反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2020年4月5日火。夕食後、腹痛を訴えベッドに座った状態から急に仰向けに、血圧低いぐらいだが、脳梗塞を想定し救急車同乗の準備。トイレ導線介護できずうずくまる。仰向けにすると上下異常な厚着判明。脱衣すると楽になる。異常な厚着⇒夕食⇒血行不良、と判断。

 入浴前に、ベッド上にうず高く積み上げられた下着衣類をそっくりそのまま、入浴後装着していた、とは気づかなかった。積み上げられた衣類がすべてなくなっているのでたんすの引き出しに戻したものとばかり思っていたが、全部着込んでいたのだ。その後夕食をとって、全身血行不良を起こした。

「ヘルパーさんに変なものを食べさせられた」などといっていたが本人の異常な厚着が原因で失神状態に陥った。

>こういった場合、脳梗塞の疑いがまず第一番にあるので、できるだけ早く救急車を呼ばなければ、病院で治療しても後遺症が広がる。

>対応のマニュアルは知らなかったが、頭痛くないか、などと何度も声掛けし「いたくない」との応答があった。しかし目の前で失神状態になった超高齢者がいる。慌てた。

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        近所の高齢者災難を振り返る

@離れて住んでいる息子が駆け付けたが(父親本人のTELで~妻は重度認知症~)「親父がろれつが回らなくなっている」「救急車を呼ぶにも住所がわからない」と、ドアをどんどん叩いてきた。非常に慌てていた。

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>その後、この一家は大変な目にあった。

認知症介護の夫は軽い脳梗塞で済んだが、その後、数年間で人工透析、がん転移で大手術。入院中に認知症の妻は火の不始末から焼死した。ドアをたたいた息子は脳梗塞OR脳出血で仕事ができない体になっていた。

>唯一助かったのは遠く離れたところで家庭を持って働いている次男だけだった。

>火の不始末によって損害賠償をとられるのを恐れていた。

>この大事故を後から振り返ってみると

認知症の妻一人を置いて入院する際に、後を託した近所の世話役的な二人女性たちが残された妻がうちカギを掛けて公的援助もできない状態になっているのに<強硬>手段をとれなかったことだ

はっきり言えば、外から侵入できるので了解の下、合いかぎを作る。

実際に自分は中の妻に用事のある人のために高所を伝って侵入できる開けっぱなしの窓からうちカギを開けたことがあった。

>この大事故後の近所の評判は

認知症の妻が訪問介護などの援助を断っていたのでどうしようもなかったということに落ち着いているようだが、

>自分の見方では重度症状の亡くなった妻に責任能力はなかった

周りがなんとかできる方途はあった。夫の側で介護をつけることもできた。あんな状態の妻を残しているのに合いかぎを信頼できる他人に預けなかった。

 

@そのまた近所のスーパー高齢者も激しくドアをたたいて助けを求めてきた。

駆けつけ血圧測定すると200を超えて計測不能だったと思う。「心配するな。救急車を呼んでついていってあげる」といっているところに妻が帰ってきた。その後急激に落ち着きを取り戻した。

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その後、この夫は

室内転倒で肋骨骨折全治3か月、その後、何度も店頭を繰り返す夫に小柄な妻はそのたびに介護して腰を痛めたという。

>最後の転倒で後頭部を強打し有名な脳外科病院に入院2か月、⇒施設入所7か月で亡くなった。死亡原因は誤嚥性肺炎という意外なものだったが自由人に施設は合わなかった。

>在宅最後のころは軽い脳梗塞連発によって、脳血管性認知症だった、と自分は常々見ていた。検査していたのかどうか。92歳。

>なかなかの人物だった。私の介護も間接的にやめるように言われたことがあった。*

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  歩けなくなって買い物を頼まれた、近所の人が入室したらうつぶせになった老女は布団にうつぶせになって突然死していた。

 この老女の死亡事故も振り返ってみると不思議だった。

糖尿病が悪化して足が極端に腫れて買いにいけない状態なのになぜ?入院させなかった?入院費用がないわけではなかった。子供のも遠く離れていないところにいる。

私はこの人が衛星TVが映らないというのでアンテナを修正に行ったことがあって急に親しくなった。そのとき、またお礼などといって品物を持ってくるのではないかと、様子を見ていたら、会うたびに親しくするだけでその気配はなかったので、その人を信用するようになった。ありがとうの一言で良い、品物を持ってくるということは関係性の切断と自分はひねくれてみているのであっさりと対応する人を自分に近い人と信用する。年に似合わずさっぱりとしたいい人だった。終わりのころは自転車のカギを差し込むのにも苦労していたので入れてあげると、「お父さんの命日なので花を買ってくる」といっていた。カネ払いにきちんとしていた人でもあった。何事にも動じない人とは古い付き合いのある人の弁。

亡くなった前後の様子を聞けば聞く程、なぜ入院させなかったのだ、と不思議に思った。唯一考えられるのは急死である。死は本人も周りも想定外だった。しかし、買い物にも行けない事実は目の前にあったはずだ。糖尿病で歩けなくなればアブナイ。

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夜中に車いすで倒れた老女を近所の人二人で起こしに行くのがそんなに苦労することか

この件は仕事であるか否かで全く苦労とするか当たり前のこととするか、天と地ほどの違いがある。わたしは深夜明け方に連絡が入ればバイクで駆け付け、倒れた車いすの人を起こし、下の掃除をして帰宅した。現場で整然とやり切るには作業前の気構えが必要だったが、まったく躊躇はなかった。近所の人が同じことを一回ボランティアでやれば苦労話になり吹聴される。

コレどういうことなのか。よく言われる地域ボランテァの基準は少しづつの助け合い。

>しかし、対象が酷い状態になっているときにそれでよいのかということがある。

>中途半半端にやっていると犠牲を対象者が払うことになる

@この局面でこうすべきだ、と判断できる知識と行動の啓蒙を付記すべきで一般論一辺倒ではどうかと思う。

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4月6日木。部屋の整理業者が入室し見積もりだす。

自分の提案で見守り介護の人はその間に自分が外に連れ出すことにした。

自分の電解製品や必要なものも、そのひとの部屋に入れているので、確保することにした。

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生身のひとをこのように扱うものは本人も同じ扱いを受けるということだ。

この間記事にしてきた天と始原的物質(道)の話は他人ごとではない。自分の身に降りかかってくることだ。

辿り着いた東洋思想(実存主義は捨てた。介護の役に立たなかった)と戦う唯物論者としての最後を全うすることとは矛盾しない。

 

人間は便利にできている。

事実を直視しないで一生済ますことができる。生活の知恵というところか。

ファジー、スルースルー、外し外しが優しさなのかもしれない。

でも事実を直視すれば、白黒はっきりし、もっともっと激烈に生きられる。

架空のものに思いを託すなどというのは愚の骨頂だ。

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>仕事で介護する人と身内故介護する人、地域で無給介護する人の立場、条件における差異に気づくことが度々ある。

