるでしょう。」

「でも、そうやって進化を起こすには、親の獲得形質が子に遺伝しなければなりません。」

生物の進化には、目的も方向性もない

ダーウィンは生物の進化に「目的」はなく、それは偶然の「結果」にすぎないと考えました。たまたま突然変異によって親と違う形質の子が生まれ、その個体が淘汰されずに生き残ることによって、進化が起こると考えたのです。

現在では、その突然変異が遺伝子のミスコピーによって起こることがわかっています。「ミス」ですから、そこに目的などありません。いつ起こるかわからない偶然によって、親とは少し違う形質の子が生まれるのです。親の形質は周囲の環境にうまく適応している(だからこそ親は子孫を残すまで生き残れた)のですから、突然変異を起こして親と違う形質を持った子は、当然ながら生き残りにくいでしょう。」

W。RNAウィルス遺伝子の本質的な非定在性=変異性の常態化と毒性の微妙なバランスがコレだけパンデミックを引き起こしている。

デルタ株がオミクロン株にトコロテン式に変異するのであれば、対応するワクチンも生成し易い。コピーミスによって枝分かれが活発だからワクチン開発はモグラたたき状態になる。

>治療薬は風邪ウィルスの治療薬がなく、対症療法に過ぎない今までの状況を想えば、本質的にできないだろう。

@季節性流行のインフルエンザは治療薬のようなものがあるらしいが、新型コロナは無理だろう。

@新型コロナの1年を通した感染の波は、一見季節性があるように見受けられるがエアコン多様など都市型生活の感染環境の影響だと思う。

@オミクロン株GA5が弱毒化の傾向があっても、次の新型コロナRNAのコピーミスの継続が弱毒化とパンデミック波の鎮静化に繋がるという理論的保証がどこにあるのか。

@世界的なパンデミック対策のリバタリアン的変更によって新型コロナパンデミックは世界的な弱者抹殺の道具になってきている。為政者の責任放棄である。

資本制国民国家成立以降、

ノブレス・オブリージュ - Wikipedia

は実質的に破棄されてきた。

ウクライナロシア戦争を継続させること、グローバル資本制支配層の現在将来的権益を守るためには各国の足手まといの弱者はこの際、切り捨てなければならない、という支配層の獰猛な下心が表に浮上してきた。パンデミックによって国民消費が冷え込んでいるのに物価高が進行しているので、市場が投機的色彩を帯びてきた。物価高で富裕層が値上がり分を全部持っていき、労働層の貧困化が絶対的なレベルになっていく、なのにウクライナ、ロシア戦争は継続しなけらばならない。軍拡は進めなければならない。

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日本のコロナパンデミック現状分析。データに基づいた分析。

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W。参考資料

www.mri.co.jp

新型コロナの致死率は着実に低下W?している

致死率はいまだインフルエンザを上回り、変異株の発生などに引き続き注視が必要

効果的なサーベイランスなどのためには法制度やシステム整備が必要

感染症法の区分を二類から五類に変えるだけでは対応する医療機関は増加しない⇒W。大人なら解るレベル。

五類相当に変更すると行政が法的に要請できる範囲が限定され、今後、感染力が増大した場合などは対応が困難となる。このため、現状の二類相当での運用を続けるべきであると考える。

現時点でも一般の医療機関における診療は妨げられておらず、むしろ、一般の医療機関において新型コロナ患者を診療することで診療費(保険料)が加算されている状況にある。今まで新型コロナ対応ができていなかった医療機関は、何かの課題(人的リソース・スタッフ育成、設備、医薬品の不足等)があって対応できていなかったとすると、分類を五類相当にすることで対応医療機関が増えるわけでない。

⇒W。町のお医者さんでも見てもらえる。事情を知らないにもほどがある。診療できるところはすでにコロナ患者を診ている。自分に知っている限り発熱外来をやらない診療所、病院は内科ではない(耳鼻咽喉科眼科外科など)、病棟が施設化している延命療養特化病院(一応総合病院の体裁)などそれそれ事情がある。町に一杯診療所があるのは日本医療の特性。一か所に集中してこなかったのは、自民党長期政権のゆがみ。看護師の数はそれなりに対して、医者の数が少なすぎるから町の個人病院まで患者が寄り付き、経営が成り立つ。

 

多くの医療機関で対応できるようにするためには、類型を変えるのではなく感染症法の改変が必要である。

 

措置の緩和に伴い感染者や死亡者が一定数増えるのは自明であるが、それがどの程度まで許容されるかは、感染状況によっても大きく異なり、現時点では共通認識が得られていない。

W。「今まで新型コロナ対応ができていなかった医療機関は、何かの課題があって対応できていなかったとすると、分類を五類相当にすることで対応医療機関が増えるわけでない。」

 

上記に示したとおり、新型コロナ対策において執るべき措置は、感染状況や時間の経過とともに変化する。法的な位置づけを変更するのは、どの程度までの感染者・死亡者を許容することができるか、国民の共通認識を得られてからにするのが妥当ではないか。

W。反俗日記ではコロナパンデミックの当初にスウェーデンの施設入所老人殺しに等しい無防備コロナ対策を批判してきた。

この対策は当地の福祉国家の維持のため裏側(命の選別~一定年齢以上の高齢者は手術は後回し、若い移民優先、コネ効かず。その結果死亡する人もいる)であり、その意味で健康な時に高福祉(教育費、医療費無料)を受けてきた国民とのある程度の合意はできていたとみた。そもそも上記の施設入所老人は普通入所後、2年ぐらいで死亡する。在宅介護制度が充実しているということだ。施設入所で長生きするよりも在宅で長寿する方が総福祉費用も安上がりで済む。

日本のコロナ対策転換は、煎じ詰めると<自分だけ、今だけ、カネだけ>の風潮を国家主義イデオロギーの枠にまとめ上げていく、というこれからの日本の空気感を加速させる大きなステップになる。<国家主義イデオロギーと自分だけ今だけカネだけの風潮は表裏一体のかんけいにある>。

そういう閉塞的な社会に創造的なエネルギーが湧いてくるはずがない。

 

COCOAはスマートフォンBluetooth機能を利用して、陽性であることを登録した人とのスマホ同士が1メートル以内に15分以上近接した場合、「陽性者との接触の可能性」があるとの連絡が来る、というシステムである。⇒W。見守り介護のために安上がりなので使ってみたがブルーツゥースはほどんど機能しない。常時起動させている人が圧倒的に少ない。

WEB情報をもとにした感染対策をするためには、個人情報の集中管理が肝。中国のコロナ対策は日常生活での活用の延長線上で実行している。

 

www.gentosha.jp

 W。新型コロナパンデミックへの世界的政策変更に対するマフフェストとも読み込める。最後の下りは菊池寛の一ひねりも二ひねりもした人間観が出ている。

菊池寛 - Wikipedia

1888年明治21年)12月26日 - 1948年昭和23年)

 見かけ丈だけは肥つて居るので、他人からは非常に頑健に思はれながら、その癖内臓と云ふ内臓が人並以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知つて居た。
一寸した坂を上つても、息切れがした。階段を上つても息切れがした。新聞記者をして居たとき、諸官署などの大きい建物の階段を駈け上ると、目ざす人の部屋へ通されも、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなどもあつた。
肺の方も余り強くはなかつた。深呼吸をする積つもりで、息を吸ひかけても、ある程度迄吸ふと、直ぐ胸苦しくなつて来て、それ以上は何うしても吸へなかつた。
心臓と肺とが弱い上に、去年あたりから胃腸を害してしまつた。内臓では、強いものは一つもなかつたその癖身体丈だけは、肥つて居る。素人眼にはいつも頑健さうに見える。自分では内臓の弱いことを、万々承知して居ても、他人から、「丈夫さうだ〱。」と云はれると、さう云はれることから、一種ごまかしの自信を持つてしまふ。器量の悪い女でも、周囲の者から何か云はれると自分でも「満更ではないのか。」と思ひ出すやうに。本当には弱いのであるが「丈夫さうに見える。」と云ふ事から来る、間違つた健康上の自信でもあつた時の方がまだ頼もしかつた。
が、去年の暮、胃腸をヒドク壊して、医師に見て貰つたとき、その医者から、可なり烈しい幻滅を与へられてしまつた。
医者は、自分の脈を触つて居たが、「オヤ脈がありませんね。こんな筈はないんだが。」と、首を傾けながら、何かを聞き入るやうにした。医者が、さう云ふのも無理はなかつた。自分の脈は、何時からと云ふことなしに、微弱になつてしまつて居た。自分
でぢつと長い間抑へて居ても、あるかなきかの如く、ほのかに感ずるのに過ぎなかつた。
医者は、自分の手を抑へたまゝ一分間もぢつと黙つて居た後、「あゝ、ある事はありますがね。珍らしく弱いですね。
今まで、心臓に就て、医者に何か云はれたことはありませんか。」と、一寸真面目な表情をした。
「ありません。尤も、二三年来医者に診て貰つたこともありませんが。」と、自分は答へた。
医者は、黙つて聴診器を、胸部に当てがつた。丁度其処に隠されて居る自分の生命の秘密を、嗅ぎ出されるかのやうに思はれて気持が悪かつた。
医者は、幾度も〱聴診器を当て直した。そして、心臓の周囲を、外から余すところないやうに、探つて居た。
「動悸が高ぶつた時にでも見なければ、充分なことは分りませんが、何うも心臓の弁の併合が不完全なやうです。」
「それは病気ですか。」と、自分は訊いて見た。
「病気です。つまり心臓が欠けて居るのですから、もう継ぎ足すことも何うすることも出来ません。第一手術の出来ない所ですからね。」「命に拘はるでせうか。」自分は、オヅ〱訊いて見た

いや、さうして生きて居られるのですから、大事にさへ使へば、大丈夫です。それに、心臓が少し右の方へ大きくなつて居るやうです。あまり肥るといけませんよ。脂肪心になると、ころりと衝心しょうしんしてしまひますよ。」医者の云ふことは、一つとしてよいことはなかつた。
心臓の弱いことは兼て、覚悟はして居たけれども、これほど弱いとまでは思はなかった。
「用心しなければいけませんよ。火事の時なんか、馳け出したりなんかするといけません。此間も、元町に火事があつた時、水道橋で衝心を起して死んだ男がありましたよ。呼びに来たから、行つて診察しましたがね。非常に心臓が弱い癖に、家から十町ばかりも馳け続けたらしいのですよ。貴君なんかも、用心をしないと、何時コロリと行くかも知れませんよ。第一喧嘩なんかをして興奮しては駄目ですよ。熱病も禁物ですね。チフスや流行性感冒に罹つて、四十度位の熱が三四日も続けばもう助かりつこはありませんね。」
此医者は、少しも気安めやごまかしを云はない医者だつた。が、嘘でもいゝから、もつと気安めが云つて、欲しかつた。これほど、自分の心臓の危険が、露骨にべられると、自分は一種味気ない気持がした。
「何か予防法とか養生法とかはありませんかね。」と、自分が最後の逃げ路を求めると、「ありません。たゞ、脂肪類を喰はないことですね。肉類や脂つこい魚などは、なるべく避けるのですね。淡白な野菜を喰ふのですね。」
自分は「オヤ〱。」と思つた。喰ふことが、第一の楽しみと云つてもよい自分には、かうした養生法は、致命的なものだつた。かうした診察を受けて以来、生命の安全が刻々に脅かされて居るやうな気がした。

