今回の野党提出の管内閣不信任案国会政局は民主党内政局を生み出し、党内が流動化する中、野党案賛成のカギを握る中間派鳩山グループと管派の間でボス交が行われ、別党コースに固まりきれず、一点突破力に疑問のある小沢派も矛を収めざるえず、その結果を元に急速に党内コンセンサスが形成され、管首相のあいまいな辞任表明で一時的に決着がつけられた。
少数中間派で派内に動揺の著しい鳩山派のボス平野と管に個人的に近い北沢の間で事前のボス交が行われ、言葉だけの辞任表明の確認事項をもとに管と鳩山が会談したのだから、強固な数の力を背景にできない鳩山は管に辞任を強く迫れず、辞任時期があいまいになった。
結果、党内反執行部派の不満は管が辞任時期を曖昧に引き延ばす以上、維持される。
本当なら、党内最大の結集力があり、不信任案賛成の震源地である強硬派の小沢派と党執行部のボス交で落とし所を探っていくのが常道であるが、内部で動揺激しく、事実上中間派となっている鳩山派との間のボス交になるところに、この党内政局を招いた根深さがある。
>>>先ほど、この党内政局の一方の最高責任者である、岡田幹事長の6月3日付のブログ記事で、前後のの考え方を確認した。
完全に党と国政の権力者の立場に立ち切り、被災者の立場や「大義、決意、ビジョン不在」という一部マスコミ論調と同じような意見に終始している。後は、党員各自がよく緊急事態に国会議員個人として熟考してくれた結果、大差がついたなど主観的感情的総括で良しとしている。
う~んなるほどな、と想う。
最高権力者の権力ある地位は短期間で人を変えてのか?元々そういう人だったのか?
多分両方なのだろうが、こういう政治的に懐と視野の狭い人は党最高幹部としてカオス状態の党内を掌握できない。
典型的な優等生の内ゲバ幹部の有り様だ。
岡田さんのような人を知っている。ああいう人が幹部だと難局を前にして、下部は内心、心細くなる。
執行部に寄り添う人たちの原動力が役職になる必然が、岡田さんの政治体質からも理解できる。
管政権は役職を連発することによって人を引き付けるしかない。たとえその手法が緊急事態には組織的集中力を欠き、不合理でもそうせざる得ない。
党内分裂の収拾するためには完全なもう一つの観点や懐の深さがいる。
岡田氏のような懐、視野の狭い政治家が党の最高幹部にいるから民主党はしぼんでいくともいえる。
彼は政治家ではなく官僚である。人を束ねたり、人の上に立つ人としての要件を備えていない。
難局を迎えたときに最悪の人は首相の管ばかりでない。
管内閣成立以降、今現在、そして将来展望を党として考えるのが、幹事長の最大限の任務の一つである。
政権党として国政を担当する重大責任はあるが、その責務を果たすためには自らの政治基盤を強固にする必要がある。
岡田氏はその任を以前も今現在も将来も果たしているのかどうか?
解散して国政選挙をやれば、惨敗だ。
不信任案提出に対する管首相の解散の選択肢は事実上、封じ込められていた。
民主党の将来展望も真っ暗な状態である。
こういう党を取り巻く、将来を含めた大きな政治情勢を抜きにして、狭い経験からの大義や決意の空語から断罪する愚かしさを、本当に分かっているのか?
>岡田氏のかつて飛び出した時点の自民党は政官財の癒着構造のど真ん中にいる政治基盤のがっちりした党。
ところが民主党は国民の政治ムードで政権に就いた党。
政治基盤は一体どこにあるのかさえ分からぬ状態。現実の党勢は風前の灯の如きモノである。
そういう政党の幹事長はそれに相応しい政治力、柔軟性が備わってないと、党の生きた団結は生まれない。
岡田氏の見解、行動はかつての古い時代の自民党幹事長のようなものである。反乱者に行政手法で対処している。
つまりは組織の規則に従え、幹部のいうことは聞け!