     まず自分の体験から

久しぶりボランティア団体にかかわったとき、団体運営についてすばらしいな、と思った第一のことは、活動家が昔のように食うや食わずで身を削り活動しているのではなく、きちんと常駐のひとにはそれなりの給料を払っていたことだった。若い男女二人、実務能力や政治能力はそれほどではないが経験を積めば、ということだろうか、彼らの背後にいるものが実質的な組織運営者だった。

わたしが相応のところで動けばわずかながらでもカネが出た。

 

過去の経験から一方的な思い込みのボランティア活動が暴走すると最後に破綻する。

活動量と人的力のバランスを無視しがちになり自己犠牲が常態化する。これでは邁進している人はやがてつぶれていく。視野も狭いままになる。したがって内輪もめが生まれ暴走する。

権限を持っているものが常勤である場合、自己犠牲ボランティアを引き回し、使い捨て現象が発生しいつまでたっても組織は膨らまない。

 

活動対象が厳しい条件にあるボランティア団体ではもう自己犠牲のボランティアは通用しなくなっている。常勤を置いて安定的に活動を続けていくことが活動対象のためでもある。

>以上を踏まえて、介護の世界でも身内介護、やボランティア介護には限界があるという結論に達する。

>仕事として給与の裏付けのある介護を活動をする人と、後者の無給介護の差異はあまりにも大きすぎる。後者には職業としての倫理はない。活動に対する対価も発生しない。

>では何をもって、介護のモチベーションとするのか?

@とくに脳の老衰の人に対する介護は以上のことが特別に明らかになる。

@私は常々、職業としてやっていたら、こういう言動は抑制できたのにという悔恨に向き合うことが多かった。職業倫理がない。経験を広げる機会もなかった。雪駄琢磨もなかった。全部自分のうちで処理してきた。それで多くの迷惑を本人にかけてきた。

ある時から便利屋、代行屋に徹しようと決めた。しかし、そういうロボット機能だけでは処理できないことがあまりにも多すぎた。本人が求めているのはそういうことではなかったが、自分にはそのつもりももう力もなかった。

家族の絆は盲点もあるがやはり威力を発揮する、とつくづく思うことがあった。身を削ってでも介護している方たちがいる。夫婦のじいちゃん、ばあちゃん介護では何とか持ちこたえられる。家族の絆、任せが今に日本では多く何とか持ちこたえている。1対1介護は危ない(特に認知症の場合)。

 

>施設介護は経費が掛かる在宅介護をできるだけ引き延ばしにできる福祉全体のシステムの方が結局、費用対効果が大きい。しかしそのためには社会全体のコンセンサスが確立していなければならない。在宅でヘルパーさん利用、有償ボランティアや家族介護する人にカネを出すほうが施設で拘束してカネの成る木みたいに扱い、施設の言うがままにカネを出すよりも安上がりで生活の質の向上になるのと違うかな。

>この辺は調べたことがなく情報だけで無責任に書いており迷惑に思う人たちもいる。

見守り介護の人はまだ在宅できる能力は残っているのに施設に入らなけれならない現状にある。

今はいらなければ空きがない。この点において責任を背負っていくつもりだ。それしか言えない。だから、

「生身のひとをこのように扱うものは本人も同じ扱いを受けるということだ。

この間記事にしてきた天と始原的物質(道)の話は他人ごとではない。自分の身に降りかかってくることだ。」と。

介護事業所への点数が出ていない。自分のようなボランティアはただ本人のやる気次第に任されている。きちんとカネを出ていれば、この介護状況も好転した可能性が十分にあった。従って、本人が損をし、自分は人生の時間を消費した。

施設在所期間が長いということは社会全体、世間が、人間の生々しい一生にわざと目をそらしているということであり、中途半端なことをやっているという証拠だそれでグローバル資本制の中で地位を保っていけるかどうか。足し算引き算だけの世界ではない。

 

@オレンジキャラバンという厚労省肝入りの認知症啓蒙全国活動がある。

2か所で受講したが私に言わせると見当違いも甚だしいものであった。

教科書冒頭に認知症になったら、人生の最後で人間としての尊厳が保てなくなると記されている。

終わりなんだと。

ある意味でそういう事実はある。

しかし、一般の人生終末者が生の最終局面で人間としての尊厳を果たして保ったまま死んでいけるのか!

絵空事言ってはいけない

人間は死ぬときにはたった一人で死んでいく。コレが事実。

また死ねばその人の世界は終わる。残された世界とのかかわりはない。あるとすれば残された人たちの心の中だけだ。死んだものと後に残って生きていくものとの間にどういう関係があるのか、ないのか。歴史総体としての関係はある

 

 大昔のインドに実存した釈迦は死ぬころには原生林に立ち入って彷徨の果てに生を終えたいと思っていた仏教思想から言ってもごく自然に出てくる考え方だ。

しかし、生前の教説流布が進んだ結果、釈迦の死の間際、ぐるりと高弟たちが取り囲んでいわゆる大往生ということになってしまった。

今の世の中で大往生できる環境にある人が何%いるか?

しかし、死の有り様が個的化、辺縁化しているということは死に臨む者にとって釈迦の望む本来の死に方に近づいている、ともいえる。

生の世界と切り離された辺縁系の死が大衆化している。

>ということは一般的な個々人にとっても死を思想化できる機会が出てきたということだ。

戦争に参加しなくても、座禅を無理して組まなくても事実を直視すれば、死に対する思想を持てる。

>自殺者がいっぱい出たり、拡大自殺のような異常事件が発生する思想的根拠はここにある。

 

>以上のような志向ルート以外に厳しい条件下で活動できる縁は職業的な倫理観、資本制の対価以外にない。

@一番かかわってくれているヘルパーさんは認知症の親の介護の経験があり、そこで挫折している。一番よくわかってくれるから、困難な局面にきっぱりと言い切ってくれるのですっきりすることがある。

認知症の親介護の苦しさと職業としてのヘルパー経験がうまい具合に融合しているように見える。

@所長兼人のケアマネさん認知症の人の在宅後期の始末をやってきた人だと思う。その人が私のような頭の中でこね繰り回した考えをその都度持ち出していたら仕事にならない。

 

@重度の人たちを揃えたグループホームを見学したことがある。

勤務主体は男性職員である。おしっこがしたいと訴える入所者がいると強引に抱え上げてトイレに運ぶ。マニュアルから外れた力ずくの作業であった。もちろんリハビリパンツはいている。しかしそうしないと経費が掛かると思った。