 殊に、丁度その頃から、流行性感冒が、猛烈な勢で流行はやりかけて来た医者の言葉に従へば、自分が流行性感冒に罹ることは、即ち死を意味して居た。その上、その頃新聞に頻々と載せられた感冒に就ての、医者の話の中などにも、心臓の強弱が、勝負の別れ目と云つたやうな、意味のことが、幾度も繰り返へされて居た。
自分は感冒に対して、脅え切つてしまつたと云つてもよかつた。自分は出来る丈だけ予防したいと思つた。最善の努力を払つて、罹らないやうに、しようと思つた。
他人から、臆病と嗤はれやうが、罹つて死んでは堪らないと思つた。
自分は、極力外出しないやうにした。妻も女中も、成るべく外出させないやうにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱うがひをした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。
そして、出る時と帰つた時に、叮嚀に含漱をした
それで、自分は万全を期した。が、来客のあるのは、仕方がなかつた。風邪がやつと癒つたばかりで、まだ咳をして居る人の、訪問を受けたときなどは、自分の心持が暗くつた。自分と話して居た友人が、話して居る間に、段々熱が高くなつたので、送り帰すと、の後から四十度の熱になつたと云ふ報知を受けたときには、二三日は気味が悪かつた。
毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依つて、自分は一喜一憂した。日毎に増して行つて、三千三百三十七人まで行くと、それを最高の記録として、僅かばかりではあつたが、段々減少し始めたときには、自分はホツとした

が、自重した。二月一杯は殆んど、外出しなかつた。友人はもとより、妻までが、自分の臆病を笑つた。自分も少し神経衰弱の恐病症ヒポコンデリアに罹つて居ると思つた。が、感冒に対する自分の恐怖は、何うにもまぎらすことの出来ない実感だつた。

 三月に、は入いつてから、寒さが一日々々と、引いて行くに従つて、感冒の脅威も段々衰へて行つたもうマスクを掛けて居る人は殆どなかつた。

が、自分はまだマスクを除のけなかつた
病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云ふことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云ふ方が、文明人としての勇気だよ誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思ふよ。」自分は、こんなことを云つて友達に弁解した。又心の中でも、幾分かはさう信じて居た。
 三月の終頃まで、自分はマスクを捨てなかつた。

もう、流行性感は、都会の地を離れて、山間僻地へ行つたと云ふやうな記事が、時々新聞に出た。

が、自分はまだマスクを捨てなかつた

もう殆ど誰も付けて居る人はなかつた。

が、偶に停留場で待ち合はして居る乗客の中に、一人位黒い布片ぬのきれで、鼻口を掩うて居る人を見出した。自分は、非常に頼もしい気がしたある種の同志であり、知己であるやうな気がした。自分はさう云ふ人を見付け出すごとに、自分一人マスクを付けて居ると云ふ、一種のてれくさゝから救はれた。自分が、真の意味の衛生家であり、生命を極度に愛惜する点に於て一個の文明人であると云つたやうな、誇をさへ感じた。
四月となり、五月となつた。

遉さすがの自分も、もうマスクを付けなかつた。

 ところが、四月から五月に移る頃であつた。また、流行性感冒が、ぶり返したと云ふ記事が二三の新聞に現はれた。

自分は、イヤになつた。四月も五月もになつて、まだ充分に感冒の脅威から、脱け切れないと云ふことが、堪らなく不愉快だつた
が、遉さすがの自分も、もうマスクを付ける気はしなかつた。日中は、初夏の太陽が、一杯にポカ〱と照して居る。どんな口実があるにしろ、マスクを付けられる義理ではなかつた。新聞の記事が、心にかゝりながら、時候の力が、自分を勇気付けて呉れて居た。
 

 丁度五月の半であつた。

市俄古シカゴの野球団が来て、早稲田で仕合が、連日のやうに行はれた。帝大と仕合がある日だつた。自分も久し振りに、野球が見たい気になつた。学生時代には、好球家の一人であつた自分も、此一二年殆んど見て居なかつたのである

その日は快晴と云つてもよいほど、よく晴れて居た。青葉に掩はれて居る目白台の高台が、見る目に爽やかだつた。自分は、終点で電車を捨てると、裏道を運動場の方へ行つた。此の辺の地理は可なりよく判つて居た。

 自分が、丁度運動場の周囲の柵に沿うて、入場口の方へ急いで居たときだつた。ふと、自分を追ひ越した二十三四ばかりの青年があつた。自分は、ふとその男の横顔を見た。見るとその男は思ひがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのだつた。自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動ショックを受けずには居られなかつた。
それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた。その男が、何となく小憎らしかつた。その黒く突き出て居る黒いマスクから、いやな、、、妖怪的な醜くさをさへ感じた。此の男が、不快だつた第一の原因は、こんなよい天気の日に、此の男に依つて、感冒の脅威を想起させられた事に違ちがひなかつた。それと同時に、自分が、マスクを付けて居るときは、偶にマスクを付けて居る人に、逢ふことが嬉しかつたのに、自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見えると云ふ自己本位的な心持も交じつて居た

が、さうした心持よりも、更にこんなことを感じた。自分がある男を不快に思つたのは、強者に対する弱者の反感ではなかつたかあんなに、マスクを付けるこに、熱心だつた自分迄が、時候の手前、それを付けることが、何うにも気恥しくなつて居る時に、勇敢に俄然とマスクを付けて、数千の人々の集まつて居る所へ、押し出して行く態度は、可なり徹底した強者の態度ではあるまいか兎に角自分が世間や時候の手前、やり兼ねて居ることを、此の青年は勇敢にやつて居るのだと思つた。此の男を不快に感じたのは、此の男のさうした勇気に、圧迫された心持ではないかと自分は思つた。
             

                     『菊池寛全集第二巻』高松市発行より

おうちでまなぶ菊池寛|高松市

2022年7月5日(月)。自治会の周辺清掃を始める。苗字のルーツを探る。

 見守りケアの人は2022年4月21日(木)グループホームに旅立った。グループホームは同じ町内にある。彼女と夫が自営の製造業を営んでいた住居兼作業所から大きな道路を隔て直線距離で200mも離れていない。その前に子育てした官舎も至近距離。その地域から同じ町内の集合住宅に引っ越して20年余りして、グループホームに入った。

 早朝、その方面に向けて散歩していた時にフト、彼女の人生の足跡は1キロ平方キロの65年に留まっている事実に気づき、唖然とした。

コレは近代以前の庶民の生活圏である。地域に生活できる環境があれば庶民は狭い共同体(ムラ)を生活拠点としての近隣に地縁血縁関係ができる程度だった。

 

 かくいう自分の出身も地縁血縁関係は狭い地域に限られていた。

中世の先祖は承久の乱 - Wikipedia

に出陣し首魁と兵は壊滅し、守備する残党は拠点の城を抵抗することなく勝利した側の任命した新守護に明け渡し、逃亡中の山中で追い詰められ一族の後継者の切腹と残党の武装解除を引き換えに農民として生きながらえる道を選んだ。

 先般、滋賀県の氏名発祥の神社を訪ねた。

新入生である研究会に入った時、かなり上の学年の女性から、**会があるから参加してください、などと当然のように案内状を渡されたことがあった。その女性は京都か滋賀の出身だった。

「何をばかなことを今さらやっているのか」と相手にしなかった。

今から思うとその女性が当たり前のように**会に誘ったのは、自分の出身であれば系図から帰農した一族の末裔であるとはっきりと知っていたのだろう。こういうことを続ける人たちにとって大事なことは系図である。自分たちがどの流れ所属するのか、と特定することと、継承されている固有の家紋である。

           ↓

 戦場の現場に臨む中世武士にとって家紋は一族への報償を確定してもらう目印(旗)である(当然、戦場では武勲を認定するものがいた。報償の決定権は大将にあったが、疑義を訴え再評価を望むこともできた。)

ja.wikipedia.org

  引用。

ストーリーは、前巻は季長が8名の郎党を率い(雑用係数名、他は近親者家来でかためた騎馬武者)文永の役に出陣して戦い、その後、一番駆けの武功に対する恩賞が出ないことを不服として鎌倉へ赴き安達泰盛と直談判を行って恩賞地と馬を与えられる様子が描かれ、後巻では、海東郷の地頭として出世を果たした季長弘安の役に出陣して戦う様子が描かれており、~」⇒昔の高校の日本史の教科に載せられていた有名な絵。単純に蒙古襲来と鎌倉幕府の戦いを説明するためだけに載せられていた。教科書の日本史、世界史はうさん臭い。

宮本常一は、この絵巻について次の点を指摘する

  • 日本軍は陣鐘も陣太鼓も用いていない。それに対して蒙古軍はすでに集団戦法が発達していること。⇒W。中世武士の主力は長弓を最大の武器とする騎馬武者。W。戦闘現場の最前線は歩兵(足軽、雑兵)を主力とする集団戦に代わっていった。その場合、一族郎党の象徴である<家紋>の旗を目印に武勲を個別に評定し報償を与えることは薄れていった。「人は石垣、ヒトは城」(石垣に武勲はない!)⇒そして今に至る。最前線、末端の兵士のアイデンティティーは政治共同幻想の中にしかない。
  • ここからいつものように脱線する。
  • 戦闘現場の武勲が個別に報われた中世の方がある意味、兵士にとって死に甲斐があった(極悪非道残虐なことができた)。戦争は駄目だ!まして隣同士が戦うのは絶対にダメ。人間の知性を放棄した、動物レベル!にその時点で陥っていると思った方が良い!しかし、真面目な人が狭い動物的狭路に陥ってその道をまっすぐ進む。そこに、もともと暴力や残虐選好の群れが加わり戦時分野が拡大する。
  • かつてのベトナム戦争のときも戦争には反対したが、南ベトナム解放戦線が正しいとは一度も思ったことはなかった。しかし、ベトナムに平和を!でもなかった。戦争をする自国の政権を倒さなければ戦争準備や戦争は止まらない。今のベトナムの惨状(開発独裁国家資本主義)をみれば間違いではなかったと思う。当時の南北ベトナムがあそこまで血をがながさなければならなかったのか、今にして疑問が脳裏をかすめる。武力敵対する者同士が相手のことを偏って認識しないで、総合的に深く知れば、命がけで戦うような次元には至らない。
  • 近親憎悪に達したウクライナのゼレンスキーはプーチンとともに処罰されるべきだ、あえていう
  • プーチン政権と同じくゼレンスキー政権も倒さなければ戦争は長く続く。
  • ポピュリスト(プーチン、ゼレンスキー)を選択するとこういう事態になる、という教訓が今、目の前で展開されている。東アジアを長期経済スパンで見ると日本列島はユーラシア大陸側に沈み込んでいる。コレはウクライナを含むソ連圏のヨーロッパ地殻への沈み込みと同じ経済政治軍事現象である日本がポピュリストに引きづられると庶民の苦しみがふかくなり、ロシアウクライナ事態に近づく。
  • 欧米その他はウクライナを援助するが、この戦争の停戦させるような動きはしない。
  • いつまでも戦場のままにしておく。
  • なぜなら、この戦争はヒトとモノの(労働力、資源原材料、安価な製品)供給地域である新興国群の台頭に対してウクライナを盾にロシアを弱体化させることで、それらを一挙に自らの従属下(金融、軍事支配下に置くことがかかかった戦争であるからだ。この思惑は帝国の戦争の時代には民主的な言辞に置き換わる。20世紀の世界戦争と同じだ。
  • ユーゴスラビア内戦のように直接手を出せないのはロシアが核、資源大国だからだ。
  • ロシアウクライナ戦争が続いている間に、東アジアの日本列島とユーラシア大陸との経済地殻沈み込み現象のストレスが今以上に過大にたまっていくと、世界情勢は苛烈なものになる。
  • 物価はもっと上がり庶民生活は苦しくなる、経済は停滞する、資源原材料の調達は困難度を増す。
  • ******
  • 日本軍と蒙古軍の弓の違い。⇒W。長弓は下馬して射的。蒙古軍は騎乗から射的できた。この図は中国経由の渡海輸送の都合上、馬が足りなかったものと思われる。
  • 蒙古軍は多く投げ槍を使っているが、日本軍はほとんど用いず、長刀を使うのは雑兵に限られる。⇒W。武士の発祥は軍事貴族(といっても貴族からの落ちこぼれ残虐非道を職とするもの)
  • 蒙古軍はこの時、鉄砲を使っている。
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一次的な歴史資料は700年以上の歴史の激動によってほぼ散逸し現存しないか、あるとしても筆写したものだろう。本家といわれる家の蔵は軍事基地と間違えられて所蔵されていた文物は焼夷弾で焼き尽くされた、ときいた。もっとも手に入れた栄誉を具現化するために偽物をかき集めた可能性が大きい。弾圧が続く中、敗残兵は山の中で食って行くのに精いっぱいだったが、帰農とは実態の定かでない表現で、実際のところ、様々な手段を駆使して自ら生き延びてきたのだろう。武士とは残虐非道を職業とする人たちであった。

