反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

今現在、特殊、先細りの永田町限定の政治力しかない小沢氏が倒閣の前面に立つと、利権癒着集団の当面の手先、管直人は延命。辞任に追い込む方法は他にないのか?

 小沢一郎と云う政治家をあまりよく知らない。
その原因は自覚している。
彼が自民党にいたころも、飛び出して細川連立政権をつくった時も、その後の、公明党を含めた新進党結党から解散まで、複数の政党を作っては潰していた頃もまるっきり、関心がなかった。
 なにしろ、前原偽メール事件でさえ、そんなこともあるのか程度の認識だった。
 
 「日本改造論」は読んだ。
ああいう論調に胸のすくような想いをする人もいるだろうなとは想ったが、彼自身が支配層の一員として、現状の日本にそれなりの危機感を抱いていることは理解できたが、私は、勿論そういう危機感を共有できるはずがない。政治的立場が大きく違っている。
 
 小沢一郎に同調するようになったのは、彼の代表就任以降の反自民の具体的な一貫した政治姿勢に納得したからだ。
 
 私の自民党への嫌悪は根深い。
 生まれ育った実家にとって自民党とは空気の様な存在であった。
政治の話題を子供心に聞いたことがなかった。
 
 私は物心ついてから、そういう環境が嫌だった。
 堅い職業に就くことは高校時代に止めにした。高校2年の時、勉強はしないことに決めていた。
 
高校生のころから反体制派だった。
 大学入学は学生運動のやりやすい大学を選んだ。
 
革命とは生き方の問題であり、できるできないの問題ではないと想っていた。
だから、一つのやり方がダメなら、別の方向を追及する。働きながら戦うという、事になる。
 
 政治党派と云う問題がある。
 
ここに所属し、その活動にドップリつかると、どういう現象が起こるかと云うと、何も自分で考えなくていいというある意味、シンプルな特殊精神状態になる。組織=自分。組織の方針=自分の政治実践、となって、実行できないのは自分に問題があるからだと、なる。
 連合赤軍の事を揶揄する人がいるが、あの事態を引き起こした底流にはこういう心境の共有がある、のを果たして知っているのか。
 キジも鳴かずば、撃たれまい、と云う諺の意味をかみしめる。
 
 ところが、この党派の政治方向が大きく変化した場合、どうなるか?
 
ついていけない自分を何とか矯正しようとするか、その変化した方針を自分で再検討するか、と云う分かれ道が来る。
 
 私は、高校時代落第すれすれの勉強しない生活を送っていた時、暇ができて、多分、人よりたくさんの本を読んだ。
 一つの見方には別な観点もある、とその時、身についていた。絶対はなかった。
 
 狂信者になった人を見ていると、優等生である、もう一つのタイプは本質的なやくざ的人格である。
私もやくざ的人格だけど、常識はある程度ある。
 
 革命は党派がやることに限定されない。
となれば自分で考えてやるしかない。
 
 皆と一緒に大衆活動をやっていって、自分で責任を取るようになると、自分の欠点によって他人に迷惑をかけること遅まきながら気づいた。
 自分がもっと踏ん張りきれていたら、何とかなった、と痛感した。
異常事態に対処する政治力も根性もかけていた。
 
 この時点で本当に自分に失望した。
だから、今後一切、口を閉ざそうと決めた。沖縄中部の東シナ海に面した真っ暗な海。真夜中、海辺にぐったりと横になった私のすぐ下でサンゴ礁の割れ目を伝う寄せては返す波の音がゴッー、ゴッーとなっていた。
 
 >>政権交代へと登りつめていく小沢一郎に魅せられたのは、私のそういった特殊事情からだった。
胸の内にしまっていた、反権力の火に油が注がれたようなもので、必要以上に感情的なって政権交代を支持した面があるし、政権基盤の脆弱な民主党を守っていかねば、という思いも強くあった。
 
 >こういう観点から、普天間基地辺野古移設問題で一方的に鳩山首相を攻撃する人たちを批判する様になった。沖縄に呼応する本土の大衆運動の盛り上がりの問題である。
 
 私から見ると小沢熱烈支持者のかなりの部分はキャンキャン吠える犬である。
 
しかし、ただ一点。小沢一郎免責されている。唯一の「希望」、政治アイテムである。
 
 >>自分たちの其々の勝手な想いを小沢一郎に投影している。
が、現実の小沢一郎は熱烈支持者の願望する彼でない。
 
 これは、その時々の重要な政治課題に対処する彼の実際行動を有りのまま、検証すればすぐ解ることである。勿論、無謬の政治家はいないが、熱烈支持者の思い描く、大政治家小沢一郎像と政治家、リアル小沢一郎の間にかなり大きな開きがあるという冷厳な現実。
 
 この願望と実体の格差は国政レベルの観点に立てば、もっと、はっきりする。
 
>>小沢一郎支持者のコアから、外に向けて一定の固いまとまりをもち、力もそれなりにあるが、それを取り巻く周辺の多数派との温度差が余りにも大きすぎる。
 
 支持者はこの現象を特捜検察ーマスコミを含めた利権集団の反小沢包囲網のせいにしているが、小沢主体の側にも問題(政治とカネ次元ではない)があることを抜きにしている。彼の政治スタイルそのものに付きまとう欠陥。
 