最上階のグループホームの入所者の表情から人間的な要素が消えてまるで類人猿のようだった。

この老人ホームは当時、入所にはかなりの補償金をとっていたはずだ。施設訪問者から帰る後ろ上品な姿が自家用車の中に消えていった。

@それでも人間は生きていくべきだ、というのが自分の考えだ。そこで勤務する者がいて利用者がいる。コレが社会そのものの生の姿だ。

 

>人の世がジャングルの掟が支配するものだったら

@巷間言われていることは全部きれいごと意匠になり

@嘘には従わなくなる人が多くなる。

@世の中窮屈になりマイナス要因の多い社会は停滞閉塞する。

2020年4月4日(月)見守り介護の人。早朝、洗面所が外にあると勘違いして外出しようとしたので引き戻し案内し帰宅。再訪問したとき姿なし。分かってなかったのだ。結局、ヘルパーさんが外で発見。

地域の役員がいつもの用事で外に出ているのだから、まず最初に聞けばよかった。迷子になっている方角がわかった。なぜ聞かなかったのか。事を荒立てたくなかった。間違いである。助けを求めることが大切。

 デュビゴ錠2,5mgでも効きすぎ。よく寝るが、2,5mgでも姿勢を維持するのが困難なように座った姿勢から崩れ落ちていくことがある。

超高齢者の理想的な睡眠はバタンキュー入眠、そのまま、4h、5h眠ればOKという。ナルホド、見守り介護の人の身体が健康なのはそのSLEEPスタイルもある。

あと、自律性のある生活ができている。食欲もある。気性もナィーブなようで結構図太いところがある。最も女性一般がそのようだけど。

 頭のほうの老衰は仕方がない。頭のアンチエイジングはない。自然の法則。

頭は天に昇っているのに身体は地上とこの社会の現実の真っただ中にある。一種の魂の幽体離脱である。

 

<生>は天地からゆだねられたものであり<死は>天という巨室に眠ることだ。道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。 それは天から逃げようとするからだ。 人間が天から逃げて人間本位になろうとするから 道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

>しかし、訪問介護の人たちのように探そうとしないのは、どうしたことか。やっていたけど<気>がはいっていない。あきらめが底流にある。

>本人の健康のためにはできるだけ早く探し出さなくてはならなかった。探し出されて廊下の向こうからヘルパーさんにさせられて帰ってくる姿は見るからに消耗しきっていた。

@いつものヘルパーさんと責任者が偶然揃ったので、施設入所の身の回り品を整える。

災害避難用に最近買い込んだ、コールマンの大きなキャリーバックに詰め込んでもらう。まさかこういうことに使うとは思っていなかったが、役に立ってよかった。

@しばらく眠っているときは、ぐったりしていたが、昼食を食べたら急に元気になった。少しみんなを騒がせた気まずさもあったのではないかな。自分はこの件に関して何も言わないことにしていた。

>本当に複雑な想いがする。当たり前にやれているときとそうでないときの落差が大きくと割り切れない。人格が統一されていない。別の世界にいることを接するものが気付かず、自分の世界内の常識でやってくれるものと思って確認作業を怠る。洗面所に案内したのだから、そこでやっていれると即断する。この場合、そばにいなければならなかった。

2022年3月23日(水)訪問、ボンヤリしていたので朝食、オムレツその他を持っていく。おかず買い物。入浴実行。今日は最近ではいつになく覇気があった。夕刻、眠剤効果で朦朧としてベッド下に崩れ落ちていた。明日の訪問診療の場で意見交換する。

夕刻買い物前に覗くと仰向けになって熟睡していた。

買い物はいっぱいした。

昨日なんであんなに入浴をぐずついたのだろうか、と思えるほど今日はすんなり決まった。

>ケアマネージャーの方から、同じ町内のグループホームに空きがあり入れそうだという情報。内容は不明だが最良のケースに思える。今後、難関は一山二山、さらにもっともっとでてくるが、在宅のまま家族崩壊大事故の事例も目の前で見ている。同じ階で事故死2件。グループホーム以外に道がない。よくやって戴いた。すごいと思う。私は何もできなかった。便利屋、代行屋に徹したかのような存在で、心のケアの面ではむしろマイナスだった、と常々自覚しながらも是正することができなかった。

>生き抜くことが大事。

@仮に入所してもそこで終わりではなく、それからがある。

2020年3,22火。湯張り、15:00⇒16:00入浴初拒否。掃除機日立2016製造日本、動かず。分解したがテスターなしの目視では、導通異常なし、新品購入。なすの煮びたし⇒1本のナスの株で100本以上はゆうに収穫。「苗半作」農家は苗を買って栽培。コメの育苗と生産農家の実態。ついでに小麦政府一括購入の裏側まで調べてみた。

   なすの煮びたし

結構旨い。見守り介護の人まずい、といって食べなかった。臭い感知できない。味の感知もレキシン拮抗眠剤で弱ってきているのかもしれない。なお、デュビゴ錠、近日中の訪問診療の場で相談することにした。電話でいきなり断ると処方した医者との対話ができない。意見も聞きたい。

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茄子を炒める手順、間違える。⇒火の通りをよくしようと思って、×切り口から炒めた

             〇最初に皮をよく炒めると、切り口は程よい状態になる。

@なす全体が炒めすぎて萎んでしまった。煮汁に漬けたナスがふっくらしていない。

>ナスは子供の頃の想い出から、病害虫に強く、やせた土地でも育つ、作りやすいなりもの野菜。確か、連作が効かないはずだった。⇒調べてみる!

                       ↓

*「インドが原産地のナスは、高温多湿を好み、日本の夏にあった育てやすい野菜です。」

スーパーにもよく出ているが(「長期間たくさん収穫することができます。また、更新剪定することで株が若返り、秋ナスの収穫も可能です。ナルホド道理でよスパーでよく見かけるはずだ。、炒めると油を吸いすぎる、焼きナスにしてもいまいち。調理加減が難しく食ってうまくない。

      

<茄子の栽培方法>そこまで知りたいのか。我ながら異常に思う

   種まき・育苗

「3cm幅のまき溝に1〜2cm間隔で条まき

本葉が1枚のときに1本ずつポット上げし、定植まで暖かい環境で育てます。⇒W稲の苗を育てるようにする訳だ。遠い記憶ではそんな手間はかけていなかったはず、種をまいてそのまま育つのを待つ。やぶ椿のドングリを観葉植物の鉢に何気なしにおいていたら芽を出して小さな若木に育ってきた。しめしめと大切に育てようと肥料をやったら、黒くなって一気に枯れて死んでいったことを思い出した。子育てと一緒で幼児期は脆弱。

    ナスの栽培時期・栽培スケジュール

播種(種まき)から収穫までの日数は、約120日となります。(品種・作型によって異なります)」W。栽培中の写真を見ると露地栽培しているが、3月に出回っているということはハウス栽培だろう。長期収穫可能なのでハウスでも採算が合う。