長い歴史の中で分家したり様々な事情で姓が変わることがあるがこの地方の苗字のルーツは山にこもった残兵が追い詰められ命乞いをし農民になって生き延びた末裔以外にない。そして山から下りた一派が都市に出て何かの商売で一山当てて、縄張りの緩い土壌の悪い地域に土地を買って箔をつけるために家紋を掲げるようになった。生まれた地域の神社仏閣の類は全部廃れていた(歴史的に新開拓地であった)、僧侶は街の真ん中の寺からやってきた(旧城下町の寺の檀家であり近隣の寺の檀家ではなかった。)という事実からもこの想像は間違いでないと解る。

もう今となっては、中世以降の郷土史を調べようにも信頼できる歴史資料は散逸してしまっているのだろう。

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>むかし、代表的な自分の苗字のルーツを探る本を出した人がいた。アメリカでルーツ探しの流行した後だったと思う。本屋の店頭に本が並んだとか(結構部数を伸ばした)、マスコミの取材をうけた、とか偶に耳にし、それとは似つかわしくない本人の破天荒な佇まい(入れ墨、映画俳優的美男、格好をつけてきっぷがよすぎる、ヒトを食った口達者、唯我独尊)を目の前にすると理解しがたい違和感があった。あまりにも個性が強烈過ぎて何を話してよいやら間が持たない、二人っきりになると一緒にいたくないな、とうずうずした経験がある。

@しかし、今に至って彼の心境がわかった。破天荒な果てに無所属過ぎて居場所が分からなくなっていたのだ。

>そういえば、見守り介護のヒトの佇まいから疑問に思って出身地の歴史を調べたことがあった。

背後に低山を控え平坦地は狭くリアス式の湾状が続く地形地なので先住民は漁師(兼海賊?熊野水軍)で後から来た人たちは農業しかできなかった。この地方は平家有力武士で唯一生き残った大将の逃亡先であった。

「平家の落人違うの?」と聞いたことがあった。「神社では平家祭りをしていた」と。よく聞きくと途絶えていた平家祭りを復活させたらしい。

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@今日の朝は雨の中、工夫を凝らして道路に散った落ち葉をかき集めた。合羽を着ていても汗でずぶぬれになった。労働時間も何倍も超過した。

>6月から週に2回はグループホームに差し入れをした。大きなスーパーに行くとあれもこれも、になって大量の差し入れ品を買ってしまう。帰宅して点検するとびっくりし持っていくのが気が引けるほどだが、本意はホーム内で友達ができたと伝え聞くので、余ったものを周りの人にあげたら、近所づきあいですぐモノをあげて気が済む本人を満足させてあげればよい、と思ってのことだった。

>入所者の中で外との連絡が途絶えた人はホーム内で肩身の狭い思いをする。

@この前差し入れに行ったときに偶々、責任者らしき人が出てきたので、本人の中の様子を尋ねることができた。

@想像していた通り面会はしない方が良い、という回答だった。

@これからは大量差し入れは止めることに決めた。それよりも差し入れを続けることだ。自分よりも長く生きていてほしい。

>少し話した感触では結局、在宅の頃大勢のヘルパーさんが入ってくるようになって、自分のような第三者がいることを面倒くさがっていたころと同じ状況にある、と感じた。

>前例主義、通常運転の継続のタコつぼ状態で異例は色眼鏡で見て排除傾向に走る。

>社会や経済が硬直化するとこういう状況が蔓延し、特例を包摂したときのフレキシブルなプラスパワーが抜け落ちていく。日本の社会組織は横の連携が薄くた骨壺状態の中でみんな一所懸命真面目几帳面にやっている。そういうタコつぼのどこかに入らなくてやっていけない。

自治会で雇っているシルバー人材センターのおじさんたちは早朝6時半に出勤する。

以前、自治会がゴミ出しにうるさすぎるので、朝早く出てきてごみ置き場のそばに張り付いているから、細かいことが気になる、他にやることがいっぱいあるのでそういう無駄な労力は省くべきだと思い、おじさんたちは何時に出勤しているのか、と聞いたことがある。6時半と判明したので、そんなに早出する必要があるのか、と聞いたことがあるが明確な回答は得られなかった。

おじさんたちがたいして必要もないのに早出出勤するから仕事の発注者兼監督も7時ごろ出てこざる得ない。おじさんたちは最低賃金で働いているが発注者兼監督はほぼボランティアの状態真面目過ぎる両者がサービス労働してもその恩恵は大したことがない。むしろお互い賃金成りに合理的に働いて、余裕を持った方が周囲も本人たちも和む。現場の日本人はこういう方向に暴走するから労働の生産性が上がらない、消費が増えないという合成の誤謬が起こる。

@昔、日本が元気だったころの社会組織にはフレキシブルな連携によるパワーが発揮された。しかし今や無党派の力は所属なしということで行き場がなくなった。行き場がなくなっただけでは済まずに集団立ち枯れしていった。

@しかしよくよく考えてみるとこんな閉塞社会のシャバにいて、実質何もやることが見当たらないまま、何とか働かなくてはならないのなら、グループホームで自分の世界にいてギリギリの身の回りの世話をしてもらえる彼女の拘束された境遇とどこがどう違うのだろうか同じじゃないのかと思えてくる。

>竹ぼうきと塵取りをもって雨に濡れた雨合羽の中の衣類を汗でびしょぬれにして、街路樹の落ち葉を集め、あるいはこれからの炎天下、寒風に晒されっぱなしの朝、自分の人性は原始労働に行きついた。

@帝国下の社会組織はタコつぼ状況だが、連携しているのは帝国支配層だ。

>こういう時にどうしたらいいか、と具体的に考えた。

@だれかどこかを探しても何もない。個人に帰るしかない。

>日常を自分から変えていくしかない。

>ということで掃除にでなければ、差し入れが続かないことに気づいた。

@ここまで記事を書いていると解ってくることがある。

@自分もたこつぼ入りしたということだ。

もっとも。おじさんたちの早朝出勤は止めてもらうようにまた提案する。そもそも規則一点張りでいざというときに役立たない共同体は駄目共同体だ。

@長文記事を書くのもやめる。生活リズムが狂う。この2か月あまりで進んでやることは何もないと解った。やりたいことは全部やってしまった。3回目4回目はもういい。

@滋賀への電車往復時間と経費で得たものは既視感だけだった。行きたいところにはすべて勝手気ままに行った。日本と世界のこれからの動きは予想した。誰が何と言おうが日本列島の政治経済地殻はユーラシア地殻に沈み込んでストレスが溜まっている。大きな違いは中国の経済規模と日本の金融資産は大きく庶民に負担を負わせる余地があることだ。そのストレスが断続的に解放されるのか一気的に解放されるのかは、今後のリアルな推移による。米国をハブとする東アジアの個別安全保障体制が帝国の軍事同盟なのかどうかは、支配層だけの問題である。もうここでじっとしていることに決めた。

見守り介護は無くなり、自分は阿Qよりちょっとだけマシな人間に過ぎない、今頃気づいた。 そしてこれから、阿Qでもよかったと気付く機会が多くなる。 であれば、どうすればよいのか?

wacwac
 
@wacwac05690282

4,13(金)記事の内容を詳しく編集。見守りケアのひとをグループホームに送った日(4月21日木)から20日経った。しかし、有りのままの世界の中では、意味づけはイラナイ。

 記事をこの際、詳しく編集し、エポックメーキングにしたい。

********

見守りケアのひとをグループホームに送った日(4月21日木)から20日経ったグループホーム入所が決まって送り出すまでの日々は、いろいろありすぎて必死だったので、偶に心の奥底にある感情が表に出てきても、送り出す体制を整えたり維持するのに汲々としていた。

彼女の持っていた位牌、遺影、死に装束は自分が預かった。

彼女の部屋に荷物は整理屋が運び出す前日に、これまで付き合いのあった同じ階の3人に<お別れの品>として欲しいものを持って行ってもらった。以前から、この集合住宅でガレージセールのような機会があれば良いのに、と思っていたので実行した。

5年も見守りケアをやっていると彼女の部屋のほとんどの用品は貯金のないころに自分が出費したもの(ネット買い)、貯金ができてからは自分の一時立て替えで買ったものばかりだ。

 見守りケアが生活習慣になっていたので、いなくなって気が抜けたようになり、フトしたきっかけで脳裏にその姿や声のトーンが度々浮かんできた。

あんな穏やかで明るく素直な認知症の人がいたのだ、と思うと己の不甲斐なさに身の置き所がなくなる。

こちらが丁寧に接してあげると、必ず答えてくれた。一方的に気が荒ぶることなんて一切なかった。根が気のいいひと、朗で上品な美人、魅力的な人だった。横顔を見ると、フト見惚れてしまうときがあった。実年齢よりもずっと若く見えた。しかし、この資質が彼女の人生に波乱を呼んだ。

 

 これではいけない、と思って5月1日(偶々メーデーの日だった大塩平八郎の墓のある寺に行ってみた。 今までここに来るたびにみっともないな、と思っていても涙が次から次に湧いてきた。

しかし今回だけは違った。感情的になることは一切なく 寺門正面の写真を撮って、所有墓地を調べて帰宅した。墓地内の大塩家の墓は見落としたが。

 

  帰宅後、次のように考えることにした。

当初の予定通りここを選んで見守りケアの対象を見つけた。そして5年の歳月が経った。その間に 持病を悪化させ手術をした。目も悪くなった。見守りケアの都合上、諸々の関係者への配慮は見守りケアの30%は越えただろう。ありのままの自分にブレーキをかけてきた。金銭的な損失もある。

それで何かを達成した、と思い込みたかった。

 

>しかし、守ってあげられなかった、という思いが募る。

もっと見守りケアの人との距離を詰めていたら、もっと丁寧にやっていれば、と

>いつしか便利屋、代行屋に徹する、という一番、楽な道を選んでいた。

こころのケアはできていない、大きなマイナスがある、と事あるごとに周りの人にいっていた。

彼女は私のことを「二重人格」「情がない」と何度も言っていた。

 

  見守りケアの半ばごろに、がんで長期入院中の夫に取り残され独居になっていた近所の認知症の妻の焼死事件が発生した

その一家の離れたところにいる長男は脳梗塞で仕事のできない体になった。このうちは介護保険を使っていなかった。妻がヘルパー訪問を嫌がるときいた。

それにしても自分にやれることはあったが、夫は近所の女性たちに独居の妻の面倒を託していったので出る幕はなかった。合鍵が手元になく外からの訪問者が中に入れず部屋の様子がわからなかったが、ずっと前に政治新聞の配達人の集金の際に高所の廊下の手すりの上に立ち鍵をしていない窓から自分が中に入ってドアを開き用を足したことがあった。私の最終「学歴」はとび職である。

女性たちに頼まれそうな機会があったが、目で制するようにしていたので、いつでも窓から入るつもりあったが集合住宅全体の金集めや見守りケアに集中したいので任せていた。自分の気持ちとしては地域の超古株の人たちなのであらゆる手を使って、独居妻の介護ににもっていくことはできるだろうと思っていた。結局、介護系の訪問員が来ても中に入ることができなかったことが大事件につながった。深夜に煙がもうもうと立ち込め、一番最初に駆け付けた自分が中に入ろうにも鍵がないので入れなかった。もっともドアを開けても火の手が回りすぎてんかにははいれなかっただろう。

 

 その頃は自分も含めて認知症の介護の難しさの本当のところを知らず、危機感がなかったことも影響している。

持病の手術明け、2週間程度で焼死事件の惨事に遭遇した。集合住宅の金集めは退院後すぐはじめ、引継ぎまで全うし、見守りケアは続いた。

 たった3年間で夫は各種の持病が悪化し最後はがんが転移した。消防活動によって集合住宅の近所は水浸しの被害を受けた。

認知症介護のむつかしさ、一つ間違えば行きつくところに行きついてしまうことを目の当たりにしたことが見守りケアの転機になった

そのころ影響を受けた本は太宰治姨捨

安岡章太郎「海辺の光景」だった。

認知症介護の本ではなく、小説だった。

 