 >そういう問題点を生の政治レベルに当てはめると、どの政治潮流も小沢派とは距離を置いた方が得策だとなる。
 小沢派の堅くまとまったコアとその同心円の特殊性、政治的孤立性がそうさせる。
>一時的な利用対象とするが、誰もが本気で長く一緒にやろとはしない。
自民党から分裂して以降の自民党との関係に、これが当てはまるようだ。
 
 今回の野党提出の内閣不信任案ー小沢派同調の管内閣打倒の動きにも同じことが言える。
結局、小沢さんがゴーサインを出して初めて、コアや周辺の動きが加速するようでは、国会を覆う反小沢、脱小沢の根強い存在に前に、民主内同調者の腰を引かせ、数集めが限界に達する。
 
 >なんで、管内閣成立以降、山積する問題に関して、多くの民主支持者が当たり前に想っている様な事に、小沢派国会議員は小沢さんのゴーサインに集中するのか?
ここに小沢派独特の大きな問題がある。
 
 >共産党公明党の様な特殊日本的な組織政党なら、上の決めたことが絶対であり、下はその大枠に忠実だ。
 
ところが、小沢派にこれといってまとまった組織はない。
 石川議員の記づれ裁判でも明らかになっているように、実にアバウトなところがあり、とてもじゃないが、鉄の団結とは言い難い。
あえて言えば、小沢氏を取り巻くリアルな人間関係は体育会的とは言えるが、それは政治組織のありようではない。体育会的人間関係など、実際の政治運動の厳しい局面に通用しない。
 石川氏をはじめとする秘書たちが特捜検察の調書に署名した大きな原因には小沢派の思想組織問題がある。
 
 結局どういうことか?
 
>小沢派は小沢氏の人間的魅力、政治力を頼みに集まっている、一部に野合もある、小沢幻想政治共同体である。公明共産の様な宗教政治集団の教義、拘束の中身もない、その意味で脆弱性と広がりを持った政治幻想共同体である。
 これは、小沢氏個人の政治力が弱まったら、幻想領域が狭まり、政治集団は先細っていく。
 
 >最後に考えて、置かなくてはならないのは、小沢さんの周囲を固める人への疑問。
平野貞文さんとい方にはいつごろか疑問を抱くようになった。
小沢さんが孤立していく傾向にあるのは彼の影響が多分にあると想う。
 
 田中角栄には早坂茂三秘書がいた。人間味の感じられる人のように何となく感じられた。
 
>平野貞文さんは特殊思考パターンの持ち主である。
 
 左翼の思考パターンのアレンジの仕方が特殊方向に向かっている。
副島孝彦さんみたいなところがある。彼は学者さんだからそれでいいが、大政治家の脇にいる人に副島傾向があり、、政治的結節点にその意見を参考に判断していては選択を誤る。
 
 自由党分裂時の政党助成金分配問題で小沢さんは彼らに渡せと主張しているのに、平野さんが理屈を持ち出して止めた、と。今頃になって平野さんは書いているが、その時点の平野さんは左翼のセクト主義を理屈で包んで提起したにすぎない、と想う。
 
 平野さんには一貫してこういう傾向がある。
だから、中途半端な左翼思想のアレンジの仕方、方向が悪いとなる。
学生時代共産党をやって、議会事務局の役人生活が彼の人生の大半。それも小沢さんと連携していたという特殊性がある。
 
      
        <追記>
     <<大阪城、攻防戦。外堀を埋めて、本丸を攻撃する、と云う意味もあって管政権は止めさせなくてはならない。>>>
 自民党公明党を後ろに控えさせておいて、政権基盤脆弱で政権維持に汲々として、なんでも言う事を聞き、いまだ、わずかに残存する政権後退幻想で批判をかわせる管政権と本格的新市場原理主義への過渡的政権としては最も都合のいい政権。
 事実末端では管政権の月日が経過するごとに国家権力の政治弾圧が強化され、やりたい放題だ。
多分、霞が関と政権の関係にも、それが当てはまる。官僚に国政への影響力が強まっている。
 
 原発対策、被災地対策、増税問題。
国家や大企業の経営環境を整えるために多くの人が犠牲になっている。
 
 そういう政治は、痛い目にあわせなければならない。外堀は埋めなければならない。
その目的のため、小沢派の問題点にあえて言及している。
熱烈支持者の相も変らぬ、独りよがりが過ぎている。
時は流れている。政治的にも。さらには、大震災、原発事故と云う、人類的課題も浮上してきている。
 
小沢さんに対する想いをブチあげる相変わらずの情熱では通用しなくなっている。
そういう主張にドン引きする人は以前よりももっと多くなっている。
それを背景に管直人が居直る、そういう構図も否定できない。
 
 もっと、個々人が小沢一郎を離れて立ちあがった方が効果があるということだ。
小沢支持の本当のコアな部分は仕方がないが、それ以外の人はよ~く考えた方がいい。
政治目的を達しする手段をどうしたらいいかである。感情なんか関係ない。