2月中旬に種をまいてポットで育てた苗は、5月上旬に植え付け、適切に管理すれば7月から10月いっぱいまで長期間収穫できます。

ナス(茄子)の栽培時期・栽培スケジュール

 育苗のポイント

1本のナスの株で100本以上はゆうに収穫することができる

種から育てると育苗期間が長くなり管理が難しくなるため、市販の苗を購入して育てるのが手軽です。連作障害に強い接木苗のものがオススメ」

最近では4月の上中旬頃から夏野菜の苗が店頭に並ぶようになりました。」

  ↓

「年々早売り競争になっていますが、「苗半作」と言われるように、苗の選択が栽培の半分を決定するとも言われます。優良苗の入手は必須です。」⇒W。今のなす商品栽培農家は種まきから茄子を育てるのではなくナスの苗購入から育成していくのか。スーパー店頭のナスがそれなりの値段になるのはあたりまえなのだ。遠い記憶ではナスは種から育てていたヨ。売り物ではなく自家消費用。記憶違いかもしれないが。

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  W参考資料①

http://agrin.jp/hp/q_and_a/nouka_shunyu.htm

引用 W.日本の稲作は苗代から始まっている(田んぼに直接種まきしても生産性が低いから丈夫な苗から作る、タイとかの外国米生産に苗代はないヨ)ことを都会人は知っているのか?日本のコメ作りにはそれだけ手間がかかっている。

お米は、10アール当たり600キログラムとれますから、60キログラムあたりの値段の10倍になります。つまり、3ヘクタール=300アール(10アール×30倍)の田んぼをもっている農家は、

  1984年(昭和59年)=18,700×10×30=560万円
  これが、今では・・・・・=16,500×10×24=400万円

 なぜ、最後が、「×30」でなくて「×24」かというと、「げんたん(減反)」といって、今、お米が余っているから作らなくてもよいことになっていて、お米を作る面積を減らして、お米の生産量を調整しているからです。

 さらに、この収入のうち、半分の200万円が、お米を作るための「タネ代」・「肥料代」・「農薬代」・「材料費」・「燃料費」・「電気代」・「水道代」・「農業用の水を利用する利用料金」・「共同でお米をかわかして、良いお米を選ぶ作業代」などなどに消えてしまい、手元に残るのは、200万円です。3ヘクタールの農家では、家族で生活していくことは、とても不可能です。どこかに働きに出たほうが、この何倍もの収入を得ることができます。

>W注

1反は、991.74平方メートルで300坪になります。約10アールです。
この10倍の広さを表すのに10反で1町歩(ちょうぶ)という単位があります。
1町歩は、約9917.4平方メートル、約1ヘクタール

1ヘクタールは、10000平方メートルになります。(例)100m×100mの広さ。

W。3丁歩の土地持ち農家といえば寄生地主制度のなくなった戦後では相当なもの(西日本)。もっとも3ヘクタールの農家が所有地を全部米作にするわけがない。コレぐらいの耕作地を所有していたら、専業農家でもなんとか食っていけるのではないかな?

百姓やっているものが究極のところ(世の中が混乱してくれば来るほど)、一番生活基盤が安定している。

*******W。減反補助金を出すほど内国産のコメが余っている一方でパンなどの原料になる小麦は国内生産者がほとんどいなくて輸入に頼っているが、政府が一括輸入し製粉会社に分配している現状(世界市場価格の変動に左右される。今、殺し合いをしているロシア、ウクライナは世界的な小麦生産国)はあまり知られていない。農水省管轄の内情はどうなっているのか。

 W参考資料②

政府がなぜ小麦粉を一括して輸入してるんですか?そうしたほうが国民... - Yahoo!知恵袋

引用 

「外国産小麦は農林水産省が一元的に輸入し、製粉会社に売り渡す仕組みになっている。その際、農水省は製粉会社から小麦1トンあたり1万7,000円近いマークアップと呼ばれる上乗せ金を徴収していた。

>現在の外国産小麦の売り渡し価格は平均で、1トン6万9,120円だが、計算上はこの4分の1がマークアップで加算された分。⇒W酒税と同じだな。ちなみにギャンブル税<てら銭>も25%の異常値」⇒W。マークアップの受取先は農水省直轄特別会計なのか、酒税と同じく国税庁になるのか。調べるとわかるが時間がない。

「高額のマークアップが使われる先は、国内生産者への補助金だ」ギャンブル税の行方とそっくり<国内畜産補助>

「しかし、小麦の価格にはさらに不透明な金が上乗せされていた。 そしてそれは、農水省天下り法人に流れていた。天下り法人への「拠出金」】 製粉会社が小麦を買いとる際、国産・輸入モノを問わず、マークアップ以外に奨励金などの「拠出金」というものが加算される。その額は1トンあたり1,530円だ年額では85億円もの小麦の「拠出金」ところがこの金に法的な根拠は何もない。

支払い先は財団法人・製粉振興会(東京・中央区。常勤役員2人が元農水官僚で、職員も13人中3人が農水省OBという天下り法人だ。」

「しかしその一方で、こんな事業にも使われていた。「こちらが製粉振興会のPR」W。4、300万円

「さらに不可解なのは、小麦の「拠出金」のうち年間61億円あまりが、別の天下り法人に流れていることだ。社団法人・全国米麦改良協会(東京・千代田区)。常勤役員4人中3人が、やはり農水省からの天下り。 この法人は、製粉企業から集めた「奨励金」などを生産者団体に分配する業務を行っているという。ちなみに取材に応じた天下り理事の年収は1,600万円だが、これも一部は麦の拠出金からだ。⇒小麦「拠出金」の受取先と分配先が別法人になって各々人員が配置され運営費が発生する。ただし、別団体にすると責任が分散できる。」

>反俗日記では、ロシア、ウクライナ戦争が勃発して小麦価格上昇からパンの値段が上がった、などという言説を疑問に思って、記事のどこかで書いておこうかな、と思っていたが今更、と止めた。原油価格上昇でガソリンスタンドの値上げがあるのはわかる。政府備蓄もあるが民間法人が輸入している。

それと、政府一括輸入の小麦価格上昇は訳が違う。小麦世界市場の価格上昇が即ストレートに末端消費価格上昇に反映するわけがない。小麦は備蓄も効く。政府の一括窓口なら、状況を見て蛇口の価格を据え置きすることができるシステムなのだ政府=製粉会社は一心同体で金儲け、と言われても仕方がない。小麦価格は明らかに政治課題である。

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   えの玉

>これも失敗。鶏がらスープの素。オイスターソース。ともに塩分含有率が高い。鶏ガラの塩分濃度については一回懲りていたのにまたやらかした。味が薄いと思って塩コショウを振った。

 

2020年3月20日(日)昼食、食卓下に落下⇒掃除機で吸引処置。発信タグ付き財布、3,14紛失した財布いつもの場所から発見の不思議。19時、額強打突如意識遠のく⇒眠剤デェビゴ錠5mg効きすぎ濃厚。