近所付き合い、古株世話役の限界も知った。

ちなみに自治会とか町内会。

後段の毒入りカレー事件の記述にも関連するが

あれは、地域の助け合い、というよりも住民の行動を縛り付け、自由な時間を浪費させ、日本の統治機構最末端としての機能優先、年間結構な金額を赤十字に上納する機構というほかない。

いざというときに地域の助けなどあてにならない、と割り切った方が良い。やりましたという形はつけるが中身はない。

日本の地域共同体は日本的封建時代の年貢村請負という、きめ細かい地域共同体自己責任、特殊制度(朝鮮半島、中国の同時代と比較すると年貢村請負の実態が鮮明になる~東アジアは地域共同体の塊がもっと緩い、移動性も大きい、サムライがリストラされず数が多すぎるから~~薩長土肥~~、年貢を厳しく取り立てたり、半百姓サムライの必要があった~!同調圧力の元を辿るとここに行きつく)に根源を置いてきた。

 

 近代になると、その地域共同体は政府統治機構の末端に位置付けられ機能し敗戦以降もその本質は変わっていない~~グローバル資本制以前の会社組織にも地域共同体の組織形態の影響があった~~

最も合理的に機能する側面は行政の上からの指示に従うときで、今やまとまって上に何かを要求する側面はしりすぼみになり住民同士の横の関係は形がい化し客観的には相互監視、末端秩序維持機関と化している。

見守りケアを終わっての結論がこれでは心貧しくなるが事実だから仕方がない。

これまで見てきたところ、ほとんどの案件は家族内で処理されてきた。

だから今様、核家族化の弊害をまともに受けて悲惨残酷な事案が連発されるのを目の当たりにしてきた。

子供たちがいても、親の面倒を見ることから遠ざかっている、場合が多く、独居、または老夫婦が放置され、悲しい結末を迎えるケースが多くなっている。

結局、欧米型の個人主義が徹底された親子関係(親と子供が個人~個性~として向き合う)と戸籍制度に象徴される日本的な家制度の残存のどっちつかずになり問題が大きくなっているのだと思う。

>この方面の日本独特の法制度は日本支配層の住民支配の根幹にかかわるので改革できない。

自分のように家族を超えた助け合いを自然にするものは極少数派。もっとも自分も活動の都合上、そういう術が身についたまでだ。しかしその経験がなければ助け合いはできない。思っていることと行動することの間には大きな溝がある。所詮、井戸端会議の話題、噂話、におわる。

 

自分はここぞというときは徹底して行動する。このスタイルでなければ効果がなかった経験を未だにひきづってきた。

 

 女性たちは対象に近づくが徹底しなけれならないケースに遭遇すると立ち止まり遠巻きにしている。突出して動けば恥をかくこともある。コレも嫌がっているのじゃないかな。自分もなぜこんなに生き恥さらさなければならないのだと、よく思ったが、目先のことが大切なので突き切ってきた。いったん前に出ると引き返せないのだ。

近所の世話好きは使える手段はありそうなものなのに、自分の都合のいいように現実を解釈できる、特技があるようだ。

 

 見守りケアの人がいなくなってあたりが急に静かになった見守りケアの人の直ぐ近くで大声でいつもふたりで大声で井戸端会議みたいなことをしていたのにいなくなってぴたりとやんだ。

一体あれは何だったのだろうか?

見守りケアの人は嫌がっていた。出入りする自分も嫌だった。

見守りケアの人は日中ドアを開けっぱなしにする癖~自宅で屋内作業をする自営業を営んでいた風習が残っていた~があったので、話声は余計に堪えた。可哀そうに思って閉めたほうが良いよ、というと相手が気付くのでなどとって自分からはドアを閉めることはなかった。出入りする自分も立ち話している人たちに気兼ねしいない時を見計らって訪問したり、介護宅から外に出ることも度々だった。

こういう状態だったので以下に書くことに無理はないと自分では思っている。

 

他人が他人に煎れ込む状態に

近所付き合いのバランスが崩れた逸脱観から生まれた、寂しく生活している老人のある種、本能的な嫉妬が動機なのでは?

言い換えると、自分と見守りケアの人の交流や毎日、朝晩のヘルパーさんたちの煩雑な出入りは<ケ>であるべき通常のの近所づきあいからの逸脱である<ケガレ>であったのか?

その<ケガレ>を打ち消すためには見守りケアの人のドアの直ぐ近くで大声でおしゃべりをする、エモーショナルな行為があったとしか思われない。

だからいなくなれば、その用が足りたのでぴたりとやんだ。

 

とにかく、見守りケアの人を含めて噂や<人目>をきにする。

ただし、この人は自分の立場(地域の活動をやってきた)を守ることを異常に気にする!名誉欲が人よりも強いのだろう。自治会町内会の役員の常連にはこのタイプが多い!

したがって、役員が偉そうにしているとか、プライバシーを監視されているような気がする、近所付き合いが面倒だ、とかの理由で若い人は入ってこない

わたしも来る前に散々この手のうわさをネット記事で読んだ。

結局、中途半端極まりないボランティア、啓蒙啓発活動参加で長年やらせているから、こういう耳年増、現実適応できない過剰な自信のある人物が育つ。実践活動で役立つ訓練を受ける機会がない。自治会活動も各々のマニュアル通りにやっているだけだ。

ネット情報などと離れたところにいる人ばかりだから仕方がない。いまだに新聞、テレビ情報の世界だから、そのいみで殆どうのみにしているので私よりも情報通。自分たちの活動が無関係な周りからどう総評されているのか、知らないのではないか。

あまりにも長い年月が経つと、同じような傾向の人が残り、独特の環境が生まれる。

 

>集合住宅の交流の在り方が変わったことも原因だろう。

入居者の高齢化に対して自治会活動の合理化が悪い方に作用している

コレはもっと若い世代の入居率が多い時に効果を発揮するもので、安否確認に至っているスーパー高齢化状況では孤独死、放置死の逆作用。お互いの助け合いも蔑ろになり、やっているものがやたらに目立つ。わたしでさえ症状に進行に対する介護が必要になって、目立って行動しなけらばならない機会が増え、生き恥さらしている感を意識しだした。

 

>以前は普段の掃除などは自分たちでやっていた。そのときに近所同士の情報交換、交流ができたが、掃除する人を二人来てもらうようになって、その場がなくなった。

@近所の古株は掃除は自分たちでやった方が良い、という意見を堅持していた。⇒正しい!

@入居間もなく、班長や住宅全体の金集めの任についた自分は事情がよくわからず、手間暇かけない合理主義の意見に賛成したが、途中でコレは拙い、と気づいたころは、規約は修正された後だった。

>修正された規約を読み込むと、本来の任が異質の町内会と自治会の金銭の出所を一緒に自治会費として徴収すること~~同一徴収は仕方がないとしても記述の仕方はもっと組織の違いを明らかにすべきだが、集合住宅の共益金の徴収が核となる自治会の構成員が町内会の活動に自動的に参加しなければならない、と明記している。町内会活動参加は任意、コレは民主政の初歩的原理。初歩的なことに関心がない人とは話し合いにならない、とおもった。面子、都合への拘りが崩れたら役員の任はしんどく成るのはわかる。~~。

自治会長、町内会長の任が公選ではなく、本人の辞任の申し出がない限り継続する

など怪しい文言があふれていたが、

@会議の場で反対すると、私と同じ理屈っぽい人との論争になるので、ひいた。

共通の立ち位置のない人と論争は時間がかかる。

@会計帳簿のつけ方は複雑すぎる(複式簿記)と問題にしたが、一斉に反論された。

@あり得ない!たかが120~130軒の帳簿をつけるのに、1件につき3~4か所きにゅうする。大きな不正が起こるのは同一人物が長く金銭管理を担当するからだ。

 

見守りケアをしている現状を差しさわりのない程度に公開し協力を仰ぐ、と心がけても~~社会的な介護をやっていることは自覚しているので~~、こちらから話しかけなければならないのでいつしか、億劫になった。

わたしだけの情報だけでなく見守り介護の人の意見も公平に必要ということも考えていた。ここまで考えて、集合住宅の茶話会に出席しない、と結論付けた。出かけると知人たちに愚痴をこぼすことになり、不公平になる。介護する者が介護されている、と考えていた。

認知症は頭の老衰。介護するものされるもの人格は対等だ。

仕事ととしてやっているものは金銭の対価がある、ボランティアは介護しているつもりでも介護されている、ことに気づかない。

私は介護されていた!

介護されていたから、介護が解けて今、悩む。

 

>以上後で編集した記述を土台にしてもやはりこの際、書いておかなけれなならない。

>人の命や大切なものがかかっていた。

 

@そもそも大事に至っている人に対する中途半端なかかわりで同じ階の救える二人を放置したのを目の当たりにしている、と自分は見ているが本人たちにその意識は全くない

なぜ部屋の中に入れない状態を放置し焼死させてしまったのか?そんなに苦労しなくても方法あった(自分たちでできると思ってもやり始めたもできない場合がある、他に助けを求めることも必要)のに中に入れずどうしようもなかった、などと最後までいっていた。

>突然、やり始めたのだから、できないて当然だった。

>結局、状況を楽観視したがる庶民にある癖、当時の自分も含めて無知が災いした。

 

そして集合住宅の総意は介護拒否の認知症の本人のせいにしているが、

そもそも責任能力の怪しい段階に達している者は一方的に助けられる対象でその術があるものが行使しないことを無責任という。ドアの合いかぎを手に入れることが、介護につなげるキーポイントなのは普通にわかることで閑のある大人なら普通にできることだ。

  ケースその2。

 糖尿病が悪化し足がはれ上がって買い物にも行けない状態なのに、買い物の用は足してあげるが、病院に入れてあげられなかった

判断ミス違うかな?そんな日々が続いた挙句、ある日部屋を覗くと心臓麻痺で死体になっていた。

自分のやり方は素人診断でも様子を観察し、血圧体温を測定し、緊急に医者に見せるか判断してきた。

この状況は第一発見者で警察の取り調べを受けたという美談として吹聴されている。

もっとも、見守り介護のひとを担当するヘルパーさんには39度の発熱がある、と入浴中やってきて大騒ぎした人がいた。いても役に立たないと判断し帰ってもらって、コロナを疑って一斉に窓を開けて計測すると平熱だった。ヘルパー責任者の心配してやってきた。次の日、勤務時間外の早朝ドアを開けるとそこにいて、いきなり体温計が壊れているという。

便秘を自分なら勤務時間の30本で治せるごとき振る舞いをして本人を落ち着かせることを最優先に、薬を買ってきたり時間をかけてどうにかしよとする私のやり方を頭ごなしに否定し、結局退散した。

この人である。勤務時間中、ドアにカギを掛けるのは。

勤務時間も自分の都合であわせて、1Hも誤差のある時がある。

邪魔をしたいけないので時間を外そうにも著中バッティングする。

ヘルパーさんに「なぜカギを掛けるのか」と本気で詰め寄ったのは、この人である。

この時は悪条件が重なって私の勘違いだった。

見守り介護の人を目の前に、本当に悪いことをした、と今でも悔やんでいる。

彼女はその夜、外に出て近所家を訪ねて保護された。今でもつらい!

