6月6日付けの植草一秀さんのブログ記事はタイトル「岡田幹事長を更迭し両議員総会で新代表を選べ」からもわかるように、今回の野党提出内閣不信任案をめぐる民主党内外の政局の果てに管首相の退陣確定を受けて、当面の政局に対する、基本的な見解 A)と、
一昨日だったかな。
民主党内の一連の騒動、対立軸の固定化はやはり、バブル崩壊後のアメリカの動向、世界情勢との関連できっちり抑えてないと、目が狭い民主内の内紛にくぎ付けになりすぎて、広い視野に立って、情勢を展望できない、と。
>植草さんの6月6日付けの記事の趣旨A)は原則論として異論はない。
この原則論の真意は辞任確定の政府、内閣の長、管直人と党の長、岡田を筆頭する反小沢勢力の主導の下に野党自民らとの震災、原発対応、増税を名目とする期限付き大連立が策動されている現状に対する、小沢氏らの立場に立ち切った反対を理論的に根拠づけたモノである。
小沢はずしが行われることへの危機感がある。
代表選で党内政局が生まれる。さらにたちが悪いことにはその党内政局は自民党など野党勢力との絡みで動かざる得ないのであり、結局は党内で対立しているどちらが、自民などと連携を強化しているかという、争いになる。これが本当のところだ。
すでに内閣不信任案賛成に当たっては、小沢派も自民党にはコンタクトをとって、事後処理を模索していたであろう?し、樽床など中間派と称されるかなり大人数のグループも自民党の反谷垣派?と連携いると報じられていた。
内閣不信任案提出前の国会情勢はすでに民主政権の枠組みを超えて、次の枠組みを想定し、流動化していた。民主自民らの主要議員はすでに次の体制に向けて政治的橋頭堡を確保しようと先走り、既成事実、関係は形成されつつあった。
民主党は選挙のたびに連戦連敗し、現時点の党勢は脆弱であり、将来の民主は風前の灯のごとくだ。
数はそろっているが、政治に慣れていない議員が多い。
以上の様な大きな政局から、両議員総会で選出した次期代表は結局、連携相手の自民党などの意向を踏まえた期限付き連立の首相にならざる得ない。党の主体的な代表選びではなく、形式的なものに終わる。
>岡田民主幹事長の自民党の石原幹事長との期限付き連立に向けたボス交は現時点での民主幹事長が岡田である限り、当然の行為である。
これがわかっているから、植草さんはタイトルで岡田幹事長の更迭を真っ先に挙げる。
植草さんの真意は岡田が表立って、自民幹事長とボス交すれば、野党提出の内閣不信任案賛成の勢いを示すことで管を追い詰め、辞任を引き出した小沢氏らの頭越しに期限付き連立構想が進み、来る連立内における小沢氏らの政治的立場が確保し辛くなるからだろう。
植草さんの「岡田幹事長更迭」は小沢氏らの将来の政治的立場への配慮があくまでも前提としてある。
それを原則論の衣を着せて押し通している。
岡田更迭論を展開するに当たって、いつものように鳩山政権崩壊後の管首相、岡田幹事長の政治能力への欠如、一連の失政を揚げており、私も異論はない。
>が、読み進んでいくうちに疑念がわいてくるのを抑えることはできない。
>「次の体制をどうすべきか白紙の状態である」?