見守り介護の人。天に昇る(帰る)準備をしている。

これからの一日一日を大切する。

反俗日記流儀の記事は書き尽くした感がする。

①知らないことを調べて書く、

②自分の行動の大枠を決める、

③モチベーションをかためる、

ことをモットーとしてきた。

しかし、終止符を打つ時がやってきたようだ。

>吉本「良寛」の荘子の解釈は自分が持っていた本質的な性向にぴったりだった。

>やっとここにたどり着いた。

>Wは道徳や法律、政治には本質的に無関心な人間だった。生きている人間には本質的に興味がわかなかった、コレが本当のところ。

そういうものは自分の掟の中に雑然とあって外部の社会にあるものの中でWを強固に規制するものに対して生きていくうえの必要として外部的に対応してきただけでそんなものは自己の内部に何の影響を及ぼさなかった。

自分の言う社会とは自分が頭の中で描き上げたものに過ぎなかった。生の世間や社会の事実には関心のあるそぶりをしていた。生きた人間に無関心なものが政治的人間足り得るはずがない。

この手の人間はそばに行ってみる体験してみなければ納得しないものである。

その意味で鴨長明の行動性には納得できる。あの人は自分の中の掟に従った。生きた外部への関心は本質的になかった。

>今風に言えばオタクということになる。

@しかしそれだけでいいのか、ということを考えた結果今の自分がある。

@自分の意志の絶対外部にある事態に翻弄され、流れる時間ごとに判断し決断しながら、自分の時間をみいだす無常の日々といっても過言でないでないがこれしか選択できなかった。コレでよい。この世でたった一人しかいない自分という人間は浜の真砂に過ぎないが物質の自己展開の果ての自覚する物質として最後を全うする。

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今まで散漫に書き散らかしていた記事の内容は、将来ある時期が来たら、イラナイ所を削って、まとめようと思っていたが、ついにその時期がやってきた。

>それよりも先にやることがある。

@見守りケアを中心の記事になる。

@毎日連載することで記録になる。

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今日、2022年3月20日(日)3,14(月)紛失を確認した財布が突如出てきたその週の木曜日、防犯カメラで見守り介護の人の外出の有無をモニターカメラで調べた結果、それらしき姿はなかったことから、外からの部屋の入ってきた人が盗んだと結論づけてきたが、内心ずっと腑に落ちず

>今日の昼、本人の茶碗落下の後始末をした後、何気なしにもう一度、本人が財布をよく置くブリキ缶のふたを開けると、ナントそこに発信タグ端末を一つずつつけた財布入りのなじみの小手提げバッグがあった。

あり得ない事態だった。この場所はすっからかんだったはず。

それに発信機のスイッチを押すと端末は鳴る。メタル電池は3V。TILEなどというスマホアプリの上品な音は聴き辛いのでアンインストし、わざと大きな音の出る原始的な機器に変えた。しかも紛失2日~3日前にご丁寧にも小バックまで端末を入念に装着した

室内にあれば、よほどの密閉防音箇所にしまわなければ発信音は察知できる。

>コレは一種の謎解きだな。

>もっともコレ以上の探索は紛糾の元になるので止めるが。

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@デュビゴ錠5mg効きすぎとの結論に達した。

@3月12日(土)夕から服薬しだして(分包に他の錠剤と同封)2回も3月14日(月)3月20日(日)突発的に意識が遠のく事態に遭遇している

 いずれの事態もその時、その現場に自分一人で居合わせ、

3月14日(月)一回目は紛失財布探索中に本人が突然意識朦朧となり、当方はおろおろしながら、対処の急がれる脳梗塞の危険性や、睡眠薬の副作用、コロナ渦の救急搬送でかえって病状が悪化する、などいろんなことが頭を駆け巡り、血圧計測定、や脈触診、応答の結果、結局、本人の意識が戻って何とかなった次第だったが、振り返って、前はもっと決然としていたと思って自分の無様な姿に嫌になった。

3月20日(日)2回目は浴室で夜の洗顔、歯磨きを即した最中、扉の角に額をぶつけ、急にふらついて椅子に座らせたところ、崩れ落ちるような体制になった。連絡ノートをつづりながら様子を見ると(今から思うとまったく無駄な行為~人間って緊急の場合、手ぶらで対応できない~)意識朦朧は激しさを増すので、その場で支えながら歩けるまで待った、後ろから抱えてベッドに横たえ血圧計測定や触診をして様子を見た。

結局、突発的に血圧上昇が起こると、眠剤の成分が血管を一気に駆け巡り、効果が爆発的に発揮され意識がもうろうとするようだ。

朝も覇気がない状態が続いている(ヘルパーさん、今朝はいつもと違っておとなしい)

機嫌がすぐ悪くなるという今までになかったことが起こっている。

日中、眠くなる、との本人の弁。

明日祭日、診療所は休みで判断できる人はいないだろう。勝手に眠剤を抜くことはできない。

>以前の眠剤はすぐ効果を発揮し(即効性)らりった様な状態になることが多発しているので中止を要請したのは当方。

>再開を求めたのも当方。ただし、デェビゴ錠は医者の選択。

*****

参考資料

【精神科医が解説】デエビゴの効果と副作用 | こころみ医学元住吉こころみクリニック【内科・呼吸器内科・心療内科】

高齢者の不眠症

睡眠薬について③ デエビゴ、ベルソムラ|高津心音メンタルクリニック 川崎市 高津区 溝口 心療内科・精神科 町田

見守り介護の人の日常生活(昼は起きていることを心掛けている)、睡眠傾向すぐ3時間は眠れる、コレで十分らしいWの眠剤は効いてきたから早く眠りつかせるは間違い!また、寝る準備を急がせるも大間違いだった!

先を急がせた結果3,20(日)の浴室ドアに頭をぶつけ、眠剤朦朧効果突発事故につながった。しかし、時間をかけてといっても、ずっとついているわけにはいかない。ほどほどの時間で切り上げること解決策はWのスケジュールを早めること。

超高齢者にしては正常であり、睡眠薬はいらない

足りないのは外出日光浴び、運動。付き添えばできる。

マイスリーはアルツ認知症には悪い睡眠薬だったが今更、指摘しても~~。研究が進んだ結果である。医者の勉強不足もある。らりっていて止めたのは正解だった。デュビゴ錠も飲みだして傍目、や突発的な意識朦朧など良い結果は出ていない。

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  • ①OK。横にならないと言い張ってきた
    ②自律性高い。本質的なボヘミアンWと真逆のひと。教えられている。
    ③は頻尿でトイレによく行くこともベッドを離れることにつながっている
    ④昼間寝ることを一貫していやがってきた。
    5運動は室内整理整頓。これからやれるようにする
    6、7もできていない
    8酒たばこはやらない
    9,水分補給は夕方から控える、は知らなかった。
    当たり前の道理なのだが!
     