その日からしばらく経って、大きな音の鳴る発信タグをつけた財布紛失事故が起こった。

それまでつけていたスマホアプリの発信タグから強力なメタル電池のものに替え、何度も紛失の度に反応させ、財布を見つけているので安心していた。最も彼女の財布の置き場所はタンスの衣類下着の下がせいぜいのところで、本当に見つからないようなこみいったところは一度もなかった。

それなのに発信タグは無反応、家探しはもちろんベランダ、郵便ポストなどどこにもなかった。タグは押し入れの布団の下に財布があっても音が聞こえる

財布がなくなるまでの時間帯は約48時間内とわかっているので自治会長と二人で防犯カメラのPCモニターを入念に確認し彼女が外に出た形跡がないのも確認した。

しばらく日にちが経って、突然、財布がいつもの置き場所にあった。

いろんなことがあった。

症状の進行に対処できない自分の問題もある。

後悔の挙句、焼死事件のような究極の状態まで介護すべきだった、頭の中で肯定することもあった。

お前はボロボロになること、死ぬことを怖がっていたのか、と。

それはなかった。

自分の世界、という最も大事にしているものを失うことを嫌がった。

自分の時間の集中と見守り介護の時間を両立させてきたが、症状に進行とともにぴったりと張り付く時間を長くとる必要性は解っていた。そうすると自分の世界はかけていく。

その段取りはできていたので引っ越せばよかったと今にして思う。

引っ越しができるとわかった日は見守り介護に人を眼科に連れて行った帰りのポストに入っていた通知だった。一瞬、困ったことになったと思った。締切日の前日にようやく書類を提出した。その日、彼女の家の相続人から渡されていた財産処分の書類を処分するため印鑑証明を代理でとる日でもあった。私は彼女に代わって書類の手続きをした。もちろん、ケアマネは関係ない、できないというので役所の関係者と話し合った結果、そうした方が良いというアドバイスをもらった。自分の引っ越しの方は断りの電話を入れた。

その眼科に今度は私が通うことになった。

介護放棄をするつもりはなかったので泊まり込みをするつもりだった。

引っ越しの部屋が、2Fではなくもっと上の空き部屋だったら、やっていたかもしれない。最もそこに移って別な活動をするつもりもあったが、調べて自分のやることはないと思った。

自分自身のわがままだもあるが運命に翻弄されている。

まるで、西鶴一代女 - Wikipedia

の世界ようだ。

東京にいたときの正月のTVで見たときは次々と訪れる人生の岐路にいつも決まって悪い結果が待っている道を選ぶ主人公に震え上がる想いがした。

主人公の最後は天王寺に至る坂の途中にある一心寺の縁の下。

見守り介護の人の夫や両親の骨ここに眠っており、毎年通知が来る。

墓のないものが多少のカネを払って、大きな仏像に骨を刷り込んでもらうという。

見守り介護の人の母と夫の位牌を一心寺にもっていったらいい、といつも入ってくれていたヘルパーさんは言うが、わたしは徹底した無神論者。身近に置くことに不都合ない、むしろ意味が出てくる。グループホームにいる本人との信義を守る。位牌がここにあるのもめぐり逢いを貴重にしたい。事あるごとに心と体の問題は気にかけてきた無神論者は心と信義を大切にする。

今回の機会にも自分の無神論と葛藤し点検している。

位牌、遺影、死に装束を捨てたら自分の無神論は成り立たないのだ。ここに安置することを力にする。

 

 ケースは続く。

身寄りのない認知症の人に役所経由で介護をつけたという自治会は言うが、

その高齢女性はヘルパーさんは入っていたが4月上旬のある日、ものすごいエアコンの爆音が続く日々の最中突然死した。自分は見守り介護の人の入所日が近づいて体制づくりに忙しく、上の階の酒癖の悪い<手間のかかる人>に文句をつける手間を省くために、近所の家で寝泊まりしほとぼりを覚ますことにした。後で想うに苦情を言いに行ったら死なずに死んだかもしれない。このケースも近所の人たちの介護事情所につなげる間の放置に問題があったとみる。

 

 隣の水漏れ事故も結局、修理したのは自分だった。被害者は原因が分かっている、自治会も来て騒ぎ、自分は素通りした。87歳の老婆に有料の修理屋しか処置できないのに、なぜ呼んであげない。大事な時は一歩踏みこんだ対応が必要。この修理で金を払うといってきかないのでもらったが、その行為にがっかりした。部品の代金はもらう、しかし修理代をもらうと侮辱されたような気になる。よその家のパラボナアンテナ修理して「ありがとう」の一言で終わらせる女性を尊敬した。この女性が糖尿病を悪化させ突然死した女性であった。結局、家族と古い慣習に閉じこもるものが生き残り、それ以外のものが出て行ったり、死んでいく。コレがこの集合住宅の傾向であった。

 

 車いす生活になった隣人が夜中に転倒したとき、同行者と起こしに行ったことを吹聴していたが、車いす独居なれば転倒は当たり前。以前、バイクに乗って汚物まみれの転倒者を助けに行くのを仕事にしていた自分に、そういわれても答えようがなく感心して見せるしかなかった。

 グループホームにボランティア体験をしたというが、老健施設のグループホームのはずだ。そもそも、有料老人ホームと特養、老健の区別もご存じないので詳しく説明した。まして、見守りケアの人の入所したところにボランティアはありえない、とおもう。

 認知症も全部一色、区別はなく生半可な知識で良しとしているから自分の守備範囲以外の余計なことは、考える必要がない、という根がシンプルにできている存在。

>見守りケアのひととの関係でこれまで配慮してきたが、この機会にけじめをつける。

 

無展望に時間の経過に任せていれば大変なことになる、と焼死事件から考えるようになった。

大きな方向性として訪問介護などの関係者との連携を大事にするようになり、連携を解ってくれないときは(そこに同席しているのにあからさまに無視する行動の出られると神経を逆なでされたように感じた~ある種の人はそういう行動によく出る~偶に感情的になったが、自分が引くようにしていた。開き直って生きてきたものが相手を立てる、という慣れないことをしていた。

年月が経って、あきらめない自分の姿に多少は解ってくれる輪が広がったと感じるようになった。

ただし、自分のようなタイプの人間に遭遇する機会のない人には最後まで理解してもらえなかったとおもう。

@が、自分の資質として納得のいくほど守ってあげられたのか、その条件があったのかと。

@できたのにできなかったことも多すぎる!

 

@日常ケアは相手の状態に影響を受けるので自分の世界を維持するのは難しい。

>一番いいと今になって思うのは、事業所を介さない認知症の介護者同士の横のつながり、だと思う。

自分は悩みを聞いてもらえる相手がいなかった。頭の中であれこれ考えたり空回りすることで挫折と再起を切り返した。このような環境が見守りケアの人に良いはずはなかったが見守りケアの人を手を差し伸べてくれたることが実に多かった!

認知症が進んでいたけれど素晴らしい人だった!

>良すぎたから、自分を責め後悔ばかりしか浮かんでこない。

******************************************************************************

>直近で、4,21以降続く悩みから肩の力の抜けるような感じがした。

>和歌山毒物カレー事件の死刑囚の再審請求のYOU TUBEを見たとき。

>それも保険金詐欺傷害事件の内容に立ち入った関係者の発言にある魑魅魍魎としか言いようのない世界に遭遇したとき。

@たいていの人間は、情報を得れば得るほど、綺麗ごと、型にはまった世界にそれを抽象化する学校の教育やマスコミ報道はそのためにあるようなものだ。こんな魑魅魍魎の世界もある、しかしそれでいいのだ!という結論には絶対にもっていかせないように情報内に仕組んでいる。でも現実はそうはなっていない。魑魅魍魎の世界が広がっている。多くの人は(市民社の多数派)そんな世界から離れた世界で生活労働できている。

 

@動画で語られている検事や判決は、度重なる保険金詐欺傷害事件において毒婦を実証しカレーなべにヒ素をいれるぐらいは平気でする、というストーリーに対して実行者本人が死刑囚はその直接の実行者ではない、との実証している。

 

  自分は見守りケアの人に

>できてもやってあげられなかったこと、

>やれる資質も条件もなかったことを

>グチャグチャに頭の中で混同し、思い描いて悩んでいる。

@過ぎ去った事実を事実として実在させて、その中で泥まみれになっていない。

@自分を美化しようとしている。

@型にはめようとしている。

@だから、大塩平八郎の墓前に佇んでやり切ったと動揺する自分を納得させたい、達成感を得たかったのだ。

架空の物語を作り上げて悩みから解放されようとしたのだから、効果がなかったのは当たり前だ!

>有りのままの世界の中では、そんな観念作業の居場所はない、見守りケアに意味づけは要らなかったがそれなしにはできなかった。いかに人生を全うするか、それが最初からのテーマだったから、挫折しそうになると絶えず、意味づけをしていた。

>最後の時期、自分の衰えから実生活で失敗するようになって以降、もうどうでもよくなってお互い様、とやっとケアできるようになった。しかしその時期が別れの時だった。自分の衰えよりも見守りケアの人の衰えが早すぎた。迷子になったり、自分の部屋意識がなくなり、バラ色の故郷の想い出語りが大半を占めるようになっていた。結局、最大のケアは自分の生活拠点を移して存在感で安心させるしかない、と感じていた。コレは自分の世界の大部分を放棄することになる。自分はそこに踏み切れなかった。

 

@しかし、不思議な感覚だ。

>ロシアウクライナ戦争の悲惨な情報を得て、自分の今の悩みなんてそれを想うと、大したことがない、というあるYOU TUBERの感想には何ら心を揺り動かされないのに、あの死刑囚夫妻の保険金獲得詐欺事件の魑魅魍魎の世界に安心する。

事実は小説よりも奇なり、なのか。

世の中の現実を直視すれば、白黒はっきりしないファジー、魑魅魍魎、あるいはグレー、もっと進めば黒い世界が広がっている。

ここで林健治さんさんが証言していることは有りのままの悪の世界である。しかしそれが、介護経験を抽象化するときに、できるのにやれたこと、条件や資質がなくやれなかったことを混同し自分を美化したり、感傷的になったり、不必要に悩んだりする今の有り様を矯正してくれる。

 私がこの記事の中で指摘した身の回りの事故のケースの数々も、事実は有りのままだが、問題は具体的な事実をその人の立場で抽象化するときに、価値観の違いというフィルターを通しているわけで、この点において見方は色々ある。

交流し意見をすり合わさなければ、解らない。

しかし、すぐ隣での毎度の大声での話し合いは、見守り介護の人がいなくなってぴたりとやんだ

彼女らはお別れの品を持って帰り、私の介護とヘルパーさんのでいりは終わり、喧しくやっていた井戸端会議は止んだ。もちろんその背景にも詳しく言及したつもりだ。

反俗日記の役割は、こういう事実を掘り下げて記事にすることだ。それは文学の領域を含む。

大から小まで一人の異様な個性が動き回ることによって周囲がかき乱されることがまれにある。「いしん」の創出者もこの部類。以後の大阪は、一人の男の出現に翻弄された。文学の世界では谷崎潤一郎がその異様な世界を描いている(子供の世界だけれど~反俗日記収録済み)。

小の人物に目の前で遭遇し短期間一緒に生活したときにびっくりした。頭が良い(IQが高い)、向こう意気が強烈、エネルギッシュ、このうっとうしいやつを黙らせ動きを止めるためにはぶん殴るしかないと思ったほど不快極まりない男だった。林健治は当時あっていれば自分にとって、この手のひとだったろう。

再審請求の際、必要な林健治の検面調書に行方はわからない。

ますみがヒ素を飲ませたという調書には署名していないというが、判決文は真逆、保険金詐欺などの罪で6年の懲役で出所しているのが事実。1審2審の弁護団は国選だった。

www.youtube.com

@今日ある女性が今の動揺を燕の巣の旅立ち症候群とか言った。最初は何を言っているかわからなかったので聞き返したが、

@悪いけど現実を無視したたとえ話で安心できる人はそれで良いが、自分は現実を知りすぎている。

@見守りケアの人はスクラップ置き場に収容されたのだ。コレがあからさまな現実。

生身の人間がスクラップ置き場に収容されたらどうなるか、

じぶんはグループホーム入りが決まってから施設入りを伏せて「これからは生きるってことが仕事だよ」と繰り返し言ったが、その言葉を信用していなかった。

>知っているから悩む。在宅中にできたことがあった、と。

>自分のこれからの生き方、の課題でもある。

>世界は広いけど、実に狭い!コレが今の自分の現実。

*****************

>なお。和歌山毒物カレー事件のネット上の情報はほぼすべて収集した。

>時を経て冷静に証拠を吟味すると、判決理由の根幹が崩れきた。

>死刑囚は冤罪である。

@素朴な疑問。

 ヒ素を使った保険金詐欺で多額の収入を得て発覚しないままこの地区の豪邸で過ごしてきた「知能犯」が1000人は毒殺できる量のヒ素をカレーに混入させ、なおかつヒ素を入れてきた紙コップを混入後、無造作にカレーなべ付近のビニールゴミ袋捨てるだろうか?