こういう固い頭では政治基盤がぜい弱で、重大事案が発生するたびに党内が動揺する民主党全体の総意をまとめきれない。
そこで、政権と党執行部としての権限、権力を行使して、党内反対勢力を抑え込もうとする。
当然、反対派との敵対関係を固定化したり、拡大したりする。党の力が十分発揮できず、党は縮小再生産する。
岡田氏は党勢の急速な後退を客観情勢のせいにして、自分の問題として考えたくないようだ。
敗戦した軍隊の将軍がもっともよく学べるはずなのだが、他に転嫁している。
なお、一層、最悪なのは小沢氏を悪者に仕立て上げるマスコミ宣伝に乗って、党内敵対関係を執行部として意図的に作り上げることによって政権浮揚を図ろうとする。
岡田氏は小沢氏の党員権無期限停止の行政処分的手法を党内政治に持ち込み、対立点を必要以上に拡大した政治音痴である。そこに政治センスも政治力もない。
>もっとも、管直人自身に最高政治権力者としての政治センス、政治力がまるっきり備わっていない。
自分の首を自分で締めている。それでも首相の座にいられるのは幸運と利権癒着勢力が当面使い勝手がいいから、温存しているだけである。
参院選の争点になるのは目に見えているからだ。
>あえて火中のクリを拾う政治センスなのだが、その後の官僚体制とマスコミを政治基盤とする管内閣の政治経過を見ていくと、大きな政治謀略に民主党執行部がすっぽりとハマってしまった、と言えなくもない。
>>>>新聞の論説欄に載るのは、最大公約数的な先にあげた立場を自分たちで作り上げて、その目線から、国会騒動を国民不在と断罪する。国難に一致して事にあたれ、が唯一の前向きの主張になる。
新聞に限らず、テレビ報道番組でも、こういうイデオロギー操作がマスコミの常とう手段であり、受け手の側の読者、視聴者も繰り返しこういう論法に漫然と晒されていると、いつの間にやら、同じような思考パターンが身についてしまう。
内省なく、あるがままの庶民としての自己存在、素朴な意見を絶対化して、その立場から、常日頃から政治を軽んじてしまう。
マスコミ資本は中身はともかくも、情報をできるだけたくさん売って成り立つ商売だ。
あるがままの内省なき、素朴な意見の庶民の存在を「お客様は神様だ」とくすぐって売り上げを維持していく本能を持っている。神経を逆なでするようなことは言わない。
こういう売り手と買い手の特殊な相関関係の中で世間の一般常識、(狭い範囲では世論)が形成される。
視聴率、販売部数はマスコミ情報商品の商売の大きな目安である。
どれだけの量の商品を販売できているかという。
>ところが、よ~く考えてみると、この商売。他の商売とまるっきり、違ったところがある。
スポンサーというパトロンがいなくては商売が成り立たない。倒産する。
スポンサーは消費者と別の次元の顧客であり、その力は一般の顧客である消費者よりも強い。本当の神様はスポンサーだ。
なぜなら、マスコミ資本は規制によって、競争が制限されている以上、その販路を国家によって守られており、商品を作れば、消費者に売れる仕組みになっている。
だから、マスコミ資本にとって消費者は常に適当に手なずけておく対象に過ぎない。
決して神経を逆なでせず、おだてあげておくことが肝心である。
>この観点からから現在のファシズムは何か?という設問に入る事が可能となる。
第一。マスコミによって、日ごろからおだてあげられ、身の程を知らなくなった素朴な庶民、自己評価の高すぎる庶民の深層心理をマスコミ手法でくすぐり上げる政治技術を持ったモノは大衆を扇動、洗脳できる。
マスコミもこういう政治指導者を大衆が支持しているから持ち上げる。
よって相乗効果が生まれ、政治的人格の独り歩きが始まる。
第二。スポンサーの存在はここでもついて回る。
大衆に宣伝扇動するためには圧倒的な物理力で社会を覆い尽くす必要がなる。
カネが必要になるが、必要な時代には資本がファシストに先行的に投機する。
そんな条例が飛び出してくることは選挙前の公約になかった。
理由は、そんな条例を制定しなくても教育現場で指導が行われているというものである。
したがって、このハシモトの条例策定は制度を作ることによって、社会の空気を扇動しようとしていることである。
こんな大事なことが公約になかった、という批判に対して日ごろの言動から想像できるだろうとか、いやなら、4年後に維新の会議員を落とせばいい、と開き直っている。
大阪と構想は地方にミニ中央集権強権体制を作ることと住民自治と主権を破壊することである。
>>民主政権の次に用意された政権は大阪府知事ハシモトのような輩が中央政治で幅を利かす政治体制である。
自公の管政権批判の根幹はひたすら、統治能力がないという点に集中している。
この方向からの政権批判が自らの過去の政治を覆い隠す有効な手段と見抜いていているからだ。
東京都知事選。
民主支持者層の票は石原、そのまんま、ワタミ、渡辺に三分割された。
大震災、原発事故を契機に情勢は複雑な展開をしていくだろう。
生の政治に生の判断を下す必要が生まれてきている。
岡田克也幹事長よりよっぽど、庶民に切実な政策を掲げていた。全部の政策に一貫性がある。。感心した。イラク戦争に真っ向から反対し、怒りをあらわにしている。働いている人の老後のことを本当に心配して、政策を提示している。
私は無知で全く知らなかった。
不信任案に賛成した彼の行動は政策からも現場主義の政治姿勢からも本物である。
彼のような人がいる小沢派への認識ももっと深化する必要があると感じた。
悪い情勢では嫌われている少数派に時代の真理が宿ってきた。それが歴史だった。