    アルツハイマー病などの認知症患者では、日中の活動性が低下することにより、日光暴露量が不足することに加え、白内障などの視覚障害のため体内時計への刺激の入力が低下すること、体温リズムの乱れ(W。ナルホドそうなのか!時折の微熱の原因がわかったような気がする!などのため、睡眠覚醒リズムの障害をきたしやすい。さらに、アルツハイマー患者では、健常高齢者よりメラトニン分泌量が低下していることが報告されている
     
     メラトニンは脳の松果体(しょうかたい)と呼ばれる部分から分泌されるホルモンです。 体内時計に働きかけることで、覚醒と睡眠を切り替えて、自然な眠りを誘う作用が ...
引用
デエビゴは、私たちの睡眠・覚醒の周期に関係する生理的な物質の働きを調整し、睡眠状態に仕向けていくお薬です。本来の眠気を強める形ですので、効果が人によっても異なります。

臨床試験では、海外で発売されているゾルピデムER6.25mg(マイスリー徐放性製剤W注マイスリー5mg相当見守り介護の人、この薬からジェネリックに代わり長期継続服薬のとの比較試験が行われています。そちらの比較試験では、1か月後にデエビゴが優位に改善しているという報告があります。

W注

徐放性製剤とは、薬の成分が少しずつ長時間放出され続けるように加工された製剤。 放出制御製剤(コントロールドリリース製剤)の一種である。ナルホド、新任の若い医者がマイスリージェネリックはだめだといった意味は分かった。

      デュビゴ錠の代表的副作用

眠気が残る  頭痛がする

@デエビゴの効果は個人差があり、

翌朝にも効果が残ってしまって眠気が続いてしまうことがあります。

またデエビゴは、生理的な物質であるオレキシンと同一成分ですので、依存性が極めて少ないという特徴もあります。⇒止める際の離脱症状少ない、ということかな?

 

デエビゴの副作用頻度は、

  • 傾眠(10.7%)
  • 頭痛(4.1 %)
  • 疲労(2.9%)
  • 異常な夢(1.8%)
  • 浮動性めまい(1.6%)
  • 睡眠時麻痺(1.6%)
  • 体重増加(1.6%)
  • 悪夢(1.4%)
  • オレキシン受容体も投射先に一致し て脳内に広範に存在するが,サブタイ プによって組織分布はかなり異なって いる. OX1受容体はラット脳において 海馬,扁桃体前頭葉の皮質,視床視床下部(前部),脳幹の青斑核などに 広く分布している.⇒W。アルツ認知症の障害を受ける箇所と一致している点が気になる!
  •  なぜ睡眠薬がこれほど嫌われるかと言えば、先述の通り副作用が怖いからである。
  • 「やめられなくなる」「禁断症状が出る」「だんだん効かなくなって量が増える」「飲み過ぎると死ぬ」など多くの人が睡眠薬に関するさまざまな心配事を抱えていることが明らかになっている。ちなみに、2000年代以降、つまり最近20年間に開発された新しいタイプの睡眠薬メラトニン受容体作動薬、オレキシン受容体拮抗薬=デムソムラ、デュビゴ)についてはこれらの心配はほとんどない。
  • ************
  • 本日のテーマである「飲み続けるとボケる(認知症になる)」も睡眠薬を服用する際の心配事の上位にランクされることが多い。週刊誌の「この処方薬が怖い」といった特集では睡眠薬は必ずやり玉に挙がり、「認知症になるリスクを高める!」という記事も多いのでランキングでも赤丸急上昇かもしれない。記事を鵜呑みにして急に服用を止めて体調を崩す患者さんもおり、いたずらに不安を煽る記事には、必要があって処方する側の医師として本当に苦々しい思いをしている。
  • *************
  • 認知症のリスクに関しても新しいタイプの睡眠薬については心配ない
  • ************日本人の実に5%以上が医療機関から処方されたベンゾジアゼピン受容体作動薬を定期服用しており、とりわけ認知症が気がかりな高齢者での服用率が高いため、心配になる人が続出するのは当然である。
  • ***************
  • さらに、ここ5年間ほどの研究によって、睡眠不足や不眠症そのものが認知症のリスクを高めるという強力な証拠が続々登場してきた。であれば、睡眠薬を怖がって不眠を我慢するのは賢い選択とは言えない
  • ******************
  • @「特に、高齢者で大事なことは8時間睡眠を目指さないことである。入眠後、最初の3時間が大事で、3時間眠れれば、その後眼が覚めてもそれほど問題にならないことも多い。⇒W。この見解によれば、見守り介護の人。すぐ眠り3時間なので睡眠薬はいらない。どうりで身体は達者なわけだ。
  • *******************************
  •  高齢者の不眠対策は、睡眠時間制限療法(あまり早く床に入らず、いつまでも寝ていない)が有効であるが、重度の不眠を訴える高齢者ほど、睡眠時間制限療法を守らないケースが多い。就床時間(床に入っている時間)は7時間以内にすべきである
  • 65歳以上であれば、睡眠時間は5~6時間で十分である。
  • 夕食後眠くなっても、すぐに布団に入るようなことは避け、午後10時か11 時頃まで起きているように努める。日中に眠くなるようなら30分以内の昼寝をする。時間は午後2~4時までとすべきである。
  • @1時間以上の昼寝は認知症のリスクが2倍増加し、2時間以上ではそのリスクが3~4倍となる。
     現状、認知症患者の不眠症に対して十分に有効で、かつ安全な薬物療法は確認されていない。薬物療法開始後も非薬物療法を併用することが薬物療法単独で実施するよりも有効である、
  • @@
  • ベンゾジアゼピン睡眠薬(ただし、ゾルピデム[商品名:マイスリー]は鎮静・依存・健忘作用あり、アルツハイマー病患者に投与する時は要注意)⇒W新米の医者がマイスリーに過剰反応し、ダメ出しをした理由が分かった。だったら長期の主治医はアルツ認知症に悪い作用をする薬を出し続けていた、ということにあり、らりっているのを見て止めさせたWは正解だったと思いたい、
  • W。オレキシン受容体拮抗薬
  • オレキシンは起きている状態を保たせる働きがあり、この働きが夜寝るとき過剰であると不眠になります。
  • @この薬はオレキシンの働きを抑えて眠りに導きます。

レンボレキサントは、2019年12月20日不眠症の成人による使用がアメリカ合衆国で承認され、2020年1月23日には日本での使用が承認されエーザイから商品名「デエビゴ」で発売されている[5]