@普通に考えると後先全く無視した発作的極まりない犯行である。

>ここから先はかけない。憶測になる。

@この真の<状況証拠>を覆すためには死刑囚ヒ素を身近なものに服毒させ保険金詐欺を繰り返した異常人物に描き上げる必要があったが、

>各種の荒っぽく乱暴な保険金詐欺を繰り返し実行してきたのは、夫と周りの知人たち悪党たちであり、保険の外交員の経験もあり看護学校出身の妻は知恵袋的共犯者だった。

2021年、和歌山地裁で再審請求が認められた。

反俗日記で、収集した情報を自分なりに再構成し記事にするつもりだ。

 

過去の記事を再録し足場を固める。ロシアウクライナ戦争は帝国同士の戦争。介護の現状。

         本文の趣旨のまとめ

見守り介護の現状や介護業界に対する基本的な意見を記した記事を再録する。

>日本国内の政治経済状況においては、どの視座から状況を把握し確たる意見を持つかということが一番の課題である。

 

 さらにロシア、ウクライナ戦争の状況に対する日本国内の一方的な報道濁流への意見を過去記事から取り上げてみた。

>この戦争は帝国同士の戦争であって、

正義不正義、事の善悪、民主主義OR反民主主義などの基準で判断するのは間違っている。国連憲章や人道法などを持ち出すのも的外れもいいところである。

>なぜ国連の所在地がニューヨークにあるのか?帝国主義戦争における最大の勝者の懐に国連がある。

EUの中銀の所在地はドイツフランクフトである。

EU経済圏拡張によって最大の恩恵を受けているのはドイツ資本制であり、いまのロシアウクライナ戦争はヒットラーをやれなかった戦争代理人を立ててロシアウクライナイへの介入をEUの仮面をかぶってやっているユーゴスラビア内戦へのNATOの介入とその後の加盟を想起する。

@なお、以上の見方をもっと丹念にトレースするためにエレファントカーブの図を用意した。

■図表1 エレファントカーブ

 その図の注目点は二つある。

その1はグローバル資本制の深化によって、第二次帝国主義戦争以前、以後、戦後の高度経済成長によって育まれた日本を含む先発国の中産階層の没落傾向の一層の進行である。

これを原理的に表現するとピケティの

資本収益率>経済成長。

株式、土地、外国資本への投資への利益が、労働への搾取を上回る。言い換えると資本側はそうした投資を優先するので雇用や給料は上がらない。

実体経済の指標も欠かせない。

GDP=消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)

国民所得GDPと同じ、付加価値の総和ともいう)

A民間消費+B<民間投資>+政府支出(政府の消費と投資)+C輸出-輸入

日本経済停滞の要因A、B、C増加させる要因が国内に乏しいからだ

政府支出によって有効需要をつけるのがケインズ政策だったが過去にスタグフレーション(物価高騰と不景気の同時進行)を招いた。結局、世界資本制は労使力関係の逆転策やIT革命のパラダイム転換によって乗り切った。グローバル資本制の矛盾(資本の支配力の増強、富の異常な偏在、階級格差拡大、国家主義民族排外主義の世界的台頭~国家主義民族排外主義はグローバル資本支配層の特殊な統治形態であり、EUNATOなど帝国の既存の世界支配機構を利用するので戦争の危機が高まる。)の進化した今度は1930年代のように世界中に軍拡のあらしが吹き戦争して軍事消費するしか出口がない、と思う。MMTは軍拡後押し経済政策であり危機に陥った支配層の財政金融対策である。

 

その2は、ヨーロッパにおける旧ソ連地域と東アジアにおける日本の中産階層の没落の急展開であり、この二つの長期経済停滞地域を取り除くとエレファントカーブの像の牙部分の落ち込みは緩やかになるという事実である。

これを反俗日記流に解釈すると前者は拡張するEUの地殻に沈み込んでいる状況が継続し、そのストレスの一番かかったウクライナにおいて大地震現象が発生している

 後者は言うまでもなく日本列島のユーラシアへの沈み込みのような地殻変動現象が経済政治軍事ストレスとして発火する状態にある

日本とウクライナの違いは

戦後の経済成長によって形成された中産階層からアメリカを中心としたグローバル資本制がその財を収奪できる期間が先延ばしにできる余剰があるという点だ

搾り取るべき余剰が底をつけば、指摘した日本列島のユーラシアへの誠意経済軍事的沈み込みは戦争に発火する。

この現象を日本国内の政治分布に俯瞰すれば

ウクライナのゼレンスキーみたいな輩の台頭しか没落の危機に立たされた日本中産階層の不平不満のはけ口がなくなるということになる。

 

>第二次帝国主義戦争以降、欧米の戦争の口実にはいつも平和や民主主義が掲げられてきた

帝国主義戦争の一方の側ではそれらは戦争の口実ではなかった。

@今のロシア、ウクライナ戦争においても同じことが繰り返されており片方では民主主義や人道の大合唱であるが、この戦争を帝国の同士の戦争という基本視座に立てば、そんな見方は怪しくなる。

 

帝国主義世界戦争後の世界資本主義の高度成長期の、植民地解放、民族自立の世界的な気運を時代背景にした1960年代から70年代のインドシナベトナム戦争の時代とは時代背景が違う。グローバル資本制下の帝国の代理人ウクライナに植民地解放、民族の自立とかの条件はない。ウクライナは一方の帝国の仲間入りを急速に求め、停滞大失政のソ連邦を引き継ぐロシアの帝国防御と軋轢を起こした。言い換えると地殻変動的な政治軍事経済状況を顧みず、エレファントの背中部分を急進的に求めた。犠牲をいとわないゼレンスキーのような輩を選んだことによって、戦争の道を開いた。

その理由はこれだ。

>しかしこの帝国主義戦争において

@グローバル資本制が本格化して以降、その悪しき側面が拡大しているが、最大の問題は世界的な階級格差の拡大傾向が累進的に進行していることである

それはコロナ渦とマネー架空資本の国際的な流動性の大拡大によってもたらされて、ロシアウクライナというヨーロッパ縁辺地域の帝国同士の戦争として発火したロシア、プーチンウクライナゼレンスキーは世界の人々にとってともに敵である。

 

>グローバル資本制の戦争をやめたければ軍事予算100兆円のアメリカを封じ込めなければならない。

EUも帝国として動いていてきた。

>ロシアも停滞没落帝国である。

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2022年3月28日(月)久しぶり生気戻る。お供えを親、兄、夫にしている。朝から笑顔は久しぶり。笑顔の素敵な人である。施設入所の件があり、心痛む。

もっと自分がうまくやれたのに、という後悔。

このような状態なら、今後自分が頑張ったらうまくいくのではないか、という願望が自然に沸き起こってくる。

見守りケアを放棄しても、同じ運命が自分にまっている。だから身を賭してでもやっていこうという願望。

しかし、持病がネックになり、困難な局面が多発する今後を乗り切れない。

死ぬのは怖くないが、持病によって精神的な余裕がなくなってぎりぎりの状態で介護することは、施設入所よりも本人にとって良くない。

コレが冷厳な事実でもある。

 

 今まで自分の落ち度で迷惑をかけてきた、と痛切に反省しているのに、一時の気分でやれるとするのは冷静な判断ではない。

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>近所の老老介護で室内転倒を何度も繰り返した夫は2度目の大きな転倒事故による脳外科入院から施設入所、半年も経たずに亡くなった。つい最近のことである

*病院から施設入所の選択のとき、自分も「絶対に帰宅しての自宅介護は無理」と何度も高齢妻にいった。ケアマネ、息子その他の周囲の判断も同じであり、妻本人も納得づくだった。

>施設で亡くなるまで妻本人から聴く情報では施設に適応して過ごしているという方面のことばかりであった。

>それが突然、亡くなった。

死因は誤嚥性肺炎とのこと。入院直前には脳血管性の認知症を発症し転倒を繰り返していたのだと思う。支え続けた妻は苦労したが愚痴は聞こえてこなかった。

この夫婦をよく知る見守り介護の人は以前、あそこの夫婦は変わった夫婦、といっていた。しかし在宅中、自由人であり続けた夫の拠り所は妻だった。

コロナ渦で妻が施設訪問しても面会できず、差し入れするだけだった。電話での話し合いはできる。高齢者はリモートが使えない。世界中でこういったコロナ渦事情で亡くなった高齢者が膨大にいる。

********

 コロナ渦から戦争が転がり出た。コレは予測できたことだ。

グローバル資本制の地殻変動のストレスが最大にかかった地域が長期経済停滞するロシア、ウクライナ地域だったベラルーシロシアという見方もできる(ここでもベラルーシの政治をめぐってUEとの間にいざこざはよく起きていた)。

EUNATOの東方拡大によって、東欧に新中間層ができて、所得を増やしている一方で工場やカネの投資が減った結果、EU中央部の中間層の所得はあまり伸びず、EU反対移民排除の新政党が急伸している。

 

 もともと対米対抗的な要素のあるEUを見据えてNATOの米国は、軍事力による揺さぶりをかけ覇権(軍事プレゼンス拡張と経済文化のための世界基準拡張)を伸ばしたいが、トランプ現象(中間層の没落、と富の異常な偏在化)を抱え、ウクライナロシア地殻変動を利用しロシアを後退させ、新市場分野で競争力増強の中国を世界市場から分離したい。

 

 中国にできてロシアにできなかった理由を知ればソ連邦崩壊時期の大失政がわかる

独裁政党が大失政すれば人々の富と財産、知識財産は一気に消失する。

中国共産党の路線的ジグザグが結果的に現実対応できる党の質を高めた。

他方、ソ連共産党はそれがなく社会民主主義路線をとったがこれは必然である。

もともと共産主義という思想政策体系はなかった。マルクス自身がそう書いている。社会民主主義のツーリ専制への対応形態であるボルシェビキズムの過渡期社会の独裁期を支配する政党を共産党と自称するようになった。したがってソ連邦崩壊から社会民主主主義路線が出てきても不思議はないが、メンシェビキはロシアに合わなかった。

 

 EU入り東欧の中間層所得増大という実物教育が目の前にぶら下がっているのだからウクライナの多くの人々は急進的にEUNATO入りしたがって当然人間の動物的な欲望の問題~それほど高尚な次元ではないが大切。スターリン主義や亜流はそれを安直に否定。アンジェイワイダ監督作品やブダペスト1956に漂うのは軽さが弾みをもっていきつくところまで行く。風俗的政治感覚。が、その実態は国内分裂を抱え、ロシアともどもEUの地殻にめり込んでいる状態だった

戦争のトリガーを引いたのはプーチンだったが、ウクライナは没落中の帝国を挑発し続け、国内に戦争の火種を招き入れた。

多くの国民の犠牲を払ってまで勝ち取るものに対する長期展望がなかった国内分裂状態にあったのも急進的な政治への傾斜を強めさせた帝国(EU米国)の代理人になろうとするそばに没落停滞帝国があり、共々EUの地殻のずりこんでいた。

 

 なお、事情通の長い動画の解説には、国内分裂を抱えた国はNATOに加盟できなという言説があるが、旧ユーゴスラビア内戦においてドイツ軍は激しいセルビア空爆をした。ヨーロッパNATO軍は積極的に参戦した。その結果、現状セルビア周辺の分割された国々はNATOに加盟している。プーチンウクライナ戦争は旧ユーゴスラビアの事態を見据えての軍事判断だろう。

 

 この戦争は徹底的やり抜く前に停戦すると、国内混乱のまま、国内と国境外の対ソテロとゲリラの温床になり、もっと大きな戦争を招く

@憎悪渦巻くウクライナ停戦の中身を守る政治的軍事的統治能力がない

中立の軍事力を導入し監視しなければ戦争の燃えカス、近親憎悪が抑え込めないがその必要なないというのだから、この地域の地殻変動は再戦争に発火する。

 

地球上に中東に続き、EU縁辺に低強度戦争の温床地域が加わったが、そこには核弾頭の脅威があるヨーロッパ縁辺が三度目の大戦争の発火点になっている。

 

 EUとNATOの東方拡大は歴史的事実であり、

コレは見る位置を変えると帝国の拡大そのものであり、

ソ連崩壊後のロシアも帝国であろうとしてきた。

@ロシアウクライナ戦争は地球規模の帝国の戦争である

@帝国の戦争は、かつてそうだったように善悪、正義不正義、民主主義は着ている服の模様の違いに過ぎない。

第二次世界大戦帝国主義戦争であり勝者が敗者を戦争犯罪人として裁いた。その国の人々がさばいたのはイタリアだけだ。

 

>ロシアを一方的に非難するということは、これから日本支配層とその追従者が起こす戦争への賛成と参加に通じる道だ。

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@中国が攻めてくる。北朝鮮の核弾頭が飛んでくる。

 

@そういう外からの脅威を煽りながら

演出された激動情勢の継続さ中に、大きな獲物を得る者どもがいる。

 

>そもそも国内の一部の過酷な状況は中国の脅威のためなのか!

