反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

自民はメガバンクから119億、政治献金200億、政党助成金150億で政治とカネを追及していた。

 自民党メガバンクからの借金は30億と何回かこのブログ内で書いてきた。本格的にこの件に言及したものでなく何かのついでの書いたまでで、本来「政治とカネ」なるモノにはほとんど関心がない。というか、他人の懐を詮索するような観点をほとんど持ち合わせていない。当然、カネをたくさん持っている方やいい思いをしておられる方へのやっかみなんてのも先天的に持ち合わせていない。

 以前、麻生太郎首相がいいとこに住んで、ホテルのラウンジで一杯やっているなんて記事で何か批判めいた傾向があっても、カネ持ちが何処に住もうと何を食おうといいじゃないか、とそういう話題を取り上げることに反感を持っていた。
 麻生邸ににデモをかけようとした浅はかな人たちもいた。

  むしろカネ持ちがことさら庶民はぶることの欺瞞性の方を嫌悪する。国民目線だとかとかもどうでもいい。要は国民が飯を食って行けて健康でいられる政治をやってくれればいいのである。
 以前新聞を読んでいた時も三面記事には全く関心がなかった。世の中には事件がある、いろんな人がいる、其れを一々話題にすることはないと。他人の不幸をあれこれ言うことはきらいなんだ。心底。

 カネ持ちが幸福であるとは限らないよ。カネがないからもめる事件が起こるが、カネがあるからもめ事が起こることがある。
 
あきらめること、執着しないことも人生では大切だと、解ったのはありがたいことだと思っている。
人は死ぬことから絶対に逃れられない。これに向けて精いっぱい生きること、とともにあきらめ、執着を捨てて臨みたいと思う。

 前置きが長くなった。
私のこんな人生観は自民党の政治方向とは相いれるものではない。
カネ持ちはいい。ところがカネがないような振りをして、他人の懐具合を国会という超オオヤケの場で
追及しているのは、ただもうどうしようもない奴らだ嫌悪感を抱くのみである。
 タイトルの様な自民党の乱脈ぶりにしてもそれでいい政治ができるなら、あえて納得できる、それくらい「政治とカネ」の問題なるモノに昔から関心がなかった。

 体験によるところも大きい。
活動を保証するためにはカネがいる。ボランティアを祭り上げる人がいるが、前にも書いたようにそこでさえ、仕事の専門性が必要となってきており、常時携わっている人には給料が支払われている。

 国会で多くの議席を持つ党や活動量の大きな政治家には多くのサポートする人間が必要である。
その人たちや活動にキチンと資金が対価として支払われなくてはならない。むしろ、払われていない方に問題がある。無償労働やカンパが比重の大きい世界が政治を取り仕切ると偏狭な政治になり易い。どうしても排他的になり易い。

  共産党公明党の様な組織政党は資本主義の実体とは根本的に相いれないものと思っている。これらが天下をとって政治を動かしていくようなことがあると国民は息苦しさと圧迫を受けるだろう。
これが政治の生の現実である。だから、アバウトというのを許して行った方が国民自身のためにもなるし
社会に余裕と活力を生む側面があることにきずいた方がいい。
 社会に閉塞感が充満しているのも実は国民が自分で自分の首を絞めてる部分もある。

 確かに大抵のサラリーマン家庭では結構かつかつの生活をしている。
そこで育って一流大学でいい成績を収めたものがマスコミに就職できる。当然こんな人の倫理観としてはカネに厳しいものになる。要するに生まれながらの優等生である。キチンとした人たちである。
こんな方や大量の縁故採用者を抱えていると記事や会社がどういう方向に向かっていくかおおよそ見当がつく。自分たちの優等生的倫理観を社会に振りまいていくことになるが、これで社会がいい方向にいくとは限らないことがミソだ。

 だから肝心のことはマスコミに対しては特に厳しい批判的な観点を持っていないと最後にはとんでもないことになるということだ。
  
 自民党の「政治とカネ」。本当はここにこそ問題がある、のは常識だろう。単純な経済問題でもある。
こんな借金なんて返済できるわけがない。踏み倒しだろう。
  
 民主党が問題にしないのは解るような気がするである。
多分私が述べてきたような感覚があるから泥仕合を避けたものであろう。
 こんなことに政権担当する党が足を踏み入れると、国民がとんでもない政争に巻き込まれ、政治不信を煽って、変な勢力を台頭させる結果に繋がると思って押えているのだろうし、その態度は正しい。
 こういう争いをしているのは二流、三流国家である。
  
 それをいいことに政治とカネで騒ぐ自民党、検察、マスコミはもう言葉では言い表せない存在である。
キチンと国民が判断を下さなくてはならない。