繰り返し書いている様に小沢代表就任以前の民主党には全く関心がなかった。
民主党結成を肯定的に評価する組合ビラを持って文句を言いに行ったところ、「そんなにいうなら、あんたは勝手にやればいいじゃないか」と言われたぐらいだから、アンチの立場だったかもしれない。その後も、この系統の連中には一貫して批判的だった。言葉の上の問題ではなく、実際にやっている事に批判的だった。
やっている事は、一言で言って、皆の代表ずらして、立場を保障された幹部が、保証する側と結託して自己保身して保証する側との戦いを止め、下請けのように業務を代行する。やっている事を見たら、客観的、結果的に見たら、そういう事になる。
こういう連中と戦うのは、骨が折れる。
何しろ相手は統治支配の一部に組み込まれて、其れなりの経済的な獲得物を流せる立場にいるから、単純な言論活動や一時的な機会を見つけての主導権奪取では対抗しずらい。
こういう連中を養う事でエスタブリッシュメントは確立している。
もうすぐ、民主党代表選の結論は出る。
全国で管政権を支える連中は私が上記したような連中である。管執行部はその代表者として醜悪な形でこの代表選で突撃している。
ご飯のおかずに調味料として砂糖をかけるバカはいない。管等は砂糖の様なもの。
大坂夏の陣に例えると、外堀は埋められた。
小沢氏の代表選出馬の真意は敢えて推し量ると、
第二。参院選後の政権のモタモタ。
円高急速進行への対応も政治指導者として、こんなのでよいのか。こういう時こそ政治家の能力が問われる。官僚は補佐するモノでここぞ、という時の判断はできない。
第三。
第四。
円高急速進行にみられる、世界経済の現状認識。日本に政治発信性がないため、デメリットが大きくなっている。世界情勢を見渡すと、日本の改革に残された時間はないのに、戦わないで逆戻りしている。
小沢氏の出馬への決断は、敢えてのモノだった、と思う。
「負けると解っていても闘わなければならない時がある」とも語っていた。
先の事も読んでいると思う。
小沢氏が負ければ、民主支持は止める。例え小沢氏が民主に残っても。
参院選でも投票所で無効票を投じることも考えたが、余りの早すぎる、民主支持、離脱を嫌って思いとどまった。
その時の無効票指向の根底にあったのは、個人としての政治的主体性をこれからの流動状況の中でキッチリ確保するにはどうしたらいいか、ということだ。
ちょっとでもよいと、考えるところに入れる。
でもそんな相対主義では強烈な根底的な行動力、思考は生まれてこない。
結局、今から思うと、無効票を投じる事を大きなきっかけに自分の立場を確立した方が良かったのかもしれないと思っている。
小沢氏が立候補すれば、批判点はあっても支持するしかないと、考えていた。管らへの怒りは根深い。
となれば、国民の生活を第一にする方向もダメ、新市場原理主義に徹底できず、の中途半端で時間のみが過ぎて行く。
小沢氏はこれらの傾向を見通しているようだ。支持するのが、当たり前。元々、小沢にの代表就任から、敢えて民主に踏み切った訳で、時々、民主には物凄い違和感があった。
小沢氏が負けたら、民主はもう支持しない。
新政権成立後、メリーゴーランドのようにイロイロな事を見せてもらった。もうだいたい分かった。何処をどう振っても、これ以上のモノは出てこない。
小沢一郎には強く魅かれるが、もう民主支持はいいだろう。
労力と時間の無駄。