北朝鮮の核ミサイルのためなのか

>中国や北朝鮮が過酷な状況を強制しているのか?

 

@日本支配者の政治が過酷な状況を強いている。

 

このような状況を見据え生きる者にとって、戦争によって失うものは命だけだ。

>その大切な命を過酷な状況に追いやっている者どもに捧げて何か得があるのか。

@命がけで戦う相手はめのまえにいる。

ウクライナの人々は@戦争と政治の間のハードルが低いプーチンを知らなすぎる素人ゼレンスキーを選んだ時点で命を捧げる相手を間違った。

 

@もっとも逃げるという手もある。

ウクライから逃げている人々は正しい選択をしている。

自分に自信のあるものは国は出たほうが良い。残っていても先の見通しがたたない。

 

@日本においても同じことが言える。ゼレンスキーのような後先見えない人物と政党が国の行く末を左右するようになったら、腕に自信のあるものは日本を出たほうが良い。

 

 東アジアにおいてもユーラシア地殻に長期低成長日本列島がめり込んでストレスがかかり戦争の発火点になろうとしている。

南西諸島、尖閣列島は中国大陸の300キロ海上にある無鉄砲な侮辱行為が続くと戦争の火ぶたが切られる。世論は騒然とし後先が見えなくなり、結局、損をするのは多数派国民。逆に得をするものが必ず出てくる。

 

台湾は経済成長が戦争への歯止めになっているが、この状態がいつまで続くのか予断を許さない

 

 ただし、東アジアの日本列島はロシアウクライナ地域の地殻変動状況(戦争)と違って米国が日米安保体制を使い、北朝鮮の核弾頭増強を利用し日本列島住民を脅迫などして日本の市場から、残存する富を吸い上げる構造が確立していることが戦争の発火を先延ばしにしている。

 

 プラザ合意受諾、日本バブル崩壊以降、日本の支配層はこういった政治経済軍事システムに寄生している連中が主流を占めるように変質した

 

端的に言えば日本経済の体質は寄生性、空洞性を強めてきた。その果ての進行形がアベノミクスの金融膨張政策であり、今般のロシアウクライナ戦争によってその方向はさらに強まる。

 

 アメリカの軍事予算は100兆円越えだという

日本政府の赤字予算と同じ規模だ。

それでも日本はアメリカ軍事予算の消費をしなければならない。

特定の国民の余剰が吸い上げられるしかない。

余剰のないものは放置されるだけだ。だから勝手に生きる、というのが正解。

国内投資が先細ると経済は単純再生産しかしない。カネを大量にすればインフレになる。小学生でもわかる道理だ。

W。縦軸は2010年を100に見立てた指数

W。リーマンショック以後の民主党政権発足のころ。アベノミクスの前兆はいわゆるリフレ派による日銀政策批判=国債大量発行のアベノミクス路線。第二次安倍政権発足によって金利政策の取れない日銀の市中の国債大量買入れが始まった。この極端な政策は後戻りできないので、支配層内外の政治軍事危機が強まれば、国債の日銀直接引き受けの大強化に至る。現代貨幣理論のような財政金融膨張策をとれば実体経済の成長のエンジンに乏しいので国内供給力不足でインフレが進む。

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引用

円の実質実効レートが、70年代前半と同水準での推移を続けているということは、単純に言えば円の購買力が70年代前半と同水準まで低下しているということだ。例えば、80年代後半から90年代までは、海外から来日した外国人は、一様に日本の物価の高さに文句を言い、一方、日本人は海外の免税店で割安なブランド物を買いあさった。

 それがアベノミクス以降に大幅な円安となってからは、来日する外国人は「日本は安い」と口をそろえコロナ前までは銀座で買い物を楽しんでいた一方、日本人にとっては、海外旅行先でさまざまな物が割高に感じるようになった。

「他国の物価が日本に比べて大幅に上昇しているのに、為替レートがその分の調整をしなくなってしまった」ことが背景にある。」⇒W赤字国債大量発行、市中から日銀による大量買い付けや直接買い付けの実行は日銀当座預金の豚済みがあっても市中への資金大量供給には間違いなく為替相場円高抑止効果が発揮される。1$=¥120のままべいこく物価上昇が20年間で50%なら、実質の円の交換レートは0,6$=¥120        

      

    キャピタルフライト(資本逃避)

「00年以降の約20年間でみると、日本の消費者物価指数は2・6%しか上がっていない

一方、その他の国をみると、米国の消費者物価指数は54%、ユーロ圏は40%、英国は51%、中国は60%も上昇している。

 しかし、実際の名目為替相場(W.実質実効レートとの違い)をみてみるとドル・円相場は00年の平均レートと21年前半の平均レートがほぼ同水準。W。1ドル=¥120

しかし、今¥120で昔買えた商品は50%~60%上乗せしなければ買えない!その一方で来日の買い物客は5割ぐらい安く買える。爆買いするはずだ。

>つまり、物価上昇率の差を全く反映していないどころか、逆方向に動いてしまっているのだ。

しかし見方を変えると20年間で日本の消費者物価が2,6%ぐらいしか上昇していないので庶民の家計は何とかやりくりできている。労働力商品の再生産費用はその国の労働力再生産に必要な諸物価の総和だ。カネをばらまいたり財政規模を膨張させても労働力商品の再生産費が高騰するのは必至で家計は苦しくなる。

 

  W。以下はいわゆる実体経済の状態を見る物差しである。

GDP=消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)

国民所得GDPと同じ、付加価値の総和ともいう)=A民間消費B<民間投資>+政府支出(政府の消費と投資)+C輸出-輸入

W。金融財政膨張政策によって国民所得は一時的に増えても大きな期間では増えない。

しかし、日本は有力国の経済政策に歩調を合わざる得ない。もう独自に政策展開する選択肢はない。

日本経済停滞の要因はA、B、Cを増加する要因が国内に乏しいからだ。政府支出によって有効需要をつけるのがケインズ政策だったが過去にスタグフレーション(物価高騰と不景気の同時進行)を招いた。結局、世界資本制は労使力関係の逆転策やIT革命のパラダイム転換によって乗り切った。グローバル資本制の矛盾(資本の支配力の増強、富の異常な偏在、階級格差拡大、国家主義民族排外主義の世界的台頭~国家主義民族排外主義はグローバル資本支配層の特殊な統治形態であり、EUNATOなど帝国の既存の世界支配機構を利用するので戦争の危機が高まる。)の進化した今度は1930年代のように世界中に軍拡のあらしが吹き戦争して軍事消費するしか出口がない、と思う。MMTは軍拡後押し経済政策であり危機に陥った支配層の財政金融対策である。

さまざまな理由が考えられるが、

>日本企業によるキャピタルフライト(資本逃避)が大きく影響していると考えられる。

日本企業は、アベノミクスが開始された13年ごろから対外直接投資を急増させている

13年9月に安倍晋三前首相はニューヨーク証券取引所で行った演説で“Buy my Abenomics!”と発したが、日本企業にその声は届いておらず、真逆の行動を取って…」

⇒W。日本企業のの海外直接投資の一貫した増加傾向は国内に儲け先が見当たらないからだ。究極のところ、日本企業の海外投資志向のモチベーションは収益率の問題である。一方で理屈でいえば海外機関投資筋はインフレ上昇分だけ日本買いができる。“Buy my Abenomics!”は日本買いという形で実現している!

かつて日本が得意だった斜陽の生産部門の資本は次々に海外資金をあてにしている。余剰金をため込んでいる企業は土地投機、株投機、海外資本投資にまい進している。

ピケティのいうr資本収益率>g経済成長率の不等式の法則が純然として作用しているのは日本経済である。

「この不等式が意味することは、資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということだ⇒W。左記の資産収入と労働力商品の価格とのギャップにさらに荷重する形で長期経済停滞や少子化核家族化が進行している現状によって、資本逃避と日本買いがある。

 言い換えれば「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」というわけだ。
富裕層の資産は子どもに相続され、その子がさらに資産運用で富を得続けることができる。もちろん各国で所得再分配政策は行われているものの、ピケティ氏は、多くの富が世襲されていると示唆する。

格差は現在も拡大に向かっており、やがては中産階級が消滅すると考えられる

W。没落する中間層の動揺はナチス急進の政治土壌だった。

⇒像のカーブを想起し日本経済のユーラシアへのめり込みを想定する。資産獲得の政治経済構造を守るために100兆円軍事予算のアメリカの武器購入であろうがデマ宣伝扇動であろうがなんでも利用する。危機感をあおっておればわが身は安泰である!

その原資は自前ではない。国民から搾り取る。多くの老人は過酷な状況で人生の終末を迎える。

 

⇒W。他方中国の急速拡大は古来からの中国史専制体制が拡張すればその果てに躓くという王朝崩壊の法則を実行中である大きな器で人民を食わせられなくなった中国共産党(経済低成長)は中国人民の海に沈んでいく。

⇒W.困った者同士はけんかっ早くなり、則を弁えなくなる。ともに貧乏になりロシアとウクライナのようにならないとは断言できない。

中国経済に成長のエンジンがある限り中国は挑発に乗らないが、なくなれば戦争手段に訴える。


今のところ東アジアの地殻変動の実態はEU縁辺地域とは戦後日本自身の経済成長とその環境が取っ払われてきての内外での資産価値保有の中での長期停滞の有り様において様相が違う。

 

冷戦構造解体、グローバル資本制、東アジア経済台頭によって裸をさらす機会が多くなった図体(日本)の大きな両足が股裂きにあっている。

一方の脚は政治と軍事、他方の脚は経済だ。

このリアルな実態を深く認識しかじ取りをしていくことが日本の政治家の最大限政治綱領になる。

 

日本にウクライナのような分裂政治状況はない。経済力も雲泥の差。

しかし、国民が冷静さを失うとゼレンスキーみたいな後先の思慮に欠けるポピュリストが国の行く末を左右する条件は整っている

戦争を選択するのは国民である

ウクライナ国民の多くは国内分裂という仕方のない面もあって、自分たちの置かれているリアル状況を直視できなかった。近親憎悪が作用している。

EU加盟願望までで絶対止めておくべきだった。アメリカ覇権とリンクするNATO加盟はウクライナという不安定国情の政治に帝国の軍事力が導入されるということであり

核弾頭とインフラ資源をプレゼンスにし、ソ連邦崩壊の時期の経済崩壊から回復見込みのないロシアにとって脅威である。

 

 おそらく来る参議院選挙はロシアウクライナ事態や東アジアの戦争危機をメインに訴え、改憲を掲げる自民党の圧勝に終わるだろう。

こうして財政金融政策が全く手詰まり状態に陥り、金利を上げられず、紙幣を増刷するしかなく長期経済停滞する日本の富はアメリカ市場や海外に向かう。増刷された紙幣を手に入れられる階層と低賃金労働を続けるしか方途なしの階層の格差はとことん進行する。

困っているときは八方ふさがりになる。政治の延長に戦争がある。勇ましい言動や軍事用語による情勢分析が巷に流布されると政治がなくなり戦争志向が強くなる。

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>施設入所してもらっても、後に残った者の老い先の苦労が想定されるならば