期限付き連立で蠢いてきた者にとっても、「どうすべきか?」と問い詰められたら、「白紙の状態」というほかないだろう。
しかし、実際の永田町の政局は内閣不信任案提出騒動の前から、民主政権党の枠を終えて、自民党の連携を求めて具体的に蠢いている。
その中の一環として、不信任案提出に際しての小沢派としての自民党への働きかけが、なかったら、この重大政局対応としては片手落ちだ。
>時間不足で断定調で行くしかないが、小沢派のそのような動きは、弱すぎた、もしかして具体的にほとんど何もやっていない可能性もある。
小沢氏自身の政治力が特捜検察とマスコミ連携の動きによって極めて限定的にならざる得ないという側面は絶対的なものであろう。
にもかかわらず、現状に寄り添うと不信任案同調に決起せざる得ない矛盾がある。
その構図はちょうど、代表選出馬時の小沢さんの立場と同じだ。出馬しても勝つ見込みは薄いし、後々党内対立の根を根深くする。それでも管内閣の政権交代からの大転換や参院選自主敗北路線は許さないという、民主支持者の熱い声があった。
植草さんが連綿と恨み節の様に書いておられる、その後の体たらくもある。
だから、私も植草さんの議論は正しいと言わざる得ない。
>が、やっぱりどこかおかしい。
植草さんの様な議論の観点からは小沢氏が民主党内にとどまる限り、一方的に強く肩入れし、他方の首脳陣は悪人に仕立て上げるしかない。管内閣連合赤軍規定などその最たるものだ。官等が連赤の森や永田であれば、打倒しなければ、やられてしまう、しかない関係になる。
>こういう議論は政争をより狭い次元に、より過激に映し出す、一部の人の頭の中だけにしか訴えられない、カリカチュアじゃないだろうか。
こういう意見に染まると確かに党内闘争への戦闘力は凝縮されるが、離れたところにいる人には、ピンとこない。
私が過去に経験した「内ゲバ」の論理も大体こういう理屈を真髄としていて、部外者に通用し辛いものだったが、一旦この論理を受け入れたモノには強烈な相手への切っ先となった。
別な観点を獲得しない限り、党内闘争激化の激烈な応援団にしかならない。
>トドノツマリは小沢派に別当コースを促すものとなる。
が、簡単にそれができれば、小沢さんも苦労はない。民主合流までの経過もある。自身の年齢、裁判から来制約もある。そこまで考えての議論ではあると思うが、思考レベルだけで過激化しているとの疑念はある。
そのような過激議論は実態としマッチしていない。
間違った思考は間違った結論、行動を導き出す公算が高い。
>>鳩山政権の普天間基地移設の動揺、決着への意見も浅薄すぎるし、すり替えもある。
海外、県外移設が挫折した原因を鳩山をサポートせず、逆に攻撃を仕掛けた党内対米隷属勢力に求めているが、こういう狭い範囲に主体的要因を限定するのは視野が狭すぎるのではないか。
この論法もある種の党内内ゲバ論理の一部である。
民主党内に従米分子がたくさんいる事実は重い。
>しかし、そもそも、政権交代以前の民主党は在日アメリカ軍基地問題の誰でも知っているような地位協定問題の問題点を進んで解決しようとする政治姿勢がなく、焦点をぼかしている。私はこの点をもめごとの最中に確認している。
結論的にいえば、曖昧でふら付いていて、党内に従米勢力のいる民主党にマスコミ権力米軍の圧迫をはねのけシャキッとした姿勢を取らせ対米交渉させる力を与えるのは、われわれ本土のモノが圧倒的に決起し、政権を後押しするしかなかった。
もっとも私と彼とでは想定する政治のフィールドが違っているから、彼としては民主内の従米勢力に主因を見つける。だから彼ら政争相手の敵とする。
しかし民主党とはもともと損程度の党だったとしたらどうなるか?
必要だが、多分に非生産的な敵との戦いになる。
>もう一点。
つまり、政権の意向を無視し、むしろ奇貨として、官僚層、アメリカは勝手に過激方向に舵を切り蠢きだした。
その高速ベルトコンベヤーに政権運営を容易にするという観点から乗ったのが管政権である。
最初は毒だけ食うつもりが皿まで食わせられた。もちろん最初から皿を食う人間もいる。
>>次にどうしてアメリカや官僚がそうせざる得ないかという大情勢の問題がある。
奴らが強いからそうしているとばかりは言えない。奴らも事情があって、日本や世界中から反発必至でも、やり方を変えざる得ない。
植草さんの論理はそういった全体状況に対する分析をあくまでも小沢一郎を唯一の政治アイテムとすることで、視野が狭くなって、熱烈支持者以外に違和感を持たせるものとなっている。
そういう政治論に終始していると専門分野の財政経済分析の信憑性も疑いの目をもって見られることになる、と想う。
残念ながら植草さんは政治分析分野では経済財政分析の様な鋭さはない。
私も小沢さんたちを応援する立場である。
事実上、国会内の最大野党化している。
今後の推移を予測すると、小沢さんたちに権力が移行する可能性はない。
そこで小沢さんたちがどういう政治路線を選択するか?注目している。
庶民の側に立ってほしい。
多くの人が日本の支配層のこれから、推し進めようとしている新市場原理主義政策に晒され、傷を負う。
小沢さんたちがその政治的利害を幅広く、代弁しなければ、ファシストがその間隙を突いて台頭する。
そういう観点から小沢さんたちを支持するが、障害になる考え方は批判する。