反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大震災、原発事故は日本政治の曲がり角に発生。国民間に政治路線の違いは大きく、大混乱は不可避。を恐れてはならない。目先の事態収拾にとらわれず、腹を据えよ!

 この間、何回か永田町で進行中の事態について書いてきたが、本当のところ、あまり関心がない。
普段、関心がないから、わからないことのほうが多い。
 先日も、今回の内閣不信任案をめぐる事態について、突っ込んだことを書いている途中、展開できなくなって記事を抹消した。情勢が複雑になっているときは、複雑思考が必要。単純割り切りはだめ。
 
 今回の不信任案否決のかなり前から、否決されると断定していた。小沢さんたちの数集めは挫折すると。
 論証する材料を自分のぼんやりした頭の中の操作し、結論は出せるが、文章化するのは結構、手間取る。
 
今現在の民主党国会議員のおかれた結構、複雑な状況を文章として解き明かす必要があった。
 これをキチンと書いて結論に持っていく力量が私には備わっていないとあきらめたから、別の単純ものに差し替えた。 
 
 6月2日、衆議院本会議場で起こった事態をみれば、そこに至るまでの各議員の心理状態、その総和である全般的情勢は複雑だった、と理解できると思う。
 これをあらかじめリアルにサスペンス調で書いていこうとしていた。
過去に起こったことの解釈はその立場立場で誰でもできる。
 ところが、これから起こることをリアルに描き出すことは力がいる。想像(創造)力の問題だ。
 
 どういうモチーフで書いていこうとしていたか?
 
>>400余名の民主党国会議員は2階どころか4階に上がって、梯子を外されている、これが6月2日内閣不信任案採決前までに民主国会議員の置かれた立場。
 4階に押し上げられて、梯子が外れていたら、地上に飛び降りる人はいないよ。
よっぽどの事態にならない限り。
 
 400余の民主議員にとって、野党提出の内閣不信任案に賛成するということは、潜在的に梯子を外された4階から飛び降りるようなものだ。
 
 マスコミなどは前向きな対案がない、不信任案賛成と批判するが、そもそも400余の議員の置かれた状況で前向きな対案などでてこようもない。
 NOということで精一杯。それも4階から飛び降りるむちゃがいる。
だったら、そのまま、梯子が外れているのはわかっていても、しばらくは4階にとどまりたい。
そのために理由がいる。
それが管直人の退陣表明だ。
 
 >400名余の民主国会議員は市場原理主義政策によって国民規模で格差が拡大し、痛みを受けた反動で政権交代への期待が高まった国民的政治ムードの中で選出された。同時にアメリカンバブルの崩壊による冷戦後の世界経済体制の動揺も大きな背景にあった。
 
 内外特殊情勢によって、民主400余名は階段を4階ぐらいまで高く、その時点の国民感情によって押し上げられた。自力で勝ち取ったとは言えない。情勢に押し上げられた。 
 
 >ところが、4階まで押し上げられた、民主議員に与えられた政治課題は高度成長以降の日本歴史の結節点である重い政治課題であった。自民党長期政権の付けがすべて回ってきていた。
 民主党議員は選出した国民に高度成長以降の政治の総決算のような重い政治課題を与えられた。
小沢氏への政治弾圧もその官僚暴力的一部である。
 
 >この時代を画するような政治課題から、集団逃亡し、旧来の自民党的統治体制、政策体系に移行することで政権運営をしていこうとしたのが管政権である。
 
 ところが、これに反抗する小沢氏を中心とする政治勢力に明快なもう一つの政治路線があるのかどうかである。
 
 私はあいまいなものであると断定している。言葉では何とでもいえるが、いざ実行という段階では、その曖昧さは暴露されるとみている。
 事実、小沢氏らは鳩山政権時代、政権の中枢にいたが、別な政治路線が打ち出せたかといえば、あいまいだった、と言わざる得ない。
 
 ただこういうことは言える。
 
 >>誤解を恐れずいえば、小沢氏の基本政治路線は自公の利権癒着政治と違うもう一つの「利権癒着政治」をこの日本で形成することである。
この真相を彼は日本での議会制民主主義の定着と称していると思う。
 
 私は、この方向はその意味で間違っていないと考える。
 
 二大政党制を唱えるのであれば、社会構成の分野でも既成のモノと違った構造がいる。
これの形成は民主主義制度のもとでは、ヒト、モノ、カネの流れの中でやっていくしかない。
 
 ヨーロッパ、アメリカの先進国では実際のところ、そうなっているのではないか?
民主主義のリアルな実態は、単なる政権交代でない、政権交代をしてもそれを支えるもう一つの社会的構成、物的人的基盤が成立がある。
 
 イギリスでいえば、影の内閣政権交代で政権に就いた時、それを支える社会的基盤がある。
言い換えると、常に二つの社会的基盤が共存しているが、日本ではほぼ一塊になっていたから、民主党が政権を握っても政権基盤がぜい弱で、トドのつまり、前から一塊になっていたマスコミや官僚が騒いだり、政治暴力を政権交代を成し遂げた最高幹部に振るって平然としている。
 連合などは、どちらかといえば、ひと塊の構成要員だ。
 
 >問題は日本に小沢氏が目指すような社会基盤があるかどうかである。歴史的な過程の問題でもある。
小沢氏側の理論作業の問題でもある。
 
 >が、政権交代によって、もう一つの社会基盤形成は途上であった。
だからこそ、利権癒着勢力は自らの足元がリアルに掘り崩されていくのを恐れ、なりふり構わぬ、暴力と宣伝扇動を発動した。
 
 以上のような観点から、小沢氏を評価しているが、彼は陰陽の際立った個性ある政治家。
政治家としての欠点も多い。
周りがカバーしなくてはならないが、欠点が有能な人を遠ざけているようだ。
 
 <時間不足でタイトルに到達できない>
 
 震災、原発事故が起こる前、日本政治は岐路に立たされていた。
将来の国民生活に直接、影響を及ぼす増税ー大企業減税や国の形を変えるTTPが目前に迫っていた。
小泉市場原理主義のもう一歩前を行く政策が決定されようとしていた。
しかも、市場原理主義への怒りをもって政権交代させた民主党政権によって、実行されようとしていた。
 
そこに人類的危機ともいうべき事態が襲いかかった。
だから、二重苦三重苦の事態が目の前にある。
 
 こんな時、ちまちまと、保守的守りの心情から予定調和のようなものを求めていくのは間違っている。
得て勝手な国民の立場なるものを持ち出したり、震災被害者の心情を慮った振りをして、国政に急いであるべき体制を要求するのは間違っている。
日本人の悪い癖だ。
 
 政治的緊急事態を理由に国民規模で思考停止させて、利権癒着集団の個別利害をイデオロギー操作によって、全国民に浸透させるのは止めてもらいたい。
 目先の重大事案を理由に国民の利害分裂を覆い隠す策動が進行している。
 
マスコミ資本は電通も含めて資本規模が大きくなりすぎている。
自分を再生産するためには利権癒着集団としての一員の立場を鮮明にしなければならない、運命にある。
 
  <時間切れ>終わり。