>お互い離れ離れの一人ぼっちになり本人を施設で苦労させるよりも共に天命を全うしたほうが良い、という考え方もある。

>できるだけ在宅期間を先延ばしにするというのが自分の調べた結果の福祉先進国スェーデンのやり方だ。その方が費用対効果も高い。

>施設入所はなんだかんだ言ってもカネがかかる。

>コレはぱっと考えてもわかることである。職員人件費、運営費。特に後者は在宅ではイラナイ。職員数がぎりぎりの状態では結局、一人一人の面倒は小まめに見れない。であれば自由ではなく拘束が日常になり、高齢者の精神肉体に良いはずがなく、必然的に医療費が嵩む。

>施設入所が良い結果を生むのは高額の入所費をかけ運営に余裕のある施設だけだと思う。

@大手の業者のワタミは施設運営から撤退した。他業種からの新規参入者が増え市場競争が激化し基準を順守すれば儲からないからだ。

@施設はよく選んで入るべし、は鉄則だ。

>選ぶ環境もなかった。特養資格は要介護3以上だ。要介護3の認知症の人の在宅介護は並大抵ではない(徘徊多発のアルツハイマー型は無理)。施設で亡くなった方は要介護2~3近辺である。施設生活が順調に推移すれば、特養入所の順番を当該施設で待つというストーリーだった。

認知症の人の基準指標は認知症自立度(介護困難度)である。要介護度でいえばあまりにも早すぎる入所だが、介護困難度はⅡbからⅢaに移行途上だ。Ⅲaは身近に介護者が付き添う必要が生じる段階であり介護者への心身のストレスは高まり、1対1介護はお互いにとって良くない場面を多発させる。

 

>これからの日本の高齢者のかなりの部分は屋内スクラップ置き場のようなところが終の棲家になる!しかもカネの成る木のごときスクラップ。コレが厳しすぎる現実。

 

>この現実を直視すれば、在宅生活を送っている間にどういう生き方をすればよいのか自ずと解る。

>それは究極的には個々人の問題であり、課題だ。

@見守り介護の人でいつも気になっている傾向は「隣近所のひとたちの目、聴き耳」

@人々を矮小卑近な偽の地域共同体に閉じ込め、それを束ねて支配機構とする戦前教育が骨の髄までしみ込んでいる。

@ところが本人の人生の軌跡は敗戦後の解放を身をもって実践したような「自由」な生きざま。

@体は自由になったけれど頭はまだ戦前のまま。

>コレが日本の高度経済成長を演出し中軸を担った世代の普遍的なあり方だった。(世代論やその矛盾の論議に終わるのは間違いだが)

 

>我々はそのギャップに肉体的に反抗したが、頭を解放するまでに至らなかった。その証左は今更だからあげない。

>我々が帰った企業やマイホームは「解放」されていなかった。言い換えるとそれが日本経済成長のボーナスだった。

*****************************

 

@反俗日記では日本の経済成長や停滞を単純に解釈していない。

政府の失政?

歴史の目で見ると本質ではない。

@①1930年ごろの日本経済の立ち位置は当時のソ連やイタリア並み。

民需がないがしろにされた軍事大国だった。

@②当時の日本の工業生産値とワシントン条約における戦艦建造割り当てでは日本は英米に次ぎフランスをオーバーしている。

ゆえに過剰生産過少消費、停滞的、相対的過剰労働人口を養人口扶養力も脆弱。であれば遅れて、軍事的に比較的過疎な東アジアに領土を含めた進出をしていくしかなくこのような当時の日本の方向性に反対する勢力は希少で大多数の国民は支持していた。

>③ところが敗戦後の日本の急経済成長で日本のGDPは1990年の半ばまでアメリカに次ぐところに至った。

 

この現実を内在的な要因だけに帰することはできない。

冷戦構造の最大の受益者は日本であった。

日本の(官僚)企業統治の在り方も戦前を引き継いでいた。

人口ボーナスも威力を発揮した。

戦乱と革命、民族独立の続く極東(中国革命、朝鮮戦争)東南アジア(ベトナム戦争)を含む日米安保体制も日本経済が成長にまい進できる要素となった。

>以上の要因がすべて変わったから日本の経済停滞がある。

 

 @そしてコロナ渦(スペンイン風邪はアメリカ欧州戦線参戦とともにパンデミックになった)、アメリカ主導の断続的な世界的低強度戦争によって(定期的であるかのように大規模な地域戦争の直接間接の発火者だがすべて民主主義だとか平和だとかの大義名分がついている)、更に状況は一変するとみるのが当たり前だ。

 

@日本の経済停滞を人口の高齢化のみで説明するあけすけな学者の出てきている。

日本経済の中身を見ていない。

日本経済を支えて生産部門の市場競争力が急激に低下した。

老後生活不安に怯えながら働く壮年層が増えると、民間消費は伸びず、貯蓄に回って結果、国債大量発行や超金融緩和しか経済政策の手段がなくなる。

W。アメリカの著名な投資家の企業は、原油に投資している。

W。各々の原油価格高騰の要因は歴史の目で見る必要があり一緒にはできない。

 

W。ロシア、ウクライナ戦争は帝国の戦争である、という視点がなければ巨視的には見えない。

ロシアがウクライナに侵攻したとか、民主主義がどうたら、こうたら、だけを語ると、この戦争の本質が見えなくなる。

 

W。旧ソ連支配圏と東アジアの日本において長期経済停滞が続いており、経済的政治的地殻変動が進行中だ。

前者においてはUE経済圏加入の東欧諸国の新中間層が所得をアップさせているが、他方、ソ連旧支配圏では経済停滞が続いている。東方に急拡大したEUの大きな地殻にウクライナも含めた旧ソ連支配圏がめり込んでいるウクライナではそのストレスが最もかかっていた。

ウクライナの多くの人々はEUに加盟し東欧の新中間層のように所得を伸ばす願望を抱ていた。欲望の赴くところの自然現象である。

**

ロシア経済の民間消費の過半は上層と一部中間層によるもの、といういびつな経済構造を呈してきた。

プーチンは登場する時点でソ連プ崩壊時の大失政を取り繕う強権を期待され、20年も一応政党の体制をとって権力を握ってきた。

石油ガスなどのインフラ大企業はソ連邦崩壊時に所有権を奪った者たちであり、欧米金融資本とのつながりが当時からあった。軍需産業プーチンを求めるが、インフラ大企業は日和見プーチンに臨んできた。

 したがって、欧米がプーチンを倒せばインフラ企業の経営基盤に欧米のカネが注入される可能性も排除できない。

 

 東方拡大したのはNATOだけではないEUも東方拡大し続けたが、その恩恵を最も受けたのはドイツ経済である。

マルクよりもEU通貨のほうが有利だ

ナチスドイツが果たせなかった野望を今実現している

ユーゴスラビアの複雑な内戦にドイツ軍は参戦しセルビア空爆を行った。

バルカン半島NATO加盟国が過半数。このことを考慮すると、NATOが直接参戦しないのはロシアの7200発の核弾頭の存在が大きい。これがなければ直接介入している可能性も排除できない。

**

 アメリカのたいEUの視点に立てば、

もともとEUは対米対抗的な要素を持っていたので、UK離脱(もともと無理を承知でドイツ統一の脅威をみて仲間に入った。)は好都合であり、ウクライナで揺さぶることがそのプレゼンスにとってプラスに働く。

 

 要するに、欧米は7200発の核弾頭を無力化させ、ロシアを経済従属化に置くことが最大限のもくてきであり、この戦争でこの方向の成果を欲しがっている。

そうすれば、中国を世界市場から分離し再び欧米の思うがままにできるという目論見の大きな第一歩が築かれる。

*****

 >東アジアにおいても経済地殻変動によるもぐりこみをしているのは日本である。

@日本の弱点は戦略的な政治性、軍事性が今までぼやけてきたことであるが、ロシアウクライナ戦争を奇貨として、アメリカ軍事力により一層、頼るようになり、アメリカはその状態を維持するために日本国民の血税や権益を奪い取るように画策し日本支配層にとってもこうした排外主義はこれまで獲得してきた己の利権を守り拡張するためには有利である。煽るだけあおって腰から下は海外に逃避している。

**

 結論。ロシア、ウクライナ戦争は帝国の戦争である。帝国戦争だからこそ、国内の社会民主党社会民主主義政策を実行している政党が一方的なロシア非難に追従する。

歴史は同じ道を歩まない。しかし螺旋的に回帰する。

敵の敵は味方である。戦争は政治の手段だ。対抗要因を弱体化させた米国の力が強くなれば損をするのは多数の日本国民である。反米主義は関係ない。そういう構造になっているということはカネの動き、物品の動きと世界的な構造を見るとわかる。

>卑近な例。なぜアメリカ大リーグが日本人選手獲得に大金をはたくことができるのか?外国から経済実態を超えたカネが流入し続ける金融財政システムが世界化しているからだ。その根幹は軍事力とアメリカ世界基準である。

出典先

https://car-rider.jp/sell/wp-content/uploads/2018/06/gasoline-suii-tokyo2021.png

ガソリン価格の推移のグラフ(1966年〜2021年)

2020年4月7日木。階上の孤立した老女が(認知症)突如亡くなっているのを発見された。

短期間で認知症を悪化させ孤立した状態を見かねて周囲が介護の手続きをし訪問介護利用。

顔見知りの人で最初逢った時からニコニコし気軽に話すこともあった。最初の印象から急激に症状を悪化させた模様。

隣の住人(老人ホーム勤めらしい)のエアコンが4月2日(土)以来、一晩中異常な騒音を発するようになっていたので相当気にしていたのではないか。

エアコン騒音発生源の住人は手間のかかる人で階下への水漏れ事故を告げにいくと、いまにも殴り掛からんばかりのものすごい剣幕で「警察ややくざも怖くない」などとおお声で威嚇し行き成り詰め寄ってきたことがあった。当方はこの住人がなんとなくやり難い相手と察知していたので、TELでアポを取ってから訪問しようとしたが電話番号は解らなかったが、老人ホーム勤め、の情報は得ていた。

当方が冷静に事情を説明すると納得して室内に招き入れてくれて、ベッドに上がってもいいからじっくり調べてくれなどと当たり前の対応をするようになった。

その後、大雨の中、次の機会で良いからというのに自転車でずぶぬれになって近所の知り合いの工事業者のところにいってくれた。

 その後、隣人の情報ではこの住人は昔、階下の病弱老女に騒音被害を与えており、被害者が隣人に泣きながら助けを求め、抗議してもらったことがあったという。さらに酒に飲まれるタイプなのか、夜中に偶に大声を出して吠えている人物もこの男だった。

 

 親も含めた地域に根を張る某宗教団体がらみの人のようだ。アルコール老人ホーム勤務。独りよがりに成りがちな条件はそろっている。

 亡くなった老女の情報は去年の11月ごろ、役員から見守り介護の人が迷子になって身柄引き受けに行った際、具体名を出してこういう案件がある、万全の措置をするようにという意味で聴いていた。これを受けて当方はあまり実効性のない地域の相談室に登録し係員の訪問を受けた。もちろんグループホーム入所をケアマネジャーにプッシュした。

その人は身寄りがいないので周囲が介護の手配をした、と。今はどうしているのかと聞くと訪問介護が入って日常生活が普通に送れていると。

>その後、某宗教団体の新聞配達の役員からもこの人が明け方助けを求めて廊下を行ったり来たりしているという情報を聞いていた。関わりたくない様子で話した。

@それ以降、6か月ぐらいで事故死した。

@ニコニコ気軽に話した最初にあったころから、5年で亡くなった。事故死である。

@見守り介護の人はきっちり介護できるものが身近にいればまだ在宅生活は維持できる状態。このことを加味すると見守り介護の人の施設入所後の先は不透明極まる。施設入所で保護されたのは身体だけではないか、心は保護されない。自由人の近所の92歳の老人は施設入所7か月で誤嚥性肺炎で亡くなった。

>守ってあげられなかった不甲斐なさだけが去来する。大きな壁もあった。