反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢一郎の倒閣の動きは利用するだけ利用され、ポイ捨て。

 小沢一郎が出てきたら、喜ぶ人もいるが、嫌がる人の方が圧倒的に多い。
 
東日本大震災福島原発事故発生以降の小沢の動きを見ていると、この政治家の本質が透けて見えた。
 最初は、どこにいるか解らないように黙っていて、そのうち、機会を見て政治的な動きを強めていった。
政治局面が有利に展開しだしたと読んだのだろう。
 
 長年の政治生活で、そういう見方、動き方が身に染みついているようだ。
永田町で長年、政治生活をしていると、庶民の実態と離れていく。選挙活動が安泰なら、庶民と結びつく機会は自分から、心がけなければ、途絶えてしまう。
 周りを取り囲んだ、一部の熱烈支持者の世界と敵対する世界という狭い永田町の特殊世界の住人なってしまう。
 
 この未曽有の事態。大政治家ならもっと違った動きがあってしかるべきだろう。地元岩手は激甚災害に見舞われている。 
 
 もっと、庶民の立場に立って、泥まみれになる政治活動を直ちに起こすべきでなかったか。
 
国家権力に政治弾圧されている。
 系統的に政治生命を奪われつつある。
が、この弾圧によって彼自身が逮捕されて牢獄に閉じ込められたわけではなく、逮捕された秘書たちの事案そのものも、微罪もいいところで、自らのそれまで保持してきた政治力を政治弾圧によって削がれたに過ぎない。
 
 >>問題は、政治弾圧によって自分がどのような政治的立場に立たされているか、と云う認識とどのような立場に立って反撃していくか、と云うことだ。
 
 ここにずっと注目してきた。
 
 その間に小沢支持デモが全国で展開され、私も2回ほど参加した。国家権力の超法規的政治弾圧は許せないと、云う怒りがあった。ただし、デモ行進中、小沢コール、小沢真っ白コールには恥ずかしい想いがした。
 
 要するに、そんなどうでもいい事をシュプレヒコールしている自分が恥ずかしいと想った。
極端に云って、真っ黒であろうが真っ白であろうが、私にとって、そういう次元のことはどうでもいい。
 
 政治の内容、目的を最大限重視する。この立場からの小沢支持である。
  
 ブログの記事でも、政治裁判が決定して以降の小沢一郎について、突っ込んで書こうかな、とも思ったが、それは彼が決定することであるし、彼に民衆運動側に立って、政治活動を展開した方がいいと言い切る、根拠も乏しかった。
 
 が、先に書いたような、観点から政治裁判に向かう小沢一郎に注目していた。
 
 判断として、国会政治の実力者としての小沢一郎の政治生命は政治裁判によって大きく削がれざる得ないという断定があった。裁判が始まれば、検察は在りもしないことを平気で法廷に出してくる。それをマスコミが報じるという、小沢一郎を追い込んだ手法が性懲りもなく、満開する。権力やマスコミとはそういうモノだ。
 
 あってはいけないのだが、日本的政治の枠組みの中ではそれが通用する。
何しろ庶民全般が権力に従順過ぎる。権利は行使してこそ権利であり、民主主義は権力と戦ってこそ、内実のあるモノになるという実感が欠如している所では、裁判にかけられる小沢一郎を庶民は忌避するようになる。
 
 これは、議会政治家としては決定的ダメージである。
議会内で政治力を行使できる地位から、まるっきり、阻害される。
 
 小沢一郎は庶民の側に立って再生する道を選択した方が、彼個人にとっても庶民にとっても、利益になるのではないか、と漠然と想っていた。
 
 ただそれは、彼の経歴から不可能であるとの断定のあったが、
 
ヤッパリ、
 震災直後からの彼の動きを見ていると、政治弾圧以降、何ら政治スタイルに変化がないようだ。
結局、狭い従来の政治的枠組みの中でしか動いていない。永田町の政局の中での典型的動きしかやっていない。
 
 震災直後、しばらくは、どこにいるのか解らない状態で、ころ合いみて、政局を作っていくなんて、原発事故も含めた、今回の未曽有災害には最低の対応だと想う。
 
 そもそも、管直人などと云う政治家の首相の座についてからの動き、政策全てが利権癒着集団の手のひらに乗ったモノであって、激甚災害への対応もその範囲の中では中途半端だから、とんでもないことになるのは最初から、解りきったこと。その意味でも多くの人に必要?以上の損害を与えている。
 