レンボレキサントの濃度がピークに達する迄の時間は1~3時間である[

レンボレキサントの排泄半減期は17~19時間である[1]。本剤は、(57%)および尿(29%)から排泄される

  • オレキシン受容体拮抗薬は依存性のリスクが極めて低いと考えられています。

    また筋弛緩作用が少なく転倒のリスクが少ないこと、内服後の健忘などの認知機能への影響も少ないこと、呼吸機能への影響がすくないこと、緑内障などの眼圧への影響がないこともメリットです

  • ③デエビゴは作用時間が長く中途覚醒(夜間や明け方に目が覚めてしまう症状)に効果がありますが、用量が多いと持ち越し効果(眠気が翌日起きた後も残ってしまう現象)が生じるため、内服する用量に注意が必要です。
  • @Wはすぐ寝付けないタイプだが、睡眠に関して無頓着。布団の中で眠れなくてじりじり夜を過ごすことは1年のうちめったにない。たいていは寒すぎる熱すぎるといった環境の問題が眠れない原因。起きているときは常に何かに夢中になっているので、集中的に考え行動することが多く一日24時間は短すぎる!(それでよく失敗する。とにかくやることは早すぎる)、布団の中で考え事をする時間を大切にしている。

【養老孟司】世界は二つある。人間の世界~「心」~とそうでない世界~「体」~。自然のほうがきれいに消えていますから、主観的な世界の中では人間世界のマイナスもプラスも倍に。生き物なんだから、やっぱり半分自然の世界がなければいけない。

養老孟司】「ざまあみろ俺は生きている!」と思えるようなことは何か? 

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アンケート

「自分の欠点を指摘してくれる友人がいる」

「自分を想ってくれる家族や友人がいる」

  養老

「なんの縛りも受けずに自由に時間を使える」

「コレはちっと違うと思うんですけど」

W。見守り介護の難関に遭遇したとき、人性の最期をこれから病苦と介護に費やす時間が多くなる想うと虚無感や絶望感を抱いた。

*****

@「これ全部人間関係なんですね」「人なんです」

@「それでこれだけ大勢の人たちが幸せというときに、」「人を見て幸せといっている」

>「人との関係で幸せということは」

>「これひっくり返すと人との関係で不幸せになるっていうことですよね」

「基本的に人間関係の世界なんですね。人間が集まっている社会」

「それも何らかの理由で機械的に集められた社会なんですよ、人が」

 

「コレはある人が自分が中学生の時に虐められていた経験を本にしたことがある。

「10年たって14歳だったときのことを24歳になって書いた。」

>「いじめらるって経験を今のヒトがどう想っているのかと興味を持って読んだ。」

>「その本を読んだとときの印象と皆さんがここにアンケートで書いた印象が非常によく似ているんです」

@「その本の中に一言も出てこなかったことがある。」

@「それを端的にいうと『花鳥風月』なんです。

花であり鳥であり月なんです。つまり広い意味での自然なんです。

人の世界でない自然というものがほとんどないんだってことに気づいた。

>「そうすっと子供の世界でそういうモノがないと何が起こるっかていうと人間の世界が大きくなる。

そうすると人間の世界の良い点と悪い点が大きくなります。」

「だから皆さんが特別なトラブルがなくて今生きていたら幸せだってのは解るんです。」

@「問題は不幸せの時ですよね。人と人との関係が世界を占めちゃっている。」

「僕らが不幸せっていうときにどこに逃げ場があったていうと、解剖やってりゃ死んだヒトです。死んだヒトに出るとたいていの不幸は飛んじゃいますね。

『さまぁみろ、俺は生きている』って感じですから。

そこまで極端に思わなくったって」

@「要するに亡くなったヒトって自然なんですよね」

「だからそういう自然の世界っていうのは

「人間の世界と別にあるんですよ」

「このデカルト心身二元論じゃないんだけど僕は世界は二つあると想っておりましてえらい苦労して自分が何かあれしたら一番いいのは虫みてるんです。そうすると苦労しているのが何となく馬鹿みたいに見えてくる。

>「俺がいくら苦労したって虫は勝手に生きている。~今は面倒くさいのでネコを見ている。よっぽどうちの家族よりも猫の方が勝手気まましている。あれ見てたら人間関係のごちゃごちゃは馬鹿らしく見えてくる。あいつらはちゃんと平気でそれでも一生生きてるんよ。ちゃんと。虫なんてもっとそうでしょ。

>「ところがこのアンケートを見る限り皆さんに幸せは良いんですけどそれを決めているのは人となんですね。

@「そうすると人だけに幸せを賭けると危ないって本能じゃないんだけどそういうモノを持っている。W戦前と戦後、世界がひっくり返った体験を語る。

「それやっていると人を頼るとあぶねぇ~よ』、というのは

「そうすると生きている患者さんではなく死んでいるヒトです。生きている患者さんはどんなうそをつくかわからない。~~だけど死んだヒトだとそれは一切ありません。

>「一切ないってのは冷たいようだけど気持ちがいい。

それでしかも一切ないから例えば死んだヒトを解剖していってよく問題が起こるじゃないですか。おなかの中からはさみが出てきたとか

>「そうすっと人間関係の社会の中ではそういうことに対してどういう表現をするかというと、『あってはならないこと』っていうんです。~~解剖学の世界ではどういうかというと『出てきたものはしょうがないだろ』っていうんです。

『身も蓋もないけど』

~~それが好きなんですよ私は、

~~

「だから幸せって僕が気になった。

「世のなか全体がやっぱり~~~

「これだけ花もなきゃ、月もなきゃね。

「そういう世界の中で何が書いてあるかというと家族がどういう風に反応したとか、どういったとか、友達が相談にのってくれたとか、くれなかったとか、そういうことだけが永遠と書いてある。

「私なんかそれを読んでいると途中で放り出したくなる。まあ~そういうこともあるけれど、お宅に猫居なかったのか、どこかに鳥が鳴いていなかったのか、その鳥はなんて名の鳥なのか、そういうことを聴きたくなるんですよ。

「そうすると世界がちょと広がります。

「私の育ったころの世界はちょうど人間の世界とそうでない世界が乱暴に言うと半々でした。」

「だから人間の世界の良いこと悪いこと、当然今と同じようにあるんです。

友達がいて楽しかった。いじめにあってたいへんだった。コレマイナスでしょ。マイナスもあればプラスもある。

>「自然もそうなんです。自然のプラスはいろいろありますよ。天気が良くて気持ちがいい。逆に3月11日の震災とか津波が良い例でとんでもないことが起こることもある。

@どっちもプラスマイナスがあるんですけど、人間の世界だけになった時を考えると、そっち側のプラスマイナスが自然のほうがきれいに消えていますから、何と人間の主観的な世界の中では人間世界のマイナスもプラスも倍になっている訳です。そうですね。世界が半分になちゃってそれが広がってんだから

>「本来は皆さんは生き物なんだから、やっぱり半分自然の世界がなければいけないような気がするんで余計なお世話なんですけどいろんな運動している。

「それはどうしてかっていううとさっきのこれは

>「心と身体の問題と絡んでいる」

だから皆さん。

@実はそういう面で云うと皆さんは幸せって書いたということは多分体が丈夫だからです

20代前後二十歳前後で体の具合が悪いはずがない。

だいたいその辺が一番死なないと誌ですし解剖学で云うと、その辺の年代の人が死んでくれたらぜひくれという。ほんとうに無いんですよそういう死体は。死体がないって死なないからないんでしょうがないんですけどそれでそういう風なことがあるからおそら>人間関係の中だけいても十分幸せでいられるんだと私は見ています

 

@実は最近読んだ本の中で一番ショックだったのは渡辺恒雄という読売新聞のえらいさんがいて「反ポピュリズム論」って本を書いている。

@読んだ私はいじめの話と全く同じだった。もうわかったでしょ。花鳥風月無し。

なるほど政治の世界はこうなんだ。だから俺は昔から政治が嫌いなんだと解った。

そうすると僕はなんかバランスが悪いような気がする。でもあれだけ偉いヒトでいるでしょ今でもコレは世の中が変わったんだな、とおもった。半分百姓のような格好でいる人の方が私は信用できるんだけど

そういう人はあの年でも頑張って本を書いているってことは、私より年上ですから世の中変わったなあ~

やっぱりそういう人がえらくなる時代だってのがある。

日本ってのは基本的には花鳥風月を大切に知る文化を持っていましたね。

2021年、入浴後、ホワッーとした気分になって過去回帰状態。12月上旬、入浴後あらぬ動機で外出迷子になり通行人に交番に案内された。12月中旬、登録。

 

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前回の記事で布団を毎朝、押し入れにしまっているので<偉大だ>などというタイトルを付けた。

それでも圧迫骨折の可能性もあるし、当方が毎晩ベット上の掛け布団と毛布を敷きに出向くことが持病悪化の関係でできなくなってきた<病状に合わせた自己完結する生活サイクル>自宅療養生活パターンの確立>することが必要になってきた。

毎朝、毎夕の訪問から、不備を見つけ補助や予防をするコレまでの援助スタイルは前記の生活パターンとは矛盾するようになってきた。

敷きっぱなしにするように繰り返し説得したが逆効果で敷布団だけは上げないが枕諸共ぜんぶ押し入れにしまうようになってしまった。手許現金も上手く管理できるときとできないときが繰り返される。

 細部の生活習慣の改善に深くタッチすると逆効果になり、それを超えて慣れてもらうためには時間と労力がいる。今まで節目節目がそうだった。

 なぜこんなことになってしまうのか?とよくよく考えてみると。

布団の件、手許現金の件は説明と説得を伴う事項。

症状の教科書では進行すると説明説得は受け付けられない、むしろやり方によっては逆効果が発生する、という。

丁寧な説明説得を繰り返し、上手く行かい場合も根気強く丁寧に目的に誘導する。コレは素人には難しい。事務的な説明説得過程になってしまい相手の理解は目的からはみ出したところに及ぶ。

 経験の蓄積や技術のない素人では無理な部分が多くなる。

>それと本人自身がどの程度のレベルのリアルな介護を受けているかという、その時点での総合的な介護環境の中で、あくまでも部分としての説明説得、目的誘導行為が本人取って重要になる。

全体の介護環境を抜きに部分の目的が達成できないといって、本人を責めることはできない。本人は教室の生徒ではない。

>自分の病状悪化の説明はいってもさほど関心を示さないから、十分でなかった。

@相手の立場を思いやれたら、認知症の程度は低い。自己中心が認知症の特性。

@そういう事情で当方の病状悪化による従来支援ができなくなり、本人の介護環境が悪化が、この間の迷子事件を含む本人の混乱の大きな要因になっている。

@記憶障害、見当識障害によって日々の意識の連鎖の寸断度は増しているが、それでも嫌な想いが繰り返されると、脳の奥深くの始原的な部位に沈殿し本人の混乱度は深まる。

*不健康なものが症状の日常的な支援を担うと、本人との関係で最低レベルの事態が繰り返される。

異常事態に割り切ったつもりの対処を心掛けても、リアル現場に遭遇する回数が多くなり、反発が強くなれば、つい我を忘れるという情けない事態になる。今までも繰り返してきたが、ここ最近、その間隔が短くなり、深刻度は増してきた。反省、後悔、呪いが深くなり今までのようにねじを巻きなおして再出発できなくなった。

@そこで介護事業所の方に従来になってきたことの多くをやってもらうことにした。

@ただし、介護保険の点数を目いっぱい使っている。介護の人たちもよくやってくれている。彼ら個々人の頑張りに依存するようなことは避けたい。特に無償労働は絶対にダメ、それ相応の報酬が必要。本人の預金から介護保険外の対応をするというので安心した。

@自分も、実行行為によって訪問介護の人たちの個々人の頑張りを減らしたい。

>結局、今の自分の思惑と見守り介護の人の頭の中にある従来援助スタイルは異次元みたいに違う訳で、相変わらず相談や要望は継続する、と予測する。

@やはりトータルの介護環境は変わっていく訳だから、それが病状悪化に起因するとは繰り返し丁寧に説明しておいく必要がある。全部解ってもらえなくても。

>100点はとても無理。80点70点でも難しい。

@アバウトさと洞察力を両立が目標。

>しかも介護者の意識の絶対的外部で進行するのはこの症状。

ヘルパーさんの中の一人は母親介護に疲弊し家を出て精神不安定状況を克服したという。当方の事情を率直に話と解りますといってくれた。娘さんは看護師。

近所の老女は夫が度々転倒するのをそのたびに起こし、眠れない夜も多く、夫よりも自分が先に行く覚悟をしたという。92歳の夫は2度目の大転倒事故をきっかけに今施設入所。最近長話していたら「年寄っていやねぇ~」といっていた。

人間ってなんなのだ?

自分も先に死ぬ、は度々で口に出すこともあった。

最後の時間が削られて行っている焦燥感が先行する。多彩な趣味の持ち主、関心の向かう方向は多方面。それがある程度可能な健康が維持できていればまだやりたいことが一杯ある。介護がすべてではない!コレが今まで支援を長持ちさせてきた要因と想っている。部屋で時間が作れると頭の中から、興味がわいてきて介護からの転換はできる。

だからやり方を変えたら良い。

@今日は、見守り相談室の立会をした。

@この記事を書き上げた今、見守り介護のヒトは親指の先をケガしているので見てくれと尋ねてきた。キチンと塗りクスリを買い込んでいるよ。毎年水道水が冷たくなると指の先があかぎれする。

>今後介護関係でやることは二つ。

>近所のヘアーサロンに連れていく。

>介護事業所と細かい打ち合わせをする。~引継ぎと自分のやれることをはっきりする~