 だったら、小沢一郎は最初の時点から、キチンと自分の政治家としての立場を鮮明にし実践すべきだった。
パフォーマンスとか何と云われようとも、困っている人たちに必死で寄り添うべきである。
 大きく云えば、彼自身も政治的に大人災を受けている。
困っている人の実情は心情的に解り得る立場だ。
 
 管直人ではやりきれないのは最初からわかっていたはず。
自らの党の基盤も虚ろ、しかも民主党の政権党としての存在基盤も風前のともしびの様な大枠の政治環境でどうして原発事故も含めた激甚災害に対応していけようか。
 今の管政権の対応の問題点はなるべきしてそうなっているということであり、余りにも最初からわかり過ぎていた。
 
 一部マスコミが管についていようが、最初から、おかしいモノはおかしいと言い切るべきだ。 
結局、事態が深刻さを増して、ようやくマスコミの論調も変わってきてから、自らに同調する国会議員の数集めと党派を超えた政界工作に政治活動を集中しているようである。
 
 そんな彼に失望する。
そういう人も数多くいると想う。
 
 >>一部の根っからの政治好きの人は、今回の大震災、原発事故をすぐ政治の範疇でとらえていくが、多くの国民の気持ちはもっと素朴だ。
 
 小沢一郎やその熱烈支持者。あるいは政治評論家は、ここの所が解っていない。
小沢一郎が管政権打倒の動きは多数派国民はよくやってくれているとは受け取らないだろう。
そう想っているのは、熱烈支持者や一部の政治好きだけだ。
 
 多くの人に小沢一郎への忌避感が増幅する。原発事故を含めた大震災と云う事態がそうさせる。
 
>それにもかかわらず、一部マスコミが小沢一郎の動きを取り上げるのは、利権癒着集団の一員としての野望を達成する目的で、小沢一郎のが取りこんでいる議員の数を当てにしているからだ。
 
 国会で内閣不信任案を可決させるため小沢一郎管直人内閣の噛ませ犬にする、取りこんでいる議員の数を当てにする。
 
 産経グループの様な所の対小沢取り扱い方の変化を見れば、彼らの意図がよく解る。
 
小沢一郎と支持者を取りこんで利用するだけ利用し、自分たちに権力が近付いたら、小沢一郎はポイ捨て、だ。
彼らは、小沢一郎が議会実力者として政治生命が風前の灯になっていることをよく知っている。
 政治裁判が始まれば、検察の在りもしないでっちあげが満開すること知っている。
 
小沢さんは実力を発揮する何のポストも与えられないし、陰で実力を発揮させないよう、閉じ込められる。
そういう暗黙の合意ができるのは早い。
 
 勿論小沢一郎も先のことは読めているが、永田町の枠内でしか動けない以上、その渦に巻き込まれざる得ない。
 もっと、他の動き方はないのか?
 
管直人が変わることは賛成である。
 
 しかし、管の激甚災害への政策は官僚の意思そのままを、統治力も脆弱に実行しているにすぎない。
激甚災害から、日本国家と大企業、「日本経済」を救い出すことが先決で被災者救済、復興は後回しにされている。
 
 小沢さんたちが動いて、はたして、今までの管政権の基本方向をどれだけ変えられるかどうか?
皆の気分がすっきりするという意味でも、効果は大きい。
 が、それだけだったら、政権交代の二の前、以下の事態を招く。
 
なぜなら、政治的に野合する相手は、災害人災を国民にもたらしは張本人たちである。
さらに悪人はもっとあくどい方に進化している。
 
 私は信用していない。政治は気分や願望でない。実際の力関係だ。
小沢さんは、管政権打倒に力を貸しても、それ以降の政権運営で徹底的に阻害される。
民主党内の管政権反対派は政治的野合をする場合、キチンとした担保を相手から取らないと、利用されるだけに終わる。
 
 多数派国民が奈落への階段を歩む速度を速めるだけに終わる。
政治は複雑怪奇、単純な道程を歩まない。
 小沢熱烈支持者は